2012年05月30日
猿ヶ京温泉 「小野屋八景苑」
僕は現在、ちいきしぶん(ライフケア群栄) に 『民話と伝説の舞台』 という連載を書いているくらいですから、その土地に伝わる民話や伝説を調べたり、集めたりするのが好きなんですね。
特に、現在でも残されている品、その伝説の舞台に住む人や子孫にあたる人々を探し訪ねることに、一番の楽しみを感じます。
で、昨日は、偶然にも、温泉の取材に行った先で、思わぬ “民話の舞台” と出合ってしまいました。
猿ヶ京温泉には、こんな民話があります。
<昔々、相俣村(現・みなかみ町) と呼ばれていた西川と赤谷川の合流するあたりには、河童が住んでいて、村の胡瓜畑が荒らされたり、馬を水浴びさせていると馬の足に飛びついて馬を驚かせたりしたので、村人たちは、
「河童には困ったもんだ。こらしめるために、ひっとらえるべえ」
と、相談していた。
ある日、相俣村の小野屋のお婆が赤谷川で小豆を洗っているとザルに河童がひっかかった。
「お前は悪さばかりするから、村の衆のところへ連れて行く」
とお婆が言うと、
「助けてくれたら、何でも効く膏薬の作り方を教えます」
と言ったため、お婆は草の根や葉の調合を河童から教えてもらった。
それからというもの、お婆の作る膏薬のおかげで、医者のいない村は大助かりしたという。>
で、この話に出てくる “小野屋” が、昨日訪ねた 「小野屋八景苑」 だったのです。
「確か、私の祖母までは、その薬が作れたといいますけどね」
と、ご主人の小野公雄さんは、話してくれました。
なんでも、代々小野家の嫁さんにしか教えてはいけない妙薬だったそうです。
すり傷、切り傷、やけど、腹痛、頭痛に良く効いたといいます。
「現在は、作れる人がいないのですか?」
「もう一度、カッパに教えてもらわないとね」
と、いうことで、困った村の衆は、カッパ公園に河童地蔵を建てて、毎年7月に 「河童まつり」 を行っています。
この河童地蔵を拝むと、ケガや病気が治り、泳ぎまで上手くなるといわれています。
赤谷湖に臨む、絶景の露天風呂には、ちゃんと薬壺を手にした可愛いカッパの像が立っていました。
その昔、小野屋のお婆がカッパと出合ったという場所は、今はもう、この湖の底です。
カッパも、まさかこんなにも自然が変わってしまうとは、夢にも思っていなかったでしょうね。
2012年05月28日
「ありがとう」 と言える温泉
先日、取材中にハッとさせられたことがありました。
それは、温泉旅館の女将が言った言葉です。
「こちらがお金をいただいているのに、お客さんの方から 『ありがとう』 って言っていただいたとき、ああ、この仕事をしていて良かったと嬉しくなります」
いつの世からでしょうか?
お金を払う人が、もらう人より偉くなってしまったのは・・・
「お客様は神様です」 なんて、三波春夫が言ったころからでしょうかね。
日本が高度経済成長の波に乗り、豊かになり出したころです。
「それ以前の客は違ったよ」 と言った温泉旅館の主人がいました。
昔の客は “泊めていただく”、
今の客は “泊まってやる” なんだそうです。
「温泉が、ありがたかった時代の話ですよ」
と笑った主人。
でも、似たような話を、このところ取材先で、いっぱい拾ってきました。
「温泉があるだけで、人が来たからね」
「廊下でもいいから泊めてくれっていう客が大勢いたよ」
「今じゃ、風呂が小さいの、料理がまずいの、サービスが悪いの・・・帰った後までネットに悪口を書かれる始末です」
そんなときに出合った、客が言う 「ありがとう」 の言葉。
とっても、新鮮でした。
本来、物々交換であれば、その対価は同等です。
売るモノやサービスと、支払う金額は対等なのですから、どちらの人間が偉いなんてことはありません。
互いが満足できれば、どちらからも 「ありがとう」 の言葉が出ていいはずです。
モノを売ってくれて、「ありがとう」。
サービスをしてくれて、「ありがとう」。
そして、いい湯を守ってくれて、「ありがとう」。
お金を払う人の 「ありがとう」 が、もっともっと増えると、
この国は、もう少し住みやすくなるかもしれませんね。
2012年05月27日
今年も生きてた
今日は、オフクロの誕生日でした。
と、昨日、家内が教えてくれました。
お恥ずかしい話、僕は親の誕生日が、いまだに覚えられないのです。
毎年、毎年、頭に叩き込むのですが、また1年が経つと忘れてしまいます。
ですから、いつもは過ぎてから、
「あれ? 確か、昨日がオフクロの誕生日だったんだよな」
なーんて、ことになっていました。
でも、今年はギリギリ、セーフ!
「明日、おばあちゃんの誕生日よね」
と、内助の功が教えてくれたのでした。
「で、おばあちゃん、いくつになるの?」
「えーと、昭和2年生まれだから……85か!」
そーです。
日本人の平均寿命が、男性79.64歳、女性86.39歳ですから、もう少しで女性の平均に追い付きます。
(オヤジは、今年88歳ですから、とっくにクリアしています)
でもね、オフクロの85歳というのは、息子としては実に信じられないことなのです。
若い頃から病弱で、入退院をくり返していた人ですから、まさかこんなにも、長生きをしてくれるとは思いませんでした。
30代も40代も大病をして、大きな手術を2度もして、運動会へも見に来てもらえず、前橋まつりの鼓笛隊パレードも見てもらえず、ずいぶんと淋しい思いをしたものです。
ですから、子ども心に 「僕の母さんは、そのうち死んじゃう」って、いつも思っていましたもの。
それが晩年になったら、すべての病魔が体から出て行ってしまったようで、“山は登る”“合唱団に入る”“俳句は詠む”・・・と、それまでの人生を取り戻すかのように、謳歌しはじめたのであります。
で、本日、85回目の誕生日を元気に迎えました。
ま、だからって、何かプレゼントを買ってやったわけではありませんけどね。
電話を入れようと思っていたら、オフクロのほうから先に 「買い物へ行きたいから、連れてってほしい」 との電話をもらってしまい、半日、運転手と荷物持ちをしてあげたくらいです。
オフクロをオヤジの待つ実家に送り届けて、あらためて
「おめでとう」って言ったら、
「今年も生きていたね」 と、ポツリ。
「なんていうこと言うんだい! 当たり前じゃないか。まだ平均寿命には追いついてないぜ!」
と僕が返すと、
「去年までは、そんなこと思わなかったんだけどね。歳をとると、だんだん1年1年がしんどくなるんだよ」
と、今までになく弱音を吐きました。
「どこも悪いところないんだからさ、大丈夫だよ」
「ああ、お父さんを見送ってやらなくっちゃね。お前たちにも迷惑がかかるしさ」
そーだよ、頼むよオフクロさんよ!
あのボケ老人を置いて行かないでくれよな!
2人とも、どんなに長生きしてもいいですから、その順番だけはよろしくお願いします。
2012年05月26日
やったぜ!4刷、祝い酒だ~! !
365日、酒は欠かさず飲んでいますが、どうせ飲むなら楽しい酒がいいですね。
それも、できればメデタイ酒が!
それもそれも、そのメデタイ事が自分のことだと、なお嬉しいですなっ。
と、いうことで、昨晩は、“美酒” に酔いしれてきました。
場所は、JR新前橋駅近くの海鮮居酒屋 「T」。
集まったのは、僕の著書 「温泉シリーズ」 を手がけてくださっている出版元の編集者Tさんと、アートディレクターのKさんです。
で、何の “祝い酒” かというと・・・
2009年9月に出版した僕の温泉シリーズ最初の著書 『ぐんまの源泉一軒宿』。
初版から2年8カ月が経ちましたが、その間に2回の増刷をしています。
が、
このたび、
またまたまた、
増刷が決定いたしましたーーーーーっ!!
ありがとうございます。
これも、ひとえに読者あっての増刷であります。
2冊目、3冊目とシリーズを上梓するたびに、相乗効果なのでしょうか?
第1作目の本が、売れるのであります。
と、いうことで、来月上旬には奥付に “第4刷” と印刷された 『ぐんまの源泉一軒宿』 が書店に並びます。
すでにお持ちの方も、ぜひ、店頭で手に取ってご覧ください。
また、不幸にも、まだお持ちでない方は、この機会にご購入くださいますよう、お願い申し上げます。
「カンパ~イ!」
「おめでとう!」
「目指せ、10万部!」(そりゃ、無理だろう…)
本を企画した人、本を書いた人、本を発行した人が、同じ目標に向い、達成し、喜びを分かち合っての祝い酒です。
おまけに3人が3人とも、負けず劣らずの酒豪ですから、急ピッチでメートルが上がっていきました。
生ビールのジョッキが、1杯、2杯、3杯・・・
冷酒の徳利が、3本、4本、5本・・・
いつしか話題は、群馬の “ブランド力” について、熱く語られていました。
「やっぱり、群馬は温泉しかない!」
「香川が、うどんで全国区になったのだから、群馬は温泉1本で勝負すべきだよ」
「そーだ、映画 『UDON』 のように、群馬も映画 『ONSEN』 を作ればいい!」
すべて、酔っ払いのたわ言であります。
ついには、俳優のキャスティングまで妄想がふくらみます。
「もちろん、脚本は小暮さんに書いてもらいます」 とTさん。
「じゃあ、主人公は温泉ライターの僕ですね。えーと……、役者は、名前が似ているということで、小栗旬でお願いします」と、僕。
「私の役は、生瀬勝久さんでお願いします」とTさん。
生瀬ですか、いいですねぇ~。ベストセラーを世に出す敏腕出版部長のイメージがありますよ。
「私の役は、誰でしょうかね?」とKさん。
すかさず、僕が、その風貌から連想して、
「もちろん、名バイプレーヤーの六平直政に決まっているじゃないですか!」
「いいかも、知れない・・・」と、本人もご満悦の様子です。
話は、どんどんとエスカレートしていきます。
温泉旅館の大女将に、野際陽子。
主人公が、想いを寄せる美人若女将に、綾瀬はるか。
町おこしに温泉を掲げる熱血町長に、西田敏行・・・、などなど。
でも、僕個人としては、石原さとみちゃんを、どこかで起用してほしいんですけどね。
主人公の温泉ライターと組んで仕事をするカメラマン役なんて、どーでしょうか!?
気が付けば、テーブルの上は、きれいに海の幸を平らげた皿と、ゴロゴロと横たわる徳利の山・・・
50歳を過ぎた大人たち(1人、還暦がいますが…) の飲み方じゃありませんって。
でも、いいじゃ、ないですか。
こうやって、楽しく仕事で遊べているわけですから。
2012年05月24日
四万ライブ 参加者募集中!
昨年の7月に開催された「四万温泉オヤジバンドフェスティバル」から、早くも1年が経とうとしています。
今年は、『レトロ通りの懐かしライブ』 とタイトルを替えて、来たる6月30日(土)、四万温泉の昭和レトロが漂う「落合通り」をライブ会場にして、フェスティバルを開催します。
現在、四万温泉協会では、当日の参加バンドを募集しています。
四万温泉 『レトロ通りの懐かしライブ』
2012年6月30日(土) 11時~16時
会場:四万落合通り
出演者:一般公募バンドほかアーティスト
☆参加者募集中!☆
●応募資格
年齢、ジャンル、性別、演奏スタイルは問いません。
●応募方法
写真とCD・MD・DVD等(2曲ほど) に応募申込書をそろえて実行委員会まで送付してください。
※すべての応募書類・作品については返却いたしませんので、ご了承ください。
●審査
選考会にて出演者を選出し、6月初旬に合否結果を応募者に送付いたします。
●応募先
〒377-0601 群馬県吾妻郡中之条町四万温泉
四万温泉協会 「レトロ通りの懐かしライブ」 係
●応募締め切り
2012年5月31日(木) 必着
※出演時間30分(準備・転換込み)
※演奏場所:四万落合通り(3会場を予定、指定はできません)
※バンド形式・人数によっては使用できない会場もあります。
※機材は1会場につきマイク3本、スピーカー(簡単なPA)のみ用意いたします。
※会場は非常に狭い通りですので、機材車の通行はできません。
(300m手前の駐車場をご利用いただき、台車等で各自搬入してください)
※当日の集合時間などイベント詳細につきましては、合格者の方のみに通知させていただきます。
※参加者または応援の方に宿泊割引があります。詳しくは四万温泉協会へお問合せください。
●お問合せ
四万温泉協会 「レトロ通りの懐かしライブ」実行委員会
TEL..0279-64-2321 E-mail : shima@bay.wind.ne.jp
当日は、僕もアーティストとして出演します。
みなさん、ふるってご応募ください!
2012年05月23日
向屋温泉 「ヴィラせせらぎ」
今年で4年目を迎えたNHK文化センターの温泉講座 「続探訪!ぐんまの小さな温泉」。
本年度の第2回目講座は、昨日、上野村にある向屋(こうや)温泉「ヴィラせせらぎ」 へ行ってきました。
受講生にとっては、念願の温泉です。
というのも、平成22年度の8月スケジュールに組まれていたのですが、その時期は御巣鷹山事故の遺族らや学生の合宿が多いとのことで、急きょ中止となり、先送りされていたのです。
今年度は、時期をずらして5月の講座で訪ねることにしました。
午前8時30分。
前橋駅前を出発したバスは、高崎駅前で残りの受講生を乗せて、一路、上野村へ向かいました。
現在、上野村へは、上信越自動車道の下仁田ICから南牧村の湯の沢トンネルを通って上野村へ入る道が最短で一般的ですが、今回は、あえて藤岡経由で、旧鬼石町~旧万場町~中里村を通る神流川(かんながわ)沿いの道をゆっくりと、新緑の山並みを愛でながら行きました。
心配されていた雨も、午前いっぱいはなんとか我慢してくれたようで、白水の滝(神流町魚尾) や蛇木の滝(上野村新羽)、龍神の滝(上野村野栗) と滝めぐりを楽しんだ後、向屋温泉へ到着。
「ヴィラせせらぎ」 は、たびたび雑誌や本の取材で訪れている宿です。
上野村にある4つの温泉(うち1つは日帰り施設) のなかで、一番新しい温泉です。
開湯は、平成8年。
毎年行われる、日航機事故の慰霊祭に訪れる遺族や関係者のための宿泊施設も兼ねて建てられました。
この温泉の特筆すべきは、そのPH(ペーハー)値の高さです。
PH値とは、水素イオン指数のことですが、この数値が少ないと酸性、多いとアルカリ性が高いことを示します。
で、ここの数値はPH10.5 (最新の分析書では、9.7でした)。
僕が知る限り、県内トップクラスの強アルカリ性泉です。
それゆえ加水がされていますが、それでも内風呂の湯は、ヌルリとした独特の浴感を楽しめることができました。
もう1つ、特筆すべきは、ここの料理なんですね。
低料金(国民宿舎ですから) の宿のなのに、料理が良いのが評判です。
イタリアンレストランが併設されているので、料理も和洋折衷が売り。
昨日の昼食も、特産の猪豚ソーセージなどのオードブルやグラタンからはじまり、ウドやワラビの和え物、漬け物と幅広いメニューに、受講生らは大満足でした。
「料理がいいと、酒が進みますね」 と、当講座一の飲兵衛Nさんは、いきなり日本酒で飛ばしています。
「さあ、先生も、どうぞどうぞ」 と勧められて、ビールを飲んでいた僕ですが、
「そーですか、悪いですねぇ~」と、相伴にあずかってしまいました。
銘柄は、藤岡市の地酒 「三波石」 です。
コシアブラの天ぷらや刺身こんにゃくに、良く合いますねぇ~!
これだから、温泉講座は楽しい!
今年の講座は、まだ始まったばかり。
受講生のみなさん、来月もよろしくお願いしますね。
2012年05月21日
職業を語らない人々
ここ数年のことです。
名刺交換の際に、「あれ? なんじゃ、この名刺は?」
と不思議に思うことが多くなりました。
仕事上の正式(?)な名刺交換の席では、まずありえないのですが、講演やセミナー、著書の販売サイン会、または飲み屋で、不特定多数の人から手渡される名刺に、意味不明な “肩書き” が付いていることがあるのです。
それは、どう見ても 「職業」 ではありません。
○○会会長、××クラブ代表
といった、趣味のサークルやボランティア団体の肩書きが刷られた名刺です。
この場合、「なんですか、この団体は?」 と聞き返すのも失礼ですから、そのままになってしまいますが、当然、素性の知れないこの手の名刺は、僕の名刺ホルダーの中に納めるわけにはいきません。
その他大勢の名刺入れへ、ポイっと投げ入れてしまいます。
昔では考えられなかったことです。
“名刺” は、 その人の顔、会社や仕事の看板ですから、的確に情報を相手に伝えなくてはならないモノです。
当然、印刷代もかかっていますので、むやみやたらに、ばらまくわけにはいきませんでした。
それが最近は、素人でも簡単にパソコンで “名刺” が作れてしまいます。
でも、遊びの名刺は、遊び仲間同士で交換するもので、こちらが 「本業」 を名乗っているのに、“遊び名刺” を渡すのは失礼な行為ではないでしょうか?
実は、これ以外にも、意味不明名刺を出す人は、けっこういます。
○○ライター、××ソムリエ、△△コーディネーター ・・・などなど
一見、真っ当な職業のようで、こちらが鵜呑みにして
「そーですか、大変なお仕事ですね」
と言葉を返すと、
「いえいえ、これは副業でして。実は、こちらが本業で……」
と、別の名刺を渡されたりします。
?????・・・
まったくもって、意味が分かりません。
だったら最初から、本業の名刺を出してくださいよ。
僕が突っ込みを入れなかったら、そのまま最初の名刺の職業を通すつもりだったのでしょうか?
事情を聞けば、会社の名刺では自宅の住所や電話番号、メールアドレスが入っていないので、オリジナル名刺を持ち歩いているとのことでした。
だったら無理して、無理やり肩書きなんて付けなくてもいいじゃありませんか!
堂々と肩書きなしの名前だけの名刺を渡してください。
で、僕が考えるに、“サイド名刺” を持っている人は、圧倒的に勤め人が多いですね。
フリーランスの人は、まず持っていませんって。
プロ意識を持って、自分の仕事をアピールしますからね。
もっと自分の仕事に自信を持って、よろしいんじゃないですか!
堂々と、自分の正体を明かしてくださいよ。
人は、肩書きでは、左右されないものです。
今後、その人とお付き合いするかどうかは、その人が魅力のある人か、どうかです。
以前、さる女性から、
「主婦」
と書かれた名刺をいただいたことがありました。
これは、お見事でした。
プロ意識を感じます。
2012年05月20日
さよなら、Qさん
直木賞作家で経済評論家の邱永漢(きゅう・えいかん)先生が16日午後、心不全のため亡くなられました。
88歳でした。
僕が先生にお会いしたのは、過去にたった1回だけです。
会ったといっても、先生の講演会を聴講したことがあるというだけです。
それも、もう10年以上も前の話です。
それが、昨年10月のこと。
突然、先生の事務所から連絡があり、
先生が 「小暮様の公式ブログを拝読し、感銘をされ・・・(中略)・・・つきましては」
とのお話しがあり、昨年の11月から先生のサイトにて週2回(水曜日と土曜日)、 『温泉で元気』 というコラムを書かせていただくことになりました。
まったくもって、誰がどこで、読んでいるか分からないものです。
あの時は、改めて “ブログの力” を思い知らされました。
おかげさまで、現在、僕のコラムも順調に回を重ねております。
昨日で、第50回を迎えました。
これも、ひとえに、毎回読んでくださっている読者のみなさんと、編集してくださっている編集者さんのおかげだと感謝しております。
そして、一地方の温泉ライターのブログを見つけてくださり、執筆の機会をくださった邱永漢先生に、何よりお礼を申し上げます。
先生、本当にありがとうございました。
先生のご厚意を無駄にせぬよう、これからも地道に真面目に、そして楽しく、温泉について書き続けていく所存であります。
先生のご冥福を心よりお祈りいたします。
※邱永漢先生のコラムサイト 「ハイハイQさんQさんデス」(http://www.9393.co.jp) および小暮淳のコラム 「温泉で元気」 は、当ブログ内の 「お気に入り」 からも閲覧することができます。
2012年05月19日
半出来温泉 「登喜和荘」②
“ああ、僕はこの一瞬のために、この仕事をしているんだ”
と思える瞬間があります。
昨日は朝から、嬬恋村の半出来温泉「登喜和荘」へ行ってきました。
いや、正確に言うならば、2代目主人の深井克輝さんに会いに行ったのです。
「小暮さん、NHKテレビに出ていましたね。見ましたよ。いつぞや、パチンコ屋の広告を送っていただき、ありがとうございます」 と主人。
パチンコ屋の広告とは、以前、某パチンコ屋のチラシ企画で、インタビューを受けたことがあり、そのチラシの全面に僕の入浴シーンが掲載されたことがあったのです。
その写真というのが、このブログのタイトルバックに使用されている半出来温泉の混浴露天風呂でした。
(ご存知、樽風呂に僕が浸かっている写真です)
で、昨日、久しぶりに宿を訪ねてみると、しっかりと浴室へ向かう廊下に、このチラシが貼ってありました。
ご主人、ありがとうございます。
「実は、今回は、ご主人にお願いがあるんですよ。
僕と一緒に、風呂に入っていただけませんか?」
と、ぶしつけながら、恐る恐る聞いてみると、
「ああ、いいよ」
と、いとも簡単にOKをいただいてしまいました。
ありがとうございます。ご主人!
「ならば、ご主人の気の変わらないうちに、撮影を済ませてしまいましょう」
とカメラマンを促し、3人で露天風呂へ。
いやいや、相変わらずの絶景であります。
ツツジ、アヤメ、オダマキが咲き誇る庭園を、まっ裸で歩き回る解放感ったらありません。
「もう少しすれば、シャクヤクの花がキレイに咲きますよ」
と、先に樽風呂に沈んだご主人。
では僕は、隣の升風呂のほうへ・・・
「いいですねぇ、ふたりとも体を向かい合わせてください。
はい、そーです。バッチリですよ!
後ろの吊り橋も、ちゃーんと入りました」
と、カメラマンの言葉どおり、会心のベストアングルの撮影ができました。
実は昨晩、僕とカメラマンの I さんは、ふたたび酒処 「H」 に集合したのです。
いい仕事をすると、ただそれだけの理由で、祝杯を挙げたくなるものです。
仕事って、そーいうものなんですよ。
で、さっそく I さんは、昼間撮影した写真のプリントを持ってきました。
「うわ~、いい写真だね~」
「筆者とご主人が一緒に入浴している写真なんて、珍しい!」
「小暮さんじゃなければ、できない取材ですね」
と、カウンター席の常連客やママからも声が上がりました。
新緑に囲まれた渓谷の中、むさくるしいオヤジが2人、楽しそうに語らいながら温泉に入っています。
その後ろには、白い吊り橋が写っていて、なんとも秘湯の雰囲気を盛り上げているのです。
「では、カンパイ!」
写真を眺めながら、キーンと冷えた生ビールを、思いっきり乾いたノドにぶつけてやりました。
ひええええ~、たまりませ~ん!
ああ、この瞬間ですよ、この瞬間!
僕は、この一瞬のために仕事をしているのだと、実感しました。
満足いく仕事をしたあとの一杯ほど、ウマイものはありませんなぁ~。
(※半出来温泉「登喜和荘」の記事は、6月6日の朝日新聞群馬版 『おやじの湯』 にて掲載されます)
2012年05月17日
43年ぶりの 「小暮くん!」
こんなことって、あるんですね。
先月、NHK総合テレビに出演したとき、たくさんの人から電話やメールをいただき、取材先で会う人からも声をかけていただきました。
また、このブログでも、思わぬ人(高校の同級生) から連絡があった話を紹介しました。
実は、またまた、思いも寄らぬ人から電話をいただいたのです。
今回は、高校時代なんて、もんじゃありませんよ。
僕が小学生の頃に、お世話になった人からです。
おととい、群馬テレビのニュース番組「ニュースジャスト6」に、コメンテーターとして生出演して家に帰ったときのことです。
夕食を済ませて、午後8時頃に仕事部屋へもどると、電話が鳴りました。
家の電話です。
ナンバーディスプレイの画面は、名前を表示しません。
初めて目にする番号です。
「もしもし、そちらは小暮淳さんのお宅でしょうか?」
かなり年配の婦人の声です。
しかも、上品でとても丁寧な口調でした。
「はい、そうですが・・・」
「たぶん私のことなんて、覚えてはいないでしょうが、実はわたくし、○○小学校で小暮淳くんの担任をしていた△△といいます」
えっ、ええええええええーーーーーーっ !!!!!!!
覚えているも、いないもありませんって。
僕の特技は、高校までの学年別担任教師の名前をフルネームで言えることなんですから!
しかも、△△先生といえば、小学校の4年と5年の担任だった、キレイな女の先生ですよ。
6年生のときは、もう先生は他の小学校へ行ってしまっていませんでしたから、もし、声の主が本当に本人ならば、なななんと! 43年ぶりの教師と生徒の再会であります。
「△△××子先生ですか !?」 と、半分信じられない気持ちで、問い返しました。
すると、声の主は、
「そうよ、私のことを覚えていてくれたのね。ありがとう、うれしいわ」
と、言うのですが、思えば、実はその逆のほうが驚くべきことです。
だって、教師は現役時代に、何千人という生徒と出会っているわけですよ。
それに対して、1人の生徒が生涯に出会う教師の数なんて、たかが知れています。
しかも、担任となれば、小学校~高校までに出会う人数なんて、10人足らずです。
当然、先生が僕のことを覚えていたことのほうが、奇跡ではないでしょうか!
しかも、どこで、どう調べたのか、現在の僕の住んでいる家に、こうして電話をかけてきている不思議・・・
「あ、あの……。先生どうして、僕のところへ……?」
すると先生は、電話をかけるまでのいきさつを話してくれました。
その日、夕方のニュース番組を見ていたら、温泉ライターが出ていて、コメントをしていた。
小暮淳・・・?
昔、昔の教え子に、「確か、同姓同名の男の子がいたなぁ」と思い、画面を良く見ると、その笑顔に当時の面影があった。
「この人は、絶対に私のかつての教え子の小暮くんだ!」と確信し、電話帳で名前を調べて、勇気をふるってかけたのだという。
「先生、よく僕だって、分かりましたね」
「だって、笑顔があの頃の小暮くんだもの」
先生は、43年前のことを、ついこの間のことのように話します。
「あと、どんな子がいたかね?」
「Hくんは、高校野球の監督となり、甲子園へ行きましたよ」
「ああ、印刷屋の子だったよね」
「Fさんは、中古車さんの社長婦人になっています」
「おうちが、お店をやっていた子ね」
と、先生の記憶の良さに、驚かされることしきりです。
先生は、いったい、おいくつになられたのでしょうか?
女性に歳を聞くのは失礼なので、やめましたが、当時が30代だったと思いますから・・・
うーん、70歳は充分に超えているはずです。
でも、お元気そうでなによりです。
そして、思わぬ声の再会に、感謝を申し上げます。
先生の 「小暮くん」 っていう言葉の響きが、とってもなつかしくて、うれしかったですよ。
先生! 本当に、本当に、ありがとうございました。
2012年05月16日
ムカデ、むかで、百足三昧
以前、僕が伝説 「赤城と日光の神戦」 について調べていることを書きました。
一般的には、赤城山の神様はムカデで、日光二荒山(男体山) の神様はヘビということになっています。
ところが、赤城山北麓の老神(おいがみ)温泉だけは、赤城の神がヘビとして祀られているのです。
なぜ、入れ替わってしまったのか?
その真相を探るべく、今日は、赤城東南麓に残る根強い “百足(むかで)信仰” を追ってきました。
(「赤城と日光の神戦」については、当ブログの2012年4月25日「入れ替わった神様」参照)
午前10時、前橋市内をスタートして、まずは全国に334の分社を持つ赤城神の総本社、前橋市三夜沢の「赤城神社」へ参拝。
取材の安全と無事を祈願しました。
通称、南面道路(R353)を走り、旧新里村(桐生市新里町)板橋にある「赤城の百足鳥居」へ。
この鳥居は、赤城山の東南の参道として天明2年(1782)に建てられた、安山岩製の稲荷鳥居です。
社殿はなく、赤城山を御神体としています。
で、この鳥居には、ムカデの彫刻が施されているのです。
そして、この周辺の人たちは、神の使いであるムカデを決して殺すことはなかったと伝えられています。
次に向かったのは、同じく旧新里村山上にある「山上城跡公園」です。
この公園には、とても珍しいムカデとヘビのレリーフがあります。
かつての城の構造が描かれた案内板の隣には、
“むかしむかし、赤城山の神様の大むかでと日光男体山の神様の大蛇(おろち)とが争いましたとさ”
と書かれ、からみ合う大きなムカデとヘビが石に刻まれています。
(ヘビの目は×印になっていて、赤城山の神のほうが強いことを表しています)
午後は太田市へ移動し、西矢島の「赤城神社」へ。
ここには、本殿の扉の左右に、ムカデが描かれているといいます。
が、行ってみると、氏子がいるのかいないのか、社殿は荒れはてていました。
また、社殿周りには、それらしきムカデ絵は見当たりません。
僕とカメラマンの行動を不審に感じたのか、敷地内の公民館にいたオジサンたちが3人出てきました。
「これこれ、しかじか、なんですよ」
と僕が説明すると、
「確かに、ムカデを祀っているという話しは聞いたことはあるが、そんな絵は見たことないな~」と、3人が3人とも地元で生まれ育ったが、知らないと言います。
「もしかしたら、“扉絵”というんだから、本殿の中かもしれんぞ」
と言って、社殿の入口を開けてくださいました。
僕に続いて、カメラマンが入ります。
中は荒れ放題で、砂ぼこりが舞い上がります。
奥に本殿が鎮座しています。
近寄って扉を見ると・・・
「これかな……、うん、ムカデに見えるよ」と僕。
「そーですね。だいぶ風化して色が落ちていますが、ムカデのようですね」とカメラマン。
絵が薄過ぎて、写るかどうか分かりませんが、とりあえず写真を撮ってもらいました。
氏子(?)らに、お礼を言い、太田市を後にしました。
正直言って、ちょっとガッカリです。
保存状態が、悪過ぎました。
日が西に傾き出すころ、僕らは館林市に着きました。
今度こそは、スクープを!
オイラの心のド真ん中に、強烈なストレートパンチが欲しいものです。
はやる気持ちを抑えつつ、ファイナルステージの館林市足次の「赤城神社」へ。
ここには、“むかで絵馬” が奉納されています。
社殿を覗き込むと、確かに社内の壁には、ムカデが描かれた大きな絵馬がかかっていました。
絵馬は、①「ムカデはお足(お金)が多いので、お金が貯まるように」、②「ムカデは子どもをたくさん産むので、子宝に恵まれるように」 との願いが込められています。
そして、社殿の胴回りや梁(はり)には、いくつもムカデの彫刻が施されていました。
それはそれは、見事な “むかで彫刻” であります。
「これならバッチリですよ」と、夢中になってカメラマンはシャッターを切っていました。
「ああ、立派なムカデの彫刻だね~」と、僕も大満足です。
赤城山東南麓の人たちは、昔からムカデが出ると、
「赤城のお山へ、お帰り」 と言って、家の外へ逃がしてやるそうです。
また赤城神社の周辺には、「百足塚」も多く見られます。
さて、赤城の神は、ムカデか、ヘビか?
いよいよ、真相に迫ります!
(6月22日発行の「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) に掲載予定)
2012年05月15日
ハタチに乾杯
昨日、僕の息子が20歳の誕生日を迎えました。
夕食の席で、
「誕生日なのに、一緒に祝ってくれる女性(ひと)は、いないの?」
などとデリカシーのないことを言うのは、決まって女親なのであります。
「そんなことは、どうでもいいんだよ!(これだから女親は男の子に嫌われるんだ…)」
と、ついつい僕も大声を上げてしまいました。
僕の息子だから、モテないわけがありませんって。
ちょっと前までは、確かに彼女がいたような気配がありましたもの。
たまたま、20歳の誕生日を迎えた日に、彼女がいないことだってあります。
僕だって、すーーーーーっごくモテたけれど、20歳の誕生日は1人だった記憶があります。
だもの、息子だって、たまたまだったんだと思います。
20年前の今日。
僕は雑誌の取材で、早朝から野球場にいました。
その前日の夜のこと。
家内が産気づいたため、彼女を車に乗せて病院へ連れていきましたが、すぐには産まれそうもありません。
翌日が早いということもあり、僕は家内をあずけて、看護士さんに10円玉を1枚渡して帰りました。
これは、「生まれたら電話をください」 という意味です。
そして・・・
夜中に電話が鳴り、出ると
「おはよう、 まだ寝てるの? 遅刻するわよ!」
家内本人の声です。
しかも時計を見ると、午前4時。
「うわ~~っ、取材に遅れる~! 起こしてくれてありがとう」
あれ?
待てよ。
なんで家内なんだ?
そーだよ、子どもだよ!
子どもは、どーした?
と、聞けば、
「昨日のうちに産んだわよ」
だって!
どうも、看護士さんが、電話をするのを忘れてしまったらしいのです。
「で、どっちだ?」
「男の子よ」
と、聞いた瞬間、涙があふれ出た記憶があります。
第一子が女の子だっただけに、待望の男の子です。
しかも、小暮家にとっても、家内の実家にとっても、両家初の男の孫が誕生です。
これで、キャッチボールができる!
これで、釣りにも行ける!
これで、山登りができる!
その日は1日、会う人会う人に 「男の子が生まれたんですよ」 と、有頂天になって報告しまくっていました。
なんだか、世界中の幸せをひとりじめした気分だったのです。
おかげさまで、僕はあの日から今日まで、息子と本当にたくさん遊びました。
時間があれば、キャッチボールやサッカーをして、
休みの日は毎週、山を歩き、
夏になれば、海や川や釣り堀へ行って釣りをしました。
彼が中学生のときは、照れる息子を説得して、離島へ“父子の2人旅” まで行きました。
もう、父が息子にして上げられる遊びという遊びは、すべて一緒に楽しんできました。
でもね、あれ?って思うときがあったのですよ。
「これって、オヤジが僕にしてくれてたことだ」って・・・
そうなんです。
子は親の背中を見て育つといいますが、“遊び”も同じで、くり返されるんですね。
父から子へ、そして孫へ・・・
昨晩、仕事を終えて階下へ降りていくと、リビングで息子が1人でテレビを見ていました。
僕は冷蔵庫から、ビールを1本取り出して、息子に言いました。
「飲むか?」
少し遅れて、「ああ」
グラスとグラスを合わせて
「おめでとう」 と僕。
少し遅れて、「ありがとう」 と息子。
父親なんて、それしか言えませんって。
それだけで、僕の後を、海や山で追いかけていた小さな彼の姿が浮かんできてしまい、まともに息子の顔なんて見られませんでした。
彼は、そんな父を知ってか知らずか、深夜のお笑い番組を見て、バカ笑いをしています。
でも、それで、いいんですよ。
父から子へ、そして孫へ・・・
僕は酒を飲みながら、彼が自分の子どもと、山や川や海で遊ぶ姿を思い浮かべては、目頭を熱くしていました。
2012年05月14日
文章は寝かせて待て
先日の講演会で、質疑応答とは別に、個人的に僕に質問をしてきた男性がいました。
「文章を上手に書くコツってありますか?」って。
その人は専門職についていて、その分野のことを定期的に書いてほしいと、新聞社から執筆の依頼を受けたらしいのです。
もちろん、その分野の知識はあるのですが、執筆となると苦手のようす。
話を聞くと、「どうしても自分が納得する文章が書けない」 とのことでした。
実は、この手の質問は、よくされます。
まあ、僕がライターということで、「何かアドバイスを・・・」 ということなのでしょうが、僕にだって、そんな “コツ” なんて持っていません。
あるなら、こっちが教えてほしいくらいです。
ただ、この手の質問をされた場合、必ず僕は、こう返します。
「文章は、寝かしたほうが、いいですよ」 と・・・
新聞記者のように、スピードを求められる文章は別ですが、エッセーやコラムなどの場合は、「余裕を持って書く」 ことが大切です。
要は、締め切りギリギリになって書かないこと!
僕は、どんな原稿でも、最低2日以上は執筆と入稿の間を空けます。
締め切りまでに余裕がある原稿ならば、1週間前くらいには書いて、放っておきます。
この 「放っておく」 ことが、重要なんですね。
書いて、すぐには原稿を読み返さないことです!
なぜか?
書いてすぐの場合、まだ自分が “書き手”目線で原稿を読んでしまうからです。
たとえば、夜中に書いたラブレターを、翌日になって読み返すと、恥ずかしくてやぶり捨てたくなりまよね。
これは、読んでいるときに、書いたときの高揚している自分は、もういないからです。
そう、時間を置いて、自分が何を書いたか忘れたくらいになったときに 「読み返す」 ことです。
要は、自分が 「読者になること」 が大切なんですね。
これを何度か、くり返します。
ときどき、ヌカ床に手を入れて、かき回すように・・・
だから、業界では、この作業(推こう)のことを、文章を 「発酵させる」「熟成させる」 なんて言います。
僕は、取材を終えると、とりあえず記憶が新鮮なうちに、書き殴ります。
このときは、悩まず、考えず、“勢い” だけを優先します。
実は、この “勢い” というのは、その後の 「推こう」 の段階では付けられないのです。
“勢い” とは、文章の流れやリズムのことです。
その後、時間(余裕があれば1~2日)を置いて、今度は “酒を飲みながら” 読みます。
僕の場合、この “酒を飲みながら” という作業が重要なんです!
酒を飲みながら文章を読むということは、完全に “娯楽”= 「読者の目」 になれるからです。
面白くない文章は、すぐに気づくのです。
「ここは、こうのほうがいいな」「このへんは、くどいな」「このくだりは、いらないな」
見る見るうちに、原稿は、真っ赤になります。
これを何回か繰り返し、最後はちゃんと素面(しらふ)のときに、机に向かって清書をします。
文章は、寝かせるほど、育つということですね。
その男性は、「分かりました。今度、余裕をもって書いて、酒を飲みながら読み返してみます」と言ってましたが、はたして、うまくいったのでしょうか?
もしかしたら、僕だけに通用する執筆術なのかもしれませんね。
2012年05月13日
愛すべき湯殿建築
僕は、完全なる内風呂派です。
露天風呂は、かけ値なしの絶景か、加水・加温なしの完全放流式のみ価値判断の対象とします。
と、いうことで、次回出演する群馬テレビ 「ニュースジャスト6」 では、僕の愛すべき湯殿建築にてお話しをします。
先月より1年間、僕がコメンテーターを務めることになった 「ニュースジャスト6」。
毎月、テーマを決めて、ニュースの合い間に温泉の話しをしています。
前回4月は、季節がら 「花ざかりの温泉」 と題して、県内で花見風呂ができる温泉地について解説しました。
で、今回のテーマは、「群馬の温泉遺産」です。
副題を “守り継ぐ湯殿文化” としました。
国の登録有形文化財に指定されている明治28年建築の 「法師乃湯」(法師温泉、長寿館) をはじめ、群馬県内には、歴史と文化が薫る木造建築の湯殿がいくつもあります。
そのほとんどが “混浴”です。
「古湯」 と呼ばれる歴史ある温泉地には、共通項があります。
① 地元住民が利用する外湯(共同浴場)がある。
②温泉神社や薬師堂が祀られている。
そして、“混浴” が残っていることです。
現在、混浴は違法ですが、各都道府県知事の認可により温泉文化の名残として “お目こぼし” をいただいています。
いわゆる “特例” の状態なんですね。
それだけ、稀少で貴重な存在といえます。
ぜひ、我々の代で消さないように、大切に未来へと守り継いでいきたい群馬の宝物です。
●放送局 群馬テレビ(地デジ3ch)
●番組名 「ニュースジャスト6」
●放送日 (月)~(金) 18:00~18:45
●出演日 5月15日(火)
●テーマ 「群馬の温泉遺産」~守り継ぐ湯殿文化~
2012年05月12日
大胡温泉 三山の湯 「旅館 三山センター」④
「小暮さ~ん、昨日からたくさん人が来るし、問い合わせの電話も多いのよ! それも、みんな高崎の人ばかり。みなさん、新聞を見て来たっていうんだけど、小暮さんが書いてくださったのよね?」
と、機関銃のように一方的に、しゃべりまくられました。
電話の声の主は、大胡温泉の女将、中上ハツヱさんです。
昨日、発行された 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) のことを言っているようです。
「ちいきしんぶん」 は、旧高崎市内に無料配布されているフリーペーパーです。
発行部数は、10万部。
創刊27年になる、老舗のタウン誌なのであります。
で、僕は、先月から 「ちいきしんぶん」 に、『小暮淳の一湯良談』 というコラムを月刊連載しています。
その2回目の掲載日が、昨日だったのです。
そして、コラムで取り上げた温泉が、大胡温泉だったというわけです。
「これから近くまで行く用事がありますから、昼食がてら掲載紙を何部かお届けしますよ」
ということになり、今日は大胡温泉へ行ってきました。
「昨日はね、3人、ついにたどり着けなかったみたいよ」
と女将さん。
「今も、小暮さんの記事を見て来たというお客さんが、風呂に入っていますよ」
と、息子さん。
へーッ、そういえば、駐車場に高崎ナンバーの車が止っていたなぁ・・・
高崎市内だけのミニコミ誌とはいえ、10万部となると反響があるものだなぁ・・・
なんて思いながら、とりあえず、ひと風呂浴びることにしました。
先客は、2人。
この人たちだろうか?
僕の記事を読んで、高崎から来た人たちは・・・
やがて2人は上がり、浴室には僕ひとりだけ。
待ってました!とばかりに、窓を全開に!
これは、大胡温泉に来たら、お約束です。
花の季節は終わってしまいましたが、緑の葉を付けた桜の木々がグルリと池のまわりを囲んでいます。
まさに、薫風(くんぷう) が池を渡って、浴室へ入り込んで来るのです。
これぞ、極楽の極みであります。
ぜひ、みなさんも、一度、試してみてください。
「車で来てるのよね、ビールを出して差し上げたいけど……」
なんて、湯上がりに言われれば、余計飲みたくなってしまうじゃありませんか!
女将さんったら、イジワルなんだから~。
時刻は、ちょうど昼です。
名物の 「モツ鍋」 と 「ざるうどん」、そして 「焼きまんじゅう」 という豪華田舎料理のフルコースをごちそうになりました。
帰りがけ、息子さんが、
「小暮さんが食事をされている間にも、ちいきしんぶんを見たという2人の方から電話がありましたよ。道が分からないって(笑)」
そーなんですよ。
とにかく、ここは分かりづらいんです。
まず、最初は迷子になります。
カーナビでも、難しいと思います。
国道にも、県道にも、小さいながら誘導看板は出ています。
でも、最後の住宅地に入った途端に、不安になってしまうんですね。
「すぐそこまで来て、引き返してしまう人が多いんですよ」
と息子さん。
だから僕は、こう言ってあげました。
「いいんですよ、それで。苦労してたどり着いた時の喜びは、ひとしおです。ここは、町の中の “秘湯” なんですから」
と・・・
旅館の外へ出ると、だいぶ車の台数が増えていました。
高崎ナンバーの車も、何台かあります。
それは、ライター冥利に尽きる光景でした。
2012年05月11日
30代に見る夢
友人のイラストレーター、飯塚裕子女史のブログを読んだら、「なでしこジャパン」の佐々木則夫監督の講演会へ行って来たと書かれていました。
佐々木監督は、昭和33年(1958)生まれ。
僕と同じ年です。
同年というだけで、以前からすごく親しみを感じて、彼の監督としての采配に注目していました。
講演を聴いた女史は、一番心に残った言葉として、次のようにブログに記しています。
“目標を定めたら、あとはブレずに、ひたすら努力をする”
う~ん、やっぱり同世代ですなぁ~!
この 「ブレず」 という言葉は、僕ら世代のキーワードなんですね。
以前、僕も当ブログで、繰り返し、この 「ブレず」 という言葉を使ってきました。
(2011年4月3日「BUREZUに生きる」、2011年7月8日「ブレちゃった人生」 参照)
僕らの世代は、この言葉に、しがみ付いて生きて来たんです。
「夢が叶わないのは、いつしか目標がブレてしまうからだ!」
なーんてね。
好きな言葉は、“初志貫徹”
貫いてこそ、人生だと信じています。
スポコン世代なんでしょうかね。
(※「スポコン」=スポーツ根性の略)
でもね、最近、富に、この言葉の持つ意味の奥深さを痛感します。
やっぱり、夢は叶えるためにあるんじゃないのかなって。
それも、シビアに言うなら “大人になってから見た夢” については、絶対に叶えるべきだと!
10代や20代に見た夢なんて、どーでもいいんですよ。
どうせ、ガキや青二才が描いた絵空事ですから。
(もちろん、叶えた人は素晴らしい人です)
でも、30歳を過ぎてから見た夢は、やっぱり叶えるべきです。
いや、叶えることが、夢を見た自分への “責任” だと思うんですね。
30代といえば、立派な大人です。
世の中の仕組みも、人生の酸いも甘いも知っている年齢です。
家庭を持って、仕事も慣れて、少々現実にも疲れた大人です。
その大人が “見た夢” は、絶対に、その人が人生で一番欲しているモノに違いありませんって!
世界一の監督と、一介のライターの僕の人生を一緒にするのは、おこがましいことですが、でも彼の言葉に僕は、共有の価値観を感じたのは事実です。
“目標を定めたら、あとはブレずに、ひたすら努力する”
大人は、自分の見た夢に責任を取ること。
その大切さを教えてくれる言葉です。
2012年05月10日
猿ヶ京温泉 「ホテル湖城閣」
昨日は、朝から温泉街をカメラマンとともにロケハン。
猿ヶ京温泉は、昨年の晩秋から訪ねています。
紅葉、積雪、桜花を見送り、新緑の美しい季節を迎えました。
出版する本には、四季折々の写真を載せたいとの思いから、こうやって足しげく通っているのです。
午前10時。
チェックアウトの時間を見計らって、「ホテル湖城閣」を訪ねました。
いゃ~、懐かしい!
20数年ぶりなのに、ハッキリと覚えています。
でも……
20数年前の記憶は、思い出すのも忌まわしい過去なのであります。
いえいえ、「ホテル湖城閣」 が忌まわしいのではありませんよ。
その時、一緒に宿泊した相手のことなんです。
当時、僕は雑誌の編集をしていました。
自社発行の月刊誌も編集していましたが、時々、委託編集という仕事も請け負っていたのです。
時は、バブル末期。
金になるという理由だけで、ゴルフ雑誌の委託編集を、年に何本もこなしていました。
で、東京から依頼元の担当者が時々、群馬へやって来て、僕の取材に同行するのです。
“同行” なんて言えば聞こえが良いですが、ただの “たかり” であります。
要は、その晩は、接待をしなくてはならないわけです。
まー、その担当者は温泉が好きですから、群馬県内の名だたる温泉地は端から行かされましたよ。
で、その中の1つに猿ヶ京温泉があり、泊まった宿が 「ホテル湖城閣」 だったわけです。
なにが、忌まわしいのかって?
あ・・・、思い出したくもない。
あまりにも忌まわし過ぎて、到底、ブログには書けませんって。
ひと言で言えば、“ヘンタイ” なんです。
それも、「ド」 がいくつも付く、ドドド……変態であります!
酒を飲むと、何をやらかすか分からない輩(やから)なのです。
他の客やコンパニオンから、苦情を受けること、たびたび。
その都度、僕が謝ってまわりました。
でも昨日、温泉に入った途端、その忌まわしい過去は、すべて、かけ流されました。
それほどまでに、素晴らしい湯であります。
名物の 「露天大樽風呂」。
あの日と、まったく変わっていません。
完全混浴であります(夜のみ女性専用時間あり)。
かつて上杉謙信がこの地に築いた宮野城の跡地に建てられた「ホテル湖城閣」。
大露天風呂も赤谷湖に半島のように突き出た、断崖絶壁の上にあります。
その景観は、猿ヶ京随一!
湖を眺める広い浴場には、「絶景大樽風呂」「岩露天風呂」「美人大釜風呂」「寝湯年輪風呂」「長寿年輪風呂」「五右衛門風呂」と6つの浴槽があり、すべて源泉かけ流し。
しかも、ここは毎分約200リットルの自家源泉を所有しています。
まさに、“源泉ひとりじめ” です。。
これで、忌まわしい過去は、すべて流されました。
そして何よりも、20数年経った今、今度は接待ではなく、自分の著書のための取材で来れたことを、ただただ幸せに思うのであります。
2012年05月09日
猿ヶ京温泉 「温泉農家民宿 はしば」
またしても猿ヶ京温泉です。
昨日は、午後1時半からの公演に間に合うように、「三国館」へ駆けつけました。
「三国館」 とは、日帰り温泉施設 「まんてん星の湯」の敷地内に併設された劇場です。
ここでは、群馬県内では、なかなか見られなくなってしまった大衆演劇の公演を行っています。
4月6日~5月20日までは、「中村鷹丸 特別公演」を上演中。
僕は、この取材のために、またまた猿ヶ京温泉へやって来たのであります。
「小暮淳さんですか? 私、読者です。本、全部持ってます。講演会へも行ったことがあります。握手してください?」
公演を見終って外へ出ると、1人の婦人から声をかけられました。
よく分かったものだと、声をかけられた僕もビックリしましたが、彼女も 「どうして、演劇なんて見られていたのですか?」 と、不思議そうでした。
猿ヶ京温泉を取材していることを告げ、「秋に新しい本が出ますから、ぜひ、買ってくださいね」 と、さりげなく前宣伝を。
「はい、必ず買います!」
だなんて、読者って、ありがたいものですね。
たっぷりと2時間半、芝居と舞踊ショーを見た後は、やっぱり温泉です。
昨晩は、温泉農家民宿の 「はしば」 に泊めていただきました。
猿ヶ京温泉へ行ったことのある人なら、必ず見かけているはずです。
関所跡の信号、「湯の町」地区へ入る道の角のみやげ物屋が 「はしば」です。
実は、みやげ物屋のほうが後からで、それ以前から民宿を商っている猿ヶ京屈指の老舗宿です。
僕は、こうゆう素朴な宿が大好きなんです。
3代目主人の田村和寿さんが、両親と奥さんと息子さんだけでやっている、アットホームな雰囲気。
“農家民宿” というくらいですから、米と野菜は地産地消の自給自足です。
奇をてらわない、田舎料理がうれしいですね。
で~~ッ!
“温泉民宿” と名乗るくらいですから、湯がいい!
この規模の宿としては、大きく浴槽が造られています。
そこへ、ドボドボと毎分27リットルの源泉が、そのまま湯舟へ24時間そそぎ込まれています。
最初は、やや熱めだったため、水道の蛇口をひねってしまいましたが、腰まで浸かれた時点で、すぐに止めましたよ。
あとは、「ウ~~~ン」と、うなり声を上げながら一気に沈めば、もう極楽浄土が待っています。
キンキンと染み入る湯の力に、1日の疲れがズンズンと癒やされていきました。
これは余談ですが、みなさんは 「ミラクルフルーツ」って知っていますか?
何年か前に、テレビでも取り上げられて有名になった果実なんですってね。
僕は、まったく知りませんでした。
実は、ここの息子さん。
4代目の拓也さんは、大学で農業の勉強をして宿にもどり、現在、ビニールハウスにて南洋植物の栽培を行っているのです。
マンゴやグアバ、ドラゴンフルーツなど、温泉を引いた温室にて、育てています。
その中に、西アフリカ原産の 「ミラクルフルーツ」 もありました。
もう、ビックリしましたよ!
なんですか、この実は ????????
小豆大の小さな赤い実自体には、そんなに味はありません。
なのに、次に食べたモノが、みーんな甘くなってしまうんです。
レモンなんか、完熟したオレンジです。
それも、食べているうちに、どんどん甘くなっていく。
ちょうど、奥様がブラックコーヒーを入れてくれたところだったんですが、この苦いコーヒーが、まるで甘とろい缶コーヒーに変わってしまいました。
この実は、ダイエットや糖尿病予防に使われているらしいですね。
日本では、まだまだ1粒200~500円くらいする、高価なフルーツです。
興味のある人は、ぜひ、「はしば」で聞いてみてください。
2012年05月07日
猿ヶ京温泉 「猿ヶ京ホテル」②
昨年から僕は、出版の取材でたびたび猿ヶ京温泉を訪ねています。
今年に入ってからでも、すでに12旅館を取材しています。
今日は、また猿ヶ京温泉を訪ねてきました。
でも、今回は、別件の取材です。
赤谷湖の湖底に沈んだ “旧四軒” の1つ、猿ヶ京ホテル(旧・桑原館) を訪ねたのは、半年ぶりのこと。
前回は、3代目主人の持谷明宏さんに会い、旧湯島温泉と猿ヶ京温泉の歴史について話をお聞きしました。
で、今回は女将の美奈子さんへのインタビューです。
「新聞の記事、毎回楽しみに読んでいるんですよ。え、えーっ、本当に私でいいんですか?」
と、取材交渉の電話で喜んでくださった女将さん。
うれしいですね。
そう言っていただけると、こちらも取材のやりがいがあります。
「お待ちしておりました。楽しみにしていたんですよ」
と、大歓迎を受けてしまいました。
(ライター冥利であります)
「今日は、『おやじの湯』 じゃ、ないんですよね?」
とは、一緒に出迎えてくださったご主人。
「ええ、今日は 『湯守の女房』 の取材なんですよ。ちょっと奥様をお借りしますね」
と僕。
なんだか、残念そうであります。
もしかしたら、『おやじの湯』 に出演したかったのかな?
でも、うれしいですね。
それだけ、シリーズが認知されているということです。
『湯守の女房』 とは、昨年の2月から隔週で朝日新聞に僕が書いている連載です。
“湯守”=主人、ですから、その女房、すなわち女将さんへのインタビュー記事です。
で 『おやじの湯』 とは、今年の1月から 『湯守の女房』 の番外編として、不定期にスタートした連載です。
タイトルのとおり、湯を守る頑固おやじたちにスポットを当て、僕が一緒に温泉に入りながら湯談義をするという、画期的なシリーズなのであります。
『おやじの湯』 は、まだ2回しか連載していないのに、すでに業界で注目されているとは、これまたライター冥利であります。
とにかく今日は、午前10時のチェックアウト時間に間に合うように、高速をすっ飛ばして行きました。
なんでか?
お客のチェックアウトが終わると、浴室の掃除が始まるからなんです。
その前に、お約束の僕の入浴シーンの撮影を済ませなくてはなりません。
今日は天気もいいし、名物 「民話の湯」 の露天風呂からは、新緑に萌える山並みと、エメラルドグリーンに水面をたたえる赤谷湖が、それはそれはキレイでしたよ。
女将さんも、「四季折々、どの季節も味わいがありますが、特別、新緑の季節は美しいですね。自然の命の芽吹きは、見ていると、元気になれますものね」 と、これからが一番いい季節だと言います。
山と湖と温泉と・・・
猿ヶ京は、何度訪ねても飽きることがありません。
2012年05月06日
僕も無趣味ですが・・・
最大9日間という大型連休も、今日で終わりです。
みなさんは、どんなGWを過ごされましたか?
僕ですか?
僕は以前にもお話しましたが、人が働いているときは遊んで、人が休んでいるときは仕事をするのが信条なので、ずーーっと家にこもっておりました。
外出したのは、たった2回だけ。
地域のイベントの手伝いに半日と、友人と数時間のお茶をしただけです。
GW前に、こんな人の話しを耳にしました。
「無趣味の私は、ゴールデンウィークが来るのが怖い」
確かに身につまされる話です。
50代のサラリーマンにとって、1週間以上の休みは、休養の域を超えています。
趣味でもない限り、苦痛以外の何ものでもありません。
子どもは大きくなってしまい、一緒に出かけてはくれません。
妻も相手はしてくれませんし、毎日家の中にいたら邪魔者あつかいされます。
“亭主元気で留守がいい” とは、良く言ったものです。
仲間がいて、釣りや登山の趣味でもあれば救われますが、くだんの方は 「無趣味」 なのですから……。
でも、他人事ではないんです。
僕も、無趣味なんですよ。
いえね、以前は趣味を持っていたんですよ。
「温泉めぐり」 と 「山歩き」 です。
でも、両方とも仕事になってしまいました。
「読書」 も趣味でしたが、この仕事に就いてからは、本を読むことは仕事の一環になりました。
だから、無趣味の人の気持ちは、痛いほど分かります。
おつらいでしょうなぁ・・・
でも無趣味の僕にとって、このGWは、好都合なのであります。
まとまった休みは、たまりにたまっている原稿を一気に片付ける絶好のチャンスだからです。
平日は、取材や打ち合わせで時間を取られてしまいますから、どうしても原稿はたまってしまいます。
それでも、連載や出版は待ってくれませんから、寝ずに頑張るしかありません。
でもね、今回のGWのように、たっぷり時間があれば、楽しみながら原稿が書けるというものです。
疲れたら昼寝をして、飽きたら犬の散歩へ行って、夜になったらチビリチビリと酒を飲みながら、文豪気分で心置きなく執筆活動に専念できるのですから、とても充実したGWを過ごせました。
おかげで、現在、手元の在庫原稿は “ゼロ” になりました。
なんとも、気分爽快であります。
そこで、提案です !
サラリーマンで無趣味だからツライのであって、無趣味でも自由業なら仕事をして過ごせますよ。
どーですか?
定年もないし、死ぬまで働けます。
このGWに、ヒマを持て余してしまったサラリーマン諸君!
この際、転職を考えてみたらいかがでしょうか?