2012年08月12日
27年前の記憶
今、とっても気になっている “言葉” があります。
先週、行われた温泉講座で、受講生の1人が言った言葉です。
と、いっても、僕が直接聞いたわけではありません。
講座終了後に、主催者側のスタッフから告げられた言葉でした。
今までにも温泉講座というのは、定期的に行ってきました。
NHK文化センターや、けやきウォークの前橋カルチャーセンターなどが主催する野外講座の場合、平日の開催ということもあり、受講生は圧倒的に、時間とお金のある年代(60歳以上) の人が多いんですね。
でも、今回の温泉講座は屋内講座ということもあってか、平日だというのに、若い人(30~40代) が多かったのには、驚きました。
僕より年配の人というのは、本当に数えるほど。
男性で50歳以上の人は、僕が見たところ、3~4人だったと思います。
で、その中の1人の人が、スタッフに話しかけた “言葉” があります。
「あの先生は、昔、歌手だったんだよ。ダンスホールで歌っていたんだから・・・」
そう、言ったというのです!
「小暮さん、その話は本当ですか?」
とスタッフに聞かれて、僕は平常心を保てなくなってしまいました。
その人は、いったい誰なんだ?
なんで、そんな細部にわたり、僕の過去を知っているんだ?
そして、今、温泉ライターをしている僕が、あのときの売れない歌手と同一人物だということを知っている……
歌手といっても、しがないシンガー・ソング・ライターだったんですよ。
10代の頃、ギターケースに大きな夢をギュウギュウ詰めにして、東京へ出て行きました。
夜間の音楽学校へ通い、昼間は書店でアルバイトをしながら、週末になるとライブハウスや楽器店の店頭、通りの端で歌っていたんです(ストリート・ミュージシャンなんて言葉もない時代です。ただの路上でのゲリラライブです)。
レコードデビューするも鳴かず飛ばず、アパートの家賃が払えないため、25歳の時に故郷に帰り、活動の拠点を群馬に変えました。
それでも時々は上京して、東京のライブハウスやパブ、スナックなどで、歌っていました。
その頃のことは、著書の処女エッセー 『上毛カルテ』 の中でも少し触れているので、歌手をやっていたことを知っている人がいてもおかしいことではありません。
僕が驚いたのは、「ダンスホール」 という言葉です!
忘れもしません。
1985年の夏のこと。
前橋市内のダンスホールを貸し切って行われた、初のソロ・コンサートです。
前年に、オリジナル・カセットテープ(そんな時代でした) をリリースした記念のコンサートでした。
たった1人で、ギター1本で、休憩なしの2時間ステージ・・・。
その男性受講者は、あの時の会場に、いたのでしょうか?
今となっては、恥ずかしいような……
でも、覚えていてくれて、嬉しいような……
ぜひ、今度、また講座等でお会いしたら、直接僕に声をかけてくださいな。
あの時の、お礼を申し上げたいと思います。
Posted by 小暮 淳 at 20:50│Comments(0)
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