2014年03月31日
湯の魅力 再発見
<温泉で群馬の良さ再認識>
これは昨日の新聞で見つけた、読者ページに掲載されていた記事のタイトルです。
投稿者は、前橋市の40代女性。
海外に暮らす友人が、久しぶりに日本に帰って来ることになり、温泉旅行を計画したときの話です。
ところが、その友人を迎えた日が、例の大雪の日だったといいます。
それでも、<私たちの場合、この日を逃がしたら次がありません。>
と中止せずに根気よく探して、駅まで送迎してくれる<理想の宿泊先>を見つけました。
そして出かけたのは、みなかみ町の湯宿温泉でした。
<料金は手ごろなのに源泉かけ流し>
<露天風呂は無料で貸し切り>
だったといいます。
湯宿温泉には6軒の宿がありますが、この条件を満たしている宿は1軒しかありません。
「T館」 に泊まられたようです。
僕も何度か取材でお世話になったことがありますが、女将さんも若女将さんも気さくな方で、ずいぶんと親切にしていただきました。
投稿者も、<宿の人たちの心配りも最高でした。>と大変満足したようです。
そして最後に、こんなふうに文章を締めくくっていました。
<温泉もだいぶ行きつくした感はあったのですが、まだまだ身近な所に思わぬわくわくがあり、忘れかけていた群馬の良さを再認識する旅ともなりました。>
奇しくも来月出版される僕の新刊本の帯コピーが、『湯の魅力 再発見』 なんです。
群馬に住んでいて、群馬の温泉を知っているつもりでも、実は知らない “わくわく” が、まだまだたくさんあるっていうことです。
だって、こんなにも群馬の温泉を取材し続けている僕でさえ、訪ねるたびに新しい発見の連続なのですから……。
2014年03月30日
ご褒美旅行 in 松本
今年も行って来ました!
年に1度の 「松本詣で」。
松本詣でとは?
僕が上毛新聞社から出版している温泉本シリーズは、長野県松本市の印刷会社で刷られています。
今年も、いよいよ今週からシリーズ6作目となる温泉本の印刷がスタートします。
と、いうことで、昨日から泊り込みで最終チェックの色校(刷り色見本の校正) に行ってきました。
一緒に訪ねたのは、ディレクターとデザイナーと編集担当者。
迎えてくれた印刷会社の企画担当者と計5人で、みっちり2時間以上かけて念入りにチェックをしてきました。
いやいや、校正とは恐ろしいもので、何遍やっても修正や訂正が出てしまうものです。
「あっ、○○が落ちている!」
なーんて、誰かが叫ぶと、ドキッとします。
「ここ、おかしくない?」
と地図の表記の誤りを発見したりします。
そのたびに、「おおおー、よく気が付いたね~」 と全員で胸をなでおろすのであります。
ここに来るまでにも、何人もの目でチェックした原稿です。
それでも、このように土壇場で発見されることも多々あるのが出版物の怖さです。
でもそれが、やりがいでもあり、1つのモノを作り上げる製作者同士の連帯感を生み出しているのも事実です。
「では、これで、よろしいですか?」
と、企画担当者。
「いいですか?」
と編集担当者がディレクターに最終確認をします。
この時点では、僕はもう蚊帳の外であります。
著者の出番は、とっくに終わっています。
「OKでしょう!」
ディレクターの声に、拍手がおこります。
「では、行きますか?」
と、企画担当者。
つ、つ、ついに、キターーーーーーーッ!!!!
ここからが、本題です。
年に1度の 「松本詣で」。
1年間の苦労を互いにねぎらい、アルコールで体の中から清める儀式の始まりです。
一同は、松本市街地のビジネスホテルへ直行。
手荷物を各部屋に放り込むと、そそくさと、まだ日の沈まぬ繁華街へと繰り出しました。
「今年も、こうやって無事に本を出版することができました。大変お疲れさまでした。では乾杯!」
企画担当者の発声で、高らかにジョッキが上げられたのであります。
「ありがとうございます」
僕には、この言葉しかありません。
だって著者なんて、所詮、文章しか書けないのですから・・・
それが1年経つと、たくさんの人たちの手を借りて、1冊の本に仕上がっていくのです。
「ありがとうございます」
そう、何度も感謝をしながら、昨晩は美酒に酔いしれました。
「来年も出版されるんでしょう? もう、決まっているんでしょう?」
と地酒を注ぎながら、企画担当者。
「ええ、まあ・・・」 と、スタッフの顔色をうかがう僕。
すると、編集担当者が、
「もちろん、来年も出しますよ!」 と即答。
「では、来年もみなさんのお越しをお待ちしています。そろそろ河岸を替えましょう!」
そう言って企画担当者は、僕らを夜のネオン街へといざなったのでした。
これは1年間頑張った、僕とスタッフたちの “ご褒美旅行” なのです。
この楽しいひと時があるからこそ、また1年間頑張れるのです。
2014年03月28日
アンケラ コンケラ な日々
まったくもって今週は、どうかしています。
脱力感に見舞われ、気力がなく、何をする気にもなりません。
今週になって、やった仕事といえば、連載のコラムを2本書いただけ。
あとは、ただのんべんだらりと、テレビを観たり、本を読んだり・・・
気が向いた時に、愛犬と散歩に出かけるくらいです。
子どもの頃、家でやることもなくダラダラしていると、
「なに、いい若いモンが、昼間からアンケラ コンケラしてるんだい!」
なんて、オフクロに叱られたものです。
“アンケラ コンケラ” とは、群馬の方言のようです。
僕は使いませんが、オフクロは口ぐせのように言ってました。
仕事中に油を売ったり、サボったり、ボーっとしてたり、グダグダと過ごしている状態を言う言葉のようです。
まさに、今の僕がその状態であります。
先週、このブログに 「あとがき」 を書き終えたことを書きました。
来月出版予定の新刊の 「あとがき」 のことです。
で、その 「あとがき」 を出稿してしまったら、突然、心と体のタガが外れてしまい、すべてにおいて無気力になってしまったのです。
ついには、朝の目覚まし時計もセットしなくなりました。
眠くなったら寝て、目が覚めた時に起きる。
お腹が空いたら食べる。
酒を飲む。
眠くなったら寝る・・・
こんな毎日が続いています。
もうしばらく、アンケラ コンケラしていようと思います。
桜が咲いたら、新しい仕事に取りかかります。
2014年03月26日
「温泉考座」 1周年
毎週水曜日、朝日新聞の群馬版に連載している 『小暮淳の温泉考座』。
おかげさまで、本日の掲載で満1年となりました。
これもひとえに、読者および担当編集者のおかげです。
お礼を申し上げます。
いつもありがとうございます。
連載のスタートは、昨年の4月3日。
2年間続いた 『湯守の女房』 というドキュメントエッセーの連載が終了し、その後続コラムとして始まりました。
「僕は本社へ異動することになりました。今までのようにカメラマンとして同行することができません。ついては、『湯守の女房』 に代わるコラムを書いていただけませんでしょうか?」
昨年の今頃、突然、担当者 I さんが転勤することになりました。
「代わるコラム? 何を書けばいいの?」
「小暮さんが講演やセミナーで話していることですよ。読者が、アッと驚くトリビアのネタを毎回書いてくれませんか?」
と、いうことで書き出したのが 『小暮淳の温泉考座』 でした。
前回の 『湯守の女房』 は月2回、隔週の掲載でしたから多少余裕もありましたが、今回は毎週連載です。
「大丈夫かな? 週刊のコラムは初めてですよ」
と言えば、
「小暮さんなら書けますよ。いつも取材中に僕に話してくれた温泉ウンチクをそのまま書いてください」
とかなんとか、おだてられて1年が過ぎました。
今日、3月26日のテーマは 「なぜ、温泉まんじゅうは茶色いのか?」。
伊香保温泉が発祥の地といわれている、まんじゅうの話です。
掲載回数は、第44回となりました。
う~ん、44回かぁ~・・・
と、つくづく今日の紙面を眺めてしまいました。
なんとなく書いてきたけど、温泉のネタって、まだあるのかなぁ~・・・
せめて100回までは連載をつづけたいけど、大丈夫だろうか?
とか、1年間を振り返りつつ、感慨にふけっていました。
さて、来週からは、いよいよ2年目に突入です!
楽しくて、ためになる温泉の話。
群馬の温泉が大好きになる、とっておきのこぼれ話を、まだまだ読者へ届けたいと思います。
これからも末永くご愛読くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。
2014年03月25日
温泉は生きている
明治25年(1892) に発刊された群馬県の温泉分析書 『上野鉱泉誌』。
この中には、県内の74ヶ所の温泉地が記載されています。
ところが、うち現在でも残っている温泉は、わずか30ヶ所!
この120年の間に、40ヶ所以上もの温泉地が、県内から消えたことになります。
当時は、まだ機械による大規模な掘削技術のなかった時代です。
消えた温泉は、すべて自然湧出だったといえます。
時はめぐり、平成21年に僕は、『ぐんまの源泉一軒宿』(上毛新聞社) という一軒宿の温泉ばかりを集めた本を出版しました。
一軒宿の温泉は、たった1軒だけで源泉と温泉地の看板を守っています。
ですから、そのたった1軒しかない宿が廃業してしまうと、宿がなくなるだけではなく、温泉地自体が地図からも消えてなくなってしまいます。
あれから5年・・・
前著では50軒の一軒宿を掲載しましたが、残念なことに、すでに4軒の宿が廃業してしまっています。
また、この5年の間に市町村合併があり、住所表記が変更になった温泉宿もあります。
「ならば、再度、調査してみよう!」 と、1年間かけて、群馬県内の一軒宿の実態を調べ、すべての宿を取材してきました。
消えていった温泉もあれば、後継者が現れて復活した温泉もあります。
と思えば、個人や会員が所有していた温泉を、一般に開放したホテルもあります。
つくづく、温泉は生きているのだと思います。
結果、前著よりも4軒減り、新たに8軒の宿が追加され、実質4軒増の54軒の 「源泉一軒宿」 を取材することができました。
「源泉一軒宿」 は、群馬の宝だと思います。
ぜひ、みなさん、10年後、100年後の未来に1軒でも多くの 「源泉一軒宿」 を残すために、ご協力をお願いします。
“泊まって残そう! 群馬の源泉一軒宿”
2014年03月23日
未来墓参
今日もまた、オフクロが 「墓参りに連れてってほしい」 と言いました。
実は僕、先週から実家に泊まり込んで、両親の面倒を看ています。
いつもはアニキが滞在して、身の回りの世話をしてくれているのですが、しばらくの間、家族のいる東京へ帰ることになりました。
「すまんが、ちょうど彼岸中なんだよ。大変だろうが、オヤジとオフクロを墓参りに連れてってやってくれ」
というのが、アニキから僕への伝言でした。
「ああ、いいよ」 と軽々しく返事をしてしまいましたが、それは、1日で済むものだと思っていたからです。
まさか、父方の本家と母方の本家の墓以外に、まだ墓参りがあるとは思っていませんでした。
「お前が連れてってくれないんなら、あきらめるけどさ。どうしても、気になってしょうがないんだよ。マーちゃんが、私たちが来るのを待っているような気がしてね」
マーちゃんとは、8年前になくなったオヤジの弟です。
オヤジの弟なんですが、オフクロとは同じ歳だったので、生前は、とても親しくしていました。
「カヨちゃんも、同じ墓地だしね。連れてってくれないかね?」
カヨちゃんは、オヤジの甥っ子の奥さん。
僕にとっては、いとこの嫁さんです。
数年前、病気のため58歳の若さで他界しました。
と、いうことで今日の午前中、僕は、足の不自由なオフクロと、頭の不自由なオヤジを車に乗せて、前橋北部にある市営墓地へと向かいました。
風のない、おだやかな日和。
赤城山南面に広がる墓地は、明るくて開放的で、墓地というよりは公園のようです。
ところが広過ぎて、なかなか目当ての墓所にたどり着きません。
もちろん、オヤジに訊いても、
「ここは、どこだい?」
と、すでに、実の弟が、ここに眠っていることすら忘れています。
僕は今回、初めての墓参です。
頼みの綱は、オフクロの記憶のみ・・・
「確か、道の左に下りる階段があったよ」
なーんて、言われても、 道の左にも右にも階段だらけです。
それでも1時間近く苑内を車で走り回り、なんとか、2つの墓所にたどり着きました。
「どうせなら、近々2人が入る墓も、見て帰ろうよ」
と、イヤミを言う僕。
実は、すでにオヤジとオフクロが入る予定の墓も、この墓地の中に造ってあるのです。
すると、オヤジがこんなことを言いました。
「○○(僕の息子) が小さかった時、連れてきたことがあったな。『死んだら、おじいちゃんは、この中に入るんだよ』 って言ったら、『いやだ、いやだ』 って泣いたんだ。孫っていうのは、可愛いもんだって思ったよ」
“墓を造ると長生きをする” といいますが、まさに、その通りです。
オヤジが自分の墓を造ったのは60歳のとき。30年も前のことです。
両隣の墓石には、花が手向けられています。
ポツンと1基だけ、花も線香も卒塔婆もない、殺風景な墓石に、ただ 「小暮家」 とだけ刻まれています。
30年間、入る人のいない墓です。
もちろん、誰も入っていないのですから、花も線香も手向けません。
手を合わせることもなく、ただただ、僕は墓石だけを眺めていました。
いつかは、ここで、手を合わせる日が来る・・・
それは、遠い未来じゃない。
「腹が減った」 とオヤジ。
「そうだね、早く帰って、昼飯にしような」
僕は車のエンジンをかけて、ゆっくりと坂道を下り出しました。
2014年03月21日
先祖参り
今日は、春分の日。 「彼岸の中日」 です。
お墓参りは、済みましたか?
僕は今日、年老いた両親を連れて、2つの墓参りに行ってきました。
若いときは、先祖のことなんて、気にしたことも、考えたこともありませんでした。
親や兄弟、伯父と伯母、いとこ、祖父母くらいまでは、なんとか親戚のくくりとして身近に感じてはいましたが、さらにさかのぼった “先祖” となると、名前すら知らなかったりします。
でも、温泉ライターの仕事をするようになってから、妙に自分の先祖が気になるようになったんです。
家系図なんかを調べるようにもなりました。
なんででしょうか?
たぶん、温泉取材に行くと 「私で9代目です」 とか 「16代目になります」 なんて、老舗旅館の主人たちから話を聞くうちに、自分も自分のルーツを知りたくなったのかも知れませんね。
午前中は、前橋市内にある母方の墓を参りました。
母は2人姉弟ですが、祖父は僕が生まれる前に、祖母は僕が20歳の時に亡くなっています。
叔父夫婦も、この数年で、相次いで他界しました。
「おとうさん、おかあさん、○○男、××子さん、会いに来ましたよ」
そう言ってオフクロは、僕の手を借りながら線香を墓前に手向けていました。
すでに、いとこたちが来たんでしょうね。
真新しい花が、供えられていました。
「本家の墓も、お参りしたいよ。連れてっておくれ」
と、同じ墓地内の別の墓へ移動。
本家とは、オフクロの父親の実家です。
いうなれば、僕の曽祖父母たちが眠っている墓です。
子どもの頃に墓参りをした記憶はありますが、今日、初めて曽祖父母の名前を知りました。
「私はさ、おばあちゃん子でね。すっごく可愛がってくれたんだよ」
なんて話すオフクロが、なんだか不思議でなりません。
だって、もう、ひ孫がいる87歳になる老婆が、「私はおばあちゃん子だった」 なんて・・・
でも、その違和感は、オヤジにも感じました。
午後は、旧大胡町(前橋市) の小暮の本家の墓へ。
こちらは、敷地内に代々の墓石がいくつも並ぶ、立派な墓地です。
「喜平? この人がオレのひいじいさんかい?」
墓石に刻まれた名前を見て、僕。
「ああ、そうだ」 とオヤジ。
「でもさ、没年は大正13年の5月だよ。じいさん、まだ生まれてないじゃん?」
と問えば、
「ああ、オレは、このじいさんの生まれ変わりって言われたんだ」
確かに、オヤジが生まれたのは、その年の9月です。
生まれ変わりって言われたくらいだから、よっぽど顔や性格が似ていたんでしょうね。
でも一族って、実は、みんな似ているんですよね。
墓参りの帰りに本家に寄って、ずらりと並んだ先祖の肖像画や遺影を見て、つくづく思いました。
オヤジは祖父にそっくりだし、祖父は曽祖父にそっくりだもの!
不思議なものですね。
一族って・・・
とりあえず僕は現在、2代先の孫までバトンをつなげたけれど、どこまで見届けることができるのでしょうか。
長生きする価値は、ありそうです。
2014年03月20日
読友オフ会
現在の僕にとって読書は、仕事の一部ですが、若い頃(10代~20代) は 「趣味は?」 と訊かれれば、必ず 「読書」 と答えていました。
今でも本を読むことは好きですけど、ここ何年かは仕事関係の本を読むことが多いので、なかなか好きな小説を読む時間が取れないのが現状です。
それでも毎日、仕事が終わった深夜、寝る前の1時間くらいは、酒の当てに読書を楽しんでいます。
もちろん、大好きなミステリーやサスペンスです!
僕の読書との出合いは、幼稚園からだったといいます(オフクロの弁)。
市立図書館の幼児本をすべて読破してしまい、オフクロが図書館に蔵書を増やすように嘆願書を書いて陳情に上がったとの逸話が残っています。
でも、本人は、あまり記憶にありませんけどね。
僕が自らの意思で読書に目覚めたのは、小学生になってからです。
とにかく探偵小説に夢中になりました。
モーリス・ルブランの 「怪盗ルパン」 シリーズ。
コナン・ドイルの 「シャーロックホームズ」 シリーズ。
そして、江戸川乱歩の 「少年探偵団」 シリーズは、むさぼるように読みまくりました。
やっぱりクラスに何人か探偵小説好きがいて、競って図書館に通った記憶があります。
中学生になってからは、アガサ・クリスティやエラリー・クイーン。
それにガストン・ルルーやクロフツなんていう、海外の有名なミステリーにのめり込んでいきました。
日本の作家に興味を持ったのは、高校生になってから。
松本清張や森村誠一、横溝正史あたりを読んだのも、その頃です。
そして現在・・・
昔のように読んだ本の感想を語り合う友だちは少なくなりましたが、1人だけ “読友” の “メル友” がいます。
ふだんは滅多に会わない人ですが、読んだ本の感想だけは互いにメールで知らせ合っています。
そんな読友と、「たまにはオフ会をしよう」 ということになり、近くのファミレスで久しぶりに会ってきました。
もちろん、お互い相手に読んで欲しい一押しの本を持参してです。
そしたら偶然 (といっても事前に、メールで書名はしらせてありましたが) 、同じ作家の本だったんです。
沼田まほかる
互いに、相手が読んでいない本を手渡して、コーヒーを飲みながら “まほかる談義” に花を咲かせてきました。
僕は、ドキュメントを書くライターです。
だからでしょうか、いつもフィクションの世界にあこがれています。
小説を読む時間は、昔も今も、僕にとって大切なかけがえのない “趣味” の時間なのです。
2014年03月19日
「あとがき」 を終えて
僕はふだん、原稿を書きながら酒を飲むことはありません。
どんなに遅くなっても、その日、自分に与えたノルマだけは書き上げ、それから風呂に入り、じっくりと疲れを取りながら酒を飲みます。
だから毎日、床に就くのは、午前の2時~3時頃。
ときには、朝を迎えてしまうこともあります。
でも、1年に1度だけ、僕は原稿を書きながら酒を飲みます。
それは、本の 「あとがき」 を書くときです。
僕の場合、本を1冊仕上げるのに、約1年間かかります。
取材をして、原稿を書いて、デザイナーに渡すまでが僕の仕事です。
今回の新作を例にとると、約10ヶ月の間に54軒の温泉宿を取材しました。
なるべく原稿を貯めないように、他の仕事の合間にコツコツと書いてきました。
この間に、本文のなかに入るコラムや前書き、プロフィールなども、ヒマを見つけて書きためておきます。
ちなみに今回の原稿量は、原稿用紙に換算して約180枚。
そして、すべての原稿を送り出すと、文字通り最後に残る原稿が 「あとがき」 です。
登山でいえば、九合目を過ぎて山頂が指呼の間に見えた頃。
マラソンでいえば、残り1キロに差しかかったあたりでしょうか。
とにかく、この原稿さえ書き上げれば、苦しかった長い長い闘いの日々から解放されるのです。
もちろん、はやる気持ちはあります。
早く書き上げて、自由になりたいというあせる気持ちもあります。
でも、ここからが年に1度の自分への “ご褒美タイム” なんです。
本の製作は “旅” と同じで、終わってしまうと淋しいものなのです。
だもの、旅の終わりくらい、あせらず、はやらず、ゆっくりと楽しみたいと思うのです。
ですから僕は年に1度、「あとがき」 の執筆だけは、何時間かかってもいいから、大好きな酒を飲みながら書くようにしています。
そうやって今回も、旅の余韻を味わいながら 「あとがき」 を書き上げました。
今、また大きな仕事を成し終えた充足感に包まれています。
苦労したぶん、いいものが作れたと自負しています。
温泉シリーズの6作目。
著書としては、記念すべき10冊目となります。
約1ヶ月半後、ゴールデンウィークまでには、書店に並ぶことでしょう。
2014年03月18日
一難去らずに また一難
“弱り目に祟(たた) り目”
“泣き面に蜂(はち)”
良くないことって、続いて起きるものですね。
もう、我が家はパニックであります。
数ヶ月前に水道料金の請求書が来て、ビックリ!
「さ、さ、3万円だ~~! メーターが壊れてるんじゃないの?」
と、水道局に問い合わせてみると、なんと水漏れとのこと。
しかも、当然ですが、敷地内のことですから全額自己負担(指定業者に頼めば、一部返金になるとか)。
「おいおい、どーする?」
と家内に相談。
(我が家は、金のかかることは、すべて大蔵大臣が実権を握っています)
「どーするも、こーするも、直すしかないでしょ。すぐに業者に頼んでよ!」
ということで、知り合いの業者にお願いしました。
そしたら・・・
数日経った、ある日のこと。
飲み屋で気分良く、仲間と飲んでいるところに、家内から <大変だ~!> との絵文字付きのメールが。
<給湯器が壊れた!> といいます。
おいおい、まだ水道工事も終わってないんだぞ!
たまたま居合わせた友人に話すと、
「給湯器は高いぞ! 20万はするな」
と脅されました。
マジっすか !?
勘弁してくださいよ。
我が家は自己破産して、一家心中の道をたどるしかないじゃないですか。
でもね、考えてみれば、我が家は築20年になるんですね。
水道管だって、給湯器だって寿命です。
いや、業者に聞いたら、
「小暮さんちは、持ちが良いほうですよ。早い家は10年ちょっとで故障しますからね」
なんて、なぐさめの言葉をいただきました。
で、なんの因果か、偶然か!
水道工事と給湯器工事が、ダブルブッキング!
業者の都合で、2件とも今日になってしまいました。
「わたし、その日は仕事よ」
「オレも、いない」
と家内と息子は、即答。
もちろん次女は学校ですからいるわけありません。
と、いうことで、僕が一日中留守番することに。
ま、今は来月出版予定の本の原稿書きで、カンヅメ生活を送っていますから、毎日家に居ますけどね。
でもね、職人さんたちに、お茶の用意ぐらいはしないとね。
よって、今日は午前中に水道工事が入って、入れ替えに午後は給湯器の付け替え工事となりました。
とりあえず、フ~と、ため息を1つ・・・
でも、支払いを考えると、お先真っ暗であります。
いったい、原稿を何枚書くと、支払う金額になるのでしょうか?
えーと・・・(計算中)
ひぇ~~~~!
急に、仕事をヤル気がなくなりましたとさ。
まさか、“二度あることは三度ある” なんてことには、ならないでしょうな。
2014年03月16日
月夜野温泉 「みねの湯 つきよの館」⑪
みなかみ町の上牧温泉でライブをした翌日、帰り道に月夜野温泉の一軒宿 「つきよの館」 に顔を出してきました。
僕はもう何十回と訪れていますから、道を迷うことはありませんが、たぶん初めての人は十中八九、迷子になるでしょうね。
だって、県道の信号に案内看板があるだけで、その後は宿に着くまで1つも看板が出ていないんです。
しかも、道は一本道じゃありません。
何度も三叉路や十字路が出てきます。
ま、そこが秘湯感があって、いいところなんですけどね。
何を隠そう、僕も最初に取材で訪ねたときは、しっかり迷子になった1人です。
「今でもいますよ、たどり着かないという電話をしてくる人が。最新のカーナビには載っているらしいんですけどね」
と、女将の都筑理恵子さん。
やっぱりね!
でも、やっとカーナビには載ったんですね。
だって昔は、“地図にもカーナビにも載らない宿” というのが記事のキャッチコピーでしたから。
その頃から比べれば、たどり着ける人の数は増えたんじゃないですか。
でもね、そうやって苦労をしてたどり着いた宿は、心に残るものなのですよ。
2回目からは、もう地図もナビもいりません。
躍る心がナビとなって、道案内をしてくれますもの。
「つきよの館」 は、そんな知る人ぞ知る、癒やしの一軒宿なんです。
その魅力は?
女将さんをはじめとするスタッフのあったかい “おもてなし” ですかね。
みんなお友だちみたいで、気さくに付き合えるのがいいですね。
そして、「小さい宿だからできることがある」 とスタップ全員で知恵をしぼって、いつも手づくりのものを振る舞ってくれます。
過去にはケーキやプリン、ヨーグルト、ジャムなどがありました。
なかでも自家製のスモークチーズは、同館のロングセラー!
年間2,000個を売る人気の商品です。
このチーズを予約してから宿泊に来る客もいるくらいなんです。
「どうぞ、今月からお出ししている新商品です」
と、差し出されたのは、カップに入ったバニラアイスクリームでした。
「えっ、もしかして、これも手づくりなんですか?」
と驚く僕に、
「ええ、うちにはアイスクリームを作れるスタッフがいるのよ」
と、ちょっぴり自慢げに女将さん。
これは、うまい!
濃厚なのに、口の中でサッと溶けて、すっきりした後味。
まさに、湯上がりに食べたくなるアイスです。
「これはまだナイショなんだけど、今、チャレンジしようと思っている商品があるの」
と、女将さんは少女のように微笑みながら話します。
なんでも、地元の食材を使ったスイーツなんだそうです。
いつも何か新しいものにチャレンジしている姿って、いいですね。
女将さんが生き生きしているから、スタッフも元気いっぱいなんですね。
新作の完成を楽しみにしています。
ぜひ、完成したらご一報ください。
試食をしに、すっ飛んで行きますよ!
2014年03月15日
大島鉱泉 「大島鉱泉」
やっぱり、ダブル表記にすると、ヘンですね。
前の 「大島鉱泉 」は、温泉地名です。
後の 「大島鉱泉」 は、旅館名です。
便宜上、ダブル表記にしただけで、本来は 「大島鉱泉」 と表記するだけで、温泉地名と旅館名を兼ねています。
群馬県内でも、大変珍しい温泉旅館です。
でも、県内には、もう1軒あります。
湯端温泉(高崎市) です。
こちらは便宜上 “湯端温泉 「湯端の湯」” と表記することもあります。
が、「湯端の湯」 というのは源泉名ですから、旅館名ではありません。
ちょっと、ややこしいですね。
ちなみに、大島鉱泉の源泉名は 「榊(さかき) の湯」 といいます。
ので、地元の人たちのなかには、稀ですが 「榊の湯」 と呼ぶ人もいるそうです。
と、いうことで、前説が長くなりましたが、5年ぶりに大島鉱泉(富岡市) を訪ねてきました。
知る人ぞ知る、群馬の知られざる秘湯であります。
前述したように、温泉法が施行された現在でも、“温泉” とは名乗らずに “鉱泉” と名乗っている県内唯一の温泉宿です。
実は、もう1つ、県内でここだけという珍しい事柄があります。
それは、温泉でありながら、れっきとした群馬県公衆浴場業環境衛生同業組合に加盟している 「銭湯」 であるということ!
だから、日帰り入浴の料金は、群馬県が定めた銭湯の入浴料金なのです。
これって、すっごく得した気分になりますよ!
※(現在、大人360円 中人150円 小人70円)
しかも、源泉は敷地内に湧く、硫黄成分を含有する冷鉱泉。
浴室の中は、プーンと硫黄の香りが漂っています。
さらに、水素イオン濃度(pH) は9・2とアルカリ性も高いので、浴感はツルツルのスベスベであります。
「今でも、小暮さんの本を持って来られる人がいますよ」
と、3代目主人の小間信明さん。
僕の本とは、5年前に出版した 『ぐんまの源泉一軒宿』(上毛新聞社) のことです。
うれしいですね。
でも、やっぱり、もったいない!
温泉ファンやマニアたちには浸透している温泉ですが、まだまだ県内の人でも知らない人は多いようです。
みなさ~ん、銭湯料金で温泉に入れるんですよ!
ぜひ、足を運んでくださいね。
2014年03月14日
旅の終わりに
“終わりのない旅はない”
いつも僕は、本の取材を続けながら、そう心の中でつぶやいています。
「あと、残り○軒・・・」
「大丈夫、終わらない旅なんて、ないんだから!」
苦しければ、苦しいほど、成し遂げたときの喜びは、大きいというものです。
今回も自分を励まし、だましながら取材活動を続けてきました。
そして、ついに昨日、最後の1軒を取材!
全54軒すべての温泉宿の取材を完了しました。
ん~、今回は、なかなか厳しいスケジュールでした。
だって、取材のスタートが昨年の5月ですからね。
わずか10ヶ月で、54軒の宿を回らなくてはなりませんでした。
過去に出した本の最多掲載軒数は、『ぐんまの源泉一軒宿』(上毛新聞社) の50軒ですから、今回出版する新刊は、1冊で取り上げた軒数では最多記録を更新することになります。
だもの、きつかったわけです。
で、今日、出版社にて、表紙のデザイン会議がありました。
出席者は、出版社より担当編集者と出版責任者。
そして、ディレクターとデザイナーと僕です。
机の上に、何点ものデザイン見本が並びました。
「写真は、こっちのほうがいい」
「文字は、これがいいね」
「帯は、これにしましょう」
と、忌憚のない意見が飛び交い、1時間ほどで修正案が出来上がりました。
こんなとき著者は、あまり意見を言わないようにしています。
だって、“売れる本” をみんなで作ろうとしているのですから、プロの考えを尊重するためです。
今回も、かなりマニア好みの奇抜な装丁に仕上がりそうであります。
今から、完成がとても楽しみです。
でも、それには原稿を書き上げなければなりません。
この週末は、仕事場にカンヅメになって、最後の原稿書きに専念するつもりです。
みなさ~ん、楽しみに待っていてくださいね。
小暮淳の温泉シリーズ第6弾は、4月26日の発売予定です。
よろしくね!
2014年03月13日
90周年記念コンサート
上牧温泉(みなかみ町) の老舗旅館 「辰巳館」 が今年、創立90周年を迎えました。
心よりお喜び申し上げます。
おめでとうございます!
大正13年(1924)、同館の初代深津謙三氏が、田畑の一部が毎年枯れていくのを見て、「ここには熱源がある」 と確信し、当時では近代的な掘削法で源泉を掘り当てました。
湧き出した温泉は、「三大美肌の湯」 と評される硫酸塩泉。
保湿保温効果に優れ、「化粧の湯」 として愛され続けています。
それから90年。
現在は主人の深津卓也さんと、女将の香代子さんが、4代目を継いでいます。
奇しくも昨日は、お2人の結婚25周年の記念日(銀婚式)でもありました。
と、いうことで、僕もお祝いイベントに駆けつけてきました。
でも、ただ手ぶらで、駆けつけたわけではありません。
もちろん、ギターを抱えてであります!
辰巳館では今年1年間、創立90周年を記念した「夜のサロンコンサート」(無料) を開催します。
で、第1回の昨日(3月12日) は、僕が在籍するスーパーローカルオヤジバンド 「KUWAバン」 のライブが行われました。
午後8時30分から約1時間ほどのミニライブでしたが、ステージでは僕が温泉クイズを出題して、正解者に著書のプレゼントも行いました。
もちろん、ラストはお約束の 『GO!GO!温泉パラダイス』 を熱唱!
会場のお客さんたちも手拭いを振り回して、一緒に踊ってくれました。
そしてライブ終了後は、これまた恒例のサイン会。
たくさんの人に、本を買っていただきました。
ありがとうございます。
みなさ~ん、群馬の温泉をもっともっと好きになってくださいね。
そして、辰巳館のますますのご発展を祈っています。
ぜひ、100周年にも呼んでくださいね!
2014年03月11日
3.11 そして大胡温泉へ
今年も、この日がやって来ました。
3年前の今日、僕は大胡温泉の一軒宿 「旅館 三山センター」(前橋市) にいました。
あの日、あの時、ともに恐怖を感じた女将さんや息子さん、そしてスタッフの人たちと、今年も同じ時刻に同じ場所で、黙とうを捧げました。
「小暮さん、まだ来ないの?」
走行中にケータイ電話が鳴りだし、あわてて車を路肩に止めて出てみると、案の定、女将さんからでした。
「今向かっているいるところです。もうすぐ着きますから、待っていてください」
あの日以来、この日に僕が現れるのが恒例となっているため、女将さんはじめスタッフたちが食事の用意をして待っているのだといいます。
申し訳ない!
ついつい仕事が長引いてしまい、時計はすでに午後の1時を回っていました。
「女将さんったらね、『まだ来ない、まだ来ない』 って、昼頃からソワソワしちゃって、駐車場ばかり気にしているんですよ」
と、僕が宿に着くなり、スタッフの I さん。
「だって、小暮さんったら、なかなか来ないんだもの」
と、すねるところなんぞ、さすが女将さん!
まだまだ女を捨ててない!
「僕だって、一時も早く、女将さんたちに会いたかったですよ」
でもね、とりあえず、ここに来たら温泉でしょう!
「まだ黙とうの時間まで、1時間はありますよね。まずは、ひとっ風呂浴びさせてください」
とだけ告げ、浴室棟へ。
浴室の入口に、なにやら見覚えのある男の写真が・・・?
頭にタオルを巻いて、片手にビールを持っています。
そーです、このブログのコピーが貼ってあるんです!
日付けは、2013年3月11日。
ちょうど一年前に書いたブログです。
タイトルは、『あの日あの時、大胡温泉』。
昨年の今日、ここを訪れたときの様子を書いた僕のブログを、こうやって大切に貼っていてくれたのです。
急に、1年前の今日、2年前の今日、そして3年前の今日のことが、ありありとよみがえってきました。
そして今日、また何事もなく大胡温泉を訪ねられたこと・・・
湯舟の中で、つくづく自分は、しあわせなのだと、復興に苦しんでいる被災地のことを思い、そう感じました。
「黙とう」
午後2時46分。
テレビの声に合わせて、宿に居合わせた人たち全員と、東北の方角に向かい1分間の黙とうをしました。
「こうやってさ、毎年この日に、ここで会えるってことは、しあわせなことだよね。死んじゃったら、会えないんだもの」
と、イヤにしんみりとして女将さんが言うのです。
「そうだよね。いまだに行方不明者が何千人もいるんだものね」
と言ったあと、僕にも胸の奥から込み上げてくるものがありました。
きっと来年も再来年も、5年後も10年後も、僕はこの日を忘れないために、ここへやって来るでしょう。
だから女将さん、長生きしてくださいね。
女将さんのリウマチを治した、こんなにもいい湯が湧いているのですから!
※(震災当日の様子は、当ブログの2011年3月12日 『大胡温泉ふたたび』、2012年3月11日 『あれから1年、大胡温泉』 を参照)
2014年03月10日
法師温泉 「長寿館」⑤
「確かに今年は、例年に比べると雪が多いですね」
と、囲炉裏の前で、茶を振る舞ってくれた専務の岡村健さん。
彼と会うのは、今回が2度目です。
初対面は前著の出版セレモニーの席でしたから、こうやってじっくりと話をうかがうのは今回が初めてです。
法師温泉 「長寿館」 (みなかみ町)。
秘湯ブームの火付け役とも言える人気の一軒宿です。
彼の祖父、岡村隆造さんは 「日本秘湯を守る会」 の初代会長でした。
宿の創業は明治8年(1875)。
苔むす杉皮ぶきの屋根、かつての旅籠の面影と情緒を残す本館は、創業当時のまま。
いつ訪ねても、ここだけは時が止まっているようです。
玄関の引き戸を開けて土間に入ると、大きな吹き抜けの部屋つづきに炉が切ってあり、薪がパチパチとはぜ、鉄瓶がシュンシュンと音を立てています。
10数年前に訪ねた時も、この部屋に通され、6代目主人の興太郎さんから茶をいただきました。
「そうすると、健さんは7代目ということになりますね」
「ええ、そうなる予定ですが、今はまだ7代目修業中です」
僕は、カバンの中から1冊の本を取り出しました。
『温泉批評』(双葉社、2013年10月17日)
「これ、読ませていただきました」
「ああ、それですね。やっばり、混浴についてのコメントは難しいですね。今回、つくづく思いました」
本の中で、岡村専務は4ページにわたりインタビューを受けています。
特集のタイトルは、「混浴を守る宿の矜持」。
インタビューに対して彼は、混浴の宿を継ぐ7代目としての確固とした信念を述べています。
<120年このスタイルを続けていても、芯がぶれてしまったら、たった一代で法師のありようが変わってしまうこともあります。>
<山のいで湯のスタイルをなんとか残していきたい。先代から受け継いできたものを、そのまま残していきたいと思っているだけです。>
“混浴” とは、ただ単に、男女が一緒に湯舟に入ることではなく、“混浴” という文化であること。
時代にそぐうか、そぐわないか、ではなく、文化とは守り継ぐものである。
「だから私は、先祖から引き継いだものを、ただ粛々(しゅくしゅく) と次の息子の代に手渡すだけです」
そう言って、鉄瓶から柄杓で湯をすくうと、2杯目の茶を入れてくれました。
「粛々と」 って、いいですね。
温泉って、伝統を重んじる日本の文化なんです。
そういえば法師温泉の湯も、何百年と生真面目に粛々と湧いています。
2014年03月09日
面倒をかける。世話になる。
“春めきて 母の手を取り 月参り”
柄にもなく、俳句なんか詠んでみました。
またもや先週から実家に泊まりこんで、両親の面倒を看ています。
いつもは健脚のオヤジを連れ出して、散歩に出かけるのが日課ですが、珍しくオフクロが外へ出たいと言いました。
オフクロは、今年の5月で87歳になります。
昨年夏に脳出血で倒れ、その後遺症で足が少し不自由なんです。
杖を突いても、壁のつたい歩きしかできません。
よって、外へ出るときは、介助が必要となります。
「今月は、まだお参りに行ってないんだよ。今日は風もなく、天気もいいし、連れてってくれないかね」
と、自分から言い出しました。
オフクロは昔から信心深く、毎月1日と15日には、必ず町内の氏神様へのお参りを欠かさない人でした。
でも、病に倒れてからは、歩けるようになっても、外出がおっくうなようで、だんだん月参りに出かけなくなっていました。
「そうだね。思い切って、今日は歩いてみようか! リハビリ、リハビリ!」
そう、はげましながら、一歩一歩、オフクロの手を取って、ゆっくりと神社までの道のりを歩きました。
そしたら今度は、買い物に行きたいと言い出しました。
なんでも、デイサービスで世話になっている介護師さんたちに、何か気持ちを手渡したいようです。
「でもさ、そんなことしなくって、いいんじゃないの? 介護師は、それが仕事なんだからさ」
と言えば、
「いいんだよ、いつも面倒かけているんだから。私が、そうしたいの」
と、言い出したら聞きません。
で、仕方なく、オフクロを車の助手席に乗せて、指定された店へ行きました。
(オヤジは足手まといになるので、留守番です)
とにかく歩くのが遅いオフクロです、
店の中でも、他の客にぶつかったり、商品につまずきそうになったりして、思うようにことが進みません。
なんだ、かんだで、たっぷり1時間かけて、数人分の “使い物” を選ぶことができました。
「もう、いいね。気が済んだね。じゃあ、帰るよ」
と、僕が車を発進させようとしたときです。
「これは、お前んちにね」
と、さっき買った商品を一袋、手渡されました。
「うちは、いいよ」
と言えば、
「なに言ってんだい。お前にも面倒かけて、世話になっているんじゃないか。受け取っておくれよ」
と、嬉しそうに笑うオフクロ。
“面倒をかける”
“世話になる”
いつしか、オフクロの口ぐせになってしまった言葉です。
本音を言えば、確かに、体や頭の不自由な年寄りを看るということは、面倒であり、世話のかかることなのですが、よくよく考えてみれば、何十年も昔に、僕はこの人に “面倒になり” “世話になった” のであります。
親と子は、お互いさまなんですよね。
2014年03月07日
負け惜しみかもしれないけど
< しあわせは、お金じゃ買えないんだよってことをね、ぼくはお金持ちになって言ってみたいの >
ご存知、連日、テレビから流れて来る宝クジのCMです。
初めて聞いたとき、僕は、ドキッとしました。
忘れていた、遠い昔がよみがえってきたからです。
今から約20年前のこと。
10数年ぶりに、友人と会い、酒を飲みました。
彼は20代で起業し、30代半ばで、すでに社員を10人以上雇っている会社の社長になっていました。
ひきかえ、僕は編集者を辞めて、フリーランスのライターになったものの、仕事がなくて、いつも金に貧窮していました。
それでも2人は、青春時代に、ともに夢を追い、ともに夢を語り合った仲間であります。
酒が入れば、昔のように夢のつづきを語り合いました。
「やっぱ人生は、金じゃないんだよ。金があったって、やりたいことができるわけじゃない。僕はね……」
と僕は、30歳を過ぎても若い頃のように、熱く理想論を語り倒していたのであります。
地に足を付けて現実と闘っている彼と、相変わらず “夢追い人” を気取っている僕。
きっと彼は、いつまで経っても変われない僕が、歯がゆく思えたのかもしれません。
突然、それまで笑っていた彼が真顔になり、こう言いました。
「あのさ、ジュンちゃん! ふた言目には 『金じゃない、金じゃない』 って言うけどさ、1度でいいから、金を持ってから言ってみなよ!」
「えっ・・・」
僕は二の句を継げませんでした。
「オレは、1億稼いだよ。だからこそ、初めて今、世の中は金じゃないって思えているんだ」
だな~んて言われたら、もう、僕の出る幕なんて、ないじゃありませんか!
あれから約20年・・・
彼は、さらに会社を大きくし、自社ビルを建てるまでの実業家になりました。
で、僕は?
恥ずかしい話、あの頃も今も、なーんも変っていません。
金はないし、金を持ったこともない。
なのに、今でも 「人生は金じゃない」 と言いつづけています。
負け惜しみかもしれないけど、これが僕らしい人生なんだと思うようになりました。
だって、「金を持ってから言えよ」 なんて言われても、それができるくらいなら、とっくに違う人生をやっていますって!
でもね、本心は言ってみたいですよ。
テレビCMみたいなセリフをね。
<しあわせは、お金じゃ買えないんだよ>
って、お金持ちになってね。
2014年03月06日
幡谷温泉 「ささの湯」
あれは、3年前の今頃。
震災の直後でした。
片品村にある幡谷(はたや)温泉の一軒宿、「ささの湯」 の女将さんから電話をもらいました。
「申し訳ありませんが、しばらくお休みすることになりました」 と・・・。
実は、新聞取材の予約をしていたのです。
このとき僕は、女将さんが体調をくずされたのだとばかり思っていました。
だから数ヶ月して、また再度取材申し込みの電話を入れると・・・
電話がつながりません。
その後、温泉関係者の話により、地震の影響で源泉が止まってしまったことを知りました。
いつしか、幡谷温泉は “幻の温泉” となっていました。
しかし一昨年、役場より温泉復活の報告が入りました。
「経営者が変わりましたが、また再開しましたよ」
えっ、経営者が変わった?
じゃあ、女将さんは旅館を辞めちゃったんだろうか?
疑問と推測だけが、頭の中をめぐっていたこの3年間。
でも、すべての謎が解け、そして、あらためて取材をすることができました。
今回、快く僕のインタビューを受けてくださったのは、「有限会社 ささの湯」 の社長、丸山和成さん。
まだ20代の若いご主人です。
話に寄れば、平成9年の 「ささの湯」 オープンの際に、温泉の掘削をしたのが彼の父親だったといいます。
地震で給湯ポンプが故障したため、その改修工事を請け負ったのを機に経営を引き継ぎ、旅館を再開させたとのことでした。
なるほど、納得であります。
でも、旅館も浴室も浴槽も、すべて以前のままです。
「ええ、昔からの常連客が今も来てくださっていますから、一切、手を加えませんでした。お湯も、あの頃と同じですよ」
と、和成さん。
泉温、約43℃。
湧出量、毎分260リットル。
泉質、アルカリ性単純温泉。
加水も加温もなし。完全なる源泉かけ流し!
以前に比べると源泉の温度が、3度ほど高くなっています。
でも、湯量は相変わらずスゴイ!
ザバー、ザバーと音を立てて浴槽の縁から滝のようにあふれ出ています。
< “秘湯は見かけによらぬもの” である。民家のようなたたずまいの小さな宿に、これほどにも湯量が豊富で広々とした湯舟があるとは、誰が想像できるだろうか。>
これは、2008年12月号の 「月刊でりじぇい」(上毛新聞TRサービス) に僕が書いた幡谷温泉の記事です。
ツルツルとしたアルカリ泉特有の浴感も、あの頃のまま。
なんだか、別れた恋人と再会したような喜びが込み上げてきて、ついつい湯の中でニヤニヤとほくそえんでしまいました。
丸山社長、極上の温泉を復活させてくださり、ありがとうございました。
群馬の宝を1つ、失わずに済みました。
2014年03月05日
真沢温泉 「真沢の森」⑤
今朝、目覚めると、窓の外は一面の銀世界。
しかも、雪はしんしんと降り続いています。
昨晩は、みなかみ町の真沢(さなざわ)温泉 「真沢の森」 に、泊まってきました。
「いゃ~、お久しぶりです」
宿に着くなり、支配人の武川恵二さんと、あつ~い握手を交わしました。
「テレビ、観ましたよ。若くて美人の奥さんじゃありませんか!」
と、僕からも間髪を容れず、まずは昨年のエピソード話を。
「いゃ~、お恥ずかしい。今日は小暮さんにお会いできるのを楽しみにしていたのですが、あいにく家内は仕事なんですよ。申し訳ありません」
とは、残念。
今日こそは、16歳年下の若くて美しい奥さんに会えることを楽しみにして来たのに・・・。
実は、話はさかのぼること、1年と4ヶ月前のこと。
前著、『みなかみ18湯』(上毛新聞社) の取材に訪れたときのことです。
僕の著書が愛のキューピットとなり、奥さんと出会い、結婚した話を聞いたのでした。
※(支配人と奥様の出会いについては、当ブログの2012年11月15日「真沢温泉 真沢の森③」を参照)
で、そのことを、このブログに書いたところ、群馬テレビのプロデューサーが読んで、支配人と奥さんがテレビ出演することになったといういきさつがあったのであります。
※(支配人夫妻が出演したテレビの内容については、当ブログの2013年5月11日「真沢温泉 真沢の森④」参照)
まあ、そんなこともあり、支配人とは、なんだかんだと長いお付き合いをさせていただいています。
でもね、武川さんは宿の支配人でもありますが、実は、江戸時代から湧き続けている源泉の “5代目湯守(ゆもり)” でもあるんです。
だから昨晩は、じっくりと湯治場として栄えていた頃の古い話や、一時閉鎖していた温泉の復活話など、それはそれは温泉好きにはたまらない楽しい話の数々を、根掘り葉掘り聞いてきたのであります。
そして、夕食は名物の 「つみ草料理」 のフルコース。
先附の 「手造りこんにゃくのフキ味噌添え」 から始まり、メグスリの葉や桑の葉、ヨモギの天ぷら、干し柿の白和え、キノコのみぞれ和えなどなど、最後の 「野草のお吸い物」 に至るまで、山里の食材にこだわり抜いたヘルシー料理をいただきました。
もちろん、地の料理には、地の酒を!
地ビールと地酒とともに、雪景色を眺めながら春まだ遠い弥生の宵に、酔いしれたのであります。
支配人、ごちそうさまでした。
若くて、美人の奥さんに、よろしくお伝えくださいね。
次回は、絶対に会わせてくだいよ!