2020年05月16日
一湯良談 (いっとうりょうだん) 其の九
『戦友をしのぶ天空の湯舟』
月夜野盆地を見下ろす三峰山の中腹。
高速道路をはさんで宿と向かい合う丘に、高さ約20mの白い塔が立っている。
平成元(1989)年に、月夜野温泉(みなかみ町) の一軒宿 「みねの湯 つきよの館」 の女将、都筑理恵子さんの父、理(おさむ) さんが、異国の地に果てた戦友をしのんで建立した 「鎮魂之碑」 である。
旧オランダ領東インド(現インドネシア) のジャワ島で、軍務についていた理さんは、終戦直後、旧日本軍の残留兵とインドネシア独立派が武器の引き渡しをめぐって衝突した 「スマラン事件」 によって、多くの戦友を失った。
「父は 『これは生き残った者の使命だ』 と言っていました。その父も3年前に、戦友のたちの元へ旅立ちました」
と、女将は塔を見上げながら、亡き父の思い出を語った。
「鎮魂之碑」 建立の翌年、遠方から供養に訪れる遺族や関係者のために温泉を掘削し、旅館の営業を始めた。
理さんは生前、著書 『嗚呼スマランの灯は消えて』(広報社) の中で、ここを <慰霊の園にふさわしい、自然の地形を生かした場所> と記している。
月夜野盆地を見渡す湯舟からは、左手に子持山から続く峰々を望み、正面に大峰山、吾妻耶山(あづまやさん) といった群馬の名峰が連なる。
眼下には棚田が広がり、こんもりとした鎮守の杜が、のどかな山里の風景を描いている。
極めつけは、夕景美である。
稜線をシルエットにして、鮮やかな緋色(ひいろ) に燃え上がる夕焼けは、一度眺めたら忘れられない。
やがて、帳(とばり) が下りて、天空の主役が月に替わると、まさに温泉名の 「月夜野」 にふさわしい “月光の湯” を満喫することができる。
そして、塔も宿も浴室も、すべて南方ジャワ島を向いている。
<2012年12月>
Posted by 小暮 淳 at 11:55│Comments(0)
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