温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2020年05月31日

一湯良談 (いっとうりょうだん) 其の十三


 『裸の大将が愛した湯』

 大正13(1924)年のこと。
 谷川岳を望む利根川沿いの田んぼに、冬でも雪解けが早く、稲が枯れる場所があった。
 不思議に思った初代の深津謙三さんが原因を探ろうと掘ったところ、温泉が湧き出たという。
 湯小屋を建て、しばらくは無料で村人に開放していたが、昭和2(1927)年に 「辰巳館」 を開業した。
 現主人の深津卓也さんで4代目になる、上牧(かみもく)温泉(みなかみ町) で一番古い旅館だ。

 源泉の温度は約41度。
 ややぬるめだが、弱アルカリ性の湯が肌にサラリとまとわり付く。
 泉質はナトリウム・カルシウム-硫酸塩・塩化物温泉。
 保温と保湿に優れているため 「化粧の湯」 と呼ばれ、昔から美肌効果のある温泉として親しまれてきた。

 ここに名物風呂がある。
 何が名物かといえば、“裸の大将” で知られる放浪の画家、山下清の絵が浴室の壁一面に描かれているのだ。
 上牧温泉という自然に恵まれた静かな土地に、清の素朴で素直な人柄が、ぴったり合ったのだろう。
 昭和30年代に何度となく、辰巳館を訪れている。

 同36(1961)年の春。
 大峰山の大峰沼に出向いて下絵を描き、2ヶ月かけて貼り絵を仕上げた。
 その原画をもとに、特殊なモザイクガラスを使い作製した大壁画が 『大峰沼と谷川岳』 である。
 完成時には、清自身が署名部分のタイルを貼った。
 自らの視力の低下と闘いながら、情熱を傾けて完成させた本邦唯一の作品で、晩年の傑作といわれている。

 見れば見るほど、不思議な絵である。
 大峰沼にあるはずのないボートや居るはずのない釣り人の姿が描かれている。
 また紅葉に包まれた晩秋の山の中なのに、描かれている人たちは、みんな半袖の夏服を着ている。
 これらはすべて、清独自のユニークな発想によるものだ。

 さらに、この壁画の中には、清自身が描かれているという。
 やさしい化粧の湯に抱かれながら、裸の大将を探してみるのも一興である。

 <2013年5月>
   


Posted by 小暮 淳 at 11:48Comments(2)一湯良談

2020年05月30日

未来からのJIN


 テレビをつけると、どこもかしこもコロナ・コロナ・コロナ……
 ワイドショーやバラエティー番組では、リモート出演のタレントがモニターの中で、半拍遅れた笑いを浮かべています。
 すかさずチャンネルをニュースに変えますが、やはりそこもコロナ関連一色です。

 もう、うんざりです。


 それに引き換え、ドラマや映画は、いいですね。
 再放送を楽しんでいます。
 テレビ朝日の 「科捜研の女」 や 「相棒」、テレビ東京の 「午後のロードショー」 などは時間つぶしに、もって来いです。
 ドラマや映画は、何度観ても楽しめます。
 「あ、これ観たことある」 と思っても、結局、最後まで観てしまいます。


 コロナ禍の最中、再放送されたテレビ番組で、もっともハマッタのがTBSテレビの 「JIN-仁-レジェンド」 でした。
 いゃ~、何度観てもいいんです!
 あのテーマ曲が流れ出し、江戸の町並みが映し出されるだけで、ジーンとしてしまいます(JINだけに)。
 大沢たかおもカッコイイし、綾瀬はるかもカワイイですね。

 で、ドラマを観ていて思ったのです。
 令和の世にも、未来から南方先生がタイムスリップして来ないかと……


 ドラマを観たことのない人のために、簡単にあらすじを話すと、現代(平成) の医師、南方仁が、ひょんなことから江戸時代にタイムスリップしてしまいます。
 江戸の町で “コロリ” と呼ばれ恐れられる疫病が流行します。
 コロリとは、現代のコレラのことです。
 そこで南方先生は、江戸の医者を集めてペニシリンを作り、治療に当たります。

 今にピッタリの再放送でした。
 まさに新型コロナウイルスは、現代の “コロリ” であります。
 だからドラマを観ていて、つくづく思いました。

 200年後の未来から、南方先生がタイムスリップして来ないものかと!

 たぶん、200年後の世の中では、新型コロナウイルスは現代のインフルエンザ並みの流感だと思われます。
 未来の南方先生なら現代の医療技術を駆使して、必ずやワクチンを作り出してくれるに違いありません。


 でも、もしかしたら、すでに日本のどこかの病院に、南方先生は来られているのかもしれませんね。
 だって、龍馬さんの声が聞こえましたもの……

 「しぇんしぇい、令和の世へ行くぜよ!」
  


Posted by 小暮 淳 at 12:14Comments(0)つれづれ

2020年05月29日

悪口は人のためならず


 また、おかしな夢を見ました。
 たぶん僕は小学生で、友だちと口ゲンカをしているようです。
 そのとき、苦しまぎれに友だちに向けて言った言葉……

 「バカ、カバ、チンドン屋、おまえのかーちゃん、出ベソ!」

 そこで目が覚めました。
 なんとも寝覚め悪い夢でした。
 起きてからも、しばらくは、この言葉が頭の中をめぐっていました。

 「バカ、カバ、チンドン屋、おまえのかーちゃん、出ベソ!」


 呪文のような不思議な言葉ですが、当時は決りゼリフのように、誰もがケンカで相手を罵倒するときに叫んでいた記憶があります。
 これって、悪口なのでしょうか?
 しかも、相手に対するダメージがある言葉なのでしょうか?

 このセリフの中で、悪口と思われる言葉は 「バカ」 くらいなものです。
 「カバ」 は、ただ単に、バカをひっくり返しただけの言葉遊びです。

 では、チンドン屋は?
 決して、侮蔑(ぶべつ) した言葉ではありません。
 当時の子どもたちは、チンドン屋が大好きで、一緒に後をついて、街中をねり歩いたものです。
 しいて言うならば、化粧でしょうか?
 志村けんの “バカ殿” のような格好が、道化師のようで笑えたからかもしれません。


 一番の謎は、最後の 「おまえのかーちゃん、出ベソ」 です。
 なぜ、相手ではなく、母親なのか?
 しかも、バカやアホでもなく、“出ベソ” なのか?

 確かに当時のマンガの主人公や登場人物の男の子には、よく、めくれたシャツから “出ベソ” がのぞく描写が書かれていました。
 やはり、これもチンドン屋同様、“笑いモノ” としての決めゼリフなのかもしれません。


 では、言われた相手は、これに対して何と応えたのでしょうか?

 「うちのかあちゃんは、出ベソじゃないやい!」
 と反撃したり、
 「なんで知ってるんだよ。オレだって見たことないのに!」
 と、逆に笑いをとったものでした。

 ただ、このセリフは使い方を間違えると、墓穴を掘ってしまいます。


 あれは、7歳離れたアニキとのケンカのときでした。
 ケンカといっても、一方的に僕が殴られて、惨敗……
 泣きながら叫んだ言葉が、このセリフでした。

 「バカ、カバ、チンドン屋、おまえのかーちゃん、出ベソ!」

 すると、アニキから返って来た言葉は、
 「おまえのかーちゃんでもあるんだぞ!」


 “悪口は人のためならず”
 以後、誰とケンカしても、このセリフを吐くことはありませんでした。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:25Comments(0)つれづれ

2020年05月28日

コロナ知らず


 緊急事態宣言が解除され、徐々に日常が戻りつつあるようですが、みなさんは、いかがお過ごしでしょうか?

 僕の場合、依然、“サンデー毎日” が続いています。
 思えば、こんな日常は、この仕事に就いて以来、初めての体験です。
 バブルの恩恵もなく、リーマンショックの影響も受けず、可もなし不可もなし、いつだってマイペースで生きてきました。

 が、今回だけは、参りました!
 ライターという仕事は、デスクワークが主だと思われがちですが、実は執筆は全体の半分以下なのです。
 しかも、その執筆も取材があってこそ発生する仕事なので、外出自粛が続けば、おのずと執筆もなくなります。
 困ったものです。


 ところが世の中には、まったくコロナ禍とは無関係な職業の人たちがいます。
 誰だと思いますか?

 「相変わらずアトリエに、こもっています」
 「毎日、作品を創っています」

 そうです! 芸術家と呼ばれる人たちです。
 画家、彫刻家、陶芸家など、古くから付き合いのある友人・知人と、電話やメールで話をすると、決って 「何も変わらない」 との言葉が返ってきます。

 唯一の変化は、個展や作品展などのイベントが中止になったくらいのようです。

 うらやましい!
 彼ら彼女らにとって、作品を創るということは、“売れる”“売れない” に関わらず、その作業自体が日常なのです。
 ライブ活動のある音楽家やミュージシャンとは、創作のスタイルが異なるようであります。

 ゆえに、コロナの影響を最も受けにくい職業といえるかもしれません。


 僕にとって、うらやましい職業の人たちは、まだいます。
 イラストレーターやデザイナーです。
 彼ら彼女らは、芸術家たちとは違い、クライアントからの発注があってこそ成り立つ職業です。

 ゆえに、コロナの影響は受けています。
 仕事の受注量は、確実に減少しているようです。

 でも、しかーし!
 僕がうらやましいのは、そもそもが自宅でのデスクワークなのだから、外出自粛という事態が苦ではないということです。
 「仕事は減りましたが、日常は変わりませんね」
 「そもそも出不精だから、この仕事を選んだのですから」
 とは、やっぱり、うらやましーい!


 それに引き換え、僕の場合は、まさに人生そのものが 「マグロの回遊」 ですからね。
 泳ぎ続けていないと、死んじゃうんです。
 一時もジッとしていられない性格なのですから……

 ということで、毎日せっせと、無駄にウォーキングとサイクリングに出かけています。
 ああ、なんと落ち着きのない人生なのでしょう。
 ただの貧乏性かもしれませんけど。
  


Posted by 小暮 淳 at 10:07Comments(0)つれづれ

2020年05月27日

一湯良談 (いっとうりょうだん) 其の十二 


 『湯守が守り続けるもの』

 何軒も宿のある温泉地では、1つの源泉から各宿へ分湯している場合が多いので、必ずしも宿の主人が湯の管理をしているとは限らない。
 しかし一軒宿と呼ばれる小さな温泉地のほとんどは、自家源泉を保有しているので、湧出地から温泉が宿の浴槽へたどり着くまでの一切の面倒を宿の主人が見ている。
 読んで字のごとく、「湯守(ゆもり)」 のいる宿である。

 法師温泉(みなかみ町) の一軒宿 「長寿館」 は、全国でも1%未満という浴槽直下の足元から源泉が湧く珍しい温泉。
 足元湧出温泉は、湧き出した湯が直接、人肌に触れるため、熱過ぎても、ぬる過ぎても存在しない。
 なかでも入浴に適温とされる41~42度の源泉が湧出する温泉は、まさに “奇跡の湯” だ。

 宿の創業は明治8(1875)年。
 同28年に建てられた鹿鳴館風の湯殿は、本館、別館とともに国の登録有形文化財に指定されている。

 「温泉とは雨や雪が融けて地中にしみ込み、何十年という月日をかけてマグマに温められて、鉱物を溶かしながら、ふたたび地上へ湧き出したものです。でも地上へ出てきてからの命は、非常に短い。空気に触れた途端に酸化し、劣化が始まってしまう。湯守の仕事は、時間との闘いです。いかに鮮度の良い湯を提供するかなんです」
 と6代目主人の岡村興太郎さん。
 法師温泉の源泉は、約50年前に降った雨が湧き出しているという。
 「湯守は、温泉の湧き出し口(泉源) だけを守っていればいいのではない。もっとも大切なのは、温泉の源となる雨や雪が降る場所。つまり、宿のまわりの環境を守ることです」

 周辺の山にトンネルや林道などの土木工事をされれば、湯脈を分断される恐れがある。またスキー場やゴルフ場ができれば、森林が伐採されて山は保水力を失い、温泉の湧出量が減少する。
 いい温泉は、いい湯守により、代々守り継がれているのである。

 <2013年4月>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:05Comments(2)一湯良談

2020年05月25日

「あいひょう」 のある風景


 ♪ 伝言板に君のこと ぼくは書いて帰ります
   思い出たずね もしかして 君がこの街に来るようで
   ぼくたちの愛は終わりでしょうか 季節もいつか変わりました
   ぼくの部屋をたずねて来ては いつも掃除をしていた君よ
   この僕も変わりました 君はどうしているのでしょう
    <「私鉄沿線」 by 野口五郎>


 コロナ禍では、思わぬものが復活するものです。
 JR東神奈川駅では、広告が減少して空きスペースができた構内の壁に、「伝言板」 を設置したといいます。

 伝言板……、なつかしい!

 若い人の中には知らない人もいるかと思いますので、少し説明します。
 これは、駅で待ち合わせをする人たちの連絡用の “メッセージボード” です。
 大概は、駅の改札口を出ると近くの壁に、黒板とチョークが置かれていました。

 <○月○日 ○時○分 ○時間待った 帰ります ○○子>
 なーんていう具合に、メッセージが書かれていたわけです。

 なんで、無くなってしまったのかって?
 そりゃ~、携帯電話の普及により、待ち合わせで “すれ違い” というものが無くなってしまったからであります。

 では、なんで今、復活したのか?

 ひと言で言えば、駅員の “粋な計らい” であります。
 それも提案したのは、伝言板の存在を知らない若い駅員たちだったといいます。
 「こんな世の中だからこそ、励まし合いたい」 との計らいのようです。
 実際、伝言版には、<コロナに負けるな> とか <がんばりましょう!> など、誰にともなく書かれたメッセージが寄せられているとのことです。


 ところで、僕が生まれ育った群馬県の方言に、「あいひょう」 という言葉があります。
 「あいひょう」 とは、すれ違いのことです。

 その昔、連絡の取りようも無く、ただただ何時間も駅の改札口で、待ちぼうけをしていた人の多かったことか……
 でも今思えば、みんな 「あいひょう」 することを楽しんでいたようにも思えます。

 会えるかもしれない……、会えるといいな……、会いたい……

 駅の改札口周辺には、人を思う温かい心が、いつも渦巻いていました。



 ♪ ただお前がいい 落とす物などなんにもないのに
   伝言板の左の端に 今日もまた一つ忘れ物をしたと
   誰にともなく書く
   そのくり返しを その帰り道に笑うお前
   また会う約束などすることもなく
   「それじゃ、またな」 と別れるときの
   お前がいい
    <「ただお前がいい」 by 中村雅俊>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:45Comments(0)つれづれ

2020年05月24日

鳥獣人戯画 ~世紀の対決 (完) ~


 【前回までのあらすじ】
 人類滅亡をたくらむ新型コロナウイルスの化身 「疫病魔コロナウルス」 と、江戸時代に疫病から人々を救った妖怪アマビエの子孫 「妖獣アマビエラ」 の世紀の一戦。
 そこへ現れた一羽の巨大な鳥は、アマビエ同様、江戸時代に疫病を予言したといわれる伝説の鳥、ヨゲンノトリの進化系 「翼竜ヨゲンノトリドン」 だった。
 ヨゲンノトリドンはアマビエラを連れ去り、人類に滅ぼされた動物たちはコロナウルスの体内にもどり、やがてコロナウルスともども消えてしまった。
 そして、誰もいなくなったリングに残されたものは……
 ※(当ブログのカテゴリー 「世紀の対決」 参照)


 <アナウンサー>
 新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、無観客で行われた世紀の対決ですが、主役のコロナウルスとアマビエラが姿を消してしまった今、会場は、シーンと静まり返っています。
 いったい誰が、このような結末を予想することができたでしょうか!

 <解説者>
 それにしても気になるのは、リングに残された一枚の紙切れです。
 カメラさん、もっと近くに寄ってもらえませんか?

 <アナウンサー>
 この放送は無観客だけではなく、すべてを無人のリモート(遠隔)操作で撮影しております。
 今、グングンとカメラがリングへと近づいています。

 <解説者>
 もっと、もっと近く寄って!
 ズームアップ!

 <アナウンサー>
 見えてきました。
 思っていたより大きな紙ですね。

 <解説者>
 絵が描かれています。
 文字ではありません。

 <アナウンサー>
 では、これは 「予言の書」 ではないと?

 <解説者>
 いえ、まだ分かりません。
 カメラさん、もう少し寄ってもらえますか?

 <アナウンサー>
 あっ……、動物のようですね。
 たくさんの動物たちが描かれています。
 それも、とても古い絵巻のような……

 あれ、これ、見たことがありますよ。
 昔、教科書で見た、えーと……
 そうです、「鳥獣戯画」 です!

 <解説者>
 いえ、違います!
 よーく、見てください。
 動物だけではありません。
 人も描かれています。

 これは……、たぶん、
 「鳥獣人戯画」です!

 <アナウンサー>
 ちょうじゅうじんぎが?

 <解説者>
 ええ、よく見てください。
 鳥や獣が描かれているのは、野山です。
 その下のほうには、田畑を耕す人々が描かれています。
 人と動物の共存共栄を表した絵巻のようですね。

 <アナウンサー>
 人のいる田畑には、ピンク色の羽を持つ大きな鳥が描かれていますが?

 <解説者>
 トキでしょう。
 学名は、ニッポニア・ニッポン。
 日本では乱獲により一度は絶滅しましたが、その後、人工繁殖により復活した特別天然記念物の鳥です。

 <アナウンサー>
 日本には、こんなにものどかで、平穏な風景が見られた時代があったんですね。

 <解説者>
 かつては、鳥も獣も人も、すべての生きとし生けるものたちが、共に暮らしていたのです。
 ところが文明の発達とともに、人間は自分たちの私利私欲のために必要以上に自然を破壊し、鳥や獣たちの乱獲を続けた。
 なのに絶滅しそうになると今度は、あわてて保護を始める。
 人間は、なんて勝手な生き物なんでしょうね。
 そんなことをするくらいなら、初めから構わずに、環境をそのままにしておくべきだったのです。
 人間よりも鳥や獣たちのほうが、歴史の長い先住者なのだから……。
 そして、いろいろな面で我々人間を助けてきてくれた仲間だったのに……。

 昔、動物が農耕地を荒らすので、人々は土手をつくり、入り込まぬようにして互いの生活を守りました。
 でも、今は違う。
 そういった努力をせずに、少しでも人間に被害があると相手が悪いものと決め付けて、大げさに騒ぎ、果てには殺してしまう。

 <アナウンサー>
 では、どうしろと?

 <解説者>
 住み分けですよ。
 鳥も獣も人も、共に暮らしていくことです。
 この地球上に、不要の生き物なんていないんです。
 何かしら必要だから神は、創生したのだと思います。

 <アナウンサー>
 ということは、ウイルスも?

 <解説者>
 もちろん、同じ地球の同じ時代に、共に生きる仲間ですよ。
 そのことを、この絵巻は伝えているの・・・・・・・


 ピカッ! (突如、閃光が走る)


 <アナウンサー>
 まぶしーーー!!!!
 何も見えません!

 <解説者>
 ま、またしても……


 ドーン! (激しい爆音と地響き)

 【完】


 ※この話は僕が見た夢の続きで、すべてフィクションです。
  ご愛読、ありがとうございました。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:37Comments(0)世紀の対決

2020年05月23日

やきそば日和


 「お客さんは、戻りつつありますか?」
 「見てのとおりですよ」
 昼時だというのに、店内には僕一人しかいません。

 また昨日も、ビップ気分で貸し切りランチとなりました。


 昭和40~50年代を前橋市の中心市街地で過ごした “昭和キッズ” にとっては、大人になっても忘れられない味があります。
 「あくざわのやきそば」 といえば、泣く子も黙るごちそうでした。
 ※(詳細については、当ブログの2019年4月28日 「やっぱ肉玉でしょ!」 参照)

 平成、令和と時代は変わり、それに連れ大人になった僕たちの舌も肥えました。
 牛肉の味も覚えました。
 スパゲッティーのことはパスタと呼ぶようになり、ナポリタンとミートソース以外にもパスタ料理があることを知りました。
 それでも、忘れられない味というものがあります。

 “おふくろの味” ならぬ、“ふるさとの味”
 いえいえ、もっともっとローカルでエリア限定のソウルフードであります。
 それも一店舗のみでしか味わえない “幻の味”
 そして、その味は長い間、その味を作り出していたおばあちゃん(店主) の死とともに封印されていました。

 しかし一昨年、惜しむファンの要望を受け、僕同様に「あくざわのやきそば」 で育った “昭和キッズ” だった現主人が、その味を復活させました。
 屋号は、そのまま 「あくざわ亭」 です。
 そのニュースは当時、地元の新聞はもちろん、テレビの全国ニュースでも取り上げられました。


 今、コロナ自粛の毎日で、僕のストレスもピークに達しています。
 その解消方法の一つが、「やきそば食い」 であります。
 あの芯のある硬めの麺を、バリバリと頬張るとき、自粛の “自” の字が消えていきます。
 そして、麺とキャベツと豚肉と玉子にからまった濃い目の甘口ソースが、口の中いっぱいに広がったとき、自粛の “粛” の字までもが消え去ります。

 こうやって、僕は時々、「やきそば日和」 と名付けた日を設けて、自粛生活を乗り切っています。


 「でも、ここは官庁街ですよね。影響がありますか?」
 「なんでも職員は、まだ半分しか出勤していないらしいですよ」
 「でも、お給料は出るんですよね?」
 「でしょうね」
 「いいですね」
 「本当、いいですよね」

 マスク越しに雑談を交わしながら支払いを済ませ、店を出ました。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:56Comments(0)つれづれ

2020年05月22日

一湯良談 (いっとうりょうだん) 其の十一


 このカテゴリーでは、ブログ開設10周年を記念した特別企画第2弾として、2012年4月~2014年2月まで高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) に連載された 『小暮淳の一湯良談』(全22話) を不定期にて紹介しています。
 温泉地(一湯) にまつわるエピソード(良談) をお楽しみください。


 『地産地食が本来のもてなし』

 数年前、海辺の民宿に泊まった晩に、エビやタイなどの海の幸に舌鼓を打っていたときだった。
 私が群馬から来たことを知った女将さんが、こんなことを言った。
 「温泉が好きだから、ときどき群馬へは行くのよ。でもね、あの紫色したマグロだけは、いただけないわ」

 まさに痛いところを突かれた。
 海なし県の悲しい性(さが)で、昔から群馬ではマグロの刺し身を出すことが、最大のもてなしだと勘違いしているのだ。

 旅に出たら、その土地のものを食べるのが基本である。
 とは言っても、決して美味しいものを食べることが目的ではなく、ふだん食せない地の物をいただくことに旅の意味があるのだと思う。

 下仁田温泉(下仁田町) の一軒宿 「清流荘」 では、約7,000坪という広大な敷地に自家農園やヤマメ池、シカ園、キジ園、イノシシ牧場があり、米以外はすべて自給自足を行っている。
 「“地産地消” なんて言葉がない頃から、うちは敷地内産地直送だよ」
 と先代の清水幸雄さんが、畑仕事をしながら話してくれた。
 2,400坪を超える農地では、名産の下仁田ネギやコンニャクをはじめ随時20種類の野菜が無農薬で栽培され、「地元の食材を提供するのが本来のもてなしの姿」 と昭和49(1974)年の創業以来、自家製食材にこだわった料理を提供している。

 宿の名物 「猪鹿雉(いのしかちょう)料理」 は、この地に伝わる祝事には欠かせないハレの膳。
 もちろん食材のイノシシ、シカ、キジは、すべて敷地内で飼育されている。
 その他、下仁田ネギの天ぷらやコンニャクの刺し身、コイのあらい、ヤマメの炭火焼きにいたるまで、山と里の食材に徹した素朴な味は、箸を置くまで飽きることがない。

 「本来の温泉宿の姿、日本人の心の中にある温泉のイメージを大切にしたい」
 と語った2代目主人、清水雅人さんの言葉が心に残った。

 <2013年3月>
  


Posted by 小暮 淳 at 10:20Comments(0)一湯良談

2020年05月21日

断密会議


 本来ならリモートで行うべきなんでしょうが、なにせ、貧乏団体なもので、仕方なく密集・密閉・密接の3密を避けた “断密” を守る条件で、事務所に3人の役員が集まって会議をすることになりました。
 5年前に立ち上げたNPO法人 「湯治乃邑(くに)」 であります。
 僕は代表理事を務めています。

 3人は、互いに2メートル間隔のソーシャルディスタンスを保ちながら、会議室のテーブルに着きました。
 もちろん、部屋の窓も開け、換気をしています。
 マスク着用ではありますが、コーヒーを飲むときだけは、はずさないわけにはいきません。

 「あれ、理事長! いつの間にヒゲを」
 「いえいえ、これは、ただの不精ですよ」
 「いいじゃないですか、似合いますよ」
 「コロナが終息するまでの期限付きです」

 若い頃、髪とヒゲを “自由” の象徴として伸ばしていた時期がありましたが、この歳になったら意義も主張もありません。
 ただの “ひま” の証しです。
 どうせ人にも会わないし、家からも出ないのです。
 たまに出たとしてもマスクをしているのだから、ヒゲを剃るだけ無駄な労力を費やすだけであります。

 「いや、コロナが明けても、その風貌でいきましょう」
 「白髪のロン毛に白ヒゲでは、ただの危ない人じゃありませんか」
 「いや、理事長には、それで講演をやっていただきたい。迫力があります」

 とかなんとか、おだてられ、そのまま会議は雑談だけで1時間が経過してしまいました。


 「少しは、会議らしい話もしましょう」
 ということになり、会計報告と今年度の事業報告をはさむものの、数分で終わってしまい、話題はもっぱらコロナ禍に関する自粛話で盛り上がってしまいました。

 「リモート呑み会っていうのが流行っているらしいですけど」
 と僕が言えば、
 「何度かやりましたけど、一度やれば同じ相手とは、もういいですね」
 「やっぱり、人と人は面と向かって話さないと、ストレスは解消されませんよ」
 「では、次回は呑みながらの会議ということで」
 「と言いたいところですが、いったい、いつになったら堂々と呑みに出られるんでしょうかね」

 せめて夏には、キーンと冷えたジョッキで乾杯したいものです。

 「では、また来月」
 断密を守ったまま、解散となりました。
  


Posted by 小暮 淳 at 15:41Comments(0)湯治乃邑

2020年05月20日

マロスな散歩道


 「お久しぶりです。……?」

 一番会いたくない人に会ってしまいました。
 いつものように夕方、家を出て、最初の角を曲がったときでした。


 昨年の9月、僕は愛犬のマロを亡くしました。
 享年13才、チワワのオスでした。

 彼との日々は、このブログでも時々、つづっていたので、読者の中には覚えている方もいるかと思います。
 ※(当ブログのカテゴリー 「マロの独白」 参照)
 家庭内で阻害(?) されている僕にとってマロは、家族以上の存在でした。
 ひと言でいえば “相方”、唯一無二の人生のパートナーでした。

 「ペットロス」 という言葉は知っていましたが、まさか、こんなにも長引くとは……

 彼を失った日から僕の毎日は、すっかり変わってしまいました。
 朝起きても、彼がいないリビングへ、すぐに下りて行くことはなくなりました。
 昼飯を食べた後に、彼と一緒にしていた昼寝の習慣もなくなりました。

 そして、一番の思い出である “散歩” を封印しました。


 ところが今年になって、この予期せぬコロナ自粛の日常がやって来ました。
 仕方なく、運動不足とストレス解消を兼ねて、また散歩を始めました。
 でも、最初のうちは、なかなか家の前からの1歩が踏み出せませんでした。
 半径数百メートルの家の周りには、マロとの思い出が、たくさんあるからです。

 でも、それ以上に臆病になってしまったのが、マロを知る人と出会うことでした。
 「あれ、マロちゃんは?」
 と声をかけられることに、おびえていたのです。
 だから家を出たら早歩きで、マロとの散歩エリアは一目散に通り抜けるようにしていました。

 「ここまで来れば、大丈夫」
 大通りを渡り切ると、ホッと一息ついて、大きく手を振りながら本来のウォーキングに入ります。
 ここから先は、もう、マロを知っている人と会うことはありません。


 ところが……
 不覚にも、ヨークシャーテリアを連れた婦人と、バッタリ鉢合わせしてしまったのです。
 「お久しぶりです。……?」

 だから僕は、マロのことを訊かれる前に、こちらから話を切り出しました。
 「あら、まあ……。そういえば、見かけないと思っていたんですよ。ね!」
 「ね!」 とは、ヨークシャーテリアにかけた言葉です。

 「長い間、遊んでくれて、ありがとうね。マロちゃんね、遠いところに行っちゃったんだよ」
 そう言って僕は、ヨークシャーテリアの頭をなでました。


 ああ、最悪だ!
 今日は、ついていない日だ!
 出鼻をくじかれてしまった!

 これだから、散歩なんて始めるんじゃなかった!

 とかなんとか、グチをたれながら、マロス (マロ・ロス) な散歩道を歩き出しました。
   


Posted by 小暮 淳 at 14:05Comments(0)つれづれ

2020年05月19日

一湯良談 (いっとうりょうだん) 其の十 


 『温泉に“いい湯”も“悪い湯”もない』

 「県庁を辞めて、旅館に入る」
 あの時、誰もが無謀だと思った。
 将来が約束された人生を棒に振ってまで、湯守(ゆもり) の世界へ飛び込んだ男がいた。

 元禄4(1691)年に建てられた日本最古の湯宿建築 「本館」(県指定重要文化財) をもつ四万温泉(中之条町) 屈指の老舗旅館 「積善館」。
 19代亭主の黒澤大二郎さんと私は古い音楽仲間で、かれこれ25年のつきあいになる。
 彼は24年間の県庁勤務を突然退職して、平成10(1998)年に積善館に入った。
 当時、交流のあった若女将から 「旅館の立て直しに力を貸してほしい」 との誘いがあったからとのことだが、「形にとらわれない自分の自由さを生かした仕事がしたかった」 というのも、もう一つの理由だった。

 「温泉は生き物だね。赤ん坊と同じで、手をかけて、あやして、面倒をみてやらないと、人間を湯に入れてくれない。人間が温泉に合わせなくてはならないんだよ」
 大正ロマネスク様式を用いた昭和5(1930)年建築の湯殿 「元禄の湯」 の湯舟の中で、彼は語り出した。

 「320年続いた老舗旅館には、歴史と文化、名声、地位といった良い面もあるけど、反面、伝統に縛られ過ぎてしまい、なかなか新しい考え方や経営ができないというマイナス面もある。今は全国の老舗旅館が過渡期を迎えている」
 と、彼らしい発想で常に新しい事へのチャレンジを忘れない。
 亭主自らが案内役となって宿泊客と館内をめぐる 「歴史ツアー」 や、宮崎駿監督のアニメ映画 『千と千尋の神隠し』 のモデルになったとされる同館のエピソードを紹介する 「アニメツアー」 などを行っている。

 「温泉のことを “いい湯” とか “悪い湯” と言う人がいるけど、それではお湯が可哀相だ。悪いのはお湯でなく、利用している人間のほうなんだから。湧き出した温泉を最良の状態で湯舟に注ぎ込めるよう、お湯の立場になって考えることが、湯守の役目だと思う。人間にそれができないのなら 『鳥や獣たちに温泉を返しなさい』 と言いたいね」

 旧知の仲、裸の付き合いをすると、本音の話が次々と飛び出してきた。

 <2013年2月>
  


Posted by 小暮 淳 at 12:32Comments(0)一湯良談

2020年05月18日

最後のカナリア


 39の県で、緊急事態宣言が解除されました。
 これにより少しずつですが、「一日も早く、前のような暮らしを取り戻そう」 と、人々は動き出し始めました。

 まだまだ予断は許せない状況ではあります。
 でも、なんとなく人々に笑顔が戻って来たようにも思われます。
 そして、何よりも “生活” が戻りつつあります。
 買い物ができる喜び……
 会社や学校へ行ける幸せ……

 でも、以前の生活を取り戻した人は、まだ、ほんの一部です。
 緊急事態宣言が解除されたからといって、誰にでも日常が戻って来るわけではありません。
 そして、それには順序というものがあります。


 すでに製造業や物販業は、営業が始まっています。
 飲食業やサービス業も、条件付きで営業を再開したところがあります。
 でも、まだ、ここまでです。
 あくまでも、最低限の生活を維持するための営業です。

 観光業や旅行業、コンサートやイベント関連などの不要不急とされる職業には、一向に “解除” の気配がありません。
 「俺たちの仕事は3密だから、最後の最後だよ。ワクチンができるまでは、たぶん仕事はないね」(ミュージシャン)


 このような職業の人たちのことを、“カナリア” と形容した人がいます。
 お笑い芸人のビートたけしさんです。

 カナリアとは、オウム真理教の施設に、ガスマスクを付けた機動隊員が突入した際に、手にしていた鳥のこと。
 薬物やガスに敏感なカナリアが、毒ガス 「サリン」 の検知器として使用されたことは有名です。
 ゆえに、ミュージシャンや芸人など、ライブを生業にしている職業の人たちの仕事が始まったときが、真の “終息” であると……。


 で、僕の職業も、不要不急および3密を有する “カナリア” であることを知りました。
 講演、講座、セミナーの類いは、現在のところ8月まで中止です。
 4月から予定されていた雑誌の新連載も、延期となりました。

 でも、カナリアはカナリアらしく、歌を忘れずに、その日を待ちたいと思います。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:01Comments(0)つれづれ

2020年05月17日

そして誰もいない ~世紀の対決③~


 【前回までのあらすじ】
 人類滅亡をたくらむ新型コロナウイルスの化身 「疫病魔コロナウルス」 と、江戸時代に疫病から人々を救った妖怪アマビエの子孫 「妖獣アマビエラ」 の世紀の一戦。
 コロナウルスの体内から飛び出した人類が絶滅に追いやった動物たちは、リング上で円陣を組んでいた。
 「人間を出せ!」 のシュプレヒコールに、完全に動きを止められてしまったアマビエラ。
 そこへ、一羽の伝説の鳥が現れた。
 ※(当ブログのカテゴリー 「世紀の対決」 参照)


 <アナウンサー>
 双頭の鳥は、リングの上をグルグルと輪を描いて飛行しています。
 そのリング上では、パックリと脳天が割れたコロナウルスと、金縛りに遭ったように動かないアマビエラが、立ち尽くしています。
 そして、それを多くの動物たちが取り囲んでいます。

 <解説者>
 あの鳥は、江戸の世に現れた「ヨゲンノトリ」 ではありませんね。
 姿形は似ていますが、大きさが違います。
 かなり進化しています。

 <アナウンサー>
 では、アマビエラ同様、子孫でしょうか?

 <解説者>
 巨大化した翼竜ですね。
 「ヨゲンノトリドン」 とでも名付けましょう!

 <アナウンサー>
 トリドン(鶏丼)?

 <解説者>
 ええ、翼竜には、プテラノドンのように “ドン” が付く仲間が多いですから(笑)。

 <アナウンサー>
 はあ……、では、そういうことで……
 あれ? そのヨゲンノトリドンですが、何か口に紙のようなものを、くわえていませんか?

 <解説者>
 見えます!
 白い頭のほうですね。
 と、いうことは……

 <アナウンサー>
 えっ、白い頭と黒い頭では、何か意味が違うのですか?

 <解説者>
 黒い頭は過去を告げ、白い頭は未来を暗示すると伝わります。

 <アナウンサー>
 ということは、口にくわえているのは 「予言の書」でしょうか?

 <解説者>
 分かりませんが、何か人類にメッセージを伝えに来たことだけは確かですね。

 <アナウンサー>
 おお、おおおおおおーーーー!!!!
 見てください!
 動物たちが次々に、コロナウルスの体内へと、もどって行きます。
 これは、いったい、どうしたことでしょうか?

 <解説者>
 ヨゲンノトリドンが、動物たちに何らかのメッセージを告げたのでしょう。
 それに動物たちは、したがったのです。

 <アナウンサー>
 ああ、ああああああーーーー!!!!
 今度は、ヨゲンノトリドンが、アマビエラを目がけて、急降下をはじめました。
 と思ったら、鋭い爪を持つ足で、つかみかかりました。
 ええ、ええええええーーーー!!!!
 そして、そのまま飛び上がり、去って行ってしまいました。
 なんということでしょうか!

 <解説者>
 今度は、コロナウルスの様子が変ですね。
 ウネウネと体を、くねり始めました。

 <アナウンサー>
 消えた!

 <解説者>
 そして、誰もいなくなった。 
 鳥も獣も妖怪たちも……

 <アナウンサー> 
 あれ?
 リングの中央に、何やら落ちています。

 <解説者>
 ヨゲンノトリドンが、くわえて来た紙ですね。

 <アナウンサー>
 では、人類への 「予言の書」 でしょうか?

 <解説者>
 …………


 ※この話は僕が見た夢の続きで、すべてフィクションです。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:18Comments(3)世紀の対決

2020年05月16日

一湯良談 (いっとうりょうだん) 其の九


 『戦友をしのぶ天空の湯舟』

 月夜野盆地を見下ろす三峰山の中腹。
 高速道路をはさんで宿と向かい合う丘に、高さ約20mの白い塔が立っている。
 平成元(1989)年に、月夜野温泉(みなかみ町) の一軒宿 「みねの湯 つきよの館」 の女将、都筑理恵子さんの父、理(おさむ) さんが、異国の地に果てた戦友をしのんで建立した 「鎮魂之碑」 である。

 旧オランダ領東インド(現インドネシア) のジャワ島で、軍務についていた理さんは、終戦直後、旧日本軍の残留兵とインドネシア独立派が武器の引き渡しをめぐって衝突した 「スマラン事件」 によって、多くの戦友を失った。
 「父は 『これは生き残った者の使命だ』 と言っていました。その父も3年前に、戦友のたちの元へ旅立ちました」
 と、女将は塔を見上げながら、亡き父の思い出を語った。

 「鎮魂之碑」 建立の翌年、遠方から供養に訪れる遺族や関係者のために温泉を掘削し、旅館の営業を始めた。
 理さんは生前、著書 『嗚呼スマランの灯は消えて』(広報社) の中で、ここを <慰霊の園にふさわしい、自然の地形を生かした場所> と記している。

 月夜野盆地を見渡す湯舟からは、左手に子持山から続く峰々を望み、正面に大峰山、吾妻耶山(あづまやさん) といった群馬の名峰が連なる。
 眼下には棚田が広がり、こんもりとした鎮守の杜が、のどかな山里の風景を描いている。

 極めつけは、夕景美である。
 稜線をシルエットにして、鮮やかな緋色(ひいろ) に燃え上がる夕焼けは、一度眺めたら忘れられない。
 やがて、帳(とばり) が下りて、天空の主役が月に替わると、まさに温泉名の 「月夜野」 にふさわしい “月光の湯” を満喫することができる。

 そして、塔も宿も浴室も、すべて南方ジャワ島を向いている。

 <2012年12月>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:55Comments(0)一湯良談

2020年05月15日

続・前世を探せ!


 昨日の続きです。
 あれから一晩、僕は前世の調べ方について、考えてみました。
 そして、ある結論に達しました。

 “デジャビュ” です。

 一般に 「デシャビュ」 は、既視体験と訳されています。
 初めて来た土地なのに、以前来たことのあるような感覚を抱いた経験は、誰にでも1度か2度はあると思います。
 これが、“前世の記憶” だとされています。
 現世では初めての場所でも、前世で見た記憶が残っていたことの証しだといいます。

 ならば体験は、どうでしょうか?

 初めての体験なのに、まるで経験者のように、スラスラとできてしまったことはありませんか?
 たとえば、鉄棒の逆上がりとか、自転車乗りとか……
 コツさえ、つかんでしまえば容易なことでも、そのコツをつかむまでに努力が必要です。

 でも、いるんです!
 初体験なのに、一発でクリアしてしまう人が……
 「なんで、できるの?」
 と凡人は不思議に思いますが、天才といわれる人にとっては、
 「えっ、なんでだろう? なんだか初めてじゃないような気がする」
 のです。

 これが、もう1つの “デジャビュ”(前世体験) です。

 これが仕事となると、「天職」 になります。
 天に導かれた職業ですが、実は、前世での職業だったということです。


 以上のことを踏まえて、自分の前世を調べてみました。
 すると僕にも、1つだけ誰に教えられたわけでもなく、経験もないのに、できてしまったことがありました。

 それは、“天気をあやつる” こと。
 子どもの頃から、数々の奇跡を起こしてきました。
 ドシャ降りを止ませたこともありますし、雨雲や雷雲を消したこともあります。
 大人になってからも、その念力は衰えることはありません。
 熱心な読者なら、ご存知かと思いますが、数々の奇跡は、このブログでも紹介してきました。
 ※(2019年9月7日 「晴れ男VS天気の子」 ほか参照)

 「明日は運動会だから、小暮くん、たのんだよ」
 「この雨だとライブは中止になりそうだけど、小暮さんの力でなんとかなりますか?」
 など、ことあるごとに、この念力を活用してきました。


 ということで、僕の前世は、「祈祷師」 だと思われます。
 ただ、世の中のお役には立つのですが、なかなか職業としては成り立たないため、現世では別の職業に就いています。


 ぜひ、みなさんも、この方法で前世を調べてみてください。
 外出自粛のおり、時間つぶしには、もってこいであります。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:25Comments(0)つれづれ

2020年05月14日

前世を探せ!


 読者のみなさんは、覚えていますか?
 以前、ブログに書いた、来世のために80歳を過ぎてから英会話教室に通い出した老人の話を……
 ※(2018年5月12日 「来世のために」 参照)

 理由は、生まれ変わった時に苦労をしないために、英語を話せるようになってから死にたいとのことでした。
 なんとも不思議な話ですが、では、なぜ、この老人は、生まれ変わりを信じたのでしょうか?

 それは、“天才” と “凡人” の違いを知ったからです。


 私たちは、常日頃、自分の才能の限界に苦しみながら生きています。
 そのため、つい軽はずみで 「いいよな、才能のある人は」 などと口走ってしまいます。
 すると、決って返される言葉が、
 「天才は人一倍、努力をしている」 だの、「努力をしない人ほど、才能のせいにする」 だの、まことしやかな正論です。

 でも、ちょっと、待ってください!
 ここでいう “才能” とは、努力で解決できるレベルの才能ではないんです。
 生まれながらにしての “天才” のことなんです。


 子どもの頃を思い出してください。
 算数や国語などの教科からはじまり、体育、美術、音楽もしかりです。
 何度やっても、できない人と、1回でできてしまう人。
 くり返し練習しても、うまくならない人と、すぐに上達する人がいます。

 この差って、なんだと思いますか?

 老人いわく
 「すでに前世で、クリアしているから」


 納得です。
 同じ人間で、同じ環境に置かれながらも、雲泥の差がついてしまう不思議は、前世の差にあったのです。

 となると、自分の前世が分かれば、誰もが何かの天才になれるということです。
 が、僕の思考は、はたと、ここで止まってしまいました。
 もし、前世が “凡人” だったら、どうしよう?

 きっと老人も、僕と同じ結論に達したのだと思います。
 “凡人” という負の連鎖を断ち切るために、残りの人生を勉学に捧げることにしたのだと思います。
 来世のために……


 それでも僕は、やっぱり前世が知りたい!
 どなたか、前世の調べ方を知っていたら教えてください。 
   


Posted by 小暮 淳 at 11:24Comments(0)つれづれ

2020年05月13日

一湯良談 (いっとうりょうだん) 其の八


 『半出来なれどナカラいい湯』

 JR吾妻線の無人駅、袋倉駅 (嬬恋村) のホームに降り立つと、正面に「半出来(はんでき)温泉 徒歩8分」 の看板が目に入る。
 坂道を下り、高架橋をくぐり抜けると、また小さな看板が立っている。
 矢印と、その下に 「足元にお気をつけください」 の文字。
 ここからは雑木林の中を歩き、吾妻川の河岸へと下りて行く。

 ユラ~リ、ユラ~リ揺れる、細くて長い吊り橋を渡れば、そこが半出来温泉の一軒宿 「登喜和荘(ときわそう)」 だ。

 「半出来」 とは、なんとも珍しい名だが、源泉が湧く土地の小字名とのこと。
 由来には、作物が半分しか収穫できない、やせた土地だからという説があるが、2代目主人の深井克輝さんは異論を唱える。

 「“半” という漢字は、『なから』 とも読みます。群馬の方言には、“なかなか” とか “かなり” という意味を表す 『なから』 という言葉があります。だから私は、かなり出来の良い土地と解釈しているんですよ」

 その、かなり出来の良い土地に湧いた湯は、昭和の頃より地元の人たちに神経痛や腰痛に効く温泉として愛されてきた。
 源泉の温度は約42度。
 泉質はナトリウム・カルシウム-塩化物温泉。
 マグネシウムやカリウム、鉄分等のミネラルが多く、胃酸の分泌を促がす作用があることから 「胃腸の湯」 ともいわれている。
 湯口にコップが置いてあり、飲泉ができる。

 ややぬるめの湯は、炭酸を含んでいて、湯の中でジッとしていると体に小さな泡が付く。
 昔から泡の出る温泉は、骨の髄(ずい) まで温まるといわれ、珍重されてきた。

 「いろんな温泉に入ったみたけど、納得できる湯は少ないね。温度と泉質、そして、この景色。三拍子そろった温泉は、滅多にお目にかかれない。この湯は私の宝物なんだよ」
 と、主人は自慢げに笑った。

 名前は “半出来” なれど、“ナカラいい湯” である。

 <2012年11月>
   


Posted by 小暮 淳 at 12:17Comments(0)一湯良談

2020年05月12日

ひと足早い御中元


 「今日は、ご在宅でしょうか? お届け物がございます」
 突然、馴染みの酒屋から電話がありました。
 そして、まもなくするとチャイムが鳴り……

 「こちら、○○様からです」
 「○○君?」
 「はい」
 「こんな時期に、なんでだろう?」
 「はて……、小暮様にお届けするように、とのことでした」

 手渡された袋の中身は、日本酒が2本。
 それも、かなり希少な限定酒です。
 1本は、群馬の地酒で、淡く美しいレモンイエロー色した純米吟醸酒。
 もう1本は、全国でも15軒の酒販店でしか取り扱いしていないという埼玉県の純米酒でした。

 もちろん、僕は、どちらの酒も呑んだことがありません。


 送り主の○○君に、お礼の電話を入れようと、ケータイを手にした時でした。
 彼から先に、メールが届きました。
 <早めの御中元です>

 早めの御中元?

 理由を聞いて、納得しました。
 コロナ感染により、売上不振に苦しむ酒販店に対する救済の一環として、前倒しの “御中元セール” に貢献したとのことでした。

 ご存じの通り、今回のコロナ騒動では、飲食店や旅館業が最も打撃を受けています。
 その飲食店や旅館に、酒類を卸している酒販店も窮地に追い込まれているそうです。
 前出の酒販店の店員いわく
 「飲み屋からの注文が、まったくありませんから、個人のお宅への配達で、なんとかしのいでいます」

 自粛期間中は “家呑み” する人が増え、外出できないストレスからか、ふだん呑んでいる酒より、いい酒を注文して、ぜいたくを楽しんでいる人が多いといいます。
 また、庭でバーベーキューを楽しむ家庭が増えたため、ビールサーバーのレンタルも始めたとのことでした。


 素晴らしい!
 “人間は考える葦(あし)” なのですね。

 困った人が現れれば、それを救済する人が現れるのです。
 人が生活し続ける限り、それが、どんな条件下であっても、必ずや需要が生まれるということです。
 間接的ではありますが、僕も世の中に貢献したようであります。


 それにしても、コロナが憎い!
 一時も早い終息を願うばかりです。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:27Comments(2)酔眼日記

2020年05月11日

文士かくありき


 カボチャの冷たいスープ、から始まり、
 尾頭付き真鯛の塩焼き、茶碗蒸しの磯のり添え、木の実のかやく飯、オクラのお吸い物、に至るまで……。
 その間にも、酒のあてとして、
 手作りツナ(マグロ)、あぶりチャーシューのわさび醤油、茹でシラス、などなど、手の込んだ一品が次々と食卓に並びました。

 以前、文筆家の木部克彦氏のお宅に、お邪魔したときの、もてなしのされようです。
 すべて、氏本人が一人で作った料理です。
 以前から氏の料理の腕前は有名で、料理関連の著書を出版していることも知っていましたが、目の当たりにすると、ただただ息をのむばかりでした。
 この時、僕は、あまりにも自分との “才” の違いに、打ちひしがれた記憶があります。

 同じ人として、同じ男として、同じ年齢であり、同じ職業に就きながら……
 いったい、この違いはナンダ?


 氏との出会いは、ちょうど10年前になります。
 群馬県内のメディアに係わる人たちの集まりがあり、その席で初めてお会いしました。
 その後、何度か別の宴席でも顔を合わせましたが、親しくなったきっかけは、氏が2012年10月に出版した『続・群馬の逆襲』(言視舎) でした。
 前作の 『群馬の逆襲』(彩流社) がベストセラーとなり、すでに全国で 「~の逆襲」ブームが巻き起こっていた最中の待望の続編です。

 「次の本で、小暮さんのことを書かせてよ」
 冗談だと思っていた氏の言葉に、二つ返事で了承すると、本当に書かれてしまいました。
 著書の中では、「温泉バカ一代」 「天下無敵の温泉フリークの星」 などと揶揄(?) されながらも、5ページにわたり、僕のことを “群馬の宝” として紹介してくださいました。


 そんな木部氏が、このたび、またまた本を出版しました。
 『夢に住む人 認知症夫婦のふたりごと』(言視舎)

 氏は、認知症になった両親の介護に関しては、すでに2年前、『認知症、今日も元気だい 迷走する父と母に向き合う日々』 という日記風のエッセイを出版しています。
 今回は、続編ともいうべき2作目で、ノンフィクションの小説仕立てになってます。

 <家族の、地域の、医療と福祉の、社会のちょっとした支えがあれば、認知症なっても楽しく生きられる。>
 と氏は、新聞でコメントしています。


 僕も寝たきりの母と、認知症の父を長年介護しましたから、氏の思いは手に取るように分かります。
 ただ、僕と氏の違いは、そのことを “著する” かいなかであります。
 ここでも、また、才の違いを見せつけられてしまいました。

 文士たるもの、かくありきなのですね。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:17Comments(0)執筆余談