2012年12月31日
ネギとミカンと窓ガラス
我が家の廊下に置かれた2つの段ボール箱。
大きいほうには 「下仁田葱」、小さいほうには 「丸浜みかん」 と書かれています。
年末になると届く、旬の味覚です。
下仁田ネギは、生産農家の知人から。
ミカンは、静岡に住む友人からです。
この2つの品が届くと、「ああ、いよいよ今年も残り少なくなったなぁ…」 と感じます。
大晦日の今日。
朝寝坊をした僕が階下へ降りて行くと、何やらキッチンからいい匂いが漂って来ました。
家内が、黒豆を煮ています。
今年から中学生になった末娘も手伝っているようです。
朝食を食べていると、さらに香ばしい匂いがしてきました。
どれどれ、と覗き込むと、伊達巻を作っているようであります。
「ああ、今日は大晦日なんだよなぁ…」 と、つくづく見入ってしまいました。
リビングのソファーでは、愛犬のマロ君が大あくびをしています。
「おい、マロ助、お前は、どんな1年だったんだい?」
と話しかけると、
「そいつは、なーんもしてないし~!」
と、末娘の意地悪な言葉。
「そんなことは、ないよなぁ~。一生懸命、家族を癒やてくれたものな。それがマロ助の仕事だから」
と言って、僕はイヤがるマロ君を抱き上げて、きつーいホオずりをしたのであります。
出張が多い僕にとって、帰宅すると真っ先に走ってきて、「お帰り、お帰り、ワンワンワーン!」 と飛びついてくるマロ君の愛くるしさといったらありませんって。
何よりも、身も心も癒やされる瞬間なのであります。
さて、僕も大晦日恒例の仕事をしなくてはなりません。
防寒着に身を包み、バケツとスポンジを持って屋外へ。
そーです。窓拭きであります。
寒風に身をちぢ込ませながら、凍える手を我慢しながら、サッシに水をかけて、ブラシとスポンジで洗い、ゴムの付いたT字型の道具で、水滴を払います。
この家を建てた年からですから、もう、17年間も続けている僕の年末行事です。
やれやれ、終わった、終わった。
「だいぶ腰にきたなぁ~。昔は、こんなことはなかったのになぁ~」
などと言いながら家の中に入り、熱~いコーヒーでも飲みながら一服しようか、とソファーに腰を下ろした、その時です。
「ちょうど用意ができました。これ、おばあちゃんちへお願いします」
と、バットタイミングで家内がビニール袋を差し出しました。
これも、年末恒例の行事なんであります。
毎年、黒豆と伊達巻を作るのが、次男の嫁の役割で、大晦日の夜までに実家へ届けます。
「えっ、少し休ませてくれよ。今、すぐか?」
とかなんとか、不平を言いながらも、気が付けば僕はビニール袋を持って車へ。
市内に実家があるのも良し悪しで、便利ではありますが、何かに付けてお遣い小僧をさせられてしまうのであります。
と、いうことで今、黒豆と伊達巻を実家へ届けてきました。
これで、僕の年末行事は、すべて終了です。
さて、今夜だけは夜更かしをせずに、早々に風呂に入り、そばを食い、ゆっくりと酒を飲みながら年神様をお迎えしましょうかね。
もちろん、紅白歌合戦を観ながら・・・。
読者のみなさん、今年も1年間、ありがとうございました。
来年もまた、引き続きお付き合いのほどをよろしくお願いいたします。
それでは、良いお年をお迎えください。
平成24年 大晦日 小暮 淳
2012年12月30日
納詣のすすめ②
今年も残り1日となりました。
みなさんは、もう納詣(のうもうで) には行かれましたか?
えっ? 納詣を知らない?
年始に神社や寺院へ参拝するのが、初詣です。
年末に行くのが、納詣ですよ!
なーんて、僕が考えた年中行事なんですけどね。
もう、かれこれ10年以上も続けています。
※(納詣についての詳しいことは、当ブログ2010年12月27日「納詣のすすめ」を参照ください)
勤めを辞めて、フリーのライターになってしばらくした、ある新年のことです。
神社へ初詣に行って、はたと疑問に思ったのです。
はたして神様は、こんなにもたくさんの人の願いを本当に叶えられるのだろうか……と!
絶対に無理です。
お金だけ取って(お賽銭)、その時だけ叶えるフリをしているだけではないかと。
だって、「叶えなかったじゃないかっ!」って、あとで文句を言いに来る人なんていませんものね。
で、僕は思ったのですよ。
この神社は、願い事を叶える神社か、そうじゃない神社かってね。
それを試すには、願を賭けたら1年後に、その神社へ報告へ行けばいいのです。
「おい、神様! オレは今年の初めに○○と××と△△をやるから力を貸してくださいとお願いしたのに、○○と××しか叶えてないぞ! △△はどうしたんだよ! なに? オレの努力が、まだ足りないだって! しょうがねーなー、じゃあ、賽銭をはずんどくから、来年は必ず叶えてくださいよ」
てな具合です。
これが納詣の始まりです。
で、今年も納詣に行ってきました。
年末の境内は、シーンと静まり返っています。
おごそかな空気に満ちていました。
神様も元旦からの忙しさを前に、体調を整えながら休息の最中のようです。
そこへ、不意を突いて 「納詣」 であります。
神様もたまげたでしょうねぇ~。
“おいおい、新年は、まだ2日先だぞ。気の早いヤツが間違えてやって来ちまったよ”
とかなんとか、神様同士で僕をあざけ笑っていたかもしれませんね。
でも僕は、願は賭けに来たわけではありません。
「今年も1年間お世話になりました。願いどおり今年は、秋に本を出版することができました。また講座と講演も増え、テレビのレギュラー出演の話も舞い込んできました。本当に、お力添えをありがとうございました」
なんて言われれば、神様だって、驚いたことでしょうな。
“おいおい、変なヤツだね。願い事に来たのかと思えば、お礼を言いに来たよ。いいヤツじゃねえか。よし、来年もひとつ、面倒をみてやろうじゃねえか”
なーんてことに、なるわけですよ。
ですから皆さん、年内に納詣を、ちゃーんと済ませておきましょうね。
2012年12月29日
116湯全公開!
例年ですと、この時期に 『メモリアル温泉』 と題して、1年間に行った温泉を振り返り、1月~12月までの主だった温泉名を挙げて、月別の感想を述べていたのですが、今年は自己最多の116湯(延べ温泉数) を記録したことを記念して、全温泉地および旅館名を公開したいと思います。
ま~、仕事とはいえ、よくもこんだけ行ったものだと、感心しながら見ていただければ幸いです。
<1月>
1.下仁田温泉「清流荘」(下仁田町) 2.四万温泉「積善館」(中之条町) 3.霧積温泉「金湯館」(安中市) 4.猿ヶ京温泉「宮野旅館」(みなかみ町) 5.猿ヶ京温泉「三河屋」(みなかみ町) 6.猿ヶ京温泉「りゅう雪」(みなかみ町) 7.梨木温泉「梨木館」(桐生市)
<2月>
8.水上温泉「去来荘」(みなかみ町) 9.水上温泉「だいこく館」(みなかみ町) 10.水上温泉「山楽荘」(みなかみ町) 11.やぶ塚温泉「開祖 今井館」(太田市) 12.水上温泉「松乃井」(みなかみ町) 13.水上温泉「寶ホテル」(みなかみ町) 14.坂口温泉「小三荘」(高崎市)
<3月>
15.猿ヶ京温泉「しんでん」(みなかみ町) 16.猿ヶ京温泉「長生館」(みなかみ町) 17.赤城温泉「赤城温泉ホテル」(前橋市) 18.上牧温泉「辰巳館」(みなかみ町) 19.四万温泉「四万やまぐち館」(中之条町) 20.大塚温泉「金井旅館」(中之条町) 21.猿ヶ京温泉「別館 万葉亭」(みなかみ町) 22.猿ヶ京温泉「旅籠屋 丸一」(みなかみ町) 23.猿ヶ京温泉「ロッジガルニ」(みなかみ町)
<4月>
24.猿ヶ京温泉「気楽や」(みなかみ町) 25.猿ヶ京温泉「吉長」(みなかみ町) 26.猿ヶ京温泉「ホテル シャトウ猿ヶ京 咲楽」(みなかみ町) 27.八塩温泉「神水館」(藤岡市) 28.たんげ温泉「美郷館」(中之条町) 29.赤城温泉「赤城温泉ホテル」(前橋市) 30.谷川温泉「旅館たにがわ」(みなかみ町) 31.水上温泉「天野屋旅館」(みなかみ町)
<5月>
32.猿ヶ京温泉「猿ヶ京ホテル」(みなかみ町) 33.猿ヶ京温泉「民宿 はしば」(みなかみ町) 34.猿ヶ京温泉「ホテル湖城閣」(みなかみ町) 35.大胡温泉「旅館 三山センター」(前橋市) 36.半出来温泉「登喜和荘」(嬬恋村) 37.向屋温泉「ヴィラせせらぎ」(上野村) 38.水上温泉「ひがきホテル」(みなかみ町)
<6月>
39.谷川温泉「旅館たにがわ」(みなかみ町) 40.猿ヶ京温泉「本伝」(みなかみ町) 41.水上温泉「天狗の湯 きむら苑」(みなかみ町) 42.伊香保温泉「ホテル木暮」(渋川市) 43.新鹿沢温泉「鹿の湯 つちや」(嬬恋村) 44.倉渕川浦温泉「はまゆう山荘」(高崎市) 45.亀沢温泉「亀沢温泉センター」(高崎市) 46.猿ヶ京温泉「高原ハウス」(みなかみ町) 47.猿ヶ京温泉「生寿苑」(みなかみ町) 48.四万温泉「積善館」(中之条町)
<7月>
49.水上温泉「米屋旅館」(みなかみ町) 50.水上温泉「ひがきホテル」(みなかみ町) 51.老神温泉「牧水苑」(沼田市) 52.猿ヶ京温泉「高原ハウス」(みなかみ町) 53.猿ヶ京温泉「スポーツ民宿 ふじや」(みなかみ町) 54.野栗沢温泉「すりばち荘」(上野村) 55.北軽井沢温泉「御宿 地蔵川」(長野原町) 56.月夜野温泉「みねの湯 つきよの館」(みなかみ町)
<8月>
57.高原千葉村温泉「高原千葉村」(みなかみ町) 58.法師温泉「長寿館」(みなかみ町) 59.川古温泉「浜屋旅館」(みなかみ町) 60.水上温泉「ひがきホテル」(みなかみ町) 61.上の原温泉「水上高原ホテル200」(みなかみ町) 62.宝川温泉「汪泉閣」(みなかみ町) 63.湯ノ小屋温泉「ホテル サンバード」(みなかみ町) 64.座禅温泉「シャレー丸沼」(片品村)
<9月>
65.北軽井沢温泉「御宿 地蔵川」(長野原町) 66.湯ノ小屋温泉「龍洞」(みなかみ町) 67.湯ノ小屋温泉「清流の宿 たむら」(みなかみ町) 68.湯ノ小屋温泉「葉留日野山荘」(みなかみ町) 69.伊香保温泉「和心の宿 オーモリ」(渋川市) 70.湯宿温泉「湯本館」(みなかみ町) 71.野沢温泉「住吉屋」(長野県) 72.谷川温泉「やど 莞山」(みなかみ町) 73.谷川温泉「金盛館せせらぎ」(みなかみ町) 74.谷川温泉「ペンション セルバン」(みなかみ町) 75.梨木温泉「梨木館」(桐生市) 76.川古温泉「浜屋旅館」(みなかみ町)
<10月>
77.湯宿温泉「大滝屋旅館」(みなかみ町) 78.湯宿温泉「太陽館」(みなかみ町) 79.湯宿温泉「常盤屋旅館」(みなかみ町) 80.高原千葉村温泉「高原千葉村」(みなかみ町) 81.湯ノ小屋温泉「清流の宿 たむら」(みなかみ町) 82.猿ヶ京温泉「猿ヶ京ホテル」(みなかみ町) 83.赤城温泉「赤城温泉ホテル」(前橋市) 84.越後湯沢温泉「白銀閣 華の宵」(新潟県) 85.猿ヶ京温泉「猿ヶ京ホテル」(みなかみ町) 86.上牧温泉「辰巳館」(みなかみ町) 87.谷川温泉「別邸 仙寿庵」(みなかみ町) 88.谷川温泉「旅館たにがわ」(みなかみ町) 89.うのせ温泉「旅館みやま」(みなかみ町) 90.湯宿温泉「太陽館」(みなかみ町) 91.月夜野温泉「みねの湯 つきよの館」(みなかみ町)
<11月>
92.大胡温泉「旅館 三山センター」(前橋市) 93.坂口温泉「小三荘」(高崎市) 94.奈女沢温泉「釈迦の霊泉」(みなかみ町) 95.上牧温泉「庄屋」(みなかみ町) 96.上牧温泉「ホテル ニュー上牧」(みなかみ町) 97.四万温泉「なかざわ旅館」(中之条町) 98.法師温泉「長寿館」(みなかみ町) 99.真沢温泉「真沢の森」(みなかみ町) 100.湯田中温泉「よろづや」(長野県) 101.湯ノ小屋温泉「ペンション オールド・ストリング」(みなかみ町) 102.湯ノ小屋温泉「ペンション トップス」(みなかみ町) 103.湯ノ小屋温泉「温泉ロッヂ たかね」(みなかみ町) 104.塩河原温泉「渓山荘」(川場村) 105.沢渡温泉「まるほん旅館」(中之条町) 106.猿ヶ京温泉「料理旅館 樋口」(みなかみ町)
<12月>
107.湯ノ小屋温泉「ロッヂ 雪割草」(みなかみ町) 108.湯ノ小屋温泉「洞元荘」(みなかみ町) 109.湯ノ小屋温泉「温泉ペンション 夢工房」(みなかみ町) 110.高崎観音山温泉「錦山荘」(高崎市) 111.上牧温泉「大峰館」(みなかみ町) 112.上牧温泉「常生館」(みなかみ町) 113.湯ノ小屋温泉「民宿 やぐら」(みなかみ町) 114.法師温泉「長寿館」(みなかみ町) 115.温川温泉「白雲荘」(東吾妻町) 116.猿ヶ京温泉「猿ヶ京ホテル」(みなかみ町)
※(経営者が変わり、現在は名前が変わっている旅館やホテルもあります)
ご主人、女将さん、オーナーさん、支配人さん、そしてスタッフのみなさん、大変お世話になりました。
この場をお借りして、お礼を申し上げます。
今年1年間、ありがとうございました。
2012年12月28日
60年代の子どもはシェー!
遅ればせながら、樋口有介・著 『ピース』(中公文庫) を読みました。
樋口有介氏は、群馬県前橋市生まれ。
しかも、僕の高校の先輩であります。
先輩といえば、はい、“神も同然” ですから、文壇デビュー時からファンをやらせていただいております。
樋口氏のデビューは、1988年のサントリーミステリー大賞読者賞を受賞した 『ぼくと、ぼくらの夏』 でした。
そして次作の 『風少女』 で、第103回の直木賞候補となりました。
ファンなら誰でも知っていますが、『風少女』 の舞台は前橋市。
前橋駅やケヤキ並木、赤城県道に大鳥居、利根川、大渡橋、総社町、新前橋駅と、知った地名がポンポンと出てきます。
前橋市民は、必読の書ですぞ!
2006年に中央公論社から出版された 『ピース』 でも、群馬県の地名がいくつも出てきます。
メインとなる舞台は埼玉県の秩父市ですが、物語の後半で群馬県の上野村へと舞台が移行していきます。
鬼石、藤岡、高崎なんていう地名が出てくると、群馬県人としては嬉しいものです。
ああ、樋口先輩は、群馬県を愛していらっしゃるのだなぁ~と、郷土愛に満ちたお人柄に、ますます惹かれます。
(登場人物が話す群馬弁も、リアリティーがあって面白いですよ)
で、タイトルの 「ピース」 ですが、物語の中では色々な意味を持っています。
“平和” のピース。
“断片” のピース。
そして、Vサインのピース!
でも、どうしてVサインのことを 「ピース」 って言うんでしょうかね?
確か、Vサインの 「V」 は、Victory(勝利) の 「V」 です。
何よりも不思議なのは、なぜ、写真に写るとき日本人はVサインを出すのでしょうか?
そう思って、昔の写真を引っ張り出して見てみると、僕の子どもの頃(小学生まで) は、Vサインなんて出していないんですよ。
当時の子どもは、みんな 「シェー」 のポーズで写真に写っています。
※(「シェー」は、赤塚不二夫のマンガ「おそ松くん」に登場するイヤミのポーズ)
一説によれば、日本人がVサインのことを 「ピース」 と言うようになったのは、1972年(昭和47年) にテレビで放映されたコニカのカメラCMで、歌手でタレントの井上順がVサインを出してアドリブで 「ピース、ピース」 と連呼したのが広まったとか。
そう言われてみれば、確かに、僕の写真も中学生あたりからVサインを出して写っています。
70年代を境に、日本人にとってVサインは 「勝利」 ではなく 「平和」 を意味するポーズとなったようです。
その平和を意味するポーズが、小説 『ピース』 では、恐ろしい連続バラバラ殺人事件を引き起こします。
まだ、お読みでない人は、正月休みに一読してみては、いかがでしょうか?
2012年12月27日
漢字一文字
365日、休肝日を持たない呑兵衛のわりに、僕は旅館飲みや家飲みが多いので、行きつけの飲み屋が少ないんです。
今年、利用した店は、たった3軒(宴会は除く)。
このブログでも、たびたび登場する酒処 『H』。
そして、出版社の人たちと、打ち合わせや打ち上げに使う海鮮酒場の 『T』。
でも、年間で一番飲んでいるのは、我が家から一番近い 『R』 という店です。
実は 『R』 は、食堂なんです。
だから昼間は、サラリーマンやOLさんたちで、いっぱいです。
でも、酒も飲めるんです。
僕は6年くらい前から、夜だけ通っています。
ここ数年は、仲間のたまり場として、毎月例会と称して集まっては、食ったり飲んだりしています。
一昨日も、気の置けない仲間が、顔を合わせました。
僕の本のディレクションをしてくれているK氏とカメラマンのS君と、そして僕。
別に用なんてないんですけどね。
ただ、年内に顔を合わせておかないと、なんだか今年が終わらないような気がして・・・
ま、仲間なんて、そんなもんです。
「カンパーイ!」
「今年も1年間、お世話になりました」
「ありがとうございました。来年もよろしく!」
と、いつもの店で、いつものメンバーが、いつもの酒を飲み出しました。
「どんな1年だった?」
と、誰ともなしに、反省会が始まりました。
あーだ、こーだ、と良かったこと悪かったことを口々に話し出したのですが、突然、僕は、毎年年末になるとニュースで取り上げる 「今年の漢字」 が脳裏に浮かんだのであります。
日本漢字能力検定協会が選定して、清水寺の住職が大きな和紙に墨で書く、アレです。
確か、今年の漢字は 「金」 でした。
「どうよ、漢字一文字で表してみない?」
と僕が言うと、トップを切ってK氏が答えました。
「そうね、加えるの “加” かな」
ほほう、加減乗除の加ですね。
足し算の多かった年ということです。
実際、K氏の今年は、次から次へと新しい仕事が入ってきた忙しい年でした。
「う~ん、今年は良いことと悪いことが交互にやってきた振り幅の大きい年だったよな」
と、S君。
確かに、仕事は充実していて、端から見ていると良いことばかりに見えましたが、その裏で愛犬が亡くなったりと精神的につらいことも多かったようです。
「だから、振り子の “振” かな」
とは、お見事!
「で、ジュンちゃんは、どうなのよ?」
と問われて、はたと悩んでしまいました。
ひと言で言えば、とても平穏な1年だったのであります。
短気な僕にしては珍しく、腹を立てたり、怒った記憶がありませんでした。
心穏やかに過ごせた年だったと思います。
「だから穏やかの “穏” かなぁ・・・」
というと、S君が、
「だったら温泉の “温” が、いいんじゃねーの?」
と、明快な漢字を見つけてくれました。
確かに、温和の “温”、温厚の “温”。
そして何より、今年は過去最高の116温泉をめぐった記念すべき年でもあります。
と、いうことで、僕の今年の漢字一文字は “温” に決定しました。
さて、一夜明けて・・・我が家にて。
カミサンに、「今年の漢字一文字は、なんだい?」
と問えば、
「 “く” だよ “く” 」
と、眉間にシワを寄せながら答えた。
「 “く”って、なんだよ」
「 “く” は、苦しいの “苦” に決まっているじゃない!」
と、取り付く島もない。
「かーさん、ふざけないで。真面目に答えてよ」
と言い返せば、
「大真面目だよ。“苦” じゃなければ、“ひん” だね」
と、これまた難解な答えを返してきた。
「 “ひん” って、何さ?」
「貧しいの “貧” に決まっているじゃない! あーうるさい、台所まで来てくだらないこと聞かないでよ。邪魔邪魔、あっちへ行って」
と、けんもほろろに追い出されてしまいました。
ちっくしょーーーーっ ! ! ! !
来年は絶対に、楽しいの “楽”、富裕の “裕” って言わせてやるからな!
見てろよ!
(って、自信はありませんけどね)
みなさんの今年は、どんな漢字一文字でしたか?
2012年12月26日
今年の湯納め
昨日、今年の 「湯納め」 をして参りました。
今年、116湯目となった記念すべき温泉宿は、猿ヶ温泉の老舗旅館 「猿ヶ京ホテル」 であります。
前身は 「桑原館」 といい、赤谷湖に沈んだ笹の湯温泉と湯島温泉から移転した “旧四軒” の1軒です。
※(猿ヶ京温泉の歴史については、当ブログ2011年11月30日「猿ヶ京温泉 猿ヶ京ホテル」を参照ください)
なんで行ったのか?といえば、僕が講師を務めるNHK文化センターの温泉講座 「続・探訪!ぐんまの小さな温泉」 の本年度最終講座日だったのであります。
でも昨日は、ただの最終日ではなかったんです。
4年前、僕を探し出し、講師に招いてくれたセンターの担当者、Tさんが引退する日でもあったのです。
TさんはNHKに入社後、現役時代は全国の支局でカメラマンとして活躍されました。
定年退職後は、関連会社である文化センターの支社長を務め、その後も経験と実績を買われて、野外講座の添乗員をされていました。
僕の講座は、毎年4月~12月まで、年9講座開催されています。
それが4年間ですから、計36ヶ所の温泉を共にめぐった相棒でもあります。
もちろん講座は、来年も続きます。
でもTさんは、もう、いないのです。
「先生、本当にありがうございました。先生にお会いしなかったら、こんなにも群馬県内に素晴らしい温泉があることを知りませんでした。温泉のうんちくもたくさん覚えましたし……」
そんな別れのあいさつをされたら、涙腺を刺激されちゃうじゃありませんか。
「これからは、どうされるのですか?」
「50年間、ノンストップで働き続けてきましたからね。残りの人生は、のんびりと女房を連れて海外旅行を楽しみたいと思います。長い間、ほったらかしにしていた罪滅ぼしですよ」
そう言って、笑いました。
「みなさん、1年間ありがとうございました。今日は、本年度の最終講座日です。忘年会とTさんの送別会を兼ねて、大いに飲みましょう! カンパ~イ!」
と、湯上りに宴会場で、僕が音頭をとりました。
「先生、お約束のあの歌を今年も歌ってくれるんでしょう?! 」
お約束の歌とは、『GO!GO!温泉パラダイス』 のことです。
「もちろん、カラオケCDを持ってきていますから、帰りのバスの中で歌いますよ」
と、いうことで最後は、毎年恒例の年末大合唱を行いました。
来年度の新講座は、装いも新たに4月から開講いたします。
ほとんどの受講生が、引き続き受講されるとのこと。
講師冥利に尽きます。
数名ですが空きも出るようですので、キャンセル待ちの新受講生さんとも春にはお会いできるわけですね。
今から開講が、とても楽しみであります。
みなさん、また春にお会いしましょうね。
そしてTさん、長い間、大変お世話になりました。
ありがとうございました。
あなたが作ってくれたこの講座を、今後も大切に育てていきます。
2012年12月24日
記録より記憶
20年以上も昔のことです。
当時、僕は駆け出しのタウン誌記者をしていました。
少数精鋭。
スタッフの人数が少ないこともあり、全員が広告営業をライフワークに、その合い間で取材記事を書いていました。
僕は毎月、巻頭のエッセイとインタビュー記事を担当していました。
インタビュー記事は 『ヒューマン・スクエア』 というタイトルで、群馬県在住の芸術家たちの素顔を紹介するページです。
画家、陶芸家、彫刻家、版画家、木彫家など、僕の好きなアーティストたちを毎月、取材して回っていました。
ある号の編集会議のときです。
編集長から 「次回はS先生をインタビューしてみないか?」 と言われました。
S先生は、その分野では世界的に有名な作家で、すでに美術館までできている大御所であります。
「本当ですか! その取材、僕でいいんですか!」
と、駆け出しの僕は、すっかり舞い上がってしまいました。
そして、迎えた取材当日。
僕はカメラマンとともに、先生のアトリエを訪ねました。
S先生は、大先生とは思えぬほど物腰がやわらかく、若造の僕に対しても丁寧に受け答えてくれました。
インタビューは、たっぷり2時間。
とにかく緊張のしっぱなしでしたが、無事に取材が終わりました。
悲劇が起きたのは、編集室へ戻ってからです。
たった今、録ってきた録音テープを再生してみると・・・
アレ? 音がしません。
カセットテープをひっくり返してB面にしても、同じです。
と、同時に、僕の全身から血の気が失せて行くのが分かりました。
あまりの緊張から、テープレコーダーの操作を誤ったようであります。
録音ボタンを押したつもりが、再生ボタンを押してしまったみたいです。
「おお、小暮くん、帰っていたのか! お疲れさま。で、S先生のインタビューはどうだった?」
編集長が外出から帰ってきました。
「あ、はい。終わりました」
と、事情を話そうかと悩む僕。
「そっか、じゃあバッチリだな! でかした、でかした。記事、期待しているよ」
そう言って、編集室を出て行ってしまったのです。
ああああああああああああーーーーーっ!
バカバカバカバカバカバカーーーーっ!
自分のバカさ加減に、今すぐ、このビルの屋上から飛び降りてしまおうかとも考えました。
もうダメです。
編集長に救いの手は借りられません。
たとえ真実を話したところで、どうにかなるものでもありません。
「録音に失敗したので、もう一度インタビューさせてください」
なーんて、大先生に対して言えるわけがありませんもの。
あわてて、僕は取材メモを広げました。
とりあえず、話の要所要所のポイントだけはメモされています。
でも、到底、見開き4ページの巻頭特集を埋めるだけの資料には足りません。
なにより、先生の口調やしゃべり癖、時々会話に出てくる専門用語は、まったくもって皆無であります。
締め切りまでは、あと1週間。
でも、その日は、あまりものショックの大きさに、原稿に手をつけることはできませんでした。
残り5日、4日、3日・・・
やはり、一向として原稿が書けません。
「どうしよう、どうしよう」 と、ただあせるばかりで、気持ちが前に進まないのです。
いっそのこと、すべてを話して、編集長と一緒に先生のもとへ頭を下げに行ってもらおうかと、夜中に何度も受話器を握ってしまいました。
あと2日、そして1日。
背水の陣を迎えました。
こうなりゃ、野となれ山となれ!
しょせん、記事なんて、バクチと同じよ!
正確な文章が、必ずしもいい記事とは限らない。
うまい文章が、人の心を打つとも限らないのだよ。
えいっ、こうなりゃ、感性で書き上げるしかないだろう!
と僕は、記憶だけに頼り、自分が見て聞いたS先生像を頭の中に作り上げ、再度、架空のインタビューをして、記事に起こしました。
「私は、こんな事を言った覚えはないよ」
と言われたら、その時、事実を話し、土下座をして謝ればいいや、と開き直ったのであります。
さて、1ヶ月後。
雑誌は発行され、書店に並びました。
もちろん、S先生のもとへも郵送されています。
でも、なんの苦情電話もかかってきません。
このまんま、時が過ぎればいい。
たぶん、もう生涯、S先生と会うこともないだろうから・・・
と、おびえるように日々を過ごしていた僕に、またしても絶体絶命のピンチが訪れました。
「小暮くん、今日からS先生の個展が始まったから、この間のお礼方々、お祝いを持って行ってよ」
と、悪魔のような編集長の言葉。
「え、僕ですか? 誰か別の人のほうが……」
「何を言っているんだい。キミが取材したんだから、キミが行かなくちゃ、意味がない。先生も喜ばれるよ」
だなんて!
喜ぶどころか、怒鳴り散らされるかもしれないのです。
その日の午後、僕は意を決して個展会場へ。
受付で記帳を済ませて、中へ。
でも、先生の姿は見当たりません。
少し、ホッとしました。
このまま、会わなければいい。
だったら、もたもたしていては、いけない。
グルリと会場をひと回りして、さっさと退散しょう。
と、歩き出した、その時です。
僕の目は、壁の一点に釘付けになってしまいました。
まさか? そんな!
さらに近づいて、見ました。
やっぱり、そうです。
間違いありません。
ギャラリーの壁に貼られていたのは、信じられないことに、僕が書いた記事だったのです。
それも全文。見開き4ページが展示されています。
<このたび、月刊○○より取材を受けました>
との言葉まで、添えられています。
えっ、どうして? なんで、こんなところに、僕の書いた記事が貼られているの?
やや、僕はパニックになっていました。
本当に訳が分からなかったのです。
すると、後ろから声がしました。
「いやぁ~、小暮さん、この度はありがとうございました。いえね、あんまり嬉しかったものだから、勝手に記事を貼らせていただきました。今までに、いろんな人が私のことを書いてくださったけど、小暮さんが一番、僕の言いたかったことを書いてくれましたよ。本当にありがとうございます」
S先生が満面の笑みをたたえて立っていました。
その後のことは、良く覚えていません。
もしかしたら僕は、泣いていたのかもしれませんね。
ただ、言えることは、記録は消えても記憶は残っていたということです。
そして、人との出会いは、すべて記録ではなく記憶なのだということ。
もし、あの時、テープに録音がされていて、忠実に言葉を起こしていたら・・・
たぶん、まったく別の記事になっていたことでしょう。
“記録より記憶”
それからというもの、僕は記録には頼らず、記憶で文章を書くことを優先するようになりました。
そしてS先生とのエピソードがなかったら、その後、僕はフリーのライターという仕事に就いていなかったかもしれません。
2012年12月23日
気ままな湯けむり散歩
昨日、今日と2日間にわたり、けやきウォーク前橋で開催された 「カルチャーフェスタ 2012」 が、無事終了しました。
これは、僕が講師を務める前橋カルチャーセンターの講師と受講生らで作品を出展したり、デモンストレーションを行う年に1度の文化祭です。
僕も温泉講座のコーナーをいただき、講座案内と温泉相談、著書の販売をしてきました。
おかげさまで、たくさんの人に来場いただき、本当にありがとうございました。
このブログを見て来てくださった読者の方も、数人いらっしゃいました。
また、「テレビ、見てます」「新聞、読んでます」 と声をかけてくださった方、サインを求められた方、一緒に記念撮影をされた方など、たくさんの人から声をかけていただきました。
ありがとうございます。
なかには、その場で来年からの新講座に受講を申し込んでくださった方もいましたよ。
うれしいですね。
来年もぜひ、楽しい講座にしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
と、いうことで、来年1月より新講座が開講いたします。
(と言っても、タイトルが少し変わっただけです)
題して、“温泉ライター 小暮淳と行く 「気ままな湯けむり散歩」” 。
この講座は4ヶ月が1クールとなり、年3クール開講します。
今回は、2013年1月~4月までの講座発表と、受講生の募集となります。
月によっては、すでに満席の講座もありますが、まだ若干の空席があります。
ご興味のある方は、センターまでお問合せください。
温泉ライター 小暮淳と行く
『気ままな湯けむり散歩』
1月15日(火) 万座温泉(群馬県)
2月19日(火) 湯西川温泉(栃木県)
3月19日(火) 増富ラジウム温泉(山梨県)
4月16日(火) 那須湯元温泉(栃木県)
●受講料/8,400円(4回分)
※バス代・昼食代・保険代は別途
(未会員の方は入会金が必要となります)
●問合・申込/前橋カルチャーセンター(けやきウォーク前橋2F)
TEL.027-223-5121
2012年12月22日
いい歳をして吐かないで!
昨日の取材の帰り道。
同行のA新聞の I 記者が、
「今晩、何か予定がありますか?」
と訊いてきた。
あると言えばあるが、どうにかしろと言われれば、どうにかなる程度の予定である。
「どうですか、Hで飲みませんか? N先生も来られますよ」
Nさんは、僕の人生の恩人であります。
Nさんがいなかったら、今頃僕は、もっと真っ当な生活をしていたに違いありません。
僕をフリーの道に引きずり込み、フリーで生きることの快楽を教えてくれた作家先生であります。
過日、Nさんの誕生日パーティーがあり、誘われていたのですが、あいにく仕事で出席できませんでした。
後日、不義理を悔やんで、ついでのときに自宅へ顔を出したのですが、今度はNさんが出張で不在。
奥様としか会えませんでした。
毎年、新年には年始のあいさつに行っていますが、このままでは年内は会えずじまいだと、半分あきらめていたところだったのです。
“渡りに舟” とは、このことです。
今年の不義理を、酒で埋めつくすチャンスの到来!とばかりに、出席するすることにしました。
夕刻、あわてて原稿を1本仕上げて、防寒着に身を包み、家を出ようとしたときです。
リビングにいた山の神に呼び止められました。
「あら、どちらへ?」
「おお、ちょっと出かけてくるわ。急きょ、忘年会が入ってな」
と言葉を交わして、玄関へ向かおうとしたときです。
「いい歳をして夜中に吐かないでよね! トイレが臭いったらありゃしない」
えっ?
かーちゃん、知ってたの?
確か、先週。
飲み放題につられて、元を取る勢いで意地汚く酒を飲んで午前様となり、家に着くなりトイレに駆け込み、便器を抱えてうなっていた日のことを言っているのであります。
「バッカじゃないの! その歳になって吐くまで飲みますかね!」
と、追い討ちをかけるように、家を出る僕の背中に容赦ない罵声が突き刺さってきました。
だから僕も、言い返してやりましたよ。
「亭主も子供も、バカのほうが可愛いっていうだろう」
すると、
「バーーーーカ!」
と、山の神のやさしいお見送りの言葉が返ってきたのであります。
さてさて、我らがたまり場、酒処「H」は、今夜も熱気に包まれています。
ママが、僕とNさんが来ることを常連にメール配信してくれたようで、満員御礼状態であります。
「カンパーイ!」
のかけ声とともに、今年何回目かの忘年会が始まりました。
と、同時に爆笑の渦、渦、渦・・・
オヤジたちは、ダジャレやギャグ、下ネタのオンパレードで、早くもテンションアゲアゲであります。
気が付けば、カウンターの上には、ビールとウィスキーと日本酒が並んでいます。
「H」名物、チャンポン飲みの始まり始まり~~!
とにかく、常連は酒豪ぞろいなんです。
「小暮さんなんか、今来たばかりじゃん。オレなんか5時から飲んでるかんね」
なーんて、どこが偉いのか分かりません。
ただの呑兵衛を自慢する輩がいるくらいです。
負けるもんか!
遅れを取り戻さなくてはなりません。
ビールを飲み干し、ウィスキーの水割りとロックを飲み干し、日本酒をグラスで1杯、2杯、3杯・・・・
うーーん、だんだん訳が分からなくなってきましたよ。
でも、突然、天災のように忘れていた言葉が、天から聞こえてきたのであります。
「いい歳をして吐かないで!」
途端、ピタッとグラスを持つ手が、止まってしまいました。
ヤバイぞ、この間と同じパターンにはまっている。
このままで行くと、今夜のオイラの枕は、またしても便器になりそうだ。
時計を見ると、午前0時。
お勘定を済ませて、席を立ったその時です。
「ジュンちゃん、もう1軒、付き合ってくんないかなぁ?」
と悪魔のようにささやく、Nさんの声。
Nさんは、僕の人生の師匠であります。
師匠といえば、親も同然。
いや、神様であります。
神様の声は、絶対服従が鉄則であります。
「はい、よろこんで~!」
家にたどり着いたのは、午前2時でありました。
おかげさまで、山の神の言葉が酔い止めの呪文のように効いて、あの後は、すっかり酔いがさめてしまったのです。
よって、昨晩は吐かずに済みましたとさ。
ああ、今年はあと何回忘年会があるんだろうか・・・
その都度、山の神に罵声を浴びせられるのかと思うと、憂うつでなりません。
2012年12月21日
温川温泉 「白雲荘」②
浅間隠温泉郷へ行くときは、いつも悩みます。
渋川市経由で行くべきか?
高崎市経由で行くべきか?
榛名山をはさんで西にある浅間隠温泉郷と、東に位置する僕の暮らす前橋市は、どちらのルートで行っても等距離なのです。
ためしにカーナビに両方のルートを入力してみると、ドンピシャ!到着時刻は同じでした。
で、悩んだ末に今回は、渋滞のなさそうな渋川市経由の北回りルートで、浅間隠温泉郷の一軒宿、温川(ぬるがわ)温泉 「白雲荘」 へ行ってきました。
※(浅間隠温泉郷の詳細および温川温泉の歴史にいては、当ブログ2010年11月1日の 「温川温泉 白雲荘」 を参照ください)
いゃ~、なんだか久しぶりなのであります。
最後に取材したのは、3年前に出版した 『ぐんまの源泉一軒宿』(上毛新聞社) でした。
その後に、温泉講座で訪ねたことがありましたが、それでも2年ぶりになります。
「お元気でしたか?」
と、変わらぬ笑顔で出迎えてくれた女将の葉木沢愛子さん。
あいにく今日は、5代目主人の本間輝幸さんは、体調をくずしたとのことで不在でした。
葉木沢さんは、岩手県盛岡市の出身。
なぜ、群馬の山奥の一軒宿の女将になったのか?
その波乱万丈な人生ストーリーを、お茶をすすりながら、じっくりと聞いてきました。
お約束の入浴シーンの撮影は、宿から歩いて2~3分のところにある温川沿いの露天風呂へ。
露天風呂の入口には、茶屋があります。
いや、ブティック?
湯上がりに 「お茶でも、いかがですか?」 と声をかけてくれた店主の唐沢貴子さんの名刺には、
“浅間隠温泉郷 温川温泉 白雲荘 目の湯”
“プチブティック White Snow”
と書いてありました。
「へ~、ブティックなんだ~」
と店内を見渡すと、確かに洋服が売られています。
でも、ビールも売っています。
不思議なお店であります。
「一緒に写真を撮ってもらえますか? 友だちに自慢します」
なーんて、若くて美人の店主に言われて、記念撮影をパチリ!
そこへ女将が登場。
「ご苦労様です。お腹が空かれたでしょう」
と、焼きおにぎりを持ってきてくれました。
これが、うまいのなんのって、絶妙の焼き加減と味加減であります。
外はパリパリ、中はシットリ。
しっかり、おしょう油が中心までしみていて、最後まで飽きさせません。
ペロリと2個、完食してしまいました。
と思ったら、今度は、僕の目の前に色紙が2枚。
「えっ?」
「サインをお願いします」
ナヌ?
これって、すっごくニガテなんですよね。
著書へのサインなら慣れていますが、色紙はねぇ・・・
でも、最近は頼まれることがままあって、断りきれずに無謀にも汚い字で書かせていただいております。
色紙の場合、いつも頭を抱えてしまうのは、言葉です。
芸能人ならグチャグチャって大きなサインを書いて、紙面を埋めることができますけど、僕はライターですからね。
そんなサインは、持っていません。
と、いうことは、何か言葉を書いて紙面を埋めるしかありませんって。
悩んだ末に、今日は、以前講演会のタイトルで使っていた言葉を書きました。
“守り継ぐ湯 語り継がれる宿”
ま、こんなんでよければ、これからも書かせていただきますけど。
女将さん、貴子さん、ごちそうさまでした。
間違っても色紙を館内や店内には、飾らないように!
ひっそりと、引き出しの奥にしまっておいてくださいね。
2012年12月20日
カルチャーフェスタ 2012
今週末、僕が温泉講座の講師を務める前橋カルチャーセンターの文化祭が、けやきウォーク前橋にて開催されます。
題して、「カルチャーフェスタ2012」。
各講座ごとにブースを設営して、講師や受講生たちの作品展示やデモンストレーションが行われます。
たとえば美術コースからは、水彩画教室、きり絵教室、色エンピツ画、陶芸教室など。
手芸・工芸コースからは、おとなの折り紙、木目込人形、和紙ちぎり絵、ブリザードフラワーなど。
その他、服飾や着付、写真などの講座からも出展されます。
もちろん、僕が担当する温泉講座 『小暮淳と行く 湯けむり散歩』 もブースを出展いたしますよ。
著書販売、講座案内、温泉相談を行います。
来年こそは何かカルチャーを始めたいと思っている方、僕とおしゃべりしたい方、または、ただ単にヒマな方、どなたでも大歓迎!
ショッピングの途中でお立ち寄りください。
会場にて、みなさんのお越しをお待ちしております。
※(僕は会場に随時いるとは限りません。不在だったらゴメンなさい!)
<カルチャーフェスタ 2012>
●日 時 12月22日(土) 10:00~18:00
12月23日(日) 10:00~16:00
●会 場 けやきホール (けやきウォーク2F)
前橋市文京町2-1-1
●料 金 入場無料
●問 合 前橋カルチャーセンター
TEL.027-223-5121
2012年12月19日
法師温泉 「長寿館」④
年の瀬が、いよいよ押し迫ってきましたが、まだまだ僕の温泉行脚の旅は記録更新中であります。
昨日は朝からバスに乗り込み、群馬の秘湯の代名詞、法師温泉へ行ってきました。
はい、前橋カルチャーセンター温泉講座の今年最後の講座日だったのです。
「講座の予定表に法師温泉があったから申し込んだのよ」
という受講生もいるくらい、人気の温泉旅館です。
マスコミのアンケートでも常に “一度は行ってみたい温泉” のトップクラスに君臨しています。
群馬に住んでいても、行ったことのある人は少ないようですね。
午前10時40分。
一行を乗せたバスは、小雪が舞う法師温泉の一軒宿 「長寿館」 に到着。
いつものように岡村常務さんが出迎えてくれました。
「いつもいつも、ありがとうございます」
と、丁寧で品のあるあいさつを受けて、休憩室へ。
以前、他の講座で訪れたときも問題になったのが、国の登録有形文化財に指定されている名物の 「法師の湯」 が混浴だということ。
それも、一切タオルの使用が禁止されている難易度A級の完全混浴であることです。
女性専用風呂もありますから、「どうしても混浴はイヤ」という人は、そちらを利用すればいいわけですが、やっぱり誰しも、せっかく法師温泉に来たわけですから、名物風呂に入りたいわけです。
で、前回の講座では、“女の人も知っている男性に裸を見られるのは恥ずかしいだろうが、知らない男性なら恥ずかしくないでしょう” という考え方を行使して、時間差で入浴することにしたのでした。
これは大成功でした。
僕ら男性が入ったときには、知らない一般女性しかいませんから、気まずい思いをしなくてすみました。
(いくら講座といえども、自分が担当する女性受講生の裸を見るわけにはいきませんって)
と、と、ところが~~!
「先生、いいじゃ、ありませんか!」
「そうですよ、みんなで一緒に入りましょうよ!」
「さあさあ、行きましょう!」
という圧倒的な女性人の意見に押され、たった2名の男性受講生と僕は、しぶしぶ浴場へ向かったのであります。
「どーしますか?」
「数では、圧倒的に不利ですよ」
「3人で、スクラムを組んで行きますか!」
と脱衣所で突入のチャンスをうかがっていたのですが、そのうち受講生の1人が浴場を覗き込んで、
「見てください、もういっぱいですよ。男も女も」
あらら、本当だ!
僕は何度となく、ここを訪れていますが、こんなに賑やかな浴場を見るのは初めてです。
東京から来た団体客が入り込んだようであります。
それに一般客もいて、それはそれは、一種異様な光景が広がっていました。
ここは、現代の日本なのでしょうか?
老若男女が全裸で、所狭しと仲良く湯を浴んでいるではありませんか!
まるで、浮世絵を見ているようであります。
「さあ、我々も元気良く入りましょう!」
とタオルで股間を隠しながら、
「すいません、失礼します」
と言いながら、男女入り乱れる浴槽の中へ。
「せんせーい! ここ、ここ」
と声のするほうを見れば、わが女性受講生たちが奥の浴槽で手を振っています。
“先生” と聞いて、一斉に浴場内の他の客が僕のほうを向きました。
すると、今まで隣で背中を向けていた若い女性(どう見ても20代であります) が、クルリとこちらへ向いて、
「え、何の先生ですか?」
と訊ねてきました。
「ええ、まあ、あの……」
とにかく向こうを向いて話してくれませんかね。
オジサンには、キミの体がまぶし過ぎるのであります。
戸惑っていると、そばにいた男性受講生が助っ人を出して説明してくれました。
やれやれ、とんだハプニングでありました。
それでも、一緒に入浴したという連帯感が、さらに受講生たちの仲を結び付けたようで、バスが前橋に着くと、その足で飲み屋へ直行!
忘年会の宴が始まったのであります。
<ああ、良き湯、良き仲間に囲まれて、オレの人生は幸せだなぁ~>
と、しみじみと酔いしれた晩でした。
受講生のみなさん、お疲れ様でした。
来年もよろしくお願いします。
良い年をお迎えください。
2012年12月17日
西上州の薬湯
よく年配の人で、加温した冷鉱泉のことを
「なーんだ、ここんちは沸かし湯か~!」
と落胆したように言う人がいます。
この人たちは、“温泉=温かいもの” という常識が刷り込まれているからです。
現在では、温泉法でも25度以上を 「温泉」 と定めていますから、なんら問題はないわけです。
でも、年配(昭和23年の温泉法制定前を知っている世代) の人たちは、その昔、ちゃんと温かい鉱泉を 「温泉」、冷たい鉱泉を 「冷泉」 と呼び分けていたんですね。
だから、温泉と表記しているのに温めているとは、けしからん! だまされた!的な発想を抱くのだと思います。
でもね、僕は、そうは思わないのです。
だって、何百年も昔から、温めてまで入っていたんですよ。
絶対に、ただの湧き水じゃありませんって!
数々の病を治してきた霊験あらたかな薬の泉だからこそ、ボーリング技術が進歩した現在でも新源泉を掘削せずに、代々泉を大切に守り継いでいるのです。
“冷鉱泉に名薬湯あり”
僕は、そう考えています。
群馬県の場合、赤城山~榛名山~浅間山を結ぶ火山ラインを境に、北は温度の高い温泉が湧いています。
しかし、南は東上州から西上州まで、そのほとんどは冷鉱泉です。
(もちろん掘削による日帰り温泉は除きます)
特に西上州は、古来より薬湯と呼ばれてきた温泉が多く存在します。
「たまご湯」「薬師の湯」 などといわれ、医学が発達した現在でも湯治客が後を絶ちません。
と、いうことで、僕がコメンテーターを務めている群馬テレビ 「ニュースジャスト6」 では、次回、「西上州の薬湯」 と題して、不思議な力を持ち、数々の病を治してきた霊験あらたかな冷鉱泉を紹介いたします。
なかには、実際に皮膚科や小児科の医者が病気の治療に使っている源泉もありますよ。
ぜひ、ご覧ください。
●放送局 群馬テレビ(地デジ3ch)
●番組名 「ニュースジャスト6」
NJウォッチのコーナー
●放送日 (月)~(金) 18:00~18:45
●出演日 12月20日(木)
●テーマ 「西上州の薬湯」
~霊験あらたかな冷鉱泉~
2012年12月16日
未来をヨロシク!
衆院選、投票に行かれましたか?
今回の選挙から、我が家に届いた投票所入場券が1枚増えました。
はい、長男が今年20歳を過ぎて、投票権を得たのであります。
“ハタチ” っていう響き、いいですよね。
僕だって、ありましたよ。
もう、34年も前のことですけれど。
でも、住民票を移さずに東京で学生をしていた頃なので、たぶん選挙へは行かなかったんじゃないかな・・・
いや、厳粛な父から 「投票に帰って来い!」 と言われた記憶もありますから、帰省して地元の投票所へ行ったのかもしれませんね。
なにせ、古い記憶なもので、それが20歳だったのか、それ以降のことなのか判然としないのです。
「おい、今年からお前にも選挙の投票券が来ているけど、行くんだろ?」
数日前の晩、リビングでスマホをいじっている息子に言いました。
「あ、ああ」
と、つれない返事です。
20代の若者の投票率の低さが危ぶまれている現在の日本です。
ここは、大人として、親として、国民の義務をしっかりと教えてやらねばなりません。
「興味があるなしに関わらず、とにかく20歳になって最初の選挙なのだから行きなさい!」
と、ビシッと言ってやりました。
「分かった。ただ行けばいいの? 何も持って行かなくていいの?」
と、やっと少しは興味を持ってくれたようです。
「バカ、手ぶらでいったら誰だか分からないだろう。この入場券を持って行くんだよ。最初だから、なんなら父さんが一緒に行ってやろうか?」
と言うと、照れもせず、
「ああ」
と、そっけない返事だけが返ってきました。
そして、迎えた今日。
昼からバイトだというのに、11時近くになっても息子は寝ています。
このままでは、結局 「バイトに間に合わないから行かない」ってなことになりかねません。
大人として、親として、何がなんでも彼を投票所へ行かせねばならないのです。
仕方なく、滅多に入ったことのない息子の部屋に入り、
「おい、選挙へ行くぞ! 起きろ!」
と叩き起こしてやったのであります。
投票所の会場となっている小学校へ向かう車中では、投票の仕方について、簡単にレクチャーをしました。
小選挙区と比例代表があること。
そして今回は、最高裁判所裁判官の国民審査があること。
小選挙区は、候補者の名前。
比例代表は、政党の名前。
国民審査は、辞めさせたい人の名前に×を記すことを説明しました。
「分かったか?」
と問えば、
「ああ」
と、相変わらずの無反応であります。
それでも会場では、僕のあとを金魚のフンのように付いて回って、僕の真似をしながら無事に彼は、人生初の選挙を終えました。
“選挙へ行ったところで、何も変わらない” という若い人の声を聞きます。
確かに、今の日本の政治家たちを見ていると、誰がなったところで大差はないようにも思われます。
でも今日の明日、今年の来年には変化がなくても、10年後、20年後、30年後には、今日の1票が世の中を変えているかもしれません。
そして、その頃、日本の世の中を動かしているのが、今の若者たちです。
投票所で記入している息子の背中を見たとき、「頼んだぞ!」 と期待しないではいられませんでした。
未来をヨロシク!
2012年12月14日
一湯一酒 湯酒屋 「安兵衛」
ちょっと面白い展開に、ワクワクしています。
先日、取材の途中で、みなかみ町観光協会の事務所に寄ったときのことです。
担当のKさんが、
「これ、これこれ! 安兵衛のママから預かってきたんですよ。小暮さんに許可がほしいって」
と言って、1枚の名刺を持ってきました。
“安兵衛” とは、水上温泉街にある飲み屋の名前であります。
つい10月に、協会の人たちに連れて行かれ、午前様まで飲んだくれた店です。
「えっ? なになに」
と渡された名刺を見ると・・・
湯酒屋 安兵衛 yuzakaya
と書かれているではありませんか!
“湯酒屋” とは、僕がその時にネーミングした造語です。
街の飲み屋は、居酒屋。
「でも、せっかく温泉にあるんだから “湯酒屋” のほうが風流がある」
とか何とか言っちゃって、「ここは、湯酒屋 安兵衛だ」
と、口走ってしまったんですよ。
※(命名のいきさつは、当ブログ2012年10月22日「あこがれの湯酒屋で」を参照)
ママさん、よっぽど気に入ってくださったんですね。
でも名刺には、まだ何か書かれていますよ。
水上温泉・一湯一酒 by Jun Kogure
これには、驚きました。
“一湯一酒” も、その時に飛び出したコピーです。
居酒屋ライターの吉田類氏の向こうを張って、「小暮淳の湯酒屋放浪記を書こう」 なんて話していたんですよ。
そのサブタイトルが、“一湯一酒” です。
温泉街には、必ず1軒は酒の旨い店がある。
それが、“一湯一酒” です。
温泉と酒のエッセー本なんて、将来書いて見たいものですな。
でも、マジマジと見れば、実に不思議な名刺であります。
だって名刺に、その人以外の名前が書かれている名刺なんて、見たことがありませんよね。
まー、それだけママさんは、僕に敬意を表して、気をつかってくださったということですね。
うれしいじゃ、ありませんか!
許可を出すも何もありませんって。
ジャンジャン使ってくださいな。
我こそは、この温泉街で一番の飲み屋だと自負しているお店には、“湯酒屋”の称号を僕が差し上げますよ。
著作権の契約料は、酒を一杯ごちそうしてくだされば結構です(笑)。
みんなで広げよう! 湯酒屋チェーン 一湯一酒の輪!
ママさん、ありがとうございます。
水上温泉に出かけた時は、また飲みに行きますね。
もちろん、紅しょうがの天ぷらをつまみに、芋焼酎ですよ。
2012年12月13日
上牧温泉 「常生館」
一度、泊まってみたかったんですよ。
自家源泉を保有している湯治宿だと聞いていましたから。
昨日は、雪の舞う中、昼過ぎから上牧温泉で取材活動を続けていました。
そして夜は、ご厚意により、「常生館」 に泊めていただきました。
「常生館」 は、上牧温泉にある5つの温泉宿の中でも、ポツンと離れて利根川の右岸に建つ旅館です。
その昔(といっても平成になるまで) は、川角(かわかど)温泉と呼ばれていた一軒宿でした。
「ごめんください」
玄関をくぐると、
「さあさ、どうぞ、どうぞ。若いもんは出払っていますが、戻るまで部屋でゆっくり休んでいてください」
と、大女将の石倉まささんが、かくしゃくとした応対で出迎えてくれました。
お歳を訊けば、なんと、今年卒寿(90歳の祝い) を迎えたといいます。
驚くほど元気な姿に、感動すら覚えました。
宿の創業は、昭和30(1955)年。
まささんと亡きご主人が、農業のかたわらに宿を始めました。
源泉は、すでに昭和の初期に、先代の常司さんが掘り当てていて、泉温が約30度と低いために、「石倉のぬる湯」 とも「常司のぬる湯」 とも呼ばれて、近在の人々からは親しまれていたといいます。
宿名の 「常生館」 は、“常司さんが生み出した湯” との意味だそうです。
何はともあれ、宿に着いたら旅装を解いて、その、昔から湯治客が長逗留しながら病気を治したという 「常司のぬる湯」 を思いっきり堪能することにしました。
さすが、湯治宿です。
館内の廊下にはすべて竹の手すりが備え付けられています。
また、浴室まで下る階段には、斜行機(イス式リフト) まで設置されていました。
お目当ての浴室は、見事としか言いようがありません。
3階くらいの高さがある吹き抜け天井を支えている大きな杉の丸太梁(はり)。
浴槽は、ヒバ材。
その重厚なたたずまいは、浴室というよりは湯屋。
いや、湯屋というよりは湯殿と呼ぶにふさわしい風格があります。
特筆すべきは、浴槽内が湯口側3分の1と湯尻側3分の2の値で、仕切られているということ。
これにより、湯口側は “あつ湯”、湯尻側は “ぬる湯” に分かれています。
交互に入ることにより、神経痛やリウマチなどの効能が、より得られるとのことですが、僕はそれだけではなく、湯が冷めないための先人の知恵を感じました。
湯上がりは、浴衣に丹前を着て、食堂へ。
大女将と女将の増江さんが作った素朴な田舎料理をつつきながら、宿の歴史や湯治客の話を聞きました。
食後には、出かけていた主人の和雄さんが帰ってきました。
「熱燗でも、やるかい?」
と言われれば、断るわけがありません。
そして主人が持ってきたのは、熱々のコップ酒です。
いーですねぇ~、この飾らないところがいいんですよ。
一般の旅館やホテルとは違います。
それだけで、人情を感じるじゃありませんか!
スポーツ好きの主人の話は、野球やサッカー、ホッケーにまでおよびます。
昔から部活の合宿で、学生たちが泊まりに来るのだといいます。
あの、松坂大輔投手も横浜高校時代に何回か宿泊したとのこと。
食堂の壁に、松坂投手の写真や送られた手袋、高校時代の寄せ書きが飾られていました。
1杯が2杯、2杯が・・・
コップ酒に、身も心もポカポカと温まっていきます。
窓の外は、シンシンと雪が降り続いています。
楽しい楽しい、湯治宿の夜でした。
2012年12月11日
えっ、あの子が!?
僕の父は若い頃、中学校の英語教師をしていた時期がありました。
(校長とケンカをして、すぐに辞めてしまったんですけどね)
ですから、恩師としてクラス会や同窓会に呼ばれることが多々ありました。
帰ってくると必ず、しみじみと言うのです。
「クラスで一番の美人だった子が、必ずしも将来も美人とは限らんぞ。女は環境で変わるんだな」
その意味が、この歳になって、やっと分かるようになりました。
5年前、そして先月と、中学校のクラス会がありました。
前回欠席で、今回初めて出席した人とは、なんと39年ぶりの再会となりました。
まあ、50代半ばにさしかかっているわけですから、男も女も、いいオジサンとオバサンになっているわけです。
でもね、1人か2人、同級生とは思えないほど、若々しい人もいるんですよ。
「あれ、その頭は染めてるの?」
「いや、地毛のままだよ。小暮は?」
はい、僕は染めています。
でも、一様にして男も女も、あの頃(中学生ですから当たり前ですが)よりは、ふっくらとしているし、シワもそれなりにあるし、頭髪も薄くなっているか、白髪まじりになっているわけです。
ほとんどの人は、想定内の老け具合なのであります。
問題は外見ではなく、その後の人生の変化が実に興味深いのであります。
あの頃の肩書きは全員、中学生でした。
ですから、そり後の人生は、未知数だったわけです。
ところが、不思議なもので、男子に限って言えば、みーんな 「なるほど」 と納得してしまう職業に就いていたのです。
「えっ、お前がか?」
と、驚く人生を歩んでいる人は、1人もいませんでした。
みんな、“らしい” のであります。
クラス1の秀才で、博士と呼ばれていたヤツは、大学教授になっていました。
マンガが好きで同好会を作っていたヤツは、コミック雑誌の編集者になっています。
「オレは医者になる」 と言って、有言実行して医者になったヤツもいます。
教師になったヤツ、自営業のヤツ、セールスマン、銀行員、公務員・・・
それなりに、「なるほどね」「お前らしいや」 と納得してしまいます。
みんな、あの頃のイメージどおりなのですよ。
“三つ子の魂 百まで” とは、よく言ったものです。
ところが、女子は違います。
まったくと言っていいほど、予測不能の人生を歩んでいました。
オヤジの言葉どおり、クラス1の美人が普通のオバサンになっていたり、その反対にクラスの中では目立たなかった子が、あたかもスターのような振る舞いをしていたりしました。
やっぱり、女性の人生は、環境に左右されるものなのでしょうか。
酒が入ってくると、男たちは、自分の仕事や趣味の話で盛り上がり出します。
一方、女性人は家庭や家族の話が中心で、ご主人や子供の自慢話へと発展していきます。
この違いが、男と女の人生に、大きな違いを生じさせるのかもしれませんね。
“男の人生は自分で作り、女の人生は環境が作る” と言ったら言い過ぎでしょうか・・・
「えっ、あの子が!?」
と思ってしまった人は、すべて女性だったということです。
でもね、最後には、こんな会話がされましたよ。
「今日、出席した人たちは、今が幸せだから来れたのよ。不幸な人は、クラス会には出られないもの」
これには一同、納得してしまいました。
2012年12月10日
カルタの季節
この時期、郵便受けに毎日のように届く、喪中ハガキ。
まあ、僕の年代の親たちは、みんな高齢ですから、仕方のないことです。
1枚1枚チェックして、来年の年賀状リストからはずします。
喪中ハガキの中に、今年4月、67歳という若さで亡くなったパステル画家、唐沢政道さんの家族からのものがありました。
今年、一番惜しまれた人であります。
唐沢画伯との出会いは6年前。
僕ら8人は(といっても、僕が一番の若輩者で、あとのメンバーは唐沢さんよりも年上です)、「ぐんまカルタ制作実行委員会」の結成のために集まりました。
理由は、1つ!
「上毛かるた」 のあまりにも独占的な所業に、立ち向かうためであります。
※(結成までのいきさつについては、当ブログ2010年12月18日「3分の1は敵」を参照)
僕は読み札の編集、唐沢画伯は取り札の描画を担当しました。
2年間の制作期間を経て、2008年10月に 『新・ぐんまカルタ』 を世に発表しました。
当時は、新聞や雑誌などのメディアが大きく取り上げたので、記憶に残っている人もいるかもしれません。
その後も、僕らは世代を超えて親交を深めてきました。
春の花見、夏の暑気払い、年末の忘年会と顔を合わせては、酒を酌み交わしました。
一度だけですが、「おい、小暮君。キミのお気に入りの温泉に我々を連れて行ってくれないか!」 と画伯に言われて、メンバーで1泊2日の温泉旅行へ出かけたこともありました。
その唐沢画伯が、2年前に病魔に襲われ、闘病生活を続けていることは誰もが知っていました。
「小暮君、元気か? 僕はガンになっちゃったよ」
と、抗がん剤の副作用で頭髪が抜け落ちてしまった頭を見せながら、陽気に笑った顔が忘れられません。
こうして今、目の前に、唐沢画伯と作ったカルタを並べて眺めていると、楽しかった2年間の制作風景が走馬灯のようにクルクルと、そして鮮やかに蘇ってくるのです。
「上毛かるた」では、取り上げなかった詩人の萩原朔太郎や土屋文明ほか、小栗上野介や中居屋重兵衛など歴史上の人物がイキイキと描かれています。
なんと言っても、僕が一番好きな札は、実行委員のメンバー全員の支持を得た「ち」の札です。
<鎮魂の峰 御巣鷹山>
昇魂の碑が立つ御巣鷹の尾根に、消えるジャンボジェット機の機影が描かれています。
群馬県民が、決して忘れてはならない史実であります。
唐沢さん、次にお会いできるのはいつかは分かりませんが、僕がそちらへ行ったときは、「おお、小暮君か! 良く来たな。温泉へ連れて行けよ」 って、あの頃と同じ満面の笑みで迎えてくださいね。
その日まで、唐沢さんを案内できるように、1つでも多くの温泉を回っておきます。
ご冥福をお祈りいたします。
※『新・ぐんまカルタ』(ぐんまカルタ制作実行委員会) は、県内有名書店にて販売中。
2012年12月09日
死んでもおかしくない
いつ頃からなんでしょうか。
朝、新聞を広げると「おくやみ」欄から目を通すようになったのは・・・
別に、知っている人の名前が載っていないかチェックしているわけではないんです。
ただ、妙に最近は、死んだ人の年齢が気になって仕方がないんですよ。
毎日、1人か2人は、50代の人がいます。
死因は何だろう?と気になります。
時々、20代や30代の人の名前を見つけると、「まだ若いのに」と胸が締め付けられます。
喪主を見て、“父” とあると、我が子とダブって、さらに胸が苦しくなります。
圧倒的に多い年齢は、70歳以上です。
今の70歳は若いですから、老衰ということはありません。
何らかの病気で亡くなったことと思われます。
「80代なら仕方ないかな~」とも思いますが、自分の両親のことを考えると、まだまだ長生きしてほしいと思ってしまいます。
100歳以上の人の名前は、滅多に見ませんね。
たまーに見かけますが、これは大往生でしょう。
90代が多い日は、「ああ、日本って長寿国だよなぁ~」と、なんだかホッとします。
で、我が家のボケ老人こと、88歳になったオヤジの話です。
先日、実家に行ったら、こたつの中にオフクロがポツンと1人でいました。
「あれ、オヤジは?」
「散歩に行ったよ」
オヤジは頭はボケていますが、足は鍛えているので健脚であります。
だから1人で、何キロでも歩いて散歩へ出かけて行きます。
また、ボケる前の記憶はシッカリしていますから、道は知っていて迷子になったことがありません。
時刻表だって読めますから、疲れたら、ちゃんとバスに乗って帰ってきます。
「オヤジは元気だよね。オフクロと逆だったら良かったのに」
と僕が言うと、
「お父さんね、100歳まで生きるんだって。困っちゃうよね」
とオフクロが、ため息をつきました。
「いいんじゃん、元気で長生きしてくれるぶんにはかまわないだろう」
と言えば、
「それが困るんだよ。私のほうが先に逝っちゃったら、困るのはお前たちだよ。何が何でも、私のほうが長生きしたいんだけど、自信がないよ……」
と、さらにしょげてしまいました。
確かに、我が家にとっては切実な問題です。
できるものならオフクロの願いをかなえて、1日でも長く生きさせて、オヤジを見送って安心させてあげたいものです。
「いつ死んだって、おかしくない歳なんだよ」
と、ポツリ。
「おくやみ欄だって、年上より年下のほうが多くなってきたし、同級生は年々いなくなってしまうんだから……」
と、さみしそうな顔をするのです。
死んでもおかしくない歳なんて、あるのでしょうか?
家族や友人や知人がいるかぎり、死んでもおかしくない年齢なんて、あるわけがありません。
それでも、生きとし生けるものが必ずや迎えなければならないものが “死” です。
「そんなこと言わないでさ、オヤジと一緒に100歳まで生きてよ」
と言えば、
「そりゃ、無理な相談だよ。私は自信がないね。だから困ってるんだよ」
そう言って、最後は笑ってくれました。
もう2時間もオヤジは帰ってきません。
どこまで行ったのだか、元気過ぎるのも、困ったものです。
2012年12月08日
先輩は神も同然
2011年の2月にスタートした朝日新聞群馬版に連載中の 『湯守の女房』 が、先月11月28日の掲載で35回を迎えました。
また今年の2月から隔月で連載が始まった湯守の女房番外編 『おやじの湯』 が、現在5回ですから合わせて計40回となりました。
ということで、「では、忘年会を兼ねて、通算40回連載のお祝いをしましょう」 と担当の I 記者に言われて、昨晩は、なじみの酒処「H」 にて、祝杯を上げることになりました。
「H」 のカウンターに腰掛けると、サーバーで生ビールを注ぎながらママが、
「 I さんは取材で遅れるそうよ。それまで、ゆっくり、やっててね」
と言って、グラスとお通しを出してくれました。
「そうそう、これからジュンちゃんの大ファンっていう人が、来るわよ」
そう言われて、勝手に僕は、ファン=女性だと信じ込んでいたのです。
ところが・・・
店の扉が開いて、寒風とともに入ってきたのは、まぎれもなくオッサンです。
それも歳の頃は、僕と似たか寄ったかの50代半ばの男性。
「小暮さん、お会いしたかったです。僕は小暮さんの後輩なんです」
と名乗った。
聞けば、僕の出身中学校の1学年下だという。
後輩だ?
我が母校では、“後輩は奴隷と同様” “先輩は神も同然” であります。
「おー、そうか、そうか、良く来たな~」
と、ついつい態度が大きくなる僕でありました。
ところが・・・
「小暮さんのブログは毎日読んでいます。テレビも見てます」
と。
それも話を聞けば、まー良く、僕のことを知っていらっしゃる。
ブログ内検索をして、バックナンバーの隅々まで読んでいると言うではありませんか!
と、いうことはです。
彼は、僕の熱烈な読者様ということです。
ライターにとって読者様は、神様であります。
ん?
彼は、いったい僕にとっては、奴隷なのでしょうか?それとも神様なのでしょうか?
まー、硬いことは抜きにして、飲めや歌えの大騒ぎが始まりました。
そして、ついに、ある重大な事実に2人はたどり着いたのであります。
それは今から39年前の中学3年生の時の話です。
僕には、1級下の学年に、恋焦がれている女の子がいました。
卒業まで、とうとう声をかける事もできず、ただただ放課後の校庭を走る姿を目で追っているだけの、それはそれは淡い恋のお話しです。
「確か、○○××美ちゃんていったよな~」
と冷酒をグビッと飲み干した時です。
「えっ、××美は、僕のクラスですよ。それも、この間クラス会があって、会ったばかりですから。彼女、今でも可愛いですよ。その時撮った写真を持っていますよ」
と言うではあーりませんか!
な、な、なんですとーーー!
今でも可愛い、だって!
う~~~、見てみた~い!
「おい、先輩といえば?」
「はい、神も同然です」
「そーだよな。何でも言うことを聞くよな!」
「もちろんです。先輩!」
そして、一夜明けた今朝のこと。
寝ぼけマナコでパソコンを立ち上げると、一通のメールが届いていました。
昨晩の後輩君からです。
<約束の写真を送ります>
添付写真を開いてみると・・・
うわぁ~、いました!
僕の中学時代のあこがれのマドンナ嬢、○○××美さんです。
あの頃は、まだあどけない少女でしたが、今はいいところの奥様なのでしょうか。
完全なる美魔女姿であります。
もう、僕の頭の中では、村下孝蔵の 『初恋』 が流れっぱなしであります。
しばらくは、この甘酸っぱい余韻に浸っていようと思います。
S君、ありがとう!
キミは奴隷なんかじゃないよ。
僕の夢をかなえる神様です。