温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2014年01月31日

「温泉の日」 を作ろう!


 今日、1月31日は、「愛妻の日」 なんだそうです。
 「1」 をアルファベットの 「I (アイ)」 、「31」 を 「サイ」 と読ませるとのこと。
 なかなか、うまいことを考えたものです。

 11月22日の 「いい夫婦の日」 は、知っていましたが、「愛妻の日」 は初耳でした。


 そういえば、世の中には、ゴロ合わせの 「○○の日」 というのが、たくさんあります。

 2月22日は、「ニャン、ニャン、ニャン」 で、「猫の日」。
 11月1日は、「ワン、ワン、ワン」 で、「犬の日」。

 毎月26日は 「風呂の日」 ですが、11月26日が 「いい風呂の日」 で、4月26日が 「良い風呂の日」 だそうです。
 ちなみに 「銭湯の日」 は、10月10日です。
 な~んでか?

 1964年10月10日に、東京オリンピックが開催されたからですって。
 スポーツで汗をかいた後に入浴することは、健康に良いから・・・
 という理由のようですが、かなりのこじつけのような気がします。


 傑作は、毎月22日の 「ショートケーキの日」。
 な~んでか?

 カレンダーを見れば分かります。
 22日の上は、必ず15日。
 そう!
 「15 (イチゴ)」 が乗っているからです。

 とんちの効いた、素敵な発想ですね。

 では、もう1つ問題です。
 6月6日と9月9日は、同じ食べ物の記念日です。
 さて、それはなんでしょうか?
 ヒントは、スイーツです。
 ※答えは、文末に発表します。


 で、「温泉の日」 はないかと調べたら、これがありました。
 でも、全国的なものはなく、一地方の温泉町でした。

 大分県九重町。
 町内に多くの温泉が点在し、「九重九湯」 といわれることから9月9日が 「温泉の日」 に制定されています。
 この日は、町内の温泉施設が無料サービスされるそうです。


 だったら、群馬県も 「温泉の日」 を作っちゃいましょうよ!

 さしずめ、同じ発想で、3月18日は 「みなかみ18湯の日」 なんて、いかがですか?
 みなかみ町には、18の温泉地がありますもの。

 県内の各温泉地が、こぞって 「温泉の日」 を作ったら、観光ピーアールになると思いますよ。
 観光協会、温泉協会のみなさん、ぜひ、考えてみてくださいな。
 僕も、応援します。


 ※6月6日と9月9日は、「ロールケーキの日」 です。ロールケーキの断面が 「9」 と 「6」 の字に見えるから。
  


Posted by 小暮 淳 at 21:33Comments(0)温泉雑話

2014年01月30日

死にたくなったら温泉に入ろう!②


 昨年、2013年の自殺者数は、全国で2万7195人。
 2年連続、3万人を下回ったことになります。

 でもね、それでも毎年、3万人近い人が、自ら命を絶っているんですよ。

 群馬県にいたっては、516人で逆に2年連続増加しています。
 これは、由々しきことですぞ!
 だって僕は、日頃から 「死にたくなったら温泉に入りなさい」 と言い続けている自称 “温泉で自殺者を減らす会” の会長ですからね。

 講演会でだって、セミナーでだって、「温泉に入っていれば、自殺なんてしませんよ。だって、みなさん、温泉に入ると 『ああ、極楽、極楽』 って、言うじゃありませんか!」 って言ってます。
 だから、全国一の温泉県である群馬県は、自殺率も全国一少ない県を目指さなくてはいけません。


 新聞の報道によれば、性別の内訳は、男性7割、女性3割。
 年代別では、60代が最も多かったといいます。
 でも、これでは、定年退職を迎えた男性が、一番多いことになってしまいます。

 そして職業別では、無職が6割を占めています。

 ほらほら、やっぱり、そうだ!
 ガムシャラに働いてきて、定年退職して、仕事がなくなって・・・

 で、自殺の動機を見ると・・・
 健康問題がトップです。

 ああ、最悪だぁ~!


 と、いうことは、その逆に生きれば、60代の自殺者を減らせるわけです。
 生涯現役でいられる仕事を持ち、健康で暮らすこと。

 ほ~ら、それには、やっぱり温泉が不可欠なのであります。
 特に、「ぬる湯」 と呼ばれる40度前後のぬるい温泉には、精神の鎮静作用がありますから、うつ病やノイローゼにも効果があります。
 ※(ぬる湯の効能については、当ブログの2012年5月3日「死にたくなったら温泉に入ろう!」を参照)

 ぜひ、世の男性諸君!
 60歳を過ぎたら、積極的に温泉に入りましょうね。

 “温泉で自殺者を減らす会”会長からのお願いです。
   


Posted by 小暮 淳 at 20:33Comments(0)温泉雑話

2014年01月29日

松之山温泉 「凌雲閣」


 午前6時30分、JR前橋駅南口
 あたりは、まだ、真っ暗闇です。
 そして、寒い!
 でも、僕ら一行は、元気にバスに乗り込んだのであります。

 昨日は、僕が講師を務めるNHK文化センターの野外温泉講座 「名湯・秘湯めぐり」 の平成25年度最終講座日でした。
 この講座は、僕が講師を務めて本年度で丸5年。
 年間9温泉を訪ねますから、今回が通算45温泉目となります。


 今回の講座地は、新潟県の松之山温泉です。
 ご存知、草津温泉(群馬県)、有馬温泉(兵庫県) と並んで、日本三大薬湯の1つに数えられている名湯です。

 僕が松之山温泉を訪ねるのは、今回が2度目。
 以前、雑誌の仕事で 「ほくほく線」 を取材したことがありましたが、もう20年以上も昔のこと。
 松之山温泉に立ち寄った記憶はあるのですが、どこの旅館だったかも、湯の浴感も、覚えていないのです。

 ということで、僕にとっても新鮮かつ楽しみな講座となりました。


 ではなぜ、真冬のこの時期に、豪雪地帯の温泉地へ行くのかといえば、それは受講生たちからの要望だからです。
 「雪見風呂をしたい!」
 という、たっての願いから、毎年、真冬には豪雪地帯の温泉を訪ねています。

 「うわ~、先生! 見て見て~!」
 バスが山道に差し掛かると、受講生らが喚声を上げます。

 2メートル以上は優にある、雪壁。
 屋根にうず高く積った、雪帽子。
 2階から出入りする民家や、タテになっている信号機など、ふだん群馬県にいては目にしない雪国の風景に、目を見張っていました。


 今回、お世話になった旅館は松之山温泉でも歴史と伝統を持つ 「凌雲閣」 さん。
 「鏡の湯」 という自家源泉を保有し、昭和13年建築の 「木造三階建て」 の本館は、国の登録有形文化財に登録されています。

 まずは、女将の案内のもと、館内見物へ。

 とにかく圧巻は、各客間の意匠の素晴らしさ!
 創業当時の亭主が、群馬県の渋川市から宮大工を呼び寄せ、1人に1部屋ずつ担当させ、腕と意匠を競わせたといいます。
 ですから、1つとして同じデザインの部屋がありません。

 16部屋の部屋は、それぞれに趣向が凝らしてあり、遊び心にあふれていました。
 傘を張ったような天井、袋戸棚のある床の間、網代天井、煤竹を編んだ欄間、手の込んだ飾り棚や雪見障子・・・
 とにかく、見ているだけで楽しい!
 みなさん、時間も忘れて、見学に夢中になっていました。


 見学が終われば、当講座のメインイベント!
 “入浴” です。

 「鏡の湯」源泉の泉温は約84度。
 泉質は、ホウ酸を含む塩化物温泉です。

 なぜ、火山のない山間部なのに、塩分濃度と泉温が高いのか?

 それは、この温泉が 「ジオプレッシャー型の化石海水温泉」 だからです。
 推定約1200万年前に地中に閉じ込められた海水が、さらに深いところにあるマグマに温められ、噴出している温泉のことを言います。

 湯の色は、うっすらと黄色がかった生成り色。
 塩分濃度が非常に高く、ヒゲそりあとがヒリヒリします。
 湯口(温泉の注ぎ口) には、白い析出物がガッチリ付着しています。
 たいがいの温泉はカルシウム成分ですが、ここのはすべて “塩”!

 「しょっぺー!」
 受講生らは、順番に析出物をなめながら、舌で源泉の味を確認していました。
 これぞ、生きた温泉講座であります。

 塩分の保温効果で、湯上がりも体がほてって、なかなか汗が止まりません。

 「では湯上がりは、やりますか?」
 と、脱衣所で数名の飲兵衛たちと、意気投合。
 昼食を待たずに、缶ビールを片手に乾杯となりました。

 「く~~、やっぱり温泉に入った後のビールは、うまっすね」
 「これだから、この講座は辞められませんよ」
 「先生、今年も参加しますから、いい温泉を紹介してくださいね」

 もちろんですよ。
 また4月から開講する新講座では、県内外の名湯や秘湯をめぐります。


 平成26年度の野外温泉講座では、毎月1回、年12回の講座を予定しています。
 現在、若干の空席があります。
 ご興味のある方は、下記までお問合せください。

 ●NHK文化センター前橋教室 TEL.027-221-1211

  


Posted by 小暮 淳 at 14:25Comments(0)温泉地・旅館

2014年01月27日

進捗率83% 残りあと9軒!


 2009年9月 『ぐんまの源泉一軒宿』
 2010年9月 『群馬の小さな温泉』
 2011年9月 『あなたにも教えたい 四万温泉』
 2012年9月 『みなかみ18湯 〔上〕』
 2013年4月 『みなかみ18湯 〔下〕』

 これは、過去5年間に上毛新聞社より出版した 「群馬の温泉シリーズ」 です。

 そして、いよいよ今年4月には、シリーズ第6弾が出版されます。
 僕の著書としては、ちょうど通算10冊目となる記念すべき本になります。


 ところが今回は、製作日数も少ないうえに、取材軒数が多いという過酷な条件!
 また温泉ライター、小暮淳の集大成ともいえる貴重な1冊となるので、いつも以上に難儀をしています。

 まず製作日数ですが、昨年は4月まで 『みなかみ18湯』 の制作にかかっていたため、取材のスタートは5月からでした。
 といっても、本格的に活動を始めたのは夏くらいから。
 ですから、かなり体力的にも精神的にも追い込まれています。

 それと取材軒数が、なんと過去最多の54軒!
 1冊に掲載された今までの最高は、『ぐんまの源泉一軒宿』 の50軒ですから、4軒も上回っています。

 でもね。
 いつも毎回、言っていますが、終わらない旅はないんですよ。

 ついに! 取材の残りが10軒を切りました!

 今日現在、取材の済んだ温泉宿の数は、45軒。
 残り、あと9軒となりました。

 進捗率、83%であります。


 すでに、表紙やグラビア、プロフィール写真の撮影は終わっています。
 残り9軒の取材も、2月中に終了する予定です。

 そして、3月には校了を迎え、順調に制作が進めば、ゴールデンウィーク前には書店に並びます。

 読者のみなさん、温泉ファンのみなさん!
 あとしばらく、お待ちください。

 究極の温泉本をお届けします。
  


Posted by 小暮 淳 at 20:54Comments(0)著書関連

2014年01月26日

向屋温泉 「ヴィラせせらぎ」②


 群馬県の最南端、上野村には4つの温泉があります。
 浜平温泉、塩ノ沢温泉、野栗沢(のぐりざわ)温泉と向屋(こうや)温泉です。

 歴史が最も古い湯は浜平温泉ですが、現在、宿はなく、「しおじの湯」 という村営の日帰り温泉施設になっています。
 あとの3つは、すべて一軒宿です。


 今回、1年半ぶりに向屋温泉 「ヴィラせせらぎ」 を訪ねてきました。
 開湯は平成8年。上野村で一番新しい温泉宿です。

 前回訪れたのは、僕が講師を務める野外温泉講座で、約20人の受講生らと一緒でした。
 あの時は、料理の評判が大変良かったことを思い出します。

 「その節は、大変お世話になりました」
 と、出迎えてくれた支配人の相馬茂明さん。
 僕のことを覚えていてくれたようです。

 彼の話によれば、料理の評判を聞きつけて、やって来る宿泊客が増えたといいます。
 それもそのはずで、シェフはイタリアの日本領事館に勤務していた経験の持ち主。
 イノブタや野菜などの地元食材を取り入れた和洋折衷の創作料理が、人気の秘密のようです。


 で、今回、驚いたことがありました。
 またしても、泉質の変化です!
 またしてもというのは、昨年訪れた塩ノ沢温泉も、泉質が変っていたからです。

 どちらも以前は、塩化物泉でした。

 それが、どちらも塩分濃度が減少したため、「温泉法第二条の別表に規定されたメタほう酸やフッ化物イオンの項で温泉に適合」 という判定になっていました。
 現在は10年に1度、温泉分析書の更新が義務付けられているので、今後も泉質名が変わる温泉が増えるかもしれませんね。

 それにしても不思議なのは、向屋温泉と塩ノ沢温泉という近い2つの温泉から、ともに塩分が抜けてしまったことです。
 源泉の涸渇年齢を迎えてしまったのでしょうか?
 それとも地下で湯脈に変化が起きたのでしょうか?
 良からぬ兆候でないと、いいのですが・・・


 でも、相変わらずpH値は、9・7という強アルカリ性。
 トロリとした浴感は、健在でした。

 何よりここは、神流(かんな)川の河川敷に突き出した露天風呂からの絶景が自慢の宿です。
 三方を川にはさまれた露天風呂というのも、珍しい。
 充分、ロケーションを楽しみながら、湯を堪能して来ました。
  


Posted by 小暮 淳 at 20:35Comments(0)温泉地・旅館

2014年01月25日

下仁田温泉 「清流荘」④


 「う~ん、うまい!」
 口に料理を運ぶたびに、声に出していました。

 下仁田ネギのぬた和え
 ヤマメの塩焼き
 コイのあらい
 猪肉のボタン鍋
 こんにゃくの刺身
 小松菜のゴマ和え
 鹿肉のステーキ

 どれをとっても、飽きのない素朴な味わいです。
 「地産地消なんて言葉がない頃から、うちは敷地内 “地産地食”だよ」
 と先代の清水幸雄さんが、以前、畑仕事をしながら話してくれたことを思い出します。

 名ばかりの 「地産地消」 が多い温泉旅館の料理ですが、ここは正真正銘の地産地食の宿。
 随時20種類の野菜が無農薬栽培されているだけではなく、約7,000坪の敷地内には、シカ園もイノシシ牧場もヤマメ池もある、まさに自給自足の温泉宿なのであります。


 一昨日、僕は、久しぶりに下仁田温泉の一軒宿 「清流荘」 を訪ね、2代目主人の清水雅人さんと酒を酌み交わして来ました。

 雅人さんと僕は同世代。
 話が合う事もあり、初めて会った十数年前から、たびたび取材で泊めていただいています。

 「このヤマメの塩焼きは、炭も自家製なんですよ」
 とは、驚きました。
 敷地内に炭焼き小屋があり、焼いているのだという。

 これだけ通っていても、新しい発見があるものです。


 「ずーっとビールでいいんですか? 熱燗をお持ちしましょうか?」
 なんて言われれば、断れないのが呑兵衛の性です。

 お猪口を交えて、注しつ注されつ、温泉談義に花が咲きます。
 「清流荘」 は、ご存知、日本秘湯を守る会の会員宿です。
 年々、廃業で会員数が減少している現在の状況など、秘湯が抱える問題について、熱く語り合いました。


 「しっかし、これは、うまいっすね!」
 ふたたび、僕は声を上げました。

 下仁田ネギの天ぷら、です。

 と、いっても、かき揚げじゃありませんよ。
 かき揚げのネギは、長ネギが輪切りにされていますよね。
 でも、これは違います。
 太い下仁田ネギが、ザク切りされていて、口の中で、トロ~リ溶け出すんです。
 もーっ、たまりません!

 さすが、地産地食の賜物です。
 だって、清水さん自身が、下仁田ネギの生産農家なのですから。


 以前、僕は新聞のコラムで、清流荘の料理について書いたことがありました。

 < 「ごちそう」 という言葉は、大切な人のために走り回って、おいしい物を探すことから 「ご馳走」 の字が当てられたと聞いたことがあります。海に行ったら海の物を、山へ行ったら山の物を。奇をてらうことなく、土地のものを 「ご馳走」 することが、本来のもてなしの姿だと教えられました。> 
 (2013年9月18日付、朝日新聞群馬版 「小暮淳の温泉考座」 より)

 あらためて、また、そのことの大切さを教えられた晩でした。
 ご主人、ありがとうございました。
 そして、大変 “ご馳走さま” でした。
   


Posted by 小暮 淳 at 16:24Comments(0)温泉地・旅館

2014年01月24日

『久保 繁 展』 明後日まで


 毎年、初日に顔を出しているのに、うっかりしていました。
 「あれ、いつまでだっけ?」
 と、手帳を見ると、明後日の日曜日までです。

 『久保 繁 展』 -La vie en ・・・-

 久保繁は、小学校、中学校の同級生です。
 また、ともにアジアを旅した畏友の画家であります。
 ※(久保繁については、当ブログの2012年1月21日 「50代への挑戦~我が良き友よ~」、2013年1月20日 「日常という名の展覧会」 を参照)


 と、いうことで、あわてて、個展会場へ行ってきました。
 あいにく彼は不在でしたが、彼の作品(水彩画) を、じっくりと鑑賞してきました。


 <特にテクニシャンというわけでもなく、特に特殊な作風というわけでもなく、特殊な技法で描いているわけでもない…
  でも、不思議なその魅力に知らぬ間に引き寄せられていく…
  僕ら凡人には出来ないその生き方から来るのか、僕らが見たことのない世界を知っているからなのか…
  いずれにしても、その作品から目が離せない>

 この文章は個展DMに書かれている、画廊からのメッセージです。
 まさに、その通り!
 彼の絵は、一見、どこにでもあるような水彩画なのですが、見ていると、その絵の中に入り込んで行きたくなる不思議さがあります。

 石畳やレンガ塀の道、街路樹にカフェテリア・・・
 何気ないヨーロッパの風景と日常の中に、物語があるのです。

 何十年と訪れているヨーロッパの町並みで出会ったドラマが、絵の中で語られています。

 お時間のある方は、ぜひ、足を運んでみてください。
 一服の清涼剤になると思います。


 <久保繁 くぼ しげる> 画家・グラフィックデザイナー
 1959年 画家、久保繁造の長男として前橋市に生まれる
 1981年 日本大学芸術学部デザイン学科卒業
       グラフィックデザイナーとして広告及び空間の領域で活動
 1999年 絵画の発表をはじめる


          『久 保 繁 展』
 ●会期  2014年1月18日(土)~26日(日)       
        10:30~19:00 入場無料
 ●会場  画廊 すいらん
        群馬県前橋市文京町1-47-1
        TEL.027-223-6311
 ※来場者に群馬の風景を描いた 「ホンダカーズ群馬 2014年カレンダー」 を無料進呈
    


Posted by 小暮 淳 at 14:10Comments(0)つれづれ

2014年01月22日

ケンちゃんの記憶


 みなさんは、今月の5日に 『賀状御礼』 というタイトルで、ブログを書いたことを覚えていますか?
 そのとき、僕は今年届いた年賀状について、感想とお礼を述べました。

 ただ1枚だけ、喜べない年賀状があったことも・・・


 その昔、20歳の頃、東京のライブハウスで歌っていた仲間からの年賀状です。
 でも、今年に限って、本人からではなく、彼の奥さんからでした。

 通称、ケンちゃん。
 僕と同じ年で、鳥取県の出身です。

 僕らは、のちに彼の奥さんとなる女性を通して知り合いました。
 「私の彼も、ミュージシャンなの。ジュンちゃんも今度、ライブを見に来てよ」
 と、群馬出身の彼女に誘われたのが、ケンちゃんとの出会いでした。
 ※(ケンちゃんとの詳しい話は、当ブログの2011年3月13日「ケンちゃんからの電話」を参照)


 今年の年賀状には、彼が現在、病気と闘っていることが書かれていました。
 すぐに電話をしようとも思ったのですが、正月は避けることにしました。
 そして今日、どうしても彼の症状が知りたくて、埼玉県の自宅に電話を入れてみました。

 「えっ、ジュンちゃん! うわ~、お久しぶり」
 電話に出たのは、奥さんでした。
 奥さんの話しによれば、ケンちゃんは昨年の1月に、仕事場で脳出血を起こして倒れたといいます。

 彼の仕事は、ドラマやCMに曲を付ける選曲家です。
 東京の事務所で、夜中、1人で仕事をしている時に、倒れました。

 彼が救急車で運ばれたのは、翌朝。
 仕事の関係者が訪ねてきて、発見したそうです。

 「すぐに手術をしたんだけど、5時間以上時間が経っていたものだから・・・」

 命は助かりましたが、体の半身と脳に、後遺症が残りました。


 「昔のことは覚えているんだけどね。今日のことは、まったく覚えられないのよ」
 とは、僕のオヤジとまったく同じであります。

 「じゃあ、僕のことは、わかるかな?」
 と恐る恐る訊ねてみると、
 「ジャンちゃんのことは、きっと覚えていると思うよ。ちょっと、待ってて、今、主人に換わるから」
 そう言うと、受話器を持って、室内を移動しているようでした。

 <あなた、ジュンちゃんよ、ジュンちゃん>
 奥さんの彼に伝える声がして、

 しばらくすると、

 「も、し、も、し、、、」
 か細い声が、受話器の奥から聞こえてきました。

 「ケンちゃんかい?」
 「あ、あ、、、」
 「ジュンだよ、小暮 淳だよ」
 「あ、あ、、、ジュン、ちゃん、か、、」

 もう、ダメです。
 そこまで話しただけで、僕の涙腺は壊れてしまいました。

 何を話そう、何を聞こう、何て言えばいいんだ・・・

 だって、声は確かにケンちゃんだけど、僕の知っているケンちゃんじゃないんだもの。
 とっても話すのが、つらそうだ。
 何より、本当に僕のことが分かっているのだろうか?

 「心配したけど、元気そうで、安心したよ」
 と、言えば、
 「元、気、じゃ、ない、よ、、」
 とだけ、返事が返ってきた。

 そのあとは、もう、何を話したのかは覚えていません。
 気が付いたら、受話器の中は奥さんの声に換わっていました。

 「ジュンちゃん、ありがとうね。分かったみたいで、本人もうれしそうな顔をしています」
 そう言った奥さんの声は、すでに泣き声でした。

 「そう、僕のこと、分かったんだね。良かった」
 「うん。でも、今ジュンちゃんと話したことは、すぐ忘れちゃうけどね」


 まるで、オヤジと話しているようでした。
 でも、オヤジとは違うんです。
 オヤジと話していても悲しくないのに、ケンちゃんと話していると涙があふれてくるんです。

 なんだか、とっても悔しい気持ちになるんです。


 ケンちゃん、リハビリ、頑張れよ!
 暖かくなったら、会いに行くからな!

 いつか、また、一緒のステージに立とうぜ!
    


Posted by 小暮 淳 at 21:41Comments(0)つれづれ

2014年01月21日

不幸が足りない


 「わかった! 小暮さんに足りないもの。それは、“不幸” ですよ!」

 先日の新年会でのこと。
 突然、さる女史が大声を上げました。

 不幸?
 なに、それ?

 「小暮さんには、何かが足りないと思っていたんですよ」
 とは、謎めいた珍問答のようです。

 すると、もう1人が、
 「確かに、偉大な作家や芸術家は、みんな不幸を背負っています。そして、その不幸が作品を生み出す原動力になる」
 だなんて……。

 おいおい、僕は作家でも芸術家でもありませんよ。
 ただの物書き。それも、温泉入って、感想を書いている、ただのライターです。


 でもね、あれから数日経った今でも、なんだか、この言葉が頭の中に巣作っていて、繰り返し繰り返し、めぐってるんです。

 “不幸が足りない” “不幸が足りない” “不幸が足りない” ・・・・・・


 思えば、言い当てていて妙な言葉です。
 確かに生まれてこのかた、「不幸」 とは無縁の人生を送ってきていますもの。

 始まりは、6歳の春でした。
 僕は兄と父と、父の教え子の車で榛名山へドライブに行きました。
 その帰り道、車がカーブを曲がりきれず、一回転してガードレールに突っ込みました。
 なのに全員、無傷だったんです。

 特に僕は、回転する車の中から、道に放り出されたといいます(目撃者・談)。
 九死に一生!
 まず、ここで僕は、不幸との遭遇を回避しています。


 それから45年後。
 今から5年前のことです。
 高校2年生だった息子が、通学途中に自転車ごと車にはねられました。
 飛ばされ、フロントガラスをぶち破り、もう一度はねられ、道路に叩きつけられる大事故です。

 もちろん息子は、意識不明の重体。
 翌日の新聞には、しっかりと 『高校生 はねられ重体』 の記事が!

 3日間の昏睡状態が続き、息子は4日目にこの世に帰ってきてくれました。
 ここでも、奇跡が起きたのです。
 またしても僕の前から、不幸が逃げて行きました。


 一昨年は心臓病、昨年は脳出血と、オフクロが2度にわたり倒れましたが、やはり後遺症もなく病院から帰ってきました。
 これを人は、「何かに守られている」 というのでしょうが、完全に不幸に見放されている一家とも言えそうです。


 それ以外にも、自分の人生を振り返ると、確かに “不幸” と無縁のようであります。
 27歳で結婚したわけですが、僕は無職でした。
 本来なら、無職の男は結婚なんてできませんって。
 だから僕も断りましたが、家内にとって無職は、結婚を断る理由にはならなかったようです。

 そして妊娠、出産。
 あれよのうちに、3人の子の父親となりました。
 と、思ったら3年前には、孫までできて、まるで幸せを絵に描いたような模範的人生を送っていたのです。

 いくら僕自身が、波瀾万丈な奇抜な人生を演出しても、他人には順風満帆の人生に映っているということなんでしょうか……。
 だもの、貧乏くらいじゃ、他人は納得してくれませんよね。
 だって、貧乏は、必ずしも “不幸” の条件じゃありませんもの。


 ああ、どうすれば “不幸” になれますか?
 僕の人生に足りないもの、それは “不幸” なんです。
   


Posted by 小暮 淳 at 20:53Comments(3)つれづれ

2014年01月20日

おじいさんといっしょ⑤ 「長生きする理由」


 今日は風もなく、おだやかな一日でした。
 ならばと、朝から実家を訪ね、オヤジの遊び相手をしてやることにしました。


 「おーい、じいさん! 生きてるか?」
 声をかけても返事がありません。

 「お父さんは、こたつで寝ているよ」
 と、代わりにオフクロが返事をしました。

 どれどれと、部屋を覗き込むと、目をつむったまま座椅子にもたれ、こたつに足を突っ込んでいるオヤジの姿がありました。
 「寝ているとも限らないだろう。死んじまっているかもしれないぞ!」
 と、近づくと、うっすらと目を開けました。

 「生きてるんかい、じいさん?」
 「ああ、生きてる」
 「散歩でも行くかい?」
 と声をかけると、ビクッと体を起こして、
 「行こう!」
 と元気に、こたつから抜け出したのであります。

 まったくもって、我が家の愛犬マロ君と同じです。
 マロも 「散歩」 という言葉に反応して、尻尾を振りながら部屋中を駆け回りますもの。


 「天気はいいけど、やっぱり空気は冷たいね」
 そう言って、杖を突きながら、住宅街の道を歩き出しました。

 「この店、覚えているかい? 兵六(ひょうろく) さん」
 兵六は、老舗の団子屋さんです。
 今でも、みたらし団子が1本、50円!
 子供の頃のおやつとしては、かなり贅沢(ぜいたく)品でしたが、ときどきオフクロがお使い物のついでに数本買ってくれた想い出があります。

 「兵六さんか! 知ってるさ。高峰三枝子が疎開してた家だろ」
 と、一足飛びに戦時中の話しになってしまいました。

 女優の高峰三枝子は、僕と同じ幼稚園を出た郷土の大先輩です。
 たぶん、この団子屋が親戚か知人の家だったんでしょうね。
 昔、店内に写真が飾られてあった記憶がよみがえってきました。


 それから僕らは、書店に入り、デパートに立ち寄り、バスに乗って帰ってきました。

 バス停からの帰り道、僕とオヤジは、こんな会話をしました。

 「じいさんは、何歳になるんだっけ?」
 「わかんない」
 「わかんないじゃなくて、自分の歳なんだから思い出しておくれよ」
 「……、90歳かな?」
 「そう、今年、誕生日が来ると満で90歳になるんだろ! “卒寿” のお祝いをしなくっちゃね」

 「日本人男性の平均寿命が79歳だから、じいさんは長生きだね」
 「そうだな」
 「どうして、長生きなんだい?」
 僕は、ちょっぴり意地悪な質問をしてみました。

 「どうしてだろうなぁ……」
 と、立ち止まって考え込んでしまいました。

 「そっか、オレとアニキのために長生きしてくれているんだよな?」
 「……」
 「だって死んじゃったらさ、親孝行ができなくなってしまうもんな」
 そう言うとオヤジは、
 「ハハハハハーーー!」
 と大声を上げて、笑い出しました。
 そして、ひと言、言いました。

 「そうかもしれないね」


 でも、これが長生きをしている理由の正解のような気がします。
 アニキは親に迷惑をかけないイイ子でしたが、僕は10代、20代と、親不孝の限りを尽くしてきたダメ息子でしたからね。
 こうやって今、親孝行が出来ることが、正直ありがたいのです。

 “長生きとは、親孝行のチャンスなり”


 「じいさん、ありがとうな」
 「そうか、そうか」
 と言って、うれしそうに笑ってくれました。
  


Posted by 小暮 淳 at 17:52Comments(0)つれづれ

2014年01月19日

我は神の子⑥ 「新旧交替」


 僕が暮らす前橋市南部の町には、「年番」 という地域独特の制度があります。
 これは、神様に選ばれた者(といっても、班の中で順番に回ってくるのですが) が、1年間通して、“神の子” として地域のために奉公します。
 僕は、平成25年度の年番でした。
 ※(年番についての詳細は、2013年2月1日 「我は神の子なり」 を参照)

 今日は朝から公民館にて、新旧交替の引継式でした。


 「1年間、お世話になりました」
 「今年は、よろしくお願いします」

 昨年度の11人の旧年番と、今年度の11人の新年番が一堂に会して、いよいよ式典の始まりです。

 新年番は、獅子舞のしたくをして、神社に参拝をして、町内110戸の家を回ります。
 これを 「神楽まわし」 といいます。

 僕ら旧年番は、居住する上地区と下地区に分かれて、それぞれの氏神様の清掃に出かけました。
 僕は上地区に住んでいるため、町内北にある 「石神さま」(通称、上神様) の担当です。

 まずはお参りをして、境内のゴミ拾いをします。
 その後、供養のために奉納されたダルマや松飾りなどを集め、火を点けます。
 「どんど焼き」 です。

 「ダルマは、底を抜いてくださいね」
 と、どんど焼きのプロが支持を出しました。
 「えっ、このまま火に入れてはダメなんですか?」
 と、無知な僕。
 「そんなことしたら、破裂して、危なくてしょうがねぇ」

 なるほど、まだまだ知らないことが世の中にはたくさんありますね。


 昼近くになり、神楽まわしを終えた新年番が公民館に帰ってくると、いよいよ酒盛りの始まりです。

 「旧年番の方、1年間大変ご苦労様でした」
 「新年番の方、1年間よろしくお願いいたします」

 それぞれ、旧の年番長と新の年番長のあいさつがあり、乾杯となりました。


 「もう会えないと思うと、なんだかさびしいですね」
 と、2年前にこの町に引っ越してきて、いきなり年番を経験した最年少のN君。
 「だね。次の年番は班の人数によって、違うからね」
 と僕。

 N君は、10年後。僕は、8年後です。

 「なんだか、苦労を共にした部活仲間みたいですね」
 「確かに、真冬に4時起きをした神社ののぼり旗立ては、つらかったものなぁ~」

 それぞれが、1年間の思い思いの感想を述べながら、ビールや日本酒を酌し合っていました。
 もちろん、僕は日本酒を冷やで、絶好調に飛ばしてきました。


 僕も最初 (19年前) に、この町に越してきたときは、あまりに多くの風習が残されているので、驚いたものです。
 でも、なんでもかんでも簡略化されてしまう現代で、老若男女が手に手をかけて、地域のために奉仕することは、とても貴重なことだと思えるようになりました。
 この1年間、“神の子” でいられたことに、大変感謝しています。

 大変お疲れさまでした。
 1年間、ありがとうございました。

 そして新年番の方々、今年1年、この町をよろしくお願いいたします。
  


Posted by 小暮 淳 at 20:54Comments(0)つれづれ

2014年01月18日

敷島温泉 「ヘルシーパル赤城」②


 仕事柄、僕は年間 80~100回、取材で温泉へ行きますが、プライベートとなると、ほんの数回です。
 その、貴重な温泉体験をしてきました。

 昨晩は、僕が在籍するフリーランスのクリエイティブ集団 「プロジェクトK」 の新年会でした。
 会場は、渋川市の敷島温泉 「ヘルシーパル赤城」。
 昨年、取材で訪れたとき、支配人をはじめスタッフの感じが、とっても良かったものですから、2014年の最初を飾る新年会場に決めました。
 ※(敷島温泉とへルーパル赤城の歴史や泉質など詳しくは、当ブログの2013年7月19日 「敷島温泉 ヘルシーパル赤城」 を参照)


 午後4時。
 三々五々、メンバーがホテルに集まってきました。

 プロジェクトKの会員は、現在、県内外のクリエーター20人が登録。
 昨晩、うち13人が参加しました。
 内訳は、カメラマン2人、ライター3人、デザイナー3人、イラストレーター1人、ディレクター1人、建築家1人、営業マン1人、書家1人です。


 受付を済ませ、温泉でひと汗流して、いざ、宴会場へ!

 乾杯の後、恒例の 「今年の抱負(意志表明)」 が、1人ずつ行われました。

 カルチャースクールの講師をする者、作品展を開催する者、作家へ転身する者、世界へ挑戦する者、事務所を開設する者、新しいビジネスを始める者・・・etc

 みなさん、さすがです!
 この経済情勢の厳しい世の中でありながら、組織に属さずフリーランスで生き抜く、たくましさを感じるスピーチでした。


 で、そういうお前は、何を表明したのかって?
 僕ですか、僕は、2つのことを宣言しました。

 1つは、“仕事の質を高めること” です。
 仕事の量を増やすのではなく、仕事の質(価値) を高める年にしたいと考えています。

 たとえば、2万円の仕事を5本こなすより、5万円の仕事を2本にして、そのぶん、価値のある形の残る仕事を残したいということ。
 でもね、“言うは易し” なのであります。
 思っていることが、そのまま実現するほど世の中は甘くありません。
 それゆえ、せめて意志だけでも高めて、仕事に臨みたいと思っています。

 もう1つは、個人的な活動です。
 現在、僕と関係の深い詩人と画家の作品展を企画しています。
 これから準備に入りますので、順調に作業が進めば今年の5~6月頃に開催を予定しています。
 詳しいことが決まりましたら、このブログでもご案内いたします。


 まあ、堅苦しいあいさつは、ささっと済ませて、アッという間に宴もたけなわであります。
 ビールに焼酎、ワインに日本酒が飛び交い、2次会場に河岸を移して、さらにヒートアップ!

 延々と夜中まで、クリエイティブで建設的な話題(?) に花が咲いたのであります。


 さーて、待望の2014年がスタートしました。
 メンバーのみなさん、今年もよろしくお願いいたします。

 後世に残る、いい仕事をたくさんやりましょうね!
  


Posted by 小暮 淳 at 17:43Comments(0)温泉地・旅館

2014年01月16日

八束山の怪


 今日の上毛新聞23面に、奇妙な記事を見つけました。

 <高崎・八束山>
 <案内テープ連続被害>
 <いたずらか はぎ取り>

 八束山(やつかやま) の標高は452.3メートル。
 旧吉井町(高崎市) にある 「吉井三山」 の1つです。


 僕の著書 『ぐんまの里山 てくてく歩き』(上毛新聞社) でも、紹介しています。

 <その姿が牛が横になった形に似ている牛伏山。山容が女性の寝姿に似ていることから別名 「多胡美人」 とも言われる朝日岳。そして2つの山の中央にそびえる八束山だ。>

 国指定特別史跡 「多胡碑(たごひ)」 に書かれている羊太夫(ひつじだゆう) の居城と伝えられていることから、地元では 「城山」 の名で親しまれている里山です。

 で、その八束山の登山道の樹木に巻いてある道案内のテープ約100個が、何者かにより、すべてはぎ取られてしまったといいます。
 それも、付けても、付けても、はがされて、計3回も被害が続いているとのこと。
 これは、ただ事ではありませんぞ!

 犯人は、いったい何のために、テープをはがしているのでしょうか?


 いたずらにしては、巻くそばから取られています。
 それも、昨年の秋以降から短期間に3回です。

 はがされたテープは、山頂付近に捨てられていたといいます。
 これは犯人からの意図的なメッセージを感じます。


 まず犯人は、近在の人だと思います。
 それもライフワーク的に、八束山を登っている人ですな。
 そして、「ここはオレの庭だぞ!」 といった縄張り意識が強い人なんでしょうね。

 地元のボランティア団体の方々が、安全のために巻いたテープさえ、「美観を損ねる!」 と考えているようです。

 でも犯人さん、あなたも山を愛する人なら分かるでしょうが、あのテープがあるだけで、登山者は安心するんですよ。
 低山だからって、遭難しないとは限りません。

 いたずらではなく、他にメッセージがあるならば、しかるべき場で意思表明したらいかがですか。
 テープをはがした理由を、ぜひ知りたいものです。


 と、ここまでは犯人が “人間” であるという想定の話です。

 実は、八束山の尾根つづきには浅間山(278m) があり、この山の山頂には 「天狗松」 という大きな老松があります。
 その昔、天狗が棲んでいたという伝説が残っています。

 もし、犯人が天狗だったとしたら、それこそ、人間たちへの強いメッセージが込められているような気がするのですが・・・
 「この山に入るではない!」
 ってね。

 はたして、この怪事件は、人間の仕業なのか? 天狗からの啓示なのか?
  


Posted by 小暮 淳 at 20:51Comments(2)著書関連

2014年01月15日

奈女沢温泉 「釈迦の霊泉」③


 みなかみ町の県道を上牧温泉から水上温泉へ向かう途中、右に折れ、JR上越線のガードをくぐると景色が一変!
 一面、雪の原です。

 えっ、わずか数十メート県道から入っただけで?
 <ここよりチェーン必着>の立て札。

 電話で問い合わせると、「スタッドレスを履いていても不可」 とのこと。
 仕方なく、宿からの迎えを待つことにしました。


 奈女沢(なめざわ)温泉の一軒宿、「釈迦(しゃか)の霊泉」 は、幾度となく取材で伺っていますが、真冬のこの時期に訪ねるのは初めてのこと。
 また、いつもは日帰りの取材でしたが、昨晩は、女将の今井経子さんのご厚意により、泊めていただきました。

 「はい、御神水をどうぞ」
 必ず女将は、まずコップ一杯の源泉水を出してくれます。
 ※(ここでは、源泉水のことを 「御神水」 といいます)


 「小暮さんの記事を読んで、私も不思議に思って、自分ちの湯に入ってみました。そしたら確かに、手足が・・・」
 と女将さん。
 なんのことを言っているのかといえば、僕が著書の中で書いている “不思議体験” のことです。

 <霊泉場(浴室) にて湯に体を沈めた途端、ピリピリと全身に電流のような刺激が走ったかと思うと、強い浮力により両手両足がフワフワと勝手に湯の中を漂い出したのである。>
 (『みなかみ18湯』下巻 奈女沢温泉「釈迦の霊泉」より)


 「そしたら、小暮さんの記事を裏付ける資料が、送られて来たんです」
 と女将は、さる研究者による 『釈迦の霊泉と○○のイオン化作用』 というレポートを見せてくれました。
 ※○○(鉱物名) については、現在、事情により公表することができません。

 この自然科学者のレポートによると、、確かに○○が放出するイオンと体のイオンの呼応により、電流が流れ出すことが書かれています。
 また、○○が溶け込んだ液体は比重が重くなり、体が浮くことも化学的に証明されていました。


 「本当ですね! これで僕もウソを書いてなかったということが証明されたわけですね!」
 と、宿に着くなり、かなり興奮気味の僕。
 前回の源泉にラドンが含まれていることが証明された話といい、「釈迦の霊泉」 は訪れるたびに、僕を驚かせてくれる温泉です。
 ※(当ブログの2010年8月28日「奈女沢温泉 釈迦の霊泉」、2012年11月10日「奈女沢温泉 釈迦の霊泉②」を参照)


 昨晩は、御神水で焼酎を割りながら、雪見酒とシャレ込みました。

 女将さん、スタッフのみなさん、大変お世話になりました。
 手づくりの料理、どれも “おふくろの味” がして、とっても美味しかったですよ!
 (特に 「おから」 と 「ほうれん草の白あえ」 は絶品でした)
   


Posted by 小暮 淳 at 18:13Comments(2)温泉地・旅館

2014年01月13日

20歳の僕へ


 <朝、目覚めると、外は一面の銀世界だった。東京へ来て、初めて見る雪。群馬も降っているのだろうか?>

 これは1979年1月13日の、僕が書いた日記の書き出しです。
 この後、土曜日なのにバイトへ行ったこと、帰りにバイト仲間と新宿の喫茶店で話し込んだこと、そして当時、付き合っていた彼女のことが、延々とつづられています。

 あれから、35年・・・


 今日は、成人の日。
 全国で約121万人が、群馬県内では2万632人が新成人となりました。


 35年も前のことだもの、自分が20歳になったときの感想なんて覚えていません。
 だから、納戸の中からセピア色の日記を引っ張り出してきたのであります。

 でも、成人式のことは一切、記されていませんでした。
 また、式典に出席した記憶もありません。
 日記の前後を読み進むと、どうも、当時の僕は、それどころではなかったようです。


 当時、僕は、昼間はバイトをしながら、夜学の音楽学校へ通っていました。
 明けても、暮れても、音楽のことばかり考えていたようです。

 1月25日(木) はれ
 <デモテープ録り。
 『中野通りを北に』 と、もう1曲は新しく作った 『忘れかけてた町』。
 なかなかメロディーも決まっていて、良い出来でしょう。
 今度の日曜日は、全員メンバーが集まり、ミーティング。
 そして、いよいよ2月は、レコーディングです。
 ファイト!>

 だもの。
 成人の日もなにもなかったんでしょうね。
 夢にまで見たレコーディングに向かって、青春まっしぐらだったようです。


 ふと、20歳の自分に会ってみたくなりました。
 話ができなくても、いいんです。
 そっと陰から、当時の自分を見てみたいんです。

 でも、もし、会って話ができたら、20歳の僕は、今の僕を見て、なんて言うんでしょうね?

 「えー、オレ、こんなオッサンになっちゃうのかよ」
 と、幻滅するでしょうか? それとも
 「へー、オレって、将来、物書きになるんだ」
 って、驚くでしょうか?

 そう考えると、会うのが怖いような気もします。

 でも、間違いなく、これだけは “彼” に伝えられる自信があります。
 「昔も今も、生きざまだけは、変えていないぞ!」
 ってね。


 新成人のみなさん、おめでとうございます。
  


Posted by 小暮 淳 at 20:52Comments(0)つれづれ

2014年01月12日

生きてりゃいいさ


 つかの間の帰宅です。
 またまた今週も、昨日から実家に泊まり込んで、両親のヘルパーをしています。

 毎度、お馴染みの、口は達者だけど足が不自由なオフクロと、足は達者だけど頭が不自由なオヤジの “おさんどん” です。

 まー、3年目にもなると慣れてはきましたが、買い物に行ったり、料理を作ったり、床の用意をしたり、病院の送り迎えをしたり、散歩のお供をしたりと、老人の介護はやることが多くて、手を抜けないのが悩みのタネであります。
 町やスーパーで、元気なお年寄りを見かけると、ついつい 「ああ、いいなぁ~」 と、羨望のまなざしで見てしまいます。


 実家の前の通りをはさんだ斜め向かいに、Mさんという老人が暮らしています。
 Mさんは、御年93歳!
 いまだに現役で仕事をしています。

 自宅兼工場で、たった1人で毎日、機械の修理をしています。
 目も耳も健康で、なななななーんと! 機械を軽トラに積んで、自分で運転して納品に行ってしまうのです。

 「うちのオヤジも、あのくらい元気だったらいいんだけどなぁ」
 と、いつもアニキと、Mさんを見かけるたびに話しています。


 「おお、誰かも思ったら小暮さんじゃないか? バカにやせちゃって、大丈夫かい?」

 僕が、オヤジの手を引いて散歩へ出かけようと通りに出たときです。
 軽トラから降りてきたMさんが、声をかけてきました。

 オヤジは、「誰だい? 誰だい? 分からないよ」 の一点張りです。
 まあ、無理もありません。
 目も良く見えないし、耳もほとんど聞こえないのですから。

 「やだねぇ、ボケちゃったのかい? しっかりしてくれよ。あんたはオレより4つも若いんだからさ!」

 おっしゃるとおりです。
 でもね、人間には個体差というものがあるんですよ。

 「おじさんは、元気ですね。全然、昔と変りません」
 と言うと、
 「なに言ってんだい、見てのとおりの老人だよ。ただね、オレは小暮さんみたいに若い頃、頭を使わなかったからさ。だから今でも使えるんだよ」
 そう言うと、かくしゃくとした足取りで、工場の中へ入って行きました。


 「今のは、誰だったんだい?」
 「Mさんだよ。93歳だって。元気だね」

 そう言うと、オヤジは、急に悲しい顔をするのでした。

 「どうした? じいさん」
 僕の問いに、オヤジは立ち止まり、頭をたれて、こう言ったのです。

 「すまないね」


 年上のMさんに、威勢をつけられて、いじけてしまったようです。
 オヤジは、オヤジなりに、息子たちに面倒をかけていることを気にしているようです。

 「さ、じいさん。散歩へ行こうよ。今日は、どこまで歩こうか?」
 「どこまでだって、いいさ」

 僕は、思いっきり抱きしめるようにオヤジの腕を取り、北風の吹く町を歩き出しました。


 生きてりゃいいさ
  


Posted by 小暮 淳 at 20:16Comments(0)つれづれ

2014年01月11日

1億円の価値


 座右の銘は? と訊かれると、僕は、
 『努力してでも軽く生きる』
 と、答えています。

 これは、作家でタレント、元東京都知事だった青島幸男氏の言葉です。

 でも、この言葉に出合うまでは、長年、座右の銘にしていた別の言葉がありました。
 それは、『元気がなくてもカラ元気』。

 この言葉は、僕が人生の師と慕っている木彫家で絵本作家の野村たかあき先生より、若い頃にいただいた言葉です。

 「自分の体調が悪かったり、機嫌が悪いからといって、他人を不愉快にする権利は誰にもない。どんな時でも、他人を楽しませ、喜ばせられる人間であれ!」
 といった思いが込められています。

 おかげさまで、この言葉に出合う前よりも、笑顔で暮らせるようになったと思います。
 いえいえ、だいぶ楽天家に研きがかかってきたと自負までしています。


 そんな僕でも、ときに迷い、悩み、「いったい自分は、何をしようとしているんだろう」 と、立ち止まろうとしてしまうことがあります。
 まあ、10年に1度か2度あるかないかのスランプです。

 そんなとき僕は、師のもとを訪ねます。


 今年の正月2日、毎年の恒例行事として、新年のあいさつに出かけました。

 「いいね、ジュンちゃん! 今年は “馬並みに生きる”んだね」
 開口一番、先生は、そうおっしゃいました。

 実は僕、先生に出会った26年前から毎年、年賀状に 「今年は○○元年です」 と、志を書くようにしています。
 今年は、午年。
 馬の力強さと、しなやかさにあやかって(あっちのほうも)、「馬並み元年」 としました。


 「でも、はたして、そのように頑張れるかどうか……」
 僕が弱音を吐くと、先生は、
 「あれ、どうしたんだい? ジュンちゃんらしくないね」
 僕の迷いを見抜いて、話を聞きだそうとしてくれました。

 「いえ、何があったというわけではないんです。ただ……」
 そう言って僕は、心の迷いを告げました。

 別に、悩みといったほどの大げさなものじゃないんです。
 フリーのライターになって、ガムシャラに生きてきて、好きな温泉を書きたくて、無我夢中で取材をしてきた今、本当に漠然とした思いなのですが、「このままで、いいのだろうか?」 という不安が、心の隅っこにあったのです。

 「でも、好きなことを仕事にすると、他のモノを失うリスクは大きいですよね」
 と言えば、
 「当然」
 と、ひと言。
 そして、先生は、こう言葉を続けました。

 「だから僕ら作家は、描く(書く) んだろう? 苦しいから、つらいから、作るんだよ」

 さらに、
 「お金儲けが目的なら、作家になんて誰もならないし、僕らは、お金のためにモノを作ってはいない。だから決して、今の生き方をお金で換算してはいけないよ」
 と、常に貧乏と戦っている僕を、励ましてくれるのでした。


 「本を書くことは、誰にでもできることじゃない。それをジュンちゃんは、やっているんじゃないか。書いた本をファンの人が書店で買ってくれることは、決して本の価格の価値じゃないだろう? お金には換算できない仕事なんだから。でも、もし、お金に換算したら、1億円以上の価値があることだとは思わないか!」
 そう言って、僕の目をジッと見て、ほほえんだのであります。


 正月の澄み切った青空の下、なんとも晴れ晴れとした気持ちで、先生の家をあとにしました。

 心強い、お言葉を、ありがとうございました。
 “1億円の価値”
 この言葉を心に刻んで、立ち止まらずに、このまま人生を歩いて行こうと思います。
  


Posted by 小暮 淳 at 21:21Comments(0)つれづれ

2014年01月10日

研修会 in 伊香保温泉②


 昨日から伊香保温泉へ行っていました。
 でも、取材ではありません。
 県内の教育関係者の研修会があり、講師として呼ばれて行って来ました。

 伊香保温泉で講演をするのは、今回で2回目。
 前回は、2012年の6月に 「ホテル木暮」 で行われた某協同組合の研修会でしたから、約1年半ぶりであります。

 で、今回の会場は 「ホテル天坊」 です。
 天坊へ行くのは、なんと!20年ぶり。
 雑誌の編集をやっていた頃は、毎月のように伺っていた得意先でした。
 そんな関係で、家族を連れて、歌手やタレントのディナーショーには、よく出かけたものです。


 13時15分  JR上越線、渋川駅
 改札口を抜けると、主催者が出迎えてくれました。
 車に乗り込み、一路、伊香保温泉へ。

 13時50分  ホテル天坊 着
 ロビーでは関係者に迎えられ、まずは会場の下見に。
 演台やホワイトボードの位置確認、マイクテスト、進行の打ち合わせ等を行いました。

 14時20分  控え室にて
 主催者、関係者とコーヒーを飲みながら雑談。


 15時10分  記念講演 開演
 開会のことば、主催者あいさつ、来賓あいさつの後、いよいよ、僕の出番です。

 演題は、毎度お馴染みの 『群馬は温泉パラダイス』。
 でも、伊香保バージョンにして、伊香保温泉の歴史や 「黄金の湯」 と 「白銀の湯」 の違いなどもお話しました。

 ラストは、お約束の 『GO!GO!温泉パラダイス』 を熱唱!
 無事、1時間半の講演を終了しました。


 講演が終われば、宴会までは自由時間です。
 部屋で浴衣に着替えて、当ホテル自慢の大岩風呂へ。
 何が自慢かというと、配された巨岩は、すべて天然記念物の 「三波石」 なんです。
 しかも、伊香保温泉の2本の源泉が引かれています。
 (天坊さん、がんばっています!)

 湯上がりは、部屋にもどって、とりあえずビールをキューーーーッと1本。
 90分間の講演をすると、ノドがカラカラなんです。
 これから迎える酒宴の準備として、呼び水ならぬ 「呼び酒」 の意味もあります。


 18時30分  懇親会場
 まあ、次から次へと、とっかえひっかえお酌に来てくださるものだから、いきなりビールと日本酒のチャンポンであります。

 「『みなかみ18湯』 では、大変お世話になりました」
 なんて、みなかみ町の関係者もいたりして。

 と思えば、
 「昨年の11月に玉村町で講演会がありましたよね。私、行きたかったんですけど、急用で行けなかったんです。だから今日、お会いできるのを楽しみにして来ました」
 と玉村町在住のご婦人もいたりして。
 彼女は、僕の本を何冊も持っている読者様でした。


 20時30分  お開き、そして・・・
 当然ですが、主催者や関係者に連れられて、二次会場へ。
 仕切りなおして、今度は、ゆっくりと地酒をいただきました。

 これだもの、懇親会付きの講演会は、断れませんって。
 飲兵衛には、たまらないお仕事であります。
 これに懲りずに、よろしかったら、また呼んでくださいね。


 主催者のみなさん、大変お世話になりました。
 楽しい講演会となりました。
 ありがとうございました。
  


Posted by 小暮 淳 at 20:41Comments(2)講演・セミナー

2014年01月08日

キラーコンテンツ


 朝日新聞群馬版に連載しているコラム 『小暮淳の温泉考座』 が、今日から再スタートしました。
 年末年始と休載していたため、3週間ぶりの掲載であります。

 読者のみなさん、お待ちどうさまでした。
 そして、今年もよろしくお願いいたします。

 新春一発め、第34回のテーマは、何の脈略もなく 「震災と温泉」。
 (だって、まとめて原稿を送っているので、いつ、どの原稿が掲載されるか分からないのです)

 3.11 以降に起きた、温泉地の直接被害や風評被害などについて、書かせていただきました。


 早くも、あれから3年が経とうとしています。
 当時を思い返すと、温泉宿のみなさんは、よくぞ乗り切ってきたものだと、感心するとともに尊敬いたします。

 計画停電やガソリン不足、鉄道の運休・・・
 県内の温泉宿は、どこもキャンセルの嵐が吹き荒れ、観光地はパッタリと客足が途絶えてしまいました。
 
 湯脈が断たれ、温泉が止まってしまった宿。
 逆に、湧出量が何倍にも膨れ上がり、施設が水浸しになってしまった宿。

 すべては、自然のおぼしめしであります。
 その中で、温泉を守り続けている湯守(ゆもり) のエピソードなどを紹介しました。
 ※( 『小暮淳の温泉考座』 のバックナンバーは、当ブログ 「お気に入り」 から閲覧できます)


 連載がスタートしたのは、昨年の4月。
 紙面の都合で、数回の休載はあったものの、なんとか今日まで順調に連載を続けています。
 毎週水曜日掲載というペースの速い連載で、筆者は大変ですが、これからも温泉好きの読者のために、ためになる記事を書いていきたいと思います。


 先日、このブログに 『賀状御礼』 というタイトルで、新聞のコラムを読んでいる友人や知人から年賀状が届いた話をしましたが、実は、朝日新聞社の担当者からも、こんな、うれしい年賀状をいただきました。

 <「温泉考座」 は群馬版のキラーコンテンツです>
 だなんて!
 (キラーコンテンツとは業界用語で、特別に人気の高いサービスや情報のことです)


 よっ、このー、ライター殺し!
 そんなことを言われれば、ノーギャラだって書いちゃうぞ!(ウソです)
 だって、ライターにとっては、これ以上のホメ言葉はありませんもの。

 よっ、おだて上手!

 でも、彼のような編集担当者がいるからこそ、僕のような人間でも、毎週の連載が可能なんですね。
 ありがとうございます。

 T さん、今年もよろしくお願いいたします。
 どうか、見捨てないでちょーだい!
   


Posted by 小暮 淳 at 21:21Comments(3)執筆余談

2014年01月07日

金があるからダマされる


 家族を装って現金をだまし取ったりする振り込め詐欺など 「特殊詐欺」 による被害が昨年、過去最多だったといいます。
 群馬県内だけでも被害額は、6億円超!
 これまた過去最高でした。

 もう何年も前から、耳にタコができるほど騒いでいるのに、どーして、ひっかかる人が後を絶たないのでしょうか?


 「お金があるから、ダマされるんだよ。なければ、ダマされるもなにも、払えないんだからさ」
 そう言って、オフクロは笑います。

 実は、何年か前に、オフクロは 「おれおれ詐欺」 の電話を受けたことがあるのです。

 犯人 「オレ、オレだよ!」
 母   「オレって、誰だい?」
 犯人 「自分の息子を忘れちゃったのかい?」
 母   「W(長男の名) かい?」
 犯人 「そうだよ、Wだよ」

 この時、オフクロは、声がアニキに似ていないと思ったそうです。
 また、僕の声とも、まったく違ったといいます。

 その後、金の話になったらしいのですが、その時点でオフクロは 「おれおれ詐欺」 だと気づきました。

 「だって、お前たちなら、うちにお金がないのことは知っているもの。本当に困っているなら、私じゃなくて他の人のところに無心に行くよね」
 とは、ごもっともであります。

 そしてオフクロは、「詐欺からですよ、おとうさん」 と電話をオヤジに替わり、
 「うちは、金はないんだよ! おぼえとけ!」
 と、一蹴したとのことでした。


 最後にオフクロは、こんなことも言いました。
 「私は、人様にお金を借りる時、電話で済ませるような子には、育てた覚えはありませんよ。お前たちが、もし本当にお金に困っているなら、電話などで済ませないで、直接私に会って話すでしょう?」

 さすが、世の中を分かっていらっしゃる。
 “親しき仲にも礼儀あり” ですな。


 「おれおれ詐欺」 の最大の防御は、“貧乏” なり!
   


Posted by 小暮 淳 at 18:01Comments(0)つれづれ