温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2021年08月31日

コロナ狩り <追記>


 <コロナ 群馬に持ち込むな>
 <県外ナンバーに 「貼り紙」 >

 今日の毎日新聞群馬版に、さっそく記事が掲載されていたので、詳細を報告いたします。

 新聞によれば、今月28日のこと。
 前橋市内のショッピングセンターの駐車場で、長野ナンバーの車のリアガラスとワイパーの間に 「コロナウイルスを都会から一生群馬県に持ち込むな!」 などと書かれた紙がはさまれているのを買い物客の20代男性が見つけたとのこと。
 男性は4月に県内に転居しており、現在、ナンバーの更新手続き中でした。


 この騒動には、奇怪な点が2つあります。

 1つは、この男性以外の車に、貼り紙はなかったこと。
 もう1つは、署名のあった自治会は、このショッピングセンターとは1キロ以上離れていること。

 そして、その自治会長は取材に対して、こうコメントしています。
 「なぜ、うちの名前が使われたのか?」


 一見、組織ぐるみの “コロナ狩り” に思われた騒動ですが、ふたを開けてみたら、ただの “お騒がせ野郎” のしわざだったようです。

 それにしても、人騒がせな野郎であります。

 喝!
   


Posted by 小暮 淳 at 12:55Comments(0)つれづれ

2021年08月31日

コロナ狩り


 <住みにくい世の中だよ>

 こんなコメントとともに、一枚の写真が添付されていました。
 友人からのメールです。

 写された場所は、どこかの駐車場のようです。
 停車している車のワイパーに、チラシのような紙が、はさまれています。
 紙の中央には、大きく太字で、こう書かれています。

 《県内全域 緊急事態宣言》

 その下には、長々とこんな文面が続きます。

 《コロナウイルスを都会から一生群馬に持ち込むな!》
 《二度と群馬県に来るな!》
 《ネット上にナンバープレートと車体を晒します。》


 今時の “自粛警察” を気取ったトンチンカン野郎のしわざと思いきや、これが違います。
 これらの文面は手書きではなく、すべて印字なのです。

 しかも、しっかりと警告主の身元も明記されています。
 「○○町×丁目自治会」 と……

 身の毛もよだつ警告文であります。

 ついにコロナは人間の肉体だけではなく、精神もをむしばみはじめたようです。
 これでは、“魔女狩り” ではないか!


 県外ナンバーというだけで、魔女とみなし、札を貼って、追い出そうとする。
 相手の事情など、お構いなしだ。
 ここは日本なのだろうか?
 日本人って、もっと相手の身になって思いやれる人種ではなかのか?

 有無を言わせず、実力行使に出る、この暴挙!
 それも個人のしわざではなく、自治体ぐるみという組織犯罪ですぞ!


 メールの最後は、こう綴られていました。

 <寂しいね~ コロナは人の心の奥底まで蝕んでいくんだね>


 正義という名を借りた “コロナ狩り”
 許せん!
  


Posted by 小暮 淳 at 12:08Comments(0)つれづれ

2021年08月30日

正夢の確率


 こんなことって、ありませんでしたか?

 たとえば、ふだんは口もきいたことのない異性のクラスメートが、なぜか夢に出てきて楽しそうに会話をした。
 以来、クラスの中で、その人のことが気になってしまい、やがて好きになってしまった。
 するとクラス内でもウワサになり、互いを意識するようになり、結果、付き合うことに……

 実は、これ、実際に見た僕の “正夢” です。
 またの名を 「予知夢」 といいます。


 どうして夢は未来を予言するのだろうか?

 この夢がきっかけとなり、僕は中学生の頃から 「夢日記」 を付けるようになりました。
 当然、空を飛んだり、怪獣に追いかけられるような荒唐無稽の夢もありますが、朝起きて覚えている限り、つぶさに日記帳に記しました。

 はたして、その結果は?

 正夢になる確率は、数パーセントだったと思います。
 逆のことが起こる “逆夢” の方が多かったかもしれません。

 たとえば、離れて暮らしている祖母が元気な姿で現れたら、数日後に訃報が届いたというような。
 でも、逆夢も予知夢の1つであります。
 必ずしも夢は、吉報だけを届けてくれるわけではありません。

 たぶんデジャビュ― (既視体験) のようなもので、潜在意識の中にある気になる事が正夢や逆夢となり、現れているのだと思います。


 いつからか、僕は夢日記を付けなくなりました。
 歳を重ねると、夢を見る回数が減ったからだと思います。
 正しくは、“朝起きた時に覚えている夢” ですね。

 それだけ、若い頃に比べ、眠りも浅く、感受性も薄れてきているのかもしれません。


 ところが先日、久々に朝起きた時にハッキリと夢を覚えていました。

 場所は東京、都庁前。
 僕は、そびえる庁舎を見上げています。
 珍しくスーツを着て、正装をしています。
 なぜか、僕が東京都から表彰されることになり、都知事に会いに来たようなのです。

 ここで夢は覚めました。

 なんの表彰なのか? なぜ東京都からなのか?
 すべては夢の中に置いてきてしまい、覚えていません。

 はて、これは正夢なのでしょうか?
 数パーセントの確率に期待して、気長に結果を待つことにします。
 (もしかして、逆夢だったりして……)
   


Posted by 小暮 淳 at 13:06Comments(3)つれづれ

2021年08月29日

欲張りな講演


 先日、ブログでも報告しましたが、このコロナ禍、しかも緊急事態宣言下でも講演会を行ってきました。
 (2021年8月25日 「不要不急なれど必要火急なり」 参照)
 リモートを除けば、昨年暮れに相間川温泉 (高崎市) で開催された 「温泉サミット」 以来ですから、対面式の講演は約8ヶ月ぶりのことでした。

 ところが、どうしたことでしょうか?
 ここにきて、毎月のように講演依頼が入って来ています。
 すでに年内だけで、10回以上が予定されています。

 そして、それらすべてが現在のところ、中止または延期の連絡はありません。
 昨年は、予定されていた講演会が軒並み中止となったことを鑑みると、ちょっと戸惑ってしまいます。

 なぜ、ここに来て、急に講演を再開したのでしょうか?
 市井の民は、“コロナ慣れ” をしてしまったのでしょうか?
 それともオリンピック・パラリンピックの開催効果でしょうか?
 たぶん、ワクチン接種の安心感からなんでしょうね。

 昨年のように、すべて中止しても一向にコロナの感染者は減りませんもの。
 だったら安全・安心を徹底した上で、開催したほうが、よっぽど精神衛生上、よろしいのではないか?
 という、各主催者たちの苦肉の結論のようにも思われます。


 さて、依頼されている講演内容ですが、その7割は 「温泉」 がテーマです。
 残り3割が、近年本を出版したことから 「民話」 や 「伝説」 についての講話となります。

 依頼者は、さまざまです。
 企業だったり団体だったり、でも一番多いのは市町村の自治体からです。
 なかには毎年、恒例のように開催してくださる自治体もあります。

 その場合、困るのは講演のテーマです。
 「前回は “温泉” でしたので、今回は “民話” でお願いします」
 といった具合に変わるのですが、これが3回目以上になると、担当者も困ってしまうようです。

 「今年も、また、ご講演をお願いできませんでしょうか?」
 「ええ、それは結構ですが、今回は “温泉” でしょうか? “民話” でしょうか?」
 なんていう会話がされるわけです。

 たいがいは、そのどちらかを依頼されるのですが、今回、某公民館の館長から思わぬ提案がありました。
 「先生は、群馬県の地酒大使もなさっておられますよね。でしたら今回は、ぜひ、“地酒” をテーマにしたご講演を……」
 なんていう無茶ぶりをされてしまいました。

 これには、困りました。
 いくら 「ぐんまの地酒大使」 に任命されているからって、地酒について2時間も話せるほどの知識は、まだ僕は持ち合わせていませんもの。

 「いや~、地酒の話は、本を出版してからにしていただけませんか?」
 と丁重に、お断りしたものの、先方は引きません。
 「そこをなんとか、お願いします。そうだ! でしたら地酒の話もしつつ、温泉や民話の話もしていただくというのは、いかがでしょう!?」

 ということで、なななんと!
 付いた演題は、『群馬の地酒と民話と温泉めぐり』。
 なんとも欲張りな内容です。


 でも、ありがたい話であります。
 依然、収束が見えない、このコロナ禍です。
 少しでも僕の話を聞いて、行った気になって、ストレスが発散できるなら、喜んでお話ししたいと思います。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:27Comments(0)講演・セミナー

2021年08月28日

湯守の女房 (27) 「毎日、あの山に感謝しています」


 谷川温泉 「旅館たにがわ」 みなかみ町


 「旅館業は、良いことも悪いことも、すぐにお客さまから反応が返ってくる仕事。お客さまの 『また来るよ』 の言葉に支えられて、今日までやって来ました」。
 2代目女将の久保容子さんは、そう言って、手が届きそうなほど近くに見える谷川岳を客室の窓から見つめた。

 「谷川岳あっての谷川温泉です。毎日、あの山に感謝しています」


 高崎市の旅館の三女に生まれた。
 宿主人の富雄さんとは、高校から大学まで同級生。
 学生時代に友人らと富雄さんの実家がある谷川温泉を訪れ、谷川岳の雄大な景色を見た。
 「群馬にも、こんなに素晴らしいところがあったのか」 と感動した。

 田舎暮らしにあこがれていたこともあり、卒業後の昭和44(1969)年に結婚。
 数軒の宿が並ぶ、小さな谷川温泉に来た。


 <水上駅に到着したのは、朝の四時である。まだ、暗かった>

 国道291号から離れ、温泉街へ向かう道の途中に作家、太宰治 (1909~48) の文学碑がある。
 ここ谷川温泉を舞台にした小説 『姥捨(うばすて)』 の一節が刻まれている。
 「旅館たにがわ」 の駐車場にも、太宰の記念碑が立つ。

 昭和11(1936)年8月、太宰治は療養のため約1ヶ月間、この旅館の前身の 「川久保屋」 に滞在した。
 このとき執筆した 『創生記』 は、代表作 『人間失格』 を書くきっかけになったといわれる。
 ここでの滞在経験をもとに2年後、『姥捨』 も発表。

 川久保屋は昭和20年代に経営者が代わり、その後、取り壊され、「旅館たにがわ」 の駐車場となった。


 太宰との関係は、昭和50年代に太宰治研究家の故・長篠康一郎氏が訪ねて明らかにした。
 長篠氏は、川久保屋に太宰が滞在したことを確認し、著書に発表した。
 「長篠さんは何日か宿泊して、温泉街を歩き回って取材していました」
 と女将は振り返る。


 昔、神の化身の美しい娘が川で身を清め、裾を洗うと温泉が湧き出したという伝説から、源泉は 「御裳裾(みもすそ)の湯」 と名付けられ、薬師堂が祀られている。

 その湯は無色透明の弱アルカリ性単純温泉。
 やや熱めで、肌にやさしくまとわり付く独特な浴感がある。

 太宰は、あこがれの芥川賞の落選を、川久保屋滞在中に知った。
 さぞかし悲痛な思いで、湯に身を沈めたことだろう。


 今年も太宰治の命日である6月19日の 「桜桃忌」 には、女将や従業員ら約10人が、道端の文学碑と駐車場の記念碑に白菊を供えた。
 館内にはミニギャラリーが設けられ、長篠氏から寄贈された太宰の初版本や写真、遺品など約50点が展示されている。


 <2012年6月20日付> 
  


Posted by 小暮 淳 at 12:49Comments(0)湯守の女房

2021年08月27日

紙芝居 『焼きまんじゅうろう』 完成!


 ♪ ハァ~ 背なで転がす 空っ風
   焼きまんじゅうろう 旅すがた
   あま辛 みそダレ 一刀流
   ハァ~ 今宵 三日月 出てござる
   悪を憎んで 手加減無用
   あま辛剣法 みそダレ返し ♪
   (作詞/野村たかあき 作曲/小暮淳 『焼きまんじゅうろう 旅すがた』 より)


 お待たせしました!
 群馬のご当地ヒーロー 「焼きまんじゅうろう」 が、ついに紙芝居になりました!

 「焼きまんじゅうろう」 とは、前橋市在住の絵本作家、野村たかあき先生が生み出したキャラクターです。
 平成21(2009)年発行の 『日本全国ご当地キャラクター図鑑2』(新紀元社) にも掲載されている、「ぐんまちゃん」 と肩を並べるれっきとした群馬を代表するキャラクターです。


 すでにテーマソングは県内各地のイベントで歌われていましたが、このたび、野村先生直筆による紙芝居が完成しました!
 (テーマソングは、僕がボーカルをつとめるスーパーローカルオヤジバンド 「ジュン&クァパラダイス」 が演奏しています)

 第1話は、まんじゅうろうの幼なじみ、おきりちゃんとおこみちゃんの姉妹が手伝う茶屋が舞台。
 茶屋を乗っ取ろうとする悪党 「どどめ一家」 から、まんじゅうろうは姉妹を救えるのか?
 必殺技、「あま辛剣法 みそダレ返し」 が炸裂!

 「よっ、待ってました!」
 と、まんじゅうろうが登場するシーンでは、かけ声がかかりそうです。

 ぜひ、生で口演をご覧ください。


 ♪ やんやん焼きまん まんじゅうろう
   こげめ ほどほど 香ばしや
   やんやん焼きまん まんじゅうろう
   見た目ベタつく ツラがまえ
   でも 内はサッパリ (よっ) 心意気 ♪



          「神社かみしばい」 9月口演
   『焼きまんじゅうろう 旅すがた ~おきりとおこみの巻~』
 
 ●日時  2021年9月19日(日)
       10時、11時、12時、13時 ※雨天の場合は屋内開催
 ●会場  伊勢崎神社 境内 (群馬県伊勢崎市本町21-1)
 ●入場  無料 (投げ銭制) ※ペイペイ可
 ●問合  壽ちんどん宣伝社 TEL.090-8109-0480
  


Posted by 小暮 淳 at 12:35Comments(2)神社かみしばい

2021年08月26日

ヒーロー or ダーティー


 2020年9月
 僕は高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」 に、『忠治外伝 末期の酒 「牡丹」 を探しに』 という記事を書きました。
 嘉永3(1850)年、国定忠治は関所破りの罪で幕府にとらえられ、大戸 (東吾妻町) の関所近くの処刑所にて磔(はりつけ)の刑に処せられました。
 その時、忠治が “末期の酒” に選んだのは 「牡丹(ぼたん)」 という酒だったことを記しました。

 2021年3月
 僕はスーパーバイザーを務める群馬テレビの番組で、自らがリポーターとなり 『伝説のお大尽 「加部安」 とは?』 という回を放送しました。
 忠治が “末期の酒” に選んだ 「牡丹」 という酒を造っていた蔵元が、「加部安」 という人物だったのです。

 この一連の流れに、たくさんの方々が興味を持ってくださいました。
 その一人が前橋在住のアマチュア落語家、都家前橋(みやこやぜんきょう)さんでした。
 創作落語 『末期の酒』 を作り上げました。
 その話題は、<国定忠治の最期の一献 落語に> と見出しを付けて、新聞でも報道されました。
 (2021年4月14日付 朝日新聞群馬版より)


 国定忠治は、群馬県民なら誰もが知る “郷土のヒーロー” です。
 もちろん、僕にとっても忠治はヒーローなのですが、必ずも万人にとってヒーローか?というと意見の分かれるところです。
 彼は、江戸時代の侠客(きょうかく)ですからね。
 “やくざ者” であることにも違いありません。

 はたして国定忠治は、ヒーローなのか? ダーティーなのか?

 昨日の朝日新聞に興味深い記事が掲載されました。
 執筆されたのは、たびたび僕の活動を取材し取り上げてくれている小泉信一記者であります。


 <国定忠治 ならず者か英雄か>
 <伊勢崎市、生誕200年の催し中止から11年>

 記事によれば平成22(2010)年5月、忠治生誕200年の記念イベント開催をめぐり、当時の市長が 「歴史的に評価が分かれている人物に税金をかけるのはいかがなものか」 と難色を示したため、イベントは中止となりました。

 忠治への評価への風当たりの強さは、戦後まもない頃にもありました。
 ご存じ、『上毛かるた』 です。
 初版を発行する際、県民から 「忠治を読み札に採用して欲しい」 との要望が寄せられましたが、「日本の封建制度を支えた侍ややくざは不可」 とするGHQ (連合国軍総司令部) の意向をくみ、採用されなかったいいます。

 それでも戦後、歌舞伎をはじめ講談や浪曲、映画と数えきれないほどの作品に忠治は登場します。
 やはり忠治には、根強いヒーローとしての人気があったのです。


 記事では最後に、対照的なヒーローとして清水次郎長にも触れています。
 故郷の静岡市は昨年、生誕200年を記念して動画を配信。
 任侠を 「chivalry(騎士道)」 と訳した英語字幕版まで制作し、「ジロチョー」 を世界に発信しています。

 はたして、この違いは?
 県民性の違いなのでしょうか?


 確かに忠治はダーティーではあるけれど、多くの貧しい人々を救っています。
 十分にヒーローだと思うんですけど。

 完全無欠の潔癖なヒーローより、アウトロー的要素を持ち合わせているほうが、カッコイイと思いません?
 みなさんは、どう思われますか?
   


Posted by 小暮 淳 at 11:40Comments(0)謎学の旅

2021年08月25日

不要不急なれど必要火急なり


 「緊急事態宣言の中、遠路はるばるお集まりいただき、ありがとうございます。ということは、私の話は “不要不急” ではないということですね?」
 開口一番、そう告げると、会場からは拍手が起こりました。


 昨日、県内某市の公民館にて、『湯の国ぐんま!温泉パラダイス』 というテーマで、2時間にわたる講演を行ってきました。
 当日まで、「はたして開催されるのだろうか?」 と、ただただ不安の毎日を過ごしていました。
 講演会開催の話は、半年以上前から決まっていましたが、今月になって群馬県に緊急事態宣言が発令されました。
 僕はすぐに、担当者に電話を入れました。
 すると……

 「市の方からは別に中止命令は出ていません。たぶん、このまま開催されると思います」

 そう告げられて1週間。
 突然、中止の連絡が来るのではないか?という心もとない日々を送っていました。


 そして、迎えた当日。
 早めに会場に入ると、館長をはじめ、数名の公民館スタッフが、会場づくりに精を出していました。
 ソーシャルディスタンスを保ったイスの設置。
 そのイスの除菌作業。
 消毒液の設置。
 部屋の換気。
 忘れた人のためのマスクも用意されています。

 徹底した対策のもと、講演会が開催されようとしています。


 「今日は、よろしくお願いいたします。本当に、やるんですね?」
 驚いている僕に担当者は、
 「朝から問い合わせ電話が鳴りっぱなしです。すでに10人以上から問い合わせがありました」

 「ということは、観客はゼロということは、なさそうですね?」
 「いえいえ、予想以上かもしれませんよ!」


 緊急事態宣言下とはいえ、講演を開催する以上は、一人でも多くの人に聞いてほしいものです。
 開演10分前には用意したイスが埋まり、さらに追加するという嬉しい状況になりました。

 午前10時、開演。

 冒頭のトークから始まっという次第です。
 これで “つかみ” はOK!
 あとは、いつも通りに話を進めさせていただきました。


 もしかしたら温泉も温泉の話も、世間では不要不急のモノかもしれません。
 でも人によっては、今もっとも大切な “必要火急” なコトかもしれないのです。
  


Posted by 小暮 淳 at 10:01Comments(0)講演・セミナー

2021年08月23日

湯守の女房 (26) 「宿泊客に健康になって帰ってほしいとの願いを込めているんです」


 このカテゴリーでは、ブログ開設11周年企画として、2011年2月~2013年3月まで朝日新聞群馬版に連載された 『湯守の女房』(全39話) を不定期に掲載しています。
 湯守(ゆもり)とは源泉を守る温泉宿の主人のこと。その湯守を支える女将たちの素顔を紹介します。
 ※肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。



 猿ヶ京温泉 「猿ヶ京ホテル」 みなかみ町


 猿ヶ京ホテルのロビーラウンジからは、ガラス窓越しにエメラルドグリーンに水面を染める赤谷湖(あかやこ)が、よく見える。
 「四季折々に色を変える山と湖。一年中、私たちを楽しませてくれ、元気をもらえます」
 と、3代目女将の持谷美奈子さん。

 秋田県小坂町生まれ。
 大学卒業後、銀行の横浜支店で同僚だった主人の明宏さんと出会った。
 平成3(1991)年の結婚を機に退職し、明宏さんの実家の猿ヶ京ホテルに入った。
 「ここは私のふるさとと自然環境が似ている。ただ一つ違うところは、温泉があることです」


 実は、湖底には猿ヶ京ホテルのルーツが眠っている。

 相俣(あいまた)ダムの建設で昭和33(1958)年、湯島、笹の湯という2つの温泉地が湖底に水没した。
 そこには4軒の老舗の湯宿があり、「旧四軒」と呼ばれた。
 高台に移転し、猿ヶ京温泉をつくった。
 猿ヶ京ホテルの前身は、旧四軒のうちの1軒、桑原館である。


 「猿ヶ京」 という地名にも、いわれがある。

 戦国武将、上杉謙信がこの地に泊まり、不思議な夢を見た。
 宴席で膳に向かうと、箸が片方しかなく、ごちそうを食べようとすると歯が8本抜け落ちた。
 家臣に告げると、「関八州 (関東一円) を片っぱし (片箸) から手に入れる夢なり」 との答え。
 謙信は喜び、「今年は庚申(かのえさる)、今日もまた庚申の日。我も申年生まれ。これより関東出陣の前祝いとして、ここを 『申ケ今日』 と名付ける」 と言ったためと伝わる。


 山あいの旧新治村 (みなかみ町) には、多くの民話が残る。
 主人の明宏さんの母で大女将の靖子さんは、お年寄りらが語り継ぐ民話に注目し、長年、その採集と記録に努めて来た。
 語り部として毎晩、宿泊客に民話を語る。
 温泉街にある 「三国路与謝野晶子紀行文学館」 「猿ヶ京関所資料館」 などの館長でもある。

 「大女将は、何でもできる人。だから分からないことがあると何でも聞いています。旅館の仕事場では厳しいですが、プライベートでは可愛い女性です」

 靖子さんは、ホテルの名物料理 「豆腐懐石」 も考案した。
 館内の豆腐工場で、職人が毎日作っている。
 「ヘルシーな料理をおいしく食べていただき、宿泊客に健康になって帰ってほしいとの願いを込めているんです」
 と、美奈子さんは言う。


 露天風呂からも、赤谷湖を一望できる。
 かつて若山牧水らの文人墨客が去来した道も、この美しい湖の底だ。
 移転した 「旧四軒」 は、現在は2軒となった。


 <2012年5月23日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:29Comments(0)湯守の女房

2021年08月21日

マジョリティの正義


 僕は子どもの頃から、人と同じことをしたり、人と同じ物を持つことを極端に嫌う少年でした。

 たとえば、小学校の授業で使うリコーダーやそろばん、習字セットなども、学校で購入する指定の物は買わず、アニキのお古を使っていました。
 もしかしたら親に余分な負担をかけたくないという思いやりからだったのかもしれませんが、本人は、それが恥ずかしい事でも、イヤな事でもありませんでした。

 むしろ、人と同じ物を使っていることの方が、耐えられなかったのです。


 遊びも同様。
 当時の男の子たちは、みんな野球少年でした。
 放課後は公園や神社の境内、原っぱなどで必ず、「手打ち野球」 をして遊んでいました。

 でも僕は、そこでも馴染めません。
 みんなと同じことをする行為に、嫌悪感を抱いてしまうのです。
 だから、当時はまだ少数派だったサッカーをやっていた記憶があります。

 習い事も、しかり。
 女の子はピアノ、男の子は少年野球チームが定番でした。
 そして男女とも、学習塾に通うのが “多数派” でした。

 でも僕は、剣道と絵画教室でした。
 理由は、「やりたかったから」 ではなく、「人と違うことをしたかったから」。

 今でいうマイノリティ (社会的少数者) っていうやつなんでしょうか?
 とにかく、人と同じことや人と群れることが嫌いな少年でした。


 先生から 「将来の夢・なりたい職業」 という課題が出されたことがありました。
 この時、僕は何一つ具体的なことを書いていません。
 たった一文、≪自分にしかできないこと≫ と記しています。

 長じて今、僕はライターという職業に就いているわけですが、はたして初志貫徹しているかは、はなはだ疑問ではありますが、マイノリティを目指した結果だったことは間違いありません。


 さて、マイノリティの対極にある言葉は、マジョリティ (多数派) です。
 とかく世の中は、このマジョリティが支配しています。

 僕が最も嫌う “多数決の正義” が生まれるからです。


 また、イヤな事件の報道がありました。
 今年3月、北海道旭川市で中学2年の女子生徒が、いじめにより死亡した事件です。
 この女子生徒の母親の代理人弁護士が記者会見を開き、手記を公開しました。
それによると母親は、学校にいじめの疑いを訴えた際、教頭からこのように言われ、突き放されたといいます。

 『10人の加害者の未来と1人の被害者の未来、どっちが大切ですか?』

 でましたーー!!
 伝家の宝刀、“多数決の正義” です。


 「大は小を兼ねる」 を超え、「多は少を滅す」 という、なんともおぞましい勝手きわまりない論理であります。

 まったく、この国ときたら……
 何十年経っても、相変わらず生きにくい国であります。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:11Comments(0)つれづれ

2021年08月20日

「増刷記念 表紙画展」 開催中!


 一昨日、取材を受けました。
 そしたら早くも昨日の上毛新聞、社会面に記事が掲載されました。

 <「ぐんま 謎学の旅」>
 <増刷記念し表紙絵展示>
 <高崎で著者の小暮さん>
 と、見出しが付きました。

 そうなんです!
 “高崎で” と書かれているように、展示会場である高崎市の書店で取材を受けました。

 現在、拙著 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) の増刷を記念して、高崎市下小鳥町の戸田書店高崎店にて、本書の 「表紙画展」 が開催されています。


 <書店では、表紙にも描かれているカッパやオオカミ、てんぐといった伝説の生き物など12点の絵を展示。前橋市のイラストレーター、栗原俊文さんが手がけた。ほかに、表紙の制作過程を時系列で追ったパネルも展示している。> 

 本の表紙絵および装丁を担当した栗原氏は、長年、僕の著書を手がけてくれている “相棒” であります。
 温泉本のシリーズのほとんどは、彼のデザインによるものです。


 展示期間は、今月の30日まで。
 お近くまで、お出かけの際は、ぜひ、気軽にお立ち寄りください。



           増刷記念!
    『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』
         栗原俊文 表紙画展

 ●会期  2021年7月24(土)~8月30日(月)
 ●会場  戸田書店 高崎店 (高崎市下小鳥町438-1)
 ●時間  10:00~23:00
 ●問合  ちいきしんぶん TEL 027-370-2262
  


Posted by 小暮 淳 at 11:05Comments(2)著書関連

2021年08月19日

する側とされる側の心理


 僕はライターですから、つねに取材を 「する側」 の人間です。
 ところが、ある日を境に、「される側」 の人間にもなりました。


 最初は平成9(1997)年の秋のこと。
 僕は、雑誌で連載していた記事をまとめた処女エッセイを出版しました。
 そのとき、新聞社より取材を受けました。

 「する側」 が 「される側」 になるという、なんとも不思議な体験をしました。
 いつもなら質問をする側なのに、質問をされて答えるという疑似体験のような感覚を覚えました。


 それから10年後、僕は温泉ライターとして、数々の温泉本を出版しました。
 すると方々から取材の申し込みが入るようになりました。
 温泉をテーマに、新聞や雑誌はもちろんのこと、だんだんとテレビやラジオの番組からも出演のオファーをいたたくようになりました。

 テレビではニュース番組のコメンテーターを、ラジオでは自分の番組のパーソナリティーを務めさせていただいたこともあります。


 では、「する側」 と 「される側」 の心理とは、相反するものなのでしょうか?

 これが、相乗効果が生まれることに気づきました。
 「される側」 を経験することにより、「する側」 の心構えが変わりました。

 たとえば……
 「こんなことを聞いてほしい」
 「こんな風に書いてほしい」
 という 「される側」 の心の声が聞こえてくるのです。

 また取材内容とは別に、雑談の中で、その人なりの個性を見つけることもあります。
 これも 「される側」 の心理を知ったからこそできる取材のテクニックだと思います。


 数年前のこと。
 僕は新聞社からの依頼で、さる東京に本社を構える大企業のCEOを取材することになりました。
 取材場所は、群馬県内の別荘。

 この時点で、僕の緊張は始まっていました。
 まず、相手が有名人であること。
 そして、大金持ちであること。
 (僕は貧乏人ゆえ、金持ちに対して多大なるコンプレックスを抱いています)

 それでも “自分は取材のプロだ!” と言い聞かせ、鼓舞しながら別荘へ向かいました。
 もちろん、CEOが直前に出版した著書 (自叙伝) は、しっかり読破してからの万全の取材です。


 ところが、別荘に到着すると、緊張はマックスを迎え、体がガチガチと震え出してきました。
 そうです!
 別荘を見て、生来の貧乏人の金持ちに対するコンプレックスが、弱音を吐き出したのです。

 暖炉のあるリビング、ふかふかのソファー、壁一面にそびえる書架……

 何もかもが、僕の日常と違い過ぎます。
 <きっと、何を聞いても答えてもらえない。鼻で笑われしまうに違いない>
 完全に僕は、 “いじけモード” に入ってしまいました。


 コーヒーが出される間、何気に書架を眺めている時でした。
 見覚えのある背表紙が目に付きました。
 しかも、2冊並んで……

 なんと、僕の著書 (温泉本) だったのです!

 「ありがとうございます。私の本も置いていただいて」
 と、ごあいさつすると、CEOの方が驚かれました。
 「えっ、この本の著者なんですか? 私は温泉が好きでしてね、群馬にいる時は、この本を参考にして温泉めぐりを楽しんでいるんですよ。うわぁ~、光栄だな! 大好きな本の著者から取材を受けるなんて! 今日は、よろしくお願いいたします」

 その一言で、一瞬にして僕の劣等感は吹っ飛び、温泉の話をきっかけに、その後の取材もスムーズにいきました。


 「する側」 と 「される側」 の心理とは、実に微妙で繊細なのであります。
   


Posted by 小暮 淳 at 10:36Comments(0)取材百景

2021年08月17日

軍歌巡礼


 ♪ さらばラバウルよ また来るまでは
   しばし別れの涙がにじむ
   恋しなつかし あの島見れば
   椰子の葉陰に 十字星 ♪


 終戦記念日から2日経った今も、頭の中では軍歌が鳴り響いています。
 たぶん、盆中に戦争映画ばかり観ていたからだと思います。

 なぜ真珠湾を攻撃することになったのか?
 なぜ戦艦大和は沖縄に、たどり着けなかったのか?
 なぜ原爆は広島と長崎に投下されたのか?

 戦後生まれの僕には、疑問と興味が尽きません。


 ♪ ここは御国を何百里
   はなれて遠き満洲の
   赤い夕陽に照らされて
   友は野末の石の下 ♪


 なんで僕は軍歌を歌えるんでしょうか?
 『ラバウル小唄』 にしても 『戦友』 にしても、全文とはいいませんが、一番の歌詞くらいは覚えています。
 でも、誰かから教わった記憶はありません。

 死んだオヤジは戦争が嫌いでしたから、絶対に軍歌など歌う人ではありませんでした。
 なのに息子の僕が歌える……

 なぜなんだろう?
 この数日間、どこで覚えたのか? 誰から教わったのか? そればかり考えていました。
 でも、やはり記憶のどこにも心当たりはありません。


 ♪ 貴様と俺とは 同期の桜
   同じ兵学校の庭に咲く
   咲いた花なら散るのは覚悟
   みごと散ります 国のため ♪


 そんな折、線香を上げに実家へ行ったときでした。
 アニキが、「面白いモノが出て来た」 と言って、カード大の小さな紙切れを仏壇から取り出しました。

 オヤジの身分証明書です。
 発行年は、「1949」 と印字されています。
 終戦から4年後ですが、その表記は元号ではなく西暦です。

 そして、表記されている言語も、すべて英語でした。


 オヤジは昭和20年8月15日、静岡県の連隊で終戦を迎えています。
 そのことは、子どもの頃から聞かされていました。
 終戦後、郷里の群馬に帰り、英語が堪能だったこともあり、進駐軍で通訳をしていたということです。

 「オヤジ、若いね」
 「ああ、25歳だからな。オレもお前も生まれる前のオヤジだ」
 添付されている若き日のオヤジの顔写真は、気のせいでしょうか、なんとなく日本人離れした端正な顔立ちをしていました。

 「もっとオヤジに、オレたちが生まれる前のことを聞いておけばよかったな」
 「そうだね」

 でも僕は生前、認知症が悪化する前のオヤジにインタビューをしています。
 今も手元に膨大な量のカセットテープが残されています。
 いずれ、これらを文章に……
 と思ってはいるのですが、なかなか実行が伴わないのが現状です。
 ※(インタビューの様子は当ブログ内の 「オヤジ史」 で検索)


 ♪ 徐州徐州と人馬は進む
   徐州 居よいか住みよいか ♪


 ともあれ、なぜ軍歌が歌えるのかについては、依然不明であります。
  


Posted by 小暮 淳 at 13:01Comments(2)つれづれ

2021年08月16日

怪談 「猫の怨念」 他一話


 今日8月16日は盆明け、送り火の日です。
 今頃、ご先祖様たちは、ナスの精霊牛に乗って、黄泉の国へ帰る準備をしていることでしょう。

 お盆最後の日ということなので、今年も恒例の怪談話をお届けします。
 身の毛もよだつ、恐ろしい生き物たちの話です。



 【亀の呪い】

 ある村のはずれに廃寺があり、境内の奥に小さな池がありました。
 この池には、何万年も生き続けているという大きな亀が棲んでいました。
 でも誰一人、この亀の姿を見た者はいませんでした。

 ある夕暮れ時のこと。
 一人の若者が、この廃寺の前を通りかかると、ガサゴソ、ガサゴソと草を踏みしめるような音が聞こえてきました。
 「もしかしたら伝説の亀が現れたのかも……」
 と若者は、恐る恐る池に近づきました。
 すると、池のほとりの草むらの中から長い鎌首を持ち上げた大きな亀が、こちらをにらめつけています。

 「で、で、出た~!」
 大声を上げた途端、若者は腰を抜かして、動けなくなってしまいました。
 「もうダメだ、おいらは、あの亀に食い殺されてしまう」
 と覚悟を決めて、念仏を唱え出しました。

 ところが、一向に亀は、こちらへやって来ません。

 ノッソ……ノッソ……

 それを見て、若者は言いました。

 「亀の歩みは “のろい”」



 【猫の怨念】

 大阪・道頓堀の一角に大きな屋敷がありました。
 夜、その屋敷の前を通ると、赤ん坊の泣き声が聞こえてくると噂になっていました。

 ある晩のこと、酔っぱらいが屋敷の前を通りかかりました。
 「オギャー、オギャー」
 屋敷の中から赤ん坊のような泣き声が聞こえてきます。
 「こんな夜中に、赤ん坊が一人で庭にいるわけがない。どれどれ、確かめてやろう」
 と酔っぱらいは、塀をよじ登りました。
 そして、塀の上から屋敷の中をのぞくと……

 一匹の黒猫が、こちらを見て、鳴いています。
 「オギャー、オギャー」
 酔っぱらいは言いました。

 「そこに猫が “おんねん”」


 おあとが、よろしいようで。
 チャンチャン!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:38Comments(2)謎学の旅

2021年08月15日

湯守の女房 (25) 「ふるさとを持たない都会の人たちが、また戻りたくなる宿づくりを心がけています」


 たんげ温泉 「美郷館」 中之条町


 四万温泉 (中之条町) へ向かう四万川沿いを走る国道353号から離れ、支流に沿った県道を行く。
 沢渡温泉の手前からエメラルド色した清流、反下(たんげ)川をさかのぼること約5キロ。
 やがて、うっ蒼とした国有林の中に、入り母屋造りの一軒宿 「美郷館(みさとかん)」 が見えてくる。

 「宿のまわりには昔ながらの自然が残されています。みなさん、この環境を気に入られて来られます」
 と、出迎えてくれた女将の高山純子さん。
 玉村町生まれで平成11(1999)年に主人の弘武さんと出会った。
 9ヶ月間の交際で結婚し、旅館に入った。


 地元で林業会社を経営している弘武さんの父の光男さんが、山村の活性化のため、昭和の時代から人知れず湧いていた温泉を引いて同3(1991)年に旅館を建てた。
 経営は人に任せていたが、同12(2000)年の改築を機に、次男の弘武さんが板前修業から戻って宿を継ぐことになった。

 「だから、どうしても私との結婚も急ぐ必要があったんですよ。『ただ笑っているだけでいいから』 『旅館は楽しいよ』 なんてうまいことを言われて、山の中までついて来ちゃいました」
 と笑う。


 それまで会社員だった純子さんにとって、旅館業はずぶの素人。
 経験豊かな仲居さんたちに教わりながら、見よう見まねでやってきた。

 3人の子どもも、子守りをしながら旅館に泊まり込んで育てた。
 当時を知るお客さんから 「あの時の赤ちゃんは、大きくなったでしょうね」 と声をかけられることも。


 何度訪ねても、ロビーの造りには息をのむ。
 ふた抱えもありそうな大黒柱や梁(はり)、垂木(たるき)が圧倒的な存在感をもって出迎えてくれるのだ。
 ケヤキに惚れ込んだ父がえりすぐった木を、木挽(こび)き職人が3年かけて手でひいた。
 その材木を宮大工がクギを使わずに組んでいる。
 改めて木目の美しさに見入ってしまった。


 「こちらがお金をいただいているのに、お客さまの方から 『ありがとう』 って言っていただいた時、ああ、このやり方で間違っていなかったんだと、うれしくなりますね。地方にふるさとを持たない都会の人たちが、また戻りたくなる宿づくりを心がけています」

 そのかいあって、宿泊客の8割はリピーターだという。
 オープン以来、日帰り入浴客を受け入れていないのも、宿泊客を大切にしするからだ。

 草津温泉、四万温泉という大温泉地の近くにありながら、自分だけのやすらぎの場を求めて小さな秘湯を訪ねる浴客の気持ちがよく分かる。


 <2012年5月9日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:57Comments(0)湯守の女房

2021年08月14日

森にクーラーを


 「命にかかわる暑さです」
 「日中の外出は控えてください」
 「クーラーを有効に利用して、屋内で過ごしてください」

 連日、テレビのニュース番組では、キャスターが繰り返し視聴者に呼びかけています。


 35℃以上の体温を超えるような “猛暑日” が続いています。
 昔、昭和の頃は真夏でも30℃を超える日は稀でした。
 それが、いつのまにか当たり前となり、40℃に届く勢いです。

 気象用語で、25℃以上を 「夏日」 といい、30℃以上を 「真夏日」 といいます。
 ということは昔は、どんなに気温が上がっても、すべて 「真夏日」 だったわけです。

 いったい、いつから頻繁に35℃を超えるようになったのでしょうか?

 調べました!
 平成19(2007)年に気象庁が 「猛暑日」 を定めています。
 ということは、14、5年前から急激に地球の温暖化がエスカレートしたようです。


 過日、国連の 「気候変動に関する政府間パネル (IPCC)」 が報告書を発表しました。
 これによると、気候変動は間違いなく “人間の活動が引き起こしたもの” で、世界のあらゆる地域で “異常な豪雨や熱波による山火事の発生” に影響を与えていると説明されています。

 地球温暖化の原因は、「人間だ!」 と人間が認めたことになります。


 で、僕は思いました。
 人間は人間の暮らしを快適に保つために、“クーラー” を発明しましたが、同じ地球に暮らす野生動物たちは、どうしているんだろうと?
 動物園で飼育されている動物たちは、人間の管理のもと屋内の涼しい場所で過ごしたり、氷の浮いた水槽で遊んでいる光景を目にします。
 でも自然界には、逃げ場はありません。

 だから調べました!
 当然、野生動物も人間と同じように、気温が体温より高くなると危険な状態になり、夏バテもするし、熱中症にもかかるようです。
 たぶん、木陰や水辺、土の中でジッと過ごしているのでしょうが、問題は食事です。
 草食動物は問題ないにしても、肉食動物にいたっては死活問題です。

 夏バテ、熱中症では、狩りはできません。


 地球温暖化の原因をつくった人間は、これら地球上に暮らす、人間以外の生きとし生ける生物に対して、ちゃんと生活を保障してあげられるのでしょうか?
 人間だけが快適に暮らせれば良いというものではありません。
 (森林火災で焼け出されたコアラの映像には、胸が痛みました)

 どうか、人間の手で、元の地球に戻してあげてください!
 すぐには元に戻せないなら、森や草原にもクーラーの効いた避難所の設置をお願いします。


 まん防で暇を持て余しているため、今日も地球規模の妄想をしてしまいました。
    


Posted by 小暮 淳 at 12:35Comments(0)つれづれ

2021年08月13日

スマホなき戦い


 最近、頻繁に携帯電話会社からのDMが届くようになりました。
 封筒にはデカデカと、こう書かれています。

 <ご利用中の携帯電話に関する重要なお知らせ>

 なんでも現在、僕が利用しているガラケーの修理ができなくなるというのです。
 ついては、<お早目の機種変更をお願いいたします> との内容でした。

 早い話、「いつまでもガラケーなんか使ってないで、さっさとスマホに変えろ!」 という脅迫手紙なのであります。


 でもね、僕のガラケーは、どっこも不具合はないし、快適そのものです。
 しかも、ガラケーの通信が終了するのって、まだまだ2年半も先のことです。

 あわてることなんて、ありませんって!
 どうして世の中って、右向け右で、人と同じに生きようとするんですかね?
 みんな同じなら、人間やってる意味なんて、ありませんって!


 先日、フリーアナウンサーでタレントの徳光和夫さんがテレビで、いまだに携帯電話を待たずに生活していることを話していました。
 何の不自由もないとのことです。
 この話を聞いた僕の友人は、「芸能人だからだよ。マネージャーが全部連絡を取ってくれているんだよ」 と言いました。

 でも、僕の身近なところにも、スマホのみならず携帯電話すら持たない人がいます。
 はい、実の兄です!
 彼は一度も携帯電話を持ったことがありません。
 それでも長年、自営業を続けています。
 すべては固定電話と留守電で対応しているのです。

 それでも 「不便ではない」 と言います。
 (まわりの人は不便のようですが……)


 つい最近、ひじょ~うに気になる事件がありました。
 東京の電車内で男が刃物を振り回して、次々と乗客を切りつけたという殺人未遂事件です。
 この時、最初の被害者である女性に、刃物を持った男が近づくことに、乗客は誰も気づかなかったといいます。

 な~んでか?

 みんなスマホに夢中で、下を向いてたからでした。


 僕も時々、電車に乗りますが、確かに車内は異様な光景を呈しています。
 老若男女問わず、9割以上の人がスマホをいじっています。
 (残りの1割の人は、居眠りをしているか、稀ではありますが読書です)

 この光景って、ヘンじゃありませんか?
 いえいえ、ヘンを通り越して、何かに “洗脳” されているようにも見えます。

 もしかしたらスマホって、宇宙人が地球戦略をもくろみ、地球人同士のコミュニケーション能力を低下させるために持たせた洗脳機器なのではないでしょうか?


 まん防で日々、暇を持て余している僕は、1通のDMから壮大な宇宙戦争まで妄想してしまいました。

 スマホなき戦いは、つづく……
   


Posted by 小暮 淳 at 12:41Comments(0)つれづれ

2021年08月12日

赤兎馬は万里を越えて


 「弟子の会」 から 「赤兎馬」 が届きました。


 「赤兎馬(せきとば)」 とは、鹿児島県の芋焼酎です。
 一時は、なかなか九州から外へは出回らなかったため、“幻の芋焼酎” なんて呼ばれたこともあったそうです。
 ですから当時はまだ関東地方の酒屋や居酒屋では、大変珍しいお酒でした。

 僕が赤兎馬に初めて出合ったのは、今から7年前のこと。
 その時の感動をブログに、こう記しています。
 <水のような口当たりなのに、すぐに芳醇な旨みがググーっと口の中いっぱいに広がって、飲み干した後も、やわらかな甘みの余韻がズーっと口の中に残っているのであります。>
 (当ブログの2014年7月14日 「赤兎馬の酔夢」 参照)


 「弟子の会」 とは、なぜか僕のことを “先生” とか “師匠” とか呼ぶ殊勝な読者の集まりです。
 講演やセミナー、著書、ブログ等を通じて知り合った面々が、互いに連絡を取り合い、定期的に僕を囲んで酒を酌み交わしながら温泉談議を楽しんでいます。
 発足から今年で丸5年になります。


 赤兎馬は、そんな弟子たちからの誕生日プレゼントでした。
 「先生はケーキより酒でしょ!」
 とのことのようです。

 「先生、泣かないでよ、涙もろいんだから!」
 と言われて、その場では泣きませんでしたが、家で一人、赤兎馬のボトルを開け、グラスに注いだ時、ポロリと目から熱いしずくが流れ落ちました。


 ありがとう!
 持つべきものは、弟子であります。

 何にも伝授するものはありませんが、これからも一緒に温泉の楽しさを追求していきましょうね。


 「赤兎馬」 の由来は、三国志に登場する名馬の名前です。
 1日で千里走るといいます。

 中国には、こんなことわざもあります。
 <縁ある人は万里の長城を越えてでも会いに来る>

 まさに縁とは、異なもの不思議なものです。
 でも縁は偶然などではなく、万里の長城を越えた時点で、必然へと変わります。


 今宵も赤兎馬に乗って、酔夢の旅へ出かけたいと思います。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:48Comments(0)酔眼日記

2021年08月11日

8月口演 中止のお知らせ


 依然、新型コロナウイルスの感染拡大が続いています。
 群馬県にも、また 「まん延防止等重点措置」 が適用されてしまいました。
 期間は8月いっぱいです。
 現在、県民には引き続き、不要不急の外出自粛が求められています。

 ということで、とっても残念ではありますが、毎月恒例で開催している 「神社かみしばい」 の8月口演 (8月15日予定) は中止させていただくことになりました。

 毎回、楽しみにしていただいているファンのみなさん、ごめんなさい!
 来月は、さらにパワーアップして、新作紙芝居の上演も準備していますので、ぜひ、ご家族、友人知人をお誘いのうえ、ご来社ください。

 宮司をはじめ、スタッフ一同、お待ちしております。



     「神社かみしばい」 9月口演
 
 ●日時  2021年9月19日(日)
       10時、11時、12時、13時 ※雨天の場合は屋内開催
 ●会場  伊勢崎神社 境内 (群馬県伊勢崎市本町21-1)
 ●入場  無料 (投げ銭制) ※ペイペイ可
 ●問合  壽ちんどん宣伝社 TEL.090-8109-0480
  


Posted by 小暮 淳 at 11:39Comments(0)神社かみしばい

2021年08月10日

湯守の女房 (24) 「歴史ある温泉と旅館を守っていかなくてはならない」


 八塩温泉 「神水館」 藤岡市


 神水館(しんすいかん)本館は、昭和6(1931)年の創業時に建てられた。
 同28年に地元産の太い木材をふんだんに使って別館を併設し、全体を桃山風建築の趣(おもむき)にした。

 本館の玄関を入ると、長い廊下沿いのガラス窓一面に、神流川(かんながわ)が悠々と横たわって見えた。
 両岸の岩盤が断崖をつくる。
 一帯は昔から変わらず四季折々の表情を見せ、宿を包み込む。
 「映し絵の宿」 と呼ばれるゆえんだ。

 すぐ川向かいは埼玉県。
 約7キロ上流には国の名勝・天然記念物の三波石峡(さんばせききょう)がある。


 「ここからの景色が気に入られて、毎月のように通われて来るお客さまもいます」
 と4代目女将の貫井美砂子さん。
 旅館の4姉妹の次女に生まれ、昭和37(1962)年に主人の秀彦さんと結婚し、女将になった。

 「私にとって旅館は家庭の延長。生まれ育った場所ですから、何も特別なことではありません」


 神流川の支流沿いに古くから8つの塩泉が湧き、「塩の湯八ツ所」 と呼ばれたため八塩(やしお)の名が付いたという。
 塩分濃度の高い鉱泉だったので、戦時中、食塩を精製したこともあった。
 なるほど、入浴すると皮膚に塩分が付き、保温効果がある。

 内風呂には、源泉を加熱した温浴用と、源泉そのままの冷浴用の2つの浴槽がある。
 交互に入浴すると、神経痛、筋肉痛などの効能を高めるとされている。
 ただし、源泉の温度は約15度と冷たく、入浴には覚悟がいる。


 若女将の恵理香さんは神流町生まれ。
 税理士事務所に勤めていて旅館に出入りし、長男の昭彦さんと知り合った。
 13年前に結婚し、主に経理を担当している。

 「私は接客が苦手なので、感情が顔に出てしまうことがあるんです。どんな時でもテキパキとこなす女将のようには、なかなかできません。日々勉強をしています」

 結婚が決まった時、「本当なの?」 って、親戚や近所の人たちに言われたという。
 「歴史ある温泉と旅館を守っていかなくてはならない。ああ、すごいところへ行くんだと、実感しました」
 そう若女将が言うと、女将がすかさず、
 「力まず自然でいいのよ。あなたにはあなたの良いところが、いっぱいあるんだから」
 と声をかけた。

 「うちは女将が顔なんです。まだまだ私の出る幕はありません」
 と、今度は若女将が言葉を継いだ。


 この風光明媚な景色は将来も変わらないだろう。
 やがて女将になった恵理香さんが、若女将と同じやりとりをしているのかも知れない。
 そう想像し、愉快な気分になった。


 <2012年4月25日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 12:05Comments(0)湯守の女房