温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2024年10月14日

oh!マイゴッド


 八百万というくらいですから、神様はいたるところに居ます。

 「トイレの神様」 のように、特定の場所にいる神様。
 「笑いの神様」 のように、個人に降臨する神様。
 信じようと信じまいと、いつもどこかで神様は、一生懸命に真面目に生きている人たちを見守っています。


 僕にも神様がいます。
 それは 「取材の神様」。
 今までに何度となく降臨して、奇跡を起こして窮地を救ってくださいました。

 たとえば、伝説の舞台を探して、さる町の役場を訪ねた時のこと。
 七不思議が伝わる寺院の場所を職員に尋ねたところ、
 「あれ、住職なら今いましたよ。ほら、あの人ですよ」
 とロビーにいた男性を指さしました。

 その男性に取材の趣旨を話すと、
 「だったら私の車の後をついて来てください。これから寺に帰りますから」
 と案内してもらいました。
 まさに 「取材の神様」 が降りてきた瞬間でした。


 こんなこともありました。
 さる神社の境内に、伝説に登場する動物の銅像があるというので訪ねた時のこと。
 銅像はあるものの、由来等の説明版は見当たりません。
 写真だけ撮って、帰ろうとしたときでした。
 一人の老人が近寄ってきて、「何をしているのだ?」 と訊いてきました。

 取材で訪れたことを説明すると、なんと老人は、「だったら、うちへ来い」 と言うのです。
 話を聞けば、この老人は、この像の設立実行委員会の委員長だったのです。
 この日は、偶然、神社の前を通ったといいます。
 これまた 「取材の神様」 が降臨した瞬間でした。


 先週、またまた神様が降臨しました。
 伝説の “石” を探して、さる神社を訪ねました。
 資料によれば、その “石” は、今も神社にあると記述されているのです。

 ところが、境内を探しても、そのような石も案内板も見当たりません。
 運よく、数人の氏子らしき人たちがいました。
 たまたま併設されている公民館の清掃活動に来ていたようです。

 「その石なら、〇〇さんちにあるよ」
 一人の男性が教えてくれました。
 「ここには、ないんですか?」
 「〇〇さんちの庭に、埋もれているよ」

 道を教えてもらい、〇〇さん宅を訪ねてみると、確かに庭の隅に、ひっそりと石が埋まっていました。
 「この石が見たいなんて訪ねてきた人は、初めてですよ(笑)」
 と住民も驚いていましたが、話を聞くと、謎は解けました。

 昔は家の前に鳥居があり、ここから参道が始まっていたということ。
 「たぶん先祖は、神社の敷地内に家を建てたんではないか」
 と言います。


 もし取材日が違ったら、もし取材時間がずれていたら、神社に氏子はおらず、無人だったはず。
 やはり 「取材の神様」 のおぼし召しなのだと思います。

 神様、これからも援護をお願いいたします。
    


Posted by 小暮 淳 at 11:33Comments(0)取材百景

2024年07月15日

風っ子たちへ


 「風っ子」 って、ご存知ですか?
 上毛新聞社から発行されている子ども新聞、週刊 『風っ子』 です。
 毎週日曜日に、本紙とともに配達されるタブロイド紙 (16ページ) です。

 もちろん、僕は知っていましたよ。
 でもね、毎回読んでいるかというと、内容が子ども向けですからね。
 まあ、時々、ペラペラとページをめくるくらいでした。


 ところが、その 「風っ子」 の編集室から連絡がありました!
 「ぜひ、お話を聞かせてください」 と言うのです。

 子ども新聞ですよ。
 まさか、“温泉へ行こう!” なんていう特集を組むわけはあるまいし……。
 話を聞くと、こうでした。


 僕が2018年に出版した 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) 。
 この著書の中から、「子どもたちに語り継ぎたい話を、いくつか紹介してほしい」 とのこと。
 「なによりも、舞台があるのがいい」 らしいのです。

 ですよね。
 新聞ですものね。
 「むかしむかし、あるところに……」
 だけでは、ネタになりません。
 「いつ」 「どこで」 「だれが」
 があってこそ、リアリティーのある物語と舞台が生まれます。


 ということで1時間半にわたり、記者より取材を受けました。
 子どもたちにも分かりやすく、舞台があって、物語の核となるモノが残されていて、さらに、それらが現存し、写真に撮ることができる民話や伝説を、いくつか紹介しました。

 記者も、「本当ですか?」 「面白いですね」 「ぜひ、行ってみます」 と興味津々の様子。
 「子どもたちが興味を持てるような記事にします」
 と、約束してくれました。


 楽しみですね。
 令和の現代に、紙の新聞で、民話や伝説を読む。
 スマホやゲームにはない面白さを、ぜひ、今の子どもたちに感じ取ってもらいたいものです。


 「風っ子」 の風は、からっ風の風。
 風の子は、群馬で生まれ育った生粋の “上州っ子” のことです。

 かつて僕は 『上州っ子』 というタウン誌の編集人をしていたことがありました。
 これも何かの縁なんでしょうね。


 8月18日の発行日が、今から楽しみです。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:35Comments(5)取材百景

2024年05月30日

純米酒 「牧水の詩」


 上野(かみつけ)の草津の湯より
 沢渡(さわたり)の湯に越ゆる路
 名も寂し暮坂峠(くれさかとうげ)
  〈若山牧水 『枯野の旅』 より〉


 歌人の若山牧水 (1885~1928) は利根川水源の山や渓谷などの自然に魅せられて、群馬県に8回ほど来ています。
 延べ約60日間滞在して、13編の紀行文と400ほどの歌を残しました。

 牧水は無類の酒好きでした。
 一人でも日に一升、相手がいれば平気で2升の酒を呑んだといわれる酒豪です。
 ならば当然、群馬の旅でも毎晩、浴びるほど酒を呑んだに違いありません。


 どこで、何という酒を呑んだのか?

 これが僕の “謎学の旅” となりました。


 牧水は大正11(1922)年10月14日~28日までの15日間、長野から群馬を横断して栃木へ抜ける旅をしました。
 ご存じ、『みなかみ紀行』 であります。

 この旅で、牧水は県内9つの温泉地に立ち寄っています。
 当然、その晩は酒を呑んだことでしょう。
 ということで僕は、牧水が訪れた当時には創業していて、現在も営業を続けている酒蔵をめぐり、“牧水が呑んだであろう酒” を探す旅を続けています。

 題して、令和版 『みなかみ紀行』。
 ~牧水が愛した群馬の地酒と温泉~


 この紀行エッセイは、昨年11月から高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」 (ライフケア群栄) 紙上にて、不定期連載しています。
 次回は、その第3話。
 花敷温泉から暮坂峠を越え、沢渡温泉、四万温泉へと、牧水の足取りを追います。

 では、牧水が四万温泉に泊まった晩に呑んだ酒は?


 中之条町で現在も営業を続けている酒蔵は一つ。
 明治5(1872)年創業の貴娘酒造です。

 ただ創業当時の屋号は 「高澤(たかざわ)」 といいました。
 そして酒銘は 「三友(さんゆう)」。
 「貴娘(きむすめ)」 が造られたのは、明治の中頃とのこと。

 ちなみに酒銘の由来には、女の子の誕生を祝い、誰からも愛され貴(とうと)ばれる心やさしい娘に育つようにとの願いが込めらりています。


 ということで昨日、貴娘酒造を訪ね、話を聞いてきました。
 はたして牧水は、ここの酒を呑んだのでしょうか?

 でも、ショールームには、そのものズバリ!
 「牧水の詩(うた)」 とラベルが貼られた純米酒が売られていました。
 ということは……


 牧水をめぐる謎学の旅は、まだまだ続きそうです。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:24Comments(0)取材百景

2024年04月21日

死に酒を探して


 歌人・若山牧水終焉の地、静岡県沼津市を訪ねた目的は2つ。
 1つは、墓参り。
 (2024年4月19日 「あくがれの墓参り」 参照)

 もう1つが、記念館を観覧することでした。


 駿河湾に臨む風光明媚な千本浜公園からほど近い、閑静な住宅地に 「沼津市若山牧水記念館」 はありました。
 昭和62(1987)年に開館した小さな記念館です。
 館内には、年譜をはじめ、直筆の歌を書いた短冊や色紙、原稿などが展示されています。

 興味のない人には、一周10分程度で観終わってしまう展示物ですが、牧水ファンにとっては小さなディズニーランドのよう。
 1時間以上もかけて、何度も何度も観返してしまいました。
 もちろん、帰りには、ここでしか購入できない貴重な関連資料を爆買いさせていただきました。


 で、展示物の中で、1つ、気になった表記がありました。
 それは、末期の酒について。

 臨終した際、遺族が牧水の口に含ませたのは水ではなく、酒だったとありました。
 さすが、牧水!
 「死に水」 ならぬ 「死に酒」 をとらせたのであります。


 となれば、その酒が知りたい。
 いや、現存するなら、ぜひ、我も口に含んでみたいと思うのが、ファンの本音であります。

 ということで、現地での聞き取り調査を開始しました。


 午後5時。
 沼津駅前の居酒屋に、初老の男たちが集まりました。

 今回の旅を企画して、群馬から同行してくれたSさん。
 Sさんは青年時代、ここ沼津市の高校に通っていたことがあり、土地勘があったのです。
 そして、彼の同級生4人が、晩餐に駆けつけてくれました。
 みなさん現役の沼津市民です。


 自己紹介もそこそこに、いきなり質問を投げかけました。
 「沼津市内に酒蔵はあるか?」
 「牧水が沼津に暮らした大正~昭和初期にあった老舗は、どこか?」
 「もし現存するなら、何という銘柄の酒なのか?」

 矢継ぎ早の質問に、ズバリ回答してくださったのは、地元で建築会社を経営するWさん。
 「髙嶋酒造の 『白隠正宗』 でしょう」

 髙嶋酒造は、江戸時代中期の創業。
 代表銘柄である 『白隠正宗』 は、明治17年から醸造されている銘柄でした。


 「では、牧水にカンパイ!」

 店にも地酒 『白隠正宗』 は置いてありました。


 感慨無量であります。
 牧水が生前に呑んだかもしれない酒、牧水の 「死に酒」 かもしれない酒。
 口に含むと、ほのかな甘みと芳醇な香りが鼻へ抜けていきました。


 ≪人の世にたのしみ多し然れども 酒なしにしてなにのたのしみ≫  牧水
   


Posted by 小暮 淳 at 10:57Comments(2)取材百景

2024年04月19日

あくがれの墓参り


 ≪聞きゐつつたのしくもあるか松風の 今は夢ともうつつともきこゆ≫  牧水


 趣味と実益を兼ねた生き方をしてきたおかげで、気が付いたら僕は、群馬県内4つの 「温泉大使」 と 「ぐんまの地酒大使」 を仰せつかっていました。

 “温泉と地酒”
 よく似合います。
 これに “旅” が加われば、なお素晴らしき。

 あくがれ(※)てしまいます。


 そんな生き方をした人に、明治・大正の歌人、若山牧水がいます。
 牧水は明治18(1885)年、宮崎県の生まれ。
 自然と旅と酒を愛し、全国をめぐりました。

 群馬県には8回訪問。
 延べ60日間滞在し、13編の紀行文と約400の歌を残しました。
 最も有名な紀行文が 『みなかみ紀行』 です。


 大変おこがましいのですが、共に湯と酒を愛する者として、いつしか僕にとって牧水は “心の師” となっていました。
 そして、気が付いたら牧水をテーマにした講演や連載を手がけるようになっていたのです。

 「一度、ちゃんと牧水さんにお礼が言いたい」

 その夢が、やっと叶いました。


 静岡県沼津市。
 この街にある千本山乗運寺の境内に、牧水は眠っています。
 昭和3(1928)年9月17日、大酒呑みがたたり、急性腸胃炎兼肝臓肝硬変症のため43歳の若さで永眠しました。

 冒頭の歌は、墓石前に立つ歌碑に詠まれていました。


 「牧水さん、初めてお目にかかります。全国にあまたといるファンの一人です。あなたが愛してくださった群馬県より、はるばる会いに来ました。私は今、あなたが群馬で見て触れて、浸かって呑んだ “温泉と地酒” をテーマに取材を続けている物書きの端くれです。どうか、お許しいただき、寛大なお心で、見守ってくださいますようお願い申し上げます」
 と、墓前で手を合わせました。

 すると、どうでしょう!
 木々を揺らして、一陣の薫風が杜を抜けて行きました。

 「ああ、牧水さん! ありがとうございます」


 風に誘われるようにして僕は、その足で牧水が愛した千本松原を訪ねました。


 ※【憧(あくが)る】 物事に心を奪われて落ちつかない。そわそわする。 (広辞苑より) 
  


Posted by 小暮 淳 at 11:52Comments(0)取材百景

2023年11月02日

牧水が呑んだ酒


 『よき酒とひとのいふなる御園竹 われもけふ飲みつよしと思へり』


 歌人の若山牧水 (1885~1928) は、生涯に約9,000首の歌を残しています。
 うち300首以上、酒の歌があるといわれています。

 酒豪で知られる牧水です。
 朝二合、昼二合、そして夜六合。
 一日合計一升を呑み続けたといいます。


 では、どんな酒を呑んでいたのか?
 牧水ファンとしては知りたいところですが、歌の中で呑んだ酒の銘柄が詠まれているのは、ほんの数銘柄だけ。

 その中に、「御園竹 (みそのたけ)」 があります。
 長野県佐久市にある明治元(1868)年創業の武重本家酒造の酒です。


 長野県佐久市といえば、大正11(1922)年10月14日に、著作 『みなかみ紀行』 で最初に泊まった場所です。
 当然、その晩、牧水は地元新聞社の人たちと酒盛りをしています。

 もしかして、呑んだの酒は 「御園竹」 ?
 かもしれないし、違うかもしれない。
 でも、牧水が “よき酒” と歌に詠んだほどの酒なのだから、呑んだ可能性は高いのでは?


 だったら我も呑みたい! 一度、呑んでみたい!
 『われもけふ飲みつよしと思へり』
 と言ってみたい!

 呑みたい! 呑みたい! 呑みたい! 呑みたい! 呑みた~い!!
 と叫び続けていたら、言葉は言霊(ことだま)となり、天を駆け巡り、願いが叶ったのであります。


 「だったら小暮さん、御園竹を買いに行きましょう」
 と奇特な方がいました。
 「えっ、いいんでか?」
 「ええ、車も出します。お酒も買って差し上げますよ」

 そんな、うまい話が世の中に転がっているはずがありません。
 きっと、この話には裏がある。
 絶対に、タダで酒が呑めるわけがないのです。


 半信半疑、恐る恐る訊いてみると……
 「で、条件は?」
 「はい、うちの新聞に連載をお願いします」

 なーんだ、やっぱり、タダ酒じゃないんだ。
 でもね、あこがれの酒が呑めて、それが仕事になるんなら、願ったりかなったりであります。

 しかも、牧水の足取りを追うのであれば、酒だけじゃない。
 温泉だってめぐることになる。
 おお~、これって一石二鳥、いやいや三鳥、四鳥にも化ける話じゃないですか!

 温泉大使として、地酒大使としての本領発揮ということになります。


 ということで昨日は、秋の信濃路を紅葉を愛でながらドライブ旅行してきました。
 そして、念願の 「御園竹」 をゲット!

 昨晩は、牧水に成り切って、“よき酒” に酔いしれましたとさ。
 めでたし、めでたし。


 『よき酒とひとのいふなる御園竹 われもけふ飲みつよしと思へり』
  


Posted by 小暮 淳 at 10:24Comments(0)取材百景

2023年04月15日

W神様降臨


 芸人には “笑いの神様” が、役者には “舞台の神様” が、作家には “文章の神様” がいて、時より降りてきて、本人の実力以上の力を発揮してくださるとのことです。

 僕らライターにも、“取材の神様” が存在します。

 取材現場は、筋書きのない一発勝負です。
 当日の天候から始まり、渋滞や交通機関のトラブル、人との出会い……
 常に “運” の善し悪しが、付いて回ります。


 昨年6月から高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) でスタートした不定期連載の 『ぐんま湯の里ハイク』。
 この連載は、群馬県内の温泉地を電車やバスで訪ね、周辺を歩き回り、温泉に入り、地元の酒を呑むというウォーキングエッセイです。

 あえて公共交通機関を利用するのは、もちろん、湯上りに酒を呑むことが最大の目的だからです。
 「いい汗」 → 「温泉」 → 「飲酒」
 これがセットになってこそ、旅の醍醐味というものです。


 昨日はシリーズ第5弾の取材で、川原湯温泉 (長野原町) へ行ってきました。

 ご存知、川原湯温泉は一度ダム湖底に沈み、令和になって新生・川原湯温泉として復活した温泉地です。
 僕は旧温泉地時代から現地に入り、激動の温泉地移転を取材してきました。

 でも今までは、すべて車での移動だったんですね。
 今回、初めて、移転新設後のJR吾妻線 「川原湯温泉」 駅に降り立ちました。
 きれいで立派な駅舎でしたが、無人駅でした。


 ここが今回のスタート地点。
 同行のカロラマン氏と2人、山の中腹の代替地へ移転した新しい温泉地周辺を半日かけて歩き回りました。
 川原湯温泉駅 → 川原湯神社 → 不動の滝 → 道の駅 → 八ッ場(やんば)大橋 → 温泉街と、2020年春に完成した 「八ッ場あがつま湖」 を周遊しました。

 で、最後はお約束の入浴です。
 共同浴場 「王湯」 でフィニッシュ!
 のはずだったのですが、ここで、まさかのハプニングが起こりました。

 ここには売店がありません。
 しかも自動販売機の商品は、すべてノンアルコールです。


 「このままでは旅が完成しませんね」
 と僕。
 「周辺に呑み屋はないし、食堂も閉まってました」
 とカメラマン氏。
 「途中に酒屋が一軒ありましたね。あそこまで歩いて戻りますか?」
 「でも、あの酒屋も開いてたかどうか?」

 と問答をしているときでした。
 話を聞いていた浴場の従業員が、
 「駅の隣に地ビールが呑める所がありますよ」
 とのこと。

 「おおおおおーーーー!!」
 と喜んだのも束の間、電話で確かめてもらうと、開いていて地ビールは呑めるというが、「“つまみ” がない」 と言います。


 「う~ん、つまみ無しですか……」
 「どうします? 酒屋まで行って、開いていたら乾き物でも仕入れてから行きますか?」
 湯上りに、浴場の入り口前で思案していると……

 ツカツカツカと、一人の男性が近づいてきました。
 なんとなく見覚えのある男性です。

 「小暮さんですか? ご無沙汰しています」


 なんと、彼は、旧川原湯温泉で営業していた旅館のご主人でした。
 現在は代替地で、介護施設やカフェギャラリーの経営をしているとのこと。
 しかも、先ほど従業員が電話した地ビールが呑めるキャンプ&バーベキュー場 「NOA」 の運営にもかかわっているらしく、知らせを聞いて、すっ飛んで来てくれたようです。

 「よく僕が、ここに居ることが分かりましたね?」
 「ええ、温泉街で、小暮さんに似た人を見かけたものですから」
 「で、来てくれたの?」
 「もしかしたら、つまみを探している客って、小暮さんじゃないかと思いまして(笑)」


 す、すごい!
 温泉地を徘徊している男 → 小暮に似ている → 湯上りに酒とつまみを探している客 → それは小暮淳だ!
 という推理だったわけですね。

 「今から私が、つまみを届けますから店に行っていてください」
 ご主人は、そう告げ、あわてて自宅へと戻って行きました。


 店は、湖を見下ろすビュースポット。
 目の前には、併設されている醸造所で造られた地ビールが並んでいます。
 しかも、届けられたつまみは、今日採れたてのコゴミとゼンマイと山ウドです。

 なんと贅沢な!
 奇跡としか、言いようがありません。

 「取材の神様が降りて来ましたね」
 とカメラマン氏。
 だから僕は、こう付け加えました。
 「だけじゃない。温泉の神様までが降りて来たよ」


 W神様降臨!

 これだからライターは、やめられません。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:34Comments(2)取材百景

2023年03月02日

温泉マークを探しに


 高崎市民のみなさん、こんにちは!
 「ちいきんぶん」 は、お読みですか?

 「ちいきんぶん」 は旧高崎市内の9割のご家庭や事業所に無料配布されているフリーペーパーです。
 僕は去年の6月から不定期に、『ぐんま湯の里ハイク』 という紀行エッセイを連載しています。
 すでにシリーズでは水上温泉、四万温泉、伊香保温泉と紹介しましたが、今年最初の温泉地を取材してきました。

 第4弾は、磯部温泉です。


 この連載では、過去のシリーズ同様、すべての移動を公共交通機関のみを利用します。
 それは、なぜか?
 そう!
 当然、温泉に入ったら必ず、酒を呑むからです。

 これ、温泉好き、酒好きの鉄則です!
 「酒の呑めない温泉なんて、温泉じゃない」
 とまでは言いませんが、同じ思いの人は多いんじゃないでしょうか?

 えっ、だったら車で行って、泊って呑めばいいって?
 いえいえ、それはそれ、これはこれ!

 温泉に恵まれた “湯の国ぐんま” だもの。
 手軽に、日がな一日、ぷらりと電車やバスに乗って、温泉街を歩いたり、周辺の野山や渓谷をハイキングして、いい汗をかいたら温泉に入り、風呂上がりのビールを吞んで、運良くば居酒屋に立ち寄って、地酒をひっかけて、ほろ酔い気分で電車に乗って帰ろう、という企画なのです。


 ということで、今回はJR高崎駅から信越本線に乗って、磯部駅に降り立ちました。

 ご存じ、磯部温泉といえば、「温泉記号発祥の地」 であります。
 それくらい知ってるって?

 ではなんで、そう呼ばれるようになったのか?
 そのルーツを探りながら、温泉街の中で “温泉マーク” を探します。
 とにかく、いたる所やいろいろな物に温泉マークが付いているんですよ!

 町中のサインのみならず、時計やTシャツなどのグッズ、はたまたレストランのメニューや日本酒に至るまで……
 さすが、温泉記号発祥の地!
 という “温泉マークづくし” の旅をしてきました。

 もちろん、旅の最後は温泉に入って、酒を浴びて来ました。


 『ぐんま湯の里ハイク』 vol.4、磯部温泉篇は、「ちいきんぶん」 3月17号に掲載されます。
 乞う、ご期待!
  


Posted by 小暮 淳 at 11:27Comments(0)取材百景

2023年01月20日

呑んで残そう! 群馬の地酒


 新年のあいさつを兼ねて、群馬県酒造組合の事務局に立ち寄ってきました。
 僕は令和元(2019)年から 「ぐんまの地酒大使」 を委嘱されています。

 最新の 「群馬の地酒」 パンフレットをいただくと、残念なことに、また1つ酒蔵が姿を消していました。
 現在、組合に登録されている県内の酒蔵は26軒です。
 当然ですが、群馬県の地酒の数は、温泉ほど多くはありません。
 そして、酒蔵の数も全国順位は26位とのこと。

 それでも温泉同様、僕は群馬の地酒が大好きなので、エールを送り続けるために地酒大使になりました。


 ちなみに酒蔵数の全国トップは、ダントツ新潟県で約90軒。
 続いて2位は長野県(約70軒)、そして3位の座を約60軒の兵庫県と福島県がしのぎを削っています。

 ということで、一見地味な感じを受ける群馬の地酒ですが、一人でも多く人に魅力を知ってほしくてPR活動を続けています。


 事務局を出て、ロビーの地酒ディスプレーを眺めた時でした。
 ギョ、ギョギョギョーーー!
 この数は、なんだ!

 見ると、壁一面に描かれた “つる舞う形の群馬県” の地図上に、おびただしい数の地酒銘柄が書き込まれています。
 数えてみると……

 沼田地区6、中之条地区4、高崎地区4、富岡地区4、藤岡地区5、前橋地区7、伊勢崎地区3、桐生地区2、太田地区4、舘林地区5

 なんと、その数、44種!
 今はなき酒蔵の代表銘柄も含め、ズラリと並んでいました。


 「すみません、この地図は、いつ描かれたものですか?」
 すかさず僕は、事務員に訊きました。
 「古いですよね。昭和に書かれたものだと思いますよ」
 「数えたら44ありました。だいぶ減りましたね?」
 「ええ、こうして見ると、特に前橋が激減しました」

 確かに現在、残っている前橋地区の酒蔵は、たった2軒です。


 どうして地酒は、平成~令和にかけて急速に消えてしまったのでしょうか?

 いくつか理由は考えられます。
 ①嗜好の多様化により、日本酒以外の酒も吞むようになった。
 ②流通やネットショッピングなどの発達により、全国の酒が吞めるようになった。
 ③若者の飲酒離れ。


 でも僕は、こう思うのです。
 人々がものぐさになり、“旅をする人” が減ったせいではないかと?

 食とは、その土地の風土が育てたものです。
 海の土地には海のもの、山の土地には山のもの。
 酒も同じで、その土地でなければ食せないものだったはず。

 でも今は違います。
 その土地に行かなくても手に入る時代になりました。
 でも、それは本来の酒の呑み方とは違うと思うのです。

 だから、群馬の人は群馬の酒を吞む。
 そして、群馬に来たら群馬の酒を呑む。

 僕も他県へ行ったときは、必ず、その土地の酒をいただくようにしています。
 それが、旅の礼儀だし、旅の醍醐味だと思うからです。


 群馬県民のみなさ~ん!
 「呑んで残そう、群馬の地酒」
 他県民のみなさ~ん!
 「呑んで知ろう、群馬の地酒」

 よろしくお願いいたします。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:56Comments(0)取材百景

2022年11月04日

上ノ山から石段街へ ~文人たちの声を拾いながら~


 高崎市民のみなさん、こんにちは!
 今日は、地域限定のお知らせです。

 高崎市の旧市街地のご家庭および事業所に無料で配布されているフリーペーパー 「ちいきしんぶん」。
 この新聞に、今年の6月からスタートした不定期連載 「ぐんま湯の里ハイク」 は、お読みでしょうか?


 “湯の里ハイク” とは?

 そのものズバリ、温泉地の周辺を歩き、いい汗をかいて、湯に入る紀行エッセーであります。
 でも、温泉に入ったら湯上がりに、ビールが飲みたい!
 ということは、クルマでの移動は不可。
 だったら手間と時間をかけてでも、のんびりゆっくりと電車とバスで出かけようではないか!
 という、“酔っぱライター” の独断と偏見によりスタートした連載企画なのであります。


 6月に掲載された第1話は、水上温泉でした。
 新緑の利根川・諏訪峡をめぐる旅でした。

 9月掲載の第2話は、四万温泉。
 “四万ブルー” と呼ばれる神秘の色をした奥四万湖をめぐりました。

 そして今回、第3話では、紅葉真っただ中の伊香保温泉を訪ねました。


 『伊香保温泉 日本の名湯』
 「上毛かるた」 の筆頭、いろはの 「い」 の札であります。
 新品のかるたのふたを開けると、いの一番に飛び込んで来る赤い色の札。

 石段街を歩いたことはあっても、温泉街の裏山を歩く人は少ないと思います。
 で、今回は、ロープウェイに乗って標高955メートルの見晴駅まで行き、上ノ山山頂を出発点に伊香保神社~河鹿橋~露天風呂~石段街とめぐりました。


 さすが、日本の名湯であります。
 石段街は、老若男女でにぎわっていました。
 そんな中、僕は伊香保を訪れた文人たちの視点で、路地を歩くことにしました。

 芥川龍之介、谷崎潤一郎、幸田露伴、徳富蘆花、若山牧水、萩原朔太郎……

 湯上がりに、ほろ酔い気分で歩く温泉街。
 文人墨客らの声を拾いながら、湯の町散歩を楽しんできました。


 掲載は、12月を予定しています。
 ご期待ください。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:06Comments(4)取材百景

2022年08月12日

ここが旧役場跡だ!


 “現場百遍”

 僕がライターという仕事をする上で、大切にしている言葉です。
 何回も現場に通うことにより、最初は見えなかったものが、だんだんと見えてくるようになります。


 僕は今、「消えた東村」 を追いかけています。
 ※(当ブログの2022年7月23日 「消えた東村を追え!」 参照)

 かつて群馬県には、5つの東村がありました。
 昭和と平成の大合併により、すべての東村が消滅しました。

 一番最初に消えたのは、群馬郡東村でした。
 明治22(1889)年に10ヶ村が合併して、西群馬郡東村が誕生。
 同29(1896)年に群馬郡東村となりました。
 そして昭和29(1954)年4月、前橋市との合併により65年の歴史に幕を閉じました。


 前回の取材では、残念ながら旧役場跡には、たどり着けませんでした。
 いったい、当時の中心地は、どこだったのか?

 資料をめくる中、こんな一文に出合いました。

 <●●神社に 「東大橋」 と刻まれた古い橋の一部が保存されています。この橋のまわりには、村役場、学校、農協、公民館などがあり、火の見櫓が屹立していました。>

 ところが前回の取材では、●●神社の周辺に、それらしき物は、どこにも見当たりませんでした。
 何かが、おかしい。
 資料が間違っているのだろうか?


 “現場百遍”
 こんな時、この四字熟語が脳裏に浮かびます。
 もう一度、現場に行ってみよう!

 すると……

 ●●神社は、もう一社あったのです。
 そして境内には、こんな道標がありました。

 《右 東村役場 役場ニ通ズ》

 石柱の側面には、「大正十年一月」 と刻まれています。


 「これ、写真に撮っておいて!」
 無理やり同行してもらったカメラマンを呼びました。
 「ついに、見つけましたね!」
 「これが現場百遍の力だよ」


 やがて僕らは、そこから百メートルほど離れた場所で、こう書かれた石柱を見つけました。

 《史跡 群馬郡東村役場跡》


 謎学の旅は、つづく。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:57Comments(2)取材百景

2022年08月05日

四万ブルーに魅せられて


 ♪ トイレには それはそれはキレイな
    女神様がいるんやで
    だから毎日キレイにしたら
    女神様みたいに べっぴんさんになれるんやで ♪
    (上村花菜 『トイレの神様』 より)


 トイレには “トイレの神様” が、そして、取材には “取材の神様” がいるのです。

 今年6月から高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」 紙上で連載がスタートした 『ぐんま湯の里ハイク』 。
 電車やバスなどの公共交通機関のみを利用して、県内の温泉地を訪ね、周辺の自然を散策し、いい汗をかいたら温泉に入り、湯上がりのビールで喉を潤し、帰りの電車やバスを待つ時間には、ちょっぴり地酒をいただいたりして、群馬の温泉の魅力を200%満喫しようという、贅沢かつ我がままな旅エッセーなのであります。

 旅人は、僕とカメラマン1名。
 だもの日程は自由に組めます。
 公共交通の利用と、相手は自然ですから、気のつかうアポどりもありません。
 思い立ったが吉日の勝手旅であります。

 が!

 1つだけ、どうにもならない相手がいます。
 そう、“お天気様” です。
 予定を組んでも、いざ出発の日が雨だと、テンションが下がるだけでなく、紙面にベストショットの写真を掲載できません。

 ということで、天気予報によっては、急きょ、取材日を変更することもあります。


 昨日の予報は、群馬全域に雨マークがつきました。
 本来なら取材日を変更するのですが、前日までの予報では “曇り” だったのです。

 「どうしますか?」
 心配するカメラマン氏に、
 「なんとかなるでしょう、僕らには取材の神様がついていると信じましょう!」
 ということで、早朝より電車とバスを乗り継いで、名湯・四万温泉へと向かいました。

 「勝負は午前中ですね。午後には広い範囲で雨雲がかかってきますから」
 と、スマホで雨雲レーダーを確認するカメラマン氏。
 「了解! 午前中に奥四万湖を一周しましょう」


 《絶景を見るための秘訣は、自然とひとつになることでした》

 覚えていますか?
 このテレビCM?

 女優の吉永小百合さんが、鮮やかなコバルトブルーの湖面でカヌーを漕ぐ、JR東日本 「大人の休日俱楽部」 のCMです。
 撮影場所は、四万温泉上流の奥四万湖。

 目が覚めるような青い湖水は、「四万ブルー」 と呼ばれています。
 なんとも神秘的な色であります。


 終点のバス停から、温泉街を歩き出しました。
 四万川対岸へ渡り、小泉の滝~大泉の滝をめぐり、ダム壁直下へ。
 一気に山道を登り、ダム堤から奥四万湖を一望。

 今日も今日とて、掛け値なしの “四万ブルー” が眼下に広がります。

 今は日光に照らされていますが、空を見上げれば、あやしい雲が……

 「さあ、急ぎましょう!」
 「時間との勝負です」

 取材の神様、僕らに微笑んでください!
 1周4キロ、約1時間の行程です。
 そこから温泉街まで、さらに1時間。

 神様、あと2時間だけ、ほほ笑み続けてくださいませんか!?


 さて、結果は如何に?

 無事、下山できたのでしょうか?
 温泉には入れたのでしょうか?
 湯上りのビールは?
 地酒まで、たどり着けたのか?

 その報告は、「ちいきしんぶん」 紙上、もしくはHPでご覧ください。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:12Comments(0)取材百景

2022年06月17日

女たちの無念が咲かせた花しょうぶ


 「いずれ菖蒲 (アヤメ) か杜若 (カキツバタ) 」
 といえば、区別がつきにくいことの例え。
 転じて、どちらも優れていて、優劣がつきにくいときに使う言葉です。

 確かに素人目には一見、見分けがつきません。

 さらに、ややこしいのは、菖蒲という字は 「ショウブ」 とも読むことです。
 アヤメとカキツバタを見分けるのでさえ難しいのに、ショウブまで加わると、三つ巴の難解となります。


 ただし一度覚えると、見分け方は意外に簡単なようです。

 まず、見られる場所が違います。
 アヤメは陸地、ショウブは水辺、カキツバタは水の中。
 そして、開花時期も異なります。
 カキツバタは5月中旬、アヤメは5月中~下旬、ショウブは6~7月中旬。
 ということは、今の時季に見られるのは、ショウブである可能性が高いということになります。

 ところが、これまた、ややこしい。
 今の時期、花を咲かせているのは、正しくはショウブではなく、「ハナショウブ」 といわれる別品種だということ。
 一般に、端午の節句に風呂に入れるショウブとは、まったくの別物です。

 ちなみに菖蒲湯のショウブはサトイモ科 (もしくはショウブ科) で、ハナショウブはアヤメ科です。


 そんな予備知識を入れ込んでから、さっそく行って来ました。
 「赤堀花しょうぶ園」 (伊勢崎市)

 まさに、今が見頃。
 紫や白、黄色の2万5000株のハナショウブが咲き誇っていました。


 えっ、観光なのかって?
 まさか! 仕事ですよ、仕事!
 業界でいうところのロケハン (ロケーションハンティング) です。
 ライターの僕にとっては、取材の一環であります。

 というのも、僕は昨年1月から伊勢崎市の民話を集めて、紙芝居にして上演する活動を行っています。
 ※(当ブログのカテゴリー 「神社かみしばい」 参照)
 ここ 「赤堀花しょうぶ園」 は、約800年前の農業用水路跡で国指定史跡 「女堀」 です。
 平成元(1989)年に伊勢崎市が公園として整備し、ハナショウブを植栽しました。

 僕の目的は、ハナショウブではなく、史跡のほうであります。
 そして、ここには、女たちが一夜で掘ったという伝説が残されています。
 ところが水は最後まで流れず、未完の水路で終わりました。

 咲き誇る美しいハナショウブの花々は、何千、何万という女たちの無念が咲かせたように思えてなりません。

 だから僕は、この話を後世に伝え残したいと思います。


 ※正確には、花びらの付け根で見分けます。
  アヤメは網目柄、ハナショウブは黄色い模様、カキツバタは白い筋があります。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:45Comments(0)取材百景

2021年10月16日

「クローズアップ」 掲載延期のお知らせ


 たびたびの変更で、申し訳ありません。
 明日、掲載が予定されていました読売新聞群馬版 「クローブアップ」 の記事は、紙面の都合で再度、延期されることになりました。


 読売新聞社より、下記のようなメールが届きましたので、ご報告いたします。

 ≪衆議院選挙の情勢変化に伴う紙面制作の計画変更により、「クローズアップ」 記事の再度1週間、掲載延期する運びとなりました。10月24日(日)の掲載を予定していますが、衆院選が終わる10月末までの間は、今後も延期となる可能性が高い見込みです。≫


 週刊や月刊と違い、日々発行する新聞は、まさに “生もの” 。
 鮮度が最優先です。
 限りある紙面ですから、同じ業界に携わる者としては、至極理解いたします。

 読者の中には、掲載を楽しみにしていた方もいたかもしれませんね。
 僕からもお詫び申し上げます。。


 ということですので、首をなが~くして、掲載される日を待ちたいと思います。
 掲載日が確定したら、また報告いたします。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:37Comments(3)取材百景

2021年10月08日

掲載日変更のお知らせ


 以前、新聞記者から何度となく取材を受けたことを書きました。
 その際、掲載日について10月10日と記載しましたが、その後、紙面の都合により掲載が1週間延長されるとの連絡がありました。

 よって掲載日は、10月17日(日)。
 読売新聞 (朝刊) の群馬版 「クローズアップ」 に掲載されます。

 訂正して、お詫び申し上げます。


 さて、内容についてですが、異例の取材となりました。
 「なぜ、温泉ライターになったのか?」
 「その、きっかけは?」
 「それ以前の仕事は?」

 と、“人生の逆回転” 取材を受けました。

 「学生時代は何を?」
 「子どもの頃は、どんな少年?」

 と、どんどん質問は過去にさかのぼります。
 そして、こんな質問も受けました。

 「今までに、どんな本を読んできたか?」


 これには、さすがの僕も驚きました。
 僕自身がライターですからね。
 過去には何千人と取材をしてきましたが、読書内容まで訊いたことはありませんでした。

 しかも、幼少期~学生時代~現在に至るまでの読書遍歴を事細かに訊ねられました。

 たぶん、記者個人の趣向による質問だと思うんですけどね。
 珍しい取材体験でした。

 だもの、とっても記事の掲載が気になります。
 ぜひ、みなさんも楽しみにして読んでください。


 ※取材風景については、下記のブログをご覧ください。
  2021年9月22日 「類友記者」
  2021年10月3日 「類友記者~ふたたび~」

 

   


Posted by 小暮 淳 at 11:12Comments(0)取材百景

2021年10月03日

類友記者 ~ふたたび~


 「段取りが悪くて申し訳ありません」
 先日、取材を受けた新聞記者から、また電話がありました。

 読者のみなさんは、覚えていらっしいますか?
 10日ほど前、温泉と日本酒が好きな若い記者から僕が取材を受けた話を?
 ※(当ブログの2021年9月22日 「類友記者」 参照)

 実は、その時、ちょっとしたアクシデントがありました。
 午前中の2時間、たっぷり取材時間を取ってあったのですが、あまりにも2人の嗜好が似ているもので、話が脱線して、盛りに盛り上がってしまったのです。

 僕と記者の歳の差は、37歳!
 なのに彼は、温泉が好きで (特に群馬の温泉)、日本酒が好きで (特に群馬の地酒) といいます。
 ということで、ついつい “取材” から離れて話が盛り上がってしまい、あっという間に所要時間が過ぎてしまいました。

 まっ、僕は、その日一日ヒマでしたから、あと何時間でも大丈夫だったのですが、売れっ子の若手記者は、次の取材アポが入ってました。
 「申し訳ありません。まだ写真も撮ってないんですけど、時間になってしまいました。もう一度、会っていただけますか?」
 と、脱兎のごとく、彼は姿を消したのでありました。


 そして昨日、その “リベンジ取材” の日が来ました。

 彼は開口一番、こんなことを言いました。
 「あれから小暮さんの本を全部、読みました!」
 「全部って?」
 「はい、図書館にある温泉関係の本、全部、借りました」
 「けっこう、あったでしょう?」
 「はい、10冊」

 彼の真面目さと熱意が伝わってきます。
 今までに何人もの記者から取材を受けてきましたが、「全部読んだ」 という記者は初めてです。

 「改めて本を全部読んだら、聞きたいことが、たくさんありまして……」
 と、記者らしく、僕の取材方法から原稿を書き上げるまでの過程まで、根掘り葉掘り聞かれました。


 でもね、うれしかったんです。
 親子以上に年の離れた若い記者が、そこまで熱心に取材相手のことを調べて、納得いくまでトコトン質問する姿が……
 逆に僕の方が彼の取材姿勢に恐縮、脱帽してしてしまいました。

 絶対、いい記事になるって決まってますって!
 今から掲載日が楽しみです。


 ☆記事は2021年10月10日(日) の読売新聞 (朝刊)、群馬版 「クローズアップ」 に掲載されます。
    


Posted by 小暮 淳 at 12:39Comments(0)取材百景

2021年09月22日

類友記者


 「○○新聞の××です」

 ケータイのディスプレイにも、そう表示されました。
 ということは過去に会ったことのある人です。

 聞き覚えのある名前だし……えーと、えーと……

 「以前、紙芝居を取材させていただきました」

 はいはい、覚えております!
 若い男性の記者さんですね。

 「その節は、大変お世話になりました」
 そう礼を言うと、
 「近々、小暮さんを取材させていただけますか?」
 「えっ、僕を?」


 ということで昨日、市内の喫茶店で記者と会いました。

 彼は九州の出身。
 新卒で大手新聞社に入社。
 最初の赴任地が群馬で、3年目だといいます。

 ということは、察するに20代半ば。
 若いはずです。
 僕とは、親子以上の歳の差があります。
 その彼が、また、なぜ、僕なんかを取材対象に選んだのでしょうか?


 まあ、一般の人よりは目に付く、派手な仕事をしていますから、新聞や雑誌からの取材を受けることは多々あります。
 でも、その場合、著書を出版したり、大使に任命されたり、大きな講演会をしたりと、何らかのアクションを起こしたときのスポット記事です。
 ところが今回は、どうも取材の主旨が違うようであります。

 「まず、高校を卒業したあたりから、お話を聞かせていただけますか?」

 ええっ? それって、もしかして、僕の半生を追うの?


 聞けば、日曜版の特集で、全文90行以上の記事になるといいます。
 たいがい、どこの新聞も1段に印字されている1行の文字数は11~12字ですから、なななんと! 1,000字越えの大きな記事になります。
 1,000字といえば、原稿用紙3枚弱ですぞ!

 こりゃ大変だ~!
 片手間に取材を受けるわけにはいきません。
 もっと身を引き締めて、真摯に受け答えをしようじゃありませんか!


 それにしても、なぜ、大新聞さんが、僕なんかをクローズアップして特集記事を組むのでしょうか?
 取材を受けるのは、まず、その疑問を解消してからです。

 「なんで、僕なの?」
 彼の返答は、たった一言でした。
 「はい、温泉と日本酒が大好きなんです! 小暮さんの本も持っています」

 おおおーーー!!!
 お若いのに、いい趣味をお持ちだ。
 温泉と日本酒だとは、実に素晴らしい!

 「ええ、ぜひ、群馬の温泉大使であり、地酒大使である小暮さんにお会いして、一度、直にお話を聞いてみたいと思っていました」


 ということで、たっぷり2時間の取材を受けました。
 なぜライターになったのか?
 なぜ温泉に興味を持ったのか?
 から始まり、著書や講演活動にいたるまで、たっぷりと話してきました。

 「小暮さんの生き方って、カッコイイですね」
 「えっ、カッコイイ?」
 「だって好きなことを仕事にして、しかもフリーでされているなんて」


 そんなことを取材された記者から言われたのは、初めてです。
 ちょっとカッコつけて、話しちゃいましたかね。

 ま、だったらカッコイイ記事にしてくださいな。
 掲載を楽しみにしています。


 “類は友を呼ぶ” ならぬ、“湯と酒は記者を呼ぶ” ようであります。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:29Comments(0)取材百景

2021年08月19日

する側とされる側の心理


 僕はライターですから、つねに取材を 「する側」 の人間です。
 ところが、ある日を境に、「される側」 の人間にもなりました。


 最初は平成9(1997)年の秋のこと。
 僕は、雑誌で連載していた記事をまとめた処女エッセイを出版しました。
 そのとき、新聞社より取材を受けました。

 「する側」 が 「される側」 になるという、なんとも不思議な体験をしました。
 いつもなら質問をする側なのに、質問をされて答えるという疑似体験のような感覚を覚えました。


 それから10年後、僕は温泉ライターとして、数々の温泉本を出版しました。
 すると方々から取材の申し込みが入るようになりました。
 温泉をテーマに、新聞や雑誌はもちろんのこと、だんだんとテレビやラジオの番組からも出演のオファーをいたたくようになりました。

 テレビではニュース番組のコメンテーターを、ラジオでは自分の番組のパーソナリティーを務めさせていただいたこともあります。


 では、「する側」 と 「される側」 の心理とは、相反するものなのでしょうか?

 これが、相乗効果が生まれることに気づきました。
 「される側」 を経験することにより、「する側」 の心構えが変わりました。

 たとえば……
 「こんなことを聞いてほしい」
 「こんな風に書いてほしい」
 という 「される側」 の心の声が聞こえてくるのです。

 また取材内容とは別に、雑談の中で、その人なりの個性を見つけることもあります。
 これも 「される側」 の心理を知ったからこそできる取材のテクニックだと思います。


 数年前のこと。
 僕は新聞社からの依頼で、さる東京に本社を構える大企業のCEOを取材することになりました。
 取材場所は、群馬県内の別荘。

 この時点で、僕の緊張は始まっていました。
 まず、相手が有名人であること。
 そして、大金持ちであること。
 (僕は貧乏人ゆえ、金持ちに対して多大なるコンプレックスを抱いています)

 それでも “自分は取材のプロだ!” と言い聞かせ、鼓舞しながら別荘へ向かいました。
 もちろん、CEOが直前に出版した著書 (自叙伝) は、しっかり読破してからの万全の取材です。


 ところが、別荘に到着すると、緊張はマックスを迎え、体がガチガチと震え出してきました。
 そうです!
 別荘を見て、生来の貧乏人の金持ちに対するコンプレックスが、弱音を吐き出したのです。

 暖炉のあるリビング、ふかふかのソファー、壁一面にそびえる書架……

 何もかもが、僕の日常と違い過ぎます。
 <きっと、何を聞いても答えてもらえない。鼻で笑われしまうに違いない>
 完全に僕は、 “いじけモード” に入ってしまいました。


 コーヒーが出される間、何気に書架を眺めている時でした。
 見覚えのある背表紙が目に付きました。
 しかも、2冊並んで……

 なんと、僕の著書 (温泉本) だったのです!

 「ありがとうございます。私の本も置いていただいて」
 と、ごあいさつすると、CEOの方が驚かれました。
 「えっ、この本の著者なんですか? 私は温泉が好きでしてね、群馬にいる時は、この本を参考にして温泉めぐりを楽しんでいるんですよ。うわぁ~、光栄だな! 大好きな本の著者から取材を受けるなんて! 今日は、よろしくお願いいたします」

 その一言で、一瞬にして僕の劣等感は吹っ飛び、温泉の話をきっかけに、その後の取材もスムーズにいきました。


 「する側」 と 「される側」 の心理とは、実に微妙で繊細なのであります。
   


Posted by 小暮 淳 at 10:36Comments(0)取材百景

2021年04月28日

酔っぱライター 東毛へ行く


 「趣味と実益を兼ねる」
 とは、誰もが理想とする生き方です。
 好きな趣味でありながら、かつ収入になるのですから……
 でも現実は理想のようには、なかなか成りません。

 「小暮さんは、いいですね。温泉に入って、お金になるんですから」
 と言われる方が、稀にいます。
 きっと、その人は、僕の長年の趣味が温泉に入ることで、趣味が仕事になったと思っているんですね。

 でも、まったく違います!

 事実は真逆で、ライターという仕事を続ける上で “温泉” に出合い、興味を持ち、取材を続けるうちに “好き” になったのです。
 ということは、一般の仕事と同じです。
 その世界に入り、続けるうちに興味が湧き、好きになることってありますよね。
 仕事って、そういうものだと思います。


 こんな言葉があります。
 <どんな仕事も好きか嫌いか分かるのに2年かかる。向いているか向いてないかは10年かかる。>

 これは最近読んだ小説の中で、主人公が老舗居酒屋の店主に言われた言葉です。
 まさに僕の場合、この法則に当てはまります。
 フリーのライターになって10年目に “温泉” に出合い、その10年後に “著書” の出版を始めました。


 でもね、1つだけ僕も “趣味と実益を兼ねた” 仕事があります。
 それは、「酔っぱライター」 です!(笑)

 酔っぱライターとは、その名の通り、酒を呑んで、文章にする職業のことです。
 これは完全に、趣味からの出発です。
 僕は、もう何年も前から県内の蔵元をまわって酒を呑み、居酒屋を訪ねて酒を呑んで、そのことを記事に書いてます。

 「好きこそものの上手なれ」 とは、よく言ったものです。
 好きなことは、他人にも伝わりやすいようで、2年前には群馬県酒造組合より 「ぐんまの地酒大使」 に任命されました。


 ということで、昨日は朝から両毛線に乗り込み、群馬の東へと芳醇な香りを求めて、“ほろ酔い旅” をしてきました。
 今回訪ねたのは、県内で初! 県内で唯一!の 「遠心分離搾り」 という画期的な製法で地酒を造っている蔵元です。
 ま~、その味の澄んでいること!
 他に類のない透明感のある酒を存分に、いただいてまいりました。

 ※この記事は、2021年6月4日号の 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) に掲載されます。
  


Posted by 小暮 淳 at 09:41Comments(0)取材百景

2021年02月10日

消えた日本一


 30年以上も昔のこと。
 昭和の終わりに、群馬県内のある場所が、“日本一” だということで、マスコミにもてはやされたことがありました。
 当時、タウン誌の記者をしていた僕もカメラを片手に、すっ飛んで行った記憶があります。

 「さて、しばらく噂は聞かないけど、今は、どうなっているんだろう?」
 と思い、ネットで検索をしてみると……
 「あれれ?」
 いくつかの記事は見かけますが、“日本一” をうたっていません。
 「これは、どういうことだ? この30年間で、あの町に、いったい何が起こったのか?」

 そう思ったら、もう居ても立っても居られません。
 「謎学ハンター」 の血が騒ぎ出しました。

 ということで、カメラマンを連れて、現地を訪ねてきました。
 すると!
 あれから、思わぬ騒動が勃発していたことが分かりました。


 群馬県某所。
 まずは、30年前に訪れたことのある “現場” を訪ねました。

 大きい! 見上げるほどの大きさで、そびえ立っています。
 その姿は、30年前と変わりありません。

 でも……
 ないのです!
 何がないって、町に入ってから、この場所に来るまで、一切、観光の案内看板がないのです。
 30年前は、凄かったですよ!
 新聞や雑誌、テレビまで来たのですから、その後、完全に町一番の観光名所となり、 “日本一” の文字が町中に躍っていたのです。
 なのに、まったくありません。


 さらに不思議だったのは、町の中だけでなく、現地の案内板からも、その名前が消されていました。
 「これは、絶対、何かある!」
 と感じた僕は、まず町の観光案内所へ行きました。

 すると……

 案の定、すべての観光パンフレットから、“その名” は消されていました。


 「じゃあ、役場へ行こう!」
 とカメラマンの車に飛び乗りました。
 「役場って、どの部署でしょう? 観光課ですか、文化財? いや教育委員会ですかね?」
 カメラマンの問いに、
 「どこでもいいよ。片っ端から訪ねてみよう!」

 その結果……

 「あっ、……少々、お待ちください」
 「ああ、それはですね……」
 どこも奥歯に物がはさまったような対応です。


 「絶対に知っていますよ。なのに隠している」
 「だね、みんな名前 (日本一の名称) を言うと、顔が引きつったものね」

 そして、待たされること約5分。
 若い職員が出てきて、こう言いました。
 「その件は直接、○○さん (土地の所有者) に聞いてください」

 もちろん僕らは、○○さんの自宅を探し出し、その足で訪ねました。
 そこで知らされた事実は……?


 申し訳ありません。
 せっかくカメラマンを連れて取材をしてきたのですが、記事としての掲載を断念しました。
 もちろん、このブログにも書くことはできません。

 では、この30年の間に何が起こったのか?

 まず、“日本一” ではなかったこと。
 (マスコミが、あおり過ぎたようです)
 そして、権利をめぐり、制作者と地主と町が三つ巴の争いになり、「すべては無かったこと」 にしたようであります。


 よって、裏話としては大変面白いのですが、ライターとして、このことを表に出すことはあきらめました。

 でも、講演ならば大丈夫かも?

 いつか、みなさんの前で、“消えた日本一” のてん末を、面白おかしくお話しできる時が来るかもしれません。
 その日まで、封印いたします。
   


Posted by 小暮 淳 at 13:21Comments(2)取材百景