温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2010年05月31日

ベストセラーと呼ばれて

 このところ、上毛新聞社の方に会うと、「入社式で社長が小暮さんの本のことを話していた」とか、「社内報にも入社式での『社長のあいさつ』のスピーチ内容が書かれている」との話がでます。

 どうも社長自らが、拙著のことを “ベストセラーになっている『ぐんまの源泉一軒宿』”と、語ってくれているようなのです。

 最近、この「ベストセラー」という言葉が、非常にひっかかります。直訳すれば「一番売れている本」という意味ですから、上毛新聞社で一番とか、書店で一番売れている本をそう呼ぶのであれば、問題はありません。実際に一時ですが、書店で1位になったこともあります。

 しかし「ベストセラー」と聞くと、村上春樹のような売れっ子作家をイメージする人が少なくありません。イコール、印税生活!みたいな。これには参ってしまいます(地方出版物の印税なんて、微々たるものですから)。

 一度「ベストセラー」の冠が付くと、猫も杓子も使い出します。

 NHK文化センターの温泉教室「探訪! ぐんまの源泉一軒宿」のセールスコピーは、
 “ベストセラーになった講師の著書をもとに湯遊しませんか?”

 ですし、

 ヨークカルチャーセンターの温泉講座「小暮淳と行く ぐんま温泉探訪」の肩書きは、そのものズバリ!
 “ベストセラー作家”

 となっています。

 おいおい、と突っ込みを入れたくなってしまいます。
 最近は、「ベストセラー」による風評被害も出ているのです。
 ベストセラー=印税生活=金持ち
 という誤った認識です。
 町内の集まりに出ても、そんな話ばかりで閉口しています。

 声を大にして言いますけど、ライターなんて皆さんより貧乏で・す・か・ら~!

 ま、売れないより、売れた方がいいのです。
 ライターは、読まれてナンボの仕事です。
 これにおごれることなく、コツコツと原稿を書いていきます。

 では、今日もこれから温泉行脚の旅に出てきます。   


Posted by 小暮 淳 at 10:36Comments(3)著書関連

2010年05月30日

源泉巡礼記 第43話

 今日は月刊「Deli-J」(でりじぇい)の配布日です。みなさんのご家庭には、入りましたか?(僕のうちは上毛新聞を取っているのに、なぜか入りません)

 連載中の『源泉巡礼記』も、今回で43話。つづいています。

 月刊「Deli-J」の発行部数は、驚異の35万部! フリーペーパーとしては県内最大の刊行物です。
 発行部数が多いということは、それだけ読まれている人も多いということで、ほとんどの人は僕のことを、この『源泉巡礼記』で知ったようです。

 「毎回、楽しみに読んでいます」とか「いつも夫婦で、温泉めぐりを楽しんでいます」等々の声をかけていただきます。
 今回もいち早く声をかけてくれた人がいます。上毛新聞社の方です(社内には配布日前に配られています)。
 「いつも読んでますよ。高崎観音山温泉、まだ書いてなかったんですね。新鮮でした」
 と、鋭いコメントをいただきました。
 そーなんです。43話にもなるのに、高崎観音山温泉は初登場だったのです。

 身近で、みんなが良く知っている温泉を書くときは、かなり気をつかいます。ただのガイドブックにならぬよう、少しでも多くのトリビアを見つけて書くようにしています。今回は、歴史に焦点を当てました。
 昭和のはじめ、まだ白衣観音像が建立される前に、淡谷のり子が歌う『高崎小唄』の4番の歌詞に、高崎名所として「錦山荘」の名が詠まれていることを知っていましたか? さて、「へぇー」いくつもらえますかね。

 詳しい話は、月刊「Deli-J」6月号をお読みください。  


Posted by 小暮 淳 at 11:52Comments(0)温泉雑話

2010年05月29日

おめでとう、10周年!

 昨夜は、前橋テルサで開催されたライフプラン21の10周年記念イベントに、参加してきました。
 ライフプラン21は、県内で活動するファイナンシャルプランナーや弁護士、司法書士など専門家たちのネットワークです。一見、僕なんかとまったく関係がなさそうですが、なぜか過去に2回の講演会と、たびたびのセミナーを開いていただいています。これもすべては、代表の本多輝雄さんが、無類の温泉好きだからです。

 現在、僕は同社の「ぐんま温泉倶楽部」顧問をしています。

 イベントの1部は、各運営役員さんたちのスピーチ。最後は本田さんが、「安心と笑い」をテーマに、きっちり話を締めていました。
 2部は「松本梅佂、三味線の世界」で、迫力ある津軽三味線の世界に酔いしれました。

 会場では、以前僕の講演を聞いたり、僕の本を読んだ人たちから、何人も声をかけられました。みなさん、本当に温泉がお好きで「○○温泉へ行ってきました」とか「今度、○○方面へ行こうと思うのですが、おすすめはどこですか?」とか、一生懸命に僕から温泉情報を聞き出そうとします。嬉しいですね、お役に立てているようで。

 イベント終了後は、自称、僕の後援会長N氏と、近くの居酒屋へ。
 ほろりほろりと、温泉談義を楽しみました。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:35Comments(0)つれづれ

2010年05月28日

ああ、ガラメキ温泉

 先日のNHK温泉講座のとき、受講生の1人から「先生は、ガラメキ温泉をご存知ですか?」という、質問がありました。
 ガラメキ温泉は、昭和21年にこつ然と姿を消した幻の温泉。平成11年9月には、群馬県の温泉源泉台帳からも抹消された温泉です。
 「ええ、知ってますよ」と僕。
 「そうですか。私のうちの近所に、かつての旅館の女将が住んでいるんですよ」と彼。
 「箕郷町(現・高崎市)ですね。100歳になる女将さんが健在なのですよね」
 「さすが先生、よくご存知ですね」
 (先生、先生と言われるほどの馬鹿でなし……)

 平成17年6月、僕は某情報誌に『編集長がゆく』という、群馬の不思議を追った連載を書いていました。そのシリーズの第5話で、幻の温泉「ガラメキ温泉」を訪ねています。
 県道28号線「高崎榛名吾妻線」、ロッククライミングの聖地「黒岩」の岩壁を目印に、歩き出しました。途中は崖崩れが数ヶ所、沢越えが数ヶ所あり、約1時間の登行の末に、たどり着きました。

 明治時代には3軒の旅館があったという名残の石垣の奥、直径約70cm、深さ約150cmのヒューム管から源泉が今も湧き続けていました。
 先客は大宮からマウンテンバイクで来たというおっちゃん。
 「よっ、お先に失礼。沢の水が入り込んで泉温は24度とヌルメだが、さっぱりするぞ!」とは、なかなかのツワモノです。
 我も負けじと、素っ裸になって湯に浸かった記憶があります。

 ガラメキとは、正しくは「我楽目嬉」と表記するらしい。
 昭和21年、旧日本陸軍の相馬ヶ原演習場を米軍が接収し、旅館は強制立ち退きを命じられました。

 この話は、シリーズで2話に渡り連載され、大変反響がありました。
 「当時のガラメキ温泉の新聞広告を持っているから、取りに来なさい」と、わざわざ電話をくれたおじいちゃんなど、編集室にハガキもたくさん届きました。
 90歳になるおばあちゃんからは、「子供の頃、ヤケドをすると、父親が私をおぶってガラメキ温泉まで連れて行ってくれました」という、長い長いお便りをいただきました。

 平成に入り、雨後の竹の子のように日帰り温泉施設が増え続いている一方で、群馬県内には消えて行った温泉も、たくさんあります。いつか、そんな消えた温泉たちを1冊の本にまとめられたらと、思っています。
  


Posted by 小暮 淳 at 02:23Comments(0)温泉雑話

2010年05月27日

メディア懇親会

 昨晩は、県内の新聞・雑誌・テレビ・ラジオ等、メディアに関わる人たちの懇親会に出席してきました。
 参加者は7社、9人。はじめてお会いする方もいて、発展性のある意義ある楽しい会でした。

 いよいよ来年は「群馬DC」(群馬デスティネーションキャンペーン)が開催されます。これは平成23年7月から9月の3か月間、群馬県内の市町村や観光関係者、全国のJR6社などが一体となって展開する、観光イベントです。
 今回の懇親会のテーマは、この「群馬DC」へ向けてのコンテンツ提案でした。

 僕はメディアに関わってはいますが、現在はフリーですから、メディアの人間ではなく、メディアにお世話になっている立場の人間です。そんな僕が呼ばれたのは、なんでだろう? 最初は疑問に思えたのですが、天性の楽天家ですから「そうか、温泉の話をすればいいんだな」と軽い気持ちで、参加してしまいました。

 ところが、この軽さが、見事的中!
 みんな大好きな温泉話は、盛りに盛り上がり、「群馬DC」へ向けてもそんな方向に傾いたのでした(しめしめ)。
 調子にのっていたら、最後は、じゅん&クァパラダイス(僕のバンド)の『GO!GO!温泉パラダイス』まで、歌わされてしまいました。

 各メディアのみなさん、昨日は大変お疲れさまでした。これに懲りずに、また呼んでくださいね。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:50Comments(0)つれづれ

2010年05月26日

鹿沢温泉 「紅葉館」②

 連日の雨模様のなか、奇跡的に晴れた昨日。NHK文化センター温泉講座『探訪! ぐんまの源泉一軒宿』の2回目講座が、行われました。今回は、鹿沢温泉へ行ってきました。

 下界は30度を超えるという真夏日にもかかわらず、標高1770mの湯の丸高原は、上着を着てても涼しいほどでした。
 地蔵峠から百体観音をめぐりながら、鹿沢温泉へ。この道は「湯道」と呼ばれ、湯治場へ向かう旅人の安全祈願と道しるべを兼ねて、江戸時代末期に100体の観音像が安置されました。その湯治場こそが、「百番観音像」の立つ、鹿沢温泉です。

 4代目主人の小林康章さん、女将の百合子さん、三男の信貴さんが出迎えてくれました。小さなお宿なのに、無理を聞いてくださり、23人もの食事を用意してくださいました。
 昼食は、大阪で修行を終えてきた信貴さんの手打ちそば。天ぷらは、女将が朝摘んできた11種類もの山野草を揚げたもの。いただいた食堂は、大正7年の大火後に再建された、鹿鳴館風のおしゃれレトロな空間です。

 極めつけは、やはり、湧出から浴槽まで一切の動力を使わずに流し入れた源泉120%の完全かけ流しの温泉!
 これを「自然湧出」「自然流下」といいます。県内でも今は、数えるほどしかない貴重な温泉国宝級の湯と湯舟です。
 うっすらカーキ色に微濁した湯は、力強くてグイグイと押してきます。性別は男、それもかなりのマッチョで、格闘家です。

 食事の前に1ラウンド、引き分け。食後に2ラウンド目に挑戦するも、圧倒的な押しの強さにより、湯舟の外へはじき出されてしまいました。男性風呂は5人が挑戦するも、4人はKO負けをしてしまいました。ただ1人、40分頑張れた強者は、この講座の長老で、鹿沢温泉に20年ぶりに訪れたという温泉の達人でした(その人は講師より温泉に詳しい)。

 県内でも3本の指に入る極上の湯(僕はそう思います)に、受講生らは大満足の様子。
 「やっぱり、源泉一軒宿はいいですね」
 「次は、どこへ行くんですか?」
 「もう毎月、楽しくて楽しくて」
 と、この講座は大変人気があり、回を重ねるごとに、みなさん、どんどん温泉通になっていきます。
 講師冥利につく、楽しい一日でした。
  


Posted by 小暮 淳 at 15:30Comments(0)温泉地・旅館

2010年05月24日

夢の軌跡

 「夢は叶うもの」いつも僕は、そう思って生きています。よく「叶える」という人がいますが、そうは思わないんですね。
 なんだか「叶える」というと努力が必要です。でも本当に好きなものって、努力なんてしません。勝手に心と体が動いてしまいます。時に、無我夢中で一生懸命な姿を見て、他人は「努力している」と評価するのかもしれませんが、本人は好きなことですから、なんら苦痛を感じていないんですね。むしろ楽しくてしょうがない。だから人一倍頑張ってしまう。気が付くと、夢が叶っているということです。

 10代のとき、歌手になりたくて東京へ出ました。音楽学校へ通いながら、ライブハウスや路上で(今で言う、ストリートです)歌ったり、仲間とコンサートを開いていました。いつしか、そんな僕を見ていた人が「レコーディングをしないか?」と言ってくれて、本当にレコードデビューの夢が叶ってしまいました(もちろん、ヒットはしません)。

 20代になって役者になりたいと思い、劇団に入りました。稽古はちょっぴり辛かったけど、舞台に立つのが楽しくて夢中になりました。何年か後に、池袋のサンシャイン劇場のステージに立っていました。

 夢が叶っても、続かないのが僕の悪いところです。

 30歳を前に、小説を書こうと思い、原稿を新聞社へ送ったところ、掲載されてしまいました。
 これで図に乗って、タウン誌に勤めて、雑誌の編集を始めたのですが、どうしても自分の名前(記名)で文章が書きたくなって、会社を辞めてしまいました。これがフリーライターの始まりです。
 辞めて最初にやったことは、仕事を探すことより、自分の本を出版することでした。1年間かけて、本を作りました。それが『上毛カルテ』(上毛新聞社)です。

 それからはアジアを旅したいと思ったら旅に出て、離島の生活を書きたいと思ったら島に何年も通いました。
 それらは本になったり、展示会をしたり、と形になりました。
 この頃から、夢は叶えるのではなくて、叶うものなのだと思うようになりました。ただ、その「夢」は、本当に好きなことなのか? 本当にやりたいことなのか? この見極めは必要です。苦痛が伴った時点で、夢は夢と化してしまうからです。

 40歳を過ぎてからは、ひたすら温泉ばかり入っています。「50歳までには本にしたい」と漠然と思っていたのですが、ぎりぎり昨年、その夢も叶いました。

 今の夢は、もっと温泉の本を書くことです。
 この夢は、もうお約束されている夢ですが、まだ叶っていないので、夢は夢です。

 もしかしたら僕は、叶う夢しか見ていないのかもしれませんね。傷つくのが恐くて、あえて叶いそうもない夢は見ないようにしているのかもしれません。ま、いいじゃありませんか! 叶う夢が多いほど、人生は楽しいですぞ!   


Posted by 小暮 淳 at 17:48Comments(2)つれづれ

2010年05月23日

銭湯 × 温泉

 昨日は夕方から高崎で、対談取材を受けました。
 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄)主催による特集企画で、『群馬伝統銭湯大全』(クレインダンス刊)の著者・抜井諒一さんと銭湯×温泉のトークを楽しんで来ました。

 そもそも僕はライターですから、取材をしたり話を聞くのが本業で、話を聞かれたり、取材を受けることは稀のことなのですが、最近はぽちぽちそんな依頼が来るようになりました。でも、記者さんやライターさんから話を聞かれるというのもヘンなものです。「ああ、いつもこんな感じで僕の取材を受けているんだ」と、思うことがあります。
 ま、でも昨日は対談ということで、抜井さんも僕も気取らず、リラックスムードの中で、語り合うことができました。

 抜井さんは高崎市在住の、印刷会社に勤務する青年です。まだ20代ですから、僕とは親子ほど歳が離れていますが、なかなか落ち着いていて、歳の差は感じませんでした。まあ、銭湯に興味を持つくらいですから、同世代の若者よりは、渋めかもしれませんね。
 話を聞くと、どうも僕とは初対面ではないようです。昨年、渋川市で開催した講演会にも来て頂いているようで、また別のパーティーの席でも一緒になったことがあったようです。ただ、名刺を交換して、ちゃんとご挨拶をしたのは、このときが初めてでした。

 銭湯と温泉、同じ湯の文化ですが、片や街中の大衆文化、片や人里離れた深山の湯治文化ですから、あまり類似点はないのですが、お互い興味はある世界です。僕も雑誌記者時代には、銭湯を取材したことがありました。
 あれやこれやと、話が脱線しながら盛り上がって、気が付いたら2時間半の対談になっていました。

 結局、銭湯も温泉も、平成の世になり、日帰り温泉施設に泣かされているという現実がオチとなりました。街中に温泉を掘ってしまうのですから、銭湯と温泉のイイトコ取りです。まさに浴場界のニューハーフの出現です。
 最後は、そんな平成浴場事情で盛り上がりました。

 この対談記事は、6月18日発行の「ちいきしんぶん」紙上に掲載されます。  


Posted by 小暮 淳 at 16:45Comments(0)温泉雑話

2010年05月22日

榛名湖温泉 「ゆうすげ元湯」「レークサイドゆうすげ」

 昨日の昼から榛名湖温泉に、泊り込みで取材をしてきました。
 名前のとおり、榛名湖畔に湧く温泉です。

 榛名湖温泉の歴史は、少し複雑です。昭和43年に群馬バスが温泉を掘り当てていましたが、伊香保温泉との兼ね合いの問題もあり、群馬県温泉審議会から、なかなか許可がおりませんでした。
 昭和51年にオープンするも、54年には榛名町に経営を移管。温泉は本館と新館のみで使用することを条件で、許可されました。新館とは現在の「レークサイドゆうすげ」ですが、当時は広域市町村の経営による老人休養ホームとしてのオープンでした。
 現在は両方とも、平成18年の高崎市-榛名町合併を機に、㈱榛名湖温泉として民営化されています。

 昼間は、中島美春社長と打ち合わせをしたあと、「ゆうすげ元湯」の小野浩司支配人の案内のもと、本館、コテージ、湖畔荘を見学して回りました。コテージは5棟あり、1棟ごとに温泉が引かれていて、定員8人。これで22,050円~と魅力的。
 湖畔荘は10室のみの別荘で、キッチン付きなので自炊が可。長期滞在向きです。「こんなところに滞在して、執筆活動がしたい」と思ったら、実際に画家さんが滞在して創作活動をしていました。

 夜は「レークサイドゆうすげ」に泊めていただき、富澤浩一支配人にお世話になりました。富澤さんによれば、こちらは7割のお客がリピーターの連泊者。完全に湯治目的の人たちです。
 僕も榛名山登山の帰りに、たびたび入浴に立ち寄っていますが、宿泊は今回が初めてです。改めて、湯の良さを実感しました。
 カーキ色のにごり湯が、完全かけ流し。目の前は湖面です。露天ではありませんが、絶景が一望できます。窓を開けて、湖畔に顔を出しながらの入浴は、まさに極楽気分。
 湯口周辺が熱めで、湯尻がぬるい。これが循環をしていない、放流式の特徴です。いい湯に出会うと、大変得した気分になりますね。帰りまでに、3回も入浴してしまいました。

 ちなみに榛名湖の花火大会の日は、すでに全館全室が満席だそうです。
  


Posted by 小暮 淳 at 21:35Comments(0)温泉地・旅館

2010年05月20日

川場温泉 「花紀行」

 川場村には、6つの温泉があります。
 武尊(ほたか)温泉、小住(こじゅう)温泉、桜川温泉、塩河原温泉、宮山温泉と川場温泉です。
 小住温泉は日帰り入浴施設、その他は湯宿があります。武尊、桜川、塩河原、宮山は一軒宿です。

 川場温泉には3軒の宿がありますが、唯一ペンションで温泉を引き入れているのが、「花紀行」です。
 武尊神社を過ぎて、厄除観音へ向かうりんご畑の中に、しゃれた洋風の建物が顔を出します。
 白いりんごの花の中に、ペンションを見つけたときは、ちょっぴり感動を覚えました。

 ご主人の星野紀重さんと奥さまの八重子さんは、平成4年に脱サラをして、ペンションをはじめました。
 宿は名のとおり、四季の花々に囲まれていて、お話を聞いたレストランのテーブルにも、オダマキ・シャガ・ムラサキケマンといった野草がさりげなく飾られていました。聞けばすべて、ご主人の趣味だとか。料理も園芸も生け花も、すべてひとりでこなしてしまうそうです。
 紀重さんは山岳カメラマンでもあります。武尊山や尾瀬に魅せられて、若いときから写真を撮り続けています。
 「都会の人たちが、ふと名もない草花に気づける“気づきの場所”になってくれたらいい」と言います。
 自然を愛しながら自然体の暮らしをしている方です。サラリーマンをしていたことが信じられないくらい、自然に溶け込んでいました。

 浴槽に引き込んだ源泉は、もっとも古い歴史を持つ「弘法の湯」の1号泉と3号泉の混合泉。
 諸国行脚の際に、この地を訪れた弘法大師が、老婆から水をもらい、その厚意に感謝して杖をついて湧き出させたという伝説の温泉です。今でも泉源の近くに弘法大師堂があり、尊像が安置されていました。

 歴史ある古い湯と、しゃれたペンション。これからの温泉地の姿を垣間見たような気がしました。  


Posted by 小暮 淳 at 14:47Comments(0)温泉地・旅館

2010年05月19日

大泉町女性セミナー 受講生募集 

 大泉町教育委員会から、平成22年度女性セミナーの開催チラシが届きました。
 大泉町からセミナー講師として依頼されるのは、昨年6月に開催した高齢者教室に続いて2回目です。

 このセミナーは、大泉町在住・在勤の成人女性を対象に開催されるもので、6月から12月まで全7回開講されます。
 僕は最後の第7回(12月)を担当します。講座日時と内容、募集要項は以下のとおりです。

 第7回 魅力あふれる群馬の温泉 ~守り継ぐ湯 語り継がれる宿~
●日 時/12月3日(金) 午前10時~正午
●受講料/無料
●対 象/大泉町在住・在勤の成人女性
●会 場/大泉町公民館
●締切り/5月28日(金)
 ※申し込み方法は、電話にて問い合わせください。
 大泉町公民館内学級事務室 TEL.0276-62-2542 平日9:00~17:00
  


Posted by 小暮 淳 at 18:45Comments(0)講演・セミナー

2010年05月18日

桜川温泉 「ふじやまの湯」

 昨日の午前中より川場村に滞在して、村内の温泉地を取材してまわりました。
 夜は、ご厚意により、桜川温泉「ふじやまの湯」に泊めていただきました。

 夕方、宿に着くと、初代主人の中村嘉一さんがフロントで店番をしていました。御歳84才とか。まだまだ、お元気です。
 やがて畑仕事を終えた3代目の中村久さんが戻り、取材協力のお願いと、段取りの打ち合わせをしました。久さんとお会いするのは初めてですが、お声は以前に何度か電話で聞いたことがありました。イメージどおりの方でした。がっちりした体格に、あごひげがのびた、いかにも山男タイプの青年。朴訥ながら、やさしさのにじむお人柄です。

 部屋で旅装をといて、すぐに浴室へ。
 話には聞いていましたが、自然石を敷きつめた圧巻の岩風呂です。「武尊山の焼き石」と呼ばれる巨大な火山岩が浴室の真ん中にあり、左右に「ぬる湯」と「あつ湯」があります。どこから配管しているのか、巨岩の割れ目が湯口となって、湯が注がれていました。
 湯はアルカリ性の単純温泉。つるすべの湯を浴みながら、窓の外に目をやると、花、花、花、花のお花畑です。それも山野草ばかり。クリンソウを中心に、シラネアオイやタイツリソウ、イカリソウ、時期は過ぎてしまいましたミズバショウの姿まで見られました。クリンソウの満開時期には、ライトアップをされるとか。まだ少し早いようで、実に残念です。
 湯舟の中から山野草の“花見風呂”なんて、いいですなぁ~!

 湯上りにビールをいただきながら、ひとしきり2代目女将の中村せんさんから、山野草栽培の苦労話を聞きました。

 川場村の奥の奥、この先は川場スキー場しかありません。家族だけでやっている小さな民宿です。
 僕の一番好きなタイプの温泉宿ですね。湯も人も温かくて、体も心もポッカポカになりました。  


Posted by 小暮 淳 at 17:36Comments(0)温泉地・旅館

2010年05月16日

泡の付く湯

 群馬県内には、全国でも全体の1%しかない珍しい炭酸泉の湧く温泉がいくつかあります。一般に炭酸泉というのは旧泉質名で、現在は二酸化炭素泉のことをいいます。成分の炭酸ガス(小さな気泡)の刺激で、毛細血管が広がり血圧を下げる効果があることから、ヨーロッパでは「心臓の湯」と呼ばれ、大変珍重されている温泉です。
 県内では、下仁田温泉が有名ですが、二酸化炭素泉の他にも、炭酸水素塩泉や一部の硫酸塩泉でも泡が付く温泉があります。僕が入った湯では、霧積温泉、温川温泉、平治温泉、半出来温泉なども、体に気泡が付きました。

 ところが炭酸泉は熱に弱いので、温めると気泡が飛んで消えてしまいます(コーラを温めると炭酸が抜けますよね)。よって、炭酸泉はほとんどが、冷鉱泉か低温泉です。ちなみに下仁田温泉の源泉の温度は約12度。加温した内風呂よりも、露天風呂にある源泉風呂の方が、より泡は付きます。が、いかんせん冷鉱泉ですから、冬場はなかなか厳しい。夏に入ると気持ち良いですが……。

 実は県内には、高温泉でありながら、気泡の付く温泉があります。それも半端でない炭酸ガスの量です。
 残念なことに、ここで名前と場所を明かすことはできません。地元民専用の浴場のため、公表できないことをお許しください。僕も公言しないという約束で、地元の方に教えていただいた温泉です。

 先日、取材の帰りに、カメラマンのT君にサプライズプレゼントとして、この温泉へ連れて行ってあげました。
 T村にあるH温泉の源泉に、無人のプレハブ小屋が建っています。もちろん誘導看板も、小屋に名前もありません。小屋の前に立っても、ここが温泉とは分からないでしょう。
 湯舟に入るなり、T君は「おおおおおおお~!」と雄叫びを上げました。ものの1分も経たないうちに、全身が泡だらけになったからです。そのスピードと泡の量は、たぶん県内一です。
 「いやぁ、温泉って奥が深いですね。びっくりしました」と、驚愕気味のT君。
 加温もせずに適温で入れ、炭酸ガスが抜けずにいる。湧きたてだからでしょうが、まさに奇跡の湯です。

 もし知っている人がいたら、ナイショにしてあげてくださいね。
 

   


Posted by 小暮 淳 at 21:53Comments(0)温泉雑話

2010年05月15日

関越交通とタイアップ取材

 今日は早起きをして、半年ぶりの『ぶらり水紀行』の取材へ行ってきました。
 『ぶらり水紀行』は、「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄)に連載している紀行エッセイで、冬~春は『里山をゆく』、夏~秋は『ぶらり水紀行』とタイトルを変えます。今回は水紀行の第11話目、通算28話となります。赤城山の覚満淵から御神水まで、水を訪ねて歩いてきました。

 今回は関越交通さんに、ご協力をいただき、前橋駅からの往復のバス運賃を無料にしていただきました。
 関越交通では、今年の5月1日から土・日・祝日のみ、赤城山までの直行便、急行バスの運行を始めました。これは大変便利です。前橋駅、中央前橋駅に停車した後は、畜産試験所入口までノンストップ。ここからは各バス停に乗降者がいれば停まりますが、1時間足らずで終点のビジターセンターまで行ってしまいました。

 今日が土曜日ということもあるでしょうが、バスは満席。すべて登山客です。若い人から年配者まで、老若男女でいっぱいでした。嬉しいですね。マイカーでなく、我々(僕とカメラマン) みたいにスローライフにこだわった山歩きを楽しんでいる人が増えているようで。バスで登山なんて、なんだか昭和の光景みたいですけど、エコ的にもとってもいいことです。

 今回の取材の目玉は、山奥に湧く御神水で、ウィスキーの水割りを作って飲む!です。これが、うまいのなんのって、カメラマンのY氏と2人で飲み過ぎてしまい、復路の尾根歩きがヘロヘロ状態で大変でした。
 酔っ払い運転はもちろん絶対にしてはいけませんが、酒気帯び登山も危険ですので、よい子のみんなは真似しないでくださいね。

 関越交通さん、並びに今日お世話になった3名の運転手さん、大変ありがとうございました。
 なお、今日の取材の様子は、6月4日発行の「ちいきしんぶん」に掲載されます。乞う、ご期待!  


Posted by 小暮 淳 at 21:08Comments(0)執筆余談

2010年05月14日

ブログの効用

 このブログを始めて、かれこれ3ヶ月。
 連載している雑誌でも紹介されているので、少しずつですが、友人や知人、読者の方々の閲覧が増えているようで、ときどき「ブログ読んでます」と、声をかけていただくことがあります。

 先日も、夜突然にケータイが鳴り、出てみると知人からでした。
 第一声が「今、ブログを読んだんだけどさ、身につまされるな~」でした。連休のカンヅメ生活を書いた『K.W.突入!』を見たようです。
 彼もフリーで仕事をしている身。人が休んでいるときに働いている人の一人なのです。
 「『老人と温泉』は泣けたよ」と、バックナンバーも読んでいてくれたとは、うれしい。

 ところで『老人と温泉』は、いろんな方から「泣けた」との報告をいただきました。ツイッターでも書かれている方がいました。結構、みなさん、人情物がお好きなのですね。

 僕のブログを読んでいる方で、こんな事を言った人がいました。
 「小暮さんのスケジュールが分かって重宝しています」
 この方は、編集者です。
 出張へ出かけている、原稿を抱えてカンヅメになっている、県の仕事をしている等々。僕の動向が分かるため、仕事を依頼するタイミングを計れるというのです。なるほどねぇ、と感心してしまいました。ブログもいろいろな使い方があるのですね。

 ただ、困ったことも……
 他人と話していると、「あっ、知ってる」と言われる機会が増えたこと。
 「えっ、この話、したっけ?」と僕。すると「ブログで読んだ」とのこと。なるほどねぇ、知らぬは本人ばかりかな。
 ついつい毎日、日記を付けている感覚で書いているものだから、「なんで知ってるの?」と錯覚を起こしてしまいます。
 考えてみれば、日記は他人には見せませんが、ブログは読ませるために書いているんですよね。

 雑誌や新聞に、記事やエッセイを書いているときは、緊張感をもって読まれることを意識して書いているのですが、ブログはついつい弛緩してしまいますね。怖い、恐い、コワイ。

 みなさんも気をつけましょう。
   


Posted by 小暮 淳 at 20:42Comments(2)つれづれ

2010年05月13日

尻焼温泉 「関晴館」(旧別館)

 尻焼温泉には、現在3軒の旅館があります。
 一番の老舗旅館が昭和元年創業の「関晴館」です。

 実は2年前までは、関晴館は2軒ありました。花敷温泉の関晴館本館と、尻焼温泉の関晴館別館です。本館が廃業してしまったため、今年の3月、六合村が中之条町と合併したのを機に「関晴館」と屋号を改めました。
 ちなみに花敷温泉は、本館が辞めてしまったため、現在は「花敷の湯」ただ1軒となってしまいました(拙著『ぐんまの源泉一軒宿』参照)。

 関晴館は清流・長笹沢川のたもと、花敷温泉から向かうと一番手前。赤い屋根が印象的な和風旅館です。
 日本秘湯を守る会の会員宿で、現在県内15軒が加盟していますが、昭和50年の創設時から加盟している秘湯宿です。
 4代目の若主人、関安典さんが、3代目女将とともに切り盛りしています。

 特筆すべきは、尻焼温泉のなかで、唯一河原に面した大露天風呂を所有していることです。巨大な露天風呂を完全かけ流しにできる宿は、群馬県内でも数えるほどしかありません。これもすべて天与の恵みの成せる業。源泉温度55度、毎分294リットルという豊富な湯量があればこそのものです。
 男性風呂は長笹沢川を見下ろす高台に、女性風呂はやや小さめですが、階段で川床まで歩いて降ります。そのまま川に入っているような、野趣に富んだ露天風呂でした。もちろん僕は、男性風呂にしか入っていませんが、機会があれば、ぜひ今度、入らせてもらおうと思います。

 尻焼温泉も、昨年までは4軒の旅館がありました。「明星屋旅館」が辞めてしまったのは、とても残念なことです。
  


Posted by 小暮 淳 at 17:16Comments(0)温泉地・旅館

2010年05月12日

奥嬬恋温泉 「干川旅館 別邸花いち」

 今日は朝からカメラマンのT君と、月刊「Deli-J」の取材で奥嬬恋温泉まで行って来ました。
 T君とは、例のフルチンから海水パンツを起用した新進気鋭のカメラマンです。
 (※ブログ内、高崎観音山温泉「錦山荘」を参照)

 干川旅館を訪ねるのは、何回目でしょうか。雑誌でも数回、JRの冊子でも昨年出版した本でも、たびたび訪れている温泉宿です。
 宿に着くなり3代目主人の干川英男さんと、女将の陽子さんに出迎えられました。今日もいつものように玄関ロビーには、巨大な花梨の根コブでできた衝立の前に、陽子さんが生けた季節の花が咲き誇っています。「野に咲く一輪の花のようにありたい」という女将の願いから、別邸の名「花いち」は名付けられました。

 「小暮さん、悪いですね。急に地元の法事が入ってしまって、手が離せなくなってしまいました。原稿おまかせでいいですか?」と主人。「はい、それでよろしければ」と僕。「申し訳ないですね。撮影は好きにやってください」と女将。
 ということで、勝手知ったる温泉旅館です。初めてのT君を連れて、館内を案内しながら撮影を始めました。

 今回は、大浴場と貸切半露天風呂の2ヶ所での入浴シーン撮影。まずは大浴場から……。
 「いい風呂っすね。ええと、ではこのあたりに入って、庭を眺めてください」
 さっそく流暢なT君のトークが炸裂です。
 「いいですね。ちょっと肩にお湯なんか、かけてみてくださいよ。そうです、そうです。いいですねぇ」
 ポーズをとるのに夢中で、彼の姿に気づきませんでしたが、振り返ると、なななんと、フルチン!
 「あれ、海水パンツは?」
 「いや、今日はこれで行きましょう!」
 行きましょうって、前回、ブラブラが変態チックでキモイから海水パンツをはいてくれたんじゃないの?
 ま、いっか。彼のテンションのおもむくままに任せることにしましょう。雑誌の出来上がりが楽しみです。

 このときの様子は、月刊「Deli-J」7月号に掲載されますので、乞う、ご期待!

 
 
  


Posted by 小暮 淳 at 18:34Comments(2)温泉地・旅館

2010年05月11日

尻焼温泉 「ホテル 光山荘」

 昨日、今日と2日間、旧六合村の尻焼温泉に泊り込み、取材をしてきました。
 六合村は、数年前からパンフレットを製作したり、雑誌の取材等で、たびたび訪れていますが、今回は初めて「光山荘」に泊めていただきました。

 尻焼温泉は、巨大な天然川風呂で有名ですが、「光山荘」はその川風呂に一番近い宿です。
 僕の来訪を大変歓迎してくれて、営業部長の小渕哲也さん、初代女将の小泉とよさん、2代目女将の長岡つる代さんに出迎えられ、楽しい取材ができました。
 小渕さんは、夕食の席にも顔を出してくれて、ビールと地酒でほろ酔い談義が始まりました。尻焼温泉のこと、他の六合村の温泉ばなし、群馬県内の温泉事情などなど、熱く語り合っていたら、ついつい飲み過ぎてしまいました。

 尻焼温泉の源泉は、すべて川の中。「光山荘」は自家源泉を持っています。泉温は54度の高温泉です。
 ちょっと熱めですが、加水なし、加温なし、完全かけ流し。その量が半端じゃない! 広い湯縁全体から、ザーザーとあふれ流れています。
 つくづく「同じ温泉でも、こんなに違うものなのか…」と、感心する絶妙な浴感のする湯です。
 ひと言で言えば“涼しい湯”です。熱いのにさわやかで、性別で言えば、クールなイケメン君ですな。
 湯上りが、これまた涼しい。湯切れがよくて、まったく後を引かない。やっぱり、別れ上手なドンファン君ですね。
 あれほど熱い湯だったのに、湯上りに汗が出ないんですね。本当に不思議な湯でした。

 温泉は、源泉によってすべて異なる。2つと同じ湯はなし!
 驚きとともに、大変勉強になりました。光山荘さん、参りました。あっぱれです。  


Posted by 小暮 淳 at 18:38Comments(0)温泉地・旅館

2010年05月09日

母の日と 『梅壽記』

 今日は一日、お袋が出かけるというので、朝から実家へ行き、親父のお守りをしてきました。
 御歳85歳、口は達者ですが同じことしかしゃべりません。記憶も古いことは忘れませんが、1時間前のことは覚えていません。要は、痴呆老人のビギナークラスです。
 お袋が居なければ、何にもできないのですから、そのお袋が一日家を空けるとなれば、事は重大です。

 午前中は散歩。杖をついてヨボヨボと歩く親父の手を取って、本屋まで。ボケ防止の漢字パズル本を買ってやりました。
 帰りはコンビニに寄って、そばを買い、家に戻って親子で昼食をとりました。
 なんだか小さい子供の面倒をみているようで、時々、親父が可愛く思えるから不思議です。

 腹が満たされた親父は、「寝る」と言って2階へこもりました。
 お袋が帰る夕方まで、たっぷりと時間があります。こんなこともあろうかと、読みかけの本を持ってきました。
 『梅壽記』、鎌田温泉「梅田屋旅館」の2代目女将、星野志かさんの自叙伝です。志かさんは明治34年生まれ。同44年創業の梅田屋旅館を明治・大正・昭和・平成と守り続けてきた一代記です。波乱万丈の生き様は、読み応え十分でした。
 どうして4代目女将の星野由紀枝さんが、この本を僕にくださったのか、理由がわかりました。老舗旅館は“一日にして成らず”ということですね。

 本の中で、古希を迎えた志かさんが、唐の詩人・杜甫が詠んだ『人生七十古来稀(こらいまれなり)』という言葉を引用していました。昔は、70歳まで生きるのは稀だったのですね。
 本を読み切って2階へ行ってみると、親父が起きていて、本を読んでいます。そしていきなり、
 「人生七十古来稀なりか、昔は珍しかったんだな。長生きするのが……」と、独りごちたのです。これには、ビックリしました。
 親子で別々の本を読みながら、同じ言葉に出会っていたなんて。不思議なことが、あるものです。

 夕方、お袋が帰ってきて「おとうさん、どうだった?」というものだから、「大変、いい子にしてましたよ」と報告。
 「母の日プレゼントは、今日一日の親父の子守りでいいやいね」と僕。するとお袋は、「最高のプレゼントですね」と大喜びでした。
 老々介護から解放された一日、楽しかったのでしょうね。親父とお袋、両方いっぺんに親孝行をした一日でした。
 ま、こんな日もありですね。  


Posted by 小暮 淳 at 18:35Comments(0)つれづれ

2010年05月08日

5月講座 〆切間近!

 今年2月に開講したヨークカルチャーセンターのセンター外講座『小暮淳と行く ぐんまの温泉探訪』。
 5月講座の〆切が間近になりました。お早めに申し込みください。

 この講座は、毎月開講されていますが、3回コースがセットになっています。どの月から参加しても結構です。
 ちなみに、これからの3回は……

 ●5/19 上牧温泉  放浪の画家が愛した名薬湯
 ●6/8  法師温泉  旅籠の面影を残す秘湯の一軒宿
 ●7/7  宝川温泉  天下一! 470畳の巨大露天風呂

 を予定しています。受講料は7,875円(3回コース)、バス代・入湯代・昼食代は別途となります。
 詳しい内容は5/12(水)の新聞折込をご覧ください。

 なお、この講座では、いよいよ9月から「県外温泉探訪」が始まります。長野・新潟・栃木などの名湯をめぐりますので、お楽しみに!

問い合わせ・申し込みは/ヨークカルチャーセンター前橋 TEL.027-223-5121
    


Posted by 小暮 淳 at 10:54Comments(0)講座・教室