温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2019年01月31日

マロの独白 (45) 立ち漕ぎ王子 


 こんにちワン! マロっす!!
 ここんちの飼い犬、チワワのオス、12才です。


 「あけましておめでとうございます」
 なんですね。
 今年、はじめての登場でやんす。
 読者のみなさんは、元気に新年を迎えましたか?

 オイラっすか?
 オイラは、生まれてからこのかた、毎日が日曜日ですから、相も変わらず平々凡々と生きています。
 ま、オイラに仕事があるとすれば、“癒やし” ですからね。
 楽なもんです。
 ご主人様のご機嫌をとっていればいいんですから。
 でもねぇ~。


 「おい、マロ! 散歩に行くぞ!!」
 「……」
 「なんだよ、毎回、グズルなよ。サッサと出かけて、サッサと歩いてくれ。こっちは忙しいんだから」
 「分かりました。行けばいいんでしょう、行けば……」
 「なんだ、その態度は! それが飼い主に対する態度かッ!!」
 「はいはい、行きますよ」
 と、シブシブ散歩に行く、今日この頃です。

 だって、オイラはメキシコ原産の埼玉生まれですからね。
 群馬の冬は、ニガテなんでやんす。
 先日、ご主人様はブログで、「群馬の空っ風は、昔に比べたら弱くなった」 なんて書いてましたけど、いえいえ、十分強いですよ。
 オイラなんて、チビ助だから、散歩の途中で何度、飛ばされそうになったことか……


 「ご主人様、今日も風が強いですね」
 「こんなのは空っ風じゃないぞ。ただの北風だ」
 「えっ、空っ風って、もっとスゴイんですか?」
 「ああ、特に赤城山南面に吹く “赤城おろし” は、ハンパねーぞ!」
 「どのくらいスゴイんでやんすか?」
 「ああ、自転車が進まない」
 「えっ?」
 「だから群馬の人は、みんな立ち漕ぎをする」
 「立ち漕ぎ?」
 「そう、お尻をサドルから離して、立ったまま全体重をペダルに乗せて踏み込む、群馬県民御用達の高度な走法テクニックなんだぞ」

 なんでも、ご主人様は、昔からこの立ち漕ぎが得意で、ちまたでは 「立ち漕ぎ王子」 と呼ばれていたらしいのです。

 「でもさ、最近は立ち漕ぎをしている人を、あまり見かけないんだよな」
 「なぜでしょう?」
 「学生さんは、時々見るけどさ。大人は皆無だな。この間も、北風に向かって立ち漕ぎをしていたら、おばあさんの自転車がスーッと追い抜いて行ったんだ」
 「ええっ、お、お、おばあさんがですか~?!?!?!」
 「そうだ、かなり高齢のおばあさんだ。なんでだか、分かるか?」
 「……、えーと、もしかして、そのおばあさんは、元競輪の選手だったとか?」
 「そんなわけないだろう! 電動アシスト付き自転車だよ」


 たわいのない話ですが、オイラは、文明の利器に頼らずに、懸命に生きているご主人様が大好きでやんす。
 よっ、立ち漕ぎ王子!
 
 ご主人様は、今日も半径5キロ以内なら車を使わず、元気にペダルを漕いでおります。
 オー、ワンダフル!
  


Posted by 小暮 淳 at 12:09Comments(2)マロの独白

2019年01月30日

君と歩いた海岸通り


 地球上では、戦争と暴力犯罪の犠牲者の総計よりも、自殺により亡くなる人のほうが多いんだそうです。
 しかも、この傾向が特に顕著なのが、日本です。

 年間の自殺者は、約2万人。
 殺人による死者は約300人、交通事故死は約4000人。
 ※(2016年のデータより)

 日本の自殺率は世界で6番目に高く、主要7ヶ国で10位以内に入っているのは日本だけです。


 自殺の原因は、人それぞれです。
 病気だったり、借金だったり、失恋だったりもします。
 これは、何かで読んだ受け売りなのですが、自殺の原因は何であれ、自殺する人には、ある共通項があるといいます。

 それは、“友人”の存在です。

 自殺を思いとどまった人の大半は、「友人に救われた」 と言っているのです。
 残念ながら “家族” では、ないんですね。
 ましては、“仕事関係” ではありません。
 いうなれば、“価値観を共有する他人” が、いるか、いないか。
 なんです。

 この話を聞いたとき、変に納得している自分がいました。


 昨日は、2ヶ月に一度、奇数月に開いている 「弟子の会」 の定期交流会でした。
 講演や講座などで知り合い、僕のことを勝手に “先生” とか “師匠” とか呼んでいる人たちが集まり、大好きな温泉談義をしながら、酒を飲み交わすという会です。

 早くも結成してから、3年目を迎えました。
 いつもは飲み屋をハシゴして、飲んだくれているだけですが、今年は結成3周年を記念して、「温泉に泊まってやろう!」 という話で、大いに盛り上がりました。


 一次会は、メンバーが予約を入れておいた焼き鳥屋で軽く酔いをつけ、全員で河岸を替えることに。
 これが、いつものパターン。そして、お約束です。
 二次会は、そう、みなさん、よくご存じの酒処 『H』 であります。

 とにかく、いつ行ってもHは混んでいます。
 入った時には、すでに常連客らがカラオケ大会の真っ最中!
 そのノリのまま、我々 「弟子の会」 も、マイクを回され、大熱唱大会となりました。

 「弟子の会」 のメンバーは、みんな同世代です。
 70年代に青春を過ごした仲間です。
 なぜか昨晩は、「かぐや姫」 や 「風」 時代の伊勢正三作品に集中しました。

 『22才の別れ』 にはじまり、『君と歩いた青春』 『海岸通り』 『あの唄はもう歌わないのですか』 etc ……

 自分の思い出と重ね合わせたのでしょうか?
 歌いながら、涙ぐむ場面もあったりして、なんとも心がポッコリと温かくなったひと時でした。


 で、思ったのです。
 僕は、絶対に自殺をしないなって!
 また、“弟子” たちも絶対にしないって!

 価値観の同じ他人だからこそ、分かり合えることがあるのです。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:07Comments(0)酔眼日記

2019年01月28日

空っ風と人情


 今の季節、北陸や東北から群馬を訪れた人と話すと、決まって、こう言われます。
 「よっぽど、群馬のほうが寒いですよ」
 なんでも、雪は一度降ってしまえば、無風の日が多く、体感は、さほど寒くないといいます。

 比べ、群馬は、この時期、名物の “空っ風” が吹きます。
 空っ風とは、シベリア方面から水分を含んだ北西の風が、日本海側で雪を降らせた後、乾燥した冷たい風となって上越国境の山々を越えて関東平野に吹き降ろす風のことです。
 特に、前橋市や伊勢崎市は赤城山のふもとにあり、関東平野の始まりに位置しています。
 そのため 「赤城おろし」 と呼ばれる空っ風界の横綱級の強風が吹き下ろすのです。
 風速1メートごとに体感温度は1度下がるといわれていますから、この風の強さには、雪国の人でも音を上げてしまうということです。


 でも、前橋に生まれ育った僕には、なんだか最近の空っ風は、昔に比べたら弱くなっているように思えるのですが、気のせいでしょうか?
 「昔は、こんなもんじゃなかったよ。自転車がバタバタと、なぎ倒されたもんだ」
 という先輩たちの意見もあり、やはり気だけのせいではなさそうです。

 以前、赤城南面で大凧(おおだこ) を揚げる 「凧の会」 の人たちを取材したことがありました。
 20畳以上もある大凧を制作し、空っ風を利用して飛揚している人たちです。
 その時、代表の方から大変興味ある話を聞きました。

 蔵から、大正時代に作られた大凧が発見されたといいます。
 さっそく、会で組み立てて、飛ばそうと試みたそうですが、重た過ぎて現在の風では、飛ばなかったようです。
 「昔は今よりも、よっぽど風が強かったんだいね」
 そう言って笑った顔が、なんとも印象的でした。


 そういえば、雷も少なくなりました。
 僕の子どもの頃は、夏は毎日決まって、夕立が来ましたもの。
 そして夕立が通り過ぎたあとは、グ~ンと気温が下がり、とてもしのぎやすかったのを覚えています。
 これも地球温暖化の影響なんでしょうか。

 『雷(らい) と空風(からっかぜ) 義理人情』

 ご存じ、「上毛かるた」 の 「ら」 の札です。
 昔から “義理人情にあつい” といわれてきた群馬県人の気質を、気象現象の雷と空っ風にたとえて読み込まれています。


 こちらは、いかがでしょうか?
 雷と空っ風は、めっきり弱くなりましたが、上州気質は、まだ健在なんでしょうか?
 気になるところです。
    


Posted by 小暮 淳 at 12:05Comments(0)つれづれ

2019年01月26日

インフルの壁


 <前橋の特養 5人死亡>
 <前橋の病院 1人死亡>
 そして、「集団感染」 の文字。

 連日、新聞では猛威を振るうインフルエンザのニュースを報じています。
 しかも、身近なエリアで発生しています。
 ご多分に漏れず、我が家にも影響が出始めています。


 僕は、かれこれ3週間以上も両親に会っていません。
 オヤジは昨年暮れから市内の病院に入院しています。
 オフクロも同じ敷地内にある関連のリハビリ施設に入所しています。
 正月に、家族で会いに行ったのが最後です。

 原因は、インフルエンザの流行!
 病室への面会が不可となってしまいました。
 着替えや洗濯物の受け取りは、1階の受付で済ませています。


 先日、長男が写真を持ってきました。
 正月に撮った、孫やひ孫らに囲まれたオフクロの写真です。
 中央で、車イスに乗って、嬉しそうに笑いながら写っています。

 さっそく、写真を見せてあげようと思い、届けに行ったのですが、案の定、病室までは入れませんでした。
 仕方なく、職員に手渡し、会えずじまいで帰って来ました。


 はーるよ、こい。はーやく、こい。

 もう少し暖かくなれば、規制も解除されることでしょう。
 そしたら、また孫、ひ孫らを連れて、元気な顔を見に行こうと思います。

 じいさん、ばあさん!
 それまで、達者で暮らせよ~!!
   


Posted by 小暮 淳 at 13:56Comments(0)つれづれ

2019年01月25日

大胡温泉 「三山の湯 旅館 三山センター」⑫


 我が家から一番近い温泉地(宿泊施設のある温泉) は、どこかというと、
 旧勢多郡大胡町の大胡温泉です。
 平成16年12月、市町村合併により、現在は前橋市となりました。

 それ以前は市内に温泉地はありませんでしたが、この合併により大胡温泉を含む4つの温泉地が前橋市となりました。
 ちなみに、あとの3つは、赤城温泉(旧宮城村)、滝沢温泉(旧粕川村)、赤城高原温泉(旧宮城村) です。


 大胡温泉は、平成7年に突然、誕生した “奇跡の温泉” です。
 それまでは、源泉を保有しない普通の旅館でした。
 ※(温泉誕生までの秘話は、拙著や当ブログの過去記事をお読みください)

 知る人ぞ知る(前橋市民でも知らない人は多い)、住宅地の中の秘湯ですが、僕の読者ならご存じですよね。
 そうです、「3.11 の宿」 です。
 平成23年3月11日、僕はここで東日本大震災に遭いました。
 それから7年間、必ず毎年、この日の午後2時46分を、ここで迎えるようにしています。
 ※(震災当日の様子は、拙著 『新ぐんまの源泉一軒宿』 を参照ください)


 昨晩、車で約30分の我が家から一番近い温泉旅館に泊まってきました。
 取材ではありません。
 テレビのロケでもありません。
 ただの新年会です。

 集まったのは、ふだんから仕事で付き合いのあるフリーランスのクリエイターたちです。
 デザイナー、カメラマン、イラストレーター、ライター、絵本作家、書家、建築家ら総勢14人。
 歳は、下は20代から上は70代まで。
 それはそれは幅広い年齢層の集団なのです。

 でも、我々には、共通項がとても多いのです。
 ① 無から有を生み出すクリエーターであること。
 ② 組織に属さない一匹狼であること。
 ③ でも一人では仕事が成り立たないため、仲間と手を組み、作品を作り上げていること。
 そして、これが一番大切なことなのですが、
 “のん兵衛” であることです。


 「今年もよろしくお願いいたします」
 「カンパーイ!」

 誰もが10年以上の付き合いがある気心知れた “相棒たち” です。
 飲むほどに、酔うほどに、笑いの輪が大きくなっていきます。
 腹の底から笑うって、こういうことなんですね。
 おかしくて、おかしくて、腹の皮がよじれて痛いほどです。

 みーんな、歳を重ねたことなんて忘れています。
 おじさんの着ぐるみを着た少年と、おばさんの着ぐるみを着た少女たちのよう。


 我に、良き友、良き酒、良き温泉あり!
   


Posted by 小暮 淳 at 18:24Comments(0)温泉地・旅館

2019年01月24日

出張講演 <番外編> 赤兎馬と跳ねる


 名古屋→東京→高崎
 新幹線を乗り継いで、約3時間。
 日本が狭くなったのではなく、便利が加速しているのだとつくづく感じました。

 JR高崎駅に降り立った時は、まだ夜の8時前です。
 本来ならば、在来線のりかえ口を通って、両毛線に乗るはずなのですが……
 あっ、と気が付いたら、改札口を出ていました。


 この高揚感は、なんだろう?
 あれ、同じ場所で、同じ感覚を味わった記憶があるぞ!
 えーと、えーと、そうだ! 東京ビッグサイトだよ!!

 2年前、やはり僕は東京で講演会を終えて、夜、高崎駅に降り立ったのでした。
 あの時も、「このままでは終われない」 という高揚感に包まれていました。
 あの時は、東京ビッグサイトというメジャー会場だったこと。
 今回は、本人最長時間である3時間の講演を成し遂げたことへの高揚感だったようです。

 そして今回も、あの時と同じ3つの漢字が、脳裏をグルグルと回りだしていました。
 「赤」 「兎」 「馬」
 そう、幻の芋焼酎 「赤兎馬(せきとば)」 であります。


 高崎には、僕に赤兎馬の魔力 (味) を教えた、悪い (?) マスターのいる居酒屋 『T』 があるのです。
 そういえば、年賀状が届いていたな……。ご丁寧に新年のあいさつメールももらったっけ……。
 なんて考えていたら、店の前まで歩いていました。

 『T』 は、駅前の大通りに面しているものの、イチゲンさんには、かなり入りにくい難関があります。
 雑居ビルの2階、しかも狭く急な階段。
 手すりに、しがみ付くようにして昇った者しか、たどり着けないパラダイスなのです。


 「あれ、小暮さんじゃないですか!」
 変わらぬ個性的な風貌のマスターが、カウンターの奥から顔を出しました。
 「ご無沙汰して、申し訳ありません」
 「もしかして、また講演会の帰りですか?」
 「よく分かりましたね(笑)」

 カウンターに座り、まずは生ビールで喉をうるおして、いよいよ、本腰を入れることに。
 「マスター、赤兎馬!」
 「あいよ、ロックだいね」
 「それと、塩もつ煮」


 これで今宵の主役が揃いました。
 赤兎馬の鼻に抜ける芳醇な香りと、ピリリと舌を刺激したあとの喉ごしの良さ。
 胃に落ちてから、カーッと湧き上がる熱い躍動感。

 これ、これこれこれだーーーーッ!!!!

 自分に甘いだとか、他人になんと言われようが、これが僕流の、頑張った自分へのご褒美なのであります。
 一日に千里走るという伝説の馬に乗って、ポーンと飛び跳ねてみました。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:36Comments(0)酔眼日記

2019年01月23日

老神温泉 「伍楼閣」③


 2009年4月に開講したNHK文化センター前橋教室の 「野外温泉講座」。
 早いもので、今年の3月で10周年を迎えます。
 僕は、この講座の講師を務めています。

 全国にあるNHKのカルチャースクールで、温泉講座があるのは前橋教室だけです。
 さすが、日本を代表する “湯の国ぐんま” だと思いませんか!?
 (こんな講座を引き受けるヒマな講師が、他県にはいないだけという声もありますが…)
 理由は何であれ、全国唯一の講座なのであります。
 そして、その講座が廃講されることもなく、こうして10年間も続いている事実!
 やっぱり群馬は、日本を代表する “湯の国” だと思うのです。


 そんな記念すべき10周年を迎える新年第1回目の講座が、昨日開講されました。
 高崎駅と前橋駅から受講生を乗せたバスが向かったのは、群馬県沼田市利根町にある老神温泉です。
 「ろうじん」 では、ありませんよ。
 「おいがみ」 と読みます。
 由来は、日光の神と赤城の神が戦った伝説にあります。
 ※(詳しくは、拙著 『尾瀬の里湯』または 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』 をお読みください)

 で、たびたび取材をして、本を書いているという縁もあり、僕は老神温泉の 「温泉大使」 を務めています。


 今回、講座でお世話になったお宿は、「伍楼閣(ごろうかく)」 であります。
 「伍楼閣」 といえば、“山紫水明” と名付けられた 「五湯めぐり」 が有名です。
 館内には、混浴露天風呂が2つ、男女別の内風呂が2つ、貸切風呂が1つあります。
 内風呂は時間により入れ替えとなるので、宿泊をすれば、5つの湯すべてを制覇することができます。

 もちろん、僕は何度も取材で訪れているので、すでに 「五湯めぐり」 は制覇してますが、受講生らは、初めての人がほとんどです。
 ということで、まずは一番大きな庭園風露天風呂の 「岩鏡」 へ案内しました。

 野趣に富んだ脱衣所(あずま屋) からして、風情があります。
 3つある湯舟は、上が熱く、下がぬるめになっていて、好みの温度を選べます。

 「どうですか? 最高でしょう?」
 「ええ、気持ちがいいですね」
 「何より、景色が抜群です」
 片品渓谷を望む眺めは、まるで一幅の水墨画のようであります。

 湯は、硫黄温泉とアルカリ性単純温泉の混合泉。
 浴槽により、色も香りも異なります。
 だから何度入っても飽きることがありません。


 温泉って、いいなぁ~!
 群馬って、いいなぁ~!
 湯の国ぐんま、バンザーイ!!

 受講生のみなさん、今年もよろしくお願いいたします。
   


Posted by 小暮 淳 at 14:13Comments(0)温泉地・旅館

2019年01月21日

出張講演 <後編> 昼に舞う


 通常、講演会といえば、1時間半から2時間というのが、お決まりです。
 が、しかし!
 今回は、我が講演人生未曾有の “3時間” であります。

 3時間とは、かなりの長丁場です。
 これは講演というよりは、講義の域! 
 ということで、1時間に1回、休憩を入れさせていただきました。


 聴講の対象者は、三重県内の銀行に勤務する営業マン。
 “知識をお客様との会話に活かす” という研修の一環として、僕が講師に呼ばれました。

 演題は、『温泉はもっと楽しめる』

 1部、温泉とは何か? 温泉地の成り立ちと歴史
 2部、温泉の入り方 宿に着いてから入浴まで
 3部、良い温泉の選び方 湯守のいる宿とその仕事

 いつもは群馬県内の温泉の話をたっぷりするのですが、ここは三重県です。
 群馬県が、どこにあるのかも知らない人たちが対象です。
 (ほとんどの人が、東北地方だと思っています)
 なので、群馬ネタは一切話さず、全編温泉うんちくで通しました。


 さすがに3時間のトークは、疲れます。
 聴いている人は、もっと疲れているだろうと思いきや、さにあらん。
 みなさん、来た時よりも生き生きした感じで、笑顔の人が多かったようです。

 「僕も三重県の温泉、全50ヶ所を回って、本を書いたら、先生みたいになれますか?」
 30代と思われる男性が、講演終了後に声をかけてきました。
 彼は、僕が群馬県内約100ヶ所の温泉地すべてをめぐって本を書いたことが、温泉ライターになるきっかけになったという話に触発されたようです。
 「もちろん、すぐに講演の依頼が飛び込んできますよ」
 と答えると、
 「でも、文章書くのニガテだからなぁ~」
 と言って、周囲の笑いを誘いました。


 「お疲れさまでした。昼食がてら、一杯いかがですか?」
 会場を出ると、この講演を企画してくださった出版社の担当者が、すかさず声をかけてくれました。
 「いいですね。喉がカラカラです」
 「では、とりあえず、名古屋まで出ましょう」

 ということで、近鉄線に乗り、特急で名古屋へ。
 案内されたのは、郷土料理を食べさせる駅前の大きな居酒屋でした。
 まだ午後の1時過ぎだというのに、店内はほぼ満席状態です。

 「大都会は、違いますね。群馬では5時過ぎないと、なかなか酒は飲めませんよ」
 「名古屋は、いつでも大丈夫ですよ(笑)」
 それにしても、活気がある。
 若者のグループから女子会、ビジネスマン、中高年にいたるまで、老若男女でいっぱいです。

 「ありがとうございました。大成功です」
 「こちらこそ、お世話になりました」
 「大変、お疲れさまでした」
 「乾杯!」


 しみる、しみる!
 3時間もの間、酷使した喉は、まるで砂漠状態です。
 あっという間に、ジョッキの生ビールが続けざまに2杯、しみ込んでいきました。

 手羽先、どて味噌煮込み、味噌おでん……
 テーブルの上には、テレビでは見て知っているけど、初めて食べるコテコテの名古屋名物が並びました。
 群馬も焼きまんじゅうに代表される、甘辛の味噌ダレ文化ですからね。
 口には合います。

 当然、締めは、地酒を冷やでいただき、まだ日の高いうちに新幹線に乗りました。


 今回の出張講演で分かったこと、それは、
 「みーんな、温泉が大好きなんだ!」
 てこと。
 これからも温泉大使として、ジャンジャン温泉の魅力を伝えていくぞ~!!!
   


Posted by 小暮 淳 at 12:23Comments(2)講演・セミナー

2019年01月20日

出張講演 <前編> 夜に翔ぶ


 三重県四日市市へ行って来ました。
 昔、社会科の授業で習ったコンビナートの街。
 そして最近では、ゆるキャラグランプリで話題となった 「こにゅうどうくん」 のいる街です。

 何をしに?
 はい、地元の銀行主催による講演会の講師として招かれました。


 講演会は、昨日の午前中だったため、前泊しました。
 夕方、近鉄四日市駅に降り立つと、すごい人の波!
 ここは東京か? 名古屋? と思ってしまうほど、大きくて、にぎやかな街です。
 前橋や高崎と、人口はさほど変わらないのにね。

 ホテルにチェックインを済ませると、はやる気持ちを抑えきれずに、早々に旅装を解いて、いざ、出陣!
 フロントで地図をもらい、おすすめ店にいくつかマルを付けていただきました。

 どうせなら地場のモノを食したい!
 当然、地酒も飲みたい!
 その勘は、見事に的中しました。


 串焼き店のカウンターで、まずは生ビールで喉をうるおす。
 適当に、串物を3~4品注文して、しばらくは講演の下準備に用意しておいた地元のパンプレットに目を通していました。

 「よろしかったら、こんなのもどうぞ!」
 カウンターの中から焼き物の手を止めた、店長らしき男性が、パンフレットをくれました。

 <四日市 とんてき、たべてき。>

 「とんてき?」
 「ええ、ここの名物なんですよ。うちは串で出しています」

 とんてきとは?
 <「四日市とんてき」 は、単なる豚のステーキではなく、分厚い豚肉をにんにくと一緒に濃い目のたれでソテーし、たっぷりのキャベツの千切りをそえた料理です。> パンフレットより


 にんにくの風味と、甘めのたれが、ビールによく合います。
 「おいしいですね」
 「ありがとうございます」
 そんな会話から始まり、気が付けば1時間以上も、あんな話やそんな話を店長と交わしていました。

 生まれも育ちも四日市市だという店長。
 互いの素性を明かしたところで、翌日の予習を行うことに。
 「ところで三重県の人は、温泉というとどこへ行くの?」
 「やっぱり、岐阜へ行ってしまいますかね。下呂など有名な温泉が多いですから」

 なるほど、確かに、三重県=温泉県のイメージはありませんものね。
 榊原温泉、湯の山温泉、長島温泉くらいは聞いたことがありますが……
 でも温泉地の数では約50ヶ所もあり、全国でも22位なんです。
 ま、温泉に頼らなくても、伊勢や志摩など大観光地があるということなんでしょうか。


 締めは、これまた名物だという油揚げをカリカリに焼いて、塩でいただく 「やみつき揚げ」 を肴に、地酒 「宮の雪」 を、キューっと冷やで二合ほどいただき、店を後にしました。

 これで準備は万端!
 あとは、翌日の講演を迎えるだけであります。
 (つづく) 
  


Posted by 小暮 淳 at 11:37Comments(0)講演・セミナー

2019年01月17日

Hの次はAでしょう!


 昨晩、やっと “H初め” を済ませてきました。
 Hとは、読者のみなさん、ご存じの酒処 「H」 のことです。
 (違うことを考えた人、いませんか? エッチではなくエイチですよ)
 早い話が、Hでの今年の “初飲み” であります。


 いゃ~、まだ夕方5時半だというのに、先客がいるではありませんか!
 さすがみなさん、自由業であります。
 今日の仕事は、さっさと切り上げて、バスに乗ってやって来たようであります。

 「おめでとうございます」
 「今年もよろしくお願いします」
 「では、カンパーイ!」


 1時間もすると、次から次へと常連客が集まり、カウンターしかない小さな店内は、早くも満席であります。
 最初のうちは、方々で、雑談を交わしていましたが、あるテーマになると、店内が一丸となって、1つの “謎” を解き出しました。

 それは、「改元」。
 平成の次は、いったい、どんな漢字二字の元号が来るのか?
 暗黙のうちに、明治、大正、昭和、平成の頭文字であるM・T・S・Hは除くというルールのもと、さまざまな漢字が飛び出しました。


 ちなみに、日本でこれまでに使われた元号は247。
 ところが、使われた漢字は意外に少なくて72字だそうです。
 使用回数が一番多いのは 「永」、次は 「元」。
 以下、「天」、「治」、「応」 の順となっています。

 ということで、これらの漢字も除いてみました。
 で、カウンター内アンケートの結果、セレクトされた漢字は!

 まず、「安」 でした。


 「平成はさ、災害が多い時代だったからね。“安らかに” なるように」
 というのが、大方の意見でした。
 ちなみに調べてみると、過去には 「安」 を使った元号は、安和(あんな)、保安、仁安、安元、安貞、弘安、文安、安永、安政など、たくさんあるのです。

 討論の結果、「頭文字は “A” に決めよう!」 ということになり、「安」 の次の漢字一字の絞込みに入りました。
 が、その頃には、みんな酒が回ってしまっていて、ついに最後まで満場一致となる漢字は出て来ませんでした。


 酒処 「H」 で見つけた 「H」(平成) の次に来る元号の頭文字は 「A」 でした。
 そして漢字は、「安」。

 ぜひ、どなたか、次に続く漢字を考えてみてください。
   


Posted by 小暮 淳 at 20:56Comments(2)酔眼日記

2019年01月16日

働かない理由


 蛙の子は蛙、鳶が鷹を生む……

 とかく親子は、似てても似ていなくても、比べられるものです。
 トンビがタカならいいが、タカだと思っている親からトンビが生まれてくると、時に悲劇が起きます。

 また、イヤな事件が起きました。
 20代の若者が父親に、定職に就かずにいることをとがめられ、刺し殺したといいます。
 世の中には、その逆のパターンもあったりして、親子間の問題というのは、他人には計り知れないのであります。


 僕の場合も、加害者の若者と同じ状態でした。
 20代半ばで夢敗れ、一時、実家に居候していた時期がありました。
 無職のフリーターです。
 でもオヤジもオフはロも、不思議と 「定職に就け」 とは言いませんでした。
 「息子には、息子の考えがあるんだろう」
 と、黙って見ていてくれたようです。

 そんな両親に育てられた僕は、自分が大人になってからも、子どもたちに一切の価値観を強制しませんでした。
 「勉強しろ」 とか 「勉強しているか」 も、一度も言った記憶がありません。
 それより、生涯 “夢中になれるモノ” を探し当ててほしいと思っていました。


 忘れられない出来事があります。
 長男が大学4年生になった春のことです。
 スーツ姿で玄関に立っていました。

 「なんだい、その格好は?」
 「就職活動に決まっているじゃないか!」
 「今からか?」
 「遅いぐらいだよ」

 就職活動なんてしたことない僕には、そこまでして働きたい理由がわかりません。
 「まだ、いいんじゃないの?」
 「……」
 「卒業したらさ、しばらくバイトでもしながら、世界の国々を回るなんていうのも、いいんじゃないのかな……」
 僕が言い終わらないうちに、
 「そうは、いかないんだよ!!」
 と、ピシャリと言葉をさえぎって、出て行ってしまいました。

 その後、会話を聞いていた家内に、こっぴどく叱られたことは言うまでもありません。


 でもね、それで、いいと思うんですよ。
 親子であっても、人それぞれですからね。
 子の人生は親の人生じゃないし、親の人生だってしかり。
 互いの生き方を認め合うことのほうが、大切だと思うのです。

 ただ、ついつい立場的に、親は子に苦言を申してしまうものなのです。
 加害者の若者も、我が家に生まれてきていたら、そのまま放っといてあげたのにね。

 ただね、親を殺すことはないんじゃないかな!
 彼は、無職でいる理由を、ちゃんと父親に説明すべきだったのです。
 少なくとも僕は、親に “夢” を語っていましたよ。
   


Posted by 小暮 淳 at 14:45Comments(0)つれづれ

2019年01月14日

スマホを忘れただけなのに


 「最悪~! ああ、人生、終わりだ~!!」

 昨晩遅く帰って来た次女が、リビングに入るなり床に倒れ込み、頭を抱えて叫び出しました。
 何事かと思い、駆け寄る父 (僕です)。

 「スマホを忘れた~! 友だちの車の中。すぐに気が付いて追いかけたけど、行っちゃった~!!」


 なーんだ、そんなことかと、安堵する父。
 でも、その 「なーんだ」 が娘には気にさわったようで、
 「なんだじゃないよ。ああ、もう生きていけない」
 と、のた打ち回るのです。

 「ちょっと、冷静になれ。友だちが、すぐに気づいてくれるさ」
 「気づかないよ、後部座席だもの」
 「だったら、その友だちに電話すればいいじゃないか?」
 「知らないもの」

 だよね。
 昔だったら電話帳に書きとめていたけど、ケータイになってからは、確かに電話番号を控えなくなってしまっている。
 家族の番号だって、覚えていないものね。
 そりゃあ、仕方がないか。

 「だったら、自分のケータイに電話してみろ! 友だちが気づいてくれるかもしれないじゃないか?」
 「きっとダメだよ。マナーモードになってるし……」
 と言いながらも立ち上がり、固定電話のプッシュボタンを押し出す娘。
 (自分の番号は、覚えているようです)

 「やっぱりダメだよ。出ないよ。あああああーーーー! どうしよう」
 「どうしようって、失くしたわけじゃないんだろ。どこに置いてきたか分かっているんだから、明日になけば気づいてくれるよ」
 「じゃあ、それまで、どーすんのよ~!?」
 「どうするのって、待っていればいいじゃないか」
 「そんなの、死んじゃううううう!!!」

 娘は完全なる “スマホ依存症” のようであります。
 ガラケー人間の父には、ここから先は、まったく理解不能となりました。


 しばらくして娘は、またコートを羽織ると、出かけようとしています。
 「こんな遅くに、どこ行くの?」
 「その友だちの家」
 「なーんだ、知っているのかよ」


 娘が車で出て行って、30分ほどした頃。
 僕のケータイの着信音が鳴りました。
 娘から、<携帯無事>  の文字。

 人騒がせな娘である。
 たかがスマホを忘れたぐらいで……
 と思ったけど、いやいや、きっと、こんな出来事が毎日、日本中で起きているんだろうなと、つくづく考えさせられた夜でした。
 便利な世の中になったけど、なんだか人の心は不便になってしまいましたね。

 <良かったね>
 とだけ返信して、僕は眠りに就きました。
   


Posted by 小暮 淳 at 17:56Comments(2)つれづれ

2019年01月13日

謎の空飛ぶネズミ


 またもや見てしまいました。
 しかも、今回は真っ昼間です。


 読者のみなさんは、覚えていますか?
 僕が過去に、2度も “妖精” に出遭った話を……。
 ※(当ブログの2010年11月16日 「妖精目撃」、2018年8月15日 「妖精ふたたび」 参照)

 でも、“妖精” の場合は、2度とも目撃したのは夜でした。
 そしてサイズは、ピンポン玉くらいの小さな物体でした。
 しかし今回、僕が出遭った生物(?) は、昼日なた、太陽の光を浴びながら、悠々と浮遊していたのです。
 サイズは、ティッシュボックスくらいの大きさがありました。


 数日前の昼下がりのこと。
 家の近くのコンビニへ買物に行った帰り道です。
 自転車を漕いでいると、僕の目の前を黒い影が、ゆっくりと横切って行きました。

 最初は、「鳥だ!」 と思いました。
 そう思ったのは、シルエットが流線型で、尾が見えたからです。
 でも次の瞬間、「あっ、羽がない!」 ことに気づきました。
 そして、よく見ると、尾が鳥のものではありません。
 そう、ヘビのようにヒョロリとした細長い棒状だったのです。

 だから、例えるならば、「空飛ぶネズミ」 のような物体です。


 高さは、地上3mほど。
 自転車に乗った僕が見上げた先を、ゆっくりと右から左へ水平に移動して行きました。
 道を横切って渡り終えた後は、民家の庭に入り込んでしまい、姿を見失ってしまいました。

 はて、この生物(?) は、いったい何なんでしょうか?

 黒い妖精?
 それとも妖怪の一種?
 はたまた、小さなUFOでしょうか?


 同じモノを見たことがあるという方、ご一報ください。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:33Comments(0)つれづれ

2019年01月11日

姓は 「焼き」、名は 「まんじゅうろう」。


 <生まれは関東、上州です。利根の清き流れに産湯をつかり、からっ風に育てられ、義理と人情のためならば、ガブッと焼きまんじゅうをほおばって、悪を憎んで弱きを助け、西東。姓は 「焼き」、名は 「まんじゅうろう」。あま辛みそダレの股旅野郎とは、おいらのことよ!>


 高崎市民のみなさん、こんにちは~!
 大変、ご無沙汰でした。
 どのくらいご無沙汰だったかというと、ちょうど10年ぶりになります。
 何のことかって?
 高崎市内に配布られているフリーペーパー 『ちいきしんぶん』(ライフケア群栄) のことです。
 その新春号 (20191月11日号) の1面記事、新春企画 「焼きまんじゅうろうが行く②」。
 もう、ご覧になりましたか?

 「焼きまんじゅうろう」 を、まだご存じない方のために、ちょっとご説明します。
 彼の肩書きは、上州小麦食文化連合会長。
 三度笠に脚半をはいた股旅スタイルで、背中には焼きまんじゅうをしょっています。
 群馬のソウルフード 「焼きまんじゅう」 のPRキャラクターなのです。
 2009年11月に発行された 『日本全国ご当地キャラクター図鑑2』(新紀元社) に掲載されている、れっきとした群馬を代表するゆるキャラの1人なんです。
 同書には、高崎だるまマスコットキャラクター 「たか丸」 や、TONTON(とんとん)のまち前橋のマスコットキャラクター 「ころとん」 も一緒に掲載されています。


 ということで、今回は、まんじゅうろう君が、“進化系焼きまんじゅう” を追って、スイーツ化した変り種焼きまんじゅうを食べ歩きます。

 えっ、何で、僕が、焼きまんじゅうろうの記事を書くのかって?
 ハイ、それは、彼のテーマソング 『焼きまんじゅうろう旅姿』(作詞/野村たかあき 作曲/小暮淳) を歌っているからであります。(by じゅん&クァ・パラダイス)
 ご興味のある方は、「ちいきしんぶん」 のHPをご覧ください。


 ♪ ハアー 背(せな) でころがす からっ風
   焼きまんじゅうろう 旅すがた
   あまから みそだれ 一刀流
   ハアー 今宵 三日月 出てござる
   悪を憎んで 手かげん無用
   あまから剣法 みそだれ返し

   やんやん焼きまん まんじゅうろう
   こげ目ほどほど 香ばしや
   やんやん焼きまん まんじゅうろう
   見た目ベタつく 面(つら) がまえ
   でも内は さっぱり 心意気 ♪
    


Posted by 小暮 淳 at 18:30Comments(0)執筆余談

2019年01月09日

無形文化遺産登録推進の効用


 “群馬の温泉を世界遺産へ”

 2012年8月31日のブログで、僕は、群馬の 「温泉大使」 になった暁には、温泉文化を世界遺産に登録させる旨を書いています。※(タイトル「世界温泉遺産に推薦します!」)
 あれから約7年、やっと動き出しました。

 昨年暮れ、「日本の温泉文化をユネスコ無形文化遺産に登録しよう!」 と、群馬県温泉協会長の岡村興太郎氏を発起人代表とする温泉文化ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会が設立されました。
 僕も微力ながら、実現に向けて応援させていただいています。


 その効用とでもいうのでしょうか。
 すでに昨年からマスコミやメディアが動いています。
 途端、僕のところには、新聞社からのインタビューやテレビからの取材や出演依頼が舞い込み出しました。

 年末には、すでに地元テレビ局の制作による春の特番のロケ撮影を済ませました。
 と思ったら年明け早々、全国ネットのテレビ局から番組制作へのアドバイザーとしての依頼がありました。
 昨日、さっそく打ち合わせに行ってきましたが、やはり主旨は “無形文化遺産登録に向けて” とのことでした。


 少しずつですが、追い風が吹いているようです。
 まだまだ先は長いですが、コツコツと群馬の温泉の魅力を全国へ、そして世界へメッセージして行こうと思います。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:14Comments(2)ユネスコへの道

2019年01月07日

どこかで 誰かが⑪ お役に立てて


 知人の女性から新年のあいさつを兼ねた、こんなメールが届きました。
 <私は以前から、視覚障害の方々を対象とした、朗読を録音したカセットテープ制作のボランティアサークルに入っています。(中略) そこで 『民話と伝説の舞台』 の中の 「犬塚・村人の代わりに伊勢参りをした犬」 を、ぜひ朗読させていただきたいのです。>

 この女性は、以前、拙著の絵本 『誕生日の夜』 を朗読会で取り上げてくだった方です。
 もちろん、今回も快諾しました。


 長年、著述業をしていると、思わぬ所や思わぬ人から思わぬ話が飛び込んで来るものです。
 だいぶ前のことですが、2012年と2013年に僕は、『みなかみ18湯』 という本を上・下2巻出版しました。
 この時も視覚障害者のための「点字図書」としての制作許可依頼がありました。

 不思議なものですね。
 僕の知らないところで、著書が勝手に動き回って、仕事の幅を広げて帰って来るのですから!
 まさに著者と著書は、親子の関係であります。
 生みの苦しみはありましたけど、世に出してしまえば、自立して、それぞれの道を歩んでくれます。


 今年の僕のテーマは、「頑張らない!」 です。
 親は頑張りませんが、13人(冊) の子どもたちには、大いに働いてもらいたいと思います。

 何よりも、どこかで誰かのお役に立てていることが、著者としての最大の喜びであります。
 今後とも、我が子たちをよろしくお願いいたします。
  


Posted by 小暮 淳 at 10:55Comments(0)著書関連

2019年01月05日

ノンストップ・ライフ


 今年も、たくさんの年賀状が届きました。
 最近は、メールやラインで済ませてしまう人が多いようですが、やはり年賀状はお正月気分を盛り上げてくれます。

 今年は初めて、<今回で賀状の交換は終わりとさせていただきます。> と添え書きされた年賀状がありました。
 高齢化社会の表れなんでしょうかね。
 でも反面、以前に比べたら手書きの年賀状が増えています。
 直筆で、一筆添えられていると、うれしいものです。


 相変わらず、一番多かったのは仕事関係からです。
 その大半は、旅館や協会などの温泉関係者です。
 特に、昨年末に、日本の温泉文化をユネスコ無形文化遺産に登録しようという動きが群馬県から立ち上がったこともあり、この件に触れたコメントが多々ありました。

 個人的な内容では、「ブログ、読んでます」 が一番多かったですね。
 「介護、頑張ってください」 とか 「うちも介護中なので、ブログを読んで元気をもらっています」とか、何十年も会っていないのに、一方的に近況を知られているというのも不思議なものです。


 そうそう、今年初めてのコメントというのが、もう1つありました!
 「定年退職しました」 と 「定年退職します」 です。
 どちらも同級生です。
 ついに、キターーーッ!という感じ(還暦だものね)。

 で、年賀状を手にして、思い浮かんだのは、舘ひろし主演の映画 『終わった人』 であります。
 確か、映画のセールスコピーは、<夢なし、趣味なし、仕事なし> だったような。
 でも、フリーランスで生きる僕からしたら、うらやまし~い!
 だって、夢がなくても、趣味がなくても、仕事をしないで暮らせるだけのお金があるっていうことですもの。
 同じ還暦でも僕の場合は、<夢あり、趣味あり。でも働かないと、お金なし> ですから。

 さらに、その状態が一生、死ぬまで続きます。
 いうなれば、“ブレーキのない車” を運転しているような人生なのです。


 ただね、うらやましいだけではないんですよ。
 一抹の心配もしています。
 「第2の人生は決まっているの?」 「これから先の人生は長いんだぜ!」 「やることなくてボケるなよ!」 ってね。
 まあ、大きなお世話でしょうけど……

 今から来年の正月が楽しみです。
 彼らの年賀状には、なんて書かれているのでしょうか?
  


Posted by 小暮 淳 at 19:56Comments(0)つれづれ

2019年01月04日

時の贈り物


 元日の午前中のこと。
 2階の仕事部屋で、年賀状に目を通していると、ノックの音が。
 「えっ、誰だ?」
 一瞬、戸惑う僕。
 というのも、同居している家内も次女も、滅多に僕の部屋には来ないからです。

 ドアを開けると、長男でした。
 「あれ、早いな。みんな集まるのは、昼からだろう?」
 「ああ、これをお父さんに渡そうと思って」
 彼から小さな紙袋を手渡されました。
 中には、四角い箱が入っています。

 「えっ、なんだい?」
 「遅くなったけど、還暦祝い」
 とは、驚いた。
 僕の息子とは思えぬ、殊勝な心がけだこと。

 「お父さんは、時計なんてしない人だと知ってたんだけど。何がいいか分からなくて。これなら電池交換も時刻合わせも、半永久的に不要なやつだから」
 箱を開けると中には、僕にはもったいないほどの、立派な腕時計が入っていました。


 息子は父親のことを、見ていないようで、ちゃんと見ていたのですね。
 そうなんです。
 僕は25年前に会社勤めを辞めた時、ネクタイと時計を身に付けることをやめました。
 “人にも時間にも縛られたくない” という理由からです。

 それを知っていて、あえて息子は僕に時計を贈ってくれたのです。
 「ありがとう……」
 そのあとに、言葉が続きません。
 なんと言えば、いいのだろう?
 <これを機に、使わせてもらうよ>
 と言えば、ウソになります。

 考えたあげく、出てきた言葉が、
 「ちょうど良かった。近々、講演会があるから、これをして行くよ」
 「講演会?」
 「ああ、講演の途中で残り時間を確認するのに、いつも不便をしていたんだ。これは助かる」
 いつもは時間を気にしない僕も、講演中だけは時計を見ます。
 今までは、会場の壁時計を見るか、卓上用の小さな置時計を持って行ってました。

 「これなら、話しながら時間を見ることができて便利だ。ありがとう!」
 「うん、なら、良かった」
 その後、息子は説明書を広げて、簡単に使い方を教えてくれました。


 翌日のことです。
 バンドのサイズ直しのために、息子に言われた店に、時計を持って行きました。
 すると、いきなり店員から、
 「小暮様ですね。息子さんからの還暦祝いの品ですね。このたびは、おめでとうございます」
 と言われてしまいました。さらに、
 「私が担当いたしました。これは、とっても良い品ですよ。親孝行な息子さんですね」
 なんて言われては、居ても立ってもいられません。
 恥ずかしいや、照れるやら……。  
 時計を預けると、ほうほうのていで、店を飛び出してしまいました。

 たかが還暦なのにね。
 新年早々、息子からお年玉をもらうとは思いも寄りませんでした。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:19Comments(0)つれづれ

2019年01月02日

年頭所感 ~七人の孫とひ孫~


 明けまして おめでとうございます。
 今年もよろしくお願いいたします。

 ということで、2019年がやって来ました!
 2019は、ズバリ 「フロイク」 ですからね。
 さっそく、近くの日帰り温泉施設で、ひと風呂浴びてまいりました。

 ところで、みなさんは、どんなお正月を過ごしていますか?
 僕ですか?
 ええ、まあ、なんというか、“らしくない” というか、ニガテな雰囲気の中にいます。
 たぶん、照れくさいんでしょうね。一家団らんっていうやつが……。

 アウトローを気取って生きてきたのと、子どもたちの結婚が早く、昔から家族が一堂に会することのない家だったもので、にぎやかな雰囲気に慣れていないというのが本音です。
 でもね、こう見えても一応、一家の長ですから、正月くらいはデーンと構えて、みんなを迎えなくてはなりません。

 年に一度のことですが、長女夫婦と孫、長男夫婦と孫がやって来て、いきなり我が家は総勢9人の大家族になってしまいました。
 この時ばかりは、「ジイジ」 と呼ばれ、終始笑顔を振る舞っています。


 でも今年は、いつもの年とは、ちょっと違いました。
 例年ならば、我が家に集まった後に、僕の実家と家内の実家へ、あいさつまわりに出かけるのですが、今年は僕の実家へ行きませんでした。
 というのも、昨年から両親とも、施設に入ってしまったからです。
 ちょっぴり淋しい気もしますが、それはそれで楽になって良かったと思っていました。

 ところが、子や孫たちが、「おばあちゃんとおじいちゃんに会いたい」 「大きいばあちゃんと大きいじいちゃんに会いたい」 というものですから、元日から全員で施設へと向かいました。
 オヤジは認知症が重くて、誰一人分からないので、今回はパス!
 後日、個々に面会することにして、頭がしっかりしているオフクロのみ車イスに乗せて、みんなが待っているロビーへ移動させました。

 子、孫、ひ孫たちに囲まれ、全員と握手するオフクロは本当に嬉しそうでした。
 もちろん、最後は全員で集合写真を撮りました。


 車イスを押して、病室へもどると、オフクロは泣いていました。
 抱えてベッドに移し、寝かせると、さらにオイオイと声を上げて泣き出します。

 「みんなに会えて、良かったね」
 と言えば、思わぬ言葉が返ってきました。
 「生きてて、いいんだね」
 そして、こう続けました。
 「私は、ズーッと間違っていたよ。こんな体になって、お前たちに迷惑しかかけないから、生きている意味がないって思っていたんだよ。でも、いいんだよね。みんなに会うために生きていても」


 きっと、そういうことなんですね。
 「会いたい」 と思う人がいる限りは、生き続ける意味があるのだと思います。

 「来年の正月も楽しみだね。ひ孫が増えているかもよ」
 そう言って、僕は病室をあとにしました。
   


Posted by 小暮 淳 at 15:57Comments(0)つれづれ