2021年08月03日
本屋の御用聞き
<昔は御用聞きというのが頻繁に家に来ていた。いつ頃から見かけなくなったのかは定かではないが、私の子供の頃には確かに日に何人かが出入りしていた。「奥さ~ん、○○クリーニングだけど、どう、間に合ってる? それじゃ、またよろしく!」 てな具合に声をかけて行った。>
(拙著 『上毛カルテ』 第一章 「まちとのコミュニケーション」、「いつか見ていた風景」 より)
またまた “昭和ネタ” で恐縮です。
今日は、「御用聞き」 の話。
僕が子供時代を過ごした昭和30~40年代は、まだまだ古き良き “向こう三軒両隣” の地域社会が残っていました。
隣近所は家族と一緒で、味噌やしょう油の貸し借りはもちろんのこと、「湯をもらいに」 なんて言って、風呂まで入りに行ったものでした。
冒頭のクリーニング屋しかり、米屋や酒屋も、みんな町内の顔見知りのおじさんで、「御用聞き」 に現れては、うちのオヤジに取っ捕まって、お茶を飲んだり、将棋を指して、注文を取るのも忘れ、“油を売って” 帰ったものでした。
今思えば、なんとも和気あいあいで、のんびりした時代でした。
さて、「御用聞き」 の中でも、我が家には一般家庭には、あまり現れない御用聞きが頻繁に出入りしていました。
それは、本屋さんです。
オヤジの職業が私塾経営ということもあり、職業柄、書籍類を多く購入していたことと、オヤジが一日中家に居たというのが、書店員が訪れていた理由のようであります。
新刊書籍の発売や文学全集、美術全集、百科事典など、書店員は大きなカバンにドッサリと資料を持ってやって来ます。
オヤジは週刊誌や月刊誌なども購読していたので、それこそ月に何度も書店員は、我が家にやって来ました。
活字好きで話し好きのオヤジにとって書店員は、格好の暇つぶしの相手ということです。
「おーい、ジュン! ちょっと来い」
ある日、僕は玄関先で本屋さんと話しているオヤジに呼ばれました。
「どうだ、この本、興味あるか?」
床に広げられたパンフレットには、大好きな恐竜の絵がいっぱい描かれていました。
「えっ、恐竜の図鑑なの!?」
すると本屋さんが言いました。
「坊ちゃん、これはね、『地球の歴史』 という本なんだよ。どのようにして地球が誕生したのか? のちに地球に生物が生まれ、人類が誕生するまでを、子どもでも分かるように書かれている本なんだ」
その図鑑は、シリーズで5~6巻もありました。
でも、僕が欲しいのは、“恐竜誕生” の巻だけです。
「これだけ欲しい」
と僕がいうと、本屋さんは困った顔をしてしまいました。
それを聞いていたオヤジが言いました。
「よし、他の巻も読むなら買ってやろう」
「うん、分かった」
「約束だぞ!」
そして数週間後、我が家に立派な図鑑が届きました。
それでも僕がページを開くのは、恐竜が載っている巻だけです。
半年ほど経ったある日のこと、オヤジが突然、部屋に入って来て言いました。
「図鑑を出せ! どこまで読んだ? どんなことが書いてあったか言ってみろ!」
すごい剣幕です。
僕が、「まだ恐竜しか読んでいない」 と答えると、オヤジの怒りは心頭に発し、ついには、
「分かった、おまえは約束を破った。この本は、要らないということだ!」
そう言って、なんとオヤジは、図鑑を次から次へと破り出したのであります。
泣きわめく僕の声を聞きつけて、オフクロが飛んできました。
「おとうさん、何もそこまでしなくても」
とオヤジの手を止めに入った時には、時すでに遅く、全巻がズタズタに破かれていました。
その後、僕はオヤジに謝り、許してもらい、図鑑の破損したページをセロハンテープで貼り合わせて補修し、全巻を読破しました。
約束は守ること。
本は読まなければ意味がないことを学びました。
“三つ子の魂百まで” なのでしょうか?
長じて僕は、書店、出版社、雑誌社に勤めることになったのですから。
今は、ただ亡きオヤジに感謝しかありません。
Posted by 小暮 淳 at 12:48│Comments(0)
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