温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2021年08月09日

昨日は何の日?


 『渓谷残し 八ッ場ダム』
 (「新ぐんまカルタ」 より)


 昨日8月8日は、「八ッ場の日」 なんですってね。
 知っていましたか?

 八ッ場 (やんば) とは、令和2(2020)年春に完成した八ッ場ダム (群馬県吾妻郡長野原町) のことです。
 利根川の支流、吾妻川の中流域に造られた群馬県内で最も新しいダムです。
 たぶん、県外の人でも温泉ファンならば、ご存じだと思います。

 そうです! 湖底には、旧川原湯温泉がありました。


 昭和27(1952)年、のどかな温泉街に突然、ダム建設の計画が持ち上がりました。
 いったんは中止となりましたが、同40年に国は計画を再開。
 計画から60余年、紆余曲折の長い闘争と翻弄の日々を経て、やっと完成したダムです。

 水没地区は5地区、合計340世帯。
 うち川原湯地区は、約3分の2を占めています。

 平成26(2014)年、共同浴場の 「王湯」 の移転と共に、温泉街も高台の代替地へと引っ越しました。


 冒頭のカルタは、平成20(2008)年に僕を含め有志8名で発足した 「ぐんまカルタ制作実行委員会」 により、“21世紀の群馬の子どもたちのために” という思いから制作・発行されました。
 制作を開始した頃は、名勝である吾妻渓谷もダム湖に沈むという報道がなされていたため当初 「け」 の札は、
 『渓谷沈め 八ッ場ダム』
 と詠まれていました。

 それが発行直前になり、「一部、渓谷は残す」 との報道がされたため、急きょ、読み札を変更したいきさつがあります。


 そんな八ッ場ダム周辺の地域振興施設などでつくる 「八ッ場の日実行委員会」 が、今年から8月8日を 「八ッ場の日」 とすることを決定しました。
 この日を記念日として、ダム湖 (正式名は 「八ッ場あがつま湖」) 周辺では、さまざまなイベントが開催されるとのことです。

 実行委員長の樋田省三さんは、川原湯温泉協会長でもあります。
 過去には、取材等で大変お世話になりました。
 彼は以前、僕のインタビューで、このように語っていました。

 <次世代を担う若い後継者が、帰って来ています。私たちは過去を引きずっていますが、彼らには未来しかない。新しい川原湯温泉に期待しています>
 (『グラフぐんま』 2018年1月号 「小暮淳のぐんま湯けむり浪漫」 より )

 新天地での新しい川原湯温泉が歩み始めました。
 これからも開湯800年の歴史を、さらに刻んで行ってほしいものです。


 これは余談ではありますが、実は昨日8月8日は、僕の誕生日でもありました。
 ご丁寧に、お祝いメールをくださった友人知人のみなさん、ありがとうございました。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:00Comments(0)著書関連

2021年08月08日

第3の刺客


 「昭和6年9月に発生した西埼玉地震では、群馬県内でも甚大な被害が記録されていますね」
 「昭和20年2月、なぜかB29が2機も邑楽町に墜落しているんですよ」
 「サツマイモの発祥は、群馬県だったって知ってます?」


 群馬テレビの人気謎学番組 『ぐんま!トリビア図鑑』。
 僕は、この番組のスーパーバイザー (監修人) を務めています。
 今週、企画会議が開かれ、末席をけがしてまいりました。

 休憩なしの2時間半、今回も奇想天外なアッと驚くネタの数々が飛び出し、白熱した会議になりました。


 放送開始から丸6年、これまでに放送された番組は、250回を超えています。
 それでも毎回、会議でネタが枯渇することはありません。

 群馬に生まれ育って半世紀以上。
 長年、群馬県内のタウン誌、情報紙、フリーペーパーの編集人をしてきた僕でさえ、会議では 「へぇ~、知らなかった」 の連発です。
 群馬の “トリビア” は、無尽蔵に眠っているんですね。


 さて、スーパーバイザーとしての意見やコメントだけでなく、僕も毎回、取れたての生きのいいネタを提供しています。
 今回、僕が “まな板の上” にのせ、調理する食材は?

 ズバリ、疫病退散の刺客です!


 一向に新型コロナウイルス感染拡大の収束は見えません。
 あれだけ期待され、鳴り物入りで登場した 「アマビエ」 も力不足だったようです。
 2匹目のドジョウ、「ヨゲンノトリ」 にいたっては、見る影もありません。

 ならば、第3の刺客を送り込もう!
 ということになりました。

 では、その刺客とは?

 もう妖怪に頼るのは、やめました。
 実在した人物、しかも法力をもって疫病魔を退散させたという偉いお坊さんです。
 群県内には、ゆかりの寺がいくつもあります。


 「小暮さん、今回もレポーターをお願いしますね」
 とディレクター氏。
 「えっ、ネタの提供だけじゃないの?」
 「はい、ミステリーハンターとして出演していただきます」

 ということになりましたので、オンエアを楽しみにしていてください。
 放送日が決定しましたら、ご報告いたします。

 乞う、ご期待!
   


Posted by 小暮 淳 at 12:24Comments(0)謎学の旅

2021年08月07日

鳴らない風鈴


 世知辛い時代になりました。
 令和の世の中からは、風流や風情というものが消えてしまうのでしょうか?


 以前、「吊り忍」 について書いたことを覚えていますか?
 江戸時代の植木職人が作り出した伝統工芸品で、夏の風物として庶民に愛されてきた観賞用の小さな盆栽です。
 竹やシュロの皮などを芯にして、これにコケを巻き付け、その上に 「しのぶ」 というシダ科の植物をはわせた 「しのぶ玉」 を軒下などに吊るします。
 ※(詳しくは当ブログの2021年7月28日 「なぜか、吊り忍」 を参照)

 風に揺れ、緑の葉が風にそよぐ姿が、なんとも涼しそうであります。


 吊り忍の下には、風鈴を吊るすのが定番です。
 それも江戸風情を醸すならば、ガラス細工に限ります。
 そして絵柄は、“金魚” がいいですね。

 <ジュンちゃん、金魚の風鈴が届いたよ~>

 行きつけの酒処 「H」 のママから、うれしいメールが届きました。
 ママとは夏の初めに、「吊り忍」 の話で大いに盛り上がったのであります。
 さっそく、吊り忍と金魚の風鈴をそろえてくれたようです。


 もう、「H」 に向かう道すがら、ワクワク、ドキドキが止まりません。

 「あった~!」

 店の数十メートル手前から、のれんの横でひらひらと揺れる赤い風鈴と青い短冊が見えました。
 そして、その上には、まだ小さいけど、一丁前に枝葉を伸ばした 「しのぶ玉」 が飾られています。


 「ママ~、すごいね! 素敵だね! これで商売繁盛だ!」
 そう叫びながら店内に入った僕でしたが、ママの反応は微妙に期待外れでした。
 「うん、吊るしたことには、吊るしたんだけどね……」
 と、なんだか寂しそうなんです。

 ちょっと、待てよ?
 なんか変だぞ!

 吊り忍と金魚の風鈴、確かに主役は揃っている。
 なのに、何かが足りない……

 「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーーーー!!!!! 音がない!」


 そうなんです。
 風に揺れている風鈴が、“無音” なのです。

 「ママ、どうしたの?」
 「どうしたも、こうしたもないよ。わたしゃ、もうグレちゃうよ」


 カクカク、シカジカ……ママが言うことにゃ、常連客から忠告をいただいたのだと言います。
 その常連客が住む町内では、最近、回覧板が回ったといいます。
 内容は、<風鈴を吊るさないでください> というもの。
 その町内では 「うるさい! 迷惑だ!」 という、ご近所トラブルが発生しているというのです。

 「でさ、鳴らないようにしたわけよ」


 ゲッ、ゲゲゲーー!
 そ、そ、そんな~!
 いつから日本人は、そんなに了見が狭くなっちまったんですか!?

 音の鳴らない風鈴だ?

 聞くところによれば、盆踊りや花火大会にも 「うるさい!」 とクレームを入れる人が増えているんですってね。
 ああ、江戸の庶民が聞いたら未来を嘆くぜ!


 「はい、お疲れさま」
 「カンパイ!」

 カウンター席から表通りを眺めると、白いのれんの横で、ゆらゆらと赤い風鈴が風に揺れています。

 聴こえます、聴こえますって。
 ジッと耳を凝らしていると、ほらね。

 チリン、チリン……チリン、チリチリン……


 世知辛い時代になりました。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:23Comments(0)酔眼日記

2021年08月06日

悪魔祓いとコロナ退散


 「悪魔っぱら~い! 悪魔っぱら~い!」
 「疫病退散! コロナ退散!」


 町内全戸を練り歩く 「神楽廻し」 を前に、企業訪問を行いました。

 僕は今年、町内の 「年番」 をしています。
 年番とは、その年一年間、神様に仕える氏子の代表です。
 神楽廻しは年2回、正月と盆過ぎに行なわれます。

 五穀豊穣、無病息災を祈祷しながら、“お神楽” と呼ばれる獅子頭を廻します。
 その時のかけ声が、「悪魔祓い」 です。
 去年からは住民の要望もあり、「悪魔祓い」 に加え、「疫病退散」 や 「コロナ退散」 と言いながら行っています。


 午前10時。
 とはいえ、すでに気温は30℃を優に超えています。
 通常の神楽廻しならば重労働は若い人が率先して行いますが、今回は企業訪問なので “幹部5人” だけによる精鋭部隊です。
 すると、還暦過ぎの僕が最年少!
 必然的に、獅子頭の中に入る役は決まってしまいます。

 公民館を出発した一行は、町内最大の企業S食品の本社工場へ。
 S食品はテレビCMでもお馴染みの即席麺の会社です。
 敷地もでかいが、社屋もでかい。

 どうみても、軽トラで乗り付けたジイサンたちには、不釣り合いの場所です。
 「緊張しますね」
 と本音を言えば、
 「何言ってんだい、小暮さん! 堂々としていていいんだよ。俺たちは “神の子” なんだよ。ありがたい存在なんだから」
 と長老の言葉が、僕の背中を押してくれました。

 案の定、長老のおっしゃる通りでした。


 ドンドンドン、ドンドンドン……
 ドンドンドン ドンドンドン……

 正面玄関からロビーへ、太鼓の音が鳴り響きます。
 すると1人、2人、3人……
 続々と仕事の手を止めて、社員たちが集まって来ます。
 あれよあれよの間に、玄関ロビーは黒山の人だかりです。


 「悪魔っぱら~い! 悪魔っぱら~い!」

 声を張り上げながら僕は、獅子頭をかかげて、獅子の口をパクパクさせます。

 「私も噛んでください」
 「私も」 「私も」 「私も」 ……
 次から次へと、若い社員たちが僕に駆け寄り頭を差し出します。


 昔から体の悪い箇所を獅子に噛まれると治るといわれています。
 ですから年寄りなら腰や足を噛んであげます。
 子どもたちには、「勉強ができるように」 と頭を噛みます。

 「みなさん、頭でいいんですか? ほかに悪い所はありませんか?」
 と声をかけても、なぜか、みんな頭を出します。
 「では、みんなの願いは一つですね、祈願しましょう!」

 疫病退散! コロナ退散!


 祈祷料なんでしょうか?
 帰りに、どっさりとカップ麺を段ボール箱で、いくつもいただいてまいりました。

 S食品さん、これで今年も売り上げアップ間違いなし!
 我々神の子が、しっかりとお祓いをしましたから。
    


Posted by 小暮 淳 at 11:52Comments(0)つれづれ

2021年08月05日

湯守の女房 (23) 「湯がにごると、天気が崩れます」


 坂口温泉 「小三荘」 高崎市


 群馬県の山間部の温泉は泉温が高いが、平野部は温度が低い冷鉱泉が目立つ。
 ボイラーのない昔から、人々が温めてまで入浴した冷鉱泉には 「薬湯」 が少なくない。

 その一つ、坂口温泉は約300年前から湧き続けている薬湯だ。
 弱アルカリ性の食塩泉は、皮膚病に効くといわれる。
 昭和25(1950)年創業の 「小三荘(こさんそう)」 は、日帰り入浴客にも人気の湯治場だった。


 厨房を預かる女将の山崎照代さんは、いつもニコニコしている。
 甘楽町生まれで、同39年に4代目主人の孝さんと結婚し、宿に入った。
 今も宿泊客の多い日を除き、主人と長女の家族3人で切り盛りしている。

 「農閑期になると近在の農家の人たちで、いっぱいになりました。重曹を含んでいるので、『おまんじゅうを作るのに源泉を分けてほしい』 と言う人も来ました」
 と振り返る。


 お湯が自慢だ。
 「とっても不思議な湯なんです。にごる日もあれば、透明の日もある。湯がにごると、天気が崩れます」
 と教えてくれた。
 以前、雨の日に訪ねたことがあったが、確かに白濁していた。
 今回の取材の日は、快晴。
 予想通り、浴槽の湯は無色透明だった。

 はっきりしない天気だと、薄黄色の時もあれば、淡緑色の時もあった。
 ただ、トロンと肌にまとわりつく濃厚な浴感は、いつも変わらない。
 これが昔から 「たまご湯」 と呼ばれるゆえんである。


 浴槽の窓の戸外に、小さな石仏群が見える。
 地元では 「お薬師さま」 と呼ばれ、「医王仏」 との別名もある。
 頼るべき医薬のなかった時代、先人たちが病を治してもらったお礼に奉納した石仏たち。
 盗難や風化によって30体余りになってしまったという。
 平成の世になっても奉納する人がいるらしく、真新しい石仏も何体か見られる。

 「今の人は、ゆとりがないのでしょうね。かつてのように連泊する人が少なくなり、日帰り入浴客も風呂につかって、すぐに帰ってしまう人が多くなりました」
 と、ちょっと寂しそうな顔を見せた。


 温泉の入り方が変わったというが、それでもここの湯に惚れ込んでやって来る人が、今でもたくさんいる。

 浴室で常連客の男性と一緒になった。
 「子どもの頃から、よく親に連れて来られたよ。あせもなんか1、2回入れば治った。ここの湯に入ると、よその温泉は物足りなく感じるね」
 と話した。

 「旅館の仕事は長くて、大変だけど、お客さまが喜んでくだされば苦労とは思いません」
 そう言って、照代さんは笑った。


 <2012年3月28日付>

 ※「小三荘」 は現在、休業しています。
  


Posted by 小暮 淳 at 13:11Comments(0)湯守の女房

2021年08月04日

ファックスのない時代


 【スマホのない時代】
 というキーワードでネット検索すると、若い人からの 「考えられない」 という言葉と一緒に、「どうしてたの?」 という疑問や質問がオンパレードです。
 それに対して、回答しているのは僕ら親世代です。

 「どうしてたの?」 とは、たぶんスマホの機能ではなく携帯電話のことを指しているんだと思います。
 たとえば友人や恋人との “待ち合わせ” です。
 当然ですが、事前に約束した 「場所」 と 「時間」 で待ち合わせていました。
 必然、暗黙のうちに “時間厳守” のルールが付いています。

 それでも時間にルーズな人はいます。
 また電車に乗り遅れたり、急な用事が入ってしまった場合は、どうしていたのか?

 ハイ、待ちました!

 この “待つ” という行為には個人差があります。
 平気で1時間でも2時間でも待つ人もいますが、たいがいの場合、「30分待っても来なかったら先に行く」 といった取り決めが、事前になされていました。

 これが駅での待ち合わせの場合、「伝言板」 が活躍したわけです。


 「不便ではないのか?」
 と問われても、それが当たり前だったのだから何とも答えようがありません。
 公衆電話から自宅に電話をして確認することはありましたが、異性の場合、なかなか自宅には、かけられなかったことを思い出します。
 それゆえ、何時間でも相手を待っていたのだと思います。

 そう考えると今は、本当に便利な世の中になりました。


 便利と言えば、「ファックス」 が登場した時の驚きを忘れられません。

 昭和の後期、今から30数年前のこと。
 当時、僕はタウン誌の編集記者をしていました。
 お店や会社、施設、人物を取材して、記事を書く仕事です。
 当然、書いた原稿を先方にチェックしてもらうための 「校正」 という作業があります。

 その頃、ファックスという文明の利器が登場したばかりでした。
 でも僕が入社した時には、すでにファツクスはありましたから、当たり前のように校正紙を先方に送り、その後、電話をして、「修正や訂正はないか?」 の確認をしていました。

 で、その時、僕は思いました。
 「ファックスがなかった時代、校正は、どうしていたんだろう?」
 この問いかけに、編集長は言いました。
 「届けていたよ」
 「えっ、毎回、1号分すべての校正をですか?」
 「当然だろ、他に方法がなかったんだから」

 当時ですら、気が遠くなるような衝撃を受けましたから、すべてをメールでやり取りしている今の編集者には、想像すらできないでしょうね。


 ところが編集長から、便利になることは、必ずしも快適ではないことを教えられました。
 「でもファックスのなかった時代の方が、仕事に余裕が持てて良かったよ」
 と言うのです。
 「先方に行かなくって、いいんですよ。ファツクスって便利でいいじゃないですか?」
 すると、ファツクスのある時代しか知らない僕には、思いもよらぬ事実が返ってきました。

 「居留守が使えなくなったんだよ!」


 たとえば、修正・訂正等があった場合、<今週末までに、ご連絡ください> という但し書きを添付していたとします。
 当然、雑誌の世界には締め切りという絶対厳守がありますから、それを過ぎた場合は、そのまま印刷へ回ってしまいます。
 ファックスがなかった時代は、電話連絡しかできませんから土日は、つながりません。
 「ところがファックスが登場してからは月曜の朝に出社すると、ドッサリと山のように修正のファツクスが届くようになってしまった」
 とのことです。

 便利になることは必ずしも快適ではなく、不便が必ずしも不快とは限らないということです。
 さらに何十年かすると、現代 (いま) も 【○○のない時代】 と呼ばれるんでしょうね。

 その 「○○」 に比べると、スマホって、不便なんでしょうね
  


Posted by 小暮 淳 at 14:23Comments(0)つれづれ

2021年08月03日

本屋の御用聞き


 <昔は御用聞きというのが頻繁に家に来ていた。いつ頃から見かけなくなったのかは定かではないが、私の子供の頃には確かに日に何人かが出入りしていた。「奥さ~ん、○○クリーニングだけど、どう、間に合ってる? それじゃ、またよろしく!」 てな具合に声をかけて行った。>
 (拙著 『上毛カルテ』 第一章 「まちとのコミュニケーション」、「いつか見ていた風景」 より)


 またまた “昭和ネタ” で恐縮です。
 今日は、「御用聞き」 の話。

 僕が子供時代を過ごした昭和30~40年代は、まだまだ古き良き “向こう三軒両隣” の地域社会が残っていました。
 隣近所は家族と一緒で、味噌やしょう油の貸し借りはもちろんのこと、「湯をもらいに」 なんて言って、風呂まで入りに行ったものでした。

 冒頭のクリーニング屋しかり、米屋や酒屋も、みんな町内の顔見知りのおじさんで、「御用聞き」 に現れては、うちのオヤジに取っ捕まって、お茶を飲んだり、将棋を指して、注文を取るのも忘れ、“油を売って” 帰ったものでした。
 今思えば、なんとも和気あいあいで、のんびりした時代でした。


 さて、「御用聞き」 の中でも、我が家には一般家庭には、あまり現れない御用聞きが頻繁に出入りしていました。
 それは、本屋さんです。

 オヤジの職業が私塾経営ということもあり、職業柄、書籍類を多く購入していたことと、オヤジが一日中家に居たというのが、書店員が訪れていた理由のようであります。
 新刊書籍の発売や文学全集、美術全集、百科事典など、書店員は大きなカバンにドッサリと資料を持ってやって来ます。
 オヤジは週刊誌や月刊誌なども購読していたので、それこそ月に何度も書店員は、我が家にやって来ました。

 活字好きで話し好きのオヤジにとって書店員は、格好の暇つぶしの相手ということです。


 「おーい、ジュン! ちょっと来い」
 ある日、僕は玄関先で本屋さんと話しているオヤジに呼ばれました。
 「どうだ、この本、興味あるか?」

 床に広げられたパンフレットには、大好きな恐竜の絵がいっぱい描かれていました。
 「えっ、恐竜の図鑑なの!?」
 すると本屋さんが言いました。
 「坊ちゃん、これはね、『地球の歴史』 という本なんだよ。どのようにして地球が誕生したのか? のちに地球に生物が生まれ、人類が誕生するまでを、子どもでも分かるように書かれている本なんだ」

 その図鑑は、シリーズで5~6巻もありました。
 でも、僕が欲しいのは、“恐竜誕生” の巻だけです。

 「これだけ欲しい」
 と僕がいうと、本屋さんは困った顔をしてしまいました。
 それを聞いていたオヤジが言いました。
 「よし、他の巻も読むなら買ってやろう」
 「うん、分かった」
 「約束だぞ!」


 そして数週間後、我が家に立派な図鑑が届きました。
 それでも僕がページを開くのは、恐竜が載っている巻だけです。

 半年ほど経ったある日のこと、オヤジが突然、部屋に入って来て言いました。
 「図鑑を出せ! どこまで読んだ? どんなことが書いてあったか言ってみろ!」
 すごい剣幕です。

 僕が、「まだ恐竜しか読んでいない」 と答えると、オヤジの怒りは心頭に発し、ついには、
 「分かった、おまえは約束を破った。この本は、要らないということだ!」
 そう言って、なんとオヤジは、図鑑を次から次へと破り出したのであります。

 泣きわめく僕の声を聞きつけて、オフクロが飛んできました。
 「おとうさん、何もそこまでしなくても」
 とオヤジの手を止めに入った時には、時すでに遅く、全巻がズタズタに破かれていました。

 その後、僕はオヤジに謝り、許してもらい、図鑑の破損したページをセロハンテープで貼り合わせて補修し、全巻を読破しました。


 約束は守ること。
 本は読まなければ意味がないことを学びました。

 “三つ子の魂百まで” なのでしょうか?
 長じて僕は、書店、出版社、雑誌社に勤めることになったのですから。

 今は、ただ亡きオヤジに感謝しかありません。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:48Comments(0)昭和レトロ

2021年08月02日

湯守の女房 (22) 「お湯に惚れ込んで、毎月来られるお客さまがいます」


 やぶ塚温泉 「開祖 今井館」 (太田市)


 群馬の温泉地は北毛や西毛に多い。
 やぶ塚温泉は、東毛の数少ない温泉地である。

 天智天皇の時代に開湯されたと伝わり、元弘3(1333)年に新田義貞が鎌倉に攻め入った時、傷ついた兵士をこの湯で癒やしたことから 「新田義貞の隠し湯」 とも呼ばれる。


 今井館の創業は定かではない。
 今井館に残る天保2(1831)年の古文書に 「薬湯」 という鉱泉宿を営んでいた初代主人、弥右衛門の名前がある。
 江戸時代後期には、すでに温泉宿を営業していたらしい。
 現主人の今井和夫さんで9代目だ。

 女将の道予さんは太田市の生まれで、専門学校のとき、大学生だった和夫さんと出会い昭和46(1971)に結婚。
 当時は木造3階建ての本館と別館が並び、100人以上が泊まれる湯治場としてにぎわっていた。

 「お湯に惚れ込んで、毎月来られるお客さまがいます。また、初めて来られた県内のお客さまは 『こんな近くに、こんないい温泉があった』 と驚かれます」

 昔から 「おできは、やぶ塚へ行けば治る」 と言われた。
 皮膚病に効き目があり、湯治客らは草津や伊香保で治らなかった “できもの” を、ここの湯で治したという。
 「薬湯」 と呼ばれてきたゆえんだ。


 言い伝えでは、八王子山とよばれる丘陵地のふもとに湯権現という小さな社があり、下の岩の割れ目から、こんこんと湯が湧いていた。
 ある日、温泉に1頭の馬が飛び込み、高くいななくと、雲を呼び、雨を起こして、天高く舞い昇って行った。
 すると温泉は、たちどころに冷泉に変わったという。

 その冷泉は、今も宿の裏にある温泉神社の石段下に湧く。
 源泉名を 「巌理水(げんりすい)」 といい、村人たちが守り続けてきた。

 泉質は、美肌効果のあるメタけい酸を含むアルカリ性の炭酸泉。
 温度が低いため加温しているが、手ですくうとズッシリと重く、トロリとしたぬめりがある。

 「よその温泉へ行くと違いが分かります。ここの湯は、まろやかで、よく温まり、肌がツルツルになると宿泊客に喜んでもらっています」


 源泉を加水して薄めることになるからと露天風呂は増設せず、内風呂を大切にしている。
 滞在する宿泊客にゆっくりと温泉に入ってほしいから日帰り入浴客もとらない。
 そんな湯へのこだわりが、ファンに支持されている。

 「温泉は天与の恵み。ご先祖様に感謝し、代々受け継がれてきた大切な温泉を守り続けていきたいと思います」
 と湯守の女房の気概をのぞかす。


 <2012年3月7日付>
   


Posted by 小暮 淳 at 11:29Comments(0)湯守の女房

2021年08月01日

アメンボのいない夏


 僕が子どもの頃は国道や県道は別として、住宅地には、まだまだ未舗装の道路が多く残っていました。
 それゆえ夏の午後、夕立が通り過ぎると、道のあちこちに水たまりができました。
 すると、どこからともなく、その水たまりにアメンボが飛んで集まって来ます。

 スーイスイ、スーイスイ……

 雨上がりの道に陽が射して、キラキラと光る水たまりに、銀色の虫。
 学校の帰り道、閉じた傘を振り回しながら、アメンボを追い回したものでした。


 「アメンボは、『飴ん坊』 って書くんだよ」
 と教えてくれたのは、クラスで “昆虫博士” と呼ばれていたY君でした。
 「へ~、雨が降ると現れるからアメンボじゃないんだ~」
 と、誰もが彼の博学ぶりに感心しました。

 「じゃあ、なんで、なめるアメなんだよ?」
 僕らの疑問にY君は、まってました!とばかりに、自慢げに答えます。
 「甘い味がするからだよ」

 「え゛え゛え゛っーーーー!!!」
 と驚く一同。
 「サルビアの蜜ような味がするのかな?」
 「だったら、なめてみようぜ」
 ということになり、虫取りアミを持ってきて、人数分を捕まえました。

 「誰から、なめる?」
 「やっぱ、言い出しっぺのY君からだろ」
 そう言われて、知識では知っていたが、まだ味は未体験のY君が、一番先にアメンボを口の中へ……

 「どうだ?」
 表情一つ変えずにいるY君に、みんなが問い詰めます。
 「自分で味見して見ろよ!」
 といわれ、一同、恐る恐るアメンボを口の中へ入れました。

 「オエエエエーーーーッ!!!」


 これは後になって分かったことですが、アメンボの名前の由来は、小さな虫をおびき寄せて捕食するために甘いにおいを出すからでした。
 また体つきが、棒のようように細長いため 「飴ん棒」 とも表記されるそうです。
 (ちなみにアメンボは、あの臭いカメムシの仲間です)

 だから決して、なめると甘い味がするわけではなかったのです。


 思えば最近、とんとアメンボを見かけません。
 いえいえ、もう何十年と見ていないような気がします。
 いったい、どこへ行ってしまったのでしょうか?
 他の昆虫たちと同様に、農薬等の影響で姿を消してまったのでしょうか?

 もしかしたら僕が気づかないだけで、田んぼや池や沼で、ひっそりと暮らしているのかもしれませんね。
 でも、街の中は、どこもかしこもコンクリートとアスファルトに覆われてしまい、昔のようにアメンボたちが飛んで来れる水たまりができなくなってしまったことが、見かけなくなってしまった一番の要因かもしれません。


 どうやら今年も、アメンボのいない夏のようです。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:38Comments(0)昭和レトロ