2025年01月16日
千葉県は温泉不毛地帯なのか?
千葉県から新聞が届きました。
送り主は、千葉市在住の新聞記者です。
彼は昨年春、群馬から千葉に転勤しました。
群馬では温泉地の記事を担当し、温泉の魅力にハマり、温泉ソムリエの資格まで取っていました。
そんな彼は、何かにつけ僕に電話かけて寄越し、時には酒を酌み交わし、温泉談議に花を咲かせていました。
「今度、千葉に転勤することになりました」
そう告げられた時、僕は正直、「かわいそうに」 と思ってしまいました。
だって、千葉ですよ!
温泉好きの彼にとっては、やりがいが萎えてしまうのではないかと……
すると昨年暮れに、彼から電話がありました。
「小暮さんも千葉は、温泉不毛地帯だと思いますか?」
これに対して僕は、自分なりの見解を述べました。
まず、千葉県には火山がないこと。
よって自噴する温泉が少ないこと。
たぶん現存する温泉は、平成以降の掘削により湧いた温泉が多いのではないか?
これに対して、「ですよね、やっぱり不毛地帯なんですかね」 と、電話の向こうで、しょげている彼の声が聞こえてきました。
だから僕は、言ってやりました。
「だから取材のやりがいがあるじゃないか! 徹底的に調べて、千葉の温泉記事を書いたらセンセーショナルだと思うよ」
そして先日、1月1日付の新聞が送られてきました。
2分の1面を割いた大きな特集記事です。
シリーズ 『こてらんね ~千葉は宝のもちぐされ?~』
「こてらんね」 とは、房州弁で 「たまらない」 「最高」 といった意味の方言だそうです。
千葉県は、東京ディズニーランドと成田空港、ピーナッツ、チーバくん、だけじゃないんだぞ! という記者の気概が感じられるタイトルです。
で、第1回を彼の温泉記事が飾りました。
彼は千葉の温泉ついて、つぶさに調べています。
僕の知らないことだらけでした。
たとえば、温泉地の数は83カ所 (2023年3月末) で全国10位だそうです。
「へ~! そうなんだ!」 と、ちょっと驚きです。
群馬と大差はありません。
なのに温泉県のイメージが薄い千葉県。
なぜなのか?
その謎に、記事はメスを入れて行きます。
M記者、続編を楽しみにしています。
いい温泉がたくさんあるのに、「温泉県」 になれない千葉県の秘密を解き明かしてください。
温泉ソムリエ記者だからこそ書ける記事です。
2025年01月15日
H初め
遅ればせながら、昨晩、無事に 「H初め」 を済ませました。
ほらほらほら~!
またすぐに勘違いをする!
もしかしてHを 「姫」 だと思ったんじゃありませんか?
違います!
それから 「エッチ」 ではなく、「エイチ」 です。
そう、たびたびブログにも登場する酒処 「H」 のこと。
「H」 は、その店の頭文字です。
今年は、だいぶ 「H初め」 が遅くなってしまいました。
というのも新年早々、ママが熱を出して寝込んでしまったのです。
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
のれんをくぐると、元気なママの声が返ってきました。
「なに、熱出して寝込んだんだって?」
「そうなのよ」
「インフル?」
「それがさ……」
実はママは、極度の低体温症なのだといいます。
平熱が35度くらいのため、36度を超えると体がダルくなり、37度でダウンしてしまう特異体質。
「暮れからの疲れが出たみたいね」
「だったら、良かった」
「ジュンちゃんは、元気だった?」
と言われたので僕は、こう答えました。
「元気元気、元気なおサルは、お尻が真っ赤っか~!」
するとママは、笑いながら言いました。
「あれ、おサルだったっけ?」
「そう言われると、なんだか違うような……」
「でも、“真っ赤っか” は合っているような……」
「元気なあの子は、ほっぺが真っ赤っか~。かな?」
とかなんとか、他愛のない会話から今年の “初呑み” が始まりました。
やがて一人、二人と常連客が姿を現し、いつもと変わらぬにぎやかな宴が始まりました。
酒は百薬の長、呑んで騒いで、今年も元気に過ごしましょう!
2025年01月14日
迷えぬ二十歳
一日遅れですが、二十歳 (はたち) になられたみなさん、おめでとうございます。
昨日は 「成人の日」 でした。
なんだか、ややこしいですね。
すでに成人年齢は18歳に引き下げられていますもの。
「成人の日」 は18歳を祝うのかと思えば、さにあらず。
以前同様、20歳なんですってね。
で、まぎらわしいので、全国の自治体では 「成人式」 とは言わずに、「はたちのつどい」 という名の式典を開催したところが多いようです。
僕が成人 (20歳) を迎えたのは、ほぼ半世紀前ですからね。
隔世の感があります。
いや~、テレビで見ていると、みなさん豪華な衣装に身を包んで、きらびやかであります。
時代なんでしょうか?
年々、派手になり、コスプレ化に拍車がかかっているような気がします。
ところが、インタビューを聞くと、これがビックリ!
みなさん、大人なんで大変驚きました。
「介護の仕事に就きたい」 とか 「テレビ番組の制作をしたい」 と、具体的に人生の設計を立てています。
と思えば、「仕事よりもプライベートを重視したい」 「多様性を重んじたい」 なんていう声も聞かれました。
そして、一番多かったのが、両親への感謝の言葉でした。
そんなこと言われたら、お父さんお母さんは、さぞや嬉しいでしょうね、
で、ほぼ半世紀前に成人した僕が見た今どきの20歳は、実に真面目で平凡だということです。
見た目は派手なのに、中身は真逆なんですね。
なぜ、こんなに良い子たちが増えているのでしょうか?
一説には、SNSの普及が挙げられています。
昔の20歳に比べると、圧倒的に情報量が多いんですね。
早い話が、“耳年増(みみどしま)” になっているということ。
本当は、未来なんて見えないほうがいいんですけどね。
「大人になると、こうなる」 的な情報が、知らず知らずに刷り込まれているのかもしれません。
だって、こんなことを言う20歳が、何人もいたんですよ!
「年金が心配です」
ア然としました。
ちなみに、なぜ、二十歳を 「はたち」 というのか、ご存じですか?
所説あるのですが、こんな語源をみつけました。
人が手と足の指を使って数えられる最大の数が20です。
数えられる 「果て」 の数字という意味で、「はて」 → 「はた」 → 「はたち」 になったといいます。
20歳が果てだなんて、もったいない!
人生100年時代に、20歳なんて、まだまだ世の中では赤ん坊です。
情報などに迷わされず、未知の可能性を夢見てほしいものです。
とりあえず、おめでとう!
迷いながら翔べ、若人たちよ!
2025年01月13日
おかげさまで25周年
週末の2日間、仕事場にこもって、パズルを作っていました。
パズル?
ええ、そうなんです。
僕は、パズル作家でもあるんです。
高崎市民のみなさん、いつも大変お世話になっております。
上毛新聞社の週刊紙 「TAKATAI (タカタイ)」 (高崎タイムス) の紙面で、熟語パズルを担当している 「スタジオJ」 です。
「スタジオJ」 は僕の屋号でもあり、ペンネームでもあります。
このコーナーで、「二字熟語パズル」 と 「四字熟語パズル」 を週替わりで交互に掲載しています。
第1回の掲載は2000年2月ですから、なななんと! 今月でパズル連載が満25年を迎えました。
25年ですよ!
凄いと思いませんか?
なかなか四半世紀続く連載って、ないと思います。
もちろん、自己最長連載記録を更新中です。
で、いったい今までに、いくつのパズルを制作してきたのだろうか? と思い、あらためて調べてみました。
すると、先週金曜日の掲載で、なななんと! 1,146回であることが分かりました。
まあ、週刊で25年続けているわけですから、それくらいの数になるわけです。
いよいよ、来月から26年目に突入します。
その記念すべき2月分のパズルを作るために、2日間、缶詰めになっていたのです。
パズル制作には、僕が25年間愛用している頼もしい同志たちがいます。
はい、さまざまな辞書・辞典の類いです。
国語辞典、百科事典はもちろんのこと、漢和辞典、英和辞典、和英辞典、カタカナ新語辞典……
ちょっと変わったところでは、類語辞典や逆引き辞典なんていうのもあります。
類語辞典は、一つの言葉を調べると、同じような意味の別の言葉がいくつも出てきます。
逆引き辞典は、その名の通り、言葉をさかさまに引きます。
たとえば、「温泉」 ならば 「んせんお」 と引くんです。
すると、「泉」 という漢字が最後に付く熟語を探し出すことができます。
熟語パズルを作るうえで、大変重宝しています。
というわけで、今年もライターとパズル作家の “二刀流” で、変化球を投げ、長打を飛ばしたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。
2025年01月12日
なぜ令和の時代に紙芝居なのか?
昭和30年代生まれの僕でさえ、紙芝居を街頭で見た記憶はありません。
だもの、“昭和レトロ” といっても、かなり限られた世代の昭和の記憶なのです。
では、なぜ、そんなに古い昭和の娯楽を、令和の現代に復活させたのでしょうか?
僕は2021年の1月から、街頭紙芝居のお手伝いをしています。
きっかけは、同級生の紙芝居師から 「地元群馬の民話や伝説を題材にしたオリジナル紙芝居を作りたい」 との相談を持ちかけられたからでした。
第1作は、のちにテレビ番組 『ナニコレ珍百景』 でも登録された伊勢崎市の浦島太郎伝説でした。
街頭紙芝居というレトロ感と、浦島太郎という奇抜さがウケたようで、新聞やテレビなどのマスコミにも取り上げられ、話題となりました。
では、なぜ、こんなにもアナログな大道芸が、令和の現代に支持されたのだしょうか?
僕は3年間の活動を通して、知らられざる街頭紙芝居の魅力に気づきました。
それは、エンターテインメント性です。
紙芝居は 「話す」 「演じる」 という演者のパフォーマンスだけでなく、観客も 「見る」 「聴く」 だけではなく、声を出して参加する相互交流型の娯楽なのです。
さらに、最大の魅力はオールマイティーな年代が参加できる今時、珍しい娯楽だと思います。
紙芝居を知っている年配者には懐かしく、知らない大人にも昭和を感じられ、まったく未知の物として体験する子どもたちにとっては、逆に新鮮でテーマパークのようなワクワク感があります。
時に子どもたちは、自作の紙芝居やクイズを持ってきます。
これが、面白い!
子どもの発想って、どこまでも自由なのだと感心します。
現代人は、ほとんどのことをスマホ一つで解決してしまいます。
人と人のコンタクト、商品の発注、そしてゲームなどの娯楽……
でも、すべてがインドアなんですね。
令和の人たちは、昭和の人たちに比べると、どんだけ不精になったんでしょうか?
今年も僕らは、街頭紙芝居の活動を続けます。
寒い日も暑い日も、雨の日でも上演しています。
それは老若男女問わず、みんなの喜ぶ笑顔が見たいから!
今年も 「神社かみしばい」 および 「玉村かみしばい」 を、よろしくお願いいたします。
「神社かみしばい」 新春スペシャル公演
~おめでたい壽獅子頭舞が登場!~
●日時 2025年1月25日(土)、26日(日)
10時、11時、12時、13時
※屋外開催 (悪天候時は室内)
●会場 伊勢崎神社 境内 (群馬県伊勢崎市本町21-1)
●入場 投げ銭制 ※ペイペイ可
●問合 壽ちんどん宣伝社 TEL.090-8109-0480
※小暮は26日のみ在社します。
2025年01月11日
昭和のカレーうどん
みなさんは、最初に食べたカレーうどんって、覚えていますか?
僕は覚えています。
小学生の中学年頃だったと思います。
母親と “おまち” (中心商店街) に買い物に行ったとき、老舗のそば屋で生まれて初めてカレーうどんを食べました。
まだカレーライスが物珍しかった時代です。
そのカレーが和風味になって、しかも、うどんの汁になって出てきたのですから、衝撃的でした。
「うまかった!」
あの味覚が、ズ―――――ッと脳裏に、こびり付いたまま大人になりました。
たから今でも、おいしいカレーうどんとは、母親と食べた、あのカレーうどんの味なのです。
今でも無性にカレーうどんが食べたくなる時があります。
とりあえず、手身近な店で食するのですが、毎回、「なんか違う」 と思ってしまいます。
みんな、おいしいんですけどね。
僕には、なんだか、おいし過ぎるんですよ。
スパイシーで、ちょっと高級感があるカレーうどんが多いような気がします。
僕が食べたいのは、昭和40年代の味がする、ちょっと粉っぽくって、全然辛くない、黄土色のドロドロの汁がかかった、あのカレーうどんなのです。
一軒だけ前橋市内に、僕の記憶の中のカレーうどんの味に近い店があります。
先日、意を決して、何年かぶりに入りました。
なんで、意を決する必要があるのか?
それも、数年ぶりなのか?
ええ、理由は簡単です。
とにかく、待たされるからです。
国道50号沿いの 「S屋支店」 は、店構えからして昭和チックです。
いつからあるのかは知りませんが、30年前から通っているので、それ以上古いと思います。
店の入り口には、こんな貼り紙があります。
<本日はご来店いただきありがとうございます。誠に申し訳ありませんが、現在、混雑中につき、ご注文・ご提供までにお時間をいただきます。>
もちろん、承知の上で僕は入りました。
昼時は、とうに過ぎているというのに店内は、ほぼ満席状態です。
テーブル席が8つ、座敷が3つ。
2席空いていましたが、テーブルの上には、まだ食べ終わった人の丼が残されていました。
「今、片づけますからね」
と、高齢の女性店員。
カウンターの中には、やはり高齢の男性が一人で動き回っています。
老夫婦だけで商っている、昔ながらのそば屋なのです。
が、そばをすすっている客なんて、一人もいません。
見渡せば、食べている人の全員がカレーうどんです。
いつしか、この店は 「カレーうどんのS」 と呼ばれる、カレーうどん好きの聖地となっていたのです。
案の定、注文してから提供されるまでに要した時間は、なんと! 約40分!
これが、食べたいけど、なかなか行けない店である理由なんです。
でも、待った甲斐はあります。
まず、その容姿に誰もが驚きます。
丼からあふれんばかりのカレー汁が、ふあれることなく、てんこ盛りとなって、見事な表面張力のアーチを描いているのです。
具は、鶏肉のみ。
小皿で、ネギの薬味が添えられています。
これぞ、「カレー南蛮」 の王道です。
(南蛮とは、長ネギのこと)
「ああ、この味、この味」
この、ちょっとチープな粉っぽさが、懐かしい昭和の思い出を連れてきます。
おいしいか?
と問われれば、「おいしいです」。
一番おいしいカレーうどんか?
と問われれば、まだまだ、たくさんおいしい店は世の中にあります。
でも、どこのカレーうどんが好きか?
と問われれば、僕は迷わず、ここのカレーうどんを挙げます。
これって、味のレベルじゃないんですね。
個人的な思い出のスパイスの量なんですよ。
「ごちそうさまでした」
と、お勘定の時に声をかけたら、おばちゃんは、
「待たせちゃって、ごめんなさいね」
だって。
いいんだよ、おばちゃん。
思い出に会いに来ているんだからさ!
時間に余裕のある人だけ、行ってみてください。
2025年01月10日
群馬県民のギャップ
僕は長年、フリーランスで仕事をしているので、サラリーマンのように 「おこづかい」 をもらっては生活をしていません。
仕事がない時期はギリギリまで節約をして、質素に暮らします。
大きな仕事が入って、まとまったお金が入った時は、バーッと豪快に使ってしまいます。
まあ、一言でいえば 「どんぶり勘定」 です。
それでも、なんとか、この歳まで生きてきました。
だから正直言って 「おこづかい」 のことって、よく分からんのです。
新聞によると、ソニー生命保険が発表した 「47都道府県別生活意識調査」 で、なななんと! 1カ月の 「おこづかい額」 部門で、群馬県が3万650円で全国3位だったそうです。
1位は東京都で3万7650円、2位は神奈川県で3万1450円でした。
ちょっと、ビックリです。
1位と2位は納得ですが、物価の安い群馬県のお父さんたちの使えるお金が多いのって、なんででしょうか?
所得額が多い?
そんなバカな!
大都市圏には、及びませんって!
一方で、こんなデータ結果があります。
同じ調査で群馬県は 「生活のゆとり具合」 で、岩手県と並び最下位でした。
これって、どういうことなんでしょうか?
「こづかいは多いが、ゆとりはない」 って、なんとも矛盾した結果であります。
ということは、群馬県民は他県民より出費が多いということ?
群馬は全国屈指の車社会です。
ローンや維持費、燃料代などが生活を圧迫しているのかもしれませんね。
この物価高の折、3万円のおこづかいでは厳しいでしょうね。
1日千円では、ランチもままなりません。
最近は、ラーメンでも平気で千円超えますからね。
みなさん、どうやって、やり繰りをしているのでしょうか?
つくづく不思議な県民だと思いました。
2025年01月09日
まだ空席があります
群馬県立歴史博物館 「友の会」 事務局より連絡がありました。
現在、参加受付中の出前講座 『温泉ライターと行く 法師温泉』 の応募状況についてです。
すでに昨年度を上回る応募が寄せられているとのことでした。
早々に申し込まれた方々には、お礼を申し上げます。
定員には若干の余裕があるとのことです。
まだ間に合います!
冬景色の中にたたずむ秘湯の一軒宿。
文人たちが愛した極上の湯に、一緒に入りませんか?
群馬県立歴史博物館 友の会 令和6年度事業 (県内見学会)
温泉ライターと行く 「法師温泉」
●日時/令和7年2月8日(土)
●コース/群馬の森(東奥駐車場)集合(9:00)~出発(9:10)~前橋駅南口・東横イン前付近(9:30)~みなかみ観光協会~法師温泉「長寿館」(昼食、入浴)~散策~出発(15:00)~群馬の森(16:30)帰着予定。
●講師/小暮 淳 (温泉ライター、友の会運営委員)=車中及び現地で講義
●参加費/会員1万円(バス代、入浴・昼食代込み、参加者には講師著書をプレゼント)
※会員以外は1万2千円(会員になることをおすすめします)
※参加費は車中で徴収します。
●定員/25人(中型バス使用、応募多数の場合は申し込み順)
●締切/令和7年1月24日(金)消印有効
●申込/通常はがきに下記をご記入の上、お申込みください。
※裏面に①見学会名【 法師温泉の旅】②会員番号(会員外は一般と記入)③氏名④住所⑤生年月日(会員以外)⑥電話番号または携帯番号⑦緊急連絡先⑧乗降希望場所(① 群馬の森、②前橋駅南口)
●宛先/群馬県立歴史博物館友の会事務局、〒370-1293 群馬県高崎市綿貫町992-1
●問合/「友の会」 事務局 TEL.070-2636-0560 (水曜日 14:00~16:00、ショートメール随時)
(企画担当/桑原 TEL.090-1777-4892)
2025年01月08日
5,000歩以上は歩きません
「その後、ヒザの具合は、いかがですか?」
昨年の暮れから何人もの人に、声をかけていただきました。
みなさん、ブログを読んでくださっているのですね。
ご心配いただき、ありがとうございます。
治療は順調に進んでいて、回復に向かっています。
昨年11月、左ヒザの痛みに耐えかねなくなり、検査したところ、変形性膝関節症と診断されました。
その日から毎週、ヒザにヒアルロン酸注射を打ち続けてきました。
おかげさまで歩行には難なくなり、リハビリの成果もあり、かつての日常を取り戻しつつあります。
注射も週1回から2週に1回となりました。
昨日、今年最初の診察を受けました。
担当医は、僕の息子くらい若い先生です。
でも毎回、MRIで撮った画像を見ながら、とっても丁寧に症状を説明してくれます。
「そこに横になってください。痛かったら痛いと言ってくださいね」
先生は僕の左脚を持ち上げ、曲げたり伸ばしたり、ひねったりして回復の度合いを診てくれます。
「いいですね。だいぶ良くなっています。このまま頑張りましょう!」
そう言った後、いつものようにブスッとヒザの関節に、注射針を差し込まれました。
「ウッ!」
と僕がうなると、
「注射は痛いけど、ヒザは良くなりますからね」
毎回、同じ会話が繰り返されています。
でも今回は、朗報がありました。
「次からは、ひと月に1回にしましょう。それで様子を見て、大丈夫なら完治です」
やったー!
先生、ありがとうございます。
ガンバリま~す!
「リハビリは頑張ってますか?」
「はい! それと先生に言われたとおり、5,000歩以上は歩いていません」
「医者の中には、歩けば歩けるほど健康になるようなことを言う人もいますが、私は過剰なウォーキングは勧めません。歩き過ぎはヒザに負担がかかりますので、注意してくださいね。2,000歩から5,000歩内でお願いします」
ということで、5,000歩以上歩かないように気を付けながら、日々暮らしています。
昔ならば万歩計を腰に付けて歩いたのでしょうが、今は便利ですね。
ほとんどの携帯電話に、歩数計の機能が付いています。
ただね、5,000歩って、かなり微妙な距離なんですよ。
約4キロです。
ちょっと外出して、「疲れたな」 と感じると、優に5.000歩を超えています
ぜひ、みなさんも自分の歩数を計ってみてください。
2025年01月07日
父からのお年玉
元日に両親の墓参りをしたからでしょうか?
オヤジから思わぬプレゼントがありました。
昨日、かかりつけ医にて健診を受け、薬局に寄りました。
顔見知りの薬剤師は、僕と同年代の男性です。
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
互いにあいさつを交わしました。
「どんなお正月でしたか? ゆっくりできましたか?」
と言ったら、こんな言葉が返ってきました。
「オヤジの遺品整理に追われていました」
聞けば、昨年の暮れに彼の父親が亡くなり、暮れも正月もなくバタバタと過ごしていたといいます。
何よりも大変だったのが、読書好きの父親が残した膨大な量の書籍だったようです。
「うちも大変でしたが、どうされました?」
「ええ、おかげさまで本好きの甥っ子が、軽トラで引き取りに来てくれました」
「それは、よかった! 本って、なかなか捨てられませんものね」
我が家もオヤジの死後、一年間かけて、アニキと処分したことを思い出しました。
薬局を出た僕は、その足で、兄夫婦が暮らす実家に、新年のあいさつに立ち寄りました。
するとアニキから、まるで、先ほどの続きのような話が……
「この手の本は、お前が読むだろ!?」
と、2冊の本を手渡されました。
整理したはずのオヤジの蔵書が、まだ残っていたようです。
『群馬県の歴史』 山川出版社
『地名考証 群馬 ―府県名の地名学研究―』 週刊サンデージャーナル
1冊は、すでに持っている本でしたが、もう1冊は、探していた本でした。
「へ~、こんな本を読んでいたんだ?」
「オヤジは歴史が好きだったからな」
「ありがとう、ありがたく、もらっていくよ」
なんだかオヤジからお年玉をもらった気分です。
昨晩は、ウィスキーを片手に、遺本のページをめくりました。
2025年01月06日
10万円、返せ!
みなさんは、どんな初夢を見ましたか?
僕は正月早々、奇妙な夢を見ました。
前半のストーリーは、あまりよく覚えていないのですが、ある団体に献金をしたようです。
その団体は、絵本の読み聞かせなどを行っているボランティア団体で、僕的には趣旨に賛同した上で支援しました。
金十万円也
(現実の僕には絶対にありえませんが、夢の中では太っ腹です)
この後の夢は鮮明に覚えています。
後日、この団体の事務所を訪ねました。
すると……
白装束に身を包んだ初老の女性が現れ、こう僕に言ったのです。
「この度は、当教団にお布施をいただきありがとうございました」
教団? お布施?
僕は、だまされていたのです。
ここは新興宗教の事務所だったのです。
「お前ら、だましたな! 俺の10万円を返せ~!」
そう絶叫したときに、夢から覚めました。
寝覚めの悪い夢です。
今年一年の苦難を暗示しているのでしょうか?
そこで、さっそく夢判断で占ってみました。
まず、新興宗教との出会いです。
大きなものに身をゆだねる予兆があるそうです。
吉夢の場合、新たな価値観をもたらす人との出会いを意味します。
逆に凶夢の場合は、身近な人から必要に以上に干渉されるかもしないとのことです。
では、金をだまし取られる夢は?
金銭的な不安や不満が反映されているとのこと。
これから起こる変化から目を背けていることを表し、金額が大きいほど事態は深刻なんだそうです。
10万円は、僕にとっては大金です。
かなり深刻な事態が今後、待ち受けているということです。
というこで、総評です。
吉夢でも凶夢でも、人との出会いや人との関わりが結果を左右する年になりそうです。
そして、僕の人生は相変わらず金銭的な苦労が付きもののようです。
今年も一年間、人との出会いを大切にして、つつましやかに生きて行こうと思います。
2025年01月05日
正月雑感 ~消えゆく風景~
問題です。
次の文章は辞典 (新明解国語辞典) に記載されている、ある言葉の語訳です。
さて、その言葉とは?
<きれいな物を見て楽しむこと。同様においしい物を食べて、また、おもしろい話を聞いて楽しむことを、それぞれ〖舌の―〗〖耳の―〗という>
分かりましたか?
ちょっと難しいですかね。
では、他の語訳を読めば、すぐに分かると思います。
<一年の第一の月> <年の初めの祝いをして、仕事を休む期間>
正解は、「正月」 です。
とっても特別の日々だったことが分かります。
国民総参加の一大イベントだったとも言えますね。
でも今は、どうでしょうか?
特別感って、ありますか?
昭和の時代は、まさに、この辞書の語訳のとおりでした。
きれいな物を身に着け、おいしい物を食べて、おもしろい遊びをして過ごしました。
誰もが正月が来ることを待ち望んでいました。
それは、「年神様」 を迎え入れるためです。
年神様とは、その年一年の福徳をもたらす神様です。
そのために年末になると大掃除をして、家を祓(はら)い清め、門松を立て、国旗を掲揚して、神様を迎える準備をしたものです。
もちろん、神様が来るときに誰一人、家を留守にするわけにはいきません。
仕事は休むのが当たり前。
商店主たちも三が日は店を休み、年神様を迎えます。
いつからでしょうか?
クリスマスやハロウィンは祝っても、正月を祝わなくなってしまったのは?
国旗も門松も松飾りも、まったく見かけません。
(我が家は小さな玄関飾りを付けています)
思えば、昔は車にまで松飾りを付けて走っていました。
街のどこを歩いても、正月一色だったのです。
これも時の流れだから仕方がないのでしょうか?
でも、消えゆくモノがあるなら、新しく生まれてくるモノがあるはずです。
これからの (令和以降) の正月の風景は、どのように変化するのでしょうか?
凧あげ、コマ回しは消え、子どもたちは何をして過ごしているのでしょうか?
ゲームですか?
でも、それって正月に限ったことじゃありませんよね。
消えゆく風景の中、令和の現代らしい正月の風景を探しています。
2025年01月04日
熱いぞ! 火山性温泉
新春第1回目の放送は、“あつ~い温泉” について、お話しします。
群馬県は、なぜ、「温泉大国」 って言われているか知っていますか?
それは、特殊な地形が関係しています。
一番標高の低い所は、約13メートル (板倉町)。
一番標高の高い所は、約2,500メートル (日光白根山)。
この標高差が、ありとあらゆる温泉を生み出しているんです。
しかも県中央には、赤城山~榛名山~浅間山という火山ラインが大きな壁を作っています。
この南側から関東平野が始まるんですね。
そして北側は、さらに草津白根山と日光白根山という活火山に囲まれています。
これによって、北は火山性の温度の高い温泉が湧き、南は非火山性の温度の低い温泉が湧いています。
そのため、あらゆる泉質の温泉が湧く、まさに群馬は 「温泉のデパート」 なのです。
ということで今回のテーマは、火山性が生み出す “あつ~い温泉” です。
ちなみに群馬県で一番熱い温泉は、どこにあるか、ご存じですか?
草津温泉の万代鉱源泉です。
約95度もあります。
では、その次は?
番組では、僕が熱過ぎて入れなかった温泉や、命からがらやっと入った温泉など、エピソードを交えながらお話しします。
お楽しみに!
■放送日 1月8日(水) 18:37 頃~
■放送局 FM GUNMA (86.3MHz)
■番組名 『news ONE』 月~水 18:00~18:55
■出演者 岡部哲彦 (アナウンサー)、小暮 淳 (温泉ライター)
2025年01月03日
年頭書簡 ~令和の常識?~
“年賀状ばなれ” が加速しいてます。
背景には、メールやSNSの普及による 「若者離れ」 と、高齢者の終活による 「年賀状じまい」 があるようですが、それだけでしょうか?
令和の人々は、「年賀状」 にメリットを感じなくなったからのような気がします。
僕が思うに一番の理由は、“義理の人間関係” の整理です。
義理と人情がまかり通っていたのは、昭和の時代です。
令和は、簡単で便利であることが最優先となりました。
だから、手間と費用のかかる年賀状は、排除される対象となってしまったのです。
そこへ追い打ちをかけるように、郵便料金の値上げです。
今年が 「年賀状じまい」 の絶好のタイミングになったようです。
ということで今年、僕のところに届いた年賀状は、過去最低の枚数となりました。
数年前から傾向はありました。
でも、最初は高齢を理由とした 「年賀状じまい」 だけでした。
ところが昨年は、若い人からも 「年賀状じまい」 の報告が数枚ありました。
理由は、郵便料金の値上げです。
結果、昨年は手元に、未投函の年賀状が20枚も残ってしまいました。
今年は、さらなる減少を見越して、昨年よりも少なく年賀状を発注しました。
案の定、それでも予想以上に激減しています。
(今年も余ってしまいそうです)
届いたのは仕事関係がほとんどで、古い友人や知人など、個人の年賀状は昨年の半分以下になりました。
これも時代の流れなんでしょうね。
昭和の常識は、令和の非常識?
今後は、これが “令和の常識” となっていくのでしょうね。
数十年後、昭和~平成の 「あるあるネタ」 として、話題に上るのかもしれませんね。
「そういえば昔、年賀状って出したよね!?」
「ああ、あったあった! 資源の無駄遣い、今じゃ、SDGs的にアウトだよね」
なんてね(笑)。
2025年01月02日
初墓参 2025
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
新しい年が明けました。
みなさんは、どんな正月を過ごしていますか?
寝正月、見正月、食正月、呑正月、遊正月……
なかには、仕事をしている人もいるでしょうね。
僕は今年も恒例となっている 「初墓参」 へ行ってきました。
今年最初の墓参りです。
3年前の元旦。
新年のあいさつに来た長男が、突然、「これから墓参りに行くけど、お父さんも行く?」 と言い出したのです。
車の中には、線香と花まで用意してありました。
話を聞けば、彼は僕の両親が亡くなった翌年から毎年、1月1日に墓参りをしているといいます。
正直、これには驚きました。
だって実の息子の僕でさえ、命日と盆と彼岸にしか墓参りはしていません。
(実兄に聞いても同じでした)
なぜに孫の彼は、元日に墓参りをするのか?
問えば、彼いわく、
「以前は神社に初詣でをしていたけど、おじいちゃんとおばあちゃんが死んでから思ったんだ。知らない神様にお参りするんなら、知っている仏様にお参りしたほうが、いいなって」
これまた、目からウロコでした。
言われてみれば、なるほど、彼の言葉には説得力があります。
彼にとって一番身近な仏様は、祖父と祖母なのであります。
2人は生前、孫をとっても可愛がっていました。
となれば、孫の願い事を叶えようとしてくれるはずです。
ということで今年も彼の車で、両親が眠る霊園へ行ってきました。
彼は完全に 「墓参マイスター」 であります。
とにかく手際がいいんです。
墓所に着くと、ササッと簡単に落ち葉を手で払い、一本一本花差しを引き抜いて、中の雨水を捨てると、桶の水を丁寧に墓石にかけました。
「お前、慣れてるな」
「うん、墓参りってさ、なんだか心が落ち着くんだよね」
とは、あっぱれ!
線香にチャッカマンで火をつけながらも、こんなことを言いました。
「この線香、安いやつだから火の付きが悪いね」
「高いやつは違うのか?」
「そうだよ」
「ごめん」
と謝ったのは、線香は僕が用意したのでした。
「今度からケチらずに、もう少し高い線香を買っておくよ」
「別にいいけど」
とかなんとか、ご先祖の前で、新春親子放談をしてきました。
思えば両親にとって彼は、たった一人の男の孫なんですね。
だからか、彼が生まれたときオヤジは、「これで墓守ができた」 と大変よろこんでいました。
今の時代、ナンセンスな昭和的考え方ではありますが、もしかしたら彼の中には、その言葉が刷り込まれているのかもしれません。
だって生前、オヤジは、よく彼を霊園に連れて来ていましたもの。
たぶん、「おじいちゃんは死んだら、この中に入るんだよ」 なんて、孫に話していたんじゃないかな。
オヤジ、オフクロ、あけましておめでとう!
こうやって、みんな元気に新しい年を迎えたよ。
今年も一年間、みんなを見守っていてくれよな!
僕らは手を合わせました。
「お腹減っちゃった~! おいしいものを食べに行こうよ~!」
同行した次女の声を合図に、僕らは霊園を後にしました。
2024年12月31日
大晦日だよ! ゲゲゲのゲ~!
さあ、泣いても笑っても残り14時間を切りました。
♪ ジタバタするなよ 新しい年が来るぜ ♪
やり残したことがあったとしても、それは来年に回しましょう!
今年が良い年だった人も、悪い年だった人も、何もない平凡な年だった人も、みんな今日だけは心のメモリをリセットして、穏やかに年を越そうではありませんか!
思えば今年は、このブログを開設してから15年目を迎えました。
おかげさまで、取材先や講演会場、プライベートの場でも、たくさんの読者から 「ブログ読んでます」 と声をかけていただけるようになりました。
やはり、コツコツと継続することが大切なのですね。
つくづく、そう感じた一年でした。
改めて、読者の皆さまには、厚く御礼申し上げます。
いつもいつも、ありがとうございます。
引き続き、来年もよろしくお願いいたします。
ということで、今年も最後は恒例の、これで締めくくりましょう!
そう、「ゲゲゲの七か条」 こと、故・水木しげる先生の 『幸福の七か条』 (幸せになるための知恵) です。
では、ご唱和お願いいたします。
<第一条>
成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
<第二条>
しないではいられないことをし続けなさい。
<第三条>
他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追求すべし。
<第四条>
好きの力を信じる。
<第五条>
才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
<第六条>
怠け者になりなさい。
<第七条>
目には見えない世界を信じる。
よいお年をお迎えください。
2024年12月29日
3つのアクション
だいぶ年の瀬も押し詰まって参りました。
ここらで今年の総決算をしましょう!
みなさんにとって令和6年、2024年という年は、どんな年でしたか?
考えないでください。
パッと頭に浮かんだ出来事は、なんだったでしょうか?
僕の頭に同時に浮かんだのは、3つの出来事でした。
1つは、2月に出演した野外ライブです。
(2024年1月26日 「テライブ IN 節分会」 参照)
コロナ禍をはさんで4年ぶりに、バンド活動を再開しました。
「じゅん&クァ・パラダイス」
これが僕らのバンド名です。
かれこれ15年以上、活動を続けています。
中心メンバーは4名で活動していますが、舞台によってはゲストプレーヤーを招いたり、踊り子 (女性ダンサー) も参加して、大所帯で移動することもあります。
久しぶりの野外ライブ、大いに歌い、大いに踊りました!
2つ目は、4月に行った静岡県沼津市での墓参りです。
あこがれの歌人、若山牧水の終焉の地を訪ね、墓参りをするのは長年の夢でした。
(2024年4月19日 「あくがれの墓参り」 参照)
夢が叶うと、さらに欲が出てきます。
そして、その欲は創作心を喚起します。
よって導かれるように、僕は若山牧水が愛した群馬の地酒と温泉をめぐる 「令和版 みなかみ紀行」 の取材を始めました。
3つ目は、8月に行った我が人生初の孫との2人旅です。
(2024年8月7日、8日、14日 「K&Gの真夏休み」 参照)
K君は長女の息子、14歳です。
まさか、中学生の孫と温泉2人旅ができるとは思いませんでした。
人生には、自分が想像している以上のサプライズがあるのですね。
運命の神様に、感謝します。
そして、楽しかった~!
孫って、ちょっと不思議な存在です。
息子や娘とは違うんですね。
やっぱ実子に対しては、親として構えてしまうからなんでしょうか?
なかなか親子以上の仲にはなれません。
でも孫は違います。
責任がないからかもしれませんが、いきなり “友だち” になれるんです。
お互い、なんでも話せるから不思議です。
K君、いつもありがとう!
来年の夏も旅に出ようね。
ということで、総決算です。
3つとも、アクションを起こした結果の出来事でした。
考え、悩むことも大切ですが、それだけでは何も起こりません。
まずは動くこと、アクションを起こすことが大事です。
みなさんは今年、どんなアクションを起こしましたか?
まだの人は、今すぐ起こしましょう!
今年はまだ、3日もありますよ。
2024年12月28日
来年も歌います!
僕の講演やセミナーに参加したことのある人なら、ご存じだと思いますが、温泉がテーマの時は講話の最後に、必ず歌を歌います。
曲名は 『GO!GO!温泉パラダイス~湯の国群馬県篇~』 です。
まあ、温泉の取材を始めた20年ほど前に、面白半分で温泉地名をダジャレにして歌詞に盛り込んだコミックソングなんですけどね。
ところがCDにしたところ評判になり、新聞やラジオ、テレビでも取り上げていただき、県内の祭りやイベント会場にもゲストで呼んでもらえるようになりました。
極め付きは、2019年5月にグリーンドーム前橋で開催された 「群馬デスティネーションキャンペーン」 です。
バンドではなく、ソロ歌手としてステージに立ち、なんと! イベントのトリを取りました。
もちろん歌ったのは 『GO!GO!温泉パラダイス~湯の国群馬県篇~』 です。
何がスゴかったかって、ステージ上では、僕のバックダンサーとして群馬県内の温泉旅館の女将さんたち約50人が着物姿で踊ったのであります。
いえいえ、それだけじゃありません。
ぐんまちゃん、湯もみちゃん、石段くんなど、ご当地キャラクターまでもがステージに上がり、大合唱となりました。
ちなみに、その時のスペシャルゲストは、ぐんま大使の中山秀征さんと井森美幸さんでした。
ということで長年、歌って踊れる温泉ライターを目指して活動を続けてきました。
でもね、コロナ禍でパッタリと活動が休止されていたのです。
が、今年2月、4年の沈黙を破って、野外ライブに出演しました。
(2024年1月26日 「テライブ IN 節分会」 参照)
で、なんと! 来年も野外ライブのバンド出演が決定しました!
会場は昨年と同じですが、日時などの詳細は年明けに公開いたします。
こいつぁ~、春から縁起がええわいの~!
お楽しみに!
2024年12月27日
H納め&納詣で
今年も無事、昨晩、「H納め」 を済ませました。
えっ、また~、毎年言わせないでくださいよ!
「エッチ」 ではありませんって、「エイチ」 です。
そう、僕が足しげく通っている心のユートピア、酒処 「H」 であります。
Hは、店の頭文字です。
「今年もお世話になりました」
と、のれんをくぐれば、
「こちらこそ、お世話になりました」
と、いつものようにママの笑顔が迎えてくれます。
「年内は、いつまでやるの?」
「30日までやるよ」
「頑張るね~」
「貧乏暇なしだもの」
「でもさ、それがいいんだよね。生きてる証拠だから」
「そうそう、生涯現役だからね」
自称、永遠の37歳のママは、今日も元気元気!
まだ夕方の5時前だというのに、「ほら、ジャンちゃんも歌いな! 今年最後だから」 とマイクを渡されました。
ならばと、まだ酔いの浅いうちから常連客らとカラオケ大会の始まり始まり。
僕も今年の締めくくりに、十八番のサザンの曲を熱唱!
ママはカウンターの中で、バブル期のジュリアナよろしく、羽根扇子を広げて、踊りまくっていましたとさ。
ああ、めでたし、めだたし。
今年も笑い転げた一年間でした。
ママ、常連さん、ありがとうございました。
良いお年をお迎えください。
ということで、まだ7時台ではありますが、ほろ酔いのまま最終のバスに乗り込みました。
最寄りのバス停に降りて、空を見上げれば、満天の星です。
「あ、確か、あれがオリオン座」
星座オンチの僕でも、オリオン座だけは分かります。
吐く息は白く、長い長い帯を引きます。
「あっ、そうだ! 今年は、まだしてなかったな」
と、ちょっと遠回りをして、我が家の近くの氏神様へ。
そうです、「納詣で」 が、まだでした。
「のうもうで」 とは、僕がフリーランスで仕事をするようになった30年ほど前から行っている年末行事です。
初詣では神様に願い事をしますが、納詣では神様に誓った願い事の達成を報告する儀式です。
今年も願い事は、ほぼ叶っているので、そのお礼を述べました。
今年も余すところ5日です。
悔いのないように全力で駆け抜けましょう!
2024年12月25日
鉄腕アトムと包装紙
Merry Xmas!
突然ですが、クイズです。
「シカ」 を10回、言ってください。
「シカシカシカシカシカシカシカシカシカシカ」
サンタクロースが乗って来るのは?
「トナカイ」
ブッブ―!
正解は 「ソリ」 です。
なーんていう昔懐かしい10回クイズを思い出しました。
今日は、クリスマスです。
みなさんは、どんなクリスマスを過ごしていますか?
なんて、野暮な質問ですかね?
だったら、どんなクリスマスの思い出がありますか?
子どもの頃の思い出なら、鮮明に覚えているのではありませんか?
僕の思い出は、鉄腕アトムの変身セットです。
朝、目が覚めると枕元に大きな包み紙が置いてあり、中からアトムのマスクとベルトが出てきました。
一日中、変身したままで過ごしたことを覚えています。
月日が経って親となり、今度は僕がサンタクロースになりました。
クリスマスの朝、娘が包みを抱えてリビングに降りて来ました。
「サンタさん、来たよ~!」
「おお、良かったね」
「うん」
「で、何をもらったのかな?」
「ゲーム」
「良かったじゃないか! それ欲しかったやつだろ?」
「うん、でも……」
「うれしくないのか?」
「ううん、うれしいよ。でも……」
「でも、なんだい?」
「不思議なんだよね」
「何が?」
「サンタさんて、どこから来るんだっけ?」
「遠い北の国からだよ」
「だよね、でも不思議だな」
「何が?」
「○○書店って、世界中にあるの?」
確かに僕は○○書店で、ゲーム機を買いました。
でもなんで、分かったのでしょうか?
「あっ!」
包装紙です。
包装紙に店名とキャラクターマークが描かれていたのです。
「そうだよ、○○書店って、すごいね~!」
「・・・」
「いや、もしかしたらサンタさん、日本に来てから買ったのかもね。だって、ほら、世界中の子どもたちに配らなくちゃならないだろう。すごい量のおもちゃを一人じゃ持てないよ。だから日本に来てから買ったんだな、きっと、そうだ。うんうん」
と説得してみたものの、娘には腑に落ちなかったようです。
その後、学校で友だちに 「プレゼントは何の包み紙だったか?」 を聞いて回ったそうです。
クリスマスは、悲喜こもごもです。
みなさん、素敵なクリスマスをお過ごしくださいね。
Merry Xmas!