温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2016年06月29日

栃尾又温泉 「自在館」


 医学的に治療効果のある温泉水を療養泉といいます。
 温泉法では、その主成分により9つの泉質に大きく分類されています。
 単純温泉、二酸化炭素泉、炭酸水素塩泉、塩化物泉、硫酸塩泉、含鉄泉、硫黄泉、酸性泉、放射能泉です。

 このうち8つの泉質の温泉が、群馬県内にあります。
 唯一、存在しないのが放射能泉です (微量の放射能を含む温泉はあります)。

 “ない” ということは、海と同じで、県民にとってはあこがれの温泉だと言っていいかもしれませんね。


 放射能泉は日本には珍しい泉質で、全国に数えるほどしかありません。
 が、僕が講師を務めるNHK文化センターの野外温泉講座では、過去に増富ラジウム温泉(山梨県) へ行っています。
 昨日は、久しぶりに放射能泉に入りたくなり、受講生らと新潟県の栃尾又温泉へ行って来ました。

 栃尾又温泉の歴史は古く、約1,200年前に高僧行基により発見、開湯されたと伝わります。
 今回、お世話になった 「自在館」 は、400年以上の歴史を持つ昔ながらの湯治宿で、宿の隣に建つ薬師堂の 「子持ち杉」 の言い伝えとともに、「子宝の湯」 として知られています。

 僕も受講生らも、「自在館」 を訪ねるのは初めて。
 最初に出迎えてくれる本館には、「日本秘湯を守る会」 の提灯が掛かっていました。
 道をはさんだ向かいには、大正時代に建てられた木造三階建ての旧館があり、双方は中空をつなぐ渡り廊下で行き来することができます。

 雰囲気は、やはり 「日本秘湯を守る会」 の会員宿である法師温泉 「長寿館」(群馬県みなかみ町) に似ていますね。
 どちらも歴史がある、日本を代表する秘湯の宿です。


 大広間で旅装を解いてから、男性は 「おくの湯」 へ、女性は 「したの湯」 へと分れて入浴することに。
 本館から渡り廊下をわたり旧館へ。旧館からはサンダルに履き替えて、離れの浴室棟へ。
 その行程が、平成から昭和、昭和から大正へと時代をさかのぼるようで、実に湯心をかき立てるのであります。

 「おくの湯」 の浴槽は3つに仕切られていて、真ん中が約30℃の低温、手前が約37℃の中温、奥が40℃以上に加温されています。
 源泉は28.5℃~37.2℃の3本あるとのこと。
 放射能泉の多くは25℃未満が多いのですが、こちらは比較的高い温度で自然湧出しているので、大変珍しい放射能泉といえます。

 以前行った増富温泉に比べると、湯は無味無臭で、肌触りもサラサラとしたやわらかな感覚を受けました。
 ただ、いくらやさしい湯だといってもラジウムを含んだ温泉です。
 ぬるいからと長湯をし過ぎると、湯あたりをしかねません。

 やはり湯上がりは、ドッと汗が吹き出てきて、なかなか服が着れませんでした。
 ただ僕個人の感想としては、増富温泉ほど体がダメージを受けていませんでしたね。
 あの時は、帰りのバスの中で、背骨を抜かれ体全体が重力に押しつぶされたようにグズグズにくずれていましたから……。

 これは後から分ったことですが、放射能泉は泉温が低いほどラジウムの含有量が多く、増富温泉は含有量が世界有数だということです。


 さて、次回の温泉講座は?
 受講生のみなさん、楽しみにしていてくださいね。
  


Posted by 小暮 淳 at 13:58Comments(2)温泉地・旅館

2016年06月27日

編集長は、どこへ行った?


 今日は朝から晩まで丸一日、群馬テレビの撮影ロケに同行して、群馬県内を東奔西走してきました。

 群馬テレビといえば、僕は4年間、夕方のニュース番組 『ジャスト6』 にコメンテーターとして出演していました。
 その時の肩書きは、「温泉ライター」 です。
 昨年4月から始まった知的バラエティー番組 『ぐんまトリビア図鑑』 では、アドバイザーをしています。
 ここでの肩書きは、「フリーライター」 です。

 で、『ぐんまトリビア図鑑』 には時々、番組にも出演しています。
 そこでの肩書きは、「トリビア博士」。
 という具合に、いつしか色々な顔を持つ、正体不明の色物師になってしまいました。

 で、今回は、さらに新たな肩書きが加わったのであります。
 その名も、「ミステリーハンター」!
 笑ってやってください。なんだ、それ?って!

 本人も今日まで知らなかったのであります。
 台本を見て、ビックリ仰天!
 「ミステリーハンターの小暮淳さんと、県内の不思議スポットをめぐります」
 だなんて……。

 と、いうことで今日は、親子ほど歳の違う安蒜幸紀(あんびる・さき) アナウンサーとともに、県内各地のミステリースポットを訪ねてきました。
 放送日は8月16日の予定ですが、詳しい情報は後日、ブログにて公開いたします。


 ところで、読者のみなさんは、「なんで小暮さんがミステリーハンターなの?」 と疑問を抱かれていることでしょうね。
 発端は10年前まで、さかのぼります。

 前橋市と高崎市の人なら、覚えているかもしれませんね。
 『月刊 ぷらざ』 という生活情報誌があったことを……。
 僕は2006年の廃刊まで、編集長をしていました。
 で、その雑誌に毎回、『編集長がゆく』 というエッセイを書いていました。

 テーマは、ミステリー。
 毎号、文末は必ず <謎学の旅はつづく> という決まり文句で締めくくっていました。

 あれから10年。
 あの時の謎が、今度は映像という表現に姿を変えて、ふたたび読者(視聴者) の元へ届けられることになりました。
 なんて、不思議なことでしょう!
 そして、なんて幸福なことでしょう!

 編集長は、あれからどこへ行ったのか?
 そう、こうやって今でもミステリーハンターとして、謎学の旅を続けているのでした。
   


Posted by 小暮 淳 at 22:36Comments(3)謎学の旅

2016年06月26日

自分内投票


 EU(欧州連合) に残留すべきか離脱すべきかを問うイギリスの国民投票の結果は、離脱支持が過半数に達しました。

 「あれれ、小暮さん。今日はバカに話題が大きく出ましたね。国際情勢や世界経済について語るんですか?」
 と突っ込まれそうですが、いえいえ、違うんです。
 僕はイギリスにもEUにも、まったく興味がありません。

 ただね、「残留」 と 「離脱」 という言葉が、引っかかったんですよ。
 残留とは、すなわち 「今のままが良い」 ということ。
 そして離脱とは、「昔のほうが良かった」 ということです。

 さて、残留か離脱かを、自分の人生に当てはめてみたらどうなるのでしょうか?
 と思い、さっそく自分内投票を行いました。
 結果、8対2で残留派が圧倒的多数を占めました。

 何回も何回も自問自答をしたんですよ。
 「体力的には10代の頃が良かったかな」 とか 「精神的には30代が楽しかったかな」 とか 「経済的には40代が豊かだったかな」 とか、いろいろな意見が出ましたが、「やっぱり今の自分が好き」 という心の声が大きかったのであります。

 ぜひ、みなさも、この機会に自分内投票を行ってみてくださいな。


 でもね、これが、こと温泉になると、結果は逆転します。
 僕の中の離脱派が、過半数を占めるわけです。

 現在の観光化された温泉地のままが良いのか? 昔のような湯治場としての温泉地を残すべきか?
 残留か、離脱か。

 すべての温泉地を湯治場に戻すことは不可能でも、一部を湯治場として再生することは可能だと思うのです。
 昨年、僕がNPO法人を立ち上げたのも、そんな一部の温泉地を後世に残したいと思ったからなのです。

 観光旅館としては残れないけれど、湯治宿としては残れる温泉場が、群馬にはたくさんあるのです。
 ただ、消えていくスピードが速過ぎて、時間はありません。
 消えゆく温泉を守るためには、多くの人の力が必要です。
 ぜひ、力を貸してください。
 1つでも多くの温泉宿に泊まってほしいのです。
 よろしくお願いいたします。

 “入って残そう群馬の温泉”
  


Posted by 小暮 淳 at 13:24Comments(0)温泉雑話

2016年06月24日

伊香保温泉 「塚越屋七兵衛」


 伊香保温泉は、坂の多い街です。
 中心街を東西に通る県道(通称:一文字通り) を境に、すべての脇道は、南に “上り坂”、北に “下り坂” となります。
 いったい、いくつの坂道があるのか分りませんが、名の付いた坂道には、たいがい有名旅館が立ち並んでいます。

 一文字通りの北、石段街の手前に、「かみなり坂」 という長い下り坂があります。
 なんともユニークなネーミングですが、その昔、このあたり一帯を 「雷(らい) の塚」 と言ったことから名づけられたようです。
 地元の人の話では、雷様の通り道で、とても雷の多い土地とのことでした。
 そのせいか、この通りにある旅館には必ずといっていいほど、鬼(雷様) の置物が置かれています。


 かみなり坂を下って、最初の旅館が 「塚越屋七兵衛」 です。

 「あれ、そこは、ガーデンじゃねぇ?」
 と思った人、かなりの伊香保通であります。
 確かに以前は、「ホテル伊香保ガーデン」 と名乗っていました。

 「じゃあ、つぶれて、経営者が変わったんだ」
 と思った人もいるかもしれませんが、それは違います。
 前の屋号に戻しただけなんです。

 「塚越屋七兵衛」 の創業は、文久年間(1861~1864) の江戸末期といいますから、創業は今年で152年になります。
 石段街で 「塚越旅館」 として開業されました。
 昭和38年(1963) に、現在の場所に新館 「伊香保ガーデン」 が建設されました。
 同42年、旧館の「塚越旅館」 が廃業。
 そして平成16年、創業者の名である 「塚越屋七兵衛」 に屋号が変更されました。

 現在の女将、塚越左知子さんで6代目になります。
 昨晩は、女将のご厚意により泊めていただきました。


 さて、ここで問題です。
 ここの湯の色は、何色でしょうか?
 ヒントは、150年の歴史がある石段街で創業した旅館です。

 以前も書きましたので、温泉フォンの読者は、すぐに分りますよね。
 正解は 「黄褐色」 です。

 伊香保温泉には、「黄金(こがね) の湯」 と 「白銀(しろがね) の湯」 という2種類の源泉が湧いていますが、透明の 「白銀の湯」 は平成になってから湧いた新しい源泉です。
 しかも、昔から湧いている「黄金の湯」には、現在でも湯権制度がありますから、すべての旅館が源泉を引けるわけではありません。
 同館は、現在9軒ある源泉所有者の1軒であります。


 ということで、夕食の前に、しっかりと黄金の湯を浴(あ)んできました。
 温度の高い “あつ湯” と、低めの “ぬる湯” の2層式になった浴槽は、申し分ない構造です。
 あつ湯と、ぬる湯を交互に入りながら、改めて伊香保の湯の素晴らしさを実感しました。

 結局、夕食の時間まで我慢できずに、湯上がりにラウンジで生ビールをいただいてしまいました。
 いつものことですが……(苦笑)
  


Posted by 小暮 淳 at 18:47Comments(0)温泉地・旅館

2016年06月22日

そして父だった②


 「あれ? 白髪、増えたね」
 先月結婚して、所帯を持った長男が、ひょっこりと顔を出しました。
 僕の顔を見るなり、開口一番、そう言ったのです。

 「増えたんじゃないよ。染めるのやめたんだ」
 「ふ~ん、なんで?」
 「別に理由はないけど、なんとなく。お前も結婚したことだし」
 「えっ、俺の結婚と関係あるの?」
 ※(2016年6月6日 「ありのままの白」 参照)

 「今日は仕事、休みなのか?」
 「うん」
 「なんか用か?」
 「いや……、マロに会いにきた」
 そう言うと、さっきから息子にジャレついている犬のマロを抱きしめ、猫可愛がりをはじめました。


 「やっぱり、結婚式、挙げることにした」
 「そうか」
 「来年の○月×日。だいぶ先だけど」
 「そうか」

 実は我が家は、僕ら夫婦も長女夫婦も兄夫婦も義兄夫婦も姪夫婦も、結婚式を挙げていません。
 理由はそれぞれで、偶然だと思うのですが、みんな形式ばったことはしていません。

 でも息子の場合、会社組織の中にいるので、しないわけにもいかないようです。
 もちろん、先方の親御さんの考えもあるでしょうから、こちらの考えを一方的に押し付けるわけにはいきません。
 息子夫婦が決めたことに、したがうだけです。

 えっ、でも、ということは、披露宴の最後に、「両家を代表して新郎の父からご挨拶」 っていうやつがあるわけですかね?
 うわ~、そう思っただけで、今から緊張してきました。

 なに? 日頃から講演やセミナーをやっているのだから、人前で話すのは慣れているだろうって?
 いえいえ、勝手が違い過ぎますよ。
 僕のスピーチは、身内用には、できていないんですって。
 いつだって、出たとこ勝負のフリートークですからね。
 話が脱線して、イヤミを言ったり、笑いを取ったりするわけにはいきませんもの。

 あ~~、急に憂うつになってきました。


 息子が帰った後、麦茶を飲もうと冷蔵庫を開けると……

 缶ビールが6本も入っているではありませんか!
 “父の日”
 とだけ書かれたメモが付いていました。

 もちろん銘柄は、「一番搾り」 です。
   


Posted by 小暮 淳 at 16:28Comments(0)つれづれ

2016年06月21日

マロの独白⑮ 夏は御用心!


 こんにちワン! マロっす。
 ここんちの飼い犬、チワワのオス、9才です。
 でも、来月には10才になります。
 人間でいえば、アラ還(60歳前後) でしょうか。
 いつしか、ご主人様と同世代のオッサン犬になってしまいました。

 お久しぶりでやんした!
 梅雨とは言え、しっかし毎日、暑いっすね。
 オイラ、夏が大のニガテなんすよ。

 えっ、「お前はメキシコ原産犬だろう!」 って?
 ま、先祖はそうですけど、オイラ自身は、埼玉生まれの群馬育ちですからね。
 埼玉といえば、熊谷。群馬といえば、館林。
 どちらも日本を代表する “ヒートスポット” ですけど、一向に、このクソ暑さには慣れませんって!

 だってオイラ、チワワといっても、毛の長い 「ロングコート」 っていう種類ですから。
 一年中、冬仕様なんすよ。
 とにかく、この毛皮が暑い!

 オイラたち犬族は、汗腺がありませんからね。汗は、かきません。
 そのぶん、ベロが長いんですよ。
 得にオイラは長いので、いっつもベロが出ています(口を閉じても出てます)。
 だから、昼寝をしていると、よく床にベロが張り付いてしまいます。
 (あれって、はがすのスゲー痛いんすよ)

 何よりも夏は、オイラの大嫌いな雷様がやって来ますもの。
 昨日だって、
 「おい、マロ! 散歩、行こう!」
 と、ご主人様が誘ってくださったのですが、
 「イヤでございます」
 と丁重にお断りいたしました。

 「なんだよ、ぼやぼやしていると夕立が来るぞ! 雲行きが怪しいから、雨が降る前に行ってきちゃおうよ」
 と言うご主人様には、まだ聞こえないのですね。
 オイラは犬ですよ。耳が人間の何十倍もいいんです。
 「ダメです! すでに来てます。ほら、鳴っているじゃありませんか!」

 それから、ものの5分と経たずにも、雷鳴をともなったゲリラ豪雨が通過していきました。

 「ね、ご主人様。オイラの言ったとおりでやんしょ!」
 「ていうか、マロ。お前、ビビッテいるのか? 全身が震えているぞ!」

 ご主人様のイケズ~!
 こんなときは、やさしく飼い犬を守ってほしいワン!


 いよいよ、これから夏本番っす。
 犬族のみなさん、夏は御用心ですぞ!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:37Comments(2)マロの独白

2016年06月18日

坂の途中のイチジクの木


 「中本」 と書いて、「チューポン」 と読みます。
 2本の前歯が大きくてネズミのよう、顔が丸くてタヌキに似ていたので、そう呼ばれていました。
 本人も気に入っていたようで、よく 「中本」 とサインをしていました。

 彼のあだ名です。


 チューポンとは、小学校の1年生から4年生まで同じクラスでした。
 彼の家は、利根川原に下りる坂の途中にあり、学校帰りに良く遊びに寄った思い出があります。

 勉強ができて、ユーモアがあったので、みんなの人気者。
 学校から近かった彼の家には、男女問わず、たくさんの同級生が集まっていました。

 手先の器用だった彼の部屋には、プラモデルが所狭しと飾られていたのを覚えています。
 特に飛行機が好きだったようで、天井から糸で何機も吊るされていました。

 部屋の窓を開けると、坂道に面して小さな庭があり、1本のイチジクの木が植えられていました。
 「イチジクの木はね、枝がもろいから登るんじゃないよ」
 そんなことを彼のお母さんに言われた記憶があります。

 僕は毎年、夏になると、そのイチジクの実を食べるのが、とても楽しみでした。
 実をもいだ時に出る、あのネットリとした白い樹液。
 そのたびに「おっぱいだ~!」 と言って、汚れた手を友だちになすり付けようとした記憶があります。

 最近は、めっきりイチジクの木を見かけなくなりました。
 でも、たまに見つけると、今でも “チューポンちのイチジク” を思い出すのです。
 あの甘く乳臭い味と匂いとともに……。


 彼とは同じ中学校に進みましたが、一度も同じクラスにはならず、部活動も別でした。
 高校も違ったため、その後の人生は、まったく接点がありません。
 時おり、共通の知人から近況報告が入るだけでした。
 大学卒業後は銀行に勤めたこと、結婚して家族と市内に暮らしていることなど。

 再会したしたのは2年前、中学の同窓会でした。
 実に、40年ぶりの再会でした。
 そして、それが最後となってしまいました。


 彼の名前を昨日の新聞で見つけました。
 「おくやみ欄」 でした。

 風の便りで、闘病生活を送っているとは聞いていましたが、まさかの訃報に、しばらくの間、新聞を握り締めたまま呆然と立ち尽くしていました。

 享年57歳。
 早過ぎるサヨナラです。

 ご冥福を心よりお祈りいたします。
   


Posted by 小暮 淳 at 22:44Comments(0)つれづれ

2016年06月17日

笑われた記憶


 イチロー選手、日米通算4257安打、おめでとうございます!

 とにかく、スゴイことです。
 本人は記者会見で、大リーグの記録に残らない “日米通算” について 「どうしたってケチがつくことは分かっている」 なんて言ってますが、世界一であることは間違いありません。
 安打数の内訳だって、日本1278本、米2979本と、アメリカでの本数のほうが圧倒的に多いのですからね。
 大リーグ通算3000安打だって、あと21本じゃありませんか!

 その調子で、ガンガン記録を伸ばしてほしいものです。


 でもね、嬉しさからなのか、悔しさからなのか、会見で目がうるんだ瞬間がありましたね。
 「僕は子供の頃から、人に笑われてきたことを常に達成してきているという自負はある」
 だなんて、泣かせます。

 あの、イチローでさえ、笑われていたのですから、凡人の僕などは、笑われっぱなしなのであります。


 <高校三年の三学期に入って、間もない時だった。担任の先生に職員室に呼ばれた。
  「お前だけ、まだ志望大学の願書が出てないぞ! どうするつもりだ?」
  (中略)
  「おい、どうなんだ! 聞いてんのか!」
  その言葉に気押されるように、思わず本音が口を突いて出てしまった。
  「は、はい。俺、歌手になります」
  忘れもしない。その時、職員室中に沸き起こった嘲笑の嵐を……。>

 これは、僕の処女エッセイ集 『上毛カルテ』(上毛新聞社) の 「まえがき」 の冒頭の文章です。
 で、その後の人生がどうなったかは、みなさんのご存知のとおりです。
 なんとかレコードデビューまでは漕ぎつけたものの、鳴かず飛ばずで都落ちして、現在に至ります。

 このへんがイチローと僕の大きな違いです。
 “笑われたこと” を “達成” できずに、“笑われっぱなし” なのであります。


 でも、不思議なことに 「笑われた記憶」 というものは、何十年経っても覚えているものですね。
 運動会で転んだことも、好きな女の子にフラれたことも、仕事で大失敗したことも……

 そのうちの1つでいいから、イチローのように達成して 「自負している」 と言ってみたいものであります。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:02Comments(2)つれづれ

2016年06月16日

伊香保温泉 「市川別館 晴観荘」


 こんなことって、あるんですね。
 僕は年に約100ヶ所、10数年にわたり、温泉旅館を取材して回っています。
 思わぬ出会いや偶然に遭遇することは時々ありますが、あまりにも多くの偶然が重なると、なにやら運命的な縁を感じるのであります。


 「市川別館 晴観荘」 は、明治初期に伊香保温泉石段街に開業した「市川旅館」 の別館として、昭和32年に建てられました。
 当時は近隣に旅館はなく、森の中の一軒宿で、まだ道路も整備されていなかったといいます。

 開業から60年経った今でも、環境は変わっていません。
 1万5,000坪という広大な敷地に、ポツンと建っています。
 ここが伊香保温泉であることを忘れてしまうほどの静かな森の中です。


 駐車場から木立のエントランスを抜けて、宿に近づくと、玄関脇に見覚えのある絵が掛かっていました。
 大きな布のタペストリーに描かれているのは、同館のマスコットキャラクターの 「水天宮」 です。
 この絵をデザインしたのは、友人のイラストレーター、飯塚裕子氏であります。
 館内に入ると、ロビーや売店にも、彼女がデザインしたキャラクターや文字がいっぱいでした。
 ※(彼女のことは、当ブログの2016年5月27日 「伊香保温泉 よろこびの宿 しん喜」 参照)

 と思ったらロビーの一角には、水彩画家の筑井孝子氏の画集販売コーナーがあり、廊下のいたるところに彼女の絵画が飾られています。

 さらに3代目女将の茶木万友美さんに案内された食事処の 「浅間」 という間には、版画家の野村たかあき氏の絵が何点も飾られているではありませんか!
 なんで、こんなにも友人や知人の作品ばかりが展示されているのでしょうか!?!?

 女将に訊ねても、彼女の趣味や知り合いからの紹介とのことで、まったくの偶然としか言いようがありません。


 そ、そ、そして!
 極めつけは、ご主人の茶木茂直さんとの雑談で判明した、共通の知人の数です。
 ご主人とは、まったくの初対面なのに、僕の小学校や中学校の同級生の名前が次から次へとポンポンと飛び出してきたのです。

 し、し、しかも!
 噂をすればなんとやらで、僕が泊まった昨晩、ご主人の元へ、同級生の1人から偶然にも電話がかかってきたといいます。
 「小暮さんが来られていることを話したら彼も驚いていましたよ」
 一夜明けた今朝、ご主人に告げられたときには、さすがに鳥肌が立ってしまいました。


 縁は異なもの不思議なもの。
 それでも、これだけの偶然が重なると、気味が悪いほどです。

 たぶん、こちらのご夫妻とは、いつか出会う運命だったのでしょうね。
  


Posted by 小暮 淳 at 19:08Comments(0)温泉地・旅館

2016年06月14日

来訪者あり


 「ごめんください。先生、おられますか?」

 土曜日の午前中。
 実家の中庭にイスを出して、アイスコーヒーを飲みながらくつろいでいる時でした。
 声のするほうに目をやると、門扉の向こうに初老の婦人が立っていました。

 用件を聞くと、60年前のオヤジの教え子だといいます。
 この日、前橋で中学のクラス会が開かれるために東京から帰省し、「先生に会いたくなった」 ので、わざわざ訪ねてきてくれたといいます。


 オヤジは戦後間もなくから、この地で英語と数学の塾を開業していました。
 彼女は、その第1期生だといいます。

 「だいぶ認知症が進んでいますからね。分らないかもしれませんよ」
 「いいんです。ひと目、先生に会いたいんです」
 「今、連れてきますから、お待ちください」
 そう言って、僕はオヤジを呼びに行きました。


 「せんせーーい! お久しぶりです。M・Yです。覚えていますか?」
 婦人はオヤジの手を取って、話しかけますが、声が小さくて聞こえないようです。
 「誰だい?」
 「じいちゃんの教え子のMさん(名字)。Yちゃん(名前) だよ」
 僕が耳元で大声で伝えると、
 「おおお、Yちゃんか!」
 「そうです。Yです。ああ、先生、覚えていてくださったんですね」
 と婦人は、涙を流していました。

 結局、僕がオヤジの隣に腰かけて、通訳ならぬ拡声器の役目をしながら会話をしました。
 「Yちゃん、大人になったな」
 「いやだ、先生。大人だなんて。今年75歳になるんですよ」
 「75歳かい! だもの、こっちは、もっと歳をとるわけだ」
 そう言って、元教師と生徒は、笑い合うのでした。


 その翌日のこと。
 僕が外出から実家にもどると、門扉の前に初老の男性が2人も立っていました。

 「もしかして、淳ちゃん?」
 「はい、そうですが、何かご用ですか?」
 「うわ~~!!! こーーーんなにも小さかったのにねぇ」
 と2人の男性は、僕を見て驚くのでした。

 「昨日のクラス会でね、Mさんが先生に会いに行ったと聞いてさ。俺たちも会いに来たんですよ」
 「NとKが会いに来たと、先生に伝えてください」

 そして前日と同じ光景が、始まりました。
 「おお、N君か! こっちはK君か! うれしいな~、会いに来てくれたのか」

 はたしてオヤジが3人のことを、本当に覚えているのかは分りません。
 たとえ覚えていたとしても、目がほとんど見えないので、今の顔は分らないはずです。
 そして3人に会ったことも、数分後には忘れてしまっているのです。

 でも、3人の記憶の中には今のオヤジが、若かった頃のオヤジの姿と共に刻まれたことでしょうね。

 ちょっぴりオヤジのことが、うらやましかった2日間でした。
   


Posted by 小暮 淳 at 20:57Comments(0)つれづれ

2016年06月13日

飲んで飲んで飲まれずに飲んで


 ♪ 月曜日はホームパーティーに呼ばれ
    手作り料理で芋焼酎を飲んだ
    火曜日は伊香保に泊まり
    湯上がりに生ビールを飲んだ
    水曜日は原稿書きに疲れて
    寝しなに冷酒を飲んだ
    木曜日は仲間と居酒屋に集まり
    生ビールと酎ハイを飲んだ
    金曜日は 『高崎バル』 に参加して
    5軒の店をハシゴして飲んだ
    土曜日はいつもの酒処 「H」 へ行って
    常連客としこたま飲んだ
    日曜日は介護に追われ
    親を寝かしつけてから一人酒を飲んだ
    チュラチュラチュラチュラチュラチュララ… ♪


 ということで、先週は飲み続けた1週間でした。
 いつもはそんなに飲まないんですけどね。
 暑かったのと、誘われたら断れない呑兵衛のスケベ根性のせいだと思います。
 でも、すべて美味しくいただきました。

 特筆すべきは、金曜日の 『高崎バル』 でしょうか!
 ご存知ですか? 僕は知りませんでした。

 「バル」 とは?
 スペインでは、手頃な小皿料理を食べられるコーヒースタンドやカフェ、バーや居酒屋が一緒になったようなお店を 「バル」 というんだそうです。
 で、高崎市では、3,000円で5枚つづりのチケットを販売して、期間中に街中を飲み歩いてもらおうというイベントを開催しています。
 なんと今回で10回目だそうです(ただし4日間限定、昨日終了しました)。

 でも、これが楽しいんですよ。
 1軒目は、とんかつ屋で揚げ物と生ビール。
 2軒目は、居酒屋でモツ焼きと酎ハイ。
 という具合に、ものの30分くらいで食べて飲んで、次の店へ向かいます。
 ラストの5軒目は、生ハムとワインで締めました。

 いわば “飲み食いラリー” なので、じっくり飲みたい人には向きませんがね。
 体力も必要なので、若い人が多かったようですよ。
 でも大変面白かったので、ぜひ、次回も参加したいと思います。


 さーて、今晩は……
 久しぶりに、休肝日にしようかな?
   


Posted by 小暮 淳 at 15:38Comments(2)酔眼日記

2016年06月11日

続・ぶらり水紀行


 高崎市のみなさ~ん、こんにちは!
 今日はエリア限定のお知らせです。
 (でも、ネットでバックナンバーが読めますので、高崎市外の人は検索してみてください)

 「ちいきしんぶん」(発行/ライフケア群栄) は、旧高崎市内に10万部(約9割の家庭や事業所) が無料配布されているフリーペーパーです。
 この冊子に僕は、『ぶらり水紀行』 という旅エッセイを連載していました(2007年6月~2010年8月)。
 一部が2011年1月に上毛新聞社から出版された 『ぐんまの里山てくてく歩き』 に収録されているので、市外にお住まいでも知っているかもしれませんね。

 で、このたび、6年間の沈黙をやぶって、“ぶら水” が帰ってきます!


 復活第1弾は、知る人ぞ知る県内最大級の名瀑を訪ねました。
 もちろん、従来のルールにのっとって、自宅から目的地まで一切、車は使いません。
 電車とバスなどの公共交通機関、および徒歩のみです。

 今回も、車で行けば駐車場から徒歩5分の距離を、たっぷり最寄りの駅から往復4時間の山道を歩きました。

 シリーズが始まった9年前は、僕もまだ40代後半でした。 
 同行のカメラマン氏にいたっては、40代前半でした。
 でも今は、お互い五十路の坂道を登っています。

 「このシリーズは、体力との勝負ですね」
 「でも、これがある限り、歩けますって」
 と、観瀑台の大岩の上で、日本酒で乾杯!

 苦あれば、楽あり。
 そして、駅にたどり着いた2人を待っていたものは!?!?!?
 思わぬサプライズに、狂喜乱舞するのでありました。


 『続・ぶらり水紀行』 は、7月1日号の 「ちいきしんぶん」 に掲載されます。
  


Posted by 小暮 淳 at 15:46Comments(0)取材百景

2016年06月09日

“淳” レギュラーのジュンジュンで~す!


 「小暮さーん! 今日はよろしくお願いしまーす!!」
 ラジオ局のロビーで、出番を待っている時でした。
 浅黒い男が脱兎のごとく駆け寄ってきて、いきなりムギュっと握手をして去って行きました。
 お笑いタレントでパーソナリティーの竹村淳矢さんであります。

 そうなんです。
 昨日は1年ぶりにエフエム群馬の 『G☆FORCE』 に出演してきました。


 「今日はスタジオに、“淳” レギュラーの小暮淳さんをお迎えしました。ジュンジュン、お久しぶりです」
 と、いつも元気な年齢不詳の美人パーソナリティー、櫻井三千代さんの紹介で番組はスタート。

 「今日は、おめでたい話が2つもあるんですよね」
 ハテナ、2つ?
 1つは、なんとなく察しがつきますが、もう1つはなんだろう……。

 「まずは、みなかみ温泉大使へのご就任、おめでとうございます」
 だと思いました。
 そう来ると思って、事前にコメントも用意しておきましたよ。

 「そして、もう1つ、息子さんのご結婚、おめでとうございます!」
 ギェッ! ギェギェギェーーー!!!
 なんで知ってるの?
 あっ、そーか! うかつだった。

 そーなんです。三千代さんは、いつも僕のブログをチェックしているのでした。
 とっさのフリに、ドギマギする僕。
 やっぱり、身内ネタは照れるものですね。


 でも、ここまでは前説、導入、枕であります。
 僕がスタジオに呼ばれた本題は、もちろん先月出版した新刊 『西上州の薬湯』(上毛新聞社) の本宣(本の宣伝) であります。
 たっぷり1時間にわたり、ときどき話が脱線しながらも、3人で楽しいトークショーを行ってきました。

 番組の聞き所は、ウォーリーならぬ 「竹村を探せ!」 かな!
 にごり湯の中で、浅黒い顔を探すのは難しいというアドリブネタであります。
 さすがは、お笑い芸人さん。
 笑いのツボを押さえていらっしゃいます。

 ぜひ、オンエアをお楽しみに!



 ●放送局  FMぐんま (86.3MHz)
 ●番組名  「G☆FORCE」
        月~水 12:00~14:55
 ●出演日  2016年6月27日(月) 13:00~
        「人間力向上委員会」
  


Posted by 小暮 淳 at 12:37Comments(2)著書関連

2016年06月08日

伊香保温泉 「森秋旅館」


 ♪ 青い目をしたお人形は
   アメリカ生まれのセルロイド ♪


 森秋旅館を訪ねるのは、今回で2度目になります。
 確か7~8年前に、JR発行の小冊子の取材で来ました。
 でも、あの時は日帰りでした。
 今回は、ゆっくり泊まって、じっくり話を聞いてきました。

 8代目女将の森田由江さんに出迎えられたロビーには、あの日と同じに童謡が流れています。
 「青い目の人形」 「しゃぼん玉」 「赤い靴」 「七つの子」 「雨降りお月さん」 ……

 誰もが子供の頃に聞いた、唄の数々。
 これらの唄は、大正から昭和にかけて書かれた詩人、野口雨情の作品です。
 雨情は、昭和3年と14年に群馬県を訪れ、そのたびに定宿にしていたのが森秋旅館でした。

 「雨情さんは最初、県の依頼で 『上州小唄』 の制作のために泊まられました。ところが、なかなか仕事がはかどらず、予定よりだいぶ長く泊まられていたそうです。次に来られたときに、前回は迷惑をかけたからと、お詫びのしるしに当館のために書いた 『伊香保新小唄』 を残されていきました」

 ロビーの片隅にある野口雨情コーナーには、雨情直筆の歌詞が書かれた大きな額が飾られています。


 明治元年創業。150年の歴史を持つ、伊香保屈指の老舗旅館であります。
 と、いうことは当然、湯は 「黄金(こがね) の湯」 ということになります。

 温泉通の人は、ご存知だと思いますが、伊香保温泉には2種類の源泉が湧いています。
 何百年と湧き続ける 「黄金の湯」 と呼ばれる茶褐色のにごり湯と、平成になってから使用している無色透明の 「白銀(しろがね) の湯」 です。
 そして 「黄金の湯」 は、昔から湯権制度により湯の権利を持つ小間口権者(源泉所有者) である老舗旅館のみに分湯されてきました。
 現在、9軒の所有者に、この伝統ある茶褐色の湯を使用する権利が与えられています。

 森秋旅館は、その9軒のうちの1軒です。


 「う~ん、極楽、極楽」
 と、カメラ目線を忘れて、惚れ惚れするにごり湯に、思わずうなってしまいました。
 「やっぱり、これぞ伊香保の湯ですな」
 カメラマンの存在なんて、いざ知らず。
 “湯の花まんじゅう”(伊香保では温泉まんじゅうのことを、そう呼びます) の皮のような茶褐色の湯の中で、存分に湯浴みを満喫しました。

 特筆すべきは、良くできた浴槽の構造です。
 内風呂も露天風呂も、ちゃんと湯口(注ぎ口) が奥にあり、湯尻(あふれる側) が手前にあります。
 これもすべて、豊富な湯量を持つ小間口権者の宿ならではの特権であります。

 ザバザバと惜しみなく、あふれ流れる湯に感謝しつつ、撮影の後は、お決まりの生ビールでカメラマンと乾杯をしました。
  


Posted by 小暮 淳 at 14:21Comments(2)温泉地・旅館

2016年06月06日

ありのままの白


 読者のみなさんに、報告があります。
 このブログにも時々登場する我が家の長男(24歳) が、先月、結婚しました。

 !(ビックリ)
 ! ! (驚き)
 ! ! ! (おったまげ)


 3ヶ月ほど前の深夜のこと。
 家族は滅多に訪ねて来ない、我が家2階の仕事場に、ノックの音が……。

 「ちょっと、いいかな?」
 夜中に帰って来るなり、息子が真面目な顔をして入ってきました。
 「なんだい? こんな時間に?」
 「オレ、結婚することにしたから」
 「えっ、いま、なんて言った?」
 「結婚するよ」
 「……」
 あ然とする僕。

 「だからさ、今度、彼女に会ってほしいんだ。それと、向こうの両親にも」
 「……」
 きっと僕は、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしていたに違いありません。

 「かあさんには言ったのか?」
 「うん、たった今」
 「だって、かあさんは寝ているだろう?」
 「だから起こして」
 彼は、よっぽど意を決していたようです。

 「で、なんだって?」
 「不機嫌だった」
 だろうな。家内にしてみれば、まさに “寝耳に水” の状態であります。

 「わかったよ。また、ゆっくり話そう」
 「でも、もう決めたから」
 その夜は、ものの数分で親子の会話は終わりました。


 でも、それからが早かった!
 翌週には、相手の女性がやって来て、翌々週には両家が会うことになり、「よろしくお願いいたします」「こちらこそ、お願いいたします」 と、祝いの儀が整ったのであります。

 人の縁とは、不思議なものです。
 人生とは、まったくもって筋書きのないドラマであります。
 思えば僕の人生は、その繰り返しです。
 来るものは、こばまず。
 時の流れに、身をまかすだけ。

 我が家は、またまた家族が増えてしまいました。


 で、息子の結婚を機に、僕は髪の毛を染めるのをやめました。
 えっ、何の脈絡があるのかって?
 ええ、なんだか急に、人生にあらがうのがイヤになってしまったんですね。
 ありのままでいようと……。

 長女も嫁ぎ、長男も所帯を持った。
 残るは、高校生の次女だけです。
 「おとうさんさ、髪を染めるのやめようと思うんだけど、いいかな?」
 恐る恐る訊くと、
 「わたしには関係ないし。好きにしたら。ただし、友達の前には現れないでよね」
 と、快諾(?) してくれました。

 そもそも僕が髪を染めているのは、次女とは11歳離れた長女の助言があったからなのです。
 「私たちはいいけどさ、チビ(次女) が可哀想だから、若くいてあげて」


 長男の結婚から1ヶ月が経ちました。
 僕の髪も、ありのままの白に近づいています。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:02Comments(5)つれづれ

2016年06月04日

昭和の親父と平成の父親


 北海道の山林で行方不明だった7歳の男児が、6日ぶりに発見され、無事に保護されました。
 大規模捜査の打ち切り寸前での朗報に、昨日は喜びの声が日本中で上がりました。

 奇跡、なんでしょうね。
 風雨をしのげたこと、飲み水があったことなど、好条件が重なったことが、今回の朗報につながったのだろうと思います。

 このニュースは、海外でも連日報じられていたといいます。
 ただし、日本の報道とは少し異なっていました。
 特に欧米では、親の “しつけ” のあり方が問われていたようです。


 悪いことをしたから “しつけ” として子供を置き去りにした。

 親としての気持ちは分からないでもありませんが、やはり、やり過ぎであります。
 僕も3人の子供を育てましたが、さすがに “置き去り” はありませんでしたね。
 ただ、こう見えて短気なものですから、息子にも娘にも手をあげて、叱咤したことはあります。

 それでも、昔の父親に比べたら僕は、あまり恐い父親ではなかったと思います。


 たとえば、うちのオヤジ。
 今でこそ90歳を過ぎたボケ老人ですが、若いときは、それはそれは恐かった!
 大正生まれの絵に描いたような “雷おやじ” でしたからね。

 悪いことをしたときはもちろん、マナーやルールを守らなかったときだって、殴るし、家の外へ出されるし、押入れに入れられました。
 ただね、散々怒って、子供が反省したときには、「2度とするなよ。腹減ったろ、さあ、メシ食え!」 って、すぐに許してくれましたよ。

 また、あるときは、オフクロが一緒になってオヤジに、あやまってくれたこともありましたっけね。
 そうやって必ずどちらかの親は、怒ったあとも目の届く距離にいてくれたのであります。

 絶対に、子供を1人にはしなかった!


 昭和の親父と平成の父親の違いは……
 なんだか、この 「可視」 と 「無視」 の違いにありそうです。

 もちろん時代が違っても、親は親ですからね。
 子供のことは愛しているわけです。
 ただ、昭和の親父には、もっと “理性” があったように思うのです。
 最近の若いお父さんたちは、ストレスのせいでしょうか?
 “感情” で叱ってしまっているように見えます。


 昔、僕が悪いことをして、オヤジに家のカギをかけられてしまったことがありました。
 泣きながら夕暮れの町をグルグルと歩き回った思い出があります。
 でも、そのエンディングは……

 ずーっと、オヤジが僕を尾行してくれていたんです。
 「さあ、もう、いいだろう。家に入りなさい」
 と、電柱の陰からオヤジが現れたときには、安堵したものでした。

 「ああ、とうさんは、あんなにも怒ったけど、僕のことはキライじゃないんだ」
 ってね。


 大和君のお父さん、ぜひ次からは、必ず尾行してあげてくださいね。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:58Comments(0)つれづれ

2016年06月02日

怪談めっけ


 火曜日午後9時からの群馬テレビ 『ぐんまトリビア図鑑』 は観てますか?

 僕は、この番組のアドバイザーをしていますが、ときどき、「トリビア博士」 という役で出演もしています。
 久々に、その出演が決まったので、今日は番組スタッフとロケハン (ロケーション ハンティング=現場の下見) に行ってきました。


 番組の放送は8月16日。
 そう、お盆なんです。
 お盆といえば、やっぱり怪談話ですよね。

 ということで、県内の怪談スポットを1日かけて巡ってきました。
 M市の “お化けが出るという坂道”
 K町の “地獄へ続いているというお堂”
 A市の “妖怪が封じられているという墓石”

 ロケハンということで、軽い気持ちで同行したのですが……。
 でも、そこは数々のいわく付きの心霊スポットでもあるわけでして……。

 「今の音は何?」 とか、「誰かに見られているような気がする」 とか、「頭が痛くなってきた」 とか、現場はただならぬ気配だったのであります。
 「本当だ、小暮さんの言うとおりだよ。ここは何かいるな」
 と、ディレクターも構成作家も、および腰での取材となりました。

 そーなんです。
 今回の怪談ネタの提供者は、僕なんです!

 本番のロケ(撮影)日は、今月末に決定。
 リポーターの女性とともに 「トリビア博士」 が、みなさんを摩訶不思議な世界へご案内します。

 ぜひ、お楽しみに!
    


Posted by 小暮 淳 at 20:27Comments(2)謎学の旅

2016年06月01日

大使の仕事


 「おめでとうございます。温泉大使になられたそうで」
 「ありがとうございます。よく、ご存知ですね?」
 「そりゃ、知ってますよ。新聞、見ましたもの」

 今日は久しぶりのオフ日だったので、主治医のもとへ月に1度の定期健診に行ってきました。
 受付で、看護師に、いきなり温泉大使の話題を振られました。

 「群馬に暮らしているのにね。みなかみ町に温泉が18ヶ所もあるなんて知りませんでしたよ」

 そうなんですよ。
 みなかみ町は、県内35市町村で温泉の数が一番多いんです。
 群馬県が全国屈指の温泉県であることを考えれば、全国有数の “温泉町” ということになります。

 僕って、大使の素質があるのかもしれませんね。
 褒められたり、感心されると嬉しくなって、ついつい自慢してしまいました。


 「小暮さん、見ましたよ。読売新聞の記事」
 「私は上毛新聞でした」
 「あれ、僕は朝日新聞でしたよ」

 薬を受け取りに行った薬局で、次から次へと薬剤師たちから声をかけられました。

 今回の 「みなかみ温泉大使」 の報道って、思っていたより大々的に展開しているんですね。
 薬剤師たちに言われた3紙の新聞だけでも、群馬県民の半数ぐらいの人たちに知れ渡ったのではないですか?
 それに加えて、テレビやラジオなどのメディア報道もあります。

 これは多大なる宣伝効果ですぞ!

 ということは、温泉大使に任命されたわずか数日間で、すでに僕は広報活動という最大の任務を果たしていることになりますね。
 現に、会う人会う人に声をかけられ、その度に、みなかみ町の温泉について語っているのですから、歩く広告塔のようなものです。
 当然、昨日の講演会でも、「みなかみ18湯」 の説明をしました。

 いずれ、この話題が群馬県全体に広がり、ひいては 「湯の国 ぐんま」 として全国へ発信されたらと思います。
 いえいえ、絶対そうなるように広報活動を頑張りますぞ!
  


Posted by 小暮 淳 at 20:49Comments(3)大使通信