2016年06月04日
昭和の親父と平成の父親
北海道の山林で行方不明だった7歳の男児が、6日ぶりに発見され、無事に保護されました。
大規模捜査の打ち切り寸前での朗報に、昨日は喜びの声が日本中で上がりました。
奇跡、なんでしょうね。
風雨をしのげたこと、飲み水があったことなど、好条件が重なったことが、今回の朗報につながったのだろうと思います。
このニュースは、海外でも連日報じられていたといいます。
ただし、日本の報道とは少し異なっていました。
特に欧米では、親の “しつけ” のあり方が問われていたようです。
悪いことをしたから “しつけ” として子供を置き去りにした。
親としての気持ちは分からないでもありませんが、やはり、やり過ぎであります。
僕も3人の子供を育てましたが、さすがに “置き去り” はありませんでしたね。
ただ、こう見えて短気なものですから、息子にも娘にも手をあげて、叱咤したことはあります。
それでも、昔の父親に比べたら僕は、あまり恐い父親ではなかったと思います。
たとえば、うちのオヤジ。
今でこそ90歳を過ぎたボケ老人ですが、若いときは、それはそれは恐かった!
大正生まれの絵に描いたような “雷おやじ” でしたからね。
悪いことをしたときはもちろん、マナーやルールを守らなかったときだって、殴るし、家の外へ出されるし、押入れに入れられました。
ただね、散々怒って、子供が反省したときには、「2度とするなよ。腹減ったろ、さあ、メシ食え!」 って、すぐに許してくれましたよ。
また、あるときは、オフクロが一緒になってオヤジに、あやまってくれたこともありましたっけね。
そうやって必ずどちらかの親は、怒ったあとも目の届く距離にいてくれたのであります。
絶対に、子供を1人にはしなかった!
昭和の親父と平成の父親の違いは……
なんだか、この 「可視」 と 「無視」 の違いにありそうです。
もちろん時代が違っても、親は親ですからね。
子供のことは愛しているわけです。
ただ、昭和の親父には、もっと “理性” があったように思うのです。
最近の若いお父さんたちは、ストレスのせいでしょうか?
“感情” で叱ってしまっているように見えます。
昔、僕が悪いことをして、オヤジに家のカギをかけられてしまったことがありました。
泣きながら夕暮れの町をグルグルと歩き回った思い出があります。
でも、そのエンディングは……
ずーっと、オヤジが僕を尾行してくれていたんです。
「さあ、もう、いいだろう。家に入りなさい」
と、電柱の陰からオヤジが現れたときには、安堵したものでした。
「ああ、とうさんは、あんなにも怒ったけど、僕のことはキライじゃないんだ」
ってね。
大和君のお父さん、ぜひ次からは、必ず尾行してあげてくださいね。
Posted by 小暮 淳 at 11:58│Comments(0)
│つれづれ