2013年03月31日
草津から伊香保まで
実家の書棚を眺めていたら、“温泉” という文字を見つけました。
「ん?」 と思って、取り出してみると田山花袋の 『温泉めぐり』(岩波文庫) でした。
我が家の書庫ではなく、実家で目にしたことが、不思議だったのです。
「誰が読んだんだい? この本」
とアニキに問えば、
「俺だよ」 と、そっけない返事が返ってきました。
「へ~、アニキがねぇ・・・」
と感心してみたのですが、思い当たるフシがありました。
アニキは、数年前に大病をして手術をしたことがあります。
それ以来、「群馬の温泉は、どこがいいんだ?」「○○(病名) に効く温泉はどこだ?」 なんてことを僕に訊くことがありましたからね。
それにして、アニキが田山花袋とは、驚きでした。
田山花袋は、自然主義の小説家として知られる明治~大正時代の文豪です。
代表作の 『蒲団』 や 『田舎教師』 は有名ですが、多くの紀行文も残しています。
特に全国の温泉地をめぐった前出の 『温泉めぐり』 や 『温泉周遊』 はベストセラーとなり、現在でも多くの温泉ファンたちに読み継がれています。
僕は2年前、花袋の生まれ故郷である群馬県館林市で、講演をしたことがあります。
演題は、「花袋の愛した群馬の温泉」。
館林市田山花袋記念文学館で開催された特別展 「温泉ソムリエ・田山花袋~群馬の温泉編」の会期中に、館林市教育委員会から講師として招かれて、市文化会館にて話をさせていただきました。
※(講演当日の様子は、2011年9月11日「花袋と僕が愛した群馬の温泉」参照)
その時にも話したのですが、とにかく花袋の行動範囲の広さと、並はずれたバイタリティーには驚かされます。
群馬県内だけでも、僕が調べた限り16カ所もの温泉地を訪ねています。
※うち、「西長岡温泉」(太田市) と 「ガラメキ温泉」(榛東村) は現在ありません。
今から100年も前のこと。
鉄道や道路の交通が不便な時代に、よく、これだけの温泉地をめぐれたものです。
そして、その健脚ぶりには、ただただ感心させられます。
『温泉めぐり』 の中に、こんな一文があります。
<私は信州の渋温泉から、上下八里の嶮しい草津峠を越して、白根の噴火口を見て、草津に一泊して、そしてそのあくる日は、伊香保まで十五、六里の山路を突破しようというのであった。>(「草津から伊香保」より)
草津温泉に1泊した花袋は、午前4時に起きて、湯に浸かり、女中を起こして朝食にありつき、大きな握り飯を3つ作ってもらい、脚半(きゃはん)を付け、草鞋(わらじ)を履いて、勇ましく出かけます。
旧六合(くに)村へ下り、暮坂峠を越えます。
※若山牧水が 『みなかみ紀行』 で暮坂峠を越えたのは大正11年ですから、その何十年も前のことです。
<暮阪の峠の上には、洒落な茶店があつて、其処では老婆がラムネを冷たい水に浸して客をまつて居た。>(随筆集『椿』の「草津から伊香保まで」より)※原文のまま
その後、沢渡温泉に立ち寄り、中之条からは吾妻川を渡しで越えて、その日の午後4時には伊香保温泉に到着しています。
恐るべき、健脚!
しかも、当時の道は未舗装で、草鞋履きですからね。
大したものです!
でも面白いのは、花袋自身も25年前を回想して、文末に、こんなことを言っているんです。
<今ではとてもあんな芸当は打ちたくても打てなくなった。旅は若い時だとつくづく思わずにはいられない。>(「温泉めぐり」より)
※『温泉めぐり』 が最初に出版されたのは大正7年。花袋47歳。
それにしても、凄い!
それほどまでに、花袋は温泉が好きだったのですね。
まさに、今で言う 「温泉ライター」 の先駆者であります。
そんな偉大なる大先輩の名を借りた講演会の講師に招かれたことは、現代の温泉ライターとして大変光栄なことでした。
2013年03月30日
文人交差点
<(前略) 今度は黙って通り過ぎようと思っていた萩原朔太郎君を訪ねて行く。萩原君とも久しぶりであった。前橋市は一体に水の豊かな所らしく、同君の寂びた庭にも清い流が通っている。(中略) その庭の流を聞きながらとうとう半日語り続け、昼飯を馳走になってから帰る。> 『山上湖へ』 より
先日、デザイナーのK君に
「若山牧水は、前橋に来て、ふらりと萩原朔太郎を訪ねているんだよ」
と話したところ、すごく驚いていました。
無理もありません。
僕だって、それを知ったときは驚きましたもの。
萩原朔太郎といえば、前橋市が生んだ郷土を代表する詩人です。
北原白秋や室生犀星ら、詩人たちとの交友は知られていますが、かの放浪の歌人・若山牧水とも交友があったとはね。
でも、いつの世も、洋の東西を問うことなく、歴史に名を残す偉人たちは、その時代その時代でネットワークを持って交遊しているものなんでしょうな。
凡人には、到底真似できない芸当であります。
牧水といえば、温泉ファンの間では、群馬の温泉を旅した 『みなかみ紀行』 が有名ですが、実は前述の 『山上湖へ』 は、『みなかみ紀行』 よりも5年早い大正8年に出版されています。
<昼飯の時、酒を一本つけてもらった。(中略) この数日は何という事なく無闇に忙しかった。が、永い間気になっていた歌集が漸く出来上がり、送るべき先へは送ったりしたので、やれやれという気で一杯飲むことにしたのである。>
牧水は、昼から自宅で酒をあおっているのです。
<穏やかな酔が次第に身内に廻って来るとうつらうつらと或る事を考え始めていた。昨日東京堂から受取って来た雑誌代がまだそのまま財布の中に残っている事も頭に浮かんで消えて、とうとう切り出した。
「オイ、俺はちょっと旅行してくるよ。」
ちょっと驚いたらしかったが、また癖だ、という風で、
「何処に……何日(いつ)から?」
妻はにやにや笑いながら言った。
「今から行って来る、上州がいいと思うがネ、……」>
なんて言って、上野発午後2時の汽車に飛び乗ってしまうのです。
なんて、自由人なんでしょう。
前橋駅に着くと、利根川沿いの一明館という宿に投宿します。
この日、牧水は赤城山を登る予定でしたが、風邪気味だったため断念します。
そこで、家が医者をしている朔太郎を訪ねたわけです。
<帰って、お医者である萩原君の阿父(おとう)さんから頂いて来た薬を飲んでぐっすりと夕方まで寝る。>
それにしても、牧水は、萩原朔太郎のことを 「萩原君」 と君付けなんですね。
朔太郎のほうが5歳も年上なのに。
当時は、牧水のほうが有名だったんでしょうか?
その晩、朔太郎は牧水の様子を伺いに、一明館を見舞うほどの気のつかいようなのであります。
翌朝、熱のある牧水は、やはり徒歩で7里もある赤城山登山はあきらめ、前橋から伊香保まで電車で行ける榛名山の山上の湖へと向かいました。
なんとも牧水らしい、自由気ままな上州の旅です。
そのフットワークの軽さは、我も見習いたいものであります。
2013年03月29日
空白の埋め草
“読書量は仕事量に反比例する”
ヒマです。
今週は取材もなく、原稿書きも急を要するものがありません。
スケジュール帳を見れば、打ち合わせと飲み会がポツンポツン・・・
こんなときは、読書三昧と決めています。
今週のはじめに、古本屋へ行って、何冊も文庫本を買い込んできました。
ふだんは仕事の資料として、温泉本や郷土本ばかり読んでいるので、やはり趣味で読む本は、サスペンスやミステリーが多くなりますね。
『九月が永遠に続けば』 を読んでから、ちょっとハマッテいるのが、沼田まほかるさんです。
彼女特有のズッシリとした重い世界観が好きなのですが、主婦であり、僧侶を経て小説家になったという異色の経歴にも大変興味があります。
昨日は書店に寄って、雑誌を2冊買いました。
『週刊 日本の温泉』 と 『歴史人 別冊』。
『週刊 日本の温泉』 は、今週創刊したばかり。
以前、といっても10年も前ですが、『週刊 日本の名湯』 を全巻揃えたことがあるので、どうしようかと迷ったのですが、“創刊号特別価格190円” というのと “バインダー付き” という文字につられて、つい衝動買いをしてしまいました。
『歴史人 別冊』 は、完全保存版 「江戸の暮らし大全」 です。
これは、見ているだけでも楽しい!
絵や写真が盛りだくさんで、歴史だけではく、長屋や湯屋、宿場や旅籠、商いの様子など、江戸庶民の暮らしがリアルに再現されています。
チビリ、チビリと晩酌をしながらページをめくって、江戸文化を満喫しています。
“歯医者通いは趣味”
僕は、ヒマになると、必ず歯医者へ行く癖があります。
臆病なんですね。
臆病だから、取材中や旅行中に虫歯が痛くなることを、いつも妄想しているんです。
だから、歯が痛くなくても、定期的に歯医者へは行きます。
※(どのくらい臆病かは、2010年10月25日「歯医者復活」参照)
で、先週から歯医者へ通っています。
先生も心得ていますから、
「こんにちは、今回は、どうしましたか?」
なんて、気さくに診察してくれます。
今回は、一部分、欠けてしまっている歯があったので、これを治してもらうことにしました。
キーーーーン キーーーーン
っていう、あの歯を削る機械音、
キライじゃ、ないんですよ!
診察室へ入ったときの、スーーッと鼻を突く薬品の匂いも、
キライじゃありません。
なぜか、落ち着く空間なんですね。
だから、
「はい、今日で治療はおしまいです」
と先生から言われる時が、一番さみしいんですよ。
もっと、通いた~い!って。
ヘンですかね?
とりあえず、明日も歯医者へ行きますが、それでもスケジュール帳の空白は、なかなか埋まりません。
2013年03月28日
今年も満席御礼!
春は、旅立ちの季節です。
そして、4月は新年度の始まりであります。
学生さんは、1つ上の学年に進級します。
社会人は、すでに新しい職場に転任した人もいるでしょうね。
僕の仕事だって、例外ではありません。
僕自身はフリーランスですから勤務地の変更はありませんが、仕事をする相手先の事情により、担当者が替わったり、仕事の内容が変わったりしますもの。
昨日のブログでも書きましたが、今月いっぱいで新聞の連載が終わり、来月からは新たにコラムの連載が始まります。
担当者が替わったため、先日、新聞社の人たちと会い、後任者との顔合わせ、および引き継ぎをしてきました。
で、今日は、4月から開講するNHK文化センターの野外温泉講座 『群馬の名湯・秘湯めぐり』 の打ち合わせに、行ってきました。
場所は、群馬県昭和庁舎の3階。
この講座は、今年で5年目を迎えます。
が、前任の担当者が退職したため、今年度からは新体制になり内容もリニューアルされることになりました。
そのため、今日は支社長と新担当者と講師(僕) によるミーティングだったのです。
「相変わらず、この講座は人気がありますねぇ」
なんて支社長に言われれば、僕だって満更じゃありませんよ。
おかげさまで、今年度も受講生の定員は満席とのこと。
うれしいじゃ、あ~りませんか!
ほとんどの受講生が、昨年度からの在講生のようですが、それでも数名は入れ替えがあり、新しい受講生もいるとのこと。
春は、出会いの季節でもありますものね。
どんな新しい出会いがあるのか、ワクワクします。
まずは、コースの確認。
温泉地までのルートと、途中で立ち寄る名所や休憩所の選定。
出発時間、到着時間など、細部にわたって念入りな打ち合わせをしてきました。
「先生のブログを読んで、勉強してきました」
と、新担当者のOさん。
真面目そうでな方で、信頼が置けそうです。
Oさん、よろしくお願いします。
楽しくって、ためになる講座にしましょうね。
そして、受講生のみなさん!
今年も1年間、よろしくお願いいたします。
来月、お会いする日を楽しみにしています。
●講座の問い合わせ・申し込みは
NHK文化センター前橋教室 TEL.027-221-1211
2013年03月27日
最終回 そして 新連載
本日、3月27日付の朝日新聞群馬版にて、2年間にわたり連載をしてきた 「湯守の女房」 が、最終回を迎えました。
「湯守の女房」39回、番外編「おやじの湯」7回。
計46回の連載でした。
毎回、楽しみに読んでくださった読者のみなさん、本当にありがとうございました。
また、取材にご協力してくださった温泉宿のご主人、女将さん、ありがとうございました。
そして、そして、何よりも、毎回、取材に同行して写真を撮ってくださった担当記者の I さん。
大変お世話になりました。
あなたなしでは、この連載はここまで続きませんでした。
心よりお礼を申し上げます。
4月からの新任地での、ますますのご活躍を期待しています。
さて、本日の朝日新聞をご覧になった方は、もうご存知かと思いますが、今回の最終回には、次回からの予告編が記載されていました。
そーです!
な、な、なんと、来月の3日からは新たに僕の週刊連載コラムがスタートするのです。
タイトルは、ズバリ! 『小暮淳の温泉考座』。
毎週水曜日の同じ誌面にて、登場です!
これは、とっても画期的な連載で、ふだんは講演や講座、セミナーなどで話している “温泉うんちく話” を新聞紙上で披露してしまおうというものです。
温泉の法律的な基礎知識から入浴マナー。
温泉の歴史から文化。
はたまた取材中に拾った面白裏話などなど、温泉ファンはもちろんのこと、そうでない人も読んでいるうちに “温泉通” になってしまうというコラムです。
ちなみに、来週4月3日(水) は、「なぜ、僕は温泉ライターになったのか?」。
10日(水) は、「日本一の “おんせん県” はどこ?」。
17日(水) は、「日帰り温泉が消えるって本当?」。
24日(水) は、「温泉分析書の読み方」。
と、いった内容で、5月以降も連載が続きます。
ぜひ、この機会に、みなさんも温泉通になってくださいね。
知ることによって、ますます温泉が好きになること、間違いありませんよ!
2013年03月25日
どこかで 誰かが②
こんなメールが届きました。
<人の優しさと現実に触れた気がしました>
送信主は、かつて僕が編集をしていた雑誌の女性スタッフです。
彼女は、僕に何のことを言ってきたのか?
一瞬、戸惑いましたが、すぐに判明しました。
先日の僕とオヤジの散歩のことだったのです。
杖をついたオヤジの手を取り、信号待ちをしていたときです。
1台の車のドライバーが、通り過ぎざまに手を振りました。
あっという間のことでした。
「あれ、オレに手を振ったのかなぁ?」
と、あたりを見渡しましたが、歩行者専用押しボタン式信号機の前には、僕とオヤジしかいませんでした。
そのドライバーが、彼女だったのです。
僕が彼女に出会ったのは、25年前の春のこと。
雑誌社の面接に行ったとき、応接室でお茶を入れてくれたのが彼女でした。
それから8年間、机を並べて、一緒に仕事をしたパートナーです。
あれから17年。
雑誌が廃刊したあとは、他のスタッフ同様、みんな別々の人生を歩み出しました。
彼女は、以前から玄人はだしだった料理の世界へ進み、現在は自分の店を持つまでになっています。
そんな彼女と再会したのは、3年前。
僕の本の出版記念パーティーでした。
招待状を送ったら、当時のスタッフらと出席してくれました。
恥ずかしいやら、照れくさいやら、昔の仲間の前でスピーチするのは、緊張するものですね。
でも、昔を知る人たちに祝ってもらえたことは、僕にとって最大の喜びであり、励みになりました。
だって、こうやって時が経ても、お祝いに駆けつけてくれたということは、その後の僕の人生を認めてくれたということですからね。
ああ、オレの人生は間違ってなかったんだ・・・・
って、昔のスタッフに会って思いましたよ。
で、その彼女が、祝賀会の会場で、開口一番、僕に向かって言った言葉があります。
それは、
「この日が来ると、信じていました」
クーーーーーッ、泣かせるセリフじゃありませんか!
確かに、あの時(雑誌が廃刊になったとき)、僕は 「就職はしない」 と断言して、「ライターになる」 と宣言しました。
でもね、すべてハッタリで、自信なんて、これっぽっちもなかったんですよ。
なのに彼女は、そのことを覚えていてくれたんですね。
うれしかった!
その後、彼女とは、1度も会っていませんでした。
それが1本のメールが届いただけで、25年前のお茶のこと、17年前の廃刊のこと、3年前の再会のことが、走馬灯のようにいっぺんに僕の頭の中を駆けめぐって行ったのであります。
“どこかで 誰かが 見ている”
そう思うと、人生は捨てたもんじゃないぞ!っていう気になってくるのです。
2013年03月24日
年に1度の松本詣で
今年もやって来ました!
恒例、年に1度の松本詣で、であります。
昨日から長野県の松本市へ行ってきました。
何が恒例か?と言えば、いよいよ来月出版される 『みなかみ18湯』(上毛新聞社) の下巻の印刷が始まるのです。
その、印刷前の 「色校正」 というチェック作業に行ってきました。
なんで松本なのか?
僕の温泉本シリーズは、松本市内にある印刷会社で刷られているからです。
例年だと、毎年9月に本を出版していますから、色校正のチェックは8月に行っていました。
でも今年は、まだ3月です。
5ヶ月も早い、「松本詣で」 となりました。
それは、ゴールデンウィーク前の4月中に、新刊を出さなくてはならないからです。
でもね、仕事といえども、半分は “ご褒美旅行” みたいなものですから、毎年、楽しみにしているんです。
それが今年は、5ヶ月も早いんですから、うれしいじゃありませんか!
“苦あれば、楽あり” であります。
僕と、出版元の編集担当者と、本のディレクターと、デザイナーを乗せた車は、上信越自動車道を西へひた走ります。
オジサンの4人旅といえども、心はいつも夢見る少年たちですから、道中の会話も次回作や今後の展開話で大いに盛り上がりました。
インターを降りると、出迎えてくれたアルプスの山々・・・
まだ雪を頂いていて、それはそれは美しいのです。
昨年までは真夏だったので、ガスっていて見えないことが多かったものですから、久しぶりに見る3,000メートル級の巨大な山壁に、しばし見とれてしまいました。
印刷会社に到着するやいなや、すぐに会議室にて、色校正を行いました。
だって全員、心は、この後の “酒宴” のことで頭がいっぱいなのですから・・・
大きな会議用テーブルの上に広げられた、刷り色校正紙。
実際に印刷されるサイズに、各ページが面付けされています。
それを全員の目で、1ページずつ、チェックをしていきます。
「ここの部分は、もっとスミ(黒)を強く出してください」
「このページは全体に、もっと明るく」
なーんてね。
印刷会社の担当者へ指示をしていきます。
たっぷり2時間以上をかけて、全ページを確認しました。
さーて、あとは、もう、酒を浴びるだけです。
全員で、松本市街地に予約をしてあるホテルへ直行!
荷物を部屋に投げ込むや、ただちに街中へ繰り出して行きました。
「最初はゴールデンウィークまでに間に合うか心配でしたが、こうやって、この日を迎えることができました。大変ご苦労様でした。今日は、大いに祝い合いましょう!」
担当編集者の音頭で、
カンパ~~~イ!
「松本に来たら、地の物を食べてください」
と、印刷会社の営業担当者に勧められて、馬刺しやわさび漬けを肴に、「北アルプス」「夜明け前」 といった地酒が振る舞われました。
きーーーーーっ! うまーーい!
もちろん、酒も肴もうまいけど、何より、こうやって苦労を共にしたスタップたちと、この日を迎えて飲む酒は、さらに格別なのであります。
「で、小暮さん、来年も出版は?」
と営業担当者。
「ええ、そのつもりで、進めています」
と言えば、
「ありがとうございます。では、また来年も飲めますね!」
と、ゴキゲンであります。
「では、また、よろしくお願いします」
カンパ~~~イ!
年に1度の松本詣では、いつものように、この後は2軒目を探しに、夜の街へとさまよい歩いたのであります。
めでたし、めでたし。
2013年03月22日
おじいさんといっしょ②
毎週金曜日は、実家のオフクロがデイサービスへ出かける日です。
ふだんは、実兄が両親の面倒を看てくれているのですが、どうしても家族が東京にいるため、2週に1回くらいは週末にかけて上京します。
よって、今日は朝からボケ老人のオヤジが、ひとりぼっちになってしまう日です。
当然、1人にするわけにはいきません。
と、いうことで、またしても僕が一日、オヤジの面倒を看に行ってきました。
「おはよう! あれ、オヤジは?」
庭先で、迎えのバスを待っているオフクロに声をかけました。
「おとうさんなら、屋上。洗濯物を干してくれているのよ。あっ、バスが来た! じぁ、おとうさんのこと、よろしくね」
と、あたかも遠足へ行くような弾んだ声で、老人ホームのマイクロバスに乗り込んで行きました。
無理もありませんよね。
頑固一徹のボケ老人と四六時中一緒にいるのですから、週に1度の今日は、オフクロにとってはストレスの発散日なのであります。
どうぞ、どうぞ、羽を伸ばしてきてくださいな。
らせん階段を上って屋上へ行くと、オヤジが健気(けなげ) に、洗濯物を1つ1つ、物干し竿に干しています。
昔のオヤジには、絶対に考えられないことです。
まー、亭主関白を絵に描いたような男でしたからね。
老いては子にしたがい、妻にもしたがっているようです。
「おはよう!」
声をかけると、一瞬、驚いたようで、誰が来たのか確かめるように、けげんな顔で僕をにらみつけました。
「あ? ・・・なんだジュンか」
「ジュンか、じゃないしでしょう。なんで、オレが来たか分かってるの?」
「分からん」
「アニキもオフクロも、いないから来たんじゃないか!」
と僕が言えば、驚いたように、
「ばあちゃんは、いないのか?」
と悲しそうな声を上げます。
「そうだよ、デイサービスの日だからね。今日は、オレが1日一緒なの! 分かった?」
と強く、さとすように言うと、
「・・・分かった」
と、叱られた幼稚園児のように、シュンとしてしまいました。
「何して、遊ぼうか?」
と僕。
「なんでもいいよ」
とオヤジ。
「散歩に行くか?」
と言えば、
「行こう! 行こう!」
と、急にはしゃぎ出すオヤジ。
幼稚園児か!
「どこへ行く?」
「駅」
「駅? 駅で何するの?」
幼稚園児じゃあるまいし、駅で電車を見るわけじぁあるまいな。
まあ、なんでもいい。
オヤジの気が変わらないうちに出かけるとしよう。
右手で杖をつく親父の左手を取り、日だまりを見つけて歩きます。
通り端の児童公園の桜も三分咲き。
枝には、ヒヨドリがとまっています。
のどかな早春の道を、老いた父の手を引く、中年男の姿に、すれ違う人たちは、
「こんにちは」
「ごくろうさま」
なんて、声をかけてくれます。
平日の午前中です。
仕事よりも、老いた父の面倒を看ている僕の姿は、かなり美しい親子愛に映ったんでしょうな。
これも、若い頃に散々親不孝した罪滅ぼしであります。
午後は、親子で並んで、昼寝をしました。
オヤジの寝息が、とても懐かしい響きで聞こえてきます。
いったい、あと、どれくらい、
こんな、たわいのない親孝行をしてあげられるのでしょうか・・・
2013年03月21日
山が泣いている
ヒマにまかせて、仕事場の整理をはじめました。
そしたら、机の一番下の引き出しの奥から、3種類の日記が出てきました。
日記といっても、ただの日記ではありません。
“子育て日記” です。
僕には、3人の子どもがいます。
すでに嫁いで1児の母になっている長女。
大学生の長男。
そして、僕が40歳を過ぎてから突然生まれた、まだ中学生の次女です。
僕は職業にライターを選ぶくらいマメな性格ですから、3人の成長過程の観察日記をつけていたんですね。
次女が生まれたときは、完全にフリーで仕事をしていたので、家内が勤めに出て、僕が家事と育児を担当していました。
そんな彼女の育児日記のタイトルは、『またまた天使が舞い降りた』。
3人目ですから、“またまた” だったんですね。
第1ページ目には、こんなことが書かれています。
<我輩は、まだ9.5mmである。名前はまだない。小暮家の第3子として、この世に生を受けたばかりである。>
なんと、家内の妊娠が分かった、その日から日記をつけだしているんですね。
自分で言うのもなんですが、かなりマメな男であります。
妊娠中のこと、出産に立ち会った日のこと、その後の子育てを綴っています。
息子のことを綴った日記のタイトルは、『山歩記』。
我が家の子どもたちは、満3歳になると、僕が強制的に山登りに連れて行きました。
中でも息子とは、男同士ということもあり、中学生になるまで山と限らず海や島へ、父と子の “男旅” へ出かけました。
そんな、2人で登った山が、当時の写真とともに綴られています。
長女のことを記したノートは、実は日記ではありません。
タイトルは、『○○○語録』。
※(○○○は、長女の名前です)
彼女が言った言葉たちが綴られています。
たとえば ・・・
●家内との会話
「口はしゃべるためにあるでしょ、足は歩くためにあるでしょ。カラダはなんのためにあるんだろう……。あっ、分かった! お風呂で洗うためにあるんだよね」
●長男が生まれてからのある日
娘 「もう、赤ちゃん生まれないよね」
家内 「どうして?」
娘 「だって、寝るところないもん」
当時は、まだアパート暮らしだったんですね。
6畳1間に、4人で寝ていました。
子どもって、天才じゃないのかなって思います。
この発想、大人になってしまったら、出てきませんもの。
長女が言った言葉で、僕が大好きな言葉があります。
これは、家族で山登りへ出かけた帰り道でのことでした。
山肌をブルドーザーが削っている光景を見た娘は・・・
「あっ、お山が痛い痛いって、泣いているよ」
僕は、その時、きっと娘を抱きしめたことでしょうね。
大人が言葉で教えなくても、物心ついたときから山を歩いていることで、自然を愛する心がはぐくまれていたんですね。
だから大人には、ただの工事現場にしか映らなかった光景も、彼女には自然からの悲鳴が聞こえてきたのです。
そんな、“天使のつぶやき” がいっぱい詰まった語録ノートを、長女が孫を連れて遊びに来たら、見せてあげようと思います。
今度は、娘が “天使のつぶやき” を聞き取る番ですものね。
2013年03月20日
おかげさまでコメンテーター1周年
今日は、僕がコメンテーターを務める群馬テレビ 「ニュースジャスト6」 の出演日でした。
昨年の4月から毎月1回(2回の月もあります)、ニュース番組にゲスト出演して、コメントをしたり、コーナーをいただいて温泉の話をしています。
過去にも、ラジオやテレビにゲスト出演したり、キャスターやパーソナリティーをしたこともありましたが、テレビの生放送のレギュラーというのは、今回が初めてでした。
最初は、生放送のニュース番組ということで、勝手が分からず緊張もしましたが、1年もやっていると慣れてきて、CMの合い間にアナウンサーと雑談なんかも楽しんでいます。
今日のお相手は、ベテランの淵上詩乃アナウンサー。
彼女と組むのは3度目で、毎回、僕が話す温泉に、とっても興味を示してくれます。
以前には、僕が紹介した温泉宿に興味を持って、彼女が司会する 「ビジネスジャーナル」 という番組でも、自ら取材に行かれました。
今日のゲストコーナー 「NJウォッチ」 では、『神様が見守る温泉』 と題して、神様を祀った霊験あらたかな温泉を紹介しました。
ちなみに、この1年間に番組で僕が話したテーマは、下記のとおりです。
●4月16日 『花ざかりの温泉』 ~県内のおすすめ花見風呂~
●5月15日 『群馬の温泉遺産』 ~守り継ぐ湯殿文化~
●6月11日 必見!圧巻!爽快!『一度は入りたい絶景露天風呂』
●7月 5日 のんびり、ゆっくり長湯ができる 『夏でも涼しいぬる湯温泉』
●8月 8日 『一度は訪ねてみたい群馬の秘湯』
●9月 6日 『色いろいろ変わり湯温泉』
●10月4日 『みなかみ18湯』 上巻出版
●10月24日 『錦秋の湯めぐり』 ~紅葉スポットと温泉~
●11月26日 『群馬の外湯めぐり』 ~今も残る湯治場風情~
●12月20日 『西上州の薬湯』 ~霊験あらたかな冷鉱泉~
●1月21日 『白銀の雪見露天風呂』 ~豪雪地帯の絶景温泉~
●2月18日 『冬でもポッカポカ あたたまりの湯』 ~熱をにがさない温泉~
●3月20日 『神様が見守る温泉』 ~霊験あらたかな湯~
いよいよ、来月から2年目に突入します。
次回、4月17日(予定) は、『みなかみ18湯』下巻の出版を記念して、上・下巻の取材秘話をお話ししたいと思います。
これからも群馬テレビの 「ニュースジャスト6」 を、引き続きご覧くださいますよう、よろしくお願いいたします。
2013年03月19日
今日が、来た!③
ライターにとっての 「楽しみ」 は、取材です。
様々な場所に行け、色々な人たちに会え、話が聞け、得ること多いからです。
「喜び」 は? と問われれば、やはり雑誌や新聞に自分の文章が掲載されたり、書籍となって書店で販売された時でしょうね。
この 「喜び」 のために、この仕事をしていると言っても過言ではありません。
「苦しみ」 ですか?
大した苦しみはありませんけれど、しいて言えば原稿の執筆ですかね。
基本的にはキライではありませんから、 “苦痛” とまではいきませんが、根気のいる作業です。
特に、書籍の出版になると、コツコツ、コツコツと原稿を書きためていく、地道な作業の積み重ねとなります。
で、その根気のいる地道な作業から解放される瞬間というのが、この世のモノとは思えないほどの 「快感」 なのであります。
今日、その快感の絶頂を迎えました。
先日、来月出版される 『みなかみ18湯』(上毛新聞社) の下巻が、「校正チェック」 を迎えたことを書きました。
この 「校正チェック」 が、すべて修正されて、本日、最終のゲラ(印刷時と同じ状態のプリント) となり出てきました。
泣いても、笑っても、これがファイナル・チェックであります。
と、いうわけで、またしてもディレクターとデザイナーと著者が、顔を合わせました。
「すり合わせ」 と呼ばれる作業です。
大きなテーブルに、修正された新しいゲラの山と、赤字の入った校正紙の山が積まれます。
これを 「表紙」 から、最終ページの 「奥付」 まで、1枚1枚、訂正カ所が直っているかをチェックします。
本文はもちろんのこと、目次や地図といった細部にわたりチェックを続けます。
「以上ですね。では、これで明日、印刷へ送ります。お疲れさまでした」
と、長い長い旅のゴールを告げるディレクター氏の声を聞いた瞬間 ・・・
ドッカ~~~~ン!
と、打ち上げ花火が僕の体から脳天を突き抜けて行きました(恍惚)。
カ ・ イ ・ カ ・ ン
気分は、映画 『セーラー服と機関銃』 の薬師丸ひろ子状態であります。
毎度毎度、この瞬間は、なんとも言えぬ放出感と脱力感に体と脳がシビレまくるのであります。
さーて、次は、来年出版予定のシリーズ第6弾です。
休む間もなく、取材活動を開始しますぞ!
でも、今晩くらいは、ひとり祝い酒をしながら、エクスタシーの余韻に酔いしれたいと思います。
2013年03月18日
カンガルーの肉と中国語
先週、オーストラリアへ短期留学をしていた長男が、帰って来ました。
午前0時20分。
駅のバスターミナルに、成田空港からの直行バスが着きました。
僕は、この時間まで、酒を飲まずに我慢していたのであります。
いえいえ、我慢というよりは、息子と一緒に帰国を祝う “乾杯” の時を、今か今かと待っていたのです。
「よう、お帰り!」
僕は息子の姿を見つけて、手をあげました。
ん?
なんだかヘンだ。
近づいてくる息子の顔が、どこか違う・・・
ヒゲだ、ヒゲがある!
我が息子のヒゲ面なんて、生まれて初めて見たので、驚くやら、おかしいやら。
鼻の下と、あごの下に、なんとも似合わないヒゲを蓄えての、登場であります。
でもね、分かります、分かります。
男の子は、みんな大人ぶりたい時、自分を変えてみたい時っていうのがあるんですよ。
そのチャンスが、しばらくの間、人前から姿を消せる海外旅行だったりするのです。
思えば僕も、海外旅行のたびに、ヒゲを生やして帰って来ましたものね。
※(当ブログ「カテゴリー」内、「ちょっとインドまで①」参照)
「どうだった? 楽しかったか?」
車の中で声をかければ、
「ああ、帰りたくなかった」
とは、コイツも僕に似て、放浪癖があるのかもしれない。
話を聞けば、どうもガールフレンドができたらしい。
「おお、金髪か~?」
と、父は期待したのだが、そうではなかった。
息子と同じ学校に来た、台湾からの留学生だという。
「おお、チャイニーズか!」
それも台湾と聞いて、僕は勝手に、昔見た映画 『キョンシー』 に出てきた、テンテンという美少女を思い描いていたのであります。
「昔、お父さんが風呂の中で教えてくれた中国語が、役に立ったよ」
えっ、なんのこっちゃ?
「イー、アール、サン、スウ ・・・だよ」
イー、アル、サン、スーは、中国語の1、2、3、4のことだ。
それでも思い出せない。
「風呂の中でか?」
「そうだよ。お父さんが中国へ行って来たとかで、毎日、風呂の中で数えさせられた。中国語で10まで数えたら、出ていいって」
「そんなこと、あったっけかなぁ~」
と、僕は、なんだかおもはゆい。
記憶の中からは、すっかり消えてしまっている。
「それが役に立ったのか?」
「ああ、彼女に最初に会ったときに、中国語で1から10まで言ってやったんだよ」
「で、その娘は、なんだって?」
「発音がいいって、ビックリしていた」
そーか、そーか、小さいときに風呂の中で教えた中国語が、思わぬところで役に立ったとはね。
つくづく、人生に無駄はないと思いました。
深夜1時、帰宅。
「これはお母さん、これは姉ちゃんち。これは、おばあちゃんとおじいちゃん。これは○○(妹)・・・」
と、みやげ物をリビングに広げ出した。
「お父さんには、これ」
と手渡されたのは、ジャーキーの袋だった。
カンガルーの絵が描いてある。
「カンガルーの肉か?」
「うん、おいしくないけどね。酒のつまみ」
そう言って、ヒゲ面の顔が笑った。
「まずは、乾杯だ! お帰り」
「ああ、ただいま」
カンガルーの肉をかじりながら、久しぶりに親子で酒を飲みました。
「確かに、おいしいものじゃ、ないな」
ビーフジャーキーのほうが、数十倍も、うまい。
でもね、これは、息子から僕へのメッセージなのかもしれないって思ったんですよ。
“これからも、カンガルーのようにピョンピョン飛び跳ねて、いい仕事をしてください” てね。
おい、息子よ。
次は、なんの肉を買ってきてくれるんだい?
2013年03月17日
神様が見守る温泉
ひと口に 「温泉」 と言っても、何百年も前から湧き続けている温泉もあれば、平成の世になってから汲み上げている温泉もあります。
「どちらも、同じ温泉には変わりないんでしょう?」
なんて言う人がいますが、そんなことはありません。
まず、歴史が違います!
涸渇することなく、こんこんと湧き続けている “泉源” 自体にも歴史がありますが、代々湯を守り継いできた “湯守” にも歴史があります。
古い旅館になれば、二十何代目な~んていう老舗だってありますからね。
これが平成以降の日帰り温泉施設では、せいぜい2、3人の支配人が替わったくらいのものです。
歴史なんて、ありません。
そして、歴史があれば、文化が宿る。
文化が宿れば、必ずしや、そこには物語が生まれます。
“湯に歴史あり、宿に文化あり、人に物語あり”
ですね。
そして、そして、何百年と湧き続けている温泉と、平成以降の汲み上げた温泉の、絶対的な違いは!
それは・・・、神様の存在であります。
人間が知恵と技術で汲み上げた “湯” には、神様はいません。
掘削技術のない昔、地中から湧き出る熱い湯は、すべて神からの加護だったのです。
だから人々は、神のいずる場所 “泉源” を祀りました。
古湯(ことう) と呼ばれる歴史ある温泉地には、必ず温泉神社や薬師堂が祀られています。
これが、小さな温泉地では、どうなのでしょうか?
一軒宿の温泉地には、立派な神社やお堂は見かけません。
でも、そこには、先人たちが霊験あらたかな湯に対して、感謝を込めて独自の神様を祀っています。
ということで、次回、僕がコメンテーターを務める群馬テレビ 「ニュースジャスト6」 では、群馬県内の小さな温泉地に祀られている変わった神様たちを紹介いたします。
興味のある方は、ぜひ、ご覧ください。
●放送局 群馬テレビ (地デジ3ch)
●番組名 「ニュースジャスト6」
NJウォッチのコーナー
●放送日 (月)~(金) 18:00~18:45
●出演日 3月20日(水・祝)
●テーマ 神様が見守る温泉
~霊験あらたかな湯~
2013年03月16日
『みなかみ18湯 〔下〕』 発行日決定!
温泉ファンのみなさ~ん!
お待たせしました。
群馬の温泉シリーズ第5弾 『みなかみ18湯』 下巻の発行日が決まりました。
来月、4月24日(大安)。
その日に向けて、現在、制作が進んでおります。
と、いうことで、今日は朝から制作スタッフが集まり、校正チェックをしてきました。
校正チェックとは?
僕が書いた原稿をデザイナーの元へ送ると、後日、「ゲラ」 といって印刷された状態のプリントが出てきます。
このプリントは、著者だけではなく、取材した各旅館や関連機関、および編集者の元へも送られます。
表記間違いや誤字、脱字などをチェックします。
これを 「校正」 といいます。
この校正紙が、ふたたびデザイナーの元へ返ってきます。
今日は、この戻ってきた校正紙を、1枚のゲラに書き移す作業を行ってきました。
ただ書き移すだけならば、デザイナー1人で、できる作業ですが、その 「校正」 が正しいか? 必要か? をチェックするために、著者およびディレクターが立ち会います。
これが 「校正チェック」 であります。
僕の温泉シリーズは、ガイド本でもありますが、エッセー本でもあります。
ですから、ガイド部分の表記は、関連機関によってチェックをしていただきます。
住所、電話番号、施設名、地名、地図などです。
これらは、校正紙の赤字を優先に訂正しますが、エッセー部分に関しての表記は、著者がすべて最終確認をします。
「湯船」 と 「湯舟」、「子供」 と 「子ども」 の表記のように、書き手には、その人なりのこだわりがあります。
動植物などの表記も、新聞などではカタカナに統一されてしまいますが、書籍の場合は著者の意見を優先してくれます。
<例>
生きているときは 「ウナギ」 でも、食べるときは 「うなぎ」 のほうが、おいしそうです。
さて、いよいよ来週、最終チェックを行い、「送り出し」 を迎えます。
「送り出し」 とは、読んで字のごとく、印刷所へデータを届けることです。
その後、「色校正」 → 「印刷」 → 「製本」 → 「納品」 の過程をたどります。
そして、書店に並ぶのが、4月24日前後となります。
あと、40日!
楽しみに、お待ちください。
2013年03月15日
どこかで 誰かが
思わぬときに、思わぬところで、自分のことが書かれた記事を見つけました。
「渡良瀬通信」 2013年3月号
栃木県足利市のタウン情報誌です。
この雑誌に、毎号、編集長の野村幸男さんが 「たんたん」 というコラムを書いています。
3月号のタイトルは、『温泉が、恋しい』。
<温泉といえば、知人(友人というと怒られそうで) の温泉ライターK氏は、群馬県内のすべての温泉を踏破していて、これまでに 「ぐんまの源泉一軒宿」 をはじめ、4冊の群馬の温泉ネタ本をものにしている。>
という書き出しで、僕のことが延々と書かれています。
“友人というと怒られそう” だなんて、とんでもありませんって!
だって、野村幸男さんといったら、僕にとっては、業界で尊敬する大先輩なのですから・・・
「渡良瀬通信」 と雑誌名を改名したのは2002年10月です。
それ以前は、「みにむ」 という名前のタウン誌でした。
創刊は1980年ですから、歴史と伝統のある北関東を代表する老舗タウン誌であります。
僕が20代に、群馬のタウン誌 「上州っ子」 に入社したのが1988年ですから、すでに発行人で編集人をしていた野村さんは、先輩を通り越して “雲上人” でありました。
当時は、「関東タウン誌会」 なんていうのがありましてね(今でもあると思いますが)。
毎年、総会があり、関東内のタウン誌の編集者たちが一堂に会するのであります。
その中で、僕なんて、駆け出しですから、ぺーぺーの存在ですが、野村さんはすでに幹部でしたから。
口を聞いてもらえるだけでも、ありがたい存在だったのです。
だって、確か当時、「みにむ」 は全国のタウン誌大賞を受賞するくらいの、それはそれは立派な雑誌でしたもの。
「僕らも早く、ああいう雑誌を作れる編集者になりたい」 なんて、羨望の眼差しで見ていたお方なのであります。
その野村さんがコラムの中で、こんなことを書いてくださいました。
<彼の温泉記事は 「ヨイショ原稿」 はない。だからといって粗さがしもしない。ただただ、その温泉の良いところを自分の感じたままに綴っているだけだ。うらやましくなるほど、実にたのしそうに、読み手を温泉地に、旅館に誘ってくれるのである。>
く~~~っ、なんと、うれしいお言葉!
ライターにとって、これ以上のホメ言葉があるでしょうか!
しかも、書いてくださったのが、僕にとっては雲上人だった業界の大先輩なのですから、ただただ恐縮しながらも感動に震えていたのであります。
ありがとうございます。
それもプロの編集者ならではの目線で分析していただき、まさに、僕が目指している取材方法、執筆姿勢を言い当てていただき、光栄の極みであります。
この言葉に恥じないよう、これからも精進しながら、ライター活動を続けて行きたいと思います。
で、野村さんは最後に、こんな一文を寄せていました。
<日常を綴ったブログも、これまた面白い>
ひぇぇぇ~~~!
なななんと、このブログを読んでいただいていたんですね。
そ、そ、そんな、急に背筋が伸びきってしまうではありませんか!
いえ、あの、その・・・・・・ありがとうございます。
どこで、誰が、見ているか分からないものです。
だもの、いい加減なことは、書けません。
今日から、ピーンと背筋を伸ばしたまま生きて行くことにしました(ウソです)。
2013年03月14日
サヨナラの代わりに
3月は、移動の季節です。
昨夜は、送別会に出席してきました。
出会いは、2010年の12月。
僕が、人生の師と仰ぐ木彫家で絵本作家の野村たかあきさんから、「ジュンちゃんに会わせたい人がいるから」 と飲み屋に呼び出されました。
そして、会ったのが朝日新聞の I 記者でした。
そうです、のちの “2代目海パンカメラマン” であります。
「何か、群馬の女性をテーマにした温泉の記事を書いてほしい」
との要望があり、誕生したのが 『湯守の女房』 であります。
ネーミングは、当時、大流行していたNHKドラマの 『ゲゲゲの女房』 にあやかったことは言うまでもありません。
翌年、20011年の2月より、隔週の連載が始まりました。
さらに1年後の2012年2月からは、番外編として 『おやじの湯』 がスタート。
現在、『湯守の女房』 が38回。 『おやじの湯』 が7回。
通算で、45回の連載を続けてきました。
が!
次回、3月27日の 『湯守の女房』 の掲載をもって、最終回を迎えることになりました。
本当に長い間、読んでいただき、読者の方々には大変感謝しております。
連載が打ち切られる理由としては、僕の担当者である I 氏が、今月いっぱいで移動になってしまうからです。
担当者が替われば? と思われる人もいるかもしれませんが、いえいえ、I 氏だからこそ続けて来られた連載記事なのであります。
ここは、いさぎよく、スパッと最終回を迎えることにしました。
午後6時30分。
前橋駅南口の居酒屋に、3人が集合しました。
3人とは、当然、I 氏と僕と、2年4ヶ月前に2人を引き合わせた野村たかあきさんであります。
「カンパ~イ!」
「お疲れ様でした」
「2年間、ありがとうございました」
ちょうど、昨日は 『おやじの湯』 の掲載日でした。
残るは、あと1回。
でも、その1回もすでに取材を済ませて、原稿も新聞社へ送ってあります。
「そーだよな、オレが2人を引き合わせたんだから、感謝しろよ!」
野村さんが口火を切って、連載までの思い出話が始まりました。
ちなみに、『湯守の女房』 と 『おやじの湯』 の題字およびイラストは、野村さんの作であります。
飲むほどに、酔うほどに、別れがつらくなってくる。
出会いがあれば、必ずいつか別れがやってくるのが世の常だ。
でも分かっていても、やっぱり、別れはつらい。
今までにも、同じような別れを何度も繰り返してきました。
手がけた雑誌の数だけ、スタッフとも別れてきました。
連載の数だけ、担当者たちと別れてきました。
だから、別れは必ずしも “サヨナラ” ではないことも、知っています。
すべては、次なる人生へのステップのため ・・・
I さん、2年間、本当にありがとうございました。
新任地へ行っても、いい仕事をしてくださいね。
そして、いつかまた、一緒に仕事をしましょう!
だからサヨナラの代わりに、贈る言葉は、
「じゃあ、またね」
2013年03月12日
干俣の諏訪神社②
またしても奇跡が起きたようであります。
今朝、1本の電話で目覚めました。
夜型の僕にとって、午前9時はまだ、床の中なのです。
「おはようございます。朝早くから、すみません」
と、聞き覚えるのある女性の声。
ケータイの表示を見ると、某紙の編集者です。
「読者から、小暮さんの記事に書かれていた諏訪神社の場所を教えてほしいとの問合わせがあったのですが、分かりますか?」
たぶん、諏訪神社とは、嬬恋村干俣にある諏訪神社のことだろう・・・。
いったい、いつの記事のことを言っているのだろうと思い、ベッドから飛び起きて、某紙関連のファイルを取り出してめくり出しました。
平成24年8月3日。
『願いを叶えてくれる氏神様』
これだ!
それにしても、なぜ、半年以上経った今になって、発行元へ問い合わせてきたのだろうか?
「なんでも、以前、小暮さんの記事を読んで、その神社に願をかけに行ったらしいんですよ。そしたらね、ガンが治ってしまったんですって! だから、そのお礼参りに行こうと思っているらしいんですが、場所が分からなくなってしまったんですって。それで、うちへ問い合わせが……」
なるほど、またしても “諏訪様” は、奇跡を起こされたんですね。
実は、この神様、人間には奇跡としか思えない難問、難病を次々と解決してきたエラ~イ神様なんです。
僕の読者ならば、どこかで、この神様の話は聞いたことがあると思います。
だって、今までに新聞や雑誌、ウェブサイトなど、このブログにだってたびたびその神業を書いてきましたからね。
3年前に某雑誌に書いたときなんかは、連日、神社に大勢の人が押し寄せて、ついには役場の職員が交通整理に借り出されたといいます。
その後も、かなりの確率で願い事を叶えてくれる神様がいるというウワサが口コミやネットで広がり、観光バスが停まるまでに。
さらには、賽銭泥棒まで現れて、一時は、村中が大騒ぎになったと聞いています。
※(過去の経緯は、当ブログ2010年7月31日「パワースポット」、同年8月14日「干俣の諏訪神社」、同年10月27日「神様のいる神社」を参照)
でもね、最近は、とんとウワサを聞かなかったものですから、記事を書いた僕自身も忘れていました。
話の発端は、神社の近くにある温泉旅館の女将から 「昔から願い事を叶えてくれる神社があるのよ」 と聞いた、摩訶不思議な出来事でした。
その後、実際に僕のまわりでも次々に奇跡が起こり、さらには僕の記事を読んで旅館に泊まった客たちからは 「病気が治った」 などの知らせが女将に寄せられました。
「で、読者には、なんて伝えましょうか?」
最近の読者は、なんて不精なんでしょうね。
地図やナビで調べれば、いいじゃないですか?
ネットだって検索すれば場所は分かると思いますよ。
で、僕はなんて答えたかというと、宿泊もしないのに神社の問い合わせだけでは旅館に迷惑をかけてしまいますから、「役場に訊いてください」 と伝えました。
それにしても世の中には、まだまだ科学では解明できない不思議なことが、たくさんあるんですね。
2013年03月11日
あの日あの時、大胡温泉
2011年3月11日 午後2時46分
あの日、あの時を忘れません。
そして生涯、忘れることのないように、
あの日、あの時に居た場所で、
今年も黙とうを捧げました。
2年前の今日、僕は赤城山南麓にある大胡温泉の一軒宿 「旅館 三山センター」 に居ました。
※(震災当日の模様は、当ブログ2011年3月12日「大胡温泉ふたたび」、2012年3月11日「あれから1年、大胡温泉へ」参照)
別に、自分でそう決めたわけではないのですが、昨年同様に、やはり地震発生の時刻が近づくと、居ても立ってもいられなくて、車を北へ走らせました。
大胡温泉 「旅館 三山センター」 に着くと、駐車場には客の車は1台もなく、ひっそりと静まり返っていました。
良く見れば、玄関には 「定休日」 の札が・・・
<あちゃ~、そうだった!月曜休みだったよ。すっかり忘れていた>
と、駐車場内でUターンをしたときです。
偶然にも、庭仕事をしていた女将の息子さんが僕に気づきました。
「小暮さ~ん、中にいますから、寄ってってください」
息子さんとは、2年前の震災当日、一緒に旅館から外へ避難して、車の中でカーテレビを観た仲です。
あれ以来、訪ねるたびに、美味しい料理を僕に作ってくれるのであります。
「来るんじゃないかと思っていたんですよ。でも、あいにく今年は定休日に当たっちゃったから……。どうかなぁ、来るかなぁって息子とも話していたんですよ」
と、女将さん。
「昨日もね、去年、小暮さんと一緒に黙とうしたお客さんが来て、『明日、定休日だけど、小暮さん来るんじゃないの?』 って言ってたのよ」
ありがたいですね。
こうやって、定休日なのに、予告もなしに突然やってきた僕を、あたたかく迎え入れてくださって。
そのお客さんだって、今日が定休日じゃなかったら、きっと今日来たでしょうね。
女将さんとお茶を飲みながら、2年前のあの日あの時の話を今年もしました。
僕らは、こうやって、あの日も今も、何不自由なく生活をしています。
被災地の現状をテレビで観るにつけ、胸を締め付けられる思いになります。
本来ならば、何か手を差しのべなくてはならないのでしょうが、現実問題、気持ちはあっても無力な自分を抱え込んだまま、ただいたずらに2年もの月日が流れてしまいました。
できることと言えば、こうして震災当日に居た場所を訪れて、あの日の記憶を消さないこと。
そして、黙とうを捧げ、一刻も速い東北の “復興” と “復幸” を祈ることぐらいです。
午後2時46分
僕は女将さんたちと、1分間の黙とうを捧げました。
来年も、5年後も、10年後、20年後も ・・・
ここに大胡温泉がある限り、自分の中で震災の恐怖を風化させないために、僕はここへ来ようと思います。
PS.
僕が大胡温泉に居ることをブログで知って、わざわざ黙とうを捧げに来てくださった読者のHさん。ありがとうございます。
Hさんは2年前の今日、やはり大胡温泉に来ていた方です。
あの日、Hさんが帰り、僕が訪ねた直後に、地震が発生しました。
2013年03月10日
田舎のプレスリー
先日、コラムの新連載がスタートすることを書きました。
その後、担当者との綿密な打ち合わせを済ませ、すでに準備段階に入っています。
今回は、僕にとっても初の “週刊連載” であります。
現在、連載の開始を前に、原稿を書きためている真っ最中です。
「ぜひ、連載の初回では、なぜ小暮さんが温泉ライターになったのか? その理由を読者に明かしてください。それも全国を股にかける温泉ライターではなく、群馬限定の温泉ライターになったわけも教えてください」
連載の執筆にさきがけて、担当者から、そんな注文をいただきました。
へぇ~、読者って、そんなことが知りたいんですかね。
あまり気にしたことはないんですけど……。
なぜ、群馬の温泉にこだわるのか?
それは、僕が群馬県に生まれ育ったからに違いありません。
でも、それだけが理由でもないんです。
僕は10代の頃に、大きな夢を抱えて、東京へ出て行きました。
ご存知、ミュージシャンを目指していたんです。
夜学の音楽学校に通いながら、ライブハウスやストリートで歌い、レコーディングをしてレコードを売り歩いたり、その当時、できることは、なんでもやったと思います。
でもね、芸術とか音楽って、努力さえすればなんとかなるっていう世界じゃありませんからね。
鳴かず飛ばずのドン底に、突き落とされたのであります。
夢敗れて、都落ち・・・。
ぐんまに帰ってきた僕に、父が言ってくれた言葉。それは、
「田舎のプレスリーになれば、いいじゃないか!」
当時は、まだ若かったですからね。
田舎のブレスリーじゃ、カッコ悪いと思いましたよ。
だからって、世界のプレスリーには、なれなかった現実。
あの時、すぐには父の言葉を素直に聞き入れられなかったと思います。
故郷で暮らすうちに、だんだんと 「もう一度、田舎で頑張ってみるか!」 って思えてきたんですね。
その後、タウン誌や生活情報誌、フリーペーパーと、すべて群馬県内のテーマで、群馬県民をターゲットにした雑誌の編集にたずさわってきました。
“温泉” というテーマも、長年の雑誌編集の中から “自然湧出” してきたものだったのです。
全国には、約3,000カ所の温泉地があります。
僕の取材ペースでは、せいぜい年間100温泉ですから、全温泉を行きつくすのに30年もかかってしまいます。
さらに源泉別に回るとなれば、その10倍以上の時間を要します。
だったら群馬県内の全温泉地、全源泉、そして願わくば全温泉宿を回ろうと思ったのが、僕が温泉ライターになったきっかけといえば、きっかけであります。
「どうして、群馬の温泉なのですか?」
と問われるたびに僕は、その昔に父から言われた、あの言葉を思い出すのです。
田舎のプレスリーになればいい!
2013年03月09日
手打ちラーメンとカップラーメン
「小暮さんは、日帰り温泉には行かないのですか?」
よく聞かれる質問です。
「そんなことは、ありませんよ」
と一応は答えるのですが、僕は温泉ライターですから基本的に仕事では行きません。
ただし、時と場合によっては行きます。
どんな時と場合なのかといえば、「汗を流しに」であります。
拙著 『ぐんまの里山 てくてく歩き』(上毛新聞社) でも書いているように、山歩きのあとなどに、うまいビールを飲むために日帰り温泉施設に立ち寄って、汗を流します。
また真夏の暑い午後に、立ち寄って汗を流してから飲み屋へ行ったりします。
この場合、僕にとって日帰り温泉施設は 「温泉」 ではなく、あくまでも 「銭湯」 として利用しています。
温泉には大きく分けて2つの種類があると思います。
「自然温泉」 と 「加工温泉」 です。
読んで字のごとく、人間が手を加えていない温泉と、手を加えている温泉です。
温泉ファンなら誰でも知っていることですが、源泉100パーセントを使用して 「加水なし」 「加温なし」 「完全放流式(かけ流し)」 である状態が、最良の温泉です。
源泉が高温のために加水する場合もあります。
酸性やアルカリ性が極端に強いために加水する場合もあります。
また、源泉の温度が低いために加温する場合もあります。
乳製品に例えるならば、ここまでが 「生乳」 「牛乳」 の範囲でしょうね。
これに消毒剤や入浴剤を加えて、循環ろ過を繰り返している温泉(?) があります。
これなどは、「乳飲料」「乳製品」 の類いになります。
なかには、すでに 「温泉」 の原型をとどめない、まったく別の液体になっている入浴施設もあります。
これでは、無果汁のジュースと同じです。
間違っても、温泉とは呼べません。
あえて呼ぶなら、「加工温泉」 「温泉風銭湯」 の表記のほうが正しいでしょう。
僕は講演会やセミナーで、この “似て非なる” 温泉のことを、カップラーメンやインスタントコーヒーに例えます。
どちらも 「ラーメン」 「コーヒー」 と名前が付いていますが、“本来” のラーメンやコーヒーではありません。
人間が、便利を求めて作り出した “コンビニエンス商品” ですよね。
だから、生活の中では “代用” として使っています。
だって、カップラーメンより専門店の手打ちラーメンのほうが美味しいし、インスタントコーヒーとレギュラーコーヒーでは味も香りも違います。
なのに、温泉だけが、なぜ平然とひとくくりに同じ 「温泉」 という表記がされているのでしょうか?
これでは、一般の消費者には、まったく温泉の中身が分かりません。
ぜひ、温泉法の改正とともに、「加工温泉」「温泉風銭湯」 の表記義務を制定してほしいものです。