温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2022年02月28日

明日の 「ほっとぐんま630」


 【街頭紙芝居】
 自転車の荷台に舞台をのせた紙芝居屋さんが、路地や公園にやって来て、子どもを集め、アメやセンベイなどのお菓子を売ります。そのお菓子を買った子どもだけが紙芝居を見ることができるのです。
 (東京都立図書館HPより)


 街頭紙芝は昭和5(1930)年、東京で誕生したといわれています。
 戦後の昭和20年代には、全国で7,000人以上の街頭紙芝居業者がいたそうですが、同30年代になるとテレビの普及とともに、急激に衰退していきました。

 僕は30年代生まれですから、街頭紙芝居の記憶はギリギリであります。
 見たことがあるような、ないような……
 それでも、懐かしいと感じるのは、きっと紙芝居の中に、昭和の良き時代の思い出が、いっぱい詰まっているからかもしれませんね。


 このブログでも、たびたび紹介している 「神社かみしばい」。
 街頭から紙芝居が姿を消して半世紀以上が立ちますが、令和の世に復活させた男がいます。
 彼の名は、石原之壽(いしはらのことぶき)。

 僕の高校時代の同級生です。


 定年退職後、彼は大道芸人となり、「壽ちんどん宣伝社」 を立ち上げます。
 ところが、彼の活動の行く手をコロナ禍がふさぎました。
 活動を始めた矢先、全国から祭りやイベントが消えてしまったのです。
 当然、チンドンでの出演依頼もパッタリ途絶えました。

 そんな中、彼は考えました。
 一人でも演じられ、屋外で密にならないモノはないか?
 それが街頭紙芝居でした。


 2020年1月より、彼は出身地である伊勢崎市内の神社境内で、街頭紙芝居を始めました。
 最初は、既存の紙芝居やクイズなどを演じていたようです。

 その年の夏、彼から連絡があり、「地元の民話を題材にしたオリジナルの創作紙芝居を作りたい」 との声かけがあり、昨年の1月からは、僕も口演に参加しています。


 そんな彼の活動は、たびたびメディアに紹介されています。
 が先日、ついに! 天下のNHKが取材に入りました。
 一日中、会場に貼り付き、彼の活動の一部始終を撮影。
 口演終了後には、インタビュー映像まで撮影して行きました。

 この時の様子は、明日夜のニュース番組の中で、特集として放送されます。
 ぜひ、ご覧ください。
 (もしかすると、僕も、ちょこっとぐらいは映っているかもしれません)



      「ほっとぐんま630」
        ~ぐんまびと~

 ●NHK前橋放送局 (地デジ1CH) 県域放送
 ●2022年3月1日(火) 18:30~19:00
  


Posted by 小暮 淳 at 12:30Comments(0)テレビ・ラジオ

2022年02月27日

西上州の薬湯 (8) 「浅間山の噴火とともに湧き出した霊泉」


 磯部温泉 「磯部ガーデン」 安中市


 群馬県は赤城山~榛名山~浅間山を結ぶラインを境に、北と南で泉質と泉温の異なる温泉が湧く。
 北の山間部はサラリとした高温泉、南の平野部は塩分の多い冷鉱泉。
 古来、温めてまで浴した冷鉱泉には、霊験あらたかな温泉が多い。

 磯部温泉の発見は古く、鎌倉時代には湧出していたといわれている。
 天明3(1783)年、浅間山の大噴火による降灰で泉口が埋まってしまったが、その圧力により新たな源泉が噴出したと伝わる。
 この付近一帯は碓氷川に沿った盆地状の凹地で、塩辛い水が湧き出ていたことから 「塩の窪(くぼ)」 と呼ばれていた。

 昭和になり、江戸時代の絵図が発見された。
 この絵図の中に描かれている2ヵ所 「塩の窪」 に、現在の温泉記号に似た符号が記入されていることから、磯部温泉は 「日本最古の温泉記号発祥の地」 といわれるようになった。

 平成8(1996)年、温度の高い新源泉が掘削され、旅館および日帰り温泉施設、足湯に供給されている。


 “舌切雀(したきりすずめ) のお宿” として知られる 「磯部ガーデン」 は、昭和11(1936)年に磯部館 (大正2年創業) の別館として開業した。
 磯部温泉の開拓者といわれる大手萬平 (詩人、大手拓次の祖父) が明治時代に創業した 「鳳来館(ほうらいかん)」 の無き今は、一族の流れををくむ磯部屈指の老舗旅館である。

 では、なぜ、“舌切雀のお宿” なのか?

 舌切り雀の物語は、口伝えにより全国に残されている。
 これらの話を拾い集めて、日本の昔話として世に発表した人物が、童話作家の巌谷小波(いわや・さざなみ) (1870~1933) だった。
 小波は大正時代に何度も当地を訪れ、磯部の伝承話が一番、話にブレがないことから 「ここが舌切り雀のお宿だ!」 と、伝説発祥の地として定義づけた。

 当時の本館である磯部館に滞在して、多くの書や句を残した。
 小波が残した掛け軸には、『竹の春 雀千代ふる お宿かな』 という句と、スズメの擬人画が描かれている。
 また館内の宝物殿には、スズメの舌を切ったハサミや、おばあさんが背負って帰ったツヅラなど、物語ゆかりの品々が展示されている。


 <2017年7月7日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:37Comments(0)西上州の薬湯

2022年02月26日

紀の国からの贈り物


 依然、「過去占い」 を続けています。

 過去占いとは、新聞に掲載されている 「きょうの運勢」 などの占い欄を、その日に読まず、あえて後日に読み、その的中率を楽しむという、僕独自の占い方法です。
 ※(当ブログの2021年12月11日 「過去占い」 参照)


 一昨日、その前日の新聞を広げたら、こんな運勢が載っていました。
 《福運舞い込む強運》

 あれ、昨日、なんか良いことあったっけ?

 この “あったっけ探し” が、過去占いの楽しみなんです。
 えーと、えーと、イイ事、イイ事……

 探したら、ありました!
 強運? とまではいきませんが、ホッコリ心が温まる出来事がありました。


 一本のショートメールが届きました。
 その送信主は、なんと! 30年前にお世話になったコンビニのオーナーさんでした。

 30年前といえば、僕が会社勤めを辞めて、フリーランスのライターになった直後です。
 当然、すぐには収入が得られなかったため、当時、コンビニを経営していた知り合いを頼って、短期間でしたがアルバイトをさせていただきました。

 その後、何度かコンビニに寄ったことがありますが、オーナーには会えたり会えなかったりで、やがて疎遠になっていました。
 そのオーナーから突然、メールが届いたのです。


 <お久しぶりです。紀伊国屋書店に寄ったら小暮さんの著書が集合陳列されていました。もちろん数冊買わせていただきました。すっかり大先生ですね。>

 たった数行のショートメールです。
 なのに読んだ途端、ウルウル、ウルウル……
 ダメです、見る見るうちにケータイの画面が歪んでしまいました。

 「ご無沙汰しています。その節は大変お世話になりました」
 そう、心の中でつぶやくのが精一杯でした。


 オーナーは、立ち寄った本屋で、偶然、僕の著書フェアを見かけたんですね。
 そして、その著書フェアが、昔、自分の店で働いていた僕だと気づいたんですね。

 ありがとうございます。
 あの時の御恩は、いまだに忘れてはいません。
 だって、あの時の僕がなかったら今の僕は存在しないのですから ……

 こんな短い文章なのに、長い年月が走馬灯のように次から次へとよみがえって来ました。


 もちろん、すぐに返信しました。
 すると、またメールが返って来て、何度か行ったり来たりを繰り返すうちに、「だったら今度、吞みましょう」 ということになりました。

 著書フェアが、人生の恩人との再会を引き合わせてくれた一日でした。
 紀伊國屋書店に、感謝!



          小暮 淳 著書フェア
 同時開催 『民話と伝説の舞台』 栗原俊文 表紙画展

 ●会場/紀伊國屋書店前橋店
       (けやきウォーク前橋1階 けやきコート側入口)
 ●会期/開催中~3月13日(日)
       10:00~22:00
  


Posted by 小暮 淳 at 12:20Comments(0)著書関連

2022年02月25日

続・寝るか死ぬか ~3つの懸念~


 昨日のつづきです。

 『スマホに子守りをさせないで!』

 これは一般社団法人 日本小児科医会によって、全国の小児科医院などの待合室に配布されたポスターのコピーです。
 これまで私たちは技術革新により、テレビやパソコン、携帯電話をはじめとする “電子メディア” に囲まれて暮らしてきました。
 その影響は、思春期の人たちから大人へと及んでいます。
 さらにスマートフォン (スマホ) やタブレット端末の出現で、新たな、より深刻な影響が懸念されています。
 それは、思春期や大人たちへだけではなく、子どもや幼い子を育てる家庭にもたらす影響です。

 このポスターには、3つの懸念が提示されています。


 ①<ムズがる赤ちゃんに子育てアプリの画面で応えることは、赤ちゃんの育ちをゆがめる可能性があります。>

 ②<親も子どももメディア機器の接続時間のコントロールが大事です。親子の体験や会話をもとにする時間が奪われてしまいます。>

 ③<親がスマホに夢中で、赤ちゃんの興味・関心を無視しています。赤ちゃんの安全に気配りができていません。>


 みなさんは、このポスターを読んで、どう思われましたか?
 正直、僕は最初、「大げさな」 と思ってしまいました。
 でも、その考えは今、日に日に変化しています。

 テレビやパソコン、携帯電話に比べ、スマホは並外れた便利さを備えています。
 普及して早10年が経ちます。
 すでに現在においては、思春期の青少年に限らず、老若男女が 「スマホ中毒」 から抜け出せなくなっています。


 おかげさまでマイノリティ主義の僕は、いまだにガラケーなので、中毒になりようがありませんが、将来は不安です。
 かつて僕は自分の著書の中で、便利になる世の中について、こう書きました。

 <“便利” は、とてもいいことだ。便利な町は一見住みやすそうだ。(中略) “不便” は、とても面倒臭いものだ。不便は人が手を一生懸命かけてあげないと、なかなか伝わらないものだ。 (中略) その逆で便利に慣れてしまうと、人は手を抜くことをいつも考えるようになるだろう。>
 『上毛カルテ』(上毛新聞社) 「いつか見ていた風景」 より


 スマホとの付き合い方を考える時が来たようです。
    


Posted by 小暮 淳 at 11:59Comments(3)つれづれ

2022年02月24日

寝るか死ぬか


 同居する次女は、ほとんど家に居ませんが、たまに見かけると、いつもスマホをいじっています。
 今どきの子は、みんなそうなのかもしれませんが、親としては少々心配になり、ついつい、話しかけてしまいます。

 「いつもスマホいじってるな?」
 「……」
 「スマホがない時代に生まれていたら、どうするの?」
 「……」

 しばらくして、小さな声が聞こえました。
 「死んじゃう」

 大げさな~!
 と、あきれてしまいました。


 過日、仕事で20代の女性2人と一緒になる場面がありました。
 休憩中のこと。
 2人が2人とも、同じテーブルにいるのに、会話もせず、各々のスマホを夢中になって触っています。

 「ごくろうさま」
 と声をかけると、
 「お疲れさまです」
 と声を返してくれるものの、2人とも顔はスマホの画面を見たままです。

 こんな時は、ソーッとしておくのがマナーなのかもしれませんが、僕は “オヤジ” です。
 それも頭に、“おせっかい” が付きますから、話しかけずにはいられません。

 「スマホって、そんなに面白いの?」
 と言えば、
 「いや……、別に」
 と、一人の子が返事だけしてくれました。

 「クセなのかなぁ?」
 ウザイと思われるのは分かっていても、訊かずにはいられません。
 「ええ、まあ……」

 ここで、やめておけば良いのですが、ついつい、この年頃の子を見ると娘と重ね合わせてしまい、馴れ馴れしく訊いてしまいます。

 「もし、スマホがなかったら、どうするの?」

 すると2人同時に応えました。
 「寝ます」


 寝る?

 ということは、起きている時は、すべてスマホを見ているということなんでしょうか?
 思えば、うちの娘も、さすがに寝ている時はスマホを手放しています。
 「死んじゃう」 = 寝ている状態なんですね。


 我々にとってスマホは、つい最近登場した電子メディアです。
 パソコン同様、一生懸命ならい、生活を便利にしようと習得した、いわば、ツールの1つに過ぎません。
 でも彼女たちにとってスマホは、物心ついたときから存在し、当たり前のように使いこなしている生活必需品なのかもしれません。

 では、その弊害はないのでしょうか?
 赤ちゃんや子育てへの影響は?

 少し考えてみたいと思います。
 <つづく>
    


Posted by 小暮 淳 at 13:35Comments(0)つれづれ

2022年02月23日

フェチも歩けば靴をなめる


 昨晩は久しぶりに、ゆかいな仲間が集まりました。
 当ブログでは、お馴染みの 「弟子の会」 の面々です。

 弟子の会とは、僕のことを勝手に 「先生」 とか 「師匠」 と呼ぶ、温泉好きの集まりです。
 当然、会えば温泉話に花が咲くのですが、最近は、たびたび下ネタに脱線します。
 とは言っても、みなさん、50代以上の良識ある紳士淑女たちですから、そんなにお下品な話はいたしません。
 やんわりと、それとなく、ちょっぴりエッチで色気のあるテーマで盛り上がるわけです。


 昨晩は、なぜか、フェチ話になりました。
 「異性のどんな所に感じるか?」
 という、年がいもないテーマに、紳士淑女らは大いに興奮したのであります。

 「髪ですね。きれいな髪の人は、男女を問わず触りたくなります」
 「私は、汗のにおい。ジャージに付いたにおいを、こうやって、ウ~ンって嗅ぎたい」

 まあ、人それぞれ感じる所はいろいろで、聞いていて楽しいのです。

 「先生は、どこよ?」
 と問われれば、僕だって胸を張って、こう答えました。
 「ふくらはぎ」

 この部位だけは、譲れません!
 若い頃から今日に至るまで、僕がこだわり抜いている唯一のフェチなのですから!


 「そういえば最近、変な事件がありましよね? 靴をなめて捕まったという」
 Sさんのひと言で、話のテーマは全部 “靴フェチ” に持っていかれてしまいました。


 《女子中学生の靴なめた疑い》
 《高崎署が男逮捕》

 数日前の地方新聞の片隅に、そんな見出しを付けた小さな記事が載っていました。

 <逮捕容疑は1月30日午後5時5分ごろ、高崎市内の商業施設で、商品を見ていた西毛地域に住む女子中学生に近づき、床にはいつくばって左足に履いていた運動靴のつま先をなめる暴行をした疑い。>


 何が変なのかって、まず、<床にはいつくばって>  という行動です。
 一見、女子中学生のスカートの中を覗こうとする痴漢行為かと思いきや、はいつくばってしまう。
 実は、お目当ては女子中学生ではなく、女子中学生が履いていた “運動靴” だったということ。

 運動靴ですよ!
 ハイヒールに異常に興奮して、盗んで捕まったというフェチ泥棒の話は聞いたことはありますが、色気もそっけもない中学生の運動靴というのが、スゴイ!

 そして驚いたのは、履いている靴をなめる行為は、暴行罪にあたるということです。
 (脱いだ靴なら器物損壊罪なのだろうか?)


 気になるのは、容疑者 (52歳) の動機であります。
 新聞には、このように記載されていました。

 <同署によると 「間違いありません」 と容疑を認め、「自分の性欲を満たすためだった」 などと供述しているという。>


 「髪」 だ 「汗」 だ、「ふくらはぎ」 だと騒いでいた僕らは、なんて凡人なのでしょう。
 フェチの世界は、奥が深くて広~いんですね。

 容疑者は、犬の生まれ変わりなのかもしれません。
 きっと彼の家の縁の下からは、運動靴に限らず、さまざまな履物が見つかることでしょうね。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:17Comments(0)酔眼日記

2022年02月22日

西上州の薬湯 (7) 「山のリゾートホテルに湧いた美肌の湯」


 このカテゴリーでは、2016年12月~2018年2月まで関東新聞 「生活info(くらしインフォ)」 に連載された 『西上州の薬湯』(全15話) を不定期にて掲載しています。
 ※名称、肩書、料金等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。


 倉渕川浦温泉 「はまゆう山荘」 高崎市


 群馬にありながら、なぜ施設に海辺の植物の名前が付いているのだろうか?
 その理由は、幕末の時代にさかのぼる。

 幕臣の小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)は、日米修好通商条約批准のために渡米した。
 その時、アメリカとの造船技術の差に驚き、帰国後、横須賀に製鉄所や造船所を建設した。
 のちに小栗は官軍に反逆の意があるとし、土着を決心した上州権田村 (旧倉渕村) において斬殺されてしまう。

 この史実により、横須賀市 (神奈川県) は恩人である小栗上野介忠順を顕彰し続ける村民に対して敬意を表し、交友都市を結んだ。
 その証しとして昭和62(1987)年に横須賀市民休養村として設立されたのが 「はまゆう山荘」 だった。

 海なし県の山奥なのに海岸の砂地に自生する植物の名前が付いているのも、浜木綿(はまゆう)が横須賀市の 「市の花」 だからである。


 「以前は軽井沢への通過点としての利用客が多かったのですが、温泉が湧いてからは湯を目当てに来られる方が増えました」
 と話すのは創業以来、同荘に勤務する総務課長の塚越育法さん。
 平成18(2006)年の市町村合併を機に横須賀市から高崎市へ移譲され、翌年、念願の温泉を掘削。
 同21年3月から倉渕川浦温泉としてリニューアルオープンした。
 県内で最も新しい温泉地の誕生だった。

 泉質はナトリウム・カルシウ-塩化物・硫酸塩温泉。
 三種混合と呼ばれる成分の濃いにごり湯で、かすかに金気臭がする。
 浴感がやわらかく、湯上りは肌がツルツルになることから 「美肌の湯」 と呼ばれ、オープン当時は評判になった。

 もう一つの名物が 「よこすか海軍カレー」。
 明治41(1908)年に日本カレー発祥の地、横須賀で生まれた海軍割烹術の “カレイライスレシピ” を基に復元したカレーで、群馬で食べられるのは唯一ここだけ。
 スパイシーでありながら懐かしい味は、湯上りの生ビールとの相性も良い。


 <2017年6月2日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:17Comments(0)西上州の薬湯

2022年02月21日

TVカメラがやって来た!


 コツコツ、コツコツ
 晴れても雨でも風の日でも
 コツコツ、コツコツ、
 人が集まっても集まらなくても
 休むことなく、神社の境内に立ち、演じ続ける男がいます。

 彼の名は、石原之壽(いしはらのことぶき)。
 「壽ちんどん宣伝社」 の座長です。
 そして彼は、僕の同級生。
 1年前、彼のために紙芝居用の物語を書き下ろしたのが縁で、僕も毎月、街頭紙芝居に参加するようになりました。


 昨日は今年2回目の 「神社かみしばい」 口演日でした。
 開演30分前、会場である伊勢崎神社へ行くと、すでに数人の人影がありました。
 よく見ると、お客さんではありません。
 大きな撮影カメラと収音マイクを抱えたテレビクルーです。

 聞けば、NHKテレビの取材だといいます。


 その5分後、またしても同じ機材を抱えた人たちが現れました。
 こちらは、群馬テレビのクルーでした。
 やはり、取材に来たようです。

 よりによって、2つのテレビ局がブッキング取材です。
 会場は、さながら記者会見のようで異様な雰囲気となりました。


 「紙芝居が、始まるよ~!」
 いつものように拍子木を鳴らしながら、座長が自転車の荷台にくくり付けた紙芝居の前に立ちます。
 2台のカメラが回り出します。

 緊張している様子もなく、彼は子どもたちに飴を配り、クイズを出し、正解するとラッパを鳴らして賞品を手渡し、いつもどおりに、パフォーマンスを続けます。
 今回、演じたのは3つの創作紙芝居。

 1つは、彼オリジナルの 『桃太郎?』。
 昭和の高度経済成長期のドブ川に流れ着いた桃とおばあさんの話です。

 2つめは、前橋市在住の絵本作家・野村たかあきさん作 『焼きまんじゅうろう 旅すがた』。
 江戸時代の上州 (群馬県) を舞台に、渡世人のまんじゅうろうが悪を懲らしめて大活躍します。

 そして3つは、僕が地元・伊勢崎市に伝わる民話を題材に書いた 『いせさき宮子の浦島太郎』 です。


 群馬テレビは、昨夜のニュースで放送されました。
 NHKは、これから編集作業にかかり、3月1日の夜のニュース番組の中で、特集されます。

 「たかが紙芝居、されど紙芝居」
 僕は、いつもそう思いながら彼の活動を応援してきました。
 昭和~平成~令和と時代は変わり、世の中も変わりました。
 「それでも子どもの笑顔は変わらない」
 と彼は言います。


 コツコツ、コツコツ
 ライフワークのように彼の口演活動は続きます。

 継続は力なり……

 まさに、そう感じた一日でした。
   


Posted by 小暮 淳 at 10:57Comments(0)神社かみしばい

2022年02月19日

光るは親父のハゲ頭


 <光るは親父のハゲ頭>

 ある日突然、このフレーズが頭をよぎりました。
 あれ、これ、何だっけ?

 えーと、えーと、確か、子どもの頃に友だちとやった言葉遊び……
 でも、これはオチで、この言葉にたどり着くまでに、尻取りのように連想ゲームが延々と続いたような……

 始まりは何だっけ?
 そうだ!

 <いろはに金平糖(こんぺいとう)> 


 その日は、それだけ分かり、数日が過ぎました。
 僕が小学生の時ですから、昭和30~40年代の遊びです。
 日々、半世紀以上前の記憶をたどる “昭和謎学の旅” が始まりました。

 「いろはに金平糖 金平糖は甘い」
 そして、甘いのは砂糖です。

 そうです、味からのスタートでした。
 でも、それがどのようにして、“ハゲ頭” まで、たどり着くんでしたっけ?

 「風が吹けば桶屋が儲かる」 的に、発想を膨らませます。


 ただ、断片的ではありますが、いくつかの通過キーワードは思い出しました。
 「ホオズキ」 「オナラ」 「バナナ」 「十二階」
 この言葉を通過するように連想を続ければ、たどり着けることが分かりました。

 「砂糖は白い」

 白いのは? ウサギです。
 ウサギは跳ねます。
 跳ねるのは? カエル?
 いや、僕の記憶の中に “カエル” という響きは残っていません。

 そーだ! 「ノミ」 です!
 そして、「ノミは赤い」。

 でも今思うと、ちょっと不思議です。
 ノミが跳ぶことは知っていましたが、赤い色をしてたなんて?
 誰が考えたのでしょうか?


 「赤い」 が出れば、次は 「ホオズキ」 です。
 今の子どもは知らないでしょうね。
 ホオズキの赤い実の中の種を出して、穴から吹くと、笛のように音が鳴るんです。

 だから、「赤いはホオズキ」→「ホオズキは鳴る」→「鳴るはオナラ」 です。


 子どもは、オナラとかウンチが大好きです。
 当然、続きは、こうなります。

 「オナラは臭い」→「臭いはウンチ」

 ここまで来れば、記憶のキーワードが使えます。
 バナナです!

 「ウンチは黄色い」→「黄色いはバナナ」 となります。


 さてさて、最大の難関が 「十二階」 です。
 確かに、この遊びの中に入っていた言葉なんです。
 この謎を解くのに、また数日を要しました。

 そして、ついに記憶をつなぎ合わせ、全文を完成させました!
 もし、知っている人がいたら、ぜひ一緒に、ご唱和ください。
 (メロディーも抑揚もなかったと思います。棒読みで結構です) 


 いろはに金平糖 金平糖は甘い
 甘いは砂糖 砂糖は白い
 白いはウサギ ウサギは跳ねる
 跳ねるはノミ ノミは赤い
 赤いはホオズキ ホオズキは鳴る
 鳴るはオナラ オナラは臭い
 臭いはウンチ ウンチは黄色い
 黄色いはバナナ バナナは高い
 高いは十二階 十二階は怖い
 怖いはオバケ オバケは消える
 消えるは電気 電気は光る
 光るは親父のハゲ頭


 いかがでしたか?
 地域によっては途中が異なると思いますが、スタートの 「いろはに金平糖」 とオチの 「親父のハゲ頭」 は全国共通だと思われます。

 ところで、意味不明な言葉の中に、実に昭和がひそんでいることに気づきます。
 バナナは高かったんですね。
 子どもにとっては、今でいうメロンやマンゴークラスの果物でした。
 遠足や風邪をひいた時にしか口に入らない高価なモノだったのです。

 だから 「バナナは高い」

 で、値段の高さと建物の高さをひっかけたのが、「十二階」 です。
 当時、10階以上の建物なんて、地方都市はありませんでしたからね。
 でも10階でなく、12階にしたのは、ゴロが良かったからだと思います。


 あー、スッキリしました。
 数日間かけた僕の “昭和謎学の旅” が終わりました。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:49Comments(2)昭和レトロ

2022年02月18日

はしご会議


 はしご酒も楽しいですが、「はしご会議」 は、もっと楽しい!
 実は僕、会議が大好きなんです。

 とは言っても、サラリーマン時代 (7年ほどありました) は大嫌いでした。
 ダラダラと答えの出ないムダな話し合いに、あくびをかみ殺していた記憶しかありません。
 でも、これがフリーランスで仕事をするようになると、一変!

 “無” から “有” を生み出す過程の第一歩だと思うと、ワクワクしながら参加しています。


 昨日は午前と午後、2つの会議を “はしご” してきました。

 午前はNPO法人 「湯治乃邑(くに)」 の月例会議です。
 僕は、この法人の理事長をしています。
 出席者は僕のほか、役員2名と外部からデザイナーが1名。
 高崎市の事務所会議室に集まりました。

 いよいよ、コロナ禍の沈黙を破り、始動開始であります。
 この2年間、温めに温めて、人知れず制作を続けてきた作品を世に出す時が来ました。

 それは、刊行物!
 もちろん県内初、全国でも類を見ないモノを創ろうとしています。

 ところが……
 問題は、資金です。
 モノはできていて、あとは印刷をするだけなのですが、先立つ物がありません。

 そこで、デザイナーを交え、制作費捻出のための会議が開かれました。
 結果、クラウドファンディングを利用しながら、他のいくつかの方法も併せて、刊行に漕ぎつく方法にたどり着きました。
 まだ発表することはできませんが、近々、マスコミ等で一斉に報道していただくことになりそうです。
 乞う、ご期待を!


 さて、午後は前橋市に移動。
 群馬テレビの会議室にて、『ぐんま!トリビア図鑑』 の企画・構成会議であります。
 僕は、この番組のスーパーバイザー (監修人) をしています。
 が、ときどき、リポーターとして番組にも出演しています。

 昨日は、5月~7月までのテーマと担当スタッフ決めを行いました。
 集まったのはプロデューサー、ディレクター、放送作家ら計11名。
 会議では、ツッコミあり、ボケもありの忌憚のない意見が飛び交い、あっという間に2時間半が過ぎました。

 「そんな山の中に、本当にあったのかな?」
 「あったという記述があるんです」
 「じゃあ、調べてきてよ」
 「一緒に行きましょう」
 「誰が?」
 「小暮さんですよ、リポーターなんですから!」
 「えっ、そのネタ、俺なの~? 聞いてないよ~!」

 まあ、そんな具合に、番組の企画と構成が決まるわけであります。


 さぁ~、今年も人生のメニューは盛りだくさんですぞ!
 コロナなんかに負けずに、張り切って突っ走ろうじゃありませんか!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:18Comments(0)つれづれ

2022年02月16日

熟男J


 ♪ じれったい じれったい
    何歳(いくつ)に見えても オイラ誰でも
    じれったい じれったい
    オイラはオイラさ 関係ねーぜ
    特別なんだよ 唯一無二だぜ
    オ・イ・ラ 熟男(うれだん) J ♪
    (中森明菜 『少女A』 のパクリ)


 最近、とっても気になるんです。
 アンチエイジングを促すテレビCMや新聞広告……

 「いくつに見えますか?」
 と視聴者や読者に問いかける、あのヤラセっぽいやつです。
 「実は、○歳なんです」
 と、絶対に見えない年齢を告げ、まるで種明かしのように、

 「若く見える人は、○○を愛用しています」

 と商品名を連呼します。
 サプリメントや健康食品が多いのですが、なぜ、この手のCMや広告が多いのでしょうか?


 答えは簡単です。
 みんな、“若く見られたい” からなんですね。
 特に女性は、切実だと思います。

 子どもの頃、授業参観に来たオフクロが、他のお母さんたちより若く見えたとき、なぜか嬉しかったことを覚えています。
 “若いこと” が素晴らしいのではなく、“若く見えること” に意味があるんですね。


 では、若く見られることのメリットって、何でしょうか? 
 モテる、好印象、清潔感、健康的……

 では、老けて見えることのデメリットは?
 弱々しい、みすぼらしい、不潔感……

 これまた “老いていること” がいけないのではなく、“老いて見える” ことに抵抗感があるようです。


 男性も女性も、できることなら “若々しく歳を重ねたい” と願うもののようですが、僕は、ちょっと違うんですね。
 健康ではありたいのですが、若く見られたくはありません。
 というのも、今までの人生が大きく影響しています。

 実は僕、高校卒業と同時に、ヒゲを生やしていました。
 10代だということがバレないように、大人びた格好をしていたんです。
 というのも、東京で唄を歌ってましたから。
 若いとバカにされ、説得力に欠け、唄を聴いてくれないと思ったんですね。

 「早く大人になりたい」
 と切に願っていました。


 40代にも童顔に悩んだ時期がありました。
 温泉の講座やセミナーに講師として招かれた時です。

 「えっ、先生なんですか?」
 「もっと年配の方かと思っていました」
 と、行く先々で、依頼者から驚かれることが、たびたびありました。

 《温泉の講師=人生を知り尽くした年配者》
 といったイメージがあるようです。

 早く歳を取りたい……日に日に思いは募っていきました。
 そして迎えた50代、僕は一大決心をして、毛染めを止めました。
 頭髪を全白髪にしたのです。

 あえて、《白髪=年寄り》 のイメージを自ら望んで付けました。


 確かに作戦は成功しました。
 年相応か、それ以上に見られるようになり、講演やセミナーの会場へ行っても、好奇な目で見られることもなくなりました。

 アンチエイジングならぬ、ウィズエイジングであります。
 「熟男J」 が、できあがりました。

 僕は、これで、いいんじゃないかと思っています。
 若く見えても、老けて見えても、中身が伴っていなければ、ただの “張りぼて” に過ぎません。


 どう見えるか?
 ではなく、
 どう生きているか?

 自ずと、見た目も伴なうはずです。

 みなさんは、どう思われますか?
   


Posted by 小暮 淳 at 12:07Comments(0)つれづれ

2022年02月15日

「神社かみしばい」 2月口演


 ♪ ハア~ 背中(せな)で転がす からっ風
    焼きまんじゅうろう 旅すがた
    あまから みそだれ 一刀流 ♪
  (作詞/野村たかあき 作曲/小暮淳 『焼きまんじゅうろう 旅すがた』 より)


 昨年1月からスタートした 「神社かみしばい」。
 おかげさまで先月、1周年記念特別口演を無事に開催することができました。
 地元伊勢崎市の民話をもとに制作した 『いせさき宮子の浦島太郎』 は、この1年間、さまざまなメディアに取り上げていただき、市内はもとより市外や県外からも、たくさんの方々に来社していただきました。

 “たかが紙芝居、されど紙芝居”

 あらためて、昭和娯楽の魅力と底力を思い知らされました。


 さて、この1年間に、もう1人、ヒーローが誕生しました。
 そうです、「焼きまんじゅうろう」 であります。

 舞台は江戸時代の上州 (現・群馬県)。
 三度笠に合羽姿の渡世人。
 どこからともなく風のように現れては、悪人どもをバッタバッタと退治します。

 <利根の流れに産湯をつかい、からっ風に育てられ、義理と人情のためならば、ガブッと焼きまんじゅうろうを頬張って、悪を憎んで弱きを助け、西東。姓は “焼き”、名は “まんじゅうろう” と申しやす>


 必殺技は、「あまから剣法みそだれ返し」
 焼きまんじゅうの味噌ダレを、悪人目がけて飛ばします。

 そして最後は、この決めゼリフ!

 <目に染みたか、身に染みたか、心に染みたか>

 「よっ、まんじゅうろう!」
 と、観客からは声がかかります。


 作・画は、前橋市在住の絵本作家、野村たかあきさんです。
 現在、下記の2作を上演しています。
 ぜひ、ニューヒーローに会いに来てください!

 ●「焼きまんじゅうろう 旅すがた」 ~おきりとおこみの巻~
 ●「焼きまんじゅうろう 旅すがた」 ~宿場につめてぇ風が吹く~



         「神社かみしばい」 2月口演
 
 ●日時  2022年2月19日(土)、20日(日)
       10時、11時、12時、13時 ※寒冷のため屋内開催
 ●会場  伊勢崎神社 (群馬県伊勢崎市本町21-1)
 ●入場  無料 (投げ銭制) ※ペイペイ可
 ●問合  壽ちんどん宣伝社 TEL.090-8109-0480

 ☆小暮は20日のみ在社いたします。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:28Comments(0)神社かみしばい

2022年02月14日

最後の “お上がり”


 僕に特技というものがあるとしたら、それは、パンク修理です。
 どんな自転車でも15分で直します。

 なぜ、そんな特技が身に付いたのか?


 僕には、3人の子どもがいます。
 長女と長男は、すでに独立して所帯を持ち、別の場所で暮らしています。
 末っ子の次女だけが同居していますが、その彼女も今春、就職が決まり、他県で一人暮らしをすることになりました。

 この3人の子どもたちが高校卒業まで通学で愛用していた自転車の修理工が、僕だったのです。
 「おとうさん、パンクしちゃった」
 と一人が言えば、
 「あ、私のも直しといて」
 と、10年前までは、繁忙期が続いていました。

 が、ここ数年は、まったく発注はありません。
 たまに、自分の自転車のパンクを修理するくらいのものです。
 というのも、大学生になった次女は、しばらくは通学に駅までの区間を自転車で通っていたものの、車の免許を取ってからは、パッタリと乗らなくなってしまったからです。

 軒下には、水色の自転車が雨風にさらされたままでした。


 先日、僕の自転車がパンクしました。
 いつもなら、ササッと修理するのですが、タイヤを見て、ため息をつきました。
 ただのパンクではありません。
 中のチューブだけではなく、タイヤ本体にまで穴があき、裂けています。

 ご臨終です。

 その時、目に入ったのが、軒下の水色の自転車でした。
 タイヤの凹凸もまだあるし、ホコリはかぶっているものの、磨いて油をくれてやれば、まだまだ立派に走りそうです。

 「おーい!」
 リビングでスマホをいじっている次女を呼びました。
 「この自転車、おとうさんにくれないか?」
 「えっ、なに?」
 「お前の自転車、もう乗らないんだろ?」
 「何年も乗ってないし」
 「だから、おとうさんにくれっていってるんだよ!」

 すると、しばらくして、
 「好きにすれば! もうすぐ、この家、出て行くし!」

 と、嬉しいような、淋しいような返事が聞こえてきました。


 かくして僕は、娘の “お上がり” を手に入れたのであります。
 思えば、長女からと長男からと、これで3台目の “お上がり” であります。

 そして、これが最後の “お上がり” となりました。


 ピカピカに磨いて、ベルなどの部品も取り換えて、3台目の “お上がり” は、僕の愛車として生まれ変わりました。

 チリンチリンチリン……

 「頑張れよ!」
 独り立ちする次女にエールを送りながら、僕は今日も颯爽と北風に向かって、ペダルを漕いでいます。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:16Comments(0)つれづれ

2022年02月13日

西上州の薬湯 (6) 「水墨画の世界を一望する絶景露天風呂」


 妙義温泉 「妙義グリーンホテル」「妙義ふれあいプラザ もみじの湯」 富岡市


 九州・大分県の耶馬渓(やばけい)、四国・香川県の寒霞渓(かんかけい) と並び 「日本三大奇勝」 に数えられている妙義山。
 言わずと知れた群馬県を代表する 「上毛三山」 の一座である。
 白雲山、金剛山、金鶏山の三峰からなり、奇岩怪石が林立する山容は中国の水墨画のように美しく、訪れる人を魅了する。


 その絶景を一望する高台に建つ 「妙義グリーンホテル」。
 平成6(1994)年、併設されるゴルフ場の宿泊施設として開業したリゾートホテルである。
 ところがオーブン当初からゴルフ客より圧倒的に観光や入浴を目的とする利用客が多かったという。
 理由は、湯の良さが口コミで広まったせいだった。

 源泉は、ナトリウムイオンが海水の10倍という炭酸水素塩・塩化物泉。
 まるでローションのようにトロンと肌にまとわりつく独特な浴感が、根強い温泉ファンに支持されている。
 宿泊客の3割は県内客が占め、さらに、その半数は富岡市や安中市など近隣からのリピーターである。
 なかには毎日、入浴だけに訪れる人もいるという。

 宿泊のみならず、ランチ付き入浴パックや夏のビアバイキング、また宴会や法要、結婚式などの会場としても幅広く利用されている。


 妙義神社のほど近く、妙義山を背に、眼下に関東平野を望む絶景が楽しみる日帰り温泉 「妙義ふれあいプラザ もみじの湯」。
 施設の開設は平成12(2000)年だが、それ以前から源泉は湧いており、噂は広まっていた。
 湯を持ち帰り入浴に使用したところ、アトピー性皮膚炎の症状が軽くなったなどの皮膚病に関するもので、以来、“美肌の湯” として知られるようになった。

 テラスや露天風呂からは富岡や安中の市街地はもとより、高崎の観音山、前橋の県庁舎、遠く筑波山まで見渡す。
 内風呂は富岡製糸場をイメージしたレンガ調の浴室と、妙義山の岩肌をイメージした白亜の浴室の2種類あり、週ごとに男女が入れ替わる。

 山桜から新緑、紅葉と折々に装いを変える妙義山の自然に抱かれながらの湯浴(あ)みは、ハイカーのみならず地元のリピーターも多い。


 <2017年5月5日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:42Comments(0)西上州の薬湯

2022年02月12日

星穴岳と百合若大臣伝説


 妙義山塊の一つ、星穴岳に弓矢で穴を空けた大男の百合若大臣伝説。
 西上州に残る巨人伝説ゆかりの場所を、ミステリーハンターの小暮淳が訪ね、その謎に迫ります。


        ぐんま!トリビア図鑑
      「星穴岳と百合若大臣伝説」

 ●放送局  群馬テレビ (地デジ3ch)
 ●放送日  2022年2月15日(火) 21:00~21:15
 ●再放送  2月19日(土) 10:30~ 21日(月) 12:30~  


Posted by 小暮 淳 at 13:34Comments(0)テレビ・ラジオ

2022年02月11日

著書フェアに著者はいらない


 いや~、やっぱりジッとなんて、していられません。
 とは言っても、僕なんかが会場へ行っても、足手まといになることは分かっています。
 それでも、自分の名前が付いた著書フェアですからね。
 せめて顔ぐらい出して、展示スタッフに労いの言葉くらいかけなくてはと思い、馳せ参じたのであります。

 昨日夕方。
 けやきウォーク前橋 (前橋市文京町) 1階。
 けやきコート側通路から紀伊國屋書店の入口を見ると、
 「おっ、おおおおおーーーーっ!!」
 鮮やかな緑色のポスターに、“小暮淳 著書フェア” の文字が!

 事前に、店長さんが用意してくださったようであります。


 「ごくろうさま」
 展示ブースでは、このフェアの主催者で著書の出版元である 「ちいきしんぶん」 編集長のYさんと、今回のフェアのもう一人の主役で、拙著 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』 の表紙画および装丁、デザインを手がけた栗原君が、黙々と会場づくりの作業をしています。

 すでに上毛新聞社から著書が届いているようで、テーブルの上にズラ~リと 「群馬の温泉シリーズ」 が並んでいます。
 そこに、Yさんが納品した 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』 が6面平積みという破格のスペースを占め、鎮座いたしました。

 圧巻!のひと言に尽きます。


 <展示・販売著書一覧>

 『群馬の小さな温泉』 (上毛新聞社)
 『あなたにも教えたい四万温泉』 (上毛新聞社)
 『みなかみ18湯 【上】』 (上毛新聞社)
 『みなかみ18湯 【下】』 (上毛新聞社)
 『新ぐんまの源泉一軒宿』 (上毛新聞社)
 『尾瀬の里湯』 (上毛新聞社)
 『西上州の薬湯』 (上毛新聞社)
 『金銀名湯 伊香保温泉』 (上毛新聞社)
 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 (上毛新聞社)
 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』 (ちいきしんぶん)


 いかがですか?
 読者のみなさんは、何冊持っていますか?

 えっ、全部持っているって~!
 そんな人は、ぜひ、2冊目をご購入ください。
 というのも、同じ本でも初版と増刷本では、微妙に異なる箇所があるのです。
 奥付を見て、確認してみてください。
 それがコアなファンというものです。

 また、お友達へのプレゼントに、いかがですか?
 群馬大好きなあなたから、群馬を好きになってほしい大切な人へ、群馬愛にあふれた温泉や民話や里山の本を贈りましょう!


 何冊かは持っているけど……というあなたへ
 これは、コンプリートするチャンスです!
 ぜひ、この機会をお見逃しなく。

 そして、まだ1冊も持っていないあなた!
 “大人買い” をお勧めします。
 「ここからここまで全部ください」
 そう店員におっしゃってください。


 著書フェアは、本日から開催です。
 会場で(著書が)、みなさんのお越しをお待ちしております。
 よろしくお願いいたします。


          小暮 淳 著書フェア
 同時開催 『民話と伝説の舞台』 栗原俊文 表紙画展

 ●会場/紀伊國屋書店前橋店
       (けやきウォーク前橋1階 けやきコート側入口)
 ●会期/2022年2月11日(金・祝)~3月13日(日)
       10:00~22:00
  


Posted by 小暮 淳 at 11:34Comments(4)著書関連

2022年02月10日

明日から開催! 著書フェアin紀伊國屋


 なんだかワクワクしてきました。
 自分事なのに、まるで待ちに待ったイベントを見に行くような気分です。
 日に日に、気分が高まっています。

 昨年暮れに決まった、紀伊國屋書店での著書フェアの開催です。


 すでにラジオや新聞などの事前告知もあり、ネットやSNSでも情報が拡散されているようで、うれしい限りです。
 では、なぜ、今、「著書フェア」 なのでしょうか?

 発端は、2019年夏からスタートした巡回展でした。
 これは、その前年に出版した 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) の表紙画を描いたイラストレーター・栗原俊文氏の原画展示会です。

 彼はイラストレーターとしてだけではなく、デザイナーとしても長年、僕の著書のデザインを担当してきた唯一無二の “相棒” であります。
 そんな彼が、僕の著書のために描き下ろした表紙画と、本の装丁が出来上がるまでの過程を解説したパネルの展示を戸田書店高崎店にて行いました。
 予想以上の来客と販売があったため、翌2020年冬には、同書店の前橋店でも開催されました。

 そして昨年夏、同書が増刷されたことを記念して、再度、戸田書店高崎店にて、「増刷記念」 と題した表紙画展が開催されました。


 この流れで、主催者(出版元) が他の書店にも巡回展の話を持ち込んだところ、このたび、紀伊國屋書店が会場の提供に快諾してくださったということです。
 ところが、打ち合わせで同店を訪ねたところ、以前より増して会場のスペースが広いことに気づきました。
 当然、表紙画展だけでは、会場が埋まりそうもありません。

 ということで、これまでの僕の著書をすべて展示し、企画を拡大して開催することになりました。
 これに、「群馬の温泉シリーズ」 の出版元である上毛新聞社も賛同していただき、晴れて、「著書フェア」 の開催を迎えることになりました。

 各関係者のみなさま、ご協力ありがとうございます。
 たくさんの方のご来店、ご来場をお待ちしております。



       『小暮 淳 著書フェア』

 ●会場/紀伊國屋書店前橋店
       (けやきウォーク前橋1階 けやきコート側入口)
 ●会期/2022年2月11日(金・祝)~3月13日(日)

 【同時開催】 『民話と伝説の舞台』 栗原俊文 表紙画展
   


Posted by 小暮 淳 at 11:27Comments(0)著書関連

2022年02月09日

泣く子と医者には勝てぬ


 戦争、らっきょう、毛虫、権力、ゴキブリ、パセリ……

 苦手なものは数あれど、その中でも “大嫌いワースト3” にノミネートされている不動の存在の1つに、「胃カメラ」 があります。
 もう、イヤでイヤで、毎年、逃げ回っています。

 が、またもや捕まってしまいました。
 主治医いわく、
 「去年、やってないじゃなの! ダメだよ、やらなくっちゃ。もう歳なんだから。後で後悔するよ」
 とかなんとか説得されて、渋々、胃カメラを飲むことになりました。


 実は僕、100人に1人という特異体質なんです、
 鼻腔が狭くて、鼻からカメラが入らないんです。
 過去に失敗してから、苦しいといわれる口から胃カメラを飲んでいます。


 ということで先日、2年ぶりに地獄の数分間を体験してきました。

 「ああ、こりゃヒドイ。だいぶ荒れているよ」
 「ウグ (え?)」
 「見えるかい?」
 と医師は、モニターの画面のことを言っているようですが、
 「グエグエグエゲボゲボ (苦しくて目なんか開けられません)」

 「これじゃ、痛いんじゃないの?」
 「ウゲウゲゲボゲボ (ええ、ときどき)」
 「胃薬、飲んでるの?」
 「ゴボ (ええ)」
 「それじゃ、本末転倒だ」

 「コロナで酒の量が増えたんでしょう?」
 「グアグアゴボ (ええ、まあ)」
 「このまま放っておくと、胃に穴があくよ!」
 「ギエギエギヤ~! (イヤです!)

 長年お世話になっている旧知の主治医ということもあり、歯に衣着せぬ辛辣な言葉攻めに遭いました。


 検査後、診察室にて。
 「しばらく酒をやめるんだね」
 「しばらくって、どのくらいですか?」
 「最低、3ヶ月」
 「さんかげつーーー!」

 僕は 「ぐんまの地酒大使」 なんですよ。
 お酒を呑むのも仕事なんです。
 先生は、僕から仕事を取り上げるつもりですか?
 と言ってやろうと思いましたが、ここは素直に言うことをきくことにしました。

 「胃薬を出しておくから。はい、お大事に」


 今回は、よっぽど身に染みたんでしょうね。
 365日、晩酌を欠かしたことのなかった僕が、その日から禁酒を始めました。

 すると、なんだか体の調子がいいんですね。
 目覚めがいいだけではなく、夜中に一度もトイレに起きないんですよ。

 よ~し、これを機に完全に治して、3ヶ月後からは浴びるほど酒を呑むぞーーー!!

 なんて言うと、また怒られるかな。
 泣く子と医者には勝てませんね(笑)
   


Posted by 小暮 淳 at 12:25Comments(0)つれづれ

2022年02月08日

最長連載記録更新中!


 23年目に突入!
 1,000回突破!

 なんのことかって?
 実はこれ、僕が新聞に連載している今日現在の記録なんです。


 高崎市民のみなさん、こんにちは!
 今日は、エリア限定でのお知らせです。

 『TAKATAI (タカタイ)』 って、ご存じですか?
 上毛新聞を購読している高崎市民のお宅に配布されているタブロイド判の週刊紙です。
 ※(「タカタイ」 とは、高崎タイムスの略)
 僕は、この新聞に2000年2月から毎週、パズルの連載をしています。
 


 なぜ、パズルなのか?

 2000年といえば、僕が温泉取材を始めた頃ですから、まだ “温泉ライター” を名乗ってはいませんでした。
 いわゆる、フリーライターという雑文書きで生業を立てていた時期です。

 ある日、知人の新聞記者から電話がありました。
 「パズルなんて、作れますか?」
 「パズル?」

 なんでも、紙面を担当していたパズル作家が、急きょ、降板することになったといいます。

 「どんなパズル?」
 「その人はクロスワードパズルでしたけど、別のパズルでもいいんです」

 パズルを解くのは好きですが、もちろん、ただの一度も作ったことなんてありません。
 まして、クロスワードパズルだなんて、考えるのが面倒くさそうです。
 しかも、掲載紙は週刊です。
 僕には、そんな才能はありません。


 「いやぁ……、無理だな」
 そう、一度は断ったのですが、新聞記者は僕を、こう持ち上げました。
 「小暮さんならできますよ。できれば既存のパズルではなく、オリジナルをお願いします」
 とかなんとい言われて、その気になって、電話を切る直前には、
 「ああ、なんとか考えてみるよ」
 と、無謀にも依頼を引き受けてしまったのです。

 で、暗中模索の中、試行錯誤を繰り返し、難産の末に産み落とされたのが、「熟語パズル」 であります。


 これは、2つの 「?」 のマスの周りに8つの漢字があり、これと対を成す漢字をリストの中から選び、さらに、その漢字と共通する二字熟語を探すと、答えの二字熟語になるというもの。

 もう1つは、4つのブロックの中に9つの漢字があり、それぞれ3つずつの四字熟語を完成します。その際、3つの四字熟語に共通する別の漢字が1つ必要になります。その漢字4つを並べ替えてできる四字熟語が答えとなります。

 という2種類のパズルを苦肉の末に考え出しました。
 そして、この2つのパズルが隔週で交互に掲載されることになりました。


 早いもので、あれから丸22年が経ちました。 
 今週金曜日に発行される 「TAKATAI」 で、1,002回を迎えます。
 ついに、1,000回を突破しました!

 まさか、こんなにも長く続くとは……


 たかがパズル、されどパズル。
 継続は力なり。

 読者のみなさま、歴代の担当編集者の方々に、厚く御礼申し上げます。
 今後とも末永く、よろしくお願いいたします。

 (出題・スタジオJ)
   


Posted by 小暮 淳 at 11:33Comments(0)執筆余談

2022年02月07日

西上州の薬湯 (5) 「天然湖畔に湧いたカーキ色のにごり湯」


 このカテゴリーでは、2016年12月~2018年2月まで関東新聞 「生活info(くらしインフォ)」 に連載された 『西上州の薬湯』(全15話) を不定期にて掲載しています。
 ※名称、肩書、料金等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。


 榛名湖温泉 「ゆうすげ」 高崎市


 標高1,084m、南北1.5㎞、東西0.8㎞、周囲4.8㎞。
 榛名湖は、赤城山、妙義山とともに 「上毛三山」 の1つとして県民に親しまれている榛名山の外輪山に囲まれたカルデラ内に水をたたえる火口原湖。
 周辺の高原は四季折々の風景が美しく、初夏のユウスゲやレンゲツツジ、初秋のマツムシソウなど山野草が咲き誇り、訪れるハイカーたちの目を楽しませてくれる。

 そんな榛名湖畔に温泉が湧いたのは昭和43(1968)年のことだった。
 若者向けの宿泊施設を経営していた地元のバス会社が、温泉を掘り当てた。
 しかし伊香保温泉との兼ね合いもあり、なかなか県から温泉の使用許可が下りずにいた。
 同51年に旧榛名町開発協会の経営により、ようやく榛名湖温泉としてオープンした。

 ところが同54年4月には旧榛名町に経営が移管され、温泉の使用も本館と新館のみという条件付きとなってしまった。
 新館とは、「老人休養ホームゆうすげ」 としてオープンした 「レークサイドゆうすげ」 である。
 平成11(1999)年、本館の 「ゆうすげ元湯」 がリニューアルオープン。
 そして同18年9月、高崎市と榛名町の合併を機に、株式会社榛名湖温泉として民営化された。

 紆余曲折の歴史をたどり、この2軒の宿が温泉地の看板を守っている。
 県内では数少ない天然湖畔に湧く温泉で、黄褐色のにごり湯が観光客やハイカー、湯治客に親しまれている。


 「この恵まれた自然と環境を最大限に活用しようと、観光と健康を兼ね備えた “健光事業” というのを推進しています」
 と代表の中島美春さん。
 「ゆうすげ元湯」 では、ただ単に観光目的だけで訪れるのではなく、専門家による体力測定や健康指導、トレッキングなどを組み込んだ 「ヘルスツーリズム」 (宿泊体験ツアー) を開催している。
 これに温泉の効能が加わるのだから、まさに “現代版の湯治” である。

 一方、「レークサイドゆうすげ」 は宿泊客の7割がリピーターを占める滞在型の湯治宿。
 そもそもが老人ホームとして建てられた施設だけあり、60歳以上の客には宿泊および休憩料金の割引がある。


 泉質はナトリウム・マグネシウム―塩化物・硫酸塩温泉。
 効能は神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、冷え性ほか。

 源泉は無色透明だが、時間の経過とともにカーキ色からオレンジ色へと染まる。
 よく温まり、湯冷めをしないと評判だ。


 <2017年4月7日付>

 ※「レークサイドゆうすげ」 は2020年3月に閉館しました。また 「ゆうすげ元湯」 は 「ゆうすげ」 と施設名を変更しています。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:22Comments(2)西上州の薬湯