温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2012年08月31日

世界温泉遺産に推薦します!


 “「富岡製糸場と絹産業遺産群」のユネスコへの世界文化遺産推薦が決定”


 ええっ、マジっすか?!

 と思ってしまったのは、僕だけでしょうか?
 だって、世界遺産ですよ!
 それも文化遺産といえば、法隆寺や姫路城と肩を並べるわけですよね。
 ちょっと、おこがましくはありませんかねぇ。

 いえいえ、別に富岡製糸場に難クセを付けているわけではありませんって。
 僕だってライターのはしくれですから、過去に何度も富岡製糸場は取材をしています。
 だから、その素晴らしさと価値は、充分に知っているつもりです。

 記事にするにあたっては、和田英・著の 『富岡日記』 だって、ちゃんと読んで、製糸場が富岡に造られた理由や女工たちの生活ぶりについても取材しました。
 その上で、国史跡および国重要文化財に指定されてる産業遺産であることも理解しています。

 でもね・・・

 世界遺産は、どうでしょうか?

 鎌倉や富士山だって、まだですものね。

 もし、本当に認定されちゃったら、富岡市はどうするんでしょうか?
 世界中から観光客が訪れるんですよ!
 大丈夫ですか?
 自信はあるのでしょうか?
 富岡市民の声を聞いてみたいものです。


 さてさて、僕が言いたいのは、富岡製糸場の賛否ではなく、もし、群馬で世界遺産に推薦するなら他にあるでしょう!っていいたいのです。
 そう、世界へ出しても恥ずかしくない立派な “温泉遺産” が!

 ・草津温泉の湯畑と西の河原
 ・伊香保温泉の石段街
 ・四万温泉の積善館本館と元禄の湯
 ・法師温泉の足元湧出泉と鹿鳴館風湯殿
 ・宝川温泉の天下一露天風呂
  などなど・・・

 さらに、草津温泉の北に隣接する旧群馬鉄山の跡地(旧六合村、現中之条町)の、かつて露天掘りした窪地には 「穴地獄」 と呼ばれる幻想的な風景が広がります。
 まるで緑色のビロード絨毯(じゅうたん) を敷きつめたように、湧き出る温泉の中に、それはそれは美しい 「チャツボミゴケ」 が自生しているのです。
 このチャツボミゴケは、強酸性泉の中で生育するという珍しい苔で、本州では、ここだけに自生する貴重な植物なんですよ。

 ぜひ、この 「穴地獄」 も含めて、僕は群馬の温泉を “世界温泉遺産” に推薦したいと思います!

 みなさん、いかがでしょうか!
  


Posted by 小暮 淳 at 20:22Comments(3)温泉雑話

2012年08月30日

『温泉で元気』 最終回


 昨年の11月から、コラムサイト 「ハイハイQさんQさんデス」 にて週2回(水曜日と土曜日) に連載をしている 『温泉で元気』 が、昨日で最終回を迎えました。

 「え、まだ100回になってないよね?」
 と思っていただいた方は、熱心な読者様ですね。
 ありがとうございます。

 そーなんですよ!


 昨年の秋のこと・・・
 直木賞作家で経済評論家の邱永漢先生の事務所から連絡をいただき、なんでも先生が僕のブログを読んで感銘したとのことで、コラム執筆の依頼を受けたのでありました。
 当初の契約は、「週2回の連載で、100回お願いしたい」 というものでした。

 週2回という連載も過酷でしたが、100回という長期の執筆にも二の足を踏んでしまいました。
 それでも編集者の熱心な対応に、心がが動かされ、「よーし、やってみようじゃないの!」 と、なまけ者の僕を奮い立たせてくれたのです。

 目指せ!100回コラム!

 ってね。


 毎回、毎回、ネタ探しだけでも四苦八苦していましたが、なんとか編集者のサポートもあり順調に連載を続けていました。

 が、そんな、半年経った5月のある日。
 突然、訃報が届きました。
 邱先生が、お亡くなりになられたのです。

 すぐに先生の事務所から連絡があり、「コラムサイトは、そのまま継続します」 とのことでしたが、このたび、再度連絡があり、8月いっぱいでコラムサイトを終了するとのことでした。

 ということで、僕の連載は、昨日の29日(水) が、最終回となりました。
 全79話 でした。


 同サイトは、9月3日より 「邱永漢公式サイト」 として、新たにオープンしますが、今までのコラム(バックナンバーすべて) は読むことができます。
 ※アドレスも、そのままです。

 短い間でしたが、読者の皆さん、ありがとうございました。


 ●温泉ライター 小暮淳の温泉コラム 『温泉で元気』
   http://www.9393.co.jp
   または、当ブログ「お気に入り」からも閲覧することができます。
  


Posted by 小暮 淳 at 19:00Comments(0)執筆余談

2012年08月29日

座禅温泉 「シャレー丸沼」


 「今日が、僕の夏休みです」


 えー、これも仕事じゃないんですか~!
 と言われそうですが、バスの中では、ドッと笑いが起こりました。

 野外温泉講座の講師というのも、仕事であることには違わないのですが、僕の本業はライターですから、温泉へ行った後に、原稿を執筆しなくてもよいというのは、もう、ほぼ “遊び” に近いのであります。

 「だから、今日は僕の夏休み。みなさん、1日楽しく行ってきましょうね」


 ということで昨日は、NHK文化センターの8月講座で、片品村の座禅温泉へ行ってきました。

 聞きなれない温泉名ですか?
 「座禅」 とは、日本百名山の一座、日光白根山(2578m) の外輪山の1つ、「座禅山」 に由来します。
 標高1,400メートル、丸沼高原スキー場内に湧く温泉であります。

 とにかく僕は一度、ここへ受講生らを連れて来たかったんですよ。
 だって、県内だって、これほどの絶景温泉は他にいくつもありませんからね。


 午前8時、前橋駅前から僕は、バスに乗り込みました。
 すでに高崎駅から乗っている受講生らと、合流です。

 関越自動車道に乗り、沼田ICで下りて、国道120号で片品村へ。
 役場のある鎌田で尾瀬へ行く道と分かれ、日光へ抜ける金精峠方面を目指します。 
 丸沼高原は、群馬県と栃木県の県境にあります。


 午前10時、日光白根山ロープウエーに乗って、一気に標高2,000メートルの山頂駅へ。

 いや~、涼しいのなんのって!
 日が射している場所なら半袖でもいられますが、日陰は涼し過ぎて長袖を着用。
 受講生らも、事前に通達してありますから、みなさん長袖シャツを持参してきていました。

 足湯を楽しむ人、近くを散策する人、白根山を祀ってある二荒山神社を参拝する人、それぞれの自由時間を満喫しました。

 僕ですか?
 僕は、ひたすら涼風を受けながら絶景を眺めていましたよ。
 背後には日本百名山であり、関東以北最高峰の日光白根山の岩肌を見せた雄姿。
 前方には、同じく百名山の上州武尊山(ほたかさん) をはじめ、、谷川連山から尾瀬の至仏山や燧ヶ岳まで、180度の大パノラマをただただ、うっとりと眺めながら、バニラと抹茶のミックスソフトクリームを食べていたのであります。


 下山後は、もちろん入浴タイム!
 宿泊施設「シャレー丸沼」 に、一行は立ち寄りしました。

 雑誌や本の取材で、たびたび訪ねていますが、何度訪れても、ここの絶景露天風呂は開放感があっていいですね。
 真正面に雄大な武尊山を眺めながらの入浴は、まさに “天空の湯浴み” であります。

 泉質は硫化塩温泉。
 以前、訪ねたときは無色透明でしたが、昨日は、やや緑色に微濁していました。

 「あー、極楽だ~!」
 「下界に下りたくないねぇ」
 と、受講生たちも大満足の様子。


 湯上がりの爽快感ったら、ありゃしませんよ。
 温度計を見れば、ナント24度!
 さらっとした高原の風が、ほてった肌をやさしくなでながら通り過ぎていきます。

 「先生、カンパ~イ!」
 と、毎度お約束の湯上がり生ビールを口に運べば、日頃の疲れも一気に吹っ飛んで行くというものです。

 なにより、家に帰ってから原稿を書かなくていいんだものね。今日は・・・


 束の間の、僕の夏休みでした。
   


Posted by 小暮 淳 at 14:20Comments(6)温泉地・旅館

2012年08月27日

ちょっとインドまで⑨ 「カレーライスがあった!?」



    ⑨ 「カレーライスがあった!?」


 帰国後、すでに2ヵ月を経過しているが、僕の体には、依然として何の変化も起きていない。
 ということは、あれほど恐れていた数々の病原菌には、好かれずに済んだらしい。

 しかしインドを旅したことのある人の話によれば、そのほとんどの人が、道中なんらかの病に伏したと聞く。
 仮に病気にならないまでも、下痢だけは免れられないという。
 また、下痢をすることが、先進国の人間である証しなどと言う人もいるくらいだ。

 では、この僕は、どうなってしまうのだろう。
 よっぽどインドと相性が良いのか、肌に合うとでもいうのだろうか。
 本当に、快食、快眠、快便の毎日だったのである。


 とにかく食い物が旨かったことが、今回の旅の最大の勝因(?) だったようだ。
 ホテルのレストランといわず、町中の食堂といわず、すべての味覚がウソのようにバッチリと合っていたのには、自分でも驚きだった。

 確かに、インドはどこへ行っても、食事はカレーだった。
 しかし、カレーといっても “カレーライス” ではない。

 日本でいうカレーライスは、元はインド料理であっても、イギリスへ渡り、日本に輸入されてから、さらに日本人の舌に合うように改良された食べ物と考えたほうがよい。
 いわば、カレーライスは日本料理の1つなのだ。

 また、日本ではカレーは辛いものと決め付けられている。
 インド料理専門店ですら、そうなのだから、本場はもっと辛いと思ってしまっても仕方がない。
 かくいう僕も、日本のカレーの10倍辛い激辛カレーを想像していた。
 ところが、どこで誤って伝えられたのか、まったくそんなことは、なかったのである。

 たまに辛いカレーもあったが、必ずヨーグルトが付いているので、自分の好みの辛さに調節ができた。
 色もすべて黄色い色をしているとは限らず、実にバラエティーに富んでいた。
 中でも、鮮やかな緑色をしたホウレンソウのカレーは、目と舌で楽しめ、忘れられない味となっている。


 どこのレストランでもメニューは、肉類を食べるかどうかによって、ヴェジタリアン(菜食主義)とノン・ヴェジタリアン(非菜食主義) に分かれている。
 これは宗教的理由によるものだが、僕の感想では、絶対的にヴェジタリアン料理の方が美味しかった。
 肉料理といっても、マトンとチキンくらいなもので、どうしてもバリエーションが少なくなってしまう。
 もちろん、牛肉などは絶対にありえないのだ。

 それに引き換えヴェジタリアン料理(野菜のカレー) は、実に種類も豊富で、飽きがこない。
 僕は、ターリー(大皿の意味) という定食を好んで食べたが、ヴェジタリアンのそれは、どこも安くて旨くて、いつも腹いっぱいに満たすことができた。
 大きな金属の皿に、嬉しくなるほどの色々な料理が盛り合わせてある。

 たとえば、ある日の昼食のターリーは、次のようなメニュー構成だった。

 ダール(豆のスープ)、ヨーグルト、オクラのカレー、ジャガイモとカリフラワーのカレー、ライス、チャパティ(インドのパン。日本で知られているナンは高級品で、町中のレストランにはない) といった具合である。

 日本に “しょう油丼” が存在しないように、インドにもカレーライスという料理はない。
 つまり日本料理のほとんどが、しょう油で味付けがされているように、インドではスパイスで調理した料理のことを “カレー” と呼んでいるのである。


 ということで、食べることにはまったく不自由しなかつた旅ではあったが、たった1つだけ難儀なことがあった。
 それは “水” である。

 水道水がそのまま飲める日本のような国は、世界でも数少ないことは、以前にも海外を旅して百も承知だった。
 しかし、それにしてもインドは暑い。
 また乾燥している上に、砂ぼこりが舞っているのだから、水を切らすことは許されなかった。

 比較的どこでもミネラルウォーターは手に入ったが、それが信用ならないのである。
 ただの水道水を入れて売っていたりするから、用心だ。
 キャップが完全に閉まっているかのチェックを怠ってはならない。

 インドの旅は 「コーラに始まり、水に終わる」 と言われるくらいだから、町のどこでも買い求められるコーラは、安全な飲み物だった。
 それでもビンの口は、濡れテッシュで拭き、なるべく口をビンに付けないようにして飲んでいた。

 マトゥーラという小さな町へ行ったときだった。
 レストランで注文したコーラに、絶句してしまった。
 町一番のオシャレなレストランだというのは分かるが、コーラがグラスに注がれ、おまけに氷まで浮いていたのである。
 でも、背に腹は変えられぬ。
 ノドは、カラカラだった。
 仕方なく、日本より持参した殺菌衛生剤をふりかけて、カルキ臭い、なんとも言えぬ味のコーラを口に運んだ。


 閑話休題・・・

 さて、では本当にインドに、カレーライスはなかったのか?
 というと、実は、一度だけカレーライスを食べたのである。

 インドを離れる、最後の日だった。
 ニューデリーのレストランで食べた 「エビカレー」 が、まさに日本のカレーライスだったのである。

 リング状に盛られたライスの中に、どちらかというと茶色に近い色のカレーが入っていた。
 見た目といい、香りといい、味といい、よく知っているカレーライスなのである。
 どのガイドブックにも “インドにないものは、カレーライス” と書かれていただけに、僕は大発見をした喜びに、笑みまでこぼれていた。

 ところが、店を出てから改めて看板を見てみると、そこには 「コンチネンタル(ヨーロッパ風)」 の文字が・・・

 やはりインドには、カレーライスが存在しないようである。


   <つづく>
   


Posted by 小暮 淳 at 21:23Comments(2)ちょっとインドまで

2012年08月26日

古湯は一日にして成らず


 今日は午後より、けやきウォーク前橋2Fの前橋カルチャーセンターにて、来月から開講する野外温泉講座 『小暮淳と行く 湯けむり散歩』 の説明会を行ってきました。

 先週、新聞の折り込みチラシや上毛新聞紙上で紹介されたこともあり、たくさんの人が来場してくださいました。
 お暑い中、本当にありがとうございました。


 今回の野外講座では、野沢温泉(長野県)、越後湯沢温泉(新潟県)、渋温泉(長野県)、法師温泉(群馬県) をめぐります。
 では、4つの温泉地に共通することは?

 ズバリ! “古湯” であるということです。

 説明会では、古湯と呼ばれる昔から湯治場として栄えてきた温泉と、平成以降、平野部に雨後の筍(たけのこ) のように登場した日帰り温泉との違いについて、または、古い温泉地の湯は、どこが違うのか?
 などを、お話をさせていただきました。


 「古湯」 とは、基本的には奈良、平安時代からの開湯が伝わる “千年湯” と呼ばれる由緒正しい歴史と伝統を持つ温泉場のことをいいます。
 でも、実際には、史実として文献等に登場するの江戸時代以降のことですから、僕は、個人的にですが、古湯は300年以上の歴史がある温泉としています。

 ですから、今回の野外講座でめぐる4ヵ所の温泉地は、どこも開湯から 800~1300年以上の歴史を持った正真正銘の古湯と言えます。


 よくされる質問に、「何百年と昔から湧いている温泉と、日帰り温泉の湯は、違うんですか?」 というのがあります。
 とっても、いい質問だと思います。

 どちらも温泉には違いありません。
 しかし、僕は、似て非なる、まったくの別物だと考えています。

 まず、300年以上の昔から湧き出ている温泉は、“自然湧出” です。
 これに対して、平成以降に平野部に登場した日帰り温泉は、すべて掘削による “動力揚湯” です。

 お湯自体が、自分の力で湧いているのか、無理やり汲み上げているのか、この違いは大きいはずです。

 「でも、同じ温泉ですよね?」
 と、それでも執拗(しつよう) に、詰問してくる人がいます。
 そんなとき僕は、こんな例え話をしてさしあげます。

 「何百年と続く老舗和菓子屋の大福と、スーパーやコンビニで売っている大手メーカーの大福との違いです」

 それでも納得してくれない場合は、
 「行列ができる手打ちラーメン店のラーメンと、カップラーメンの違いですよ」 と・・・。

 どちらもラーメンには違いありません。
 だから、「僕も、お腹が空いたときには、時々、カップラーメンだって食べますよ」 ってね。


 今日は、そんな温泉の違いなどを話しながら、古湯の説明をしてきました。
 おかげさまで、たくさんの人が申し込んでくださいましたが、まだバスの座席には余裕があるようです。
 ぜひ、古湯めぐりに興味のある方は、センターまで問い合わせてみてください。



       温泉めぐり&健康ウォーク
      『小暮淳と行く 湯けむり散歩』

 ●温泉地   9月18日(火) 野沢温泉
          10月16日(火) 越後湯沢温泉
          11月20日(火) 渋温泉
          12月18日(火) 法師温泉
 ●出発地   けやきウォーク前橋 駐車場
          午前8時30分 出発(毎回)
 ●受講料   8,400円(4回分)
          ※バス代、昼食代、保険代は別途です。
 ●問合・申込  前橋カルチャーセンター
           群馬県前橋市文京町2-1-1 
           けやきウォーク前橋2F
           TEL.027-223-5121
  


Posted by 小暮 淳 at 20:56Comments(0)温泉雑話

2012年08月25日

宝川温泉 「汪泉閣」④


 一昨晩は、ご厚意により、宝川温泉の一軒宿 「汪泉閣」 に泊めていただきました。


 宝川温泉へは、早春となし、盛夏となし、晩秋となし、極寒豪雪の真冬となし、四季を通じて何度も訪れていますが、訪れれば訪れるほどに、味わい深い群馬の秘湯であります。

 近年は、外国人客が多いのが特徴です。
 昔は、こんなにもいませんでしたよ。

 「昨年の震災以降は、ぱったりと外国人客が来なくなってしまったんですよ。それでも、やっとこの頃になって、少しずつ戻ってきましたかね」
 とは、3代目社長の小野与志雄さん。

 小野社長は、みなかみ町観光協会の副会長でもあるため、昨年から、みなかみ温泉本の制作では大変お世話にになっている人であります。
 今回も、来春出版予定の続編本の制作に協力していただきました。


 宝川温泉に外国人が訪れるようになったのは、何年か前に、外国(特にヨーロッパ) のガイドブックに紹介されたことがきっかけだったようです。
 西日本の奈良や京都と並んで、東日本の日光と一緒に、最も日本的な温泉風景を持つ宿として、群馬の法師温泉と宝川温泉が紹介されました。

 「外国の人は、この秘湯の一軒宿に、奈良や京都とは違う “日本の姿” を感じるのかもしれませんね」 と小野社長。


 この日も、たくさんの外国人が入浴していました。

 ご存知、ここは天下一の巨大露天風呂の宿です。
 4つの浴槽の総面積は、約470畳分。
 しかも、4つのうち3つは、混浴!

 以前来たときも感じたことですが、外人さんは実に堂々としていますね。
 僕ら日本人は、どうしても彼らに見せられるほどのモノを持っていませんので、しっかりとタオルで股間をガードしますが、彼らは完全に無防備状態で、しかもブンブンと機関銃を振り回すかのように、こちらへ向かってきます。
 その迫力ったらありゃしませんって!(日本が戦争に負けたはずです)

 と、思えば、同伴の女性も、こりゃまた驚いた~!

 何人か日本人の女性も湯船の中にいましたが、みなさん 「湯衣」 という胸から下を、タオルでできたワンピースみたいな布で体を覆っています。
 でも、外国人の女性は違いま~す!

 よっぱど、自信があるんですな。
 一糸まとわぬボディーで、ザバザバと湯船の中を歩いています。

 ボン、キュッ、ボーン!

 それはそれは、雑誌のグラビアから抜け出したようなスタイルで、堂々としているのですから、こちらのほうが目のやり場に困ってしまいます。


 「そーでしたか、でも、それは少数の外国人ですよ。どちらかと言えば、日本人の若い人のほうがマナーが良くないですね。なかには、子づくりをはじめる不届き者もいますからね(笑)」

 なるほど、日本人だから、外国人だから、ということではないようですね。
 ただ、僕ら日本人からすると、ついつい外国人に興味と視線が行ってしまうのかもしれません。


 それにしても、あれだけの広さの露天風呂を、加水せずに、かけ流し状態にできていること自体が凄い!
 4本の源泉の総湯量は、驚異の1,700リットル!
 これでも、以前よりは少し湯量が減ったんだそうです。

 まさに、法師温泉と並ぶ、群馬の温泉遺産。
 群馬が全国に誇る、“湯宝” であります。
  


Posted by 小暮 淳 at 21:03Comments(2)温泉地・旅館

2012年08月24日

上の原温泉 「水上高原ホテル200」


 昨日から群馬県の最北端温泉地、湯の小屋温泉エリアに入り込んで、2日間、取材をしてきました。

 湯の小屋温泉とひと口で言っても、広いんですよ。
 僕が “エリアに入り込んで” と書いたのも、そのためなんですね。

 まず古くから源泉を持つ、木ノ根沢沿い。
 もちろん、ここが元祖湯の小屋温泉ですが、洞元湖の手前から藤原スキー場へ続くエリアも湯の小屋源泉を引き湯しているため、現在では “湯の小屋温泉” と呼ばれています。
 かつての 「奥利根温泉」 ですね。

 で、この2つのエリアにはさまれた山の中に、自家源泉を保有する一軒宿の 「上の原温泉」 があります。


 上の原温泉? 知らないですか?

 では、水上高原スキー場といえば、わかりやすいですかね。
 そーです、かつてのプリンスホテルですよ。

 現在は、「水上高原ホテル200」 といいます。

 “200” と書いて、「トゥーハンドレッド」 と読みます。
 なんで、200 なのかって?
 ちゃーんと、聞いてきましたよ。

 「よく聞かれる質問ですが、ここの敷地が200万坪あるからなんですよ」
 と、総支配人の小関正浩さん。

 「えっ、200万坪? 数字が大き過ぎてピンときませんね。どのくらいの大きさなんでしょう?」 と僕。
 「芦ノ湖と、ほぼ同じ広さです」 と支配人。
 「芦ノ湖? 行ったことがないのでわかりません」 と僕。

 すると、支配人は、「えーと、えーと」 と言いながら・・・
 「江ノ島10個分ですよ! もっと分かりやすく言いましょうか、東京ドーム164個分です」

 ほほほー!
 「それは、広いですねぇ~」
 と返事をしてみたものの、余計分からなくなってしまいましたよ。
 やっぱり、江ノ島10個分くらいが、一番スケールをつかみやすいですかね。


 冬は、スキーやスノーモービル、エアーボートなどのスノーリゾート。
 そして夏は、アウトドアスポーツのパラダイス。
 ゴルフやテニスはもちろんのこと、ツリートレッキングや今年の夏には日本最長級全長1・2㎞の 「フォレストジップライン」 がオープンしました。

 フォレストジップライン? なんだそりゃ?

 森の中で、木と木の間に張られたワイヤーを滑空するアウトドアスポーツなんですって。
 要は、スケールのでっかい、ターザンごっこらしいですよ。

 いゃ~、なにせ江ノ島10個分の広さですからね。
 全部見て回るなんて、とてもじゃないが、1日では無理です。
 しかも、僕は温泉の取材で来ているのですから、どんなに広かろうが、どんなに遊具が充実してようが、評価の対象は温泉でしかありません。


 と、いうことで、自慢の自家源泉の湯をいただいてきました。

 これが、あなどるなかれ!
 泉質は、水上以北に多いアルカリ性単純温泉ですが、ななな、なんと!
 PH値が、9 ・1 と異様に高いんです。

 このペーハーは、2本の源泉の混合値ですが、各源泉の分析書を見せてもらうと、1本は9 ・4 とかなりのアルカリ濃度であります。

 温泉法では、8 ・5以上をアルカリ性と呼んでいますが、上限の制約はありません。
 でも、かなりの強アルカリ性泉であることには、違いありません。
 (僕が知る限り、群馬県内の最高アルカリ性温泉は、上野村「向屋温泉」の10・5ですが、こちらはアルカリ性が強過ぎるために加水による希釈をしています)


 で、お待ちかねの入浴 タ~イム!

 かなりのヌルヌル加減であります。
 湯口から注ぎ込まれている源泉は、無色透明ですが、かすかに硫化水素臭(いおうの匂い) がします。
 源泉の温度が低いために加熱しているからでしょうか、浴槽内の湯は、やや乳白色に薄にごっていました。

 「この温泉が目当てで、冬と夏に年2回来られる家族もいるんですよ」
 という支配人の言葉も、むべなるかな。

 なかなか、このあたりではお目にかからない “ツルスベ” 感であります。


 いゃ~、群馬の温泉は、実に奥が深いですな。
 知っているようで知らない温泉が、群馬には、まだまだありますよ。
   


Posted by 小暮 淳 at 22:52Comments(0)温泉地・旅館

2012年08月22日

今度の日曜日、無料説明会!


  『小暮 淳と行く 湯けむり散歩』

 前橋カルチャーセンター主催による野外温泉講座が、いよいよ今年も来月から開講いたします。

 開講日は、9月~12月の毎月第3火曜日。
 計4回の講座で、野沢温泉・越後湯沢温泉・渋温泉・法師温泉を訪ねます。
 (詳しくは、当ブログの7月30日「『湯けむり散歩』今年も開講!」を参照)


 開講にあたり、今度の日曜日に無料説明会を開きます。
 講師の紹介(僕です)、講座内容の説明(僕がします)、講座の申込案内(はセンター所長です) 等、1時間ほどの内容です。

 で、今回は特典があります!

 説明会終了後より、申し込みの受け付けを開始しますが、この際、受講料を全4回分お支払いされた方には、もれなく僕のエッセー本をプレゼントいたします。
 また、当日会場では、僕の著書販売&サイン会も同時に行います。
 ぜひ、ふるって、ご参加ください。

 ※詳しくは、今日の新聞折り込みチラシ、または24日(金 ) の上毛新聞「ぱれっと」欄をご覧ください。



    温泉ライター 小暮 淳と行く
        『湯けむり散歩』
    ~温泉めぐり&健康ウォーク~

      <無料説明会>
 ●日時  2012年8月26日(日)
       午後1時30分~
 ●会場  けやきウォーク前橋 2F
       前橋カルチャーセンター
 ●問合  TEL.027-223-5121
   


Posted by 小暮 淳 at 18:38Comments(0)講座・教室

2012年08月21日

ちょっとインドまで⑧ 「勧善懲悪の抱腹絶倒シネマ」



    ⑧ 「勧善懲悪の抱腹絶倒シネマ」


 インドへ行ったら、ぜひ映画を観てみたいと思っていた。
 そのきっかけは、何気なく見ていたテレビのクイズ番組だった。

 「次のグラフは何を表したものでしょうか?」
 とナレーションが流れ、棒グラフが映し出された。

 1位がインド、2位がアメリカ ・・・

 もちろん、その時の僕には見当もつかなかったが、クイズの答えを聞いて、ますますインドへのあこがれは強くなってしまった。
 答えは、映画の年間製作本数の順位だったのである。
 その数、800本以上!

 貧しい国というイメージがあっただけに、驚きだった。
 その時、“インドへ行ったら絶対に映画を観よう” と決めた。
 そして、それが今回の旅のテーマの1つとなった。


 しかしインドに限らず、アジアの映画というと、やたら現実を鋭く見つめた芸術祭参加作品といった、暗い映画をイメージしがちである。
 また、言葉がヒンディー語では、訳が分からない。
 “やっぱり映画は、旅のテーマには成り得ないのだろうか……” と、少々あきらめかけているときだった。
 予備知識にと読んでいた本の中で、次のようなフレーズが、僕の心を釘づけにしたのだ。

 『日本でも公開されているような芸術作品は主流ではなく、年に何百本と作られている作品の大部分は、カラーシネスコ大音響で迫ってくるラブロマンスや大活劇の底抜けに楽しい娯楽映画だ。涙あり、笑いあり、アクションあり、恋愛あり、歌あり、踊りあり……何でもあり。言葉など分からなくても大丈夫、ストーリー展開は単純明快なのでスクリーンを見ていれば分かる。まずは、とにかく1本観てみよう!』

 なんとも、そそる言葉だった。
 そして、実際にインドで観たそれは、日本では、もう味わえないような興奮があった。
 だって、インド滞在中に2度も僕の足を映画館へ運ばせてしまったのだから!


 インドの町で映画館を見つけることは、実に容易なことだった。
 町の中で一番立派な建物、それが映画館だからだ。
 そして、どこも長蛇の列。
 その最後尾に付いて、1時間も前からインド人と一緒に並べば、いやがうえにもワクワクしてしまう。

 インドの映画館は、全席指定である。
 チケットの窓口は、大抵、1階席と2階席の販売に分かれていて、2階席のほうが料金が高い。
 高いといっても約10ルピー(約45円) だが、ほとんどのインド人は安い1階席の窓口に並んでいた。
 我々は外国人の特権を利用して、もちろん2階のバルコニー席を買った。
 やはり2階席売り場には、身なりの良い女性や家族連れが目立っていた。

 扉が開いて暗闇の中に飛び込むと、すでに映画は始まっている。
 オープニング曲がジャンジャン流れているため、せっかく指定券を手にしているのに、押すな押すなの大混乱だ。
 これがまた、エキサイティングで、“インドにいるんだ” という実感が湧いてきて、興奮してしまう。

 懐中電灯を持ったお兄さんが、チケットの番号を見て、席へと誘導してくれた。
 でも、最高級の指定席のわりには、イスからバネが飛び出ていたり、お尻が湿っぽかったり、はたまた廃物利用の色と形の異なる座席だったりと、お世辞にも快適とは言いがたいが、文句なんて、これっぽっちもない。
 なにせ、ここはインドなのだ。
 そして、あこがれのインド映画を観ているのだから!


 言葉の心配は、本当にいらなかった。
 観ているだけで大筋のストーリーは分かるし、その展開の速さは飽きることがない。
 僕がジャイプルという町で観た 『JIGAR』 という映画のあらすじは、こうだった。

 ハンサムな主人公の男と、色白でグラマーな美人のヒロインが出会い、恋をする。
 ある日、主人公の男と対立する町のチンピラが、いやがらせに恋人の妹にからみ、しまいには公衆の面前で強姦してしまう。
 主人公が駆けつけたときには、時すでに遅く、チンピラは去り、妹はガラスの破片で自殺をしてしまう(このあたり、話がブルース・リーの映画によく似ている)。
 ここで主人公の男の顔が、スクリーンいっぱいに大映しになり、「おぼえてろ!」的なセリフを吐いて、幕が下りる。

 休憩が入るのだ。
 観客は皆、トイレへ立ったり、ロビーで夢中になって映画の話をしている。

 後半は、もうお分かりの通りの復讐劇となる。
 アクションあり、カンフーあり、そしてハッピーエンドとなり、お約束のミュージカルで締めくくる。
 それはそれは、単純明快な勧善懲悪の世界なのだ。

 不自然なほどに何でもありの世界なので、とにかく、おかしい。
 乱闘シーンが始まったと思えば、次は男女の愛のささやき合いが、オーバーな振り付けとともに大人数のミュージカルへ。
 舞台も、いきなり町中から高原やお花畑に変わってしまう。

 あまりに、おかし過ぎて、つい我を忘れて涙まで流してバカ笑いをしていたら、どうもまわりの雰囲気がヘンだ。
 ふと気づくと、笑っているのは我々日本人だけで、インド人たちは、いたって真面目な面持ちである。
 シラ~っとした視線に囲まれていた。

 後で知ったことだが、劇中で踊られていた “おかしな踊り” の1つ1つには、すべて意味があったらしいのである。

 それにしても、文句なしにインドの映画は、面白い!


   <つづく>
   


Posted by 小暮 淳 at 19:17Comments(2)ちょっとインドまで

2012年08月20日

一番可愛いのは・・・


 僕には、今月2歳になる男児の孫がいます。

 そう言うと、たいがい 「えっ、本当ですか?」 と驚かれるのですが、年齢を考えば別に孫がいてもおかしくはありません。
 すでに孫のいる同級生は、何人もいますからね。

 そして、必ず訊かれるのが 「やっぱり、孫は可愛いですか?」 という質問です。

 もちろん、可愛いに決まっていますが、いつも僕は、こう返します。
 「孫を産んだ娘は、もっと可愛いですよ」 って。

 これが男親の正直な気持ちです。
 いくつになっても、娘は娘。
 嫁いで名前が変わっても、娘は娘なんですね。


 で、ついでに、こんなことを言うときもあります。
 「その娘を産んでくれた妻は、もっと愛しいよ」
 と・・・

 別にのろけているわけではありませんよ。
 まして、銀婚式を過ぎてもラブラブな2人というわけでもありません。
 単純に、僕の中の “愛する順番” として、そういうことになるわけです。

 で、その “順番の法則” にのっとれば、愛する女性と出会い、共に暮らしてきた自分は、この上もなく愛しく、可愛い存在だということになります。
 ハイ、この世の中で一番大好きな人は、「自分」 ということになるのです。

 「お父さんって、本当に自分のことが大好きだよね」
 「ナルシストなんだから」
 「いや、エゴイストじゃねえ?」

 と、家族におほめの言葉をいただくくらいに、僕は自分のことをいつも優先に考えている人間なんですね。


 で、なんで、そんな話をしたかというと、とても気になることがあったからなんです。
 先日、さる知人男性から相談を受けました。

 彼は、40歳代。
 妻も子もいる、ごく普通のサラリーマンです。
 その彼が、久しぶりに会ったら、ゲッソリと頬がこけていました。

 「どーした? 体の具合でも悪いのかい?」 と僕。
 「ええ、いや、大したことはないんですけど、1週間ほど仕事を休みました」 と彼。

 事情を訊くと、微熱があり、朝ふとんから起きられないのだといいます。
 「そりゃあ、自律神経失調症じゃねーか?」 と僕。
 「ええ、医者からは、ストレスと過労だと言われました。ウツの手前だとも……」 と彼。


 こんな場合、一番の特効薬は、今の仕事を辞めることです!
 いくら休養をとっても、根本的な原因を排除しない場合、必ずや再発しますからね。
 僕のまわりには、けっこうウツになった知り合いが多いんですよ。

 「でも、家のローンもあるし、子供もまだ小さいし……」

 よーく、分かります。
 みんな、そのしがらみの中で生きているのですから。

 でもね、僕に言わせれば、心と体を壊すくらい仕事を我慢して守るモノって何ですか?

 常に自分を一番に愛してきた僕には、そこが疑問でなりません。
 “順番の法則” にのっとれば、自分あっての仕事であり、自分あっての家族なのであります。

 いつから、そんなに自分を犠牲にして生きる生き方を覚えてしまったのですか?
 子どもの頃からですか?

 自分さえ我慢すれば・・・という考え方が、ウツ病を招いているとしか僕には思えません。


 ま、僕ほどのナルシスト&エゴイストになることはありませんけど、どうか、もっともっと自分を愛して、可愛がって、大切にして生きてくださいな。
 あなたが、楽しそうにイキイキとしながら暮らしていれば、自然と家族なんてついて来るものですよ。

 ぜひ、胸を張って、自分らしい人生をスタートさせてください!
 朗報を待っていますよ。
  


Posted by 小暮 淳 at 21:02Comments(3)つれづれ

2012年08月19日

いざ、松本へ!


 年に一度の、「松本詣で」 に行ってきました。


 昨年から盆明けのこの時期に、長野県の松本市へ行くのが恒例となりつつあります。
 「遅い夏休みですか?」 って?
 とーんでもない、フリーには夏休みも盆休みもありませんって!

 フリーが休んでいいのは、仕事がないときだけ!・・・です。


 仕事です!(キッパリ)

 でもね、僕はあんまり関係ないかなぁ…
 ゲストというか、おまけというか…

 いえいえ、著者ですから、堂々としていていいはずです!(キッパリ)


 と、いうことで、新刊本制作の最終工程であります色校(刷り色の校正) に立ち会ってきました。

 本来、ディレクターかデザイナーが行けばいい仕事なんですけどね。
 昨年から 「一緒に行って、色校を見て、その晩は祝杯を挙げましょうよ!」 というディレクターK氏のはからいにより、デザイナーのK君と著者の僕も、松本市にある印刷会社での色校に、便乗することになったのです。


 昨年、「松本詣で」 をしたのは、8月20日でした。
 今年は18日ですから、まだ、盆休みが明けていない週末なんですね。
 だから帰省客や観光客が多く渋滞を心配したのですが、なんとか約束の時間には先方へ着くことができました。


 会議室の大きなテーブル一面に何枚も広げられた、面付け大張りされた刷り色校正紙・・・

 何度見ても、ワクワクする光景であります。

 束見本と呼ばれる、製本された状態に束ねた見本が、僕の目の前に置かれました。
 「凄いですね、もう、これで4冊目ですものね。いつもいつも、当社をお使いいただいてありがとうございます」
 と、営業企画担当のKさん。

 Kさんは、僕の温泉本シリーズの第1作目からの担当者です。
 しかも、なんと、僕と彼は名前が、一字違いなんです!

 お互い、「小○淳」 なのであります。

 そんなこともあり、初めてお会いしたときから、とても親近感を抱いている人です。


 ディレクターとデザイナーが、表紙写真の色具合から、全ページの修正カ所をチェックして行きます。
 でも、僕はのん気なものです。
 会議室の窓から見える信州の山々を眺めたり、時々喫煙室へ行って一服したり、小○淳さんと今後の出版の予定を話し合ったりしていました。

 2時間後、すべての色校正が完了!

 早ければ、来月の初めには見本が届けられるとのことです。


 さすが、信州ですね。
 印刷会社の外へ出ると、涼しいのですよ。
 確かに直射日光が当たっている場所は真夏の暑さですが、日陰に入るだけで、群馬の暑さとは雲泥の差であります。
 とにかく湿気がない!

 肌を通り過ぎる風が、サラサラって乾いているんです。


 「さーて、街へ繰り出しますか~!」

 これは、お約束であります。
 今回は、担当の小○淳さんも一緒に祝杯を挙げることになりました。



 「それでは、今回の本もベストセラーになりますように!」
 「カンパーイ!」

 松本駅前の居酒屋で、それもまだ日の沈まぬうちから、4人のオジサンたちは “夢と現実と酒” に大いに酔い出したのであります。
    


Posted by 小暮 淳 at 21:11Comments(4)著書関連

2012年08月17日

ちょっとインドまで⑦ 「カースト制度とバクシーシ」



    ⑦ 「カースト制度とバクシーシ」


 インドを旅行中、僕らは入国後の数日と出国前の数日、知人であるデリー在住の日本人の家に世話になった。

 デリーの中心から6~7㎞南にあるハウズ・カス通りは、ゴールデンシャワーと呼ばれる黄色い花をたわわに付けた街路樹がつづく、閑静な住宅街だ。
 どの家々も高い塀をめぐらす、白い鉄筋コンクリートの瀟洒(しょうしゃ) な造り。
 表札は、すべて外国人の名前である。
 ここがインドであることを、忘れてしまいそうになる一画だ。

 僕がお邪魔したS邸も、3階建てで広い庭のある大きなお屋敷だった。
 しかし、それより何よりも驚いたのは、その家にいた使用人の数である。

 コックを兼ねたお手伝いさんが1人、日本車を運転するドライバーが2人、チョキダールとよばれる門番が交替制で3人、それとスィーパー(掃除人) とマリ(庭師) がいて、計8人である。
 これでも少ないほうだと言う。
 多い家では、さらに仕事が分担されていて、洗濯をする人、給仕のみをする人、家によってはアヤ(子守り女) がいて、10人以上いるのが普通である。

 なぜ、そんなに使用人がいるのかと言えば、それはカースト制度がある国だからだ。
 その話をインド人にすれば、必ず 「インドにカーストはない!」 とイヤな顔をされる。
 事実、独立後の新憲法では、カーストによる差別を禁じており、法的にもカーストは存在しないことになっている。
 が、この国の習慣には、現在でも上下関係や差別感が根強く存在していることは、旅人の僕にでも分かる。

 インドには、色を意味する 「ヴァルナ」 と呼ばれる “四姓” にあたるカースト(身分) がある。
 バラモン(司祭)、クシャトリア(武士)、ヴァイシャ(平民)、そしてシュードラ(奴隷) という肌の色による身分の上下階級である。

 これに 「ジャーティ」 という生まれを意味する、職業による差別が加わってくるのだから、ややこしい。
 その区分は、2,000以上あるといわれている。

 その中で、特に問題とされているのが、いわゆるアウト・カースト(不可触民) たちである。
 カースト内の位置すら与えられないこの人たちは、“触れただけ” “見ただけ” でも汚れるものとして差別されている。
 インド国内に1億人近くいるとされているこの人たちは、社会的地位が現在でも、非常に低い。

 インドの上流階級の家に使用人が多いのも、そんな差別によるものだ。
 「私が床掃除などできるか!」
 「トイレ掃除は、アチュート(不可触民) の仕事だ!」
 と、自分の身分を誇示するために起きている不都合なのである。


 住宅街から一歩外へ出ると、貧しい人々の姿が目に入る。
 道路の脇や大きな木の下には、無数の人の群れが老若男女を問わず寝ている。
 あたかも行き倒れのような格好で、地面に伏したままの人、人、人……。


 少女が倒れていた。
 15、16歳だろうか。
 目をつむったまま、ピクリとも動かない。

 死んでいるのかもしれない。
 ハエが彼女の鼻といわず、頬といわず、止まっていた。


 日陰のある駅の構内は、若干、涼しいのだろうか。
 魚市場のマグロのようにボロ布にくるまった人々が、所狭しと横たわっていた。
 どんなに上手く身をかわしたつもりでも、時には彼らの手や足を踏みつけてしまう。
 それでも、決して怒鳴られることはなかった。

 時おり、首をもたげたうつろな眼差しが返ってくるだけである。


 子どもの乞食も多かった。
 どこまでも、どこまでも後をついて来て、「バクシーシ(おめぐみを)」 をくり返す。

 バザール(市場) を歩いているときだった。
 僕の前に小学生くらいの少女が、なにやら針金で作った人形のようなモノを抱えて現れた。
 しかし、次第に近づくにつれ、それが人形ではないことが分かった。
 ガリガリにやせ細った赤ん坊だったのだ。

 「バクシーシ」

 蚊の鳴くような声で、真っ黒な手を差し出してきた。
 あまりのショックに、僕は何をすることもできなかった。


 ジャイプルという砂漠の入口にある町では、乞食の多さと非道さに驚愕(きょうがく) した。

 指や手がない者、両足がなくスケートボードのような滑車を付けた板で動き回る者。
 また、ハンセン氏病や象皮病 の子どもたちを多く見かけた。
 そして彼ら、彼女らは、ことさらに自分の不具の箇所を強調し、同情を求めて金を要求してきた。

 この子らは、生まれつきにして不具なのではないらしい。
 親が “もらい” が多いことを願って、手足を切断するのだと聞いた。

 乞食の子は、乞食。

 一生乞食として生きる子の末を思えばのことだという。
 あまりの残酷な姿に、何度となく、目をそむけた。


  <つづく>
   


Posted by 小暮 淳 at 21:24Comments(2)ちょっとインドまで

2012年08月16日

「オンパク」予約開始間近!


 今年も来月から、みなかみ町で 「みなかみオンパク」 が開催されます。


 「オンパク」 とは?

 はい、「温泉泊覧会」 の略です。
 泊覧会の “ハク” が、「博」 ではなく、「泊」 になっているところがミソですね。
 イベントを体験するだけでなく、「泊まってください」 という主催者側の願いが込められています。

 オンパクは、2001年に別府温泉(大分県) から始まり、全国の温泉地で開催されるようになりました。
 群馬県内では、みなかみ町が昨年の11月~12月に初めて開催。
 今年で、2回目を迎えます。

 開催期間は、9月20日~10月21日の1ヶ月間で、みなかみ町にある温泉地などで37の体験イベントが行われます。

 たとえば・・・
 「温泉スリッパ卓球」「こども駅長体験」「温泉旅館の仕事体験」 などなど、ユニークな企画が目白押しです。

 僕、個人的には、9月22日の 「居酒屋ナイト」 と10月20日の 「スナックナイト」 に、大変興味があります。
 これは、ふだんはなかなか行けない温泉街の居酒屋やスナックを案内人とともにハシゴして回るというもの。
 各店で、おすすめの料理を1品ずつ食べて回るんだそうです。
 いや~、飲兵衛にはたまらない企画ですぞ!
 しかも参加料金は、たったの2,000円とは、みなかみ町も太っ腹です。


 そ、そ、そして!
 極めつけは、最終日10月21日に開催される 「オンパクフィナーレ」 であります!

 何が、極めつけだって?
 ええ、実は、この日は、フィナーレにふさわしく、僕の温泉本の発売記念も兼ねたイベントなんでーす!
 猿ヶ京温泉の 「猿ヶ京ホテル」 を会場に、午後3時半から開催します。

 当然、当日は、新刊本の販売およびサイン会も行います。
 そして、ステージでは制作スタッフらによる、オリジナルみなかみソングの披露も!
 そして、そして、もちろんフィナーレは 「GO!GO!温泉パラダイス」 を会場の人たち全員と踊ります!


 で~~!
 なんと、このイベントに、50名の方を無料招待しちゃうんだそーです!
 なんて、みなかみ町は、太っ腹なんでしょうかね!

 プログラムの詳細・予約は、ウェブサイトへ。
 申し込み・問い合わせは、みなかみ町観光協会へ。



       『みなかみオンパク』

 ●開催期間   2012年9月20日~10月21日
 ●開催場所   みなかみ町全域
 ●予約開始   2012年8月20日(月) 午前9時~

 ●詳細・予約  http://minakami-onpaku.jp
 ●申込・問合  みなかみ町観光協会
           TEL.0278-62-0401 (受付時間 9:00~17:00)
   


Posted by 小暮 淳 at 20:53Comments(0)ライブ・イベント

2012年08月15日

温泉モニター募集中!


 僕が顧問を務める前橋市登録の任意団体 「温泉療養研究所」 では、現在、猪ノ田温泉「久惠屋旅館」(藤岡市) との共同により、アレルギー性皮膚炎に関する調査を行っています。


 猪ノ田(いのだ)温泉といえば、知る人ぞ知る群馬の薬湯です。

 明治時代の初めには、すでに源泉の湧き口に湯小屋があり、「皮膚病に効く」 という評判の高い、群馬県内でも最も古い湯治場として賑わっていました。
 大正時代に旅館が建てられ、戦前までは大いに繁盛していましたが、戦後になり経営は悪化して、昭和40年代には廃業してしまいました。

 昭和58(1983)年、「歴史と効能のある温泉を、もう一度、世に出したい」と私財を投じて復活させたのが、現在の「久恵屋旅館」の主人、深澤宣恵(のぶやす) さんです。

 復活させた源泉は、メタほう酸と硫化水素を含むアルカリ性の冷鉱泉。
 「殺菌」「浄化」「漂白」の作用があることから、皮膚科や小児科の医者が源泉を治療に利用していることでも知られています。


 つきましては現在、同研究所では、調査に伴い、モニターとなってくださる人を募集しています。
 ご希望の方は、同研究所まで、ご連絡ください。


 ●温泉療養研究所
   TEL.027-289-5507 FAX.027-289-5508

   HP  http://www.hotspringcure.com/
   MAIL info@hotspringcure.com
      


Posted by 小暮 淳 at 20:56Comments(0)温泉雑話

2012年08月14日

水上温泉 「ひがきホテル」②


 つくづく今年は、水上温泉づいている年だと思います。

 昨年から通い続け、先月、やっと全旅館(観光協会会員宿) の取材を終えたと思ったら、先週は県からの依頼で水上温泉の諏訪峡大橋で行われているバンジージャンプを取材してきました。

 と、思ったら、今日は新聞の取材で、またしても水上温泉入りです。
 それも訪ねたのは、毎度お世話になっている 「ひがきホテル」。

 とにかく 「ひがきホテル」 の4代目主人、日垣雄亮さんには、昨年から何かに付けてお世話になっているんですよ。
 同ホテルの取材だけではなく、温泉街の取材やグラビア撮影の時でも、活動拠点として部屋を提供していただきました。
 だから、「あ、小暮さんには館内を説明しなくても大丈夫ですよね。風呂も全部知ってますものね」 と言われるくらい、通った宿であります。


 でも、今回の取材対象は、女将さんです。
 雄亮さんのお母様で、3代目女将の日垣由美さん。

 昨年、初めて会ったとき、雄亮さんの奥さんだと勘違いしたくらいに 、お若い!
 そして、実に着物の着こなしが粋で、カッコイイ女性なんですね。

 “これぞ、老舗旅館の女将さん!”
 という、感じです。

 今日は、そんな女将さんの生い立ちから、温泉旅館の女将になるまでの半生記を、たっぷりとインタビューしてきました。


 「やらずに後悔はしたくない。同じ後悔をするなら、やってダメだったと後悔したい」
 「物事をやる前に悩まない。進んで、ぶつかった時に考える」
 などなど、気風のいい、女将さんならではの名言が、気持ちいいくらいにポンポンと飛び出してきましたよ。

 話を聞いている僕までもが、「人生は、当たって砕けろだ!」 と思えるくらい勇気をもらいました。
 とにかく、一緒にいるだけで元気になれる人です。

 大きな旅館の女将さんは、こうじゃなくっちゃ務まらないんでしょうね。


 最後に、将来の夢を訊いてみました。
 すると・・・

 「20年後の水上温泉と、息子夫婦を見てみたい」
 とのことでした。

 「時代が変わっても、変わらないもの、変えてはいけないものがある」 と言います。
 それは、“日本の良さを伝える温泉旅館の魅力” だと・・・。


 ああ、日本人で良かったなぁ…
 ああ、温泉がある国に生まれて良かったなぁ…


 微力ながら、僕も女将さんの夢のお手伝いができればと、思います。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:29Comments(0)温泉地・旅館

2012年08月13日

ちょっとインドまで⑥ 「バレて元々、ゴネれば得」



    ⑥ 「バレて元々、ゴネれば得」


 「ノー・プロブレム(問題ない)」

 インドを旅していると、日に何度となく、この言葉を聞かされる。


 彼らは、実に英語が堪能だ。
 とは言っても、ごく一部の人たちなのだろうが、相手が外国人だと分かれば、積極的に英語で話しかけてくる。
 我々、日本人の文法メチャクチャ単語羅列英語よりは、はるかに流暢(りゅうちょう)である。

 ところが、きれいな分かりやすい英語を話してくれる人は稀(まれ)で、なまりの強いインド風英語でまくし立てられることがほとんどだ。
 「tr」 の発音がなかったり、極端な巻き舌で 「r」 を強調して 「アール」 と発音していたりで、せっかく英語で話しかけてくれているのに、気づかないことだってあった。
 まあ、そんなときは、こっちも知っている限りのジャパニーズイングリッシュでまくし立てれば、その場はなんとかなるものだ。


 そもそもインドには、260の言語がある。
 方言も入れると、その数は750とも言われている。
 事実、旅行中に手にしたルピー紙幣には、英語を含めて15種類の異なった文字で、貨幣価値が記されていた。

 公用語だけでも14種類。
 最も話者人口の多いヒンディー語でさえ、2億人に満たないという。
 インドの人口が約8億5000万人だから、7億人近い人は別の言語を話していることになる。
 英語が共通語として公用語に加えられているのは、そのためである。

 自分の語学力のなさを棚に上げて言うのもなんだが、それにしてもなまりがひどいのだ。
 そんな彼らの英語で、最も分かりやすく、かつ頻繁に使われていた言葉が、「ノー・プロブレム」 だった。

 何かにつけ、“問題ない” のひと言で済ませてしまうインド人。
 彼らの態度、特に外国人と接するときの態度には、“バレ元、ゴネ得” の精神がうかがえる。
 「何かごまかしてバレても元々、ゴネて何か取れれば得」 と考えているのだから、旅行者は用心しないと、必ずしてやられる。


 たとえば、郵便物である。

 旅先から親しい友人宛てに絵ハガキを出すのも、旅の楽しみのひとつというものだ。
 しかしインドの場合、無事に日本へ郵便物が届く確率は、2分の1といっても過言ではない。
 現に、僕は現地の日本人駐在員の人から 「ハガキは絶対に町中のポストに投函せず、必ず郵便局で局員が切手に消印を押すところを確認すること」 と忠告を受け、途中からはそうしたものの、見事に前半に出したハガキは1枚も届いてはいなかった。

 早い話、切手は盗まれ、郵便物は捨てられてしまうのである。
 インドから日本までは6ルピー(約27円)、彼らには、いい小遣いになる。


 ある日、僕は町の大きな郵便局にハガキを出しに出かけた。
 局員が消印のスタンプを押すのを見届け、他の窓口で新たに切手を買い求めようとした。

 「6ルピーの切手を5枚欲しい」

 30ルピーの紙幣を窓口に出すと、なにやらニヤニヤと、人を小バカにしたような笑みを浮かべ、隣の局員と話し始めた。
 どうやら 「6ルピー切手なんて、この国にはないぜ。ジャパニ」 と言いたいらしい。
 そんなことは、こっちも知っている。
 融通が利かないヤツらだ。

 「5ルピー切手を5枚と、1ルピー切手を5枚欲しい」
 これなら文句はあるまい。

 すると今度は、「どこまで出す? ジャパンか?」 と訊ねてきた。
 もちろん 「イエス!」 と答えた。
 すると、
 「ジャパンまでなら6ルピー30パイサ(1ルピーは100パイサ) だ」 ときた。

 ここでも “バレ元、ゴネ得” が始まった。

 僕と局員とのやり取りを見かねてか、連れが達者な英語で荷担してくれた。
 「たった今、隣の窓口で、6ルピーで日本までハガキを出したところだ!」

 すると局員は、何事もなかった顔で、5ルピー切手5枚と、1ルピー切手5枚を差し出した。
 すべてが、この調子である。

 タクシーやオート・リクシャーに乗っても、まっすぐ目的地へは行かない。
 すぐに脇道へ入り込み、みやげ物屋の前で止め、「何か買え」 と言う。

 タバコひとつ買うのも、そうだ。
 店によって、同じ物の値段が、まちまちなのである。
 ひどい店では、2~3倍の値段で売りつけようとする。

 いずれの場合も、こちらが強い態度でハッキリと言い返せば、何も問題はない。
 しかし、翌日また顔を合わせれば、「ハーイ、ジャパニ! 安くしとくぜ!」 と性懲りもなく、すり寄ってくるのだ。

 悪びれないヤツらだが、なぜか憎めないのである。
 まるでインドの気候のように、カラッとしている連中なのだ。


  <つづく>
   


Posted by 小暮 淳 at 17:57Comments(0)ちょっとインドまで

2012年08月12日

27年前の記憶


 今、とっても気になっている “言葉” があります。


 先週、行われた温泉講座で、受講生の1人が言った言葉です。
 と、いっても、僕が直接聞いたわけではありません。
 講座終了後に、主催者側のスタッフから告げられた言葉でした。


 今までにも温泉講座というのは、定期的に行ってきました。
 NHK文化センターや、けやきウォークの前橋カルチャーセンターなどが主催する野外講座の場合、平日の開催ということもあり、受講生は圧倒的に、時間とお金のある年代(60歳以上) の人が多いんですね。

 でも、今回の温泉講座は屋内講座ということもあってか、平日だというのに、若い人(30~40代) が多かったのには、驚きました。
 僕より年配の人というのは、本当に数えるほど。
 男性で50歳以上の人は、僕が見たところ、3~4人だったと思います。

 で、その中の1人の人が、スタッフに話しかけた “言葉” があります。


 「あの先生は、昔、歌手だったんだよ。ダンスホールで歌っていたんだから・・・」


 そう、言ったというのです!

 「小暮さん、その話は本当ですか?」
 とスタッフに聞かれて、僕は平常心を保てなくなってしまいました。

 その人は、いったい誰なんだ?
 なんで、そんな細部にわたり、僕の過去を知っているんだ?
 そして、今、温泉ライターをしている僕が、あのときの売れない歌手と同一人物だということを知っている……


 歌手といっても、しがないシンガー・ソング・ライターだったんですよ。

 10代の頃、ギターケースに大きな夢をギュウギュウ詰めにして、東京へ出て行きました。
 夜間の音楽学校へ通い、昼間は書店でアルバイトをしながら、週末になるとライブハウスや楽器店の店頭、通りの端で歌っていたんです(ストリート・ミュージシャンなんて言葉もない時代です。ただの路上でのゲリラライブです)。

 レコードデビューするも鳴かず飛ばず、アパートの家賃が払えないため、25歳の時に故郷に帰り、活動の拠点を群馬に変えました。
 それでも時々は上京して、東京のライブハウスやパブ、スナックなどで、歌っていました。


 その頃のことは、著書の処女エッセー 『上毛カルテ』 の中でも少し触れているので、歌手をやっていたことを知っている人がいてもおかしいことではありません。
 僕が驚いたのは、「ダンスホール」 という言葉です!


 忘れもしません。
 1985年の夏のこと。
 前橋市内のダンスホールを貸し切って行われた、初のソロ・コンサートです。

 前年に、オリジナル・カセットテープ(そんな時代でした) をリリースした記念のコンサートでした。
 たった1人で、ギター1本で、休憩なしの2時間ステージ・・・。


 その男性受講者は、あの時の会場に、いたのでしょうか?


 今となっては、恥ずかしいような……
 でも、覚えていてくれて、嬉しいような……



 ぜひ、今度、また講座等でお会いしたら、直接僕に声をかけてくださいな。
 あの時の、お礼を申し上げたいと思います。
    


Posted by 小暮 淳 at 20:50Comments(0)つれづれ

2012年08月11日

今日が、来た!②


 前回、『今日が、来た!』 というタイトルでブログを書いたのは、昨年の8月13日でした。
 ですから今年は、2日も早いことになります。 

 何が、2日も早いのかって?

 新刊本の制作です。
 そして、今日が “刷り合わせ” といい、最終チェック日だったのです。


 簡単に、本ができるまでを説明すると・・・

 取材を終えて、僕が原稿を書きます。
 僕の原稿とカメラマンが撮った写真は、デザイナーのもとへ送られます。

 後日、ゲラ(印刷された時と同じ状態に組まれたプリント) が届いて、著者が校正をします。
 この時、同時に取材先へも同じゲラが送られ、先方にもチェックをしてもらいます。

 表紙まわりから 「目次」「あとがき」「奥付」 といったすべてのページが揃った時点で、出版元の編集部より校閲(こうえつ)が入ります。
 彼ら(彼女ら) のチェックは、かなり細かいので、紙面が真っ赤になることも・・・
 ただし、書籍は新聞や雑誌と違うので、最終的には著者の判断にゆだねられます。

 たとえば、「湯につかる」 は、新聞などでは 「漬かる」 と表記されますが、僕は絶対に 「浸かる」 と書きます。
 だって、「漬かる」 では、なんだかナスやキュウリになったみたいですからね。

 また 「ゆぶね」 は、一般には 「湯船」 と表記しますが、これも秘湯の小さな浴槽は 「湯舟」 のほうが似合います。
 「聞こえる」 と 「聴こえる」 や、「祭り」 と 「祀り」 など、せっかく日本語には豊かな表現があるのですから、使い分けたいものです。

 と、いうことで、完全なる僕の入力ミス以外は、自分の文章表現を通すことにしています。


 で、ここまでの作業が済むと、残るは “最終チェック” のみです。
 いろんな人のチェックを受けたゲラが、ふたたびデザイナーのもとへ返され、訂正・修正を受けて、著者のもとへ帰ってきます。

 それが、今日だったのです!


 本日、午後3時。
 市内某所に、僕とディレクターとデザイナーが集まりました。

 表紙から順に、1ページずつ、校正紙と照らし合わせながら、修正カ所を読み上げ、確実に直されているかを確認します。
 同時に、目次に記載されているページ数と実際のページが合っているか? 地図の中の旅館の位置は正しいか? などもチェックします。

 そして、2時間後。
 すべてのチェックを終えて、全ページのゲラがデザイナーに手渡されました。

 泣いても笑っても、ここまで!
 来週には、全データが印刷所へ送られます。

 次に、僕が自分の文章と出合うのは、書籍になった状態ということになります。


 小暮淳の温泉シリーズ第4弾は、来月9月15日に発売されます。
 読者のみなさん、お楽しみに!
    


Posted by 小暮 淳 at 21:08Comments(3)著書関連

2012年08月10日

あきらめない強さ


 「努力」 「忍耐」 「根性」

 なんていうと、時代錯誤ですかね。
 でも、昔から僕の好きな世界なんですよ。

 「古臭い」 とか 「ダサイ」 なんて言われそうですけど、結局、この世界に人は心を揺さぶられます。

 だって、毎日、オリンピックに釘付けだもの!


 なでしこジャパン、残念でしたね。
 でも、悲願の金メダルは逃がしたものの、国民に夢と希望を与えてくれたのは確かです。

 試合終了後の宮間選手の号泣する姿を見て、しっかり、もらい泣きしましたよ。


 レスリングの伊調選手や吉田選手は、磐石(ばんじゃく) の優勝で、安心して見ていましたが、48キロ級の小原選手の決して “あきらめない” レスリング魂には、ハートをワシづかみされてしまいました。
 だって、51キロ級で世界選手権を6回も制しながら、オリンピックでは51キロ級が種目にないために、その日の目を見ることがなかったのですよ。

 今までに、2度も引退をしています。
 それでも “あきらめない” で、階級を変えて挑んだオリンピックです。


 そして、金だなんて・・・

 その瞬間、腫れ上がった右目からは大粒の涙があふれ出ていました。
 とーぜん、もらい泣きですよ。

 表彰台の背後に上る、日の丸・・・

 まさに名前どおりの 「日登美」(日が登る美しさ) に、またまた涙を誘われてしまいました。


 「努力」 「忍耐」 「根性」 は、スポーツの世界では、時代に関係なく、脈々と息づいているのですね。

 そして、“あきらめない” という 「信念」。
 僕の大好きな言葉です。

 “達成” とは、あきらめなかった人に贈られる称号なんですね。



 今夜も、涙腺をユルユルにゆるめて、観戦したいと思います。


 がんばれ、ニッポン!
  


Posted by 小暮 淳 at 21:01Comments(3)つれづれ

2012年08月09日

えっ、バンジーですか?


 僕はフリーランスで仕事をしていますが、一応、便宜上の屋号があります。
 「スタジオJ」 といいます。

 もちろん従業員は、僕1人しかいませんから、事業所の住所も自宅です。
 職業は、「著述業」 です。
 でも、名刺には一般の人に分かりやすく 「ライター」 と書かれています。

 「スタジオJ」 の取り扱い営業種目は、大きく分けて2つあります。
 執筆作業を請け負う 「ライター部」 と、講演やセミナー、ライブなどの広報活動を行う 「イベント部」 です。

「ライター部」 には、一般取材をこなす 「フリーライター課」 と温泉関係の取材・執筆を専門に行う 「温泉ライター課」 に分かれています。
 これらの肩書きを使い分けると面倒くさいので、最近は、一番需要の多い 「温泉ライター」 を名乗ることが多くなってきました。


 で、今日は県からの取材依頼があり、久しぶりに 「ライター部フリーライター課」 としての仕事に出かけてきました。
 それも、水上温泉です。
 でも、温泉ではありません。
 昨年から、何十回と取材に来ていますが、温泉以外の取材で行くのは初めてのことです。

 そ・れ・も・・・・・・

 バ、バ、バンジージャンプだ~~~!!!!!!!


 おいおい、勘弁してくださいよ。
 僕が、この世で一番怖いものが、“高所” なのであります。
 ハシゴだって、3段しか上れないんですからね(自慢じゃありませんが…)。


 えっ? 飛ばなくていいの?

 いえいえ、それでもダメです!
 いつなんどき、相手の気が変わって、「やっぱり飛んでみなくては、いい記事が書けないでょう!」 とかなんとか言っちゃって、無理矢理にバンジー(ゴムなわ) を装着されて、ポーンと肩を叩かれて、谷底へ放り込まれないとも限りませんって・・・

 えっ、そんなことは絶対にないって?
 本当に、代表者から話を聞くだけなのね!


 と、いうことで、カメラマンと利根川上流の諏訪峡に架かる「諏訪峡大橋」の上へ。
 ここは、日本で唯一のブリッジバンジージャンプ場なのであります。
 川面からの高さは、な、な、なんと42メートル!

 こんなところから、ロープ1本で飛び降りる人の気持ちが知れませんって!
 ビルの14階から飛び降り自殺をするようなものだ!
 いったい、1年に何人くらいの人が利用するのかねぇ?
 そんな命知らずの変人がいるのなら、顔を見てみたいものだよ~!

 と、橋の中央の飛び込み台まで、行って見ると・・・・


 ぐぅ、え~~~っ!!!!

 人、人、人、人人人人人・・・・であります!

 平日の午前中から、なんですか、この人の群れは?


 「ハイ、今ハ、夏休ミナノデ、若イ人タチガ、イッパイデス。今日ハ、50人ガ飛ビマス」

 と、「バンジージャパン」 の創設者でジャンプマスターのチャールズ・オドリンさん。

 えっ? ご、ご、50人ですか~!
 それも、今日1日でぇ~~!

 ああ、恐ろしや。
 次々と目の前の川底をめがけて飛び込んで行く若者たちを見ているだけで、僕は、もう、めまいがしてきましたよ。

 それも、飛び込みながら、手を振ったり、Vサインをしています!
 なんという、恐ろしいことを!


 でも、これで、僕がルポとして、バンジージャンプを飛ばなくて済みそうです。

 「デハ、取材ハ、アチラノ事務所デ……」

 チャールズさんが、神様に見えてきました。
   


Posted by 小暮 淳 at 20:52Comments(4)取材百景