温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2013年04月30日

会葬代行


 親の年齢を考えると、無理も不思議もないのですが、このところ葬式が、やたらと多いんです。
 今年に入ってからは、もう毎月、通夜か告別式に会葬しています。

 親戚もありますが、ほとんどは親の代行であります。


 高齢のため、長時間の式に体力が持たないという理由もありますが、僕に代行を頼むのは、どうも、それだけではないようです。
 自分より若い人の葬儀に出るのが、ツライようなのです。

 「みーんな年下ばっかりになっちゃった・・・」
 って、新聞のおくやみ欄を見て、ため息をつくオフクロ。

 オヤジにいたっては、目が悪くて新聞は読めませんが、「○○さんが亡くなったよ」 と伝えると、悲しい顔をするので、最近は伝えないようにしています。


 今日も1つ、葬儀がありました。
 両親が暮らす町の自治会長さんが、亡くなったのです。
 享年、77歳。
 オヤジより、ひと回りも年下です。

 僕も長年暮らしていた町ですから、知らない人ではありません。
 両親の代行として、会葬してきました。


 とても印象的だったのは、弔辞を読んだ方が、故人の仲人(なこうど) だったこと。
 仲人というくらいだから、故人よりも年上であります。
 なんと、90歳!

 77歳というのも、決して若くはありませんが、長寿大国ニッポンでは “若すぎる死” と形容されることになります。
 「○○君の若すぎる死に・・・」
 という力のこもった弔辞を聞いていると、まさに日本は高齢化社会なのだと、実感してしまいます。

 「すぐ、そっちへ行くから待っていておくれ。また一緒にゴルフをしょう!」
 と叫んだ、張りのある声を聞いていると、“すぐ” には“そっち”へ行きそうにありません。


 そして、喪主のあいさつ。
 通夜式と違って、告別式の良いところは、故人の生い立ちや亡くなるまでの経緯を知ることができる点です。
 どこで生まれたのか、どのような環境で育ったのか、なんの仕事をしていたのか、どんな人たちに囲まれて暮らしていたのか・・・
 本当に簡単な略歴ではありますが、その人の人生を知ることができます。

 僕は、初めて故人の職業を知りました。


 この、あいさつ。明日は我が身か!?
 いや、喪主は、アニキだろうな。
 でも、僕も一言、マイクを借りて話そうかな……

 な~んて、まだ両親は元気なのに、不謹慎なことを考えていたのも事実でした。
   


Posted by 小暮 淳 at 20:58Comments(0)つれづれ

2013年04月29日

18年前の選択


 僕は、前橋市の旧市街地にあるK町で、生まれ育ちました。
 結婚後も、しばらくは同じ町内で暮らしていましたが、18年前に現在住んでいる郊外のA町へ家族で引っ越して来ました。

 理由は、子どもを育てるためにです。


 K町は、前橋市の中心部。
 僕が子どもの頃は、人口も多くて、町内に商店街までありました。
 サラリーマン家庭は少なく、商売をしている家がほとんどだったので、平日の日中でも、男の大人の人が町の中にいました。

 僕の実家は、学習塾をしていたので自営です。
 前のうちは、洋服店。
 その隣は、八百屋。

 だから、僕が学校から帰ってくれば、
 「よう、ジュン坊、お帰り!」
 なーんて、近所のオジサンたちが声をかけてくれました。

 当時のことを、僕は自分の著書で、次のように書いています。

 <昔は「うちの子」と「他人の子」の区別がなかった。だから私は、よく隣のおじさんにもゲンコツをもらった。たとえ親の目を盗めても、常に近所の人たちの目が私を見張っていたのである。>( 『上毛カルテ』の「街は何処へ」より)


 あれから40年。
 車社会の影響を受けて、旧市街地の過疎化は猛スピードで進んで行きました。
 町の中から子どもたちの姿が、消えてしまったのです。

 僕が子どもの頃に遊んでいた空き地は、すべて駐車場に。
 神社や寺院の境内までもが、コンクリートに覆われた駐車場になってしまいました。

 平日の日中は老人ばかりで、町の中に働く男性の姿がありません。


 “向こう三軒両隣”

 子育ては、地域の力が必要だと考えていたので、現在の土地へ引越しました。
 農家や商店、自営業者たちが暮らす、緑豊かな田園風景の中へ。


 現在、僕は、地域の 「子ども育成会連合会」 の本部役員をしています。
 僕の3人の子どもたちは、すでに大きくなってしまい、もう今は育成会の世話にはなっていませんが、この土地への恩返しのつもりで、地域活動の手伝いを続けています。

 今日は、そんな僕が本部役員を務める連合会が中心になって、毎年開催している地域のイベント 「のびゆく こどものつどい」 が開催されました。
 会場となった公民館と小学校の校庭には、たくさんの子どもたちが集まりました。
 また、通りには出店が並び、さながら祭りのようであります。


 やっぱり、子どもたちの笑顔って、いいですね。
 この子たちの未来を、守ってあげたいって思いますもの。

 今日、18年前の選択は間違っていなかったのだと、つくづく思いました。
  


Posted by 小暮 淳 at 23:34Comments(0)つれづれ

2013年04月28日

裸はユニホーム


 「次回からさ、小暮さんの裸じゃなくて、女性の入浴シーンにしない?」

 本を出版するたびに、必ず言われるセリフです。
 そして、決まって、そう言うのはオジサンです。

 週刊誌の温泉特集やテレビの旅番組のように、若い女性のモデルやタレントの裸を載せろ!というのであります。
 言わんとしていることは、分かります。
 「オジサンの裸なんて、見たくない」 っていうことですよね。

 週刊誌やテレビ番組なら、もっともであります。


 ジャーナリストの木部克彦氏も、著書 『続・群馬の逆襲』(言視舎) の中で、僕のことをこんな風に言っています。

 <この小暮さん、本だけではあきたらず、朝日新聞に温泉宿の連載を始めて・・・(中略)・・・この連載に毎回毎回 「セルフヌード?」 を載せるという暴挙に出ているのです。(中略) オジサンの全裸入浴写真が、朝刊を開くと目に飛び込んでくるのです。>

 いゃ~、本当に申し訳ない。
 オジサンは、オジサンの裸がキライなんですよね。
 僕もオジサンだから、よ~く分かります。

 しかも、新聞の朝刊ですものね。
 できれば朝からおじさんのヌードは見たくない。
 壇蜜さんのような色っぽいお姉さんのヌードのほうが良いに決まっています。

 氏に、“暴挙” と言い放たれても仕方ありません。


 では、なぜ僕は、著書や新聞、雑誌で、裸になるのか?

 ①まず、女性モデルを使うだけの経費がありません。
 ②仮に使えても、そのモデルが温泉を愛しているとは限りません。

 と、いう理由が、半分です。
 残りの半分は、僕が書いている文章が、記名による “一人称” で書かれているからです。

 「私」「僕」 が入っている温泉なのに、どこの誰だか知らない女の人の入浴写真が掲載されているのでは、つじつまが合いません。
 記事の信ぴょう性に、欠けます。

 このことについては、木部氏も著書の中で、このように認めてくれています。

 <「だって、身も心もすべて癒される温泉だって書くからには、自分が入っている証拠を見せなくちゃ」 小暮さん、堂々としています。この 「吹っ切れ感」 がいいですね。>
 と・・・。

 同業者に、そう言ってもらえると、安心して、これからも裸になれます。


 先日、みなかみ町観光協会の人から、こんな話を聞きました。
 「読者の方が、わざわざ協会まで 『みなかみ18湯』 の下巻を買いに来られましたよ。その方は、著者自身が入っている温泉本だから、記事を信じられるって言ってました」

 ありがとうございます。
 読者って、ありがいものですね。
 決して、「若いねーちゃんの裸にしろ!」 なんて、言いませんものね。

 これからも、ジャンジャン裸になりますぞーーーっ!

 だって、僕にとって裸は、ユニホームなんですから。
  


Posted by 小暮 淳 at 22:37Comments(6)執筆余談

2013年04月27日

くう ねる あそぶ


 あれは、確か、子どもの頃に見た、テレビドラマだったような・・・
 森繁久彌が演じていた痴呆老人が、家族にナイショでお菓子を書棚に隠しておいて、陰でボリボリと食べているシーン・・・

 まるでデジャビュのように、よみがえってきたのであります。


 「じいさん、おはよう!」
 そう言って、僕は勢いよく、和室の戸を開けました。

 すると、驚いたオヤジは、ガサゴソと何かをコタツの中に隠したのです。

 「じいさん、何を隠した?」
 と問い詰める僕に、オヤジは返事ができません。
 できるわけが、ないのです。
 だって、口の中には 「黒胡椒煎餅」 が入っているのですから。

 「ほら、また! アニキに、いつも怒られているだろう! そんなもんばかり食っているから、飯が食えなくなるんだよ!」


 オフクロがデイサービスへ行く毎週金曜日は、“おじいさんといっしょ” の時間です。
 昨日も朝から、僕は実家でオヤジの 「親守り」 に行ってきました。

 オヤジは今年、誕生日が来ると89歳になります。
 だからアニキとは、「数えで卒寿の祝いをやっちゃおうか」 と話しています。
 でも、とっても健康で元気な老人なんですよ。
 ボケのほうは進んでいますがね。

 それにしても “老いる” っていうことは、不思議なことです。
 人間としての 「欲」 が、どんどん削ぎ落とされて行くんですね。
 そして、最後は、動物として生きていくための 「欲」 だけが残る。

 3大欲といわれる 「食欲」「睡眠欲」「性欲」。
 さすがのオヤジも、もう性欲はないようですが、残りの2つの欲だけは、貪欲です。

 見ていれば、食っている か、寝ている かの、どっちかだもの。


 そういえば昔、“くう ねる あそぶ” なんていう、流行語ありましたよね。
 確か、井上陽水が出ていた自動車のテレビコマーシャルでした。

 まさに、食って、寝て、遊ぶ(散歩) だけの毎日。

 まったく、同じ生活をしている人(?) を、僕は他にも知っています。
 我が家の愛犬、マロ君です。
 散歩と食事以外は、いっつも寝ています。

 「いいな、マロは。仕事もないし、ただ、食って、寝て、遊んでいるだけだものな。オレと替わってくれないかなぁ~」
 なんて、僕は彼に言っているんですよ。

 でもオヤジを見ていて、思いました。
 いずれ、歳をとれば、マロのような人生が待っているんだと・・・


 くう ねる あそぶ


 でも、まだ当分は、いいかな。
 それ以外の楽しいことを、まだまだ、やりきっていないですものね。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:29Comments(2)つれづれ

2013年04月26日

匿名による誹謗・中傷


 すでに気づかれている読者もいると思いますが、このブログは僕の公式ブログですので、僕の独断と偏見により、不適切だと思われるコメントの書き込みは、勝手に削除させていただいています。

 では、どんなコメントを削除しているのか?

 ①特定の個人または団体を誹謗(ひぼう)・中傷するもの
 ②匿名による書き込み

 以上の2項目の条件が揃ったコメントは、即刻、削除しています。


 僕は長年、雑誌の編集やその他の媒体への執筆にたずさわってきました。
 ですから、基本的に “言論の自由” を唱えています。

 しかし、他人を非難する場合は、その “立ち位置” がフェアーであることが前提です。
 公の場で、他人を名指しで非難するならば、自分も名前を公表するのがフェアーだと考えています。

 よって、①のコメントを書き込む場合は、本名と身分を明かしてください。
 一個人の意見として、公開します。

 以上、よろしくお願いいたします。  小暮
   


Posted by 小暮 淳 at 20:34Comments(4)つれづれ

2013年04月25日

『みなかみ18湯』 上・下巻刊行記念祝賀会

 
 昨日は朝から、なんともあわただしい1日でした。


 まずは、恒例の朝日新聞チェック!
 僕は、毎週水曜日に朝日新聞群馬版に 『小暮淳の温泉考座』 というコラムを連載しています。
 4月24日、4回目のテーマは 「温泉分析書の読み方」。

 このコラムは、回を重ねるごとに、初級・中級・上級へとマニアックになっていきます。
 読者のみなさん、ちゃんと前号までを復習しておいてくださいね。
 ちなみに、次週のテーマは 「群馬の四大温泉と三名湯」 です。


 次に、上毛新聞をチェック!

 4月24日は、記念すべき 『みなかみ18湯〔下〕』 の発行日であります。
 これで、待望の上・下巻が、書店の店頭に揃いました!

 で、みなさんは、ご覧になりましたか?
 昨日の上毛新聞6面を!

 ジャーーーン!
 丸々1ページ全面が、『みなかみ18湯』 の出版記念広告であります。
 圧巻ですねぇ~!
 目立ちますねぇ~!

 広告主は、もちろん、みなかみ町観光協会様。
 本に掲載されている18の温泉地の写真と75軒の宿の名前が、ズラ~リと並んでいます。
 そして、みなかみ町観光協会様からは、出版記念として上・下巻セットの読者プレゼント付き!


 う~ん、自分関連の新聞記事を2つも見て、テンションは朝からアゲアゲであります。
 この勢いのまま、いざ、出陣じぁーーーーっ !!!

 と、午後からは、会場の水上温泉 「水上ホテル聚楽」 へ。
 そうです!
 昨日は、みなかみ町あげての大パーティーが開かれる日だったのです。

 題して、「みなかみ18湯 上巻・下巻 刊行記念祝賀会」。

 それは、それは、盛大なパーティーでしたよ。
 だって、来賓の顔ぶれが、すごかったもの。

 みなかみ町町長、群馬県観光物産国際協会理事長、群馬県利根沼田県民局局長、沼田市市長・・・他、たくさんの方々にお越しいただきました。
 心温まるスピーチをありがとうございました。

 そして、そして、何よりも僕が嬉しかったのは、1年半の取材期間に、お世話になった旅館やホテル、民宿、ペンションの社長さんや女将さん、支配人さんたちが大勢、会場へ駆けつけてくださったことです。

 「おめでとうございます」
 「ありがとうございます」

 あいさつをするたびに、胸の奥のほうから込み上げて来るものがあります。

 「うちみたいなさ、なーんにもない宿を、あんなにも素晴らしい文章で書いていただき、本当に感謝しています」
 そう言って、僕の手を両手で握手してくださった旅館のご主人。
 もう、ご主人ったら! 何をおっしゃっているんですか!
 何にもないだなんて・・・

 取材で泊めていただいた、あの晩のことは忘れませんよ。
 先代が別荘を買い取って、旅館を始めた話。
 最近は、めっきり見かけなくなった衣桁屏風(いこうびょうぶ) のある客室。
 古き良き昭和の面影を残す、僕の大好きな温泉宿であります。

 だって、とにかく、湯がいいもの!

 ご主人の手を握りながら、そんな話をしていたら、ついつい目頭が熱くなってしまいました。


 堅苦しいの最初だけ。
 最後は、著者である僕が、ごあいさつ。
 本の制作メンバーの紹介と、恒例となった温泉ソングをバンドで2曲披露して、お開きとなりました。


 えっ、それで終わるわけないだろうって?
 よく、ご存知で!
 もちろん、そぼ降る雨の中、関係者たちと夜の温泉街へと消えていきました。



     『みなかみ18湯』 出版記念
  上・下巻をセットで5名様にプレゼント!

 みなかみ町観光協会では、出版記念として本のプレゼントをいたします。
 メール、ファックスまたはハガキでご応募ください。
 名前、住所、電話番号、メールアドレスなどを記入の上、
 「みなかみ18湯プレゼント」係まで。

 ■締  切   5月10日(金) ※当日消印有効
 ■応募先   みなかみ町観光協会
          〒379-1313 群馬県利根郡みなかみ町月夜野1744-1
          TEL.0278-62-0401 FAX.0278-62-0402
          e-mail:info@minakami.jp
  


Posted by 小暮 淳 at 21:30Comments(2)著書関連

2013年04月23日

四万温泉 「四万やまぐち館」③


 いよいよ今年も、開講しました!
 NHK文化センターのカルチャー教室で、僕が講師を務める温泉講座 「群馬の名湯・秘湯めぐり」。

 なんと、今年で5年目を迎えました!

 2009年、記念すべき第1回目の講座が、四万温泉でした。
 あの時は、積善館の 「元禄の湯」 を受講生らと堪能しました。

 そして、今回。
 2度目の四万温泉での講座は、「四万やまぐち館」 であります。
 ご存知、テレビCMでもお馴染みの美人女将のいる四万温泉屈指の老舗旅館です。


 「先生、だいぶご活躍じゃないですか!」
 「○○さんこそ、元気そうですね」
 「先生、お久しぶり~!」
 「今年もよろしくお願いしますね」

 バスを待つ前橋駅前ターミナルでは、見慣れた顔、顔、顔・・・・
 ほとんどの受講生が、昨年度からの継続者です。

 「あっ、△△さんは、新しい方ですね。講師の小暮です」
 今年から受講される新入生にあいさつをすると、
 「ずーっと、キャンセル待ちをしていて、やっと今年から受講することができました」
 と、うれしい一言が返ってきました。

 センターの添乗担当者も新しい人になり、心機一転の新講座のスタートです。


 国重要文化財の日向見薬師堂、“四万ブルー”と呼ばれる鮮やかなコバルトブルーに染まる奥四万湖を見学したのち、講座地である 「四万やまぐち館」 へ。

 四万温泉は、清流・四万川沿いに宿が点在する細長い温泉地です。
 手前から 「温泉口」 「山口」 「新湯」 「ゆずりは」 「日向見」 の5つの地区に分かれています。
 一番最初に栄えたのが、「四万やまぐち館」 のある山口地区です。

 温泉の開湯は定かではありませんが、永禄6(1563)年に岩櫃(いわびつ)城が真田勢に攻められた際、城主を守るために戦った田村甚五郎清政というサムライが、現在の山口地区に住み着いて、湯宿を開いたとされています。
 明治23(1890)年、山口が大火に見舞われたことから、それ以降は新湯が四万温泉の中心となりました。

 温泉口、日向見に旅館が開業したのは大正時代のこと。
 ゆずりは地区は、昭和になってからです。


 ま~、そんな四万温泉のうんちくを話しつつ、男女に分かれて大浴場へ。
 女性陣は、幾たびも四万川の氾濫から宿を守ったという大岩のある名物 「お題目大露天風呂」。
 男性陣は、渓流を望む 「四万川の湯」。

 思い出しますねぇ~~~!
 ちょうど1年前です。
 NHKテレビ 「ほっとぐんま640」 のロケで、撮影したのが、ここ 「四万川の湯」 でした。

 「源泉が注ぎこまれている浴槽の奥が“湯口”、湯があふれ出ている手前が“湯尻”です。温度の低い湯尻から、だんだんと体を湯に慣らしながら入ります」
 な~んてね、新人キャスターの熊谷彩花ちゃんの入浴シーンを撮った浴室ですよ!
 ※(ロケの様子は、当ブログ2012年3月16日「四万温泉 四万やまぐち館②」参照)

 あの時は、長引く撮影にのぼせながらも、一生懸命にリポートしていた彩花ちゃんのけなげな姿が印象的でした。
 でも、今日は、打って変わってジジイども、いえいえ、高齢のオジサマたちとの入浴です。

 「先生、四万の湯っていうのは、澄んでいてキレイだね~」
 「そうですね、飲泉ができるくらいですから、澄んでいますよね」
 
 「でもさ、これだけの大きさの浴槽を、かけ流しにできるんだからスゴイよね」
 「四万温泉には43本の源泉があり、うち40本が自然湧出。総湯量は毎分3500リットルもあるんですよ」

 とかなんとか、湯の中でも温泉話を続けます。


 「さ、先生、もう講義は、いいや。早く上がって、ビールを飲みましょうや!」

 賛成、サンセイ、さんせ~い!
 ということで、男性陣は、いつものパターンで今講座をスタートさせましたとさ。


 受講生のみなさん。
 今年もよろしくお願いいたします。

 来月は、とっておきの秘湯を訪ねますよ!
   


Posted by 小暮 淳 at 21:49Comments(4)温泉地・旅館

2013年04月22日

使わない才能


 「もし、魔法使いが現れてよ、『たった1つだけ欲しいものをくれる』 って言ったらさ、何をお願いする?」

 なーんていう夢見話を、若い頃は友人としたものです。

 でも必ず、とんちの効いたズルイ奴がいて、
 「オレは、願い事がなんでも叶う魔法をもらう!」
 なーんて、言うんですよね。

 しょせん、夢見話ですから、どんな答えだっていいんですけど。
 でも、そんなとき僕は、けっこう真剣に答えていたんですよ。

 「才能が欲しい」 って。


 実は、20歳の頃、僕の友人の中に、それはそれは羨ましい才能の持ち主がいました。
 周囲の大人たちからも、尾崎豊同様に “早熟の天才” とまで言われていましたから。
 20歳にして、東京の有名なギャラリーで個展を開いたり、有名な雑誌のグラビアを飾ったり、その世界では “50年に1人の天才現る” とまで、もてはやされていました。

 僕ですか?
 僕は当時、箸にも棒にも引っかからない、売れないシンガーソングライターですよ。
 ストリートやったり、ライブハウスやパブで歌って、自主制作のレコードを自ら売り歩いたり・・・

 鳴かず飛ばずの毎日だったけど、一所懸命に生きていましたよ。
 そんな、あるライブ当日のこと。
 ギターケースを抱えた僕は、新宿の喫茶店で “早熟の天才” とコーヒーを飲んでいました。

 「今日、ライブなの?」
 と彼。
 「うん、夕方から」
 と僕。

 ここまでは、いつもの2人の会話です。
 互いの夢のつづきを語り合うのが常でした。
 でも、この日は違いました。
 彼の虫の居所が、悪かったのかもしれません。

 「あのさ、オレ、ジュンを見ていて、歯がゆいんだよね」
 「えっ、なんのこと?」
 「そんな、ちまちまライブハウスなんかで歌ってないでさ、どんどんヒットを飛ばして、ジャンジャンさ、テレビとか、でかいホールでコンサートをしてほしいんだよね」

 「・・・・・・」

 まさに、目が点になるとは、このことだった。
 二の句が継げない。

 もちろん、そうなりたいさ!
 だから、来る日も来る日も 、こうやってギターを抱えて、大都会の中をさまよっているんじゃないか!
 もし、そうなれる魔法があるなら、こっちのほうが、教えてほしい!


 「いいよな、お前は才能があってさ」

 それが、苦しまぎれに、やっと言えた言葉だった。


 この歳まで生きてくると、「才能」 なんて、あってもなくても暮らしていくには、どうでもいいことだということが分かります。
 でも、当時の僕としては、「才能」 の有無が、人生の明暗を分ける致命的なものだと思っていたんですね。

 それから数年後、彼は突然、すべての活動をやめて、一般の会社に就職してしまいました。
 もう、僕ら友人たちにしてみれば、青天の霹靂(へきれき)であります。

 なぜ? どうして? ウソでしょう?

 才能のない僕たちが、こんなにも頑張っているのに、なんで、やめてしまうのさ~!

 「その才能、使わないんなら、オレにくれよ」
 そう、本気で僕は、彼に言ったことがありました。

 あれから30年・・・
 その後、彼は、才能を使っていません。


 “天才とは、99パーセントの努力と1%のひらめきである”
 と言ったのは、エジソンでしたっけ。
 でも、本当の意味は、違うんですってね。

 “1%のひらめきがなければ、99パーセントの努力は無駄である”
 ていう意味なんですって。
 キビシ~イ!
 天才の言うことは、凡人の思考では、ついていけませんね。


 “努力に勝る天才はなし”
 なんていう言葉もありますが、これも僕には関係ない言葉であります。
 だって、僕は今日まで、“信念” だけで生きてきた人間ですからね。

 たとえ、もし才能があったとしても、それを使わなければ、なんの役にも立ちませんもの。
 あ~あ、良かった。
 僕に才能が無くて・・・
   


Posted by 小暮 淳 at 19:36Comments(6)つれづれ

2013年04月21日

見えない龍


 毎週金曜日は、“おじいさんといっしょ” の日です。
 一昨日も、オフクロがデイサービスへ出かけたため、朝からオヤジの面倒を見に、実家へ行きました。

 「子守り」 ならぬ、「親守り」 であります。


 ところが一昨日は、強い北風が吹き荒れる最悪の天気。
 オヤジの大好きな “散歩あそび” は、できそうにありません。

 だって、無理して出かけたら、骨と皮だけのオヤジなんて、吹き飛ばされてしまいますもの。

 「じいさん、今日は風が強くて、散歩は無理だね」
 「そうか・・・」
 と、淋しそうであります。

 頭は少々ボケていますが、体は五体満足健康な老人です。
 一日中、家の中に閉じ込めておくのは、酷というもの。

 「だったら、ドライブしに行こうか?」
 と訊けば、
 「行こう!行こう!」
 と、大はしゃぎ。

 「じぁ、出かける用意して」
 「うん」
 と言いながら、コタツから立ち上がりました。


 目指したのは、赤城山麓にある 「中之沢美術館」。
 今月はじめに、案内状が届いていたことを思い出したからです。

 「中之沢美術館」 は、友人で彫刻家の三谷慎さんら数名の芸術家が集まり、1991年に開設された森の中の美術館です。
 作家たちは、隣接する自宅兼アトリエで生活しながら、創作活動を続けています。
 年に数回の企画展を開催し、代表である三谷さんの作品も常設されています。


 「あ~ら、お久しぶりですね」
 と、三谷さんの奥さんで、館長のえり子さんが声をかけてくださいました。
 オヤジのことも覚えていてくれたようです。

 「なんだか、来たことがあるような気がするな~」
 と言いながら、五角形をした館内をグルリと見渡すオヤジ。
 「来たこと、あるさ。ね、えり子さん」
 「ええ、もう、だいぶ前でしたけれどね」

 「そうか・・・、来たことがあるんだ・・・」
 そう言って、館内を歩き出しました。

 コツ、コツ、コツ、コツ、コツ ・・・・

 広い空間に、オヤジの突く杖の音だけが、響き渡ります。

 コツ、コツ、コツ、コツ、コツ ・・・・


 現在、開催されているのは、『ジム・ハサウェイ 作品展』。
 東京在住のアメリカ人画家です。
 ハサウェイ氏は、約20年前から東京の山手線を 「墨」 を使って描いています。

 なぜ、山手線を描くのか?

 「山手線それ自体が見えないから。東京の誰もが山手線の電車に乗るのに、誰もそれ自体を見ていないから。世界で一番お客の多い鉄道線なのに、それ自体はほとんど見えないから」
 と、氏は言います。

 今回の展示会では 「山手線29景」 に、新たに全長11メートルの 「龍」 が館内の壁にグルリと一周描かれています。
 氏には、山手線が、大きな大きな龍に見えるんですね。


 「じいさん、何が描かれているか分かるかい? 龍だよ、龍!」
 「おお~、龍かい。大きいなぁ~」
 「大きいだろう」
 「ああ、大きい」
 と言うと、コツ、コツ、コツと杖の音を響かせながら、展示室を出て行こうとします。

 「じいさん、どこへ行く?」
 「トイレ・・・」
 「おしっこ、引っかけるなよ! 一歩、前だからな!」
 と、ここが美術館であることを忘れて、ついつい大声を出している僕。

 それを見て、やさしく微笑んでいるえり子さん。


 三谷さんに、よろしく伝えてください。
 また、来ますね。
 今度は、オヤジ抜きで、ゆっくり作品を鑑賞しに・・・。



    『ジム・ハサウェイ 作品展』

 ●会期   4月14日(日)~6月30日(日)
        11:00~16:00 金・土・日・祝祭日開館
        ※5月25日~27日、6月2日は開館
        ※他の平日観覧は要予約  
 ●料金   一般 500円 小中学生 300円
 ●会場   中之沢美術館
        群馬県前橋市粕川町中之沢249-14
        TEL.027-285-2880
   


Posted by 小暮 淳 at 21:39Comments(0)つれづれ

2013年04月20日

キミに会いたい


 “男には忘れられない女がいるものだ・・・”

 そんなコピーが流れるCMだったと思う。
 ナレーションは、俳優の故・大滝秀治さん。

 あの頃、僕は若かったから、まだ言葉の意味なんて分からなかった。


 K君から 「週末、飲みませんか?」 という電話をもらった日から、探し続けていたいたモノがあります。 
 それは、26年前のアルバム。

 僕が結婚して、2年目の春。
 妻と2人で、岐阜県に暮らす友人を訪ねたことがありました。
 その時に撮った写真に、確か写っていたはずなのです。

 彼女が・・・


 今年の1月、僕は26年ぶりにK君と再会しました。
 転勤で群馬に赴任してきたのが、再会のきっかけでした。

 その時、K君の思いを知らされました。
 「興信所を使って、現在の彼女の居場所を知ろうと考えたこともありました。会って、どうしたいっていうんじゃないんです。僕だって家族がいます。彼女だって、きっとそうでしょう。ただ、会って、あやまりたいんですよ。意味もなく、“ごめん”って……」

 彼女とは、26年前に僕と妻を、彼と一緒に出迎えてくれた女性です。
 当時のK君の恋人です。


 僕とK君は、その日を最後に、26年間会っていませんでした。
 当然、再会の時には、
 「で、あの時の彼女が今の奥さんなの?」
 と、いう会話になります。

 だって、僕の妻は、あの時のままですからね。 

 「いや、あの後、分かれちゃって。家内とは、4年後に結婚したんですよ」

 そんな話から始まり、K君の “忘れられない女” の話を肴に、夜更けまで酒を酌み交わしたのでありました。


 待てよ、確か、あの時、4人で、写真を撮ったよな・・・
 と、我が家の納戸の中をかき回して、見つけ出した若き日のアルバム。

 わ~~~っ! 若い!
 僕も妻も若い!
 僕、28歳。妻、24歳であります。

 現在では、デヴィ夫人のような存在感で我が家の主と化している家内とは、似ても似つかないほどにカワイイ~!
 そうそう、この娘に僕は惚れたのであります。
 どーして、こんなになっちゃうの?
 サギだ!サギ!(お互いさまですが…)

 で、ありました、ありました!
 ちゃんとK君と当時の彼女が一緒に写っている写真が・・・
 K君は若いと思えますが、彼女は、あのときのままです。

 当然ですよね。
 僕は彼女とは、26年前のその日に会っただけなんですから。


 飲み屋のカウンターでK君に、
 「泣くなよ」
 と言って、アルバムからはがしてきた1枚の色あせた写真を手渡しました。

 まるで青春ドラマの1シーンのように、男女4人の若者が映っています。


 K君は、写真を見つめて、黙っています。

 やがて、「ここ実家の前だ・・・」

 また、しばらくして、「誰が撮ったんだろうね?」


 26年も前のことです。
 記憶になんてありません。
 向かいの塀の上にカメラを置いて、タイマーで撮ったのかもしれません。

 「どう?」 と僕。
 「ああ・・・、彼女だ・・・」 とK君はつぶやき、グラスの酒を口に運びました。


 ♪キミに会いたい キミに会いたい♪

 まるで示し合わせたかのように、客が歌う斉藤和義の 『やさしくなりたい』 が、大音響で流れてきました。

 ♪キミに会いたい キミに会いたい♪


 男って、バカですねぇ~~~。
   


Posted by 小暮 淳 at 15:08Comments(3)酔眼日記

2013年04月18日

拝啓 恵村順一郎様


 大変ご無沙汰しております。
 ご活躍の様子は、テレビで拝見しております。


 初めて恵村さんにお会いしたのは、確か、3年ほど前だったと記憶しています。
 朝日新聞の前橋総局に赴任して、まもなくの頃でした。

 場所は、前橋市内の某居酒屋。

 ママから、「新しい総局長さんよ」 と紹介され、名刺交換をしました。


 その翌年からです。
 僕の連載記事 『湯守の女房』 がスタートしたのは・・・

 担当記者から、「うちの局長は温泉が好きで、奥さんと一緒に群馬の温泉地をめぐっている」 と聞いたものですから、僕は本を出版するたびに、せっせと拙著を総局へ届けましたね。

 そんな、ある日のこと。
 「うちの局長が、小暮さんのことをコラムに書いていたよ」 と担当記者から新聞を手渡されました。

 朝日新聞の姉妹紙 「朝日ぐんま」 2011年11月25日号

 「前橋総局から」 というコラム欄で、恵村さんは、こんな風に僕のことを書いてくださいました。

 <朝日新聞群馬版で 「湯守の女房」 を連載中の小暮淳さんの著書から孫引きさせてもらった>
 と・・・

 著書とは、『あなたにも教えたい 四万温泉』(上毛新聞社) のことです。
 本の発行が2011年の9月ですから、すぐに四万温泉を訪ねてくれたんですね。
 恵村さんは、その時の印象を、次のように記しています。

 <中之条駅からバスで40分。車窓から、まず目を奪われたのが四万川の澄んだ流れである。終点で降り、山と川に見とれつつ歩き出すと、ふと気付く。ここには草津や伊香保のような歓楽街がない。ひたすら自然の懐に抱かれた温泉なのだ。>


 ちなみに、孫引きしたという文章は、『あなたにも教えたい 四万温泉』 の88ページ。
 「こらむ④ 文人たちが清遊した四万」 より、僕が作家・丹羽文雄の文章を引用したくだりです。

 <これは美しいーわたしは思わず体を車中にもたげた。四万川の清流は女性的だ。それだけに家庭的で親しみやすい。>
 恵村さんは、文豪と同じことを四万温泉で感じたんですね。
 そして、文豪の言葉を引用した僕の本を思い出してくださった。

 あの時は、物書き冥利に尽きることだと、大変感動いたしました。
 ありがとうございました。


 昨年、前橋総局より、また本社の論説委員に戻られたとお聞きしました。
 ご挨拶をせぬままに異動を知ったことを、大変心苦しく残念に思っています。

 しかし、今月からテレビ朝日の 『報道ステーション』 にコメンテーターとして出演している恵村さんのお顔とお姿を毎日拝見するようになりました。
 最初は驚きましたが、「やはり優秀な人なのだ」 と感心しております。

 ますますのご活躍に、お喜び申し上げます。
 いつか、テレビの中から群馬の温泉の話をしてくださることを、楽しみにしています。


 敬具
   


Posted by 小暮 淳 at 19:28Comments(2)つれづれ

2013年04月17日

猿ヶ京温泉 「温泉民宿 気楽や」


 昨日から今日にかけて、僕は 『みなかみ18湯』(上毛新聞社) の下巻に掲載された全41軒の宿を回ってきました。
 恒例の “お礼参り” であります。

 取材のお礼方々、ついでに本も購入していただこうと・・・
 いや、その逆かな?

 一緒に回ってくれたのは、みなかみ町観光協会の施井真希子さんです!

 あれ? 匿名じゃなく、フルネームで公開しちゃって、いいのかって!
 いいんじゃないでしょうかね。
 だって彼女は、いまや有名人ですから!

 今日(4月17日付) の上毛新聞5面にも、大きく出ていましたねぇ~。
 丸々1ページ、「論点 オピニオン1000」 “論議沸騰「おんせん県」” というテーマで特集が組まれていました。

 顔写真だって、ドデカ~イ!
 10cm×10cm ですぜ~!
 温泉ソムリエとして、群馬の温泉について熱く語っておられるのです。


 で、昨夜は、猿ヶ京温泉の民宿 『気楽や』 にお世話になりました。
 ※(『みなかみ18湯』上巻、P84掲載)

 「食事の前に、『いこいの湯』へ行っておいでよ。おとうさんが行ってるからさ」
 と、いつ会っても気さくな女将の田村とみ子さん。
 『気楽や』 という屋号に、偽りなし!

 『いこいの湯』 は、民宿の隣にある共同湯です。

 さっそく旅装を解いて、浴衣に丹前を羽織って、共同湯へ。
 入口の戸を開ければ、
 「もう、夕飯は食ったんかい?」
 と、番台には 『気楽や』 のご主人が・・・

 ご主人は、『いこいの湯』 の地主さんなのです。
 地域の人たちと一緒に、この昔ながらの共同湯を守っているのであります。

 「いえ、今、着いたものですから。とりあえず飯の前に、ひとっ風呂浴びに」
 と、言ったものの、ここの湯は熱いのなんのって、以前に来たときも、だいぶ難儀をしました。

 源泉の温度、約60度。
 加水なし。

 今回も、他に客がいなかったので、水道を出しっぱなしにしながら、やっとこさっとこ肩まで沈んできました(温泉ライターなのに、情けない…)。


 夕げの膳には、大好物のフキノトウの天ぷらをはじめ、地の物を使った女将さん手作りの料理が並びます。
 「ビールかい? 日本酒かい? 焼酎もあるよ!」
 と言われれば、
 「とりあえずビールで、その後は日本酒を冷で・・・」
 ということになります(いつものパターン)。

 「遠慮しないで、ジャンジャン飲んでちょうだいねぇ~」


 ああ、これが旅館やホテルにない、民宿の良さなんだよね。
 お客ではなく、家族の一員のように接してくれるのが、うれしい!
 これで1泊2食 5,500円~だもの。
 温泉好きは、やってくる。

 「小暮さんの本を見たって、もう何組も泊まりに来たよ。ありがたいね」
 な~んて、言ってくれたけど、ありがたいのは僕のほうですよ。

 女将さん、いつも、ありがとう!
 また、来るよ。
   


Posted by 小暮 淳 at 20:45Comments(2)温泉地・旅館

2013年04月15日

ショッカーの 「イー!」


 好きな俳優さんの1人に、唐沢寿明さんがいます。
 彼が先日、テレビのバラエティー番組に出演していました。

 「若い頃は食えない時代があって、ずいぶん苦労したんですってね」
 と司会者に言われて、こんなエピソードを話していました。

 「ええ、仮面ライダーのショッカー役をやっていましたから」

 ただしくは、ショッカーの戦闘員ですね。
 全身黒タイツで、股間モッコリの、あの恥ずかし~い格好です。
 あの恥ずかしさは、あの役をやったことのある人しか、分かりませんって!


 えっ、どうして僕がそんなことを言うのかって?
 ・・・ええ、・・・まあ、・・・その、昔に・・・

 唐沢さんは、テレビや映画など映像用のショッカー戦闘員だったんでしょうね。
 でも僕は、もっと二流の、ステージ用のショッカー戦闘員でした。

 思い起こせば、もう30年以上も昔のこと。
 20代の前半に、僕は子供向け劇団に在籍していたことがあるんです。

 ウルトラマンや仮面ライダーなどのヒーロー物からデパートやスーパーなどの宣伝に借り出される動物のきぐるみまで、幅広く何でも引き受ける劇団でした。

 新宿に稽古場がありましてね。
 そこで殺陣(たて) の稽古をしたり、格闘シーンの練習をしました。

 一番出番が多いのは、ウルトラマンシリーズでした。
 ただし、ヒーローは背が高くて、バック転ができないとなれないので、ほとんどが体育大学の学生でした。

 僕ですか?
 ハイ、怪獣専門です。
 怪獣のきぐるみって、臭くて、暑くて、そりぁ~大変な重労働なんですよ。
 ※(どのくらい過酷な仕事かは、当ブログの2010年8月20日「ゆるキャラの夏」参照)


 で、仮面ライダーのショッカー戦闘員の話でしたね。

 デパートの屋上ステージで、何度か恥ずかしい格好をしました。
 会場の後ろに潜んでいて、いきなり 「イー!」 と奇声をあげながら観客の中へ飛び込んで行くんです。

 仮面ライダーの場合、ヒーロー役は1人。怪人役も1人。
 あとの劇団員は、みーんなショッカー戦闘員なんです。
 これが恥ずかしいのなんのって、体型丸出しですからね。

 ブリーフ1枚で、薄い黒タイツで、全身を覆います。
 乳首だって、股間だって、形状がハッキリ浮き出てしまうんですもの。
 親や彼女には、絶対に見せられない格好であります。


 あの頃の写真が、今でもあります。
 仲の良かった団員が、楽屋で撮ってくれたんでしょうな。
 サメの頭をしたジョーズ怪人と一緒に、全身黒づくめでガイコツ柄のタイツを着た僕が写っています。
 これって、本当に若き日の僕なんでしょうか?

 ええ、確かに僕です。
 にやけている目尻と、股間のモッコリ加減が間違いありませんって(笑)

 
 でも、僕は2~3年で劇団を辞めてしまいました。
 理由は・・・
 お恥ずかしい話、ステージ上で、ウルトラマンタロウの回し蹴りが鳩尾(みぞおち) に入ってしまい、動けなくなってしまったんです。
 それを最後に、劇団を去りました。
 (ちなみに、そのとき入っていた怪獣はゼットンです)

 唐沢さんは、そんな試練も乗り越えて、今では立派な俳優さんです。
 僕なんかと比べるのも失礼ですが、同じショッカー戦闘員でも、その後の人生は差をつけられてしまいましたね。


 イーーーーー!(くやしい)
   


Posted by 小暮 淳 at 20:39Comments(7)つれづれ

2013年04月14日

『みなかみ18湯』 取材秘話


 よいよい、『みなかみ18湯』 の下巻が発売されます。
 早ければ、今週中にも店頭に並ぶと思いますので、最寄りの書店をチェックしてくださいね。


 下巻の表紙は、温泉ファンなら誰もが知っている、あの有名な秘湯の湯殿であります。
 でも、ちょっと、ひねってあるんですよ。
 行ったことのある人なら、「ああ、この角度から撮っているんだぁ~!」 と分かるかもしれませんね。
 でも、雑誌や本、テレビの映像だけでしか見たことのない人には、難しいかも。

 要は、湯舟に浸かった人にしか見えないアングルでの撮影なのです。
 ぜひ、書店で手にとって、推理してください。

 ※ちなみに上巻の表紙は、どこだか分かりましたか?(答えは文末にて)


 下巻では16温泉地41軒の宿を紹介していますから、今回も取材秘話が盛りだくさん!
 と、いうことで、僕がコメンテーターを務める次回の群馬テレビ 「ニュースジャスト6」 では、そんな数々のエピソードの中から、いくつかをお話しします。

 また、番組から 『みなかみ18湯』 上下巻セットを10名様に、視聴者プレゼントがあります。
 最後まで、お見逃しなく!



 ●放送局   群馬テレビ(地デジ3ch)
 ●番組名   「ニュースジャスト6」
          NJウォッチのコーナー
 ●放送日   (月)~(金) 18:00~18:45
 ●出演日   4月17日(水)
 ●テーマ   『みなかみ18湯』上下巻完成
          ~湯の数だけ 歴史がある~


 ※上巻の表紙/水上温泉「ひがきホテル」露天風呂
   


Posted by 小暮 淳 at 19:08Comments(0)温泉雑話

2013年04月13日

春はググっと酒盛り


 またしても、酒を浴びてきました。


 みなさんは、『ググっとぐんま』 という冊子をご存知ですか?
 群馬県が発行している観光情報誌です。

 創刊は、2010年4月の「春号」。
 あの、「群馬デスティネーションキャンペーン(群馬DC)」 が開催された前年に創刊しました。

 あれから3年。
 僕は、創刊時からの制作メンバーなのであります。
 現在は、初年度ほどの主力スタッフではありませんが、微力ながらインタビューや温泉記事を書かせていただいています。


 で、昨晩は “2012年度の打ち上げ および 2013年度の制作決定祝勝会” と題して、制作スタッフが一堂に会したのであります。
 デザイナー、カメラマン、ライター、エディター、イラストレーターなど、総勢11人!
 ま~、にぎやかであります。

 一緒に1つの冊子を作っているからって、ふだんは全員が顔を合わすことなんてありません。
 全員がフリーランスで仕事をしていますし、作業はすべて分業であります。
 こうやって、全員が顔を合わせて、しかも酒を酌み交わすは大変珍しいことです。


 まずは、制作スタッフの代表で、ディレクターのK氏から1年間の仕事へのねぎらいの言葉と、また新たに始まる制作への意気込みが語られたのち、高らかに 「カンパイ!」 の声が、店内に響き渡りました。

 ま~、飲み会といったって、ただの飲み会じゃありませんよ。
 全員が個性のかたまりですからね。
 いかに、自分が優れているか!
 どんだけ自分が活動をしているか!
 各々が現在、自分のしている仕事の近況報告、および自慢話となりました。

 イラストレーターの I 女史は、近々、作品展を開催するそうです。
 カメラマンのS君は、この春から専門学校の客員講師になったといいます。

 いいですね、いいですね。
 僕は、この手の自慢話が大好きなんです。
 人生をガチンコで生きている証拠ですもの。

 我々は、みんな組織に属さないフリーランスです。
 だから、自分で道を切り開かなくてはなりません。
 だもの、自分で切り開いた道は、みーんなに見せびらかしますよ。

 僕ですか?
 ハイ、僕もしっかり、今月発売される新刊本のPRをしてきました。


 気が付けば、またしても午前様です。

 良き仲間、良き仕事、うまい酒 ・・・
 この3つがあれば、ほかは何もいりませんって!

 きっと誰もが、自分の人生の幸せを感じた夜だったと思います。
   


Posted by 小暮 淳 at 20:51Comments(0)酔眼日記

2013年04月12日

おじいさんといっしょ③


 ♪歩こう 歩こう じいさんは元気
   歩くの 大好き どんどん行こう♪

 今週も恒例、『おじいさんといっしょ』 の時間がやって来ました!
 毎週金曜日は、オフクロがデイサービスへ行く日であります。
 よって、僕が朝からオヤジのお守に、実家へ行ってきました。


 「おはよう! じいさん、元気か?」
 と声をかければ、
 「ああ、元気だ」
 と、相変わらず所在無い返事が返ってきます。

 でもね、こんなボケ老人でも、わずかに学習能力が残っていたんですよ。
 「そうか、今日はジュンが来る日か・・・」
 ですって!

 ビックリ仰天であります。
 先週までは、「お前は誰だ?」 とか 「なんでジュンがいるんだ?」 なーんて、ボケまくっていたのですから。
 やっぱり、気候が良くなると、脳も活性化されるのでしょうかね。

 こいつぁ、今日1日、やりやすそうですぞ!


 「じいさん、何して遊ぶか?」
 と訊けば、
 「な~んでも、いい・・・」 
 と、そっけない返事。

 「今日は天気もいいし、散歩へ行くか?」
 と誘うと、
 「行こう、行こう!」
 と、うれしそうに立ち上がりました。

 結局、いつものパターンで、オヤジの大好きな “さんぽ遊び” になってしまいました。


 それにしても今日は、風のない、穏やかな、絶好の散歩日和(びより)でした。
 杖を突く、オヤジの歩調も軽やかであります。

 近くの寺院の桜の木の下。

 すっかり葉桜になってしまった巨樹を見上げながら・・・
 「オレが生まれたのは、昭和33年。もう、その時は、ここに住んでいたんだよな」
 「ああ、そうだ」
 「アニキは、昭和26年生まれ。その時は、どこに居たの?」
 「太田(市) だよ。お産は琴平町(現・前橋市住吉町) だったけどな」

 琴平町というのは、オフクロの実家です。
 僕は病院で産まれましたが、アニキはお産婆さんが取り上げました。

 昭和20年代、オヤジは太田市の進駐軍で、通訳の仕事をしていました。


 「ふ~ん、じゃあ、この町に越してきたのは、アニキが生まれた後で、オレが生まれる前ということだね」
 「ああ、そうだな」
 「だったら、当然、この桜の木は、ここにあった」
 そういうと、オヤジは目を細めて、うれしそうに見上げました。

 「そりゃそうさ。毎年、桜を見せに、お前たちを連れて散歩に来た。お前たちの子供たちだって、みーんな連れてきたよ」


 いつもは、大通りを歩いて、県庁まで行くのですが、今日はオヤジの機嫌も調子もいいので、前橋公園まで足をのばすことにしました。
 「さちの池」 をグルリと回り、臨江閣の庭園をめぐり、帰りはバスに乗って帰ってきました。


 さすがに散歩好きのオヤジも、疲れたようで、午後はコタツで熟睡していましたよ。

 僕は、10~20代の頃に、ほとんどオヤジと口を聞いた記憶がありません。
 あの頃に、もっともっと 話をしておけば良かったなぁ・・・などと、今になって後悔しています。
 そんな懺悔(ざんげ) の気持ちもあってか、今になって、たくさんオヤジと話がしたくてたまりません。

 夕方、アニキが帰ってきたので、バトンタッチ!
 「じいさん、また来るよ」
 寝顔に声をかけて、実家をあとにしました。


 さーて、これで今日のお役目は終了。
 これからは、自分のための時間です。
 大好きな 『お酒といっしょ』 の時間です。

 と、いうことで、ちょっと夜の街へ出かけてきますね。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:06Comments(0)つれづれ

2013年04月11日

『みなかみ18湯』上下巻完成祝勝会


 おまっとさんでした~!

 ついに、待望の 『みなかみ18湯』 下巻が完成しました。

 と、いうことで、昨晩は、共に取材・制作の現場で戦ってきたスタッフが集まり、祝杯を挙げました。


 「カンパ~~~イ!」
 の後、
 「おめでとうございます」
 「おめてとうございます」
 「おめでとうございます」
 「おめでとうございます」
 とジョッキをぶつけながら、全員が全員に、感謝を込めて祝いの言葉を掛け合いました。

 飲み屋に集まったのは、ディレクターのK氏とデザイナーのK君とカメラマンのS君。
 そして僕の4人です。

 4人の目の前には、『みなかみ18湯』 の上巻と下巻が、並べて置かれています。

 「いいですねぇ、こうやって自分たちの作品を眺めながら酒を飲むのは・・・」
 とK氏が、しみじみとページをめくりながら、熱燗を口に運びます。

 「今回も功労賞は、K君だね。お疲れ様でした」
 と僕は、最年少(といっても充分にオジサンですけど) のK君のグラスに冷酒を注ぎました。
 「いえいえ、毎回、とっても楽しいですよ」
 と、いつもは日本酒をあまり飲まないK君が、うれしそうに飲み干しました。

 カメラマンのS君は、いわずと知れた僕の小学校からの旧友であります。
 子供の頃から遊んでいたら、なんと50歳を過ぎても、こうやって仕事を通して遊んでいました。
 彼は毎回、凝ったプロフィール写真を撮ってくれています。

 上巻では、浴衣に丹前姿で文豪ポーズ。
 今回の下巻では、なんと!酒を飲んでいます。
 それも、ハダカです!
 そう、誰もがあこがれる湯舟にお盆を浮かべて、升酒をいただいているのです。

 これが、プロフィール写真なんだから笑っちゃいます。


 「シリーズも5冊となると、圧巻だね。書店に小暮淳のコーナーを作ってもらったほうがいいよ」
 なんて、S君も今日は、かなりのハイペースで飲んでいます。
 ビール、レモンハイ、日本酒、ハイボールと和洋折衷でガンガンと飛ばしています。

 「だったらポスターを書店に貼ってもらおう!」
 と、今度は僕がお返しに、S君を持ち上げます。
 今回も 『みなかみ18湯』 のポスターは、S君の撮った写真が採用されています。

 持ちつ持たれつ、僕らは同じ苦楽を共にした戦友なのですから。

 でも、こうやって出来上がった本を前にして共に飲み会えば、苦楽の“苦”なんてどこへやら・・・
 楽しい思い出しか出てこないのです。


 「もう一度、カンパ~イ!」
 「次は、出版披露祝賀会で飲むぞ!」
 「イェーーーイ!」

 もう最後は、ただのヨッパライなのです。
 でも、いいじゃありませんか。
 これが楽しみで、モノを作っているんですから!

 戦士たちは、互いの健闘をたたえ、戦利品を眺めながら、ただただ美酒に酔いしれたのであります。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:02Comments(4)著書関連

2013年04月10日

魅力は数字じゃ計れない


 本日、朝日新聞群馬版に掲載されたコラム 『小暮淳の温泉考座』。
 第2回目のテーマは、「日本一のおんせん県」 について。

 昨年の暮れに、突如、大分県が名乗り出た 「おんせん県」 騒動です。

 群馬県だって、自他共に認める “おんせん県” ですからね。
 群馬の温泉ライターとしては、ひと言、ふた言、言わせてもらいましたよ。


 新聞の紙面に3段ぶち抜きで、付けられた見出しは、

 <魅力は数字じゃ計れない> 

 なかなか迫力のある、読者が目を引く見出しです。
 実は、この見出し、僕が付けたものじゃありません。

 数年前、新聞の連載を始めて、初めて知ったんですけどね。
 新聞社には、整理部という部署があるんですって。
 この部署は、記者が書いた原稿を文字通り 「整理整頓」 する場所です。

 記事のレイアウトを組んだり、見出しを考えて付けたりします。


 本来、コラムやエッセーのタイトルは、筆者が付けるんですけどね。
 だから最初は、戸惑いましたよ。
 「あれ? 僕が送ったタイトルと違っている!」
 なーんてね。

 でも、これが慣れてくると、掲載日がとても楽しみになってくるんです。
 「この記事に、どんな見出しが付いて掲載されるんだろう?」
 って。

 もちろん、掲載前に筆者の元へ校正がメールやファックスで送られて来ますから、そのとき見て、あんまり内容と見出しがズレている場合は、著者自ら “ダメ出し” をして、再度、付け直してもらいますけど。
 でも、そんなことは、極稀(まれ)であります。

 なんせ、相手は文章のプロですから。
 だいたいは、「ほほう、そう来たか!」 と感心する見出しを付けてくださいます。


 で、今日の見出しです。

 <魅力は数字じゃ計れない>

 実に、斬新だと思いませんか?

 だって、僕の記事では文中に、“数字で計れないのが温泉の魅力” という表現で書かれているんですよ。
 このフレーズからタイトルを素直に付けるとすれば、
 “魅力は数字では計れない”
 となるのが自然です。

 でも、整理部の人は、ひねったんですね。

 “数字じゃ計れない” って!

 ま、フレーズの前に “魅力は” と 「は」 があるため、「では」 と続くと言葉がダブルため、あえて避けたのだと思いますが、見出しの斬新さでは、お見事です。

 “じゃ” という口語体の持つ、言葉の魅力を活用しています。


 さて、記事の内容については、本日付の朝日新聞群馬版を読んでいただくか、朝日新聞のウェブサイトにて閲覧ください。
 ※(当ブログ内 「お気に入り」 の 「湯守の女房」 からも閲覧できます)

 次週の掲載は、4月17日(水) です。
 テーマは、「消える日帰り温泉施設のナゾ」。
 ご期待ください。
   


Posted by 小暮 淳 at 16:16Comments(2)執筆余談

2013年04月09日

どこかで 誰かが③


 「歳をとるとさ、夜中の2時、3時に目が覚めちまうんだよ。そんな時は、寝床の中でラジオを聴いているんだけどね・・・」

 昨日の公民館での酒宴のことです。
 僕の前の席にいた最長老のOさんが、誰にでもなく話し出しました。


 「そしたらさ、ビックリしたねえ~! 小暮さんが出ているんだよ!」

 エ~!とか、ヘ~!とか、座にいた人たちは一様に驚いていましたが、一番驚いたのは名前を呼ばれた僕本人です。

 「えっ、ラジオは、どこを聴いていたんですか?」
 「俺は、いつだってNHK専門さ! でも、驚いたね。小暮さんって人は、町内では、そこそこの有名人だとは聞いていたけどさ、全国区だとは知らなかったよ。お見それしました(笑)」
 と、最後は笑いをとってくれました。

 それにしても、深夜に僕がラジオに出ていた?
 ・・・・・
 真相は分かりませんが、たぶん、2月に放送された 『亀淵昭信のにっぽん全国ラジオめぐり』 が再放送されていたのかもしれませんね。

 まあ、いずれにせよ、どこで誰が、自分のことを見たり聞いたりしているか、分からないということです。


 すると、今度は、T さんという年配の方が、
 「なんだい、Oさんは、小暮さんのことを良く知らねーなぁ! 俺なんか、小暮さんの本は全部買って持っているからねぇ~」
 と、言い出した。

 「えーーーっ、本当ですか~~????」
 と、またもや、当の本人がビックリ仰天であります。

 「全部ですか?」
 と問えば、
 「ああ、温泉の本全部と里山の本も持っているよ」
 とは、重ねてビックリ!

 と、いうことは、読者様ではないですか!
 読者様は、神様ですぜ!
 その神様が、こんな身近な町内にいたとは、ありがたいやら、申し訳ないやら、恐縮してしまいます。


 世の中って、狭いんだか、広いんだか分かりません。
 町内の人たちに、自分の職業について話したことなんて、ないのにね。
 なぜか、こうやって、みなさん僕のことを知ってくださっている。

 どこかで、誰かが、ちゃ~んと見ててくれるんですね。
 やっぱり、世の中って、捨てたもんじゃありませんって!
  


Posted by 小暮 淳 at 21:53Comments(0)つれづれ

2013年04月08日

我は神の子②「奉献御祭禮」


 午前5時50分
 11人の選ばれし神の子が、北風の吹きすさぶ神社の境内に集いました。

 今日から3日間は、僕の暮らす町の “春の大祭” であります。
 そして僕は、今年1年間は、神に仕える氏子代表として 「年番」 を仰せつかりました。
 ※(年番についての詳細は、2013年2月1日「我は神の子なり」参照)


 町内には、2つの神社があります。
 北にある 「石神(しゃくじ)様」 と南にある 「お稲荷様」。
 どちらも無人の小さな神社です。
 地元では、石神様のことは “上神様” といい、お稲荷様のことは “下神様” と呼んでいます。

 今日は大祭ですから、両方の神社にのぼり旗を揚げます。

 「おーい、もっと北に引いてくれ!」
 「ダメダメ、東に寄り過ぎだ!」
 と、10メートル以上もある木柱を全員で担ぎ上げて、2本ずつ立てました。

 風にひるがえる巨大な白旗に描かれている文字は、

     奉 献 御 祭 禮


 午前11時
 ふたたび、11人の氏子たちは公民館に集いました。
 これより神主を招いて、いよいよ神様を迎える儀礼を行います。

 大根や人参の根菜類。
 リンゴやミカンの果実。
 米、塩、酒・・・

 僕の担当は、サンマの尾頭です。
 公民館から下神様と上神様まで、お皿にのせた供物を落とさないように持って歩きます。


 「ご低頭ください」
 お払いの後、 神主が祝詞(のりと) を読み上げます。

 玉ぐしの奉納、二礼二拍手一礼と、氏子たちも神様にあいさつをします。
 最後は、お神酒をいただきました。

 と、堅苦しい儀式は、ここまでです。
 公民館にもどった氏子一行は、とどこおりなく神事が行われたことを祝い、酒盛りのはじまりはじまり~!

 「いいですね、昼間っから酒が飲めて」
 と僕が言えば、
 「あたりめぇよ、仕事なんてしていられるか!今日は祭りだぞ!」
 と、長老からのありがたい言葉をいただきながら、平日の真っ昼間から熱燗の徳利が飛び交うのであります。


 「小暮さんも今日は仕事を休んだんですか?」
 と、昨年この町に引っ越して来たばかりの若い氏子が、勝手が分からず驚いた様子。
 無理もありませんよね。
 僕だって18年前に、この地に移り住んだときは、面食らうことばかりでしたもの。
 でも、“郷に入っては郷に従う”“住めば都” なのであります。

 「ま、キミもじきに慣れるよ。仕事と神様と、どっらが大切かっていうことさ」
 「ええ、最初はビックリしましたけど、分かるような気がします」


 午後2時。
 すっかりできあがってしまい、千鳥足にて家路をたどりましたとさ。

 我は、神の子なり!
   


Posted by 小暮 淳 at 18:46Comments(0)つれづれ