2024年11月20日
本屋さんへ行こう!
東京都在住の読者 (60代男性) から、こんなことを言われました。
「私はネットでは本を買いません。小暮さんの本も、近くの書店に注文しています」
ありがたいお言葉ですが、彼は、こうも続けました。
「本屋さんを、これ以上、無くしたくないんです」
まさに令和の現在では、街の本屋さんは壊滅的な危機に見舞われています。
希少価値ゆえに、「リアル書店」 なんて呼ばれるほどです。
スマホでピッっと、ネットで便利に簡単に、探している本が手に入る時代です。
街の本屋さんは、駄菓子屋同様、昭和の産物なのでしょうか?
こんなデータがあります。
全国の書店数の推移です。
2003年には20,880店あった書店が、2023年には10,918店と減少しています。
なんと! 20年間で約半分になってしまったのです。
ちょっと計算してみてください。
すると、なななんと! 1日に1.3店のスピードで消滅していることになります。
これにより全国には 「無書店自治体」 というのが発生しています。
いわゆる書店が一軒もない市区町村のことです。
その数、なななんと! 27.9%!
3市区町村に1つは、無書店自治体なのです。
では、なぜ昭和の時代には考えられなかった現象が、平成から令和にかけて急速に進んでしまったのでしょうか?
答えは明確です。
書店で本が売れなくなったからです。
では、なぜ?
ネット販売が主流になったから?
どうも、それだけではないようです。
一番の理由は、「読書離れ」 です。
平成の世から 「活字離れ」 という言葉はありましたが、ついに 「読書離れ」 = 「長文離れ」 が始まってしまったのです。
あるリサーチによれば、「1カ月間に1冊も本を読まない人」 が6割を超えたといいます。
(当ブログの2024年9月20日 「長文を読めない令和人」 参照)
便利だけが原因ならば、ネット販売に移行するだけです。
でも、本自体が売れなくなっているのですから致命的な問題です。
“便利な社会” は、読書自体を “面倒くさいもの” に追いやってしまいました。
ただただ、悲しい現象です。
読んで残そう、紙の本。
みなさ~ん、本屋さんへ行きましょう!
2024年11月19日
自信のゆくえ
先日、知人男性 (50代) から、こんな相談を受けました。
「若い頃は根拠のない自信があったのですが、今は衰えの自覚や環境の変化で、以前のような根拠のない自信が感じられません」
う~ん、彼は、とっても真面目なのですね。
真面目がゆえに、そのことに気づいてしまったのです。
「根拠のない自信」
夢や野望を抱いたことのある人なら、誰しも一度は感じたことがあると思います。
僕もあります。
しかも僕の場合、若い頃だけでなく、40歳を過ぎても信じていました。
「根拠のない自信」 って、ある種の “まじない” なんですよね。
「自分はできる」 という暗示でもあります。
ところが、この暗示が、ある日突然、効かなくなる時がやって来ます。
僕は、こう解釈しています。
「根拠のない自信」 って、消耗品なんじゃないかと。
若いときは、“未知のエネルギー” に満ちあふれています。
簡単に言えば、残りの人生が多いということ。
残りの人生が多いということは、未知の部分が多いということで、大いに可能性を期待できます。
そして、そこには自分を信じる力 「信念」 が生まれます。
「30歳までには、なんとかなるだろう」
ところがダメだった場合、挫折を感じます。
同時に、根拠のない自信も消え失せます。
「いやいや、40歳までには、なんとかなるさ」
それでも、あきらめない人には、この 「根拠のない自信」 が、より所になります。
そして、40歳を迎えます。
僕の場合、それでも、あきらめ切れませんでした。
ところが、ある日、気が付いたら 「根拠のない自信」 が劣化して、ボロボロになっていました。
「根拠のない自信」 って、消耗品だったのですね。
耐久年数があったのです。
補充とメンテナンスを、おこたっていたことに、初めて気づきました。
本来なら加齢とともに、少しずつ 「根拠のある自信」 と交換するべきだったのです。
手応え、やりがい、達成感などです。
僕がメンテナンスを始めたのは、50代になってからでした。
遅いですよね。
遅いけど、気づかないよりはマシでした。
今でも僕の中に 「根拠のない自信」 はあります。
でも若い頃とは、ちょっと違います。
50代で一度、リセットして、再起動したので、以前よりクリアに将来を見すえることができるようになりました。
根拠はないけど、当てずっぽうではない。
自信よりは、確信に近いかもしれません。
いずれにせよ、「根拠のない自信」 にはメンテナンスが必要です。
迷い、悩んでいる人は、あきらめる前に一度、リセットすることを、おすすめします。
作詞家の秋元康氏は、こんなことを言っています。
<人は根拠のない自信を持つことが大事。根拠があったら、それが崩れた時に自信を失ってしまうから>
2024年11月18日
磯部温泉 「小島屋旅館」④
つくづく、歳は重ねてみるものだと思います。
2022年秋に発足した 「M会」。
さる温泉ソムリエのオフ会に出席した際に、知り合った温泉フリークたち。
彼ら彼女らから声がかかり、特別顧問ようなポジションで、毎回、M会のオフ会に呼んでいただいています。
会のメンバーは、僕を除いて6人。
群馬県民2人、他県民4人。
年齢も40~60歳代と、幅広い構成です。
代表のMさんは、僕とは親子ほど歳が離れています。
それなのに年配者の僕に対しても、分け隔てなく接してくれます。
感謝をするとともに、つくづく 「歳は重ねてみるものだ」 と思います。
真面目(?)に、コツコツ(?)と生きてれば、こうやって次世代の人たちが面倒をみてくれて、かまってくれて、一緒に遊んでくれるんだもの(笑)。
会の開催は年2回、群馬県内の温泉地を訪ねています。
今までの開催地は、四万温泉、草津温泉、老神温泉、尾瀬戸倉温泉。
どの温泉地も会場は、知る人ぞ知る小さな家族経営の宿ばかりです。
温泉好きは、知っています。
湯が良くて、料理がおいしくて、そして安い宿を!
最後の “安い宿” というのが肝です(1万円以下)。
彼ら彼女らは、そんな宿をたくさん知っています。
で、一昨日、5回目のM会が開催されました。
今回の会場は、磯部温泉 (安中市) の 「小島屋旅館」 です。
ん~、見事です!
宿の選択に、間違いはありません。
「磯部に泊まるなら小島屋」
と温泉通には、つとに知られている老舗旅館であります。
明治12(1879)年創業、現在は直系の7代目女将が切り盛りをしています。
もちろん僕も過去に、取材等で何度もお世話になっています。
だから湯がいいことも、料理がおいしいことも十分に知っています。
でも、今回は、もっと楽しみにしていることがあったんです。
それは、パン!
そうなんです!
今年1月、女将さんが焼くパン工房 『やどパン』 が、旅館内に併設オープンされたのです。
以前、ブログにも紹介したので、すでに食べた人もいると思いますが、実は僕は、まだ食べてなかったのです。
(2024年1月4日 「磯部温泉 小島屋旅館③」 参照)
いやいや、驚きました!
見てると、オープンとともに、次から次へと客がやって来ます。
察するに、温泉地の泊り客ではないんですね。
わざわざ、このパンを目当てに、磯部温泉に来ているようです。
さっそく僕も、買って食べました。
名物は、温泉マークの焼き印が押されたオリジナルの 「おやきパン」 です。
中身は 「つぶあん」 「野沢菜」 「きんぴら」 の3種類。
僕は 「野沢菜」 をいただきましたが、おいしかった!
でもね、「おやき」 ではありません。
「おやき風」 のパンなんです。
だから食感は、ふんわり、モチっとしています。
一番人気は 「きんぴら」 のようで、すぐに売り切れてしまいました。
他にも、みそパン、ぶどうパン、バターブレッド、チーズパン、キーマカレーパン、ウィンナーエピ……などなど。
小さなパン屋さんだから、女将の気分次第で、不定期でいろいろなパンが登場します。
ので、毎日来る客が多いらしいですよ。
店舗は、旅館の別館をリニューアルした玄関の向かい。
路地に面した窓から販売するキッチンカースタイルです。
ぜひ、磯部温泉に行った際は、お立ち寄りください。
女将さん、やったね!
長年の夢が叶ったね!
すごいよ!
カッコイイよ!
また、買いに行きます。
「やどパン」
●営業/10時~売り切れまで
●定休/水曜・土曜
●場所/群馬県安中市磯部1-13-22 (磯部温泉)
●問合/TEL.027-385-6534 (小島屋旅館内)
2024年11月16日
逃げるが勝ち
<つらいときは、逃げてもいいんだ―――。
そんな認識がだいぶ広がりをみせている。命より大事なものなど、この世にはない。つらいときは、誰にも気兼ねすることなく、その状況からの脱出をはかるべきである。>
( 「はじめに」 より)
思えば、僕の人生も逃げてばかりでした。
学校の勉強と規則から、社会の常識と偏見から、家族の束縛と責任から……
そして、今でも世間のしがらみから逃げ続けています。
でもね、僕の逃避癖なんて、かわいいものですよ。
文豪たちに比べればね。
真山知幸・著 『逃げまくった文豪たち』 (実務教育出版)
まあ、笑っちゃいます!
勉強、学校、恋愛、家族、仕事、お金……
とにかく、逃げて逃げて逃げまくる文豪たちに、開いた口が塞がりません。
完全に社会人失格の面々。
でもね、文豪たるもの、そのくらい我がままじゃなければ、名作を世に残せないといことなんですね。
たとえば、石川啄木は、自分の結婚式をドタキャンして、逃亡します。
5日後に、一人で式を挙げた妻の前に、ひっこり顔を出します。
ところが妻は啄木に、こう言うんですね。
「私はあくまでも愛の永続性を信じたい」
まー、良くできた妻です。
でも凡人は、マネしないほうがいいですね。
たとえば、壇一雄は、自殺願望の強い友人の太宰治を置いて、逃げます。
寒い晩のこと。
店で呑んだ後、いつものように2人はアパートで、呑み直しながら、「自殺するなら、どんな方法が簡単か?」 について語り合います。
結果、酩酊状態の2人は、ガス管をくわえて寝てしまいます。
途中で壇は目が覚め、太宰を置いて、自転車で女のところへ逃げてしまうんですね。
この時、太宰は助かったのですが、太宰は太宰で、壇を置いて逃げたことがありました。
これが有名な 「熱海事件」 です。
壇は太宰の妻に頼まれて、熱海の旅館まで、お金を届けるのですが、2人は大酒を呑んで、遊女屋にくり出して、金を使い果たしてしまいます。
これでは、せっかく壇がお金を届けた意味がありません。
話し合った結果、今度は太宰が東京へ金を借りに行くことになり、壇が旅館に残りました。
ところが、太宰は、そのまま戻らなかったといいます。
のちに、この事件が 『走れメロス』 を書くきっかけになったといいますから、何が功を奏するか分かりませんね。
本書では、こんな45人の文豪たちの逃亡劇が、満載です。
夏目漱石、志賀直哉、芥川龍之介、島崎藤村、田山花袋、森鴎外、江戸川乱歩、幸田露伴、坂口安吾、室生犀星、萩原朔太郎、中原中也、宮沢賢治……
もう、みんなみんな、逃げて、逃げて、逃げまくります。
でも、この本の秀逸なところは、巻末に、まるで付録のように付いている 「逃げなかった文豪たち」 なんですね。
「文豪=だらしない」
そんなイメージとは、ほど遠い、真面目で、勤勉で、責任感があり、最後まで逃げなかった文豪たち。
彼らのほうが、よっぽどヘンタイなのかもしれませんけどね。
興味を持った人は、ぜひ、ご一読を!
2024年11月15日
宇宙人の忘れ物
中之条町観光大使からのお知らせです。
というか、先日、呑み会で大変盛り上がったテーマなので、ぜひ、紹介します。
突然ですが、「チャツボミゴケ」 って、知っていますか?
漢字では 「茶蕾苔」 と書きます。
コケの一種で、ウロコゴケ目ツボミゴケ科に属します。
なんといっても、このコケの特長は、その自生している環境にあります。
強い酸性の温泉水が流れる場所のみ育ち、世界中にある約1,800種のコケの中で、最も耐酸性の強いコケなんだそうです。
ふつうの生物ならば生きられない環境に自生しているのですから、ほぼエイリアンのような生き物ですね。
日本国内で自生しているのは、群馬県中之条町(旧六合村) と九州熊本の阿蘇だけ。
中之条町には、日本最大級のコロニーが形成されています。
(平成29年2月に国の天然記念物に指定されました)
僕が 「チャチボミゴケ公園」 を取材で訪れたのは、20年以上も前のことです。
当時はまだ公園として整備されていませんでした。
かつての 「群馬鉄山」 という鉱山の採掘跡地だったんです。
特別に許可を得て、敷地内に入った記憶があります。
「穴地獄」
それが当時の名称でした。
露天掘りによる “窪み” に自生するチャツボミゴケが、緑色のビロードの絨毯を敷き詰めたように、あたり一面を覆っている風景は、まるで他の惑星に不時着したよう。
足元を流れる酸性泉の川から立ちのぼる硫化水素臭が、一層、“地獄感” を高めています。
名の由来は、動物が落ちると出られなくなって死ぬからとのことでした。
「あんな地獄の環境でも生きているチャツボミゴケって、地球外生物じゃねぇ?」
「うん、エイリアンだな」
「じゃあ、なんで地球にやって来たんだろ?」
「そりゃ、宇宙人が連れて来たのさ」
「何のために?」
「ペットなんじゃねぇ?」
「そうか! 帰るときに忘れて行ったんだな」
「あれは、宇宙人の忘れ物だったんだ!」
と一同、納得した次第です。
現在は公園として整備され、誰もが散策できるようになりました。
本州唯一、最大規模の “緑の絨毯” が広がる幻想的な宇宙的光景は、息をのむほど美しく、圧巻です。
まだ未体験の人は、一度、「宇宙人の忘れ物」 を目撃してください。
チャツボミゴケ公園
●場所/群馬県中之条町大字入山13-3
●開園/4月~9月 (8:45~15:30) (10月~11月 8:45~15:00)
●休園/12月~4月下旬 (冬季閉園)
●料金/600円 (小学生以下無料)
●問合/チャツボミゴケ公園 TEL.0279-95-5111
2024年11月14日
歩行弱者になって分かったこと
「変形性膝関節症」
そう診断されて1週間が経ちました。
昨日、ヒザに2回目の注射を打ってきました。
1カ月以上前のある日のこと。
突然、左ヒザに痛みを感じるようになりました。
最初は、ヒザを曲げるときと伸ばすときに、痛みが走るくらいでしたが、日を追うごとに、ジッとしていても痛み、やがて歩行すら困難になってしまいました。
意を決して専門医を受診すると、冒頭の病名を告げられた次第です。
(2024年11月6日 「老化じゃないってさ」 参照)
治療の成果もあり、おかげさまで今は、だいぶ痛みはやわらいで、ぎこちないまでも、幼児のヨチヨチ歩きくらいはできるようになりました。
それでも不便はしています。
何といっても、難所は階段です。
僕の仕事部屋は、我が家の2階です。
なので、ついつい、上り下りを避けて、外出を避けるようになってしまいました。
だって、我が家の階段には、手すりが付いてないんですもの。
ああ、「手すりが欲しい!」 と、つくづく思っています。
それでも仕事は続けているので、どうしてもというときは外出しています。
まぁ、今の車はオートマですからね。
左足は使いませんので、運転は可能です。
(クラッチのあった時代ならアウトでした)
それでも出先では、難儀しています。
やはり、階段です。
スロープがある施設では、段差のないスロープを利用しています。
(あれって、車イスのためだけじゃなかったんですね)
一番助かっているのは、トイレです。
今さらながら洋式トイレって、本当に便利で、実に体に優しいトイレだと、感心しながら感謝しています。
もし、和式だったら?
と思うと、ゾッとします。
(トイレで排せつできずに、毎日、う●こまみれになっていたと思います)
で、ある疑問が浮かびました。
えっ? てことは、昭和の時代、いや、それ以前の日本人は、足の悪い人は、どうやって排せつしていたのだろうか?
(便器をまたいで、立ったまましたの?)
どなたか知っている人がいたら、こっそり教えてください。
ということで、歩行弱者になって分かったことが、たくさんありました。
まさに 「ケガの功名」 で、人生には、何一つ、無駄がないということですね。
辛抱強く、治療に専念したいと思います。
2024年11月12日
Never give up!
なんて世の中は、無情なのだろう。
ある日の新聞の 「おくやみ欄」。
105歳の老女と3歳の男児が、同じページに記載されていました。
年の差、102歳。
それでも同じ一生です。
91歳で他界したオフクロに、生前、こんなことを訊いたことがありました。
「人生って、長いんかい? 短いんかい?」
するとオフクロは、しばらく考えてから、こう答えました。
「長いっていえば長いし、短いっていえば短いね」
まるで禅問答のようですが、きっと、これが正解なんでしょうね。
一生の長さなんて、みんな違うんだもの。
そう言えば、僕が敬愛する文人たちは、みんな短命でした。
若山牧水44歳、坂口安吾49歳、夏目漱石49歳、萩原朔太郎56歳、田山花袋58歳……
石川啄木なんて、26歳です。
人生100年時代の今なら、彼らの倍近くは生きられます。
生きられるのは生きられるのですが、それで、いったい何を残せるのか?は疑問です。
人生は、長ければいいというものでもないような気がします。
文人たちのように、太く短く生きるのか?
名もなくとも、細く長く生きるのか?
その人の人生の長さを決めるのは、たぶん神様です。
神様が 「コイツは、もう十分に生きた」 と思えば、死を告げます。
逆に 「コイツは、まだまだ、やることがあるだろう」 と思えば、生かされます。
ということは、生きていることには意味があるということです。
やることがあるのです。
逆に歴史に名を残す偉人たちの多くは、早熟なゆえに人生の前半で 「やること」 を見つけてしまい、成しとげてしまったということでしょうか?
いずれにせよ、神様が判断を下すその日まで、Never give up!
2024年11月11日
熱くなけりゃ、湯宿の湯じゃねえ!
<源泉の温度は約62度。加水せずに浴槽へ流し入れているため、もちろん熱い。「熱くなけりゃ、湯宿の湯じゃねえ」 と地元の人が口をそろえて言うくらい、熱い。>
( 『群馬の小さな温泉』 より)
今日は 「みなかみ温泉大使」 からのお知らせです。
湯宿温泉 (みなかみ町) という小さな温泉地を知っていますか?
「ゆやど」 じゃありませんよ!
「ゆじゅく」 と読みます。
ファンからは漫画家、つげ義春が愛した温泉地として、“聖地” となっています。
また、マラソンの瀬古利彦選手が、合宿していた温泉地としても知られています。
えっ?
かなりマニアックだって!?
ですね、まあ、知る人ぞ知る秘湯ということです。
が、国道沿いにあるため “秘湯感” が、まったく無いのが残念なところです。
ところが、その残念なところに目を付けた人たちがいました!
住民有志による団体 「ゆじゅくリノベ」 です。
メンバーは、みんな移住して来た人たちなんですね。
「温泉旅館と飲食店が数軒あるのみで、空き家が目立つ」
「温泉地として気づかずに通り過ぎてしまうほど静か」
という欠点さえも、彼らは忖度なくPRに活用しています。
そして、ウェブサイト 『のぼせる湯宿』 を立ち上げました。
ネーミングが、しびれるじゃありませんか!
「のぼせる」 ですよ。
「熱くなけりゃ、湯宿の湯じゃねぇ!」 という地元の人の声が聞こえてきます。
自虐もまた、これ長所なり。
いえいえ、彼らにはネガティブな要素も、新鮮で魅力的に映るんですね。
実は、このタイトルには 「湯宿の魅力に、のぼせ上ってください」 というメッセージが込められているとか。
記事の内容も、プロのライターを使わずにメンバーが、見たまま、感じたままを飾らない表現で書いているのが、いいですね。
なせ、群馬に移住したのか?
なぜ、それも湯宿温泉なのか?
これからも彼らの “外からの目” と “内からの目” に注目したいと思います。
2024年11月10日
コペル君との再会
<コペル君は中学二年生です。ほんとうの名は本田潤一、コペル君というのはあだ名です。>
そんな 「まえがき」 から始まります。
『君たちははどう生きるか』
令和の現代では、ほとんどの人が宮崎駿監督の同名映画を思い浮かべるでしょうね。
宮崎監督もリスペクトを公言しているので、ご存じの人も多いと思いますが、タイトルの元ネタは昭和12(1937)年に出版された小説です。
吉野源三郎・著 『君たちはどういきるか』 (岩波文庫)
を半世紀ぶりに再読しました。
もちろん映画も観ました。
でもね、原作ではないと分かっていてもタイトルが同一という概念に引きずられてしまい、違和感が先行して僕には理解不能でした。
(当ブログの2023年7月27日 「僕はどう生きてきたか」 参照)
一方、小説の 『君たちはどういきるか』 には、強烈な記憶があります。
僕は、主人公のコペル君と同じ中学生の時に読みました。
ちなみに 「コペル」 というのは、コペル君の叔父さんが、コペルニクスになぞって付けた名前です。
それだけコペル君は好奇心旺盛で、様々な物事に疑問を抱き、それらを自分のなりの推理をして、解き明かそうとします。
その指南役が、叔父さん (コペル君のお母さんの弟) です。
半世紀以上も前に読んだ本なのに、今でもキョーレツに残っているシーンがあります。
それは、叔父さんが話すニュートンの話です。
ご存じニュートンは、リンゴが木から落ちるのを見て万有引力を発見しました。
では、どうやって発見したのか?
叔父さんの話が、そそります。
リンゴはニュートンの目の前に、高さ3~4メートルから落ちました。
凡人には 「リンゴが落ちた」 だけに過ぎませんが、ニュートンは、その高さを、どんどん伸ばして行きます。
10メートル、100メートル、200メートル……
やはり、リンゴは落ちます。
ところが何万メートルをさらに超えて、月の高さまで伸ばして行くと……
すると、リンゴは落ちてこないことに気づきました。
「なぜだろう?」
このようにニュートンは推理を重ねていき、万有引力を発見します。
ワクワクした記憶が、よみがえりました。
この歳になって僕は、またコペル君に会いました。
縁とは不思議な物で、あの頃は同学年だったコペル君は、今は50歳も年下になっていました。
そして相変わらず彼は、悩み苦しみ、泣きながらも、叔父さんやお母さん、友だちに支えられながら生きてました。
コペル君、また会えたね!
僕は、ずいぶんと大人になってしまったけど、君の気持が痛いほど分かったよ。
人は歳を重ねても、迷うときは迷うし、苦しいときは苦しいんだよね。
だからコペル君同様に、これからも僕は悩み続けます。
「どう生きるか」 ってね。
名作とは、時代を超えても色あせないものです。
2024年11月09日
露天風呂には危険がいっぱい!
この国には、春と秋がなくなってしまったんでしょうか!?
ついこの間まで夏だと思っていたのに、突然、この寒さです。
秋を感じる間もなく、防寒具と暖房機器の登場です。
まあ、あの死にそうな酷暑に比べれば、寒さのほうが耐え忍べますから、僕的には冬は嫌いではありません。
ただ冬は、夏の熱中症以上に危険が潜んでいます。
そう、ヒートショックです!
寒い冬、暖かな部屋からトイレや浴室などへ移動すると、血圧が急に上昇して、脳梗塞や心筋梗塞を起こす恐れがあります。
また入浴による急激な血圧の低下により、脳貧血を引き起こし、風呂から出た瞬間に立ちくらみやめまいを生じて転倒して、ケガをする原因にもなります。
これが、ヒートショックです。
知っていましたか?
実は全国で年間約1万7,000人の人が、入浴中にヒートショックで急死しています。
この数は、なんと! 交通事故死の4倍に値します。
とくに僕が声高に注意したいのは、温泉好きのみなさんに対してです。
真冬の露天風呂に入るのはやめましょう!
なに? どうしても露天風呂に入りたいって?
露天風呂がなければ温泉じゃないって?
まあ、そういう人たちは、死を覚悟して入っていただくしかないのですが、防衛策は無きにしも非ずです。
ということで次回、僕が出演するエフエム群馬 『news ONE』 では、「ヒートショックに御用心!」 というテーマで、冬場の温泉の入り方についてお話しします。
ぜひ、ご聴取ください
■放送日 11月13日(水) 18:37 頃~
■放送局 FM GUNMA (86.3MHz)
■番組名 『news ONE』 月~水 18:00~18:55
■出演者 岡部哲彦 (アナウンサー)、小暮 淳 (温泉ライター)
2024年11月08日
幸せになろうよ
先日、初めて行った病院で、次回の診察予約を取ろうとしたら、
「スマホからラインでお願いします」
と言われてしまいました。
聞けば、電話や窓口での予約は一切、受け付けていないといいます。
僕の場合、スマホは持っていませんがパソコンはありますので、なんとか予約を取ることはできましたが……
過日、洋風居酒屋でのこと。
テーブルにメニューは置いてなく、QRコードが印刷された紙が置いてあるだけでした。
注文は、すべてスマホから。
しかも、店員を呼ぶのもスマホからです。
まあ、僕はスマホを持っていませんが、同伴者たちが対応してくれたので、問題はありませんでしが……
大変な世の中になりました。
キャッシュレスも進んでいます。
なのに新紙幣が発行されたりと、訳が分かりません。
生きづらい世の中になりましたが、快適に生きて行く方法なら、いくらでもあります。
今日は、僕が昔から実践している 「幸せになる方法」 について、少しお話しします。
僕は子どもの頃からチームプレーが苦手でした。
だからスポーツも個人競技しかやったことがありません。
当然、大人になっても組織が苦手ですから、会社勤めは続きません。
唯我独尊といえば格好がいいのですが、それほど強くはありません。
要は、人と比べたり、人と比べられるのが、体質に合わないのです。
自分は、常に唯一無二のオンリーワンの存在でいたいという防衛本能が働いてしまいます。
でもね、この防衛本能のおかげで、今日までストレスもなく自由に生きて来れました。
もし、人と比較して生きていたら……
考えただけで、ゾッとする人生を送っていたと思います。
こんなアンケート結果があります。
年代別の 「あなたは今、幸せですか?」 というアンケート結果です。
もっとも低かったのは、何十代と思いますか?
男女とも40代です。
しかも、47歳が最も低かったといいます。
なんでだと思いますか?
仕事や家庭や子育ての真っ最中で、自分や自分の家族を常に他人や社会と “比べる” 年代だからだそうです。
一方、「幸せ」 と答えた人が最も多かったのは、男女とも80代です。
理由は、もうお分かりですよね。
他人と自分を比べなくなる年代なのです。
健康で不自由なく、三度の食事を摂れていることに感謝できるようになる年代といえます。
「生きてるだけで丸儲け!」 ってやつです。
総括です。
40代は他人を見ているのに対して、80代は自分を見ているということになります。
いかに、他人と比較することが不幸を招くかが分かります。
暮らしが便利になることは、いいことなのですが、あまり気にして合わせ過ぎると、幸せが逃げて行ってしまいますよ。
もっと幸せになろうよ!
2024年11月07日
木部さん、やってくれましたね!
木部さんが小説を書いたというので、さっそく買って読みました。
元新聞記者で群馬在住のジャーナリスト・木部克彦さんと初めてお会いしたのは、かれこれ15年ほど前のこと。
群馬県内の新聞、雑誌、テレビ、ラジオなど、メディアに関わる人たちの懇親会に参加した時でした。
ちょうど僕は 『群馬の小さな温泉』 (上毛新聞社) を、木部さんは 『群馬の逆襲』 (彩流社) を出版した年でした。
初対面のあいさつは、互いに 「本、売れてますね」 という、ほめ合いだったことを覚えています。
その後、何度となく懇親会で顔を合わせ、話が盛り上がると、居酒屋で杯を重ねました。
あれは2012年の夏のこと。
突然、木部さんから電話がありました。
「今度、『群馬の逆襲』 の続編が出るんだけど、小暮さんのことを書かせてよ」
「えっ、俺なんかでいいの?」
「お願い、新たな “逆襲の刺客” として登場して」
ということで、『続・群馬の逆襲』 (言視舎) の中で、「GO! GO! 温泉パラダイス」 というタイトルで5ページにわたり、僕のことを書いてくださいました。
そんな縁もあり、彼の家にもお邪魔して、料理研究家としての顔も持つ彼の手料理をいただいたりと、交流を深めてきました。
そんな木部さんが、このたび小説を書きました。
『群馬が独立国になったってよ』 (言視舎) 定価 (本体1800円+税)
タイトルを読んで分かるように、完全なる 『群馬の逆襲』 の小説版です。
しかも、喜劇!
<202X年X年X日、突然、群馬が独立国に!――魅力がないなどと根拠のない誹謗を受けつづけるいわれはない。社会の格差は広がるばかり、政治は機能せず、衰退する一方の日本には未来はない、いっそ独立するべぇ!> (帯コピーより)
奇想天外、荒唐無稽、前代未聞のドタバタ劇は、まさに映画 『翔んで埼玉』 の群馬版。
いやいや、それ以上に、説得力と現実味にあふれている作品です。
独立した理由がすごい!
ブータンのように 「国民の幸福度世界一」 になるためなんです。
そのために、大統領は公選で報酬は月15万円、国会議員は 「くじ引き」 で選ばれた有償ボランティア。
人口約200万人の小さな国だからこそできる年金制度、食料自給率100%以上を目指します。
なんといっても物語の白眉は、群馬県を見下していた首都圏連合軍 (東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県) との攻防戦です。
都内の大学の群馬出身の受験生に対する圧力や、海なし国の群馬へ海産物の流通を止めるという嫌がらせに対して、群馬国も黙っていません。
下仁田のネギやこんにゃく、嬬恋のキャベツ、安中の梅などの輸出を中止します。
笑っちゃうのが、農産物だけでなく、 ガトーフェスタハラダのラスク、ハーゲンダッツのアイス、ヤマダ電機の電気製品、スバルの自動車までも群馬国外の価格を割高にして売るという徹底作戦に出ます。
極めつけは、利根川の水を東京都へ流れないようにするという秘策です。
さて、その結末は?
あなどるなかれ、群馬国!
それにしても木部さん、あなたはどんだけ群馬が好きなんですか!?
恐れ入りました!(脱帽)
2024年11月06日
老化じゃないってさ
ウォ―ン、ウォ―ン、ボォ―、ボォ―、ボォ―
ウォ―ン、ウォ―ン、ボォ―、ボォ―、ボォ―
大きな機械音の中、生まれて初めて、MRI 検査を受けてきました。
一時は回復へ向かったと思われた左ヒザの痛み。
やっぱり素人判断は、いけませんね。
今週になり、痛みが増しただけでなく、左ヒザが右ヒザよりも1.5倍くらいに腫れあがってしまいました。
もちろん、歩行すら困難です。
(これまでの経過は、2024年11月1日 「ジジイの証拠」 参照)
「こりゃダメだ! 腹をくくって専門医を受診するしかない」
と、弱気な自分を鼓舞しながら、意を決して整形外科病院へ行ってきました。
レントゲン撮影、MRI 検査の結果、「変形性膝関節症」 と診断されました。
変形性膝関節症とは、関節に負担がかかり関節軟骨の一部が、すり減ってしまい、動きが悪くなっている状態とのことです。
どうりで、痛いわけです。
「先生、やっぱり老化ですか?」
「いや、小暮さんの場合は違いますね」
「!(ホッ)」
「衝撃を受けた跡があります。事故とかケガとか、心当たりはありませんか?」
「……」
これが、いくら思い返して、心当たりがないのです。
「おかしいですね、打撲の跡もあります」
「はい、それには気づいていました」
膝の側面に青アザがあり、押すと痛かったのは事実です。
「では様子を見ましょう。そこに横になってください。注射をしますから」
えっ、えっ、聞いてないよ~!
ヒザに注射? それもヒザ小僧の皿の下に?
痛いのかな? 痛くないのかな?
なんて戸惑っているうちに、ヒアルロン酸を1本、打たれてしまいました。
「これで痛みは治まりますが、症状が治ったわけではありませんからね。運動等は避けてください」
「分かりました」
「では、また来週来てください。お大事に」
えっ、これで終わりじゃないんだ?
看護師さんの説明によれば、「これから毎週、注射を打ち続ける」 とのこと。
「痛みなどの症状がとれても、決して自分の判断で治療を中止しないこと」 と釘を刺されました。
ところで、症状自体は “老化” ではないと言われたのですが、その原因が、どうしても思い出せません。
もしかして、ヒザは老化してないけど、脳が老化しているっていうことですかね?
あ~、イヤだイヤだ!
「歳は取りたくないよ~」 が口癖だったオフクロの言葉が、よみがえります。
2024年11月05日
年代がバレる 「ち」 の札
群馬県の人口減少が止まりません!
今年10月1日時点の県人口は188万425人で、早くも189万人を割り込みました。
昨年12月に39年ぶりに190万人を切り、わずか1年で、さらに1万人近くも減少しました。
県人口のピークは平成16(2004)年の203万5477人です。
そこからは下降の一途をたどっています。
我々群馬県民に馴染み深い 『上毛かるた』 には、唯一、読みが変わる札があります。
「ち」 の札です。
200万人を突破した翌年の平成5年からは、長らく 「力あわせる二百万」 でした。
が!
昨年190万を切ったため、今年からは 「力あわせ百九十万」 に変更されています。
人口が多ければ良いってわけじゃありませんけど、なんだか淋しいですね。
何よりも気にかかるのは、増加よりも減少のスピードのほうが速いということ。
40年近くかけて増えた人口が、わずか20年で減少し、さらに加速しています。
このままのスピードで行くと、次に、かるたの札が 「力あわせる百八十万」 に改定されるのは10年後ということになります。
ちなみに、『上毛かるた』 の 「ち」 の札の人口増加の推移は、下記のとおりです。
昭和22(1947)年~ 「力あわせる百六十万」
昭和48(1973)年~ 「力あわせる百七十万」
昭和52(1977)年~ 「力あわせる百八十万」
昭和60(1985)年~ 「力あわせる百九十万」
平成5年(1993)年~ 「力あわせる二百万」
令和6年(2024)年~ 「力あわせる百九十万」
覚えたかるたの札により、年代がバレてしまうというのも面白いですね。
ちなみに僕は、もっとも古い 「力あわせる百六十万」 でした。
あなたは、何万でしたか?
2024年11月04日
二刀流と二党流
こういう状態を “ロス” っていうんでしょうね (ロサンゼルスだけに)。
米大リーグのワールドシリーズをドジャースが制覇しました。
地元ロサンゼルスでの優勝パレードの映像を見ながら、喜び半分、淋しさ半分を感じた人は僕だけではないはずです。
スーッと秋風が吹いた瞬間でした。
暑い、熱い、「大谷の夏」 が終わりました。
まさか60歳を過ぎてから、こんなにも野球が面白いと感じるとは……
だって生まれてこの方、野球なんて、まったく興味を持ったことがありませんでした。
テレビで見たことがあるとすれば、高校野球で地元の高校が優勝した年のスポーツニュースくらいのものです。
子どもの頃、巨人ファンのオヤジは、毎日、テレビの野球中継を見ながら晩酌をしていました。
当時、テレビのチャンネル権は、絶対的に家長のものでした。
しかも、テーブルをはさんだテレビの正面がオヤジの指定席で、その席には他の家族は座ることも触れることもできません。
「ああ、今日も野球か……」
ゴールデンタイムを陣取ったオヤジの背中に、ため息をつきながら泣く泣く茶の間を後にしたものです。
なんで、あんなスポーツが面白いんだろう?
攻撃と守備に分かれていて、ベンチで休んでいる選手もいて、何時間もタラタラと試合を続けている野球の、どこが面白んだ?
サッカーやバスケットやバレーのように、チャッチャカ、チャッチャカ動けばいいのに……ってね。
野球をやった経験でもあれば、その面白さが分かるのでしょうが、僕には理解不能の世界でした。
その食わず嫌いの偏見を変えてくれたのは、大谷翔平です。
きっと日本全国には、僕のような野球オンチたちが大谷翔平見たさに今年は、“野球” をテレビ観戦したことでしょうな。
野球には興味がないけど、野球のことは分らないけど、大谷翔平は見たい!
まさに、唯一無二のスーパースターです。
来年は、いよいよ二刀流が復活です。
まさに、大谷翔平の “一挙手一投足” に注目が集まります。
僕も来年は、負けじと “二党流” で応援したいと思います。
もちろん、ウィスキーと日本酒の二党流です。
♪ 春よ来い 早く来い 野球覚えたジュンちゃんが グラスと猪口を携(たずさ)えて 肝臓鍛(きた)えて待っている ♪
2024年11月03日
舞台がある限り謎は解ける!
民話や伝説は99%が噓である。
しかし、舞台があれば1%の真実にたどり着ける。
荒唐無稽な民話や伝説の世界。
巨人や妖怪など、架空の生物が登場する話も多い。
では、なぜ、そのような創り話が生まれたのか?
その謎を追うため、僕は10年以上前から 「謎学の旅」 に出かけています。
自称、謎学ハンターであります。
現在、俗に言われる “入水伝説” を追っています。
全国の湖沼に伝わる 「竜神伝説」 です。
お姫様が、ある日、山に登り、湖に身を投げ、竜 (または大蛇) になってしまう話です。
これらの伝説は、舞台は異なっても一様に物語は似ています。
何のオチもありません。
それが、民話や伝説だからです。
でも、さらに深く調べ、時代背景や登場人物を考察していくと、ハッとする瞬間に出くわすことがあります。
「もしかしたら……」 という自分の勘を頼りに、再度、物語を構築し直すと、思わぬ真実にぶち当たることがあります。
鳥肌が立つ瞬間です。
この一瞬の快感と達成感のために、僕は旅を続けています。
昨日、降りしきる雨の中、群馬県東部の山中にある寺院を訪ねました。
1200年前、弘法大師が東国遊化の折に、薬師仏を刻み開創したと伝わる古刹です。
この寺に、赤城山中の小沼(この)で入水した娘の遺品が保管されているというので、第57世住職に話を聞いてきました。
(関連ブログ=2024年10月12日 「身を投げた娘が沼に残した物」 参照)
住職の話には、説得力がありました。
なぜ、ここに娘の遺品があるのか?
時系列に歴史の筋道をたどりながら、この寺に遺品がやって来るまでの過程を、ていねいに話してくださいました。
でも、僕の中には、腑に落ちないものがありました。
まだ、どこかに伝説のからくりがあるように思われるのです。
だって、娘は入水したんですよね?
だったら身に着けていた遺品は、湖底に沈んでしまっているはずです。
誰が、湖底から引き揚げたんでしょうか?
みなさんは、伝説だからしょうがないって思いますか?
それも99%の嘘のうちだって?
でもね、まだ1%の真実が見つかっていないんですよ!
真実の扉は、たぶん、この遺品の出どころにあると思うんです。
すると、住職は、こんなことを話しを始めました。
「これは、異説なんですけどね……」
エ―――――ッ !!!!
「娘は死んでいない!? この伝説自体が、すべて、ねつ造だった!? それも、ある事実を隠すための偽装工作だった!?」
謎学の旅は、つづく。
(この真相は、12月20日号の 「ちいきしんぶん」 に掲載されます)
2024年11月01日
ジジイの証拠
車には車検があります。
人にも健診があります。
でも人の体は車のように、劣化して故障したパーツを交換することができません。
一生、大切に使い切るしかないのです。
これを老化といいます。
イタ、イタタタタタ―――――ッ!!!!
突然、その痛みは、やってきました。
左足の膝関節に激痛が走りました。
足を曲げては、ズキン!
足を伸ばしては、ズキン!
でも、曲げてしまえば大丈夫。
伸ばしていれば、問題ありません。
歩くことも、なんとかできます。
だましだまし、この数週間を過ごしてきました。
ところが昨日、今までにない痛みが!
ついに医者へ行ってきました。
気心知れた、かかりつけ医です。
「ハハハ、ジジイになったってことだよ」
と笑い飛ばされ、薬を出してもらいました。
「これで治まらないようなら、専門医を紹介するから様子をみて」
一晩、寝て起きると、薬が効いているのでしょう?
今日は、だいぶ歩行が楽なりました。
でも、この体、60年以上も使っているんですよね。
一度もメンテナンスしていないし、パーツの交換もしていません。
車なら、とっくに廃棄処分のポンコツです。
「あ~あ、ヤダヤダ。歳は取りたくね~」
そう言いながら、ヒザをさすっていたオフクロの顔が浮かびます。
老いては医者に従え
回復を願いつつ、老化したパーツを大切にして生きていこうと思います。
廃棄処分されないように……
2024年10月30日
おっちょこちょいのオバケ
先日の中川李枝子さんの後を追うように、また児童文学の巨星が逝ってしまいました。
絵本作家のせなけいこさんです。
92歳でした。
中川李枝子さんの本は、僕自身の子どもの頃の思い出でした。
(2024年10月9日 「エルタのいた庭」 参照)
でも、せなけいこさんの絵本は、大人になってからの思い出です。
今から40年ほど前のこと。
夢破れて都落ちした僕は、一時、実家で暮らしていました。
その時、兄夫婦の都合により、4歳の姪っ子を両親が預かることになったのです。
必然的に、当時無職だった僕が、姪っ子のお守り役を命じられました。
公園へ連れて行ったり、本を読んであげたり、一緒に昼寝をしたり……
なかでも姪っ子のお気に入りは、絵本の朗読でした。
といっても僕が読み聞かせするのではなく、姪っ子自身が読んで、それに僕がギターでBGMを奏でる。
または僕のギターの伴奏に合わせて、姪っ子がメロディーをつけながら絵本を歌い上げるのです。
姪っ子のお気に入りは、せなけいこさんの 「めがねうさぎ」 シリーズ。
中でも 『おばけのてんぷら』 という絵本は、毎日読んでいました。
だから僕も、すっかり内容は覚えてしまいました。
主人公のうちこちゃんが天ぷらを揚げていると、驚かそうとしてやって来たオバケが、うっかり天ぷらのころもの中に落ちてしまいます。
そうとは知らずに、うさこちゃんはオバケを箸でつまんで油の中へ!
さあ、そのあとは、どうなってしまうのでしょうか?
気になる方は、ぜひ、ご一読ください。
数年前の正月のこと。
「叔父さん、『おばけのてんぷら』 のカセットテープが出てきたよ」
姪っ子は、そういってレコーダーで再生しました。
♪ お~ば~け~の~て~ん~ぷ~ら~ ♪
甲高い子どもの声が流れてきました。
ギターの音も聴こえます。
「叔父さん、覚えている?」
「ああ、懐かしいね」
と言って笑いました。
そんな姪っ子も、今では一児の母であります。
おっちょこちょいのオバケの話は、僕と姪っ子の大切な思い出となりました。
せなけいこさん、ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
2024年10月29日
秀作は盃の数より生まれ
天高く 肝臓冴える 酒徒の秋
待ちに待った秋が、やって来ました。
食欲の秋、芸術の秋、スポーツの秋……
秋の楽しみは色々ありますが、やっぱり、のん兵衛は 「酒徒の秋」 であります。
まあ、僕の場合、1年365日、酒は欠かさないので、秋だけに限ったことではないのですが、それでも秋は格別、酒がうまく感じます。
主役も変わるんですね。
暑い夏はビール、寒い冬は日本酒がメインですが、この時季は、がぜんウィスキーです。
あの琥珀色が、秋の気配に似合うんでしょうな。
カラカラとグラスの氷を揺らしながら夜長を過ごすのは、至福の時間であります。
そうなると、お伴が必要となります。
僕の場合、長年の友は、読書です。
「読書の秋」 と 「酒徒の秋」 という二大スターの共演です。
酒を呑みながら読む本とは?
ミステリーやエッセイもいいですが、そのものズバリ! 酒の本というのも乙なものであります。
文豪たちの酒にまつわる随筆がお気に入りですが、今日は、ちょっと変わった酒の本を紹介します。
『日本酒の愉しみ』 文藝春秋編 (文春文庫)
日本酒の造られ方から有名蔵元のルポと、酒好きには読んでいて飽きないのですが、僕が興味を抱いたのは、著名人たちの酒にまつわるエピソードです。
中でも、日本映画界の巨匠・小津安二郎監督の愛し方が秀逸です。
昭和30(1955)年、脚本の執筆拠点を茅ヶ崎から長野県の蓼科へと移し、晩年まで続けました。
生前の小津監督を知る地元の人たちの話によれば、「いつも酔っぱらっているヘンなオヤジ」 だったといいます。
その呑んだ量も半端なかったようで、シナリオ制作中は、空にした一升瓶に番号を付けて並べ、仕事の進行の目安にしていたという。
当時の日記には、こう記されています。
<酒を汲む杯の数少なければ、秀作は生まれぬべし。秀作は盃の数より生まれ、なみなみと盃に酒は満つ可(べ)し。>
恐れ入りました!
巨匠たるもの酒豪なくして、名作は生まれないのですね。
その酒の名は「ダイヤ菊」。
長野県茅野市の地酒であります。
さて、どんな味なのか?
近々、手に入れて、巨匠気分を味わいと思います。
読者の中で、呑まれた人がいましたら、ぜひ感想をお寄せください。
2024年10月27日
拾活
拾活を始めました。
えっ? 「終活」 じゃないのかって?
いえいえ、僕の場合、「拾活」 なんです。
僕は若い頃から自分の人生を、農業に例えてきました。
10代は、土地探し。
20代は、開墾。
30代は、土壌づくり。
40代は、種まき。
50代は、発芽、生育。
そして、60代は収穫です。
まさに、そのように僕の人生は推移しています。
では、なぜ、そんなにもロングスパンで、人生を捉えるようになったのか?
多分ですが、若い頃から周りの人に 「君は大器晩成だ」 と言われ続けていたからかもしれません。
親や兄からも言われた記憶があります。
きっと、刷り込まれていたんでしょうね。
自分は天才じゃない。
人並優れた才能もない。
だったらコツコツと生きるしかない。
そう、のんびりと構えるようになり、「一生をかけて、この人生を完成させればいい」 と思うようになりました。
まあ、本音を言えば、予定より “発芽” と “生育” の時期が大幅に遅れてしまったのですが……
それでも、なんとか還暦を過ぎた頃から少しずつですが、実った作物を収穫することができるようになりました。
収穫量は普通の人 (定年退職をしたサラリーマン) に比べると、まだまだ少ないのですが、なんとか食べていけるだけの収穫は維持しています。
で、収穫した際に、本来ならば廃棄してしまう商品価値のない作物 (僕の場合、原稿にならなかった事柄等) というのが、必ず残るんですね。
捨ててしまうには、もったいないし、しのびない。
どうにか、これらに命を吹き込んで作品として世に出してあげられないものか?
そして、考えたのが、地球にも優しい 「拾活」 です。
人生を振り返って、今までは捨てていた無駄だと思った事柄を掘り起こし、それらに命を与え、世に出す作業です。
たとえば、若い頃のストリートライブなど。
たとえば、バックパッカーとしてアジアの国々を歩いたことなど。
たとえば、原稿には書けなかった取材先でのエピソードなどなど……
それらは、講演のネタにもなるし、コラムやエッセイにも成り得るのです。
料理で言えば、野菜の根っこやヘタ、皮の部分です。
調理法一つで、新たな一品料理へと変身します。
現在僕は、高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」 に、『ちょこっと小耳に』 というコラムを連載しています。
サブタイトルには、「小暮淳の取材こぼれ話」 と付いています。
これなどは、まさに土壌づくり→種まき→発芽→生育の過程で、学んだり、失敗したことなど、本来の仕事とは関係ない副産物を掘り起こし、拾い集め、素材として調理して改めて世に出すという、まさに SDGs な試みなんですね。
でも、これがとっても楽しいんです。
この手法なら年齢に関係なく、いくつになっても活用ができます。
たとえ足腰が立たず、寝たきりになったとしても、できるわけですから。
ということで、僕は 「拾活」 を始めました。