2020年06月11日
一湯良談 (いっとうりょうだん) 其の十七
『牧水が泊まった幻の名旅館』
<沼田駅に着いたのは七時半であった。(中略) 電車から降りると直ぐに郵便局に行き、留め置になっていた郵便物を受け取った。局の事務員が顔を出して、今夜何処へ泊るかと訊く。変に思いながら渋川で聞いて来た宿屋の名を思い出してその旨を答えると、そうですかと小さな窓を閉めた。宿屋の名は鳴滝といった。>
(『みなかみ紀行』より)
大正11(1922)年10月21日。
歌人の若山牧水は、四万温泉(中之条町) の宿を出て、中之条から電車に乗って、午後、渋川に着いた。
駅前の小料理屋で食事をとった後、ふたたび電車に乗り、沼田まで足を延ばした。
その晩、泊まった宿が 「鳴滝」 である。
その後、鳴滝は廃業したが、昭和20年代に元水上町長が建物を購入し、水上温泉郷の1つ、うのせ温泉(みなかみ町) に移築され、「鳴滝旅館」 として営業を始めた。
昭和40年代には一時、農協の研修施設として使用されたこともあったが、昭和57(1982)年に現在のオーナーが買収し、ふたたび旅館として営業を再開した。
少しずつ増改築を施しながら平成14(2002)年に修繕工事が完了し、「旅館みやま」 としてリニューアルした。
外観はすっかり変わってしまったが、それでも本館のそこかしこに、当時の面影が残っている。
黒光りした太い梁や大黒柱、時を刻んだ屏風絵など、歴史の証人のように昔と変わらぬ姿でたたずんでいる。
高台に建つ露天風呂からは、かつて 「鳴滝」 があった沼田方面が見渡せる。
もし牧水が生きていて、あのとき泊まった町の旅館が、今は温泉宿になっていることを知ったなら……。
温泉好きの牧水のことである。
さぞかし喜んで、訪ねて来たことだろう。
<2013年9月>
Posted by 小暮 淳 at 09:58│Comments(0)
│一湯良談