2013年03月21日
山が泣いている
ヒマにまかせて、仕事場の整理をはじめました。
そしたら、机の一番下の引き出しの奥から、3種類の日記が出てきました。
日記といっても、ただの日記ではありません。
“子育て日記” です。
僕には、3人の子どもがいます。
すでに嫁いで1児の母になっている長女。
大学生の長男。
そして、僕が40歳を過ぎてから突然生まれた、まだ中学生の次女です。
僕は職業にライターを選ぶくらいマメな性格ですから、3人の成長過程の観察日記をつけていたんですね。
次女が生まれたときは、完全にフリーで仕事をしていたので、家内が勤めに出て、僕が家事と育児を担当していました。
そんな彼女の育児日記のタイトルは、『またまた天使が舞い降りた』。
3人目ですから、“またまた” だったんですね。
第1ページ目には、こんなことが書かれています。
<我輩は、まだ9.5mmである。名前はまだない。小暮家の第3子として、この世に生を受けたばかりである。>
なんと、家内の妊娠が分かった、その日から日記をつけだしているんですね。
自分で言うのもなんですが、かなりマメな男であります。
妊娠中のこと、出産に立ち会った日のこと、その後の子育てを綴っています。
息子のことを綴った日記のタイトルは、『山歩記』。
我が家の子どもたちは、満3歳になると、僕が強制的に山登りに連れて行きました。
中でも息子とは、男同士ということもあり、中学生になるまで山と限らず海や島へ、父と子の “男旅” へ出かけました。
そんな、2人で登った山が、当時の写真とともに綴られています。
長女のことを記したノートは、実は日記ではありません。
タイトルは、『○○○語録』。
※(○○○は、長女の名前です)
彼女が言った言葉たちが綴られています。
たとえば ・・・
●家内との会話
「口はしゃべるためにあるでしょ、足は歩くためにあるでしょ。カラダはなんのためにあるんだろう……。あっ、分かった! お風呂で洗うためにあるんだよね」
●長男が生まれてからのある日
娘 「もう、赤ちゃん生まれないよね」
家内 「どうして?」
娘 「だって、寝るところないもん」
当時は、まだアパート暮らしだったんですね。
6畳1間に、4人で寝ていました。
子どもって、天才じゃないのかなって思います。
この発想、大人になってしまったら、出てきませんもの。
長女が言った言葉で、僕が大好きな言葉があります。
これは、家族で山登りへ出かけた帰り道でのことでした。
山肌をブルドーザーが削っている光景を見た娘は・・・
「あっ、お山が痛い痛いって、泣いているよ」
僕は、その時、きっと娘を抱きしめたことでしょうね。
大人が言葉で教えなくても、物心ついたときから山を歩いていることで、自然を愛する心がはぐくまれていたんですね。
だから大人には、ただの工事現場にしか映らなかった光景も、彼女には自然からの悲鳴が聞こえてきたのです。
そんな、“天使のつぶやき” がいっぱい詰まった語録ノートを、長女が孫を連れて遊びに来たら、見せてあげようと思います。
今度は、娘が “天使のつぶやき” を聞き取る番ですものね。
Posted by 小暮 淳 at 18:52│Comments(0)
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