2022年02月27日
西上州の薬湯 (8) 「浅間山の噴火とともに湧き出した霊泉」
磯部温泉 「磯部ガーデン」 安中市
群馬県は赤城山~榛名山~浅間山を結ぶラインを境に、北と南で泉質と泉温の異なる温泉が湧く。
北の山間部はサラリとした高温泉、南の平野部は塩分の多い冷鉱泉。
古来、温めてまで浴した冷鉱泉には、霊験あらたかな温泉が多い。
磯部温泉の発見は古く、鎌倉時代には湧出していたといわれている。
天明3(1783)年、浅間山の大噴火による降灰で泉口が埋まってしまったが、その圧力により新たな源泉が噴出したと伝わる。
この付近一帯は碓氷川に沿った盆地状の凹地で、塩辛い水が湧き出ていたことから 「塩の窪(くぼ)」 と呼ばれていた。
昭和になり、江戸時代の絵図が発見された。
この絵図の中に描かれている2ヵ所 「塩の窪」 に、現在の温泉記号に似た符号が記入されていることから、磯部温泉は 「日本最古の温泉記号発祥の地」 といわれるようになった。
平成8(1996)年、温度の高い新源泉が掘削され、旅館および日帰り温泉施設、足湯に供給されている。
“舌切雀(したきりすずめ) のお宿” として知られる 「磯部ガーデン」 は、昭和11(1936)年に磯部館 (大正2年創業) の別館として開業した。
磯部温泉の開拓者といわれる大手萬平 (詩人、大手拓次の祖父) が明治時代に創業した 「鳳来館(ほうらいかん)」 の無き今は、一族の流れををくむ磯部屈指の老舗旅館である。
では、なぜ、“舌切雀のお宿” なのか?
舌切り雀の物語は、口伝えにより全国に残されている。
これらの話を拾い集めて、日本の昔話として世に発表した人物が、童話作家の巌谷小波(いわや・さざなみ) (1870~1933) だった。
小波は大正時代に何度も当地を訪れ、磯部の伝承話が一番、話にブレがないことから 「ここが舌切り雀のお宿だ!」 と、伝説発祥の地として定義づけた。
当時の本館である磯部館に滞在して、多くの書や句を残した。
小波が残した掛け軸には、『竹の春 雀千代ふる お宿かな』 という句と、スズメの擬人画が描かれている。
また館内の宝物殿には、スズメの舌を切ったハサミや、おばあさんが背負って帰ったツヅラなど、物語ゆかりの品々が展示されている。
<2017年7月7日付>
Posted by 小暮 淳 at 11:37│Comments(0)
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