2016年06月18日
坂の途中のイチジクの木
「中本」 と書いて、「チューポン」 と読みます。
2本の前歯が大きくてネズミのよう、顔が丸くてタヌキに似ていたので、そう呼ばれていました。
本人も気に入っていたようで、よく 「中本」 とサインをしていました。
彼のあだ名です。
チューポンとは、小学校の1年生から4年生まで同じクラスでした。
彼の家は、利根川原に下りる坂の途中にあり、学校帰りに良く遊びに寄った思い出があります。
勉強ができて、ユーモアがあったので、みんなの人気者。
学校から近かった彼の家には、男女問わず、たくさんの同級生が集まっていました。
手先の器用だった彼の部屋には、プラモデルが所狭しと飾られていたのを覚えています。
特に飛行機が好きだったようで、天井から糸で何機も吊るされていました。
部屋の窓を開けると、坂道に面して小さな庭があり、1本のイチジクの木が植えられていました。
「イチジクの木はね、枝がもろいから登るんじゃないよ」
そんなことを彼のお母さんに言われた記憶があります。
僕は毎年、夏になると、そのイチジクの実を食べるのが、とても楽しみでした。
実をもいだ時に出る、あのネットリとした白い樹液。
そのたびに「おっぱいだ~!」 と言って、汚れた手を友だちになすり付けようとした記憶があります。
最近は、めっきりイチジクの木を見かけなくなりました。
でも、たまに見つけると、今でも “チューポンちのイチジク” を思い出すのです。
あの甘く乳臭い味と匂いとともに……。
彼とは同じ中学校に進みましたが、一度も同じクラスにはならず、部活動も別でした。
高校も違ったため、その後の人生は、まったく接点がありません。
時おり、共通の知人から近況報告が入るだけでした。
大学卒業後は銀行に勤めたこと、結婚して家族と市内に暮らしていることなど。
再会したしたのは2年前、中学の同窓会でした。
実に、40年ぶりの再会でした。
そして、それが最後となってしまいました。
彼の名前を昨日の新聞で見つけました。
「おくやみ欄」 でした。
風の便りで、闘病生活を送っているとは聞いていましたが、まさかの訃報に、しばらくの間、新聞を握り締めたまま呆然と立ち尽くしていました。
享年57歳。
早過ぎるサヨナラです。
ご冥福を心よりお祈りいたします。
Posted by 小暮 淳 at 22:44│Comments(0)
│つれづれ