2024年08月31日
トリビアより愛を込めて
毎週火曜日、午後9時から放送の群馬テレビ 『ぐんま!トリビア図鑑』 は、ご覧になっていますか?
僕は、この番組のスーパーバイザー (監修人) をしています。
2015年4月の放送開始から丸9年、10年目を迎える長寿番組となりました。
放送回数も370回を超えました。
いゃ~、まさか開始当時は、こんなにも続く番組になるとは夢にも思いませんでした。
だって、マニアックなんですもの!
でも、そのマニアックさが確実に視聴者のハートをつかんで、ジワジワとファン層を厚くしていきました。
「いつもトリビア、観ていますよ」
時を追うごとに、講演会場でも声をかけられることが多くなりました。
番組に携わっている一人としては、うれしい限りです。
昨日、そんなコアな番組の企画構成会議が開かれました。
僕らスタッフ陣 (プロデューサー、ディレクター、放送作家ら) は、3カ月に1回、テレビ局の会議室に集まって、侃々諤々、喧々囂々とやり合います。
それは、まるで市場のセリを見ているよう。
ディレクターたちは、参加者全員に、各自が集めてきたネタが記載されたプリントを配ります。
このネタ表をもとに、全員からの査定を受けます。
「テーマがちょっと弱い」 「もっと具体的に調べてからの方がいい」 「これは春に撮影をした方がいい」 などなど、忌憚のない意見が飛び交います。
最終的には、プロデューサーが採用の決定を下すのですが、どのネタも秀逸ぞろいです。
今回、一番盛り上がったのは、来年1月放送分の正月恒例企画でした。
干支をめぐるネタです。
来年は巳年。
群馬県内のヘビに関する地名や伝説、ヘビにまつわるあれこれが議場に挙がりました。
ところが担当のディレクターが、大のヘビ嫌いだったのです。
「ダメです!本当、ムリムリ。だって、ヘビの前では僕、女の子になっちゃいますよ」
「女の子?」
「キャーーーーーッ!!!! って」
一同、大爆笑でした。
結果、プロデューサーの鶴の一声で決定。
「いいね、臨場感があるじゃないの。キミがリポーターも兼ねたら」
と、場は大いに盛り上がりました。
来年は、放送開始10周年を迎えるため、番組のリニューアルも企画されています。
今後も、ますますコアでマニアックなネタを、お茶の間に届けますよ!
トリビアより愛を込めて……
「ぐんま!トリビア図鑑」
●放送局 群馬テレビ (地デジ3ch)
●放送日 火曜日 21:00~21:15 (毎月最終火曜日を除く)
●再放送 土曜日 10:30~10:45 月曜日 12:30~12:45
2024年08月29日
湯宿温泉 「ゆじゅく金田屋」⑥
<湯の宿温泉まで来ると私はひどく身体の疲労を感じた。数日の歩きづめとこの一、二晩の睡眠不足とのためである。其処(そこ)で二人の青年に別れて、日はまだ高かったが、一人だけ其処の宿屋に泊まる事にした。>
(『みなかみ紀行』 より)
大正11(1922)年10月23日。
歌人の若山牧水は、法師温泉の帰り道、湯宿(ゆじゅく)温泉 (みなかみ町) に投宿しています。
著書 『みなかみ紀行』 の中では宿名は記されていませんが、金田屋であります。
金田屋には、今でも牧水が泊まった蔵座敷が残されています。
初めて僕が、金田屋に泊まった晩。
5代目主人の岡田洋一さんと、その蔵座敷で酒を酌み交わしました。
もう、それだけで牧水ファンとしては感動の極みなのですが、岡田さんは、さらにサプライズを用意してくださっていました。
アユの甘みそ焼き、通称 「牧水焼き」 です。
岡田さんの話によれば、その晩、牧水はアユ釣り名人と言われた祖父が釣ってきたアユに舌鼓を打ったといいます。
そして、あまりの美味しさに、もう1尾、おかわりをしたそうです。
このことは 『みなかみ紀行』 には記されていません。
なので、知る人ぞ知るエピソードとして、僕は自分の著書 『みなかみ18湯 【下】』 に書かせていただきました。
今回訪れたのは、高崎市内で配布されているフリーペーパー 「ちいきしんぶん」 に連載中の紀行エッセイ 『牧水が愛した群馬の地酒と温泉』 の取材です。
ところが今回、取材に応じてくれたのは、主人の岡田さんではありませんでした。
話には聞いていましたが、岡田さん夫妻は体調を崩されて、現在は自宅療養中です。
現在、代わりに宿を開けているのは、お嫁さんでした。
「義父からお話は聞いています。お世話になります。どうぞ、こちらへ」
と案内され、玄関脇から通じる蔵の中へ。
昔ながらの急な階段を上れば、そこは、大正ロマンの世界。
あたかも牧水が、そこ居るような文学的な空気が漂っています。
座敷の中央に木製の大きな机があります。
初めての晩、ここで岡田さんと差しつ差されつ、酒を酌み交わしたのです。
岡田さん、女将さん、早く良くなって、また宿を続けてくださいね。
その日を、お待ちしております。
※現在、「ゆじゅく金田屋」 は素泊まりのみの予約となっています。
2024年08月28日
法師温泉 「長寿館」⑪
「お久しぶりです」
「お待ちしていました」
2人は、思わず旅館の前で、握手をしてしまいました。
法師温泉(みなかみ町) 「長寿館」。
昨日、訪ねると、なんと!玄関前で、6代目主人の岡村興太郎さんが出迎えてくれました。
現在は7代目を長男の健さんが継いでいるので、現在は会長職です。
「びっくりしました。まさか会長がいるとは!」
そう言うと、
「だって小暮さんが見えると聞いたものですから」
と、満面の笑みで、手を差し出したのです。
もう、それだけで僕は、「今日の取材は成功だ!」 と確信しました。
岡村さんとの付き合いはは、かれこれ20年近くになります。
新聞や雑誌、著書の取材に訪れるたび、囲炉裏を囲んで茶を飲み、部屋では日本酒を酌み交わしました。
※ (拙著 『みなかみ18湯 【下】』 P83に、2人が酒を酌み交わす写真が掲載されています)
岡村さんは、群馬県温泉協会長という立場からも、僕の取材活動を長年、応援してくださっています。
著書の出版記念パーティーには、毎回出席いただき、祝辞を述べていただいています。
だから僕にとって岡村さんは、温泉の師であり、酒の師なのであります。
僕には、忘れられない岡村さんの言葉があります。
それは、初めて取材に訪れた日のこと。
湯を守る “湯守(ゆもり)” としての心得を訊ねたときでした。
こんなことをおっしゃいました。
「温泉とは、雨や雪が融けて地中にしみ込み、何十年もかけて鉱物を溶かしながら、ふたたび地上へ湧き出したものです。でも地上へ出てからの命は、非常に短い。空気に触れた途端に酸化し、劣化が始まってしまう。湯守の仕事は時間との闘いです。いかに鮮度の良い湯を提供するかなんです」
そして、こんなことも言いました。
「湯守は、温泉の湧き出し口 (泉源) だけを守って入ればいいのではない。もっとも大切なのは、温泉の源となる雨や雪が降る場所、つまり宿のまわりの環境を守ることなんです」
周辺の山にトンネルなどの土木工事をされれば、湯脈が分断される恐れがあります。
またスキー場やゴルフ場ができれば、森林が伐採され、山は保水力を失い、温泉の湧出量が減少するかもしれません。
ただただ、岡村さんの話に感動しました。
そして、その心得が、僕の原動力となり、たくさんの本を書かせてくれました。
と言っても、実は今回は、温泉の取材ではありません。
歌人・若山牧水の足跡を追って、牧水が泊まった部屋と、呑んだであろう酒の話を聞くために訪ねました。
岡村さんは、大の酒好きであります。
もちろん僕も、のん兵衛であります。
だもの、大酒呑みの牧水については語り合えば、話が尽きることはありません。
泊まった部屋は、18番の間。
過去に僕も 何度も泊まったことのある部屋です。
はたして、ここで牧水が呑んだ酒とは?
その銘柄が判明しました。
それは……
9月20日発行のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」 にて発表します。
もちろん取材後に、“奇跡の湯” と呼ばれる足元湧出泉の湯を、たっぷりと堪能しました。
2024年08月25日
トトロが見えていた頃の君へ
「えっ、僕のお母さん、トトロを見たことがあるの!?」
「うん、そうだよ」
この夏、僕は孫のK(中学2年生の男子)と二人旅をしました。
その時のドライブ中の会話です。
先日、久しぶりにテレビでアニメ映画 『となりのトトロ』 を観ました。
この映画は1988年の公開。
長女が生まれた年でした。
彼女の成長と共に、何度も何度も一緒に、くり返しビデオで観た映画です。
その後、長男が生まれ、次女も生まれ、その都度、くり返しくり返し観てきました。
だから場面もセリフも、みんな覚えています。
なのに観るたびに、毎回新鮮で、新しい気づきがあるんですね。
不思議な映画です。
映画の舞台設定が僕の子ども時代(昭和30年代)というのも、愛着を感じるのかもしれません。
冒頭の会話ですが、長女が、ちょうどメイと同じ4歳の頃の話です。
家族で登山に行った帰り道のこと。
車窓から見える大きな木を指さして、長女が言いました。
「あっ、トトロがいる!」
「え、トトロ?」
「そうだよ、ほら、あの木の上だよ!」
と必死になって、僕に説明する長女。
「お父さんには、見えないの?」
悲しいかな、大人の僕には、トトロの姿が見えませんでした。
(2022年8月20日 「心の目 心の耳」 参照)
映画の中でも、大人たちにはトトロは見えませんでした。
トトロだけではありません。
こんなシーンがあります。
サツキを乗せたネコバスが、田んぼの上を走り抜けます。
でも田植えをしている大人たちは気づきません。
「みんなには見えないんだわ」
とサツキはいいます。
また、サツキとメイが引っ越してきたボロ家で、2人が 「まっくろくろすけ」と呼ぶ妖怪 (ススワタリ) に出合ったときのこと。
隣に住む大家のおばあちゃんが言います。
「小っちぇー頃には、わしにも見えたが、そうか、あんたらにも見えるんけぇ」
長女は、あの頃、トトロ以外にも大人には見えないものが、たくさん見えていたようです。
よく、ミチコちゃんという女の子が遊びに来ていました。
でも、僕にも家内にもミチコちゃんの姿は見えませんでした。
それでも長女は、ママゴトや追いかけっこをして楽しそうに遊んでいたのです。
(2018年8月19日 「トトロとミチコちゃん」 参照)
のちに長女が大きくなってからミチコちゃんのことを聞いたことがありますが、覚えていませんでした。
「今度、お母さんに聞いてごらん?」
「うん、聞いてみる。でも、お母さんって、かわいいね。笑っちゃうな」
Kは13歳、もうトトロが見える年齢ではありません。
不思議ですね。
トトロやミチコちゃんを見た長女が、大人になってからは覚えていなくて、大人のままの僕が、そのことを覚えているなんて……
きっと、ある年齢から以前に見た記憶は、成長と共に消されてしまうでしょうね。
大人になるためには、不必要なものだから?
2024年08月24日
玉村の 「玉」 は竜の玉
高崎市民のみなさん、こん、にち、は~!(錦鯉風)
昨日(8月23日)発行の 「ちいきしんぶん」 は、ご覧になりましたか?
「ちいきしんぶん」 は、旧高崎市内の約9割の家庭や事業所に配布されているフリーペーパーです。
この新聞に、僕は時々、記事を書いています。
昨日掲載されたのは、「ぐんま謎学の旅 続・民話と伝説の舞台」 です。
そう、2018年に出版した書籍 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』 の続編なんです。
昨年12月から不定期連載がスタートしました。
で、今回は、その3話目であります。
舞台は、佐波郡玉村町。
「玉村」 という地名の謎に迫ります。
なんと! 玉村の 「玉」 は竜の玉なのであります。
竜の玉って、知ってますか?
掛け軸や寺院の欄間などに描かれている竜の絵を見たことがあると思いますが、よーく見ると手に 「玉」 を持っています。
「碧玉」 という青色をした玉です。
正式には 「如意宝珠」 といい、梵語 (サンスクリット語) で、どんな願い事も叶える玉を意味するそうです。
その玉が、なんと! 千年以上前、平安時代の天慶(てんぎょう)年間に、今の玉村町に現れたといいます。
町内を流れる矢川という川に、夜な夜な青く光る2つの玉が漂うようになりました。
村人たちは、この玉を拾い上げて、祀ったといいます。
ところが、それから500年後のこと。
利根川が大洪水した際に、竜神が現れ、竜巻を起こし、2つのある玉のうち1つを持っち去ってしまいました。
今回、僕は、残った1つの玉の保管場所を探し当て、取材に成功しました。
信じるか、信じないかは、あなた次第です。
※「ちいきしんぶん」 は、ホームページよりバックナンバーを閲覧することができます。
2024年08月23日
毒団子は嫁に食わすな
民話や伝説をテーマにした講演で、よく僕は、言い伝えや迷信の話をします。
子どもの頃に、オフクロや祖母から言われた、意味の分からない言葉です。
たとえば、「夜中に爪を切ると親の死に目に会えない」 「霊柩車を見たら親指を隠せ」 「夜、口笛を吹くとヘビが来る」 などなど。
昔の人は、いったい何を伝えようとしていたのか?
民話や伝説同様、とっても興味があります。
こんな話もします。
「秋茄子は嫁に食わすな」
現代では、秋口のナスはおいしいから、息子を奪った憎き嫁になんかに食べさせたくはないという意地悪な姑の気持ちという説と、反対に、秋のナスは体を冷やすからと嫁の身を思う、やさしい姑の気持ちとする2通りに解釈されています。
でも科学的な根拠はなく、実際のところは意味不明のようです。
が!
僕は調べました。
これも一説にしか過ぎないのですが、かなり信憑性の高い出典にたどり着きました。
それは、鎌倉時代の和歌集 『夫木和歌抄』 に収録されている、こんな歌です。
≪秋なすび 若酒 (わささ) の粕につきまぜて 夜目 (よめ) にはくれじ 棚におくとも≫
語訳すれば、「酒粕に漬けた秋ナスをおいしくなるまで棚に置いておくのはよいが、ネズミに食べられないように注意をしましょう」 という意味のことが詠まれています。
そうなんです!
夜目 (よめ) とは、ネズミのことだったんですね。
たぶん、後世の人が面白がって、夜目と嫁をかけて、ダジャレで作った言葉が、いつしか意味を変えて、ことわざのように現代にまで伝わったのではないでしょうか。
先日の講演でも、この話に触れました。
すると講演終了後に、一人の若い女性が僕に話しかけてきました。
「今日の先生の話を聞いて、納得しました」
と言うのです。
何のことかと訊けば、“よめ” にまつわる話でした。
昔、彼女が聞いた話とは……
ある男が、知り合いから団子(だんご)をもらいました。
「これをヨメに食わせな」
と言って、手渡されたといいます。
その男は家に帰り、言われたとおり、嫁に団子を食べさせました。
すると嫁は、もがき苦しみ、死んでしまいました。
「この話って、夜目と嫁を勘違いした話だったんですね。やっと意味が分かりました。ありがとうございました」
と礼を言って、若い女性は僕の著書を購入して帰りました。
嫁が食べた団子は、ネズミ駆除用の毒団子だったのです。
2024年08月22日
夢と人生とオリンピック
誰にでも、人生を変えた他人から言われた言葉というのがあると思います。
20歳の頃ですから、もう半世紀近くも昔のことです。
僕は東京の専門学校に通っていました。
その時、同じ学校に通う先輩に言われた言葉が、その後の僕の人生を突き動かしました。
「小暮君が夢を持っていることは知っているよ。でもね、夢を見るだけなら誰だってできることだよ。大切なのは、その夢に向かって、今、何をしているかなんだ。夢を語る時間があったら、その夢を叶えるために、今すべきことをやることだよ」
当時、僕は同じ夢を持つ仲間たちと毎夜毎夜たむろし、酒を呑み、ただただ夢を語り合う日々を過ごしていました。
まさに、目から鱗が落ちました。
思いっきり脳天を、バットで殴られたような衝撃でした。
それから数年後のこと。
夢が大き過ぎて、身も心もつぶれそうになり、実家に一時帰省したときでした。
人生の迷子になりかけている憔悴しきった息子を見て、たまりかねたのでしょうね。
オヤジからかけられた言葉があります。
「人生は、何をしたかではない。どう生きたかなんだよ」
これまた、冷水を浴びたように目が覚めた瞬間でした。
いつもいつも 「何かをしなければ」 とあせっていた自分には、救いの言葉となりました。
でも考えれば考えるほど、「どう生きるか」 という選択のほうが、とてつもなく大きなテーマに感じられたのも事実でした。
あれから僕は、はたして、2人の助言どおりに生きて来れたのでしょう?
人生の終盤になり、今、自問自答している毎日です。
そんな折、今年はパリ・オリンピックが開催されました。
人並みに僕も、毎晩、寝不足になりながらも日本選手陣を応援していました。
結果、日本は、たくさんのメダルを獲得し、素晴らしい成績を残しました。
ところが、その一方で、SNS上での負けた選手たちへの心無い誹謗中傷が話題になりました。
(2024年8月12日 「赤子にマシンガン」 参照)
その昔、「オリンピックは参加することに意義がある」 と言われました。
近代オリンピックの父といわれるピエール・ド・クーベルタン男爵の言葉です。
どんな競技であっても、その国の代表に選ばれることはスゴイことです。
選手たちの努力とプレッシャーは、我々凡人には想像すらつきません。
でもオリンピックが競技である限り、勝ち負けの結果は出ます。
それでも結果に関係なく、選手の健闘と功績をたたえるのが、オリンピックという世界レベルの競技だったはずです。
いつしかテレビを観ている素人たちが、あたかも審査員となり、知ったかぶって言葉の暴力を振りかざす時代になってしまったことを、とても残念に思います。
オリンピックという夢を追ったのは、選手です。
その夢に向かい努力したのも選手です。
その結果、勝ったのも負けたのも選手なのです。
結果主義が招いた悲劇に、いまだに心の奥がチクチクと痛むのです。
夢は、語るものではありません。
人生は、どう生きたかなのです。
僕は、オリンピックに出場したすべての選手に、惜しみない拍手を今でも送り続けています。
2024年08月21日
恐るべし! 風っ子旋風
子ども新聞だからと、あなどっていました。
昨日は高崎市内の公民館で、講演を行なってきました。
講演開始前、館長のあいさつがありました。
そのとき館長の手には、見覚えのある新聞が……
先日の日曜日に、上毛新聞より発行された週刊 『風っ子』 です。
館長は、僕のプロフィールとともに著書などを紹介してくれましたが、その際、『風っ子』 にも触れました。
「すでに見た人もいると思いますが、こんなに大きく出ています」 と。
『風っ子』 の記事内容が民話と伝説についてで、この日の講演のテーマも民話と伝説だったので、紹介したんでしょうね。
でも、これって、子ども新聞ですよ。
小学生~中学生を対象に編集されている新聞です。
だから記事は、全文にルビがふられています。
大人が読んでいることに、少し驚きました。
僕は取材を受けた当初、正直 「子どもしか読まないんだ」 と思っていました。
しかし、<風っ子を見た> と掲載日にメールをくれたのは50代の知人でした。
また同じ日には、先月行なった講演先の主催者からもメールが届きました。
<風っ子を拝見しました。小暮様の笑顔の写真と伝説の紹介が載っていました。いろいろご造詣の深さをあらためて感じさせていただきました。>
と思えば、昨晩。
久々に行きつけの呑み屋へ行くと、カウンターにいた先客が、「小暮さん、見ましたよ!新聞に大きく載っていましたね」 と、またしても 『風っ子』 の話題であります。
恐るべし! 『風っ子』。
まだ、しばらく、風っ子旋風が吹き荒れそうです。
2024年08月19日
温泉知恵熱
毎度、孫ネタで恐縮です。
というのも、この夏、孫のKを温泉に連れて行ってやったら、温泉熱に火がついてしまったのです。
(過去ブログ 「K&Gの真夏休み」 シリーズを参照)
「今度、いつ行くの?」 「早く次の温泉に行こうよ!」 「群馬の温泉は、全部行くことに決めたんだから」
と、彼からの催促が止まりません。
ということで、仕方なく、子供だましに近場の日帰り温泉に連れて行くことにしました。
「これから行く温泉も、ジイジの本に載ってる?」
「載ってない」
「なんで?」
「温泉地じゃないから」
「えっ、温泉じゃないの!?」
「そうじゃない。温泉だけど温泉地じゃないんだよ」
温泉地とは、宿泊施設のある温泉のことです。
よって平成以降に誕生した日帰り温泉は、温泉施設ではあるけれど、温泉地としてはカウントしません。
基本、僕は温泉地を取材しています。
(稀に編集の都合により取材・掲載する場合もあります。拙著 『西上州の薬湯』 や 『ぐんまの里山てくてく歩き』 など)
それでもKは、連れて行った日帰り温泉施設に満足してくれたようで、一丁前に湯舟の中で感想を述べていました。
「ジイジさ、この間の温泉は、もっとヌルヌルしていたよね」
「ああ、あそこはアルカリ性の温泉だからね」
「アルカリ性?」
「学校で習っているだろう? アルカリ性と酸性について」
「うん」
「そのアルカリ度が高いと、温泉水は片栗粉を溶かしたようにトロリとした浴感になるんだよ」
すると、すぐさまKは、今日の温泉について訊いてきました。
「ここの湯はさ、なめると、しょっぱいよ」
「へぇー、いいところに気づいたね」
「うん、おいしい!」
と言って、またペロリ。
「やめなさい。湯舟の中の湯は汚いから!」
と、たしなめたものの、Kはペロペロと自分の腕をなめています。
「なんで、しょっぱいの?」
「塩化物泉という温泉だからだよ」
「エンカブツセン?」
「そう、塩分を含んだ温泉のことを、そう呼ぶんだよ」
「へー、そうなんだ。ジイジといると勉強になるね。さすが、温泉博士!」
とかなんとか孫におだてられ、湯上りに、ソフトクリームをおごらされることになってしまいました。
帰りの車中にて。
「次、どこへいく?」
「今日は、もう行かないよ」
「今日じゃなくて、今度は、どこの温泉に連れてってくれるのさ?」
「どこがいいかな……、考えておくよ」
「草津温泉は、最後でいいからね」
「なんで?」
「だってジイジは言っていたじゃないか! 草津のお湯は刺激が強いから肌の弱い人には向かないって!」
「うん、言ったかもな」
「僕はアトピーで肌が弱いからさ。草津は一番最後に取っておくんだ」
いやはや、なんともであります。
カエルの孫は、オタマジャクシからカエルになろうとしているのでしょうか?
ま、将来が楽しみであります。
2024年08月18日
今日の上毛新聞 『風っ子』
<風っ子! いい笑顔をしていますね>
今朝、知人からメールが届きました。
「どれどれ……」
と、朝刊を開きました。
子ども新聞 週刊 『風っ子』 のことです。
毎週日曜日、上毛新聞に折り込まれるタブロイド紙です。
8月18日号は、巻頭3ページが民話の特集です。
1面は、「天狗伝説に興味津々」 と題して、天狗寺としてしられる群馬県沼田市の迦葉山弥勒寺(かしょうざんみろくじ)を取材。
社会科見学に訪れた地元沼田市の中学生たちに同行した記事です。
ページをめくると、「天狗とのつながり ずらり」。
弥勒寺のほか、沼田市で開催される 「天狗まつり」 のほか、県内に伝わる他の天狗伝説も紹介しています。
そして3ページ目に、僕が登場します。
タイトルは、「フリーライター小暮さんに聞く 本県に残る伝説、民話」。
この冒頭に、著書 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』 を手にしている僕の写真が掲載されています。
知人は、このことを言っているのです。
確かに、満面の笑みを浮かべています。
というのも、取材を受けた日、「写真を撮ります」 と記者に言われて、いつものように構えて立ちました。
すると記者は、「これ、子ども向けの新聞なので、笑ってください」 と、言われてしまいました。
「そうですよね。これじゃ、白髪の怖いおじさんに映っちゃいますよね」
と思い直し、ありったけの笑顔を演じたのであります。
これが功を奏したようです。
今日は日中、イベントに参加していたのですが、 「素敵な笑顔ですね」 「カッコイイよ」 と声をかけていただきました。
また新聞を見た他の方からもメールをいただきました。
ありがとうございます。
えっ?
どんな写真なのかって?
言葉では表現できないので、どうにかして手に入れるなり、図書館で閲覧ください。
高木記者さん、土屋記者さん、素敵な記事をありがとうございました。
2024年08月17日
見えない風のように
最近、やたらと両親の夢を見ると思ったら、お盆だったのですね。
「早く墓参りに来い! お前だけ、いつも遅い!」
そうオヤジに、急かされているようです。
命日にしろ、彼岸にしろ、僕はいつも出遅れます。
分かっていても、なかなかスケジュール調整がつかないのです。
そのたびに、「ごめん、遅くなって」 と謝り、「バカもーん、この親不孝者が!」 というオヤジの怒鳴り声を聞いています。
でもね、そのあとに必ず、オフクロのやさしい声が聞こえてくるんです。
「いいじゃないですか、お父さん。こうやって来てくれたんですから。淳だって、いろいろと忙しいんですよ」 ってね。
今年も、なんとか盆中に墓参りを済まして来ました。
でも、やっぱり僕が最後だったのかな……
すでに墓前には、たくさんの花々が手向けられていました。
一番乗りは、いつだってアニキ夫婦です。
長男としての墓守の意識が高いんですね。
墓石だって、きれいに磨かれていました。
早いもので、両親が逝って、6回目のお盆です。
来年は、2人そろって七回忌です。
僕は2人を見送ってから、より “目に見えないもの” を信じるようになりました。
生きている時は親子の照れもあり、あまり多くの会話はありませんでした。
ところが死後、何かにつけて、「オヤジだったら、どう思う?」 「オフクロ、こんなことがあったんだけど」 と報告するようになりました。
すると不思議なんですね。
ちゃんと、声が返ってくるんです。
「おおそうか、いいんじゃないか」 「お前、大したもんだよ」 なんて。
たぶん、僕の脳内で勝手に両親の声色を真似て、自分の都合の良いように返事をしているんでしょうね。
でも、感じるんですよ。
あ、オヤジがいる。オフクロがいるって。
そう、今、墓前に手向けた花束の花びらを揺らす、風のように……
風は、目には見えません。
でも感じることはできます。
見えなくても、確かに、そこに風は吹いているのです。
「徳を積んでいるかい?」
オフクロの声です。
生前、僕が子どもの頃から、ずーっと耳にタコができるほど言い聞かされた言葉です。
良いことがあれば、「徳を積んだからだよ」。
悪いことがあれば、「徳が足りないからだよ」。
オフクロの人生は、すべて “徳” でできていました。
「徳って何?」
子どもの頃に聞いたことありまます。
「日々の行いだよ。ちゃーんと神様は見ているんだからね」
神様には見えるけど、見られている本人には “徳” は見えません。
「今年の夏は、2人が体験したことのないような暑さだよ。オヤジもオフクロも熱中症には気をつけてな」
そう言って僕は、残っていた桶の水を墓石にかけてやりました。
2024年08月16日
どこかで誰かが聴いている
「小暮さん、そんなに大きな孫がいたんですか?」
突然、30年以上前に雑誌を編集していた当時の同僚から電話がありました。
なんでも、先日のラジオを聴いて、連絡をくれたようです。
僕は毎月第2水曜日に、エフエム群馬の 『news ONE』 というニュース番組にゲスト出演しています。
毎回、テーマを決めて、温泉に関するうんちくやエピソードを話しています。
今月は、「動物発見伝説の温泉」 でした。
冒頭、開口一番、岡部アナウンサーがアドリブで、「この夏休み、どこかへ行きましたか?」 と振ってきたものだから、「ええ、孫と温泉旅に行って来ました」 と答えました。
そのとき 「孫に背中を流してもらいましたよ」 と言った言葉を、元同僚は聴き逃さなかったようです。
「2、3歳の孫じゃ、背中は流せないでしょう? いくつの孫なの?」
「中学2年生だよ」
「へー、もしかして一番上のお嬢さんの子? Mちゃんって言ったっけ?」
長女の名前を覚えていてくれたことに驚きました。
「Rくんも結婚したの? 一番下の女の子はSちゃんだっけ?」
と、長男や次女についても矢継ぎ早に訊いてきます。
ただただ、元同僚の記憶力に驚くばかり。
他人のうちの子どもの名前なんて、そうそう覚えているものじゃありませんって。
でもね、これ、すべてラジオの効用であります。
僕がメディアに露出しているからこそ、思わぬ出会いや再会があるのです。
こうやって、わざわざ連絡をくれる人は稀であって、きっと、どこかで誰かが聴いていて、僕のことを思い出してくれているんでしょうね。
ラジオに感謝!
聴き逃した方は、ぜひ、「ラジコ」 でお聴きください。
オンエアから1週間は、無料配信されています。
※次回の出演は9月11日です。
■放送日 毎月2週目水曜日 (18:37頃~)
■放送局 FM GUNMA (86.3MHz)
■番組名 『news ONE』 月~水 18:00~18:55
■出演者 岡部哲彦 (アナウンサー)、小暮 淳 (温泉ライター)
2024年08月14日
K&Gの真夏休み ~不便の効用~
Kは中学2年生の男子。
僕の孫です。
先週、僕らは1泊2日の温泉二人旅に行って来ました。
(2024年8月7日、8日の 「K&Gの真夏休み」 参照)
祖父の欲目かもしれませんが、Kは純粋で素直な少年に育ちました。
というのも小さい頃は、まぁ、親も手が付けられないほどのヤンチャで暴れん坊だったんです。
娘が我が家にKを連れて来たときだって、棚の上の物は片っ端から落とすし、冷蔵庫の中の物は引っ張り出すし、の大騒動。
極めつけは、当時、我が家で飼っていた愛犬のマロ君のしっぽをつかんで振り回す始末。
「どんな子になるんだろう?」
と娘とともに気をもんだものでした。
でも、見事に彼は更生(?)しました。
ふつうの中学生になりました。
とっても好奇心が旺盛です。
「ジイジの本を図書館で借りて、今日行く温泉のこと調べてきたよ」
車で迎えに行くと、開口一番、こう言いました。
うれしいじゃないですか!
しっかり、予習をしてくるなんて!
「あれ、G(じい)の本は、お母さんが全部持っているはずだけどな?」
「それがね、『みなかみ18湯』 (拙著です) だけなかったんだ。だから借りてきた」
あらら、娘には本が出ると、すべて渡していたと思っていたのですがね。
申し訳ないことをしました。
「そりゃ悪かったな。あとでお母さんに渡しておくよ」
「えっ、僕にじゃないの?」
「アハハ、そうだった。Kにあげるよ」
車の中では、こんな会話もありました。
「ジイジの車には、カーナビが付いてないの?」
「うん」
「なんで?」
「必要ないから」
「不便じゃないの?」
「だって、頭の中に地図が入っているもの」
「本当?」
「本当」
「スッゲー!」
とは、ウソです。
本当は、ナビを買うお金がもったいないからです。
でも群馬県内なら、ほぼ迷わず行くことができます。
「だってGは県内の温泉は全部行ったことがあるんだよ。頭の中に道は入ってるさ」
「じゃあ、県外は?」
「入ってない」
「じゃあ、県外に行くときには、どうするのさ?」
「電車で行くか、もしくは誰かの車に乗せていってもらうよ」
「不便じゃないの?」
「うん……、少し不便かな。でも、とっても楽しいよ」
そして僕はKに、便利と不便について話してあげました。
便利に慣れてしまうと、人は手を抜き出すこと。
手を抜き出すと、人は人とコミュニケーションを取らなくなること。
そして、何よりも無駄を省くようになってしまうこと。
一方、不便は面倒くさいこと。
だからこそ、一生懸命に覚えたり、手間をかけたり、相手のことを気遣うようになること。
そして何よりも無駄な時間は、楽しいこと。
「知らない町で、迷子にならないの?」
「なるよ。道を間違えて、同じところをグルグル回ることもね」
「困らないの?」
「確かに、急いでいる時はね。そのために余裕をもって行動するんだよ」
道も覚えるし、知らない人たちと触れ合える楽しさがあることを伝えました。
「へー、ジイジって面白いね」
「そうかい?」
「やっぱ、僕のジイジは変わっているよ」
「そうか、そりゃいい(笑)」
便利過ぎる世の中に生きる令和の少年には、昭和ジイジの生き方は奇妙に映ったかもしれませんね。
でも、そんな現代っ子のKが、宿に持ってきたものは?
トランプとボードゲームでした。
「ジイジ、風呂から出たらやろうよ!」
もしかして、僕に気を遣って、あえて昭和のゲームを持ってきたのかな?
それとも娘の心遣い?
幸せな一夜でした。
2024年08月13日
仙吉に抱きついた豆腐屋のおかみさんは、なぜ突然、死んでしまったのか?
奇妙奇天烈な話です。
JR高崎線 「倉賀野駅」 をはさんで、2つの寺院があります。
養報寺と永泉寺です。
どちらの寺にもムジナの話が伝わりますが、「むさしや豆腐店」 が登場するのは、養報寺に伝わる 『かみそりムジナ』 という民話です。
明治時代になって間もない頃のこと。
倉賀野よりも高崎寄りにある矢中 (現・矢中町) の若者たちが肝だめしをすることになりました。
「倉賀野の養報寺の雑木林を抜けて、豆腐屋で油揚げを買って帰ってくるってぇのはどうだ?」
「そりゃ、おもしれぇ。やってみんべぇ」
ということになり、一番手の仙吉という若者が出かけて行きました。
仙吉が豆腐屋までたどり着くと、店内では夫婦げんかの真っ最中。
油揚げを買うことはあきらめて、養報寺まで引き返したときでした。
さっきの豆腐屋のおかみさんが、 「助けて~!」 と髪を振り乱しながら仙吉に抱きついてきました。
そして、突然、息絶えてしまいました。
このあと、さらに仙吉の身に災難は続きます。
その結末は、いかに?
(続きは、拙著 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』 をお読みください)
昨年9月、民話に登場する豆腐店が閉店するというニュースが飛び込んで来ました。
知らせをくださったのは、倉賀野公民館の職員Nさんでした。
その数日前に、僕は同公民館で講演を行いました。
講演の演題は 「“みなかみ紀行から見る” 牧水が愛した群馬の地酒と温泉」 という、やや硬めのテーマでしたが、その時、地元・倉賀野に伝わる民話の話を少しだけしたのです。
Nさんは、そのことを覚えていて、わざわざ連絡をくれたのでした。
さらに、「ぜひ、今度は民話をテーマにした講演をお願いします」 と依頼されました。
ということで来週、民話と伝説一色の摩訶不思議な話を、たっぷり2時間いたします。
興味と時間のある方は、ご参加ください。
『“民話と伝説の舞台裏” 「倉賀野のムジナ」 ほか』
●日時 2024年8月20日(火) 10:00~12:00
●会場 高崎市倉賀野公民館 3階ホール
(高崎市倉賀野町1691-1)
●対象 高崎市内在住の成人
●定員 30人
●費用 無料 (筆記用具、飲み物は持参)
●講師 小暮 淳 (フリーライター)
●問合・申込 高崎市倉賀野公民館 TEL.027-346-2214
2024年08月12日
赤子にマシンガン
連日の夜更かしで、「宵っパリ」 になってしまった人も多いんじゃありませんか?
まあ、僕も人並みに毎晩、ほどほどに観戦していました。
今朝、パリ・オリンピックが閉幕しました。
メダルの数も海外五輪では最多、またブレイキンなどの新種目の競技もあったりして、十分に楽しませていただきました。
選手のみなさんには、「お疲れさまでした」 「感動をありがとう」 と心よりお礼を言いたいと思います。
その一方で、残念なことも多々ありました。
それはSNS上での、負けた選手への心無い誹謗中傷の数々です。
残念でなりません。
他人に言われるまでもなく、結果が出せなくて一番悔しい思いをしているのは、選手本人です。
応援したというだけで、何を勘違いしているのか、監督やコーチになった気分で非難を浴びせるのは、愚の骨頂です。
この偽善的言葉の暴力って、なんとかなりませんかね。
今回の誹謗中傷に対して、日本バレーボール協会会長の川合俊一さんは、こうコメントしています。
「百発百中の成功はありえません。どうか愛のある応援をお願いします」
SNSなんて、無ければよかった……
そう思った選手もいたかもしれませんね。
この、傷口に塩を塗るような悪質な書き込みを絶対に許しません。
が、一向に法整備は追いつかず、野放し状態です。
これって、人間が生み出した “便利” と “犯罪” ですよね。
世の中の進歩に対して、使う側の成熟が追い付いていない。
“便利” を使いこなせていないから、動機も自覚もない “犯罪” に手を出してしまう。
これは暴発です!
いうなれば、赤ん坊に、おもちゃとしてマシンガンを与えてしまっている状態ではないでしょうか?
必ず暴発します。
今一度、“便利” の怖さを見つめ直したほうがいいですね。
いつなんどき、自分が被害者になるかわかりません。
いや、指先一つで、加害者にだってなりうる時代なのです。
2024年08月11日
還暦の壁
♪ 定年までの数年で 答えを出すと言うけれど
会社に尽くした歳月を 何んで計ればいいのだろう
定年退職が夢なんて あとからほのぼの思うもの
60手前のアラ還は 人生(みち)に迷っているばかり ♪
先週、誕生日を迎え、“無敵の66歳” となりました。
何が無敵かって?
ますますモチベーションがパワーアップしているんです。
負ける気がしませんって!
そのターニングポイントは、60歳が境だったと思います。
まるで憑き物が取れたように、心も体も楽になり、やる事なす事すべてが、上手く行くようになりました。
それだけではありません。
思っている事は叶い、予期せぬ吉報までが舞い込むようになりました。
僕は、ここに来て、人生最強の運気を手に入れたようです。
まさに、「還暦マジック」 であります。
そんな勇気凛々パワー全開のさなか、さる食事会の誘いを受けました。
知人の還暦祝いです。
今月末、めでたく60歳を迎えるといいます。
でも、ただ祝うだけではないようです。
幹事からは、こんなことを言われました。
「彼は、還暦後の身の振り方について悩んでいます。ぜひ、人生の先輩としてアドバイスをしてあげてください」
と言われましてもね。
還暦を迎える彼は、サラーマンですからね。
身の振り方といわれても、フリーランスで生きて来た僕には、何の助言もできません。
「好きにすれば」
と言うのが関の山です。
当日、話を聞けば、彼の悩みは二者択一でした。
①来年、退職する。
②このまま会社に残り、再雇用の道を選ぶ。
ただし、➀を選択した場合、これといってやりたい事は無いといいます。
「だったら、このまま会社に残れば」
と言えば、
「仕事が好きじゃないんですよ」
と言う。
「だったら辞めれば」
と言えば、
「何をやればいいのかわかりません」
と、まるで禅問答です。
これでは、相談に乗ることも、アドバイスすることもできません。
今の仕事はしたくないから会社は辞めたい。
でも、別にやりたいことはないので、再就職も考えていない。
だったら、隠居しかないじゃありませんか!
結局、話は堂々めぐりで、結論は出ずに、お開きとなりました。
でもね、こういう人って、けっこう多いんですよね。
ただね、僕みたいなフリーランスからしたら贅沢な悩みですよ。
お金があって生きていられるから、“平和ボケ” をしているんですね。
あまりに長い間、平和が続くと、人は生きることに対して麻痺してしまい、人生を考えなくなってしまいます。
まさに彼は、いま、その状態です。
考えないで生きて来たツケが、溜まりに溜まって、思考能力が停止してしまっています。
サラリーマンにとって 「還暦の壁」 は、高くて分厚いようであります。
知らんけど……
2024年08月10日
8月は 「動物発見伝説」
1カ月なんて、あっという間ですね。
もう来週、オンエア日です。
僕は今年4月から月1回、エフエム群馬で温泉の話をしています。
番組名は 『news ONE』。
夕方のニュース番組です。
この番組の中の 「ニュースワン・アラカルト 『Voice』」 というコーナーにゲスト出演しています。
お相手は、アナウンサーの岡部哲彦さん。
回を重ねるごとに、2人の息も合ってきました。
なにより岡部さんは、温泉ソムリエの資格を持つ、コテコテの温泉ファンです。
とにかくマニアックなネタが大好きなんです。
「いいんですか? リスナーはついて来てますかね?」
と問えば、
「毎回、楽しみにしています」
と、岡部さん個人の感想が返ってきました。
ということで次回の放送でも、マニアックネタを披露します。
題して、「動物発見伝説の温泉」。
全国には、クマやサル、イノシシ、ツル、カメ、ヘビ……とバラエティーに富んだ発見伝説があります。
もちろん、群馬にもありますよ!
そのまま伝説の動物名が温泉名になっている温泉地もありますが、そうでない “隠れ動物発見伝説” の温泉地もあります。
いえいえ、それだけじゃありません!
なかには “伝説” ではなく、 現実に動物が発見している “史実” の温泉地だってあるんです。
さて、その温泉とは?
オンエアを楽しみにしてください。
■放送日 8月14日(水) 18:37頃~
■放送局 FM GUNMA (86.3MHz)
■番組名 『news ONE』 月~水 18:00~18:55
■出演者 岡部哲彦 (アナウンサー)、小暮 淳 (温泉ライター)
2024年08月09日
最後の日本本土空襲
みなさんは、知っていましたか?
終戦日に空襲を受けた街があることを。
それも群馬県でした。
昭和20(1945)年8月14日深夜から15日未明にかけ、米軍機(B29)84機が伊勢崎市に飛来しました。
焼夷弾(しょういだん)614トン、爆弾27発を投下。
死者は計40人に上り、市街地が広範囲に焼失しました。
終戦が、あと1日早ければ失われずに済んだ命でした。
この悲惨な戦争を忘れることなく、後世に伝えようと、地元・伊勢崎市では昨年から紙芝居と絵本による平和祈念講演を開催しています。
伊勢崎空襲の犠牲者が作成した紙芝居 『星になった母』、伊勢崎空襲の記憶 『わたしたちが駆け抜けた青春』 ほかを上演します。
僕と一緒に伊勢崎で街頭紙芝居の活動を行っている紙芝居師の石原之壽(いしはらのことぶき)さんも、広島原爆者の体験を基に作成した紙芝居 『英ちゃんと原爆』 を上演します。
ぜひ、この機会に身近で起きた戦争について、見聞きして知ってほしいと思います。
二度と過ちをくり返さないために……
令和6年度 伊勢崎市平和祈念講演会
紙芝居と絵本で伝える伊勢崎空襲と平和 Ⅱ
日時 2024年8月18日(日) 10:00~12:00 (開場9:30)
会場 伊勢崎市役所 東館5階第1会議室
定員 100名
入場 無料
問合 090-8647-9430 (佐藤)
●第1部 太平洋戦全国戦災都市空爆写真概説
●第2部 紙芝居 『星になった母』 伊勢崎空襲犠牲者
紙芝居 『英ちゃんと原爆』 広島被爆体験者
●第3部 読み語り 『世界で最後の花』
●第4部 伊勢崎空襲の記憶 『わたしたちが駆け抜けた青春』
<同時開催> 全国空襲被災都市及び戦時中の生活写真展
期間 2024年8月13日(火)~8月16日(金)
時間 9:30~16:30
会場 伊勢崎市役所 東館1階市民ホール
2024年08月08日
K&Gの真夏休み ~真実の証明~
Kは中学2年生の男子。
僕の孫です。
前々からの約束で、2人だけで1泊2日の温泉旅に出かけてきました。
(きっかけは昨日のブログをご覧ください)
孫から見て、祖父って、どんな存在なのでしょうか?
特に中学生ともなると、難しい年頃です。
親よりも、さらに年齢が上の大人に対して、どんな感情を抱いているのか?
思い返せば、僕が中学生の時には、すでに2人の祖父はいませんでした。
母方の祖父は、僕が生まれてすぐに亡くなっているため記憶にありません。
父方の祖父も、僕が小学4年生の時に亡くなりました。
記憶に残っている思い出は、畑に連れて行ってもらい、イチゴを摘んだくらいのものです。
だからKにとって僕が、どのように映っているのか?
興味津々の2日間でした。
「ああ見えて、しっかり反抗期ですからね」
と出発前に、娘 (Kの母親) から釘を刺されました。
“中二病” なんていう言葉があるくらいです。
とにかく難しい年頃であることには間違いありません。
だからといって、はれ物に触るような付き合いでは面白くありません。
Kにとっては、親よりも偉い、威厳のある祖父でなければいけないのです。
ダメなものはダメ、間違っていることは間違っていると、ビシッと言って聞かせようと心に誓い、今回の旅に臨みました。
ところが、さにあらん。
実際のKは、素直で純粋で、好奇心旺盛な健全な男の子でした。
学校の授業や成績のこと、夏休みの宿題のこと。
友だちのこと、部活動のことなどなど、僕から訊くまでもなく、自ら率先的に話してくれました。
僕は 「へー、そうなんだ」 「がんばってるじゃないか」 と、感心しながら聞いてました。
おかげで道中の車中では、音楽やラジオを一度もかけませんでした。
(誰に似たのか、おしゃべりだけは天下一品です)
そんな彼から、こんなことを言われました。
「ジイジ、お願いがあるんだけど……」
「なんだい?」
「絶対、絶対、叶えてほしいんだ」
「だから、言ってごらん?」
「僕をテレビに出してよ!」
その意表を突いた願い事に、面食らいました。
もしかして、こいつも誰かさんに似て、出たがりの目立ちがり屋なのか?
ところが理由を聞くと、ちょっと事情が違うのです。
彼なりに深刻な問題を抱えていました。
「みんな信じないんだよな……。僕がジイジの孫だって」
「えっ、どういうことだい?」
「ジイジは時々、テレビに出るでしょ。僕は先生や友だちに、そのことを自慢しているんだ」
「そう、ありがとう。、それで?」
「先生は、すごいね!って言ってくれた」
「友だちは?」
「……」
理由は、こうでした。
Kは娘の子です。
なので、娘の嫁ぎ先の名字です。
「小暮」 ではないということで、友だちからは 「名字が違う」 「信じられない」 「証拠を見せろ」 と言われたようです。
「だからさ、ジイジと僕が一緒にテレビに映ったら、僕がジイジの孫だってことを証明できるでしょう」
この場合、祖父として、なんと答えればいいのでしょうか?
「いいよ、今度、出してやるよ」 なんて、軽はずみのことは言えません。
とりあえず、この場では約束せずに、こう答えておきました。
「今度、テレビ局のディレクターさんに話してみるよ」
すると、
「本当!? やったー! 絶対、絶対、お願いしまーす!」
でもね、たぶん彼の願い事は叶わないでしょうね。
だったらKよ、お前が部活で活躍して、テレビに出て、G(ジー)をカメラの前に呼べばいい。
今年の夏の大会、必ずGは応援に行くからな!
まずは県大会優勝だ~!
2024年08月07日
K&Gの真夏休み ~至福の瞬間~
まさか、こんな未来が訪れるとは、夢にも見ていませんでした。
Kは中学2年生の男子。
僕の長女の息子です。
3年前までは、どこにでもいるような普通の祖父と孫の関係でした。
年に一度、正月に親に連れられて来て、新年のあいさつをするくらいです。
だから特別な孫との思い出もありません。
まあ、僕が忙しかったこともあり、娘家族との交流も紋切型。
冠婚葬祭で顔を合わせ、たまに食事を共にするくらいでした。
だから孫の成長は見て取れても、彼の人となりや趣味、好きなことなんて、知るよしもありません。
「じいちゃんらしいことをしてやれなくて、ゴメン」
娘と孫に会うたびに、そう、いつも後ろめたい気持ちでいました。
僕と孫の関係が一変したのは、3年前の冬でした。
僕が友人とともに月一回、街頭紙芝居を始めたことでした。
偶然にも会場は、娘一家が暮らす伊勢崎市。
初回の1月、Kは両親に連れられて会場にやって来ました。
「ねえ、ジイジ、また来てもいい?」
「おいで、今度は一人でも来れるだろう?」
「うん、そうする」
そんな会話が交わされて以降、彼は時々、自転車に乗って会場にやって来ました。
ある日のこと。
「僕のジイジは温泉ライターなのに、僕は温泉に行ったことがないんだ……」
ポツリと言ったKのさみしそうな目に、胸の奥がキューンと痛くなりました。
「よし、今度の夏休みに温泉へ行こう!」
「マジ? 連れてってくれるの?」
「ああ、KとG(ジー)の2人だけで行こう」
「やったー!」
ということで、僕はKとの約束を果たすため、先日、上牧温泉 (みなかみ町) へ行って来ました。
初めて入る大きな露天風呂に、興奮するK。
「ねえ、泳いでいい?」
「ダメだよ、人がいるだろ」
しばらくすると、他の浴客は湯舟から出て行きました。
「今ならいい?」
「……」
僕から 「いい」 とは言えません。
が、言葉ではなく、小さくうなずき、黙認しました。
「うわ~、チョー気持ちいい!」
Kは、北島康介のようなことを言っては、何度も湯にもぐります。
「おい、そのくらいにしな。人が来るよ」
と注意すると、
「ジイジもやってみれば? チョー気持ちいいよ」
チョー気持ちいいって?
そんなことはGだって知っているさ。
知っているけど、大人だし、立場やマナーもあるからしないだけなんだ。
だけど、カッパのように泳ぐKは、確かに気持ちよさそうである。
夏休みだし、今日は特別な日だから、ま、いっか!
と、恥も外聞もなく、65歳最後の真夏の大冒険と相成りました。
(明日、誕生日を迎えます)
「どう? ジイジ、気持ちいい?」
「ああ、チョー気持ちいい!」
そう言って、2人で大笑いしました。
洗い場にて。
「なあ、K」
「なに?」
「Gの背中、洗ってくれるか?」
「ああ、いいよ。タオル貸して」
ジーンと目頭が熱くなりました。
20数年前の思い出が、よみがえってきます。
僕と息子とオヤジの3人で、温泉に行ったことがありました。。
「ほれ、R(息子の名)、おじいちゃんの背中を洗ってやりな」
その時、オヤジが言った言葉が忘れられません。
「ああ、幸せだ。孫のいない人は、可愛そうだね」
今まさに僕は、その至福の瞬間を迎えています。
いいことも、悪いことも、無駄なことも、面倒くさいことも、長い人生にはいろんなことがあるけど、稀だけど、こうやって幸せを感じる瞬間も訪れるんですね。
K、ありがとう。
そして、Kを産んでくれた娘に感謝。
オヤジ、見ているかい?
やっと俺もオヤジの気持ちが分かる歳になったよ。
お盆に報告に行きます。