2018年08月27日
書く力に励まされ
「介護とは、愛憎のせめぎ合いである」
と、誰かが言ってました。
と、今回もテレビドラマ 『遺留捜査』 の糸村風に始めてみました。
今年になって、友人や知人の親御さんの訃報が多く届くようになりました。
僕の友人知人の親たちですから、もちろん高齢であります。
でも年齢を訊くと、みんな僕の親よりは年下なんですね。
しかも……
「前の日まで元気だったのに、突然でした」
とか
「介護の間もなく、病院で亡くなりました」
なんて聞くと、不謹慎ながら、つい、
「でも良かったじゃないか。介護が続くより」
と言葉を返してしまいます。
本音を言えば、“うらやましく” もあります。
僕のオフクロは91歳ですが、この10年の間に脳梗塞と脳出血をくり返し、現在は寝たきりで、リハビリ施設に入っています。
来月94歳になるオヤジも認知症になって、かれこれ10年になります。
でも頭以外は健康なので、デイサービスとショートステイを組み合わせながら、僕とアニキで交互に在宅介護をしています。
僕もアニキも長引く介護生活に、少々疲れを感じていて、会えば 「夕べは寝られなかった」 とか 「オムツを何回取り替えた」 だの、愚痴の言い合いになりつつあります。
親が長生きしてくれるのは、ありがたいことなのですが、その “ありがたみ” を、だんだんと感じられなくなりつつある今日この頃なのです。
そんな折、今朝の新聞に、勇気づけられました。
知人のジャーナリスト、木部克彦氏が、また本を出版したというのです。
それもテーマは、「介護」
共に84歳になる両親が、同時に認知症になってしまったといいます。
その認知症両親の介護の日常をつづった日記が、このたび出版されました。
『【群馬弁で介護日記】認知症、今日も元気だい』(言視舎) 1,620円
木部さんといえば、かつて、『続・群馬の逆襲』(言視舎) という著書の中で、僕のことを “温泉バカ一代” と称して、書いてくださった人です。
その時に取材を受けたのがきっかけとなり、酒を酌み交わす付き合いが始まりました。
偶然にも、僕らは同じ歳なのです。
その彼が、両親のダブル介護をしているとは、知りませんでした。
彼は、新聞記事のインタビューで、こう答えています。
「書くことで気持ちが整理されている面もある。今は序章でしかない。父と母が自分の存在価値を感じられるよう、やれるところまで実験していきたい」
彼らしくもあり、ジャーナリストとしての生き方までが見えるようです。
彼は、“実験” という言葉を使っていますが、まさしく介護は、誰もが迎える未知の世界なのです。
僕も彼の生き方にならい、自分の 「書く力」 を信じながら両親の介護に誠心誠意努めようと思えたのであります。
Posted by 小暮 淳 at 14:06│Comments(0)
│つれづれ