2018年08月31日
急げ! 中高年
同世代の知人女性から、こんなメールが届きました。
<限りある時間を迷いなく使いながら、新作に向かっているなんて。失礼かと思いつつ、案じてもいます。>
一瞬、ドキッとしました。
まるで、あたかも僕が生き急いでいるかの内容です。
いえ、事実、生き急いでいるのかもしれません。
だから僕は、“見透かされた” と思い、戸惑ったのです。
2009年から今年までの10年間で、僕は11冊の著書を出版しました。
我ながら、忙し過ぎる10年間だったと思います。
まるで何かに、とりつかれて、あやつられているようでもあります。
きっと、そんな僕を長年、見てきた知人だからこそ、発した言葉だったのだと思います。
だから素直に、
<はい、生き急いでいます。>
と返信しました。
たぶん、両親の介護をしているからだと思います。
オフクロは、体が不自由です。
オヤジは、頭が不自由です。
せっかく長生きしても、両親とも “志し半ば” で要介護の生活となり、いまだに続いています。
僕は作家ではありません。
ライターです。
だから机の上だけで、文章は書けません。
常に、現場を訪ねる体力が必要とされます。
「人生百年時代」 といわれますが、いったいいつまで、この体は動くのでしょうか?
そして、この頭は考えてくれるのでしょうか?
あと20年? 15年だろうか?
その間に、僕は本を何冊書き上げることができるのでしょうか?
急げ! 中高年!!
僕らには、時間がないんだ!
やりたい事は明日に回さず、今日のうちに始めよう!
急げ! 急げ! 急ぐんだ!
2018年08月29日
万座温泉 「日進館」
標高1,800メートル、通年車で行ける日本最高所の温泉。
硫黄の含有濃度、日本一。
標高1,000メートル以上の高地温泉で、唯一の酸性硫黄泉。
などなど、万座温泉は、われら群馬県民が世界に誇る宝の温泉であります。
僕が講師を務めるNHK文化センターのカルチャースクール 「名湯・秘湯めぐり講座」 も、今年で10年目を迎えました。
人気の万座温泉(群馬県吾妻郡嬬恋村) は、季節を替え、宿を替えて、過去に3回、講座で訪れています。
昨日、訪ねた 「日進館」 は、8年ぶり2回目となります。
前回は、極寒の1月でした。
吹雪の露天風呂で、首から上が雪ダルマになりながら湯に入った記憶があります。
今回は夏。
残暑厳しい下界を逃げ出して、雲上の別天地へ!
なんと、気温は18℃です。
「す、涼しい!」
バスから降りた受講生たちは、みんな、標高の高さに驚いていました。
万座温泉といえば、乳白色のにごり湯です。
しかも硫黄濃度が濃いため、どこにいてもゆで卵が腐ったような独特のにおいにつつまれています。
でも、その白濁の度合は、源泉によって微妙に異なります。
「日進館」 は、明治6年創業の老舗旅館です。
また 「苦湯」 という万座最古の源泉を保有する宿としても、コアな温泉ファンには知られています。
“日本一の木造建築風呂”を誇る大湯殿 「長寿の湯」 の中に、その苦湯風呂があります。
が、熱い!
「先生、5秒しか沈めませんでしたよ」
「私は足だけでした」
と受講生らは、完敗の様子。
「では講師が、お手本を見せましょう」
と、淡いエメラルドグリーン色した半透明な湯に、そろりそろりと足を入れました。
「あ、あ、熱い!」
でも、歳はとっても男の子であります。
講師のプライドにかけても、エーーーイッ!と肩まで沈みましたが、早々に湯舟から飛び出てしまいました。
「先生、こちらの湯が、ちょうど良いですよ」
と呼ばれ、半露天の 「姥湯」 へ。
白濁の度合は、この湯が一番濃いようです。
湯は熱からずぬるからず、ちょうどいい!
その後、源泉の異なる6つの湯を堪能しました。
「では、カンパイ!」
「やっぱ、湯上がりのビールは最高ですね」
「しかも天然クーラーの中で飲むとは、贅沢です」
午後は、天空の露天風呂を満喫するとして、しばし、高原の風を感じながら食膳を囲み、団らんの時を楽しみました。
受講生のみなさん、次回は県外へ遠出をしますよ。
残暑の厳しいおり、お体には十分気をつけてくださいね。
また来月、元気に会いましょう!
2018年08月27日
書く力に励まされ
「介護とは、愛憎のせめぎ合いである」
と、誰かが言ってました。
と、今回もテレビドラマ 『遺留捜査』 の糸村風に始めてみました。
今年になって、友人や知人の親御さんの訃報が多く届くようになりました。
僕の友人知人の親たちですから、もちろん高齢であります。
でも年齢を訊くと、みんな僕の親よりは年下なんですね。
しかも……
「前の日まで元気だったのに、突然でした」
とか
「介護の間もなく、病院で亡くなりました」
なんて聞くと、不謹慎ながら、つい、
「でも良かったじゃないか。介護が続くより」
と言葉を返してしまいます。
本音を言えば、“うらやましく” もあります。
僕のオフクロは91歳ですが、この10年の間に脳梗塞と脳出血をくり返し、現在は寝たきりで、リハビリ施設に入っています。
来月94歳になるオヤジも認知症になって、かれこれ10年になります。
でも頭以外は健康なので、デイサービスとショートステイを組み合わせながら、僕とアニキで交互に在宅介護をしています。
僕もアニキも長引く介護生活に、少々疲れを感じていて、会えば 「夕べは寝られなかった」 とか 「オムツを何回取り替えた」 だの、愚痴の言い合いになりつつあります。
親が長生きしてくれるのは、ありがたいことなのですが、その “ありがたみ” を、だんだんと感じられなくなりつつある今日この頃なのです。
そんな折、今朝の新聞に、勇気づけられました。
知人のジャーナリスト、木部克彦氏が、また本を出版したというのです。
それもテーマは、「介護」
共に84歳になる両親が、同時に認知症になってしまったといいます。
その認知症両親の介護の日常をつづった日記が、このたび出版されました。
『【群馬弁で介護日記】認知症、今日も元気だい』(言視舎) 1,620円
木部さんといえば、かつて、『続・群馬の逆襲』(言視舎) という著書の中で、僕のことを “温泉バカ一代” と称して、書いてくださった人です。
その時に取材を受けたのがきっかけとなり、酒を酌み交わす付き合いが始まりました。
偶然にも、僕らは同じ歳なのです。
その彼が、両親のダブル介護をしているとは、知りませんでした。
彼は、新聞記事のインタビューで、こう答えています。
「書くことで気持ちが整理されている面もある。今は序章でしかない。父と母が自分の存在価値を感じられるよう、やれるところまで実験していきたい」
彼らしくもあり、ジャーナリストとしての生き方までが見えるようです。
彼は、“実験” という言葉を使っていますが、まさしく介護は、誰もが迎える未知の世界なのです。
僕も彼の生き方にならい、自分の 「書く力」 を信じながら両親の介護に誠心誠意努めようと思えたのであります。
2018年08月24日
公民館めぐり
現在、僕は年間20~30回、温泉をテーマに講演やセミナーを行っています。
主催者は企業や団体、自治体とさまざまですが、一番多いのが公民館事業です。
いわゆる地域住民や高齢者を対象にした生涯教育の一環として行われるセミナーです。
一昨年までは、圧倒的に前橋市内の公民館からの依頼が多かったのですが、なぜか昨年からは高崎市の公民館から連鎖的に依頼が来るようになりました。
県内で講演を行う場合、僕は可能な限り、打ち合わせを兼ねて、会場の下見に行きます。
というのも、“公民館” といっても、その規模はさまざまなんです。
何百人も収容できるホールを完備している立派な公民館から、僻地の集落にポツンと民家のように建っている集会所のような小さな公民館まであります。
当日、あわてないためにも、会場の下見は欠かせません。
今週は、来月開催される高崎市内の2つの公民館を訪ね、担当者と打ち合わせをしてきました。
どちらも30~40人を対象とした中規模の公民館です。
さる公民館を訪ねたときのことです。
通された事務室のテーブルには、僕の本が並べられていました。
「あれ、これは?」
僕を喜ばすために、わざわざ用意したのでしょうか?
「ええ、うちの図書室の蔵書です。先生の本は人気があるんですよ」
なーんて館長に言われたら、もう、この話は断れません。
と思えば、同席した事務員の女性が、
「確か、山歩きの本も書かれていますよね?」
よく、ご存知で!
「あの本、大好きなんです。だって、必ず毎回、お酒を飲むんですもの」
とは、かなり熟読されています。
“ライター殺すに刃物はいらぬ 著書の話をすればいい”
完全に 「ヨイショ攻め」 に会い、気分は上々!
すっかり先方のペースに巻かれて、講師料のことなど完全に忘れてしまいました。
でも、いいんです! これで。
こうやって、1つ1つ公民館をめぐり、1人でも多くの人に温泉の話を聴いていただき、より温泉を身近に感じてもらうことが、ひいては温泉文化を守ることにつながるからです。
コツコツ、コツコツ、これからも公民館めぐりを続けて行きたいと思います。
2018年08月22日
パネディス、今年も開催します!
NPO法人 「湯治乃邑(くに)」。
設立から丸3年が経ちました。
僕は、代表理事を務めています。
“消えゆく温泉を残したい”
その一心で、微力ながら活動を続けています。
当法人主催による公開パネルディスカッション 『湯治場の復活を考える』 も、今年で第3回目を迎えます。
毎年、県内外から温泉や観光、医療、介護のスペシャリストを招聘(しょうへい) して、楽しくて、ためになる温泉トークショーを行っています。
今年はゲストパネラーに、高崎商科大特任教授の熊倉浩靖氏をお迎えして、「温泉文化を無形遺産に」 をテーマに開催したいと思います。
氏は、温泉文化世界遺産研究会の特別顧問でもあり、日本の温泉文化をユネスコ無形文化遺産へ登録しようと活動を行っています。
<群馬はこの運動で全国をリードし、中心になれる力を持っている>(2018年6月16日付上毛新聞より)
とコメントしています。
現在、もう一人のゲストパネラーと出演交渉中です。
詳細が決まりましたら、当ブログおよびマスコミ等で発表いたします。
●日時/2018年11月17日(土) 15:00~
●会場/高崎市産業創造館
2018年08月20日
7回裏、チャンス到来!
いくつになっても、気の置けない仲間というのは、いいものです。
かれこれ20年、バンド活動をしています。
結成当時、30代だった者は50代になり、40代だった者は60代になりました。
平均年齢は58.4歳、正真正銘のオヤジバンドです。
昨日は、老神温泉(群馬県沼田市) の夏祭りに呼ばれて、午後と夜2回のステージを行ってきました。
お祭りということで、酒のピッチも上り、夜のステージに上る頃には、メンバー全員、ほろ酔いでしたが(1人、酩酊状態のメンバーもいました)、難なくこなし、フィナーレの花火大会を迎えました。
バンド活動の一番の楽しみといえば、なんといっても終了後の “打ち上げ” であります。
必ず僕らは宿泊をして、宿で反省会(?) を兼ねた酒宴を開きます。
昨晩も、観光協会が用意してくださった旅館に集まり、学生の修学旅行よろしく、全員で布団を並べて、夜が更けるまで、酒を酌み交わしながら、人生なんぞについて語り合っていました。
「あ~あ、気がつけば、還暦だよ」
と僕。
気にしていないようで、人生の4分の3が過ぎてしまったことがショックなんでしょうね。
気の置けない仲間の前では、思わず弱気な本音が口を突いてしまいます。
「ここらで一発、逆転ホームランを打ちたいなぁ~」
と言えば、誰かが、
「また本を出したんだから、印税がガッポガッポでしょう!?」
と、からかいます。
「そんなわけ、ねーだろ! 今までに何冊、本を出したと思ってんだよ。だったら今頃は、左うちわの生活をしているよ」
「9回の裏に、奇跡が起きないかね?」
と、さらに弱音を吐く僕。
「9回裏? 人生は、まだ終わりじゃないだろう?」
と、また誰かが、ツッコミを入れてくれます。
「でも、あと20年で、何ができる?」
「20年もあるじゃないか! 小暮さんは、まだ7回の裏だね」
「7回の裏か……、だったら、まだまだ逆転が可能だな!?」
「しかも、チャンス到来!」
「チャンス?」
「だって、また妖精を見たんだろう? 吉兆の表れだよ」
※(当ブログの2018年8月15日 「妖精ふたたび」 参照)
そうでした!
10年前に “妖精” を見たときは、翌年から温泉本の出版が始まったのでした。
今回も、果報が授かるのでしょうか?
だとしたら期待をせずに、寝て待ちたいと思います。
人生、7回裏。
ランナーは、一塁、三塁。
一発、逆転のチャンス!
次が、どんな球でも、迷うことなく、思いっきり、フルスイングするぜ!!
2018年08月19日
トトロとミチコちゃん
先日、久しぶりにテレビでアニメ映画の 『となりのトトロ』 を観ました。
もう、30年前の映画なんですね。
ちょうど長女が生まれた年で、その後、ビデオになってから擦り切れるほど観た記憶があります。
我が家の3人の子どもたちは、トトロが大好きで、“トトロで育った” と言っても過言ではないくらい、観続けた映画でした。
今回は初めて、仕事部屋で酒を飲みながら、しみじみと1人で鑑賞しました。
昔、子どもたちと観たときとは、まったく違う視点・感情で観ることができて、あらためて宮崎アニメの完成度の高さに感服しました。
まだ長女が2、3歳だった頃、家族で山へ遊びに行ったときのことです。
娘が車の中で、突然、
「あっ、トトロだ!」
と叫んだことがありました。
「えっ、トトロ? あのトトロかい?」
僕は、あわてて車を止めて、娘が指さす先を目で追いました。
「どこ?」
「ほら、あの木の上」
「えっ、今もいるの?」
「いるよ、こっちを見てるよ」
そう言うと娘は、
「トートーロー!」
と大声で叫んで、手を振りました。
映画の中でも、そうでしたが、トトロやネコバスは、子どもには見えても、大人には見えないんですよね。
そういえば、こんなこともありました。
長女が部屋で1人、おままごとをしていました。
でも、なんかヘンなのです。
一生懸命、誰かと会話をしています。
「誰と話しているの?」
そう問うと、
「ミチコちゃん」
と言います。
「ミチコちゃん? お友だち?」
「そう」
しばらくすると夕食の時間になり、家内が食卓の用意を始めました。
「ほら、おままごとは片付けて! 夕飯だよ」
すると娘は、またもや
「ミチコちゃんは? 一緒に食べるの?」
と言います。
仕方なく僕は、精一杯の演技をして、
「さあ、ミチコちゃんも、お父さんとお母さんが心配しているから、もう、お帰りなさい。また、遊びにおいで」
と言って、娘と彼女を見送りました。
「バイバ~イ! またね!」
玄関で手を振る娘に訊きました。
「ミチコちゃんは、どこの子なの? 保育園のお友だち?」
「ううん、違う。遠いお山から遊びに来るんだよ」
そして、夕食の途中で娘は、こんなことを言いました。
「あのね、ミチコちゃんはね、おとうさんとおかあさんがいないの」
トトロを観ていて、昔の記憶がよみがえってきました。
あの時、僕はミチコちゃんに、なんていうことを言ってしまったんだろう。
引き止めて、一緒に夕食をとればよかった……
なんなら、あの晩は泊めてあげて、娘と一緒に寝させてあげればよかった……
今さらながら後悔をしています。
長女は、このことを覚えているのでしょうか?
彼女も今では、小学生の男の子の母親です。
今度会った時に、訊いてみたいと思います。
2018年08月17日
マロの独白 (41) 恐怖の夏よ、サヨナラ!
こんばんワン! マロっす。
ここんちの飼い犬、チワワのオス、12才です。
1ヶ月のご無沙汰でやんした。
お盆過ぎるとなんとやらで、やっと朝夕は、いくぶん、しのぎやすくなりました。
オイラの大好きな散歩も “解禁” され、いつもの日常がもどってきやした。
えっ、……、ああ、そうでした。
読者のみなさんには、まだ、あの恐ろしい出来事を、お話していませんでしたね。
今、思い出しても、こわくて、こわくて、体が震えてしまいます。
実はオイラ、前橋市が38℃を超えた酷暑日の夕方に、熱中症で倒れたんでやんす。
いえいえ、ご主人様は、なーんも悪くないんですよ。
わがままを言ったオイラの自業自得なんでやんす。
だって、ご主人様は、あのとき、オイラを止めたんですから……
「ご主人様、ご主人様、今日は散歩に行かないのですか?」
「こんな暑くては、無理だろう」
「大丈夫でやんすよ。もう、陽もかげりましたし、気温も下がったと思いますよ」
「でも、マロは、おじいちゃんだからな」
「ご主人様ったら、また歳のことを言う。平気です! ほら、こんなに元気ですよ」
とオイラ、ソファーの上に、上ったり下りたりして、若さをアピールしたのです。
すると、ご主人様は、「仕方ないな~」 と言って、しぶしぶリードをオイラの首に付けてくださったのでした。
散歩は、いつもの町内一周コースです。
前半の半周は、ルンルンだったんですけどね。
でも、後半になると……
「あれ、あれれれれ」
「どうした、マロ! 大丈夫か!?」
「あ、はい…、らいりょうぶでやぬす」
でも本当は、目が回り、頭はクラクラし、足がもつれていました。
「マロ! しっかりしろ!!」
「ご、ご、ごしゅじんさ……」
覚えているのは、ここまでです。
気が付いたら、ソファーに寝かされ、首には保冷剤が巻かれていました。
「ご主人さま~!」
「おお、気が付いたか! よかった、よかった!」
「ご主人様、オイラ、どうしちゃったんですか?」
「熱中症だよ」
「ねっちゅうしょう?」
「そう、だから散歩は、やめておこうっていったんだ。当分、散歩は禁止だな!」
ということなんでやんす。
気温が30℃以下の日のみ、散歩は解禁されることになりました。
今年のような夏は、もう、こりごりです。
早く、秋が来ないかな~!
2018年08月15日
妖精ふたたび
読者のみなさんは、覚えていらっしゃるでしょうか?
といっても、8年も前にブログにアップした記事ですから、古い読者の記憶にも残っていないかもしれませんね。
過去に一度だけ、僕は “妖精” と出遭ったことがあるのです。
※(当ブログの2010年11月16日 「妖精目撃」 参照)
詳しくは、当時のブログを読んでいただきたいのですが、出遭いは、こんな感じでした。
とある真冬の夜のこと。
僕が自転車を漕いでいると、後方から “光の玉” が追い越して行きました。
大きさは、ピンポン玉くらい。
色は白く、花火のように光の尾を引いていました。
高さは、自転車に乗る僕と、頭上の電線との間です。
スピードは、自転車より、わずかに速い程度でした。
直線で、まっすぐに飛んで、次の電柱にさしかかったあたりで、音もなく、パッと火の子を散らして、消えてしまいました。
のちに、これが “妖精のオス” だということが判明しました。
※(前出のブログを参照)
「妖精目撃」 から、約10年が経ちました。
その後、僕は二度と遭っていませんし、妖精と遭遇したことすら忘れていました。
ところが……
先日の日曜日の夜のことです。
夜中に、オヤジに起こされ、オムツを交換させられ、グッタリとしていました。
気分転換にと、家の外へ出たときでした。
ちらほらと輝く、星空を見上げていると、後方から “気配” を感じました。
そうです、10年前の夜に感じた同じ気配です。
と、思った瞬間、スーーーーーーッと、白い光がゆっくりと、僕の頭上を飛行して行ったのです。
まったく、あの時と同じ高さで、同じく白い光の尾を引いていました。
「あっ、妖精だ!」
光の玉は、そのまま僕の頭上を通過して、隣の家の1階の屋根の上で、またしても音もなく、パッと消えてしまいました。
前回は真冬、今回は真夏です。
昆虫とは考えられません。
やはり、友人のS君 (妖精研究家?) のいうとおり、今回も僕が見たのは “妖精のオス” だったのでしょうか?
2018年08月13日
意地悪な神様
「介護とは、糞尿との闘いである」
と、誰かが言っていました。
と、テレビドラマ 『遺留捜査』 の糸村風に書いてみました。
オヤジは、来月で94歳になります。
重度の認知症で、自分のこと以外は、誰も分かりません。
もちろん妻も、息子たちのことも。
ましてや息子の嫁や孫、ひ孫なんて、この世に存在しないことになっています。
そのオヤジが、突然、思い出したようにオフクロの名前を連呼することがあります。
「○○子さん、○○子さん」
って。
「じいさん、急にどうしたんだい? ばあさんに会いたいのかい?」
「○○子さんは、どこにいるんだい?」
そうまで言われれば、介護している息子としては、オヤジとオフクロを会わせないわけにはいきません。
ということで昨日、オヤジを車イスに乗せて、オフクロが入所しているリハビリ施設へ、面会に行きました。
「ほら、じいさん。○○子さんだよ」
オフクロのベッドの脇に車イスを寄せて、2人を会わせました。
オフクロは寝たきりですが、頭はハッキリしているので、オヤジの来訪を大変よろこんでいます。
「おとうさん、わたしですよ」
オフクロが手を伸ばして、オヤジの手を取りました。
「・・・・・」
「あれほど会いたがっていたじゃないか?」
「・・・・・」
「○○子さんだよ!」
「えっ、誰だって?」
「○○子さん」
「○○子って、……」
しばらく、オフクロはオヤジ手を握っていましたが、やがて離して、こんなことを言い出しました。
「神様はさ、意地悪だよね」
「どうしてさ?」
「だって、おとうさんたら、『女は男を見送るものだ』 って言っていたんだよ。でも、ズルイよね。ボケちゃって。なーんも、分からないんだもの。しかも元気だし。わたしは、おとうさんを見送る自信なんて、ありませんよ」
「まだ、分からないさ」
息子としては、そう声を返すのが精一杯でした。
神様、意地悪は、ほどほどにして、どうか、年寄りの願いを叶えてやってくださいませ。
2018年08月11日
目指せ、重版出来!
「おめでとうございます」
「大変、お疲れさまでした」
「次は、“重版出来” あるのみ」
「よろしくお願いいたします」
昨晩、高崎市内のホテルにて、新刊 『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん刊) の完成・出版祝賀会が開かれました。
出版元の社長や編集長、スタッフ、デザイン会社の社長やデザイナー、プロデューサーらが集まり、完成までの労をねぎらい、出版へ漕ぎつけたことへの喜びを分かち合いました。
「僕にとっては、14冊目の著書になります。何度本を出版しても、この喜びはひとしおであります」
著者として、ひと言、あいさつをしました。
乾杯の音頭は、11年間の連載で苦楽を共にした、編集長が務めました。
その、彼から発せられた言葉が、“重版出来”であります。
<じゅうはんしゅったい>
業界用語で、本が増刷されることをいいます。
我々、出版に関わる者たちにとっては、あこがれの響きを持つ四字熟語です。
編集者にとっては、出世よりも昇給よりも価値のある称賛だと思います。
もちろん、著者にとっても同じです。
いえいえ、印税のみに生活がかかっている身にとっては、それ以上の魅惑の言葉なのであります。
「目指せ、重版出来!」
「必達! 重版出来!」
「かんぱ~い!」
またもや、美酒に酔いしれたのでありました。
2018年08月10日
どこかで 誰かが⑩ ロンドンの旧友
「ジュンちゃん、誕生日おめでとう! 確か、昨日だったよね?」
昨日の夜、突然、ロンドンに住む古い友人から電話がありました。
彼は、僕の仕事仲間でした。
25年前のある日、
「イギリスへ行って、向こうでデザイナーとしての腕を確かめてくる」
そう言って、単身、渡英してしまいました。
数年後、奥さんと子どもを呼び寄せ、今でもロンドンで暮らしています。
「よく、覚えていたね?」
「うん、偶然、ジュンちゃんの記事を読んでね。それで、思い出した」
「記事?」
「日本から雑誌を送ってもらっているんだ。その中に 『グラフぐんま』 があった」
『グラフぐんま』 とは、群馬県が発行しているグラビア広報誌です。
僕は昨年の5月号から 「ぐんま湯けむり浪漫」 という紀行エッセーを連載しています。
遠く離れたイギリスで、彼は、その記事を読んだというのです。
「60歳になったんだよね?」
「ああ、早くも還暦だ。キミは、いくつになったんだい?」
「7つ下だから、今年53ですよ」
「そうか……、そろそろ会いたいねぇ。今度、日本に帰ったら、連絡をちょうだい」
彼と最後に会ったとき、僕は、まだ30代でした。
彼にいたっては、20代です。
でも、何年かに1度、こうやって電話とメールのやり取りだけは続いています。
とても不思議です。
僕が書いた記事が、知らないところで海を渡り、偶然にも知っている人が手にして読んでいるなんて……。
いつも、どこかで、誰かが、見ていてくれているということなんですね。
2018年08月09日
トリビアな夜
火曜日の夜9時~、といえば?
そうです!
群馬テレビの謎学バラエティー 『ぐんま!トリビア図鑑』 ですよね。
僕は、この番組のスーパーバイザーをしています。
おかげさまで、今年で放送4年目に入りました。
来週の放送で、135回目を数えます。
昨日は、この番組の企画・構成会議でした。
プロデューサー、ディレクター、構成作家らが集まり、年内放送分のネタ出しを行ってきました。
毎度のことながら僕も末席に座り、“ご意見番” として会議に参加してきました。
くしくも昨日は、僕の新刊 『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』 の発売日でした。
プロデューサーのご配慮により、“資料” という名目で著書を購入していただき、スタッフ全員に配付されました。
「ネタ元が増えた!」
「これさえあれば百人力!」
とディレクターたちからは、評判も上々です。
実際、すでに過去には、この本に収録されているネタで、いくつか番組は作られています。
今回の会議でも、さっそく本の中から1話、番組が作られることが決まりました。
会議が終われば、夏恒例の 「暑気払い」 であります。
テレビ局の会議室を飛び出して、市内の居酒屋へ直行!
折りしも台風が接近中でしたが、“そんなの関係ない” 人たちであります。
会場が替わっただけで、話のテーマは、やはりトリビアネタです。
熱い熱いトークが、延々と続いたのであります。
と、突然、サプライズが起きました。
「小暮さん、誕生日おめでとうございます!」
女性ディレクターのN嬢からプレゼントが渡され、
♪ ハッピーバースディ ツー ユー
の大合唱となりました。
こうして、仕事仲間に祝っていただけるなんて、冥利に尽きるというものです。
でも、何冥利なんでしょうか?
ライター冥利なのか? スーパーバイザー冥利なのか? ご意見番冥利なのか?
ま、そんなことは、どうでもいいことであります。
良き仕事、良き仲間、良き酒に酔いしれた “トリビアな夜” でした。
2018年08月08日
8月8日は何の日?
今日、8月8日は、何の日だか知っていますか?
パチパチという音がするから 「そろばんの日」。
“八” という字がヒゲに似ているから 「ひげの日」。
足が8本あるから 「タコの日」。
いろいろありますが、実は、僕の誕生日です。
今日で、満60歳になりました。
いよいよ、夢にまで見た(?) “還暦”であります。
赤いちゃんちゃんこならぬ、赤いTシャツでも着て、1人で祝いたいと思います。
でもね、60年なんて、あっと言う間なんですね。
ギターを片手に、夢を追って、東京へ出た10代が、去年のようです。
夢やぶれて、都落ちして、腐っていた20代が、半年前のようです。
無我夢中で、我武者羅に、雑誌記者をしていた30代が、先月のことのようです。
暗中模索、五里霧中、さまよい続けた40代は、まるで先週の出来事のようです。
そして、“温泉バカ” と言われながらも東奔西走を続けた50代は、昨日のように過ぎ去って行きました。
人生、百年時代といいますが、たぶん、残りの人生も、あっという間に過ぎて行くんでしょうね。
さてさて、僕の誕生日なんて、どうでもいいのです。
今日、8月8日は何の日か?
そうです!
僕の最新刊 『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん刊/定価1,000円税込) の発売日であります!!!
一部の書店では、すでに先行販売されていますが、現在、お求めになれる書店は、下記の店舗となっています。
取扱店は、これから続々と増える予定です。
ぜひ、お近くの書店で、ご確認ください。
●戸田書店 (群馬県内)
●文真堂店 (群馬県内)
●文開堂書店 (高崎市連雀町)
●フリッツ・アートセンター (前橋市敷島町)
※問合/ちいきしんぶん TEL.027-370-2262
2018年08月07日
夏だ、老神温泉へ行こう!
老神温泉(群馬県沼田市利根町) ファンのみなさん!
お待たせしました。
今年も、やってまいります。
夏の祭典 「とねふるさと風のまつり」!
僕は2015年5月に、老神温泉の全旅館を取材した 『尾瀬の里湯』(上毛新聞社) という本を出版しました。
これが縁となり、その年の夏から祭りに参加させていただいています。
昨年は 「老神温泉大使」 にも任命していただき、さらに深く濃く、祭りに関わるようになりました。
もちろん今年も、僕がボーカルとギターを担当するスーパーローカルオヤジバンド 「KUWAバン」 が、ステージに登場します。
それも2ステージ!
いつものようにイベントのトリを務め、演奏終了とともに盛大に花火が打ち上げられます。
ぜひ、僕らと一緒に、老神の夏を楽しみましょう!
湯上がりに、浴衣で、生ビール片手に、お越しください。
待ってまーす!!
『とねふるさと風のまつり』
●日時 2018年8月19日(日) 13:30~21:00
●会場 沼田市利根老神多目的広場
※入場無料
KUWAバン 16:15~ 19:20~
花火大会 20:00~
●問合 利根町観光協会 TEL.0278-56-2111
2018年08月06日
だれにでもドア
昨日は、「フリッツ・アートセンター」(前橋市敷島町) で開催中の絵本作家・野村たかあきさんの原画展会場にて、ゲストに呼ばれ、トークショーを行って来ました。
予想以上の来場者があり、とても楽しいひと時を過ごすことができました。
というより、正直、感動すら覚えました。
ふだんから僕は、講演やセミナーを行っていますが、これらはすべて温泉がテーマです。
よって聴講される人たちも、主催者や関係者、または温泉ファンがほとんどです。
ときどき、僕の友人・知人が冷やかしに現れることはありますが、それはかなり稀なことであります。
でも、昨日の客層は違いました。
もちろん、知名度からして野村さんの集客力に負うところが大きかったのですが、僕の関係者もかなり来場されました。
温泉関係者や読者もいましたが、40年以上ぶりに会う同級生や兄の友人、友人のお姉さん……
昔、編集の仕事でお世話になった先輩たちも駆けつけてくれたりして、さながら僕にとっては “人生の同窓会” のようでした。
また、僕と野村さんが出会った30年前から2人を知る共通の友人の顔もあり、懐かしいやら、照れくさいやら、でも、メチャクチャうれしいやらで、最高の記念日となりました。
で、僕は、思ったのであります。
ドラえもんは、「どこでもドア」 という道具を使って、自由自在に好きな所へ行けるけれど、もしかしたら僕も “魔法” を使えるようになったのかもしれないって。
その魔法とは、名づけて 「だれにでもドア」!
もし、僕がふつうの勤め人をしていたら、60歳のときに、こんなにもたくさんの友人や知人、読者たちに出会えたでしょうか?
たぶん、無理だったと思うのです。
“ライター” という、ヤクザな職業に就いたからこそ、この歳になってから魔法を使えるようになったのだと思います。
まだまだ、会いたい人たちがいます。
その人たちに会うためには、もっともっと修行を積んで、魔法のワザを磨かなくてはなりませんね。
でも必ず、会いに行きますよ!
待っていて、くださいね。
トークショーおよびサイン会に、お越しいただいたすべての人に、心よりお礼を申し上げます。
そして、このような場を与えてくださった野村さんとフリッツ・アートセンターの小見社長に、感謝いたします。
ありがとうございました。
2018年08月04日
奈女沢温泉 「釈迦の霊泉」④
秘湯ファンに朗報です。
今週、奈女沢温泉(群馬県利根郡みなかみ町) の一軒宿、「釈迦の霊泉」 の2代目女将、今井経子さんから直々に電話がありました。
「長い間、ご心配をおかけしましたが、ようやく再開いたしました。ぜひ、またお越しください」 と。
コアな温泉ファンは、ご存知かと思いますが、2015年の夏、突如、土砂災害に遭い、旅館は余儀なく休館をしていました。
しばらくは 「御神水」 と呼ばれる源泉水の販売のみを行っていましたが、復旧が進み、昨年の暮れには、日帰り入浴と素泊まりのプレオープンに、こぎ着きました。
あれから丸3年。
電話の中の女将さんの声も嬉しそうです。
「良かったですね。全国のファンが喜んでいますよ」
そう言葉を返しました。
「釈迦の霊泉」 といえば、知る人ぞ知る “万病に効く湯治場”。
全国から難病に苦しむ患者たちが、ワラにもすがる思いでたどり着く 「奇湯」 です。
奇湯とは、もちろん僕の造語ですが、それだけ数々の奇跡を起こす湯として知られています。
僕自身、大変奇妙な体験をいくつもしています。
詳しくは、拙著 『みなかみ18湯(下)』 や 『新ぐんまの源泉一軒宿』 をお読みください。
入って残そう! 群馬の温泉
ぜひ、奇跡の復活をした天下の“奇湯” に、足を運んでください。
2018年08月02日
梨木温泉 「梨木館」④
♪ 梨木よいとこ 赤城のふもと 雲の中から お湯が湧く
西条八十作詞による 『梨木(なしぎ)小唄』 の一節です。
作曲は群馬県伊勢崎市出身の作曲家、町田嘉章。
昭和のはじめ、梨木の湯に惚れ込んだ嘉章は、友人の西条八十と訪れて、この歌を作りました。
今日は雑誌の取材で、赤城山南面の山ふところに湧く、秘湯の一軒宿 「梨木館」 に行ってきました。
最後に訪れたのは2013年の12月、拙著 『新ぐんまの源泉一軒宿』 の取材ですから、約5年ぶりとなります。
梨木温泉といえば?
そう! 鉄分の多い “赤い湯” であります。
なぜか、赤城山の南麓には、赤い湯が湧く温泉が多いのです。
※(詳しくは、当ブログ2013年12月25日 「梨木温泉 梨木館③」 を参照)
今日の湯も、レンガの粉を溶かしたような濃厚なオレンジ色をしていました。
内風呂と露天風呂、両方の湯に入りましたが、やはり歴史の古い内風呂は、相変わらず見事です。
何が見事かって?
はい、塩分や鉄分、カルシウムなど、温泉に溶け込んでいる成分が多いため、浴槽の縁はもちろんのこと、洗い場の床までもが、析出物が堆積して、まるで鍾乳洞の千枚皿のように幾何学模様を描いているのです。
まさに自然の造形によるアート!
開湯1200年の時の重さを感じる湯であります。
6代目主人の深澤幸司さんによれば、「にごり湯は汚い」 と敬遠された時代もあったといいます。
でも代々、かたくなに 「にごり湯じゃなけりゃ、温泉じゃねぇ!」 と守り続けてきた唯一無二の源泉です。
後世へ大切に残したい、群馬の温泉遺産の1つだと思います。
2018年08月01日
10%のしあわせ
「小暮さんって、お金とお金で買えるもの以外は、すべて持っているよね」
以前、知り合いから、そんなことを言われたことがありました。
もちろん、称賛の意味を込めて言ってくれた言葉であることは分かっています。
でも、その時、僕は、
「なんだよ、それ! ていうことは、人生の9割がた失っているじゃん!」
自虐を込めて、そう返した記憶があります。
残り、たった10%のしあわせに、しがみ付いている人生であります。
昨晩は、酒処 「H」 に3人の弟子たちが集まりました。
「H」 とは、僕が10年以上前から通っている小さな小さな居酒屋です。
“弟子たち” とは、僕のことを勝手に 「先生」 とか 「師匠」 と呼ぶ殊勝な人たちのことです。
僕の講演会やセミナー、講座を通じて出会い、これまた勝手に “弟子の会” なるものを発足させ、2ヶ月に1度、集まるようになりました。
前半は、いつもの飲み会でした。
突然、誰かが 「ママ、お願い」 と言った途端、店内が真っ暗になりました。
「おい、何するんだよ~!」
と、声をあらげたのも束の間、僕の首には金銀ラメのレイが、顔にはエルトン・ジョン風の四角い伊達メガネがかけられ、頭には角のような形をした意味不明な帽子が、かぶされてしまいました。
そして、店内に流れる音楽……
♪ ハッピーバースディ ツウ ユー ハッピーバースディ ツウ ユー
目の前に出されたケーキには、6本のロウソクに火が灯されています。
「さあ、先生、消して消して」
そして僕が、ひと息に炎を吹き消すと、
「還暦、おめでとうございま~す!!!!」
の祝福とともに、パンパンパーンと、店内のあちらこちらでクラッカーが鳴り響きました。
一瞬の出来事に、最初は何が起こったのか分かりませんでした。
でも僕の誕生は、8月8日です。
ひと足先に、弟子たちが僕に内緒で誕生パーティーをサプライズ企画してくれていたのです。
しかも、ママもグルになって。
「はい、これ、我々弟子たちからのプレゼントです」
と手渡された箱は、リボンがけされた立派なものでした。
「これ、今、開けていいのかな?」
「はい、ここで開けてください」
箱の大きさからすると、中身はシャネルかヴィトンの財布だろうか?
でも、そんな物をもらっても、中に入れる金がないよなぁ~。
なんて考えながら箱を開けました。
すると箱の中は上げ底で、たった4枚の紙切れ入っているだけでした。
紙には、こう書かれています。
<祝(温泉マーク)還暦>
<酒処Hご招待券>
<※このチケットは還暦本人「小暮淳」以外の使用を禁ず。>
<※他人への譲渡、またオークション出品等を禁ず。>
そして4枚の紙には、それぞれ1枚ずつ、ママも含め4人のコメントが書かれていました。
『悩みに喝!この券を使えば、たちどころに悩み解消!』
『~人生のスパイス・酒~ご利用は計画的に』
『還暦と思えない若さに乾杯!でも飲み過ぎに注意だワン!』
『いつまでも麦わら帽子にトンボ取網の似合う少年でいて下さい』
もう、ダメです。
あっという間に涙腺が、ぶっ壊れてしまいました。
「あ・り・が・と・う」
みんなに、礼をいうのが、やっとです。
すると、
「やったー!! 小暮淳を泣かせる会、大成功!」
の声とともに、またもや拍手に包まれました。
たった10%のしあわせですが、僕には充分過ぎるようです。
みんな、ありがとう!
そして、これからも、よろしくお願いします。