2018年08月13日
意地悪な神様
「介護とは、糞尿との闘いである」
と、誰かが言っていました。
と、テレビドラマ 『遺留捜査』 の糸村風に書いてみました。
オヤジは、来月で94歳になります。
重度の認知症で、自分のこと以外は、誰も分かりません。
もちろん妻も、息子たちのことも。
ましてや息子の嫁や孫、ひ孫なんて、この世に存在しないことになっています。
そのオヤジが、突然、思い出したようにオフクロの名前を連呼することがあります。
「○○子さん、○○子さん」
って。
「じいさん、急にどうしたんだい? ばあさんに会いたいのかい?」
「○○子さんは、どこにいるんだい?」
そうまで言われれば、介護している息子としては、オヤジとオフクロを会わせないわけにはいきません。
ということで昨日、オヤジを車イスに乗せて、オフクロが入所しているリハビリ施設へ、面会に行きました。
「ほら、じいさん。○○子さんだよ」
オフクロのベッドの脇に車イスを寄せて、2人を会わせました。
オフクロは寝たきりですが、頭はハッキリしているので、オヤジの来訪を大変よろこんでいます。
「おとうさん、わたしですよ」
オフクロが手を伸ばして、オヤジの手を取りました。
「・・・・・」
「あれほど会いたがっていたじゃないか?」
「・・・・・」
「○○子さんだよ!」
「えっ、誰だって?」
「○○子さん」
「○○子って、……」
しばらく、オフクロはオヤジ手を握っていましたが、やがて離して、こんなことを言い出しました。
「神様はさ、意地悪だよね」
「どうしてさ?」
「だって、おとうさんたら、『女は男を見送るものだ』 って言っていたんだよ。でも、ズルイよね。ボケちゃって。なーんも、分からないんだもの。しかも元気だし。わたしは、おとうさんを見送る自信なんて、ありませんよ」
「まだ、分からないさ」
息子としては、そう声を返すのが精一杯でした。
神様、意地悪は、ほどほどにして、どうか、年寄りの願いを叶えてやってくださいませ。
Posted by 小暮 淳 at 13:40│Comments(0)
│つれづれ