2012年08月08日
最終講座を終えて・・・
みなさん、大変お疲れさまでした。
先月から3回にわたって開講された温泉療養研究所主催による温泉講座 『必ず行きたくなる群馬の温泉』 が、昨日、最終講座日を迎え、無事に閉講することができました。
主催者のみなさん、そして受講者のみなさんに、感謝を申し上げます。
いや~、やっぱり群馬は捨てたもんじゃありませんよ!
全国ブラランド力、最下位脱出も間近ですぞっ!
そう切に感じた3日間でした。
とにかく群馬の人は、温泉が大好きなんですね。
それは、きっと昔から脈々と “湯の国ぐんま” 県人としてのDNAが受け継がれているからなんでしょうね。
本当にみなさん、熱心に受講してくださいました。
1回の講座が90分ですから、延べ4時間半もの温泉話をしたことになります。
それでも毎回、後半は話したりなくなって、急ぎ足のトークになってしまいました。
今振り返ってみると、「ああ、あのことを話すの忘れた」「もっと、あの件は丁寧に話せばよかったな」 など、後悔することしきり。
「もっと時間があったら・・・」 と受講された方々に、済まない気持ちになります。
それほどに群馬の温泉は、人に伝えるだけの “魅力” と “価値” があるということです。
今回の講座で、1人でも多くの人が群馬の温泉の魅力に気づいて、興味を持っていただけたら、講師を引き受けた僕としては、これ以上の幸せはありません。
さて、当然のことではありますが、昨晩はスタッフらと打ち上げで、夜の街へ、くり出しましたよ。
「大変お疲れさまでした~」
と交わす生ビールのウマイこと!
1つのことを成し遂げた後に飲むビールほど、ウマイものはありませんな~。
でも、人と人の縁とは、本当に不思議なものですね。
主催者の I さんも企画者のKさんも、ついこの間までは、まったく知らない2人だったのですから。
僕の本の広告を新聞で見た I さんは、「何がなんでも、この著者に会いたい」 と思ったんだそうです。
そんなおり、彼は某雑誌で、僕と山田べにこ(温泉愛好家) さんとの対談記事を見つけます。
ここからが、彼の実行力の素晴らしさ!(さすが九州男児)
その雑誌社に知り合いがいたこともあり、猛アタックをかけて、ついに僕と連絡を取ることに成功しました。
まさに “一念岩をも透(とう)す” であります。
「では一度会いましょう」
ということになったのですが、それからは、すべてトントン拍子に事が運びました。
だって、とにかく彼は “熱い”んですよ。
人間も熱い男ですが、なによりも群馬の温泉を愛している。
「どうして群馬の人は、もっと群馬の温泉を自慢しないんですか?」
と、他県人である彼は、群馬に来て、群馬の温泉の素晴らしさに魅了されてしまったと言います。
「よし、一緒に群馬の温泉を日本一にしようじゃないか!」
と、意気投合。
生まれも育ちも、年齢も親子ほど違う2人ですが、温泉に賭ける熱い思いは同じです。
彼はすぐに、温泉療養研究所を設立して、僕の講座を開講してくれたのでした。
「えっ、そうなんですか? じぁあ、もう1回カンパイですね」
「おめでとうございまーす!」
実は今日、8月8日は、僕の54回目の誕生日だったのです。
「ありがとう。みんなのお陰で、とっても、いい誕生日を迎えることができたよ。今夜は浴びるほど飲もう!」
とかなんとか言っちゃって、結局は、いつもの飲み会になってしまいましたとさ・・・
2012年08月06日
ちょっとインドまで⑤ 「音と臭いと砂ぼこりの中」
⑤ 「音と臭いと砂ぼこりの中」
タージ・マハルがあることで有名なアーグラーという町へ行ったときのことだ。
実際、見るところといったら巨大な墓 “タージ・マハル” ぐらいしかなく、2日もいると時間を持て余してしまった。
僕は地図の中に動物園があるのを見つけ、それとなしに連れに告げた。
どうせヒマなのだから、同意してくれると思ったのだ。
「何もインドにいて、わざわざ動物園に行くこともないだろう。毎日が動物園の中にいるようなものだよ」
と、あっさりと同行を拒否されてしまった。
しかし、よくよく考えてみれば、まったくその通りなのである。
聖なる牛を筆頭に、町の通りを歩いているのは、決して人間だけではない。
馬もロバも人間と一緒に働いているし、インドではラクダや象だって仕事をする。
塀の上になんの彫刻が置いてあるのだろうと近寄ってみれば、それはハゲワシだったり、住宅街の道で、突然現れたクジャクの姿に驚かされたこともあった。
猿などは、完全に町のならず者である。
果物や野菜を店頭から盗んでは、我が物顔で町を行く。
なかには、それこそ日本では動物園でしか見られないような、黒い顔した白い手長の猿もいた。
それでも町の人たちは、決して動物たちを追い払おうとはしない。
牛が目の前を通るとき、露店商人たちはサッと手で商品を押さえる。
ときには牛も食い物を盗むが、無理に取り返すことはしない。
のったり、のったりと牛は歩き、商人たちは牛が過ぎ行くのを、ただジッと待っているのである。
ある日、町の中を歩いていて、ふと日本の我が町のことを思った。
子どもの頃には目にすることができた昆虫や小動物たちが、完璧に今は姿を消している事実。
道路はすべてアスファルトで舗装され、ドブ川はすべてふさがれて、新たに道となっている。
おかげで、豪雨のたびに氾濫して異臭を放つこともなくなり、清潔で住み良い町になった。
しかし同時に、真夏でも蚊取り線香を使わなくて済む町になってしまった。
昆虫がいなくなれば、それを食べる小動物たちも必然と姿を消した。
野良犬や野良猫の姿さえ、見かけなくなった。
人間のための快適な町づくりを行った結果である。
ところが、どうだろうか・・・
その中で暮らす人々たちは、快適さだけを得て、以前と同じような生活を続けることができているだろうか?
便利になり、清潔になった町は、もう人が手をかけるものがなくなってしまったようだ。
人と人が互いに手をかけ合う町は、“音” や “臭い” とともに、遠い昔のものとなってしまった。
インドの町の中で立ち止まっていると、無性に悲しみが込み上げてきた。
僕の足元では、やせ細ったスズメと灰色をしたカラスが、数匹のリスと一緒に、さっきから残飯をついばんでいる。
「どうして、ここの動物たちは逃げないんだろう……」
ひとり言のように僕がつぶやくと、連れが答えるように言った。
「いじめる人間がいないということだな。ここには」
見上げる空は、連日、雲ひとつない快晴。
そして町は、いつも色と音と臭いが、砂ぼこりの中で渦巻いていた。
<つづく>
2012年08月05日
一度は訪ねてみたい群馬の秘湯
みなさんは、“秘湯” と聞くと、どんな温泉を思い浮かべますか?
滝つぼの中とか、河原に穴を掘って入るようなサバイバルな温泉のことでしょうか?
それも秘湯には違いないんでしょうが、僕は、そういった湯小屋や宿のない天然風呂のことは、“野湯” と呼んで区別しています。
あくまでも宿泊施設のある温泉の中での “秘湯” です。
秘湯とは、呼んで字のごとく 「人に知られていない温泉」 のことです。
鉄道でのみ移動していた昔ならばいざしらず、これだけ交通網が発達した車社会では、なかなか秘湯を探すのも難しい時代になりました。
かつて(僕が雑誌の編集をしていた20年くらい前) は、雑誌やテレビなどで宣伝をしていない宿を基準にして特集を組んだりしましたが、現在はネット社会です。
検索をすれば、たぶん、ほとんどの温泉の情報を知ることができるでしょうね。
便利な時代になったものです。
そうそう、一時、秘湯ブームなんてものがありました。
火付け役は、ご存知、「日本秘湯を守る会」 であります。
毎年のように改定版が発行されるベストセラー 『日本の秘湯』(監修/日本秘湯を守る会 発行/朝日旅行) は、すでに温泉ファンのバイブルとなっています。
でもね、行ってみると落胆する宿も多いんですよ。
交通量の激しい国道沿いだったり、近代的な鉄筋の建物だったり、湧出量を無視した見かけ倒しの露天風呂だったり・・・。
やっぱり “秘湯” とは、苦労をしてわざわざ訪ねるだけの甲斐がある温泉じゃなければなりません。
“秘湯” の名に恥じない温泉宿としての立地と風格と存在感、そして主人のこだわりがあってこその “秘湯” です。
と、いうことで、今年4月から毎月僕がコメンテーターを務めている群馬テレビのニュース番組 『ニュースジャスト6』 では、そんな取って置きの群馬の秘湯をご紹介します。
ぜひ、ご覧ください。
●放送局 群馬テレビ (地デジ3ch)
●番組名 『ニュースジャスト6』
●放送日 (月)~(金) 18:00~18:45
●出演日 8月8日(水)
●テーマ 「一度は訪ねてみたい群馬の秘湯」
2012年08月04日
川古温泉 「浜屋旅館」④
“川古の土産は、ひとつ杖を捨て”
そういわれるほど、昔から湯治場として親しまれてきた温泉地です。
湯の起源は不明ですが、地面が温かく、ヘビがたくさん棲息している場所があり、土地の人が掘ったところ温泉が湧いたともいわれています。
江戸時代の後期には、すでに温泉があり、大正時代には湯治客が入りに来る湯小屋があったそうです。
大正5(1916)年、温泉の下流に山から木材を切り出して酢酸(さくさん)を製造する工場が竣工。
酢酸は当時、火薬の原料になった重要な産業でした。
ここに勤めていた林峰治さんが、大正時代の末に湯守(ゆもり) となり、「浜屋旅館」 を開業しました。
現在は、お孫さんで3代目の林泉さんが、湯を守り継いでいます。
今さら、取材もないのですが、それでも訪ねれば訪ねただけ、新しい何かが拾えるのが “取材” というものです。
林さんとは、かれこれ10年くらいの付き合いになります。
この人は、とにかく博学!
温泉の生き字引のような人ですから、毎回会うのが楽しみなんです。
そして会えば、延々と熱く温泉談義が続きます。
今回は、来春に出版が予定されている書籍の取材で寄らせていただきました。
久しぶりに会ったら、林さんはヒゲをたくわえていましたよ。
精悍さが増して、なかなかさまになっています。
まさに、“湯守のおやじ”っていう感じ。
「最近、泡の付きが悪いと思っていたんですよ。でも先日、給湯バルブをいじってみたら、勢い良く湯が出て、また元の泡の付き具合にもどりました」
なーんて、言われれば、もう居ても立ってもいられませんって。
だって、ここは、群馬を代表する、ぬる湯の宿ですぜ!
おまけに、源泉には、体中に泡が付く炭酸を多く含んでいます。
まずは、撮影を兼ねて露天風呂へ。
ん~~、ちょうど、いい湯加減です。
源泉の温度は約40度ですから、冬場だとかなりぬるめですが、夏のこの時期は適温であります。
これなら、何時間でも入っていられそうですよ。
以前、訪ねたときには、10日間滞在して、毎日8時間入るという湯治客と会いました。
「微温浴」 とか 「持続浴」 と呼ばれる長時間入浴する昔ながらの湯治法です。
現在でも、こうやって長期間逗留(とうりゅう)する湯治客中心に営業している温泉宿は、群馬県内でも稀少な存在です。
うれしい、かぎりではありませんか!
気泡の付着は、内風呂のほうが顕著です。
あれよあれよのうちに、全身に空気の玉が、プチプチと付き出しましたよ。
霧積温泉や平治温泉などの気泡と比べると、泡の粒が大きいのが特徴です。
あちらが 「サンゴの産卵」 なら、こちらは 「カエルの卵」 っていう感じかな・・・
いずれにせよ、昔から泡の出る湯は、骨の髄(ずい) まで温まるといわれ珍重されてきた温泉であります。
また、温めても、時間が経過しても泡は消えてしまいます。
要は、泡がでる温泉は、その湯が “新鮮” である証拠なんですね。
ここの湯も、僕が 「22世紀に残したい群馬の温泉」 の1つであります。
2012年08月03日
法師温泉 「長寿館」③
今さら、取材もないでしょう。
法師温泉は、僕にとっては、いわば温泉ライターになった “ルーツ” のような温泉です。
雑誌や本の取材でも、たびたび訪れていますし、僕が講師を務める野外温泉講座でも訪ねています。
露天風呂のある 「玉城乃湯」 ができる前からですから、10年以上前から通っている温泉です。
6代目主人の岡村興太郎さんは、群馬県温泉協会の会長でもありますから、当然、個人的にも大変お世話になっている人です。
県の温泉アドバイザーの研修会や本の出版祝賀会などには、必ず出席してくださるので、そういった場では、当然、一献酌み交わすのが恒例となっています。
会長も、好きなんですよ! 酒が!
僕も他人に負けないくらい酒は好きですが、会長もお強い!
ならば、取材という名目で飲み明かしましょう!
と、いうことで、一晩、お世話になってきました。
思えば会長とは、祝賀会などの席で飲んでいるので、旅館の中で飲むのは初めてなのであります。
外では “会長” でも、旅館では “主人” であります。
そんな明治初期から代々続く老舗旅館のご主人から、直々に酌を差していただきました。
それも、「法師温泉 長寿館」 と名前の入ったオリジナルラベルが貼られた純米吟醸酒であります。
「う、う、うま~い! やっぱり主人が飲兵衛だと出す酒も美味しいですね」 と僕。
「そりゃ、そうだよ。酒が飲めない主人のいる宿は、メーカーの言いなりになっちまうからな(笑)」 と主人。
なるほど、酒のうまい宿を探すなら、飲兵衛の主人のいる宿ということですね。
どれくらい飲み続けたのでしょうか・・・
「温泉あっての宿だ!」
「温泉を守るために宿はある!」
「温泉は戦いなんだよ!」
と、それはそれは熱い熱い温泉談義を交わし続けたのであります。
「一緒に戦って、群馬の温泉を守りましょう!」
と、酔っ払った2人は、これまた厚い厚い握手を交わしたのでした。
あれっ、外は雨か?
いや、法師川のせせらぐ音であります。
いい酒は、二日酔いなんてしませんね。
すっくと、目が覚めましたよ。
当然、体に残った酒気を抜くためにも、向かったのは、ご存知 「法師乃湯」 であります。
明治28年建築の鹿鳴館調の湯殿は、国の登録有形文化財に指定されています。
何よりも、全国でも1%未満しか存在しないという “足元湧出温泉” です。
まさに、奇跡の湯!
そして、全国に誇れる群馬の宝であります。
プク、プクプク ・・・
ポワン、ポワワ~ン ・・・
お尻から背中へ、生まれたばかりの湯玉が、僕の体をくすぐりながら湧き上がります。
これぞ、源泉ひとりじめ!
「ああ、温泉っていいなぁ~」
「群馬に生まれて良かったなぁ~」
と、至福の時を満喫したのであります。
2012年08月02日
高原千葉村温泉 「高原千葉村」
群馬県内には、100を超える温泉地(宿泊施設のある温泉) があります。
でも、すべてが一般に開放されている施設とは限りません。
企業や自治体、大学、ゴルフ場やスキー場が源泉を保有し、特定施設内の浴槽でのみ入浴可能な温泉もあるからです。
そんな、マニアックな温泉地の1つが、利根郡みなかみ町相俣にある高原千葉村温泉です。
ここは、千葉県千葉市民のための保養所として昭和48(1973)年に開設された施設です。
当初は、「林間キャンプ場」 のみでした。
のちに 「青少年自然の家」 が建設され、同53年に温泉の掘削に成功。
同年、宿泊施設の 「市民ロッジ」 がオープンしました。
当然、千葉市民の保養を目的とした施設ですので、全体の宿泊客の8割は千葉市民が利用しています。
でも、市外の人でも、格安料金にて宿泊利用が可能な施設です。
※1人1泊 市民3,450円~ 市外4,200円~ (朝食代、夕食代、入湯税は別)
※日帰り入浴は、やっていません。
で、取材に行ってきました~!
とにかく楽しみだったんです。
前々から、「湯がいい」「湯がいい」 と人づてに聞いていましたからね。
「硫黄泉だって」「白濁している」ってね。
万座や草津ならいざしらず、このあたりでは、非常に珍しい泉質であります。
所長の阿部政英さんも 「とにかく来られたお客様は、『湯がいい』 と、ほめてくださいます」 というくらいの自慢の温泉です。
そこまで言われれば、もう、居ても立ってもいられませんって!
所長さんへの取材は、後回しにして、とりあえず、先に、その自慢の湯とやらを拝ませていただくことにしました。
おおおお~!
浴室が近くなっただけで、プーンと硫化水素臭(ゆで卵のような)がしてきましたよ。
で、浴槽を開けてみて、ビックリです。
あ、あ、青い!
「今日は、朝から少し青みがかった乳白色ですよ」 と、所長さんの言うとおりです。
朝方はブルーまたはグリーンがかっていて、時間の経過とともに白色となり、やがて透明になるとのこと。
さしずめ、僕が見た感じでは “抹茶ミルク風呂” といったところですかね。
いや~、色といい、匂いといい、PH値8・7というアルカリ性の肌触りといい、こりぁ~ウワサどおりの浴感であります。
源泉の温度が低いため加温はされていますが、かけ流しされています。
何より、湯の温度が、熱からず、ぬるからず、丁度良いのが気に入りました。
ここは、確実に湯守(ゆもり) が、いますな。
いい仕事をしています。
もちろん、湯上がりは、所長さんと湯談義に花が咲いたことは、言うまでもありません。
いゃ~、群馬は広いし、温泉も奥が深いですね。