2022年09月29日
答え合わせの放送日が決定!
読者のみなさんは、覚えていますか?
以前、テレビ局のディレクターから番組制作の協力を依頼された話を?
※(当ブログの2022年9月3日 「3つの条件」 参照)
その時、ディレクターから取材対象となる温泉宿について、3つの条件が渡されました。
①経営者の意識が高いこと。
②地域との関りがあること。
③湯そのものに特徴があること。
さらに、こんなことも言われました。
「視聴者が応援したくなる温泉であること」
ということで、僕は2つの温泉宿を推薦しました。
この時点で、読者からは、いろいろな意見が寄せられました。
はたして、僕が選んだ温泉宿は、どこだったのか?
いよいよ、その答え合わせの日が、近づいてまいりました!
その後、ディレクターからは逐一、取材と撮影の進捗情報が届いています。
そして、ついに、放送日が決定したとの連絡がありました。
下記の番組でオンエアされます。
乞う、ご期待!
みなさんの答え合わせをしてみてください。
●放送局 NHK総合 (地デジ1ch)
●番組名 「ほっとぐんま630」 ※群馬県内のみ
●放送日 20022年10月6日(木) 18:30~19:00
●放送局 NHK総合 (地デジ1ch)
●番組名 「ひるまえほっと」 ※関東一都六県にて
●放送日 2022年10月11日(火) 11:30~12:00
2022年09月27日
温泉サミット IN つきよの
一昨年、昨年と相間川温泉 (高崎市) で開催された 「温泉暖議(サミット)」。
第3回となる今年は場所を変えて、月夜野温泉 (みなかみ町) で開催することになりました。
県内外から温泉ファンやマニアが参加する人気のサミットで、毎回、締め切り日を待たずに定員になっています。
希望者は、早めの申し込みをお願いいたします。
第3回 ぐんま温泉サミット IN つきよの
●日時 2022年12月3日(土)~4日(日)
●会場 月夜野温泉 「みねの湯つきよの館」
群馬県利根郡みなかみ町後閑1739-1
●受付 11:00~ (昼食は各自)
●定員 宿泊 25名 日帰り 10名 ※先着順
●会費 ①1泊2食 12,000円 (全国宿泊キャンペーン対象)
②日帰り(夕食付) 5,000円
③日帰り(入浴付) 2,500円
●締切 2022年11月20日(日)
●問合・申込
群馬温泉サミット事務局 (関口) TEL.080-1023-9558 FAX.0270-50-1182
mail kcc@eos.ocn.ne.jp Facebook関口のメッセンジャーにて受付
※「みねの湯つきよの館」では受け付けていません。
〖スケジュール〗
13:00~ 開催あいさつ&旅館女将あいさつ
13:30~ 講演会 (講師/小暮淳 演題/「令和版 みなかみ紀行」)
15:00~ 座談会 (サミット)
16:00~ 自由時間&入浴タイム
17:30~ 食事会 (交流会)
20:00 終了
翌日 朝食後 解散
2022年09月26日
温泉はラーメンである
さるイベント会場でのこと。
客席で座っていると、いきなり司会者が、こんなことを言い出しました。
「今日、この会場に、温泉ライターの小暮淳さんがお見えになっています」
驚いたのなんのって!
受付で、正体がバレてしまったようです。
司会者に半強制的に促され、その場で起立! 礼! 着席!
まったくもって恥ずかしい体験でした。
そんなことがあったからでしょうか?
イベント終了後、会場を出ようとした時、ひとりの初老の婦人が近寄って来ました。
そして、僕に、こう言ったのです。
「一番いい温泉は、どこですか?」
自己紹介もなく、あいさつもなく、唐突にであります。
「失礼な!」
と思った気持ちをグッと、こらえました。
実は、講演会やセミナーなどの質疑応答の場で、一番多い質問なんです。
でありながら、最大の難問でもあります。
いつも僕は、質問者が納得するような回答ができずに、話をごまかしてしまいます。
でも、考えてみてください。
“一番いい” って、主観ですよね?
定義も基準もありません。
「いい」 と思えば、いい温泉だし、「いや」 と思えば、それは悪い温泉、または嫌いな温泉ということになります。
だから僕は、この質問をされると、必ず、話を 「ラーメン」 に例えます。
「どこのラーメンが一番、おいしいですか?」
と……
そう訊かれたら、どう答えますか?
ただ単に、“おいしい” だけでは、情報が足りないですよね。
しょうゆ味なのか? みそ味なのか? 塩味なのか? とんこつ味なのか……
麺も種類があります。
細麺なのか? 中太麺なのか? 太麺なのか? ちぢれ麵なのか……
また、こってり系なのか? あっさり系なのか?
さらに細かいことをいえば、この “ラーメン” という、くくりの中には、インスタントの袋ラーメンやカップラーメンは、含まれているのだろうか?
そう考えると、玉石混交すぎて、回答に窮するのであります。
ということで僕は、ラーメンのたとえ話をしたあとに、
「もうすこし、温泉の種類かエリアを絞り込んでいただけますか?」
と、お答えしました。
すると初老の婦人は、
「あの……、もう結構です」
と、そそくさに僕の前から姿を消してしまいました。
ちょっと大人げが、なかったですかね?
でも、無礼だったのは、その婦人の方ですよ。
結局、最後まで名前も身分も告げませんでしたもの(笑)。
2022年09月25日
絵本 『くじらのなみだ』 トークショー開催
≪絵本 「くじらのなみだ」 出版≫
≪命の大切さ感じて≫
一昨日、地元の新聞にカラー写真を添えた記事が、大きく掲載されました。
<前橋市の絵本作家、野村たかあきさん(72)と県立女子大非常勤講師の小野浩さん(68)=福島県いわき市=が、捕鯨をテーマにした絵本 「くじらのなみだ」 を出版した。>
絵本は、生活のために子クジラを捕まえた主人公の少年が、浜にやって来た母クジラから子どもを守ろうとする思いを聞いて、命をいただくことに感謝する物語。
舞台は江戸時代。
実際に、いわき市で行われていた捕鯨を基に、親が子を思う愛情の深さや、海や命の大切さを描いています。
絵本の表紙帯には、こんなコピーが書かれています。
「生きるために殺すのか?」
「おれたち人間は生きるために鯨をとるんだ」
そして、裏表紙には、こんな言葉が……
「その海はだれのもの」
●でくのぼうの創作絵本 『くじらのなみだ』
A4変形判28ページ 1,650円 (税込)
現在、同書の原画展が前橋市敷島町の 「フリッツ・アートセンター」 で開催中です。
昨日、作者2人による第1回目のトークショー (座談会) があり、聴講してきました。
2人の出会いから絵本の制作秘話まで、たっぷり1時間以上にわたる聞きごたえのある内容でした。
第2回目のトークショーが、10月8日(土) 13時30分~予定されています。
入場無料。
問い合わせは、フリッツ・アートセンターまで。
『くじらのなみだ』
野村たかあき 絵本原画展
●会期 会期中~10月16日(日)
●会場 フリッツ・アートセンター (前橋市敷島町)
●入館 無料
●休館 火曜日
●時間 11:00~18:00
●問合 TEL.027-235-8989 (同センター)
2022年09月24日
焼身自殺の真実
≪男性、焼身自殺図る≫
≪国葬 「断固反対」 の紙≫
9月21日午前6時50分頃、東京都千代田区霞が関3丁目の路上で、男性が焼身自殺を図りました。
男性は70代、全身にやけどを負って病院に搬送されましたが、意識はあるとのことです。
現場からは油を入れたとみられる焼けたペットボトルと、安倍晋三元首相の国葬について 「私個人は断固反対」 と書かれた紙が見つかったといいます。
起こるべくして起きた事件といえるかもしれません。
でも自分の意義主張を世に知らしめる手段は、あまたとあるのに、なぜ男性は “焼身自殺” を選んだのでしょうか?
僕は、「焼身自殺」 と聞くと、在りし日のオヤジを思い出します。
昭和58(1983)年のことですから、僕が、ちょうど夢破れて東京から群馬の実家に帰って来た頃です。
オヤジは、県や国に対して、いきどおりを感じながら、着々と活動を進めていました。
そして、ある日、
「もし、ダメだったら俺は、赤城山で灯油をかぶって死んでやる!」
そう家族に、言い放ったのです。
オヤジは晩年、自然保護活動に心血をそそいでいました。
きっかけは、昭和22(1947)年9月に日本列島を直撃したキャサリン台風だったといいます。
群馬県内だけでも592人の死者が出た戦後最大の自然災害でした。
赤城山に降った雨は、一気に下流へと流れ込み荒砥川が氾濫。
当時、オヤジが暮らしていた大胡町 (現・前橋市) は、一瞬にして土石流にのみ込まれました。
オヤジは濁流に流されながらも、銀行の鉄格子にしがみつき、九死に一生を得たといいます。
小さな大胡町だけでも100棟が流出し、77人の尊い命が失われました。
その中には、オヤジの親戚や同級生が何人もいました。
「山の開発は、下流の住民に聞け!」
これがオヤジの口ぐせでした。
戦時中の赤城山の森林伐採により、保水力を失った山肌に降った雨が山津波となり、下流の町を襲ったのです。
「なのに県と国は、いまだに自然破壊を続けている」
オヤジは、未来の命を守るために赤城山開発への反対運動を続けていました。
そんな赤城山の度重なる開発が危ぶまれていた昭和58(1983)年。
朝日新聞が 『21世紀に残したい日本の自然100選』 という企画を発表しました。
「この100選に赤城山が入れば、開発の手を止めることができる」
と考えたオヤジは、自分が経営していた英語塾の生徒たちを総動員して、朝日新聞当てに “赤城山” と書かせたハガキを送らせたのでした。
結果、見事、「赤城山の荒山高原」 が100選入りを果たしました。
そしてオヤジが危惧していた開発も中止となり、数年後には一帯が県立森林公園に指定されました。
よって、オヤジの焼身自殺は未遂に終わったのであります。
昨日は彼岸の中日でした。
僕は線香と花束を持って、オヤジとオフクロが眠る霊園を訪ねました。
「オヤジ、あのとき100選に選ばれなかったら、本当に焼身自殺をするつもりだったの? もしかして、あれってハッタリだった?」
返事はありませんでしたが、笑い声が聞こえたような……
遺言通り、オヤジは大好きだった赤城山の中腹に眠っています。
2022年09月23日
堀江さんの職業
「今日は、酔っ払っちゃったな」
と言えば、
「うちはね、酔わない酒なんて出してないんだよ」
と返される。
「ああ、そうでした」
そして、常連客らの笑い声。
いつものたまり場、酒処 「H」 は、今宵も和気あいあいの雰囲気に包まれています。
では、なぜ、僕たちは酔うのでしょうか?
演歌の世界ならば、“忘れてしまいたいこと” があるから?
いい事があった日は、“喜び” を分かち合いたいから?
はたまた、今日も一日頑張った自分へのご褒美でしょうか?
僕が酒処 「H」 で酔う理由は、ここに “人生のヒント” が、たくさん転がっているからなんですね。
たとえば、先日のこんなワンシーン。
話題は、83歳 (当時) でヨットによる世界最高齢単独無寄港太平洋横断に成功した堀江謙一さんの偉業で盛り上がっていました。
その時、常連客の一人が言ったひと言が、眠れない夜を連れてきました。
「堀江さんて、冒険家なの? 探検家なの?」
たぶん、スマホで検索すれば、一発で答えは出で来るのでしょうが、そこは昭和をこよなく愛するアナログ人間の集まりです。
テストでカンニングをして、答えだけ写して提出するような姑息な手段は、誰もが望んでいません。
まずは、お得意のディスカッションから始まります。
「“冒険” と “探検” って、どこが違うの?」
「そもそも漢字が違うよね」
「えっ、違う漢字なの?」
そんなところから、侃侃諤諤(かんかんがくがく)と意見交換が続きます。
結果、酔っ払っていることもあり、その日は宿題として持ち帰ることになりました。
そして昨晩、その答え合わせとなりました。
もちろん、発表するのは僕の役割です。
【冒険】
危険を冒すこと。成功のたしかでないことをあえてすること。(広辞苑)
「冒険」 の 「険」 は、「危険」 の 「険」 です。
“けわしい” という意味があります。
【探検】
未知のものなどを実地にさぐりしらべること。(広辞苑)
ですから、検査や点検などの 「検」 の字が当てられているのですね。
「検」 は、調べるの意味。
それに、「探」 の字が付くわけですから、“探り調べる” ことになります。
ただし、辞書には、こんな一文が添えられています。
<また、危険を冒して実地を探ること。>
この場合のみ、「探険」 と表記してもよいようです。
では、堀江謙一さんの偉業は、「冒険」 なのでしょうか? 「探検」 それとも 「探険」?
意味からすれば、「冒険」 ということになります。
そして、堀江謙一さんのプロフィールにも、ちゃんと 職業欄に 「海洋冒険家」 とありました。
「いゃ~、ジュンちゃん、ありがとう。これで、すっきりしたよ!」
常連客らに感謝され、昨晩も美酒に酔いしれることができました。
常連客のみなさんへ
「H」 の酒は、同じ酒でも話題により酔いのスピードが増しますから、深酒にご注意ください。
2022年09月21日
その子は悪くない!
「あやうく、お前は殺人犯になってたんだぞ!」
その衝撃的な事実をアニキから告げられたのは、大人になってからでした。
アニキとは7歳違いですから、僕がまだ未就学の頃の話です。
オフクロによれば、その頃の僕は、どこへ行くにもアニキの後をついて回っていたといいます。
いわゆる “おまめ” というやつで、アニキが友だちとドッチボールや草野球をする時も、とりあえず得点に関係なく、メンバーにだけは加えて遊んでくれたようであります。
「おい、小暮、また弟を連れて来たのかよ?」
と友達に言われれば、アニキは、
「ごめん、ごめん。“おまめ” でいいからさ、隅に置いといてくれよ」
と毎度、謝っていたといいます。
なんとなく僕にも、その記憶はあります。
公園やグランドの中央ではなく、みんなの邪魔にならないように隅の方で、ポツンと一人で立ち尽くしていたことを……
その衝撃的な事実は、家の近くのため池で起きたといいます。
アニキと友だち数名は、手作りの木の舟を浮かべて遊んでいました。
その時、僕が駄々をこねたと言います。
「僕にも舟、やらせて!」
アニキに言えばよかったのですが、友だちに言ったようです。
「ダメ、これは貸せないよ」
と断られた僕は、腹いせに、
「バカ!」
と言うなり、その友だちを、エイッと、ため池に突き飛ばしたのだといいます。
「それで、その友だちは、どうしたの?」
記憶にない僕は、アニキに訊きました。
アニキの応えは、こうでした。
「そいつは泳ぎが得意だったから助かったよ。でもな、違う子だったら、溺れて死んでいたかもしれないんだぞ」
そんなことを何十年も経った大人になってから言われても、言葉の返しようがありません。
しかも、“殺人犯になっていたかもしれない” だなんて……
なぜ突然、こんな話をしたのかと言えば、先日、北海道で起きたゴーカート事故のニュースに心を痛めたからです。
リゾート施設の駐車場で行われた仮説のイベント会場で、暴走したゴーカートが順番待ちをしていた観客に突っ込み、2歳の男児が死亡しました。
ゴーカートの試乗体験をしていたのは、11歳の女児です。
これは完全に、主催者側の安全管理をおこたった業務上過失致死傷です。
ゴーカートがコース外に飛び出すことは想定内のはずなのに、コースと観客の間には三角コーンしか置いてなかったなんて!
もちろん、亡くなった男児と家族が一番の被害者ではあります。
でも、突っ込んだゴーカートを運転していた女児のことを考えると、胸をかきむしられるよう苦しさを覚えます。
その子も、また被害者なのです!
僕の場合と違い、11歳ならば衝突の瞬間からその後の事実まで、一生忘れることはないと思います。
できることなら、その女児の記憶を消してあげたい。
その子に、なんの罪はないのですから……
なんだか最近、小さい子が大人の不注意や軽率な行動により、命を落とすニュースが多くありませんか?。
業種に関係なく、子どもに関わるすべての大人たちは、もっともっと細心の配慮を肝に銘じてほしいものです。
もう、これ以上、幼い命の訃報は聞きたくありません。
2022年09月20日
紙芝居ファン垂涎の書
“絵と喋りのアナログ芸”
う~ん!
この言葉に、思わず唸ってしまいました。
まさに、「紙芝居」 を言い表しています。
なんでもかんでもデジタルで、ネット社会と化した令和の時代。
だからこそ、なんでしょうね。
昭和の香り漂うアナログの世界が、静かなブームとなっています。
満を持してか、熱烈なファンらの要望からか、垂涎の紙芝居本が出版されました!
『現代紙芝居読本 ~お代は観てのお帰りに~』
現代紙芝居研究会・著 ライティング工房・発行
頒布価格 800円
僕は2年前、高校の同級生と再会したことが、きっかけで、紙芝居を上演する活動を行うようになりました。
同級生の名前は、石原之壽(いしはらのことぶき)。
プロの紙芝居師です。
出身は群馬ですが、現在は茨城県土浦市在住。
「壽ちんどん宣伝社」 の座長を務めるかたわら、「つちうら駄菓子屋楽校」 の校長として、地元の子どもたちに紙芝居をはじめとする昭和の遊びを教えています。
そんな彼と意気投合して始めたのが、昨年1月から毎月開催している 「神社かみしばい」 です。
「ふるさと群馬のために、何かできないだろうか?」
との思いから、民話を題材にした紙芝居や創作紙芝居を作り、上演しています。
『現代紙芝居読本』 の中に、こんな一文があります。
<一般的に区分されてきたのが、「街頭紙芝居」 と 「教育紙芝居」、あるいは 「手描き紙芝居」 と 「印刷紙芝居」 の区分です。>
そして本書では、紙芝居の歴史を分かりやすく解説しています。
明治時代には、すでに “絵と喋り” の芸があったようですが、庶民に広まったのは戦後の街頭紙芝居でした。
飴屋や駄菓子屋が、お菓子を売る際に、人寄せとして紙芝居を始めたのが原点だといいます。
やがて高度経済成長期となり、テレビの普及とともに街頭紙芝居も姿を消しました。
わずかに残ったのが、小学校で教材として使われた 「教育紙芝居」 でした。
それも、今は無くなってしまいました。
現在、残っているのは幼稚園や保育所で読まれている 「幼児紙芝居」 くらいかもしれません。
本書では、そんな歴史から進化する現代の紙芝居まで、事細かに記されています。
もちろん、石原之壽くんも 「現代紙芝居のプレーヤーたち」 の章で、全国21人の紙芝居師の一人として、その活動が紹介されています。
興味を持たれた方は、ぜひ、ご一読ください。
ただし、一般書店では販売されていません。
毎月開催している 「神社かみしばい」 (伊勢崎市) の会場か、もしくは下記まで問い合わせを。
●壽ちんどん宣伝社 TEL.090-8109-0480 (石原)
2022年09月19日
ぐんま湯けむり浪漫 (21) 鎌田温泉
このカテゴリーでは、2017年5月~2020年4月まで 「グラフぐんま」 (企画/群馬県 編集・発行/上毛新聞社) に連載された 『温泉ライター小暮淳の ぐんま湯けむり浪漫』(全27話) を不定期にて掲載しています。
※名称、肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。
鎌田温泉 (片品村)
尾瀬の玄関口に湧いた美人の湯
県の東北の端に位置し、新潟・福島・栃木に接する県境の片品村。
本州最大の高層湿原を有する尾瀬、関東以北の最高峰である日光白根山をはじめ至仏山や武尊山といった 「日本百名山」 に選ばれた山々が連なり、丸沼や菅沼などの湖水美にも恵まれた自然豊かで風光明媚な観光地である。
「尾瀬の玄関口」 ともいえる片品村の中心地が、鎌田である。
国道沿いに食堂や商店が立ち並び、ハイカーやスキーヤーなど年間を通して多くの観光客が訪れる。
現在、鎌田温泉には2軒の温泉宿と日帰り入浴施設がある。
どこも昭和後期以降のボーリングにより誕生した歴史の浅い温泉だが、各々が自家源泉を保有している。
肌にやさしい、しっとりとした浴感から 「美人の湯」 とも呼ばれ、観光以外にも湯治を目的とした温泉ファンが増えている。
平成30(2018)年、「道の駅 尾瀬かたしな」 が鎌田にオープン、新しい村の観光スポットになった。
敷地内の展望テラスには、源泉かけ流しの足湯もある。
目の前に広がる片品の大自然を眺めながら、少し熱めの湯を楽しめる。
旅人に愛され続ける街道の宿
街道沿いに旅籠(はたご)の面影を残す白壁と格子窓、カラカラと音を立てる玄関の引き戸。
館内の調度品の一つ一つにも、歴史と風情を感じる。
「梅田屋旅館」 は、旅人とともに鎌田の移ろいを見つめてきた老舗宿。
創業は明治44(1911)年。
当時の中心地だった須賀川に、尾瀬や日光への行き帰りに投宿する料理旅館として開業した。
明治時代に初めて入山し、尾瀬の景観の素晴らしさを広く世に知らせ、「尾瀬の父」 と呼ばれた植物学者の武田久吉は、この宿をこよなく愛していたという。
現在の宿の上がり口には、大正時代に描かれた紀行文の一節が掲げられている。
≪親切な宿屋。寝具や浴衣の清潔な宿屋。(中略) 一言にして尽くせば感じのよい宿屋であった。私はこれを推奨するに躊躇(ちゅうちょ)しない。≫
と絶賛している。
廊下の壁には、数えきれないほどの色紙が飾られている。
著名な映画監督や落語家、俳優、タレントばかり。
極めつきは、広間のふすまに “なぐり書き” された落語家・立川談志の “書” だ。
なんともユニークで愛情深い、師匠らしい言葉たちが躍っている。
明治、大正、昭和、平成の旅人たちをもてなしてきた街道の老舗宿。
その物語は、令和の世も語り継がれていく。
<2019年8月号>
2022年09月17日
メール相談室
<組織で生きるとは、出世をあきらめて 「異端児」 として過ごすか、従順なふりをして波風立てずに 「いい人」 を演じるかです。>
<サラリーマンは精神的な厳しさ、自営業は経済的な厳しさ。生きるとは、何をやっても厳しいのです。厳しさから逃げるのではなく、“喜び” を隠れ蓑にしましょう。>
<人生を 「仕事」 「家庭」 「その他」 に分類し、最も自分にとって価値があると思えるポジションを強化することです。そこが生涯の “居場所” となります。>
かれこれ7年くらい続いています。
メールによる 「人生相談」 です。
冒頭の “偉そうな” 文言は、恥ずかしながら回答者である僕のコメントの一部です。
相談者は、50代の男性。
ひと言で言えば、彼はサラリーマンに向かないタイプなのですが、家庭の事情や本人の性格もあり、何十年と会社勤めを続けています。
その苦悩の様子が時々、メールで送られて来るのです。
僕も数年ですけど、サラリーマン経験はあります。
ただ、忍耐力が極端に欠乏していたため、上司とケンカして辞表を出してしまったので、彼の気持ちは分かってあげられるのですが、我慢している姿は理解できません。
よって、自分勝手で中途半端な回答しか返せていないのが、実情です。
あまり親身になれなくて、申し訳ないと思っています。
そんな彼からの相談が最近、変わりました。
仕事のことより、健康面に関する相談が増えました。
と言っても、病気ではありません。
「加齢」 に関する悩み事です。
<心身ともに戸惑っています。加齢に伴う内面、外面の変化について、ご教授ください。>
そんなメールが届きました。
う~ん、これは難しい!
加齢は、万人に訪れる自然の理なので、コメントのしようがありません。
ただ、素直に悩んでいるところをみると、更年期障害なのかもしれませんね。
老いて行く自分に、「不安」 を感じているようです。
これに対して、僕の回答は、たったひと言です。
「肉体より老いた精神をを持つな!」
誰が言った言葉かは忘れましたが、精神 (心) は肉体のように老いることはありません。
心理学者のユングは、こう言っています。
「中年期以降こそ、人の心は発達する」
「個性化は人生の終盤も含め、生涯を通じて成し遂げられるもの」
また、ユングの流れをくむ心理学者は、
「周囲の状況や自分の挑戦の内容は生きている限り変化し続けることを勇気をもって受け入れれば、誰でも年齢に関係なく成長していける」
と本に書いています。
ちょっと難しくなってしまいましたが、僕が出した結論は、こうです。
“加齢に勝つには、好奇心と勇気が必要である”
相談者さん、いかがですか?
少しは勇気が湧いてきたでしょうか?
2022年09月16日
『ぐんま温泉かるた』 CF開設について
昨日、NPO法人 「湯治乃邑(くに)」 の役員会議があり、担当役員より 『ぐんま温泉かるた』 のクラウドファンディング (以後、CF) 開設に関する進捗状況の説明がありました。
まず、『ぐんま温泉かるた』 とは?
7年前の当法人設立時より、活動内容に掲げている事業です。
群馬は全国屈指の “温泉県” であり、“かるた県” でもあります。
ところが、『上毛かるた』 をはじめとする数々のかるたがあるのに、「温泉かるた」 はありません。
ならば!と制作に思い切りました。
ご存じ、「いろはがるた」 は44枚の詠み札からなります。
「い」 の札から 「す」 の札までに、群馬県内の温泉地を詠み込む作業は、だいぶ難儀をしました。
それでも試行錯誤を繰り返しながら今春、完成に至りました。
でも、先立つ物がありません。
製作費です。
かるたは、一般書籍と比べて、紙代も印刷代もかかります。
到底、我々貧乏法人には、資金の準備などありません。
となれば、頼るのはCFしかありません。
ところが……
このコロナ禍ということもあり、日本全国どこもかしこも資金が不足しているのですね。
現在、CFの申請をする企業や団体が、殺到しているといいます。
しかもCFとは、不特定多数の人たちから趣旨に賛同してもらい、お金を集めプロジェクトであります。
詐欺や詐欺まがいの輩も申請するでしょうから当然、その審査は厳しくなります。
ということで、すでに当法人は、CF会社と数回にわたるやり取りがあり、いくつかのチェック項目の修正をクリアしています。
昨日の会議では、最終書類の 「確認」 と 「修正」 を済ませました。
これより再申請をいたします。
関係者および支援者には、大変ご心配をかけましたが、CF開設に向かい着実に進んでおります。
また進捗があり次第、ご報告いたします。
今後ともよろしくお願いいたします。
NPO法人 「湯治乃邑」 代表理事 小暮 淳
2022年09月14日
活字の力
我が家では、全国紙1紙と地方紙1紙の計2紙の新聞を購読しています。
購読率は200%になります。
さらに外出時には、コンビニや駅の売店で、もう1紙買いますから僕個人の購読率は日によっては300%以上になります。
なぜ、そんなに新聞好きなのか?
答えは簡単です。
特別新聞が好きなのではなく、ただの “活字中毒” だからです。
しかも、完全なる “紙派” です。
よって、手ごろに安価で入手できる 「活字」 が、新聞というだけのことです。
先日、そんな新聞の片隅に、新聞に関する面白いアンケート結果が出ていました。
全国紙や地方紙など新聞16紙が実施した読者アンケートで、過日の参院選について 「投票した」 と回答した有権者が87.7%に上ったといいます。
年代別で最も低かった29歳以下の有権者でも、81.7%が投票したと答えています。
全体の投票率が52.05%ですから、圧倒的に新聞の読者は投票率が高いことが判ります。
それだけ、新聞を読んでいる人は、政治や選挙に高い関心を持っているということです。
もちろん僕も毎回、欠かさず投票に行っている新聞読者の一人です。
では、なぜ、テレビやネットの情報ではなく、新聞記事なのでしょうか?
僕が新聞の購読を欠かせない理由の一つに、“情報を選べない利点” があります。
興味のあるニュースや知っている単語の検索でしか得られない情報に比べ、新聞は興味のあるなしに関わらず、ランダムに飛び込んできます。
この予期せぬ出合いが刺激となり、日々の活力になっています。
それと、自分の都合で読めるということ。
「今は時間がないけど、夜に読もう」
という記事には、必ず付箋紙を貼っておきます。
また、「これはネタとして仕事に使える」 と思った記事は、即、切り抜きして、ファイルしておきます。
そう考えると、購読料って、めちゃくちゃ安いと思うんです。
この情報量を書籍やネットで手に入れようとしたら、気が遠くなるような手間がかかりますものね。
近年は若い世代から徐々に、新聞の購読率が低下しているといいます。
「もったいないな~」 と思います。
便利な世の中だからこそ、じっくりと情報と向き合い、思考する時間を大切にしてもらいたいものです。
ちなみに、60代以上の新聞購読率は、80%以上なんですってね。
これって、ただのアナログ派っていうこと?
いえいえ、活字文化は永遠に不滅です!
2022年09月13日
「神社かみしばい」 9月口演
≪生まれは関東、上州でやんす。大利根の清き流れに産湯をつかい、からっ風に育てられ、義理と人情のためならば、ガブッと焼きまんじゅうを頬張って、悪を憎んで、弱きを助け、西東。姓は 「焼き」、名は 「まんじゅうろう」。あま辛みそダレの股旅野郎とは、おいらのことよ!≫
群馬のニューヒーロー、「焼きまんじゅうろう」。
昨年9月に彗星のごとく街頭紙芝居に登場するや、あれよあれよのうちに人気者になりました。
1作目の 「焼きまんじゅうろう 旅すがた~おきりとおこみの巻」 で紙芝居デビュー。
2作目の 「焼きまんじゅうろう 旅すが~宿場につめてぇ風が吹く」 が大当たり!
この玉村宿 (現・玉村町) を舞台にした紙芝居は、「焼きまんじゅうろう旅姿~玉村宿の決闘」 と演題を変え、今年の5月には落語となり、県立土屋文明記念文学館にて上演されました。
そして、紙芝居登場1周年を迎えた今月。
早くも第3作が披露されることになりました。
タイトルは、「焼きまんじゅうろう 旅すがた~上州のおっかさんの巻」 。
作・画は、もちろん絵本作家の野村たかあき先生です。
またしても 「どどめ一家」 が、詐欺をはたらき、やりたい放題。
そこへ、にっくき悪党どもを懲らしめに現れた焼きまんじゅうろう。
必殺技 「あまから剣法 みそダレ返し」 が冴えわたる。
そして、あの、決めゼリフが!
「目に染みたか、身に染みたか、心に染みたか」
会場では、みなさんもぜひ一緒に、ご唱和ください。
「目に染みたか、身に染みたか、心に染みたか」
たくさんの方のおいでを、お待ちしています。
「神社かみしばい」 9月口演
●日時 2022年9月17日(土)、18日(日)
10時、11時、12時、13時
※屋外開催 (悪天候時は室内)
●会場 伊勢崎神社 境内 (群馬県伊勢崎市本町21-1)
●入場 投げ銭制 ※ペイペイ可
●問合 壽ちんどん宣伝社 TEL.090-8109-0480
☆小暮は18日のみ在社いたします。
2022年09月12日
遺書を抱いた婦人
昨日、講演会について書きましたが、僕には忘れられない出来事があります。
講演やセミナーの会場の大きさは、依頼主によりさまざまです。
市立や町立の中央公民館だと何百人と収容できるホールですが、地区の公民館や企業の会議室だと数十名規模になります。
その忘れられない講演会は、さらに小さい公民館で起こりました。
あれは5年前の桜が咲く頃でした。
場所は前橋市の郊外、集落にある公民館の分館。
といっても、30名も入れば満員になる集会所です。
講演開始すぐに、異様な光景に気づきました。
最前列に座った高齢の婦人の膝の上に、僕の著書が置かれていたのです。
それも、まるで遺影のように表紙をこちらへ向けて、しっかりと両手で握りしめられていました。
婦人の表情も終始、真剣な面持ちです。
講演自体は、きっちり90分で終え、僕は用意された控室へ入りました。
そのときです。
担当職員から声がかかりました。
「先生に直接お会いして、どうしても話をしたいという方がいるのですが?」
部屋を出ると、そこに立っていたのは、先ほどの最前列の婦人でした。
そして、手には僕の著書が2冊握られていました。
『群馬の源泉一軒宿』 と 『ぐんまの小さな温泉』。
古い本なのに、どちらも新品同様に見えました。
ただ新品ではないと、ひと目で分かったのは、2冊ともにおびただしい数の付箋紙が貼られていたからです。
婦人の話は、こうでした。
6年前、ご主人が亡くなられ、遺品を整理していた時に、僕の本を見つけたといいます。
2冊の本には付箋紙が貼られ、要所要所にラインマーカーで線が引かれていたといいます。
付箋紙の貼ってある温泉をみると、知らない所ばかりでした。
ただ1つだけ、ご主人と一緒に行った温泉がありました。
そして、その温泉へ行った直後に、ご主人の病気が悪化して、帰らぬ人になったといいます。
「主人は、この付箋が貼ってある温泉に私を連れて行こうと思っていたようです。でも、実際に行けたのは1つだけでした」
ある日、回覧板の中に、見覚えのある名前を見つけといいます。
そうです、僕の名前です。
この日の講演会を知らせる記事でした。
「もし、主人が生きていたら絶対に先生の講演会に来たと思うんです。だから私が今日、主人の代わりに来ました」
すでに婦人の目には、涙がにじんでいました。
そして最後に、こう言いました。
「サインをいただけますか? 主人の名前で」
ライターという職業に就いたこと、講演活動を続けていることに、誇りを持てた出来事でした。
2022年09月11日
戦争を知らない老人たち
♪ 戦争が終わって ジジババは生まれた
戦争を知らずに ジジババは育った
老人になって 気づきはじめる
平和の歌を くちずさみながら
ジジババの名前を 覚えてほしい
戦争を知らない 老人たちさ ♪
(ジローズ 『戦争を知らない子供たち』 の替え歌)
僕は、かれこれ15年前から講演やセミナーの講師をしています。
企業や自治体、カルチャーセンターからの依頼が多いのですが、需要からか開催の日時は平日の昼間がほとんどです。
ということは講話の対象は、“平日の昼間に時間が自由になる人” = “高齢者” になります。
公民館などのカリキュラムでは、そのままズバリ! 「高齢者教室」 と冠しているセミナーもあります。
15年前は僕も、まだ40代後半でした。
そんな若造が、人生の先輩たちを相手に講釈をぶつのですから、緊張もしました。
「戦争も知らないくせに……」
そんな声が聞こえてくるようで、ハラハラドキドキの中で講話を行っていました。
時はめぐり、僕も “還暦” という大台を越えました。
「高齢者教室」 のほとんどは満60歳以上が対象ですから、聴講者も僕と同世代か少し年上の方々です。
正確に統計を取ったわけではありませんが、僕が見たところ70代が圧倒的に占めています。
60代だと、まだまだ現役の方が多いんでしょうね。
数は少ないです。
また80代の方も時々は見かけますが、やはり少数であります。
ということは、講師の僕をはじめ会場にいるすべての高齢者たちは、完全に “戦争を知らない老人たち” なのであります。
戦後77年の時が過ぎました。
海の向こうでは、いまだに弾丸が飛び交い、戦火が上がっています。
はたして、この国のどれだけの人が、実感していることでしょうか?
あと10年もすれば完全に、“戦争を知らない国民たち” になります。
「だから何だ?」
と思われるかもしれません。
「平和ボケは幸せの証拠だ」
と言う人もいます。
本当なのでしょうか?
平和ボケの代償もあるのではないでしょうか?
いつまでも、この平和が続きますように……
そう願いながら僕は、演壇に立っています。
♪ 年寄りだからと 許されないなら
髪の毛が薄いと 許されないなら
今のジジババに 残っているのは
涙をこらえて 歌うことだけさ
ジジババの名前を 覚えてほしい
戦争を知らない 老人たちさ ♪
2022年09月10日
絵本 『くじらのなみだ』 原画展
前橋市在住の絵本作家・野村たかあき先生。
といえば、このブログにも、たびたび登場していただいている僕の “心の師匠” であります。
最近では、毎月1回、伊勢崎神社 (伊勢崎市) で開催している 「神社かみしばい」 に賛同してくださり、オリジナル紙芝居の 『焼きまんじゅうろう 旅すがた』 を描き下ろしてくださいました。
この紙芝居はシリーズ化され、第1巻の 「おきりとおこみの巻」 に続いて、第2巻 「宿場につめてぇ風が吹く」 が現在、口演中です。
また第2巻は 「焼きまんじゅうろう旅姿~玉村宿の決闘」 とタイトルを変え、前橋市在住のアマチュア落語家・都家前橋(みやこや・ぜんきょう) さんにより、創作落語にもなりました。
そんな多忙な最中、野村先生が新作の絵本を出版されました。
『くじらのなみだ』 (でくの房刊)
作・小野 浩 絵・野村たかあき
福島県いわき市で行われていた鯨漁を通して、人と生き物のつながり、親子の絆を描いた作品です。
作者の小野さんは、いわき市在住。
古式捕鯨の研究者であり、現在は群馬県立女子大学の非常勤講師もされています。
野村先生の作品は版画が多いのですが、今回の絵本は、すべて黒色鉛筆と墨で描かれています。
ぜひ、この機会に、迫力ある原画の数々をご覧ください。
『くじらのなみだ』
野村たかあき 絵本原画展
●会期 会期中~10月16日(日)
●会場 フリッツ・アートセンター (前橋市敷島町)
●入館 無料
●休館 火曜日
●時間 11:00~18:00
●問合 TEL.027-235-8989 (同センター)
2022年09月09日
令和の力道山
いつものたまり場、酒処 「H」。
マックス8席のカウンターは、昨晩も満員御礼。
顔ぶれは、前期高齢者および前期高齢者予備軍たち。
となれば必然と話のテーマは、いつしか “昭和” に落ち着きます。
今回の話の入り口は、「スマホ」 でした。
「今の若者はさ、電車の中でもレストランでも、ずーとスマホを見ているわけよ。あれって、異常だよね」
との発言に、すかさず僕は返しました。
「我々だって、言われたじゃないですか。『テレビばっかり観てるとバカになる』 って」
すると、他の客が、
「言われた言われた! 『マンガばかり読んでるとバカになるって』」
いつの時代も子どもや若者は流行の先端に飛びつき、大人たちは、それに対して常に否定的であるものなのですね。
「友だちの家にテレビを観に行って、帰りが遅くなって親に怒られなかった?」
「怒られたな。俺んちはビンボーだったからさ、親がなかなか買ってくれなくて」
そんな話を、前期高齢者予備軍 (僕もこの仲間です) が話している時でした。
後期高齢者一歩手前の前期高齢者が言いました。
「えっ、電気屋で観たんじゃないの?」
実は、話が食い違っていたのであります。
この微妙な年齢差に、昭和の端境期(はざかいき)が存在したのです。
前者はカラーテレビ、後者は白黒テレビの登場期について話していたのでした。
時代で言えば前者は昭和40年代、後者は昭和30年代ということになります。
「街頭テレビじゃないんですか?」
白黒テレビについて話していることに気づいた僕は、問い返します。
「街頭テレビは都会、群馬の田舎では電気屋のショーウインドーの前で観るしかなかったの!」
そこから話しは、一気に街頭テレビのスター、プロレスラーの力道山で盛り上がります。
「いやー、空手チョップはカッコよかったな~!」
「そうそう、体の大きい西洋人を、バッタバッタと小柄な東洋人が、叩きのめすんだから!」
懐かしそうに話す人生の先輩に、僕はひと言。
「それって、コンプレックスの裏返し?」
すると、こう言いました。
「たぶん戦争に負けた相手を倒すことに、国民は快感を覚えていたんだろうね」
「ということは、大谷翔平の活躍も同じですかね?」
この後、全員一致で、大谷翔平は “令和の力道山である” という結論に達しました。
力道山が活躍した時代は、「もはや戦後ではない」 と言われた高度成長期の始まり。
戦後70年以上経つ今でも、我々日本人の中には、敗戦のコンプレックスが根強く残っているということだろうか?
がんばれ、大谷翔平!
ショータイムを見せてくれ!
相変わらず、昭和から離れられない懲りない面々であります。
2022年09月08日
置き去りにした悲しみ②
不思議でなりません。
なぜ、同じ過ちが繰り返されるのでしょうか?
現在はコロナ禍のため休講中ですが、僕は長年、NHK文化センターのカルチャースクール 「野外温泉講座」 の講師をしています。
この講座では毎月1回、バスで県内外の温泉地をめぐっています。
発着は、JR前橋駅と高崎駅。
前橋駅では僕が、高崎駅ではセンターの担当職員が出迎えます。
当然ですが、発着時の参加者人数をチェックしています。
温泉地の方角によって、発着地の順番は変わります。
北や東へ向かう場合は、出発は高崎駅→前橋駅。
帰りは、その逆に停車します。
前橋駅が最終停車地になる場合は、僕が車内の確認をします。
参加者が全員降車しているかどうか?
忘れ物がないかどうか?
僕だけではありません。
運転手も車内に入り、座席や棚はもちろんのこと、イスとイスの隙間までチェックします。
まれにですが、携帯電話やカギなどが、はさまっていることがあるからです。
そこまでが、講座に添乗した講師としての僕と、運行したバス会社の運転手としての仕事だからです。
たかが数分のルーティン作業です。
でも、それが無かったということは、ただのミスでは済まされません。
しかも、失ったのは物ではなく、人の命なのです!
またしても悲惨な事故が起きてしまいました。
静岡県の幼稚園で3歳の女児が送迎バスに取り残されて、熱中症で死亡した事故です。
思えば昨年、同様の事件が福岡県で起きたばかりです。
教訓は生かされていなかったのでしょうか?
なぜ同じ過ちが、こうも繰り返されるのでしょうか?
何度、頭の中で考えても納得がいきません。
いったい、いくつ大人の目があれば、小さな命を見落とさなずに済むのでしようか?
人間だからミスはします。
だからこそ、プロは何重ものチェックをするのです。
今回も命を救うチャンスは、何回もありました。
バスを運転をしていた園長が見ていれば、同乗の派遣職員が見ていれば、担任が気づいていれば、副担任が気づいていれば……
すべてのチェック機能が欠落していることなんて、プロの現場で起こりうるのでしょうか?
僕には信じられません。
テレビのコメンテーターが、こんなことを言っていました。
「プロほど自分を過信しない。プロほど臆病である」
申し訳ありませんが、この幼稚園には、そもそもプロ意識がなかったようであります。
到底、命を預かっている者の意識とは思えないからです。
人間だもの……
でも、人間だからこそ、おこたってはいけないのです。
亡くなられた園児のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
合掌
2022年09月07日
1/2の呪い
「人を呪わば穴二つ」
とは、人を恨んで、その人を不幸に陥れようとすれば、自分もまた不孝な目に遭うという、ことわざです。
丑の刻参りで使う、呪いのわら人形も、その現場を人に見られると 「恨み返し」 に遭うといいます。
“呪い” とは、諸刃の剣。
差し違える覚悟が必要ということです。
でも、もし、呪いの効力が半分で、確率の高い能力を持っていたとしたら?
僕は今でも中学時代の不思議な出来事を思い出します。
「デンちゃんには気を付けろ!」
誰もが、そう陰で、うわさする少年がいました。
今となっては、名字も名前も覚えていません。
ただ、みんな彼のことを 「デンちゃん」 と呼んでいました。
デンちゃんは、2つ隣のクラスの生徒でした。
瘦せていて、顔が青白くて、おとなしい男子だったということだけ覚えています。
違うクラスであり、共通の友人もいなかったので、僕は直接彼と話したことはありませんでした。
「また、当たったんだってよ!」
まことしやかに、彼のうわさは広まりました。
「デンちゃんには、近づかないほうがいいな」
学年を越え、彼のうわさは全校に広まりました。
“予言者 デン”
最初の被害者は、体育の男性教師でした。
「お前なんか、死んじまえ!」
デンちゃんに、そう言われた教師は、翌日、学校を休みました。
急病を発し、入院したとのことでした。
その数週間後。
今度は、数学の女性教師が標的となりました。
「お前なんか、死んじまえ!」
すると教師は、その日の放課後、自転車に乗っていて、交通事故に遭いました。
翌日は、その話題で、どのクラスも騒然となりました。
「またデンちゃんの言うとおりになったぞ!」
「デンちゃんに恨ませたら最後だぞ!」
でも、デンちゃんの呪いの効力は、常に半分なのです。
男性教師も女性教師も、その後退院して、教壇に復帰しています。
1/2の呪い、なんです。
あれから半世紀。
一度も口をきいたことのないデンちゃんとは、中学卒業後、一度も会っていません。
どんな青春時代を送り、どんな家庭を気づき、今はどんな暮らしをしているのでしょうか?
知るよしもありませんが、大人になっても呪いの効力は、衰えていないのでしょうか?
もし、その能力をプラスの方向に使っていたとしたら……
今頃は、博士か大臣か?
彼の消息が気になる今日この頃です。
2022年09月06日
ぐんま湯けむり浪漫 (20) 磯部温泉
このカテゴリーでは、2017年5月~2020年4月まで 「グラフぐんま」 (企画/群馬県 編集・発行/上毛新聞社) に連載された 『温泉ライター小暮淳の ぐんま湯けむり浪漫』(全27話) を不定期にて掲載しています。
※名称、肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。
磯部温泉 (安中市)
避暑地として栄えた屈指の温泉地
温泉の発見は古く、鎌倉時代にはすでに湧出していたともいわれるが、諸説ある。
一般には天明3(1783)年7月の浅間山の大噴火の際、大きな地鳴りとともに、恐ろしい音を立てながら数丈の高さに鉱泉を吹き上げたと伝わる。
また浅間山の噴火による降灰で、それまで湧いていた泉口が埋まってしまい、その圧力で新しい源泉が噴出したともいわれている。
当時、この付近一帯は碓氷川に沿った盆地状の湿地帯で、塩辛い水が湧き出ていたことから、この湯を 「塩湯」、地名は 「塩の窪(くぼ)」 と呼ばれていた。
しかし浴用として使用されたのは後のことで、幕末になり小屋が建てられ、鉱泉を温めて湯治用にしたところ効験があったという。
明治時代になると数軒の旅館経営が始まり、明治18(1885)年に高崎~横川間の鉄道 (現在の信越本線) が開通すると、東京方面からの利用客が増大し、群馬を代表する温泉地として発展した。
まだ軽井沢の開発がされていない当時、環境の良さと交通の便利さが評判となり、都会の富裕層たちの別荘地となった。
初代群馬県令の楫取素彦(かとりもとひこ)も、県の観光PRに力を入れていた。
磯部温泉が避暑地として優れている点に着眼し、同じ長州藩 (山口県萩市) 出身の政治家・井上馨をはじめとする新政府の高官たちに呼びかけ、自身も別荘を建てた。
しかし、のちに横川~軽井沢間が開通すると、軽井沢が避暑地としてクローズアップされるようになり、やがて磯部からは別荘が姿を消していった。
日本で最初の温泉マーク
昭和になり、温泉の起源について新たな史実が確認された。
万治4(1661)年に記載された 『裁許絵図(さいきょえず)』 (磯部地区で起きた土地争いの判決文) が発見されたのだ。
この判決文の絵図の中に描かれた2ヶ所の 「塩の窪」 に、現在の温泉マークに似た符号が記入されていたのである。
これが磯部温泉が 「日本最古の温泉記号発祥の地」 といわれるゆえんである。
磯部温泉組合では、温泉マークの湯気の部分を3つの 「2」 に見立て、2月22日を 「温泉マークの日」 として登録し、平成28(2016)年よりイベントを行っている。
また同30年からは 「温泉マークカレー」 と名付けた、ご当地カレーライスを温泉街の飲食店で販売。
ライスを温泉マークにかたどったユニークなデザインが、“インスタ映え” すると評判になっている。
磯部温泉の昔ながらの名物といえば、鉱泉を利用した 「磯部せんべい」 だ。
温泉街には今でも一枚一枚、手焼きの実演販売をする店が軒を連ねる。
サクサクとした独特の歯ごたえがたまらない。
戦時中は重曹の代わりに、この鉱泉が 「ふくらし粉」 として利用されたり、浅草の 「雷おこし」 が、ここで作られていたことは、あまり知られていない。
平成8(1996)年、温度の高い新源泉が掘削され、現在、旅館と日帰り入浴施設、足湯などに供給されている。
湧出量の少ない旧源泉は、せんべい専用に使用されている。
<2019年6・7月号>