2012年12月10日
カルタの季節
この時期、郵便受けに毎日のように届く、喪中ハガキ。
まあ、僕の年代の親たちは、みんな高齢ですから、仕方のないことです。
1枚1枚チェックして、来年の年賀状リストからはずします。
喪中ハガキの中に、今年4月、67歳という若さで亡くなったパステル画家、唐沢政道さんの家族からのものがありました。
今年、一番惜しまれた人であります。
唐沢画伯との出会いは6年前。
僕ら8人は(といっても、僕が一番の若輩者で、あとのメンバーは唐沢さんよりも年上です)、「ぐんまカルタ制作実行委員会」の結成のために集まりました。
理由は、1つ!
「上毛かるた」 のあまりにも独占的な所業に、立ち向かうためであります。
※(結成までのいきさつについては、当ブログ2010年12月18日「3分の1は敵」を参照)
僕は読み札の編集、唐沢画伯は取り札の描画を担当しました。
2年間の制作期間を経て、2008年10月に 『新・ぐんまカルタ』 を世に発表しました。
当時は、新聞や雑誌などのメディアが大きく取り上げたので、記憶に残っている人もいるかもしれません。
その後も、僕らは世代を超えて親交を深めてきました。
春の花見、夏の暑気払い、年末の忘年会と顔を合わせては、酒を酌み交わしました。
一度だけですが、「おい、小暮君。キミのお気に入りの温泉に我々を連れて行ってくれないか!」 と画伯に言われて、メンバーで1泊2日の温泉旅行へ出かけたこともありました。
その唐沢画伯が、2年前に病魔に襲われ、闘病生活を続けていることは誰もが知っていました。
「小暮君、元気か? 僕はガンになっちゃったよ」
と、抗がん剤の副作用で頭髪が抜け落ちてしまった頭を見せながら、陽気に笑った顔が忘れられません。
こうして今、目の前に、唐沢画伯と作ったカルタを並べて眺めていると、楽しかった2年間の制作風景が走馬灯のようにクルクルと、そして鮮やかに蘇ってくるのです。
「上毛かるた」では、取り上げなかった詩人の萩原朔太郎や土屋文明ほか、小栗上野介や中居屋重兵衛など歴史上の人物がイキイキと描かれています。
なんと言っても、僕が一番好きな札は、実行委員のメンバー全員の支持を得た「ち」の札です。
<鎮魂の峰 御巣鷹山>
昇魂の碑が立つ御巣鷹の尾根に、消えるジャンボジェット機の機影が描かれています。
群馬県民が、決して忘れてはならない史実であります。
唐沢さん、次にお会いできるのはいつかは分かりませんが、僕がそちらへ行ったときは、「おお、小暮君か! 良く来たな。温泉へ連れて行けよ」 って、あの頃と同じ満面の笑みで迎えてくださいね。
その日まで、唐沢さんを案内できるように、1つでも多くの温泉を回っておきます。
ご冥福をお祈りいたします。
※『新・ぐんまカルタ』(ぐんまカルタ制作実行委員会) は、県内有名書店にて販売中。
Posted by 小暮 淳 at 18:41│Comments(0)
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