2020年06月08日
一湯良談 (いっとうりょうだん) 其の十六
『名物が語る牧水ゆかりの宿』
<湯の宿温泉まで来ると私はひどく身体の疲労を感じた。数日の歩きづめとこの一、二晩の睡眠不足とのためである。其処で二人の青年に別れて、日はまだ高かったが、一人だけ其処の宿屋に泊まる事にした。>
(『みなかみ紀行』 より)
大正11(1922)年10月23日。
歌人の若山牧水は法師温泉の帰り道に、湯宿(ゆじゅく)温泉(みなかみ町) に投宿している。
著書 『みなかみ紀行』(大正13年) に屋号は記されていないが、このときの宿屋が明治元(1868)年創業の 「金田屋」 だった。
「時代でいえば2代目と3代目の頃です。私の曽祖父と祖父が、もてなしたと聞いています。先生が泊まられた部屋は、こちらです」
と5代目主人の岡田洋一さんが、現在は本館から一続きになっている土蔵の中へ案内してくれた。
上がりかまちの暖簾をくぐり、ひんやりとした空気と重厚な白壁に囲まれた急な階段を上がる。
床の間の横に座卓が置かれた蔵座敷が 「牧水の間」 として残されていた。
<一人になると、一層疲労が出て来た。で、一浴後直ちに床を延べて寝てしまった。>
旅の疲れから早々に床に就いた著しているが、宿には、こんなエピソードも残されている。
「その晩は、釣り名人といわれた祖父が釣ったアユの甘みそ焼きに舌鼓を打ったと聞いています。先生はアユがお好きなようで、ペロリと2匹を平らげたそうです」
と、主人が焼きたてのアユを出してくれた。
この料理は 「牧水焼き」 と名付けられ、現在でも宿の名物になっている。
香ばしいみそのにおいが食欲をそそる逸品だ。
さぞかし歌人も、酒がすすんだことだろう。
<2013年8月>
Posted by 小暮 淳 at 09:39│Comments(0)
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