2024年10月27日
拾活
拾活を始めました。
えっ? 「終活」 じゃないのかって?
いえいえ、僕の場合、「拾活」 なんです。
僕は若い頃から自分の人生を、農業に例えてきました。
10代は、土地探し。
20代は、開墾。
30代は、土壌づくり。
40代は、種まき。
50代は、発芽、生育。
そして、60代は収穫です。
まさに、そのように僕の人生は推移しています。
では、なぜ、そんなにもロングスパンで、人生を捉えるようになったのか?
多分ですが、若い頃から周りの人に 「君は大器晩成だ」 と言われ続けていたからかもしれません。
親や兄からも言われた記憶があります。
きっと、刷り込まれていたんでしょうね。
自分は天才じゃない。
人並優れた才能もない。
だったらコツコツと生きるしかない。
そう、のんびりと構えるようになり、「一生をかけて、この人生を完成させればいい」 と思うようになりました。
まあ、本音を言えば、予定より “発芽” と “生育” の時期が大幅に遅れてしまったのですが……
それでも、なんとか還暦を過ぎた頃から少しずつですが、実った作物を収穫することができるようになりました。
収穫量は普通の人 (定年退職をしたサラリーマン) に比べると、まだまだ少ないのですが、なんとか食べていけるだけの収穫は維持しています。
で、収穫した際に、本来ならば廃棄してしまう商品価値のない作物 (僕の場合、原稿にならなかった事柄等) というのが、必ず残るんですね。
捨ててしまうには、もったいないし、しのびない。
どうにか、これらに命を吹き込んで作品として世に出してあげられないものか?
そして、考えたのが、地球にも優しい 「拾活」 です。
人生を振り返って、今までは捨てていた無駄だと思った事柄を掘り起こし、それらに命を与え、世に出す作業です。
たとえば、若い頃のストリートライブなど。
たとえば、バックパッカーとしてアジアの国々を歩いたことなど。
たとえば、原稿には書けなかった取材先でのエピソードなどなど……
それらは、講演のネタにもなるし、コラムやエッセイにも成り得るのです。
料理で言えば、野菜の根っこやヘタ、皮の部分です。
調理法一つで、新たな一品料理へと変身します。
現在僕は、高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」 に、『ちょこっと小耳に』 というコラムを連載しています。
サブタイトルには、「小暮淳の取材こぼれ話」 と付いています。
これなどは、まさに土壌づくり→種まき→発芽→生育の過程で、学んだり、失敗したことなど、本来の仕事とは関係ない副産物を掘り起こし、拾い集め、素材として調理して改めて世に出すという、まさに SDGs な試みなんですね。
でも、これがとっても楽しいんです。
この手法なら年齢に関係なく、いくつになっても活用ができます。
たとえ足腰が立たず、寝たきりになったとしても、できるわけですから。
ということで、僕は 「拾活」 を始めました。
2024年10月26日
失われた8時間
スマホを持たない僕には、計り知れないのですが……
先日、テレビで若者への街頭インタビューを見ました。
「あなたは1日にどのくらいスマホを見ますか?」
という問いに、
みんな言葉では 「2時間」 とか 「3時間くらい」 とか答えていたんですけどね。
実際は?
なんでも、スマホには、どのくらい閲覧していたか分かる機能があるんですってね。
それをチャックすると、なんと! インタビューを受けていた若者のほとんどが、7時間超えでした。
なかには8時間以上の人も何人かいました。
8時間って、1日の3分の1ですよ!
寝ているときと、仕事をしているとき以外は、ズ―――――ッとスマホを見ていることになります。
まあ、学生もいたので、彼ら彼女らには、有り余るほどの時間があるのでしょうが、それにしても驚きました。
気になったので、調べてみました。
さる調査機関によれば、日本人のスマホの閲覧時間は全体では1時間18分だそうです。
ところが20~40代と年齢を限定すると、なんと3時間以上が過半数を占めます。
さらに5時間以上が20%もいるというのですから、驚きです。
ちなみに、1日に2時間以上見ている人は 「スマホ認知症」、5時間以上の人を 「スマホ依存症」 というらしいです。
まあ、スマホも文明の利器の一つですから、現代人が夢中になるのは仕方がないことです。
さらに便利だけではなく、娯楽性、中毒性が高い機器ですからね。
僕にも身に覚えがあります。
カラーテレビです。
我が家にカラーテレビが来たのは、小学5年生の時でした。
やっぱり親からは 「テレビばかり観ていると、バカになる」 と散々言われましたもの。
黒電話の時もそうでした。
友だちと長電話をしていると、「いつまで話してるんだ!」 とオヤジに怒鳴られました。
きっと今でも子どもたちは、同じようなことを言われているんでしょうね。
「スマホばかり見ていると目が悪くなるよ」 とか 「いい加減にしなさい!」 って。
で、僕はハッとしました。
カラーテレビの時もそうでしたが、テレビを観ていた時間だけ、別の何かの時間が失われていたわけです。
勉強とか読書とか、睡眠とか……
現代人は、何を失ってまでスマホに夢中になっているのでしょうか?
失われた8時間が、とっても気になるのであります。
2024年10月25日
R指定解除の健全講座
講演はライブである。
常々僕は、そう感じています。
予測不能な放送事故が起きるのも、ライブの醍醐味です。
芸人は、テレビではやれないネタを舞台で披露するといいます。
それは、テレビには放送コードというものがあり、あらかじめネタに制限がかかっているからです。
講演も、しかり。
テレビやラジオ、新聞、雑誌では話せない、書けないネタを披露できる場なのであります。
僕の場合、温泉や民話をテーマにした講演では、本に書けなかったネタを時々、裏トークとして披露しています。
たとえば、混浴のチン事件や子宝の湯にまつわるチン騒動など。
また民話や伝説の中には、おぞましい尊属殺人やエロティックな昔話があるのです。
これが話せるのは、ライブだけです。
昨日、高崎市内某所にて 「群馬の温泉学講座」 と題して、講演を行ってきました。
大変盛況で、たくさんの方々に聴講していただきました。
このブログの読者も何人か来ていましたね。
県外から来てくれた熱烈な読者もいました。
ありがとうございました。
ここまでは、僕にとっては想定内でした。
と、と、ところが、思わぬサプライズが発生しました。
(アクシデントではありません)
「今日は、学生たちが研修で参加しますので、よろしくお願いします」
会場に着くなり、施設の担当者に言われました。
「学生?」
「はい、近くの看護専門学校の生徒さんたちです」
なんと、その数、25名!
そーなんです。
今回の講演は、参加者に年齢制限がなかったのです。
さて、困ってしまいました。
聞けば、すべて女子。
しかも年齢は、18~19歳とのことです。
アチャ―!
マイッタ!
どうする?
長年、20歳以上限定のR指定で講演を行ってきた僕としては、一瞬、金縛りのように固まってしまいました。
あの話は、まずいよな?
あれもヤバいでしょ?
あのくらいなら大丈夫かも?
もう、講演中も僕の頭の中は、モヤモヤが離れません。
それでも、なんとか下ネタを回避しながら2時間の講演を無事終えることができました。
なんだか気の抜けた炭酸飲料のようになってしまいましたが、みなさん、満足していただけたでしょうか?
もし、スパイスが足りなかったという方がいましたら、ぜひ、次回はR指定の会にお越しください。
その時は、ギラギラのエロエロなネタを用意しておきます。
2024年10月23日
円相 ~たかが丸、されど丸~
あまり人気がないのでしょうか?
平日の夕方ということもありましたが、上映5分前だというのに劇場に観客は、ポツンと僕一人だけ……
「こりゃいい、ひとり占めじゃないか!」
と客席の中央でデーンと大股開きで、くつろいでいると、上映ギリギリになって、若い女性が一人入って来て、一番後ろの席にポツネンと座りました。
ふたり占めも悪くありません。
映画 『まる』 を観てきました。
地味な作品なので賛否分かれるかもしれませんが、僕は嫌いじゃありませんね。
地味だけどキャストが、いいんです。
主人公を演じる堂本剛の隣人を綾野剛、アパートの大家を濱田マリ。
そして脇を、柄本明、吉田鋼太郎、片桐はいり、小林聡美らのベテランが固めます。
だから堂本剛と綾野剛のドタバタ劇も、安心して観ていられるんですね。
こんなストーリーです。
美大卒だがアートで身を立てられず、人気現代美術家のアシスタントをしている男・沢田。
ある日、通勤途中に事故に遭い、腕のケガが原因で職を失ってしまいます。
部屋に帰ると、アリが一匹。
そのアリに導かれるように描いた○ (まる) が知らぬ間にSNSで拡散され、正体不明のアーティスト 「さわだ」 として一躍有名になってしまいます。
そして、彼の絵は、「さわだの円相」 として美術館に展示されるほどのブームを起こします。
「円相」 とは、禅における書画の一つ。
図形の丸 (円形) を、一筆で描いたものです。
「円」 は丸くて角がなく、終わりも始まりもない形。
最高の悟りをあらわす究極の形なんですね。
沢田は現代美術界の寵児として、もてはやされます。
しかし、一方では、
「ただの丸じゃねーか!」
「誰だって描けるよ」
と否定派も多く、ついにはネット上には “偽さわだ” が何人も現れ、世の中は 「まる」 だらけになります。
僕なんて、ちょっと身につまされてしまうわけです。
“創作” に手に染めた者は、必ずや通る “真偽” との葛藤です。
それは本物か? 偽物か?
自分は本物か? 偽物か?
創作や表現に携わっている人には、観ていただきたい映画です。
(監督・脚本は、『かもめ食堂』 『彼らが本気で編むときは、』 の荻上直子監督)
2024年10月22日
根拠のある勝利
昔、といっても20代ですから40年以上も昔の話です。
僕の周りには、“根拠のない自信” に満ちあふれた若者でいっぱいでした。
ミュージシャン、劇団員、芸術家の卵……
会っては語り、酒を酌み交わしては語り、みんな夢を夢見て、キラキラと輝きながら生きていました。
それが1年2年と過ぎると、1人また1人と夢破れ、故郷へ帰ったり、就職をしていきました。
「俺だけは絶対に、あきらめない!」
そう思いながら僕は歯を食いしばって生きていましたが、30歳を境に現実の世界へ引き戻されました。
いつしか “根拠のない自信” は “根拠のある自信喪失” へと転落。
やがて、“根拠のある自信” を探して、さ迷い歩くようになりました。
昨日、大リーグのドジャースが、リーグ優勝を決めました。
おめでとうございます。
有言実行の大谷選手はメジャー7年目にして、ワールドシリーズ進出を手に入れました。
で、その前日。
日本のテレビでは、野球解説者をスタジオに招いて、ドジャースVSメッツ戦の勝敗のゆくえを予想していました。
元メジャーリーガーの解説者は、こう言いました。
「根拠はありませんが、ドジャースが優勝するでしょう。大谷翔平がいますから」
このコメントに、僕は思わず吹き出してしまいました。
「なんだよ、ちゃんと大谷がいるっていう根拠があるじゃねーか!」
ってね。
そーなんです、大谷翔平は今や勝つための “根拠” になっているのです。
彼なら絶対やってくれる。
彼がファンを裏切るわけがない。
そんなスーパースターが、この世にいるんですね。
みんな大好き、オオタニサン!
ワールドシリーズは、絶対にドジャースが勝利します。
だって根拠はないけど、大谷翔平がいますから!
2024年10月21日
バカモンに告ぐ!
バカモ―――――――ン !!!!!!!
と、声を大にして言ってやりたい。
物騒な世の中になりました。
首都圏で頻繁に発生している強盗事件のことです。
深夜の住宅街で、ガラス窓をぶち壊し、住民を縛り上げ、金品を強奪するという悪質極まりない犯罪です。
そして先日、ついに死者が出てしまいました。
横浜市の住宅で住民の男性が殺害された事件で、実行役の一人として逮捕された容疑者は、22歳の青年でした。
いわゆる 「闇バイト」 というサイトから募集したメンバーの一人です。
彼は逮捕後、こう供述しています。
「税金の滞納が数十万円あり、短期間で稼げるアルバイトをSNSで探した」
バ、バ、バッカモ――――――ン !!!!!
であります。
何という短絡的な考え、何という愚かな行動、バカも休み休み言えってんだい!
犯行理由が気に入りません。
無性に腹が立ちます。
というのも、僕にも同様の苦い過去があるからです。
「税金の滞納が数十万あり」
本当につらい時期でした。
督促状が来るものの、無い袖は振れません。
それでも執拗に督促状は、送り付けられてきます。
そして、ついには口座の差し押さえを食らってしまいました。
絶体絶命のピンチ!
当時は、SNSも闇バイトもありません。
金を貸してくれる人もいません。
でも僕は、どうにかピンチをくぐり抜けました。
どうやって、くぐり抜けたと思いますか?
役場に月参したのであります。
毎月決まった日に、仕事の内容と入金予定を報告に行きました。
役人だって、人間なんです。
命までは取りません。
正直にお金がないことを話し、今は無いけど払う意思はあり、「こんだけ頑張っています」 という姿勢をみせれば、ちゃんと相談に乗ってくれます。
「では頑張って、納税しましょうね。来月もお待ちしています」
って毎月、僕の背中を押してくれました。
そして、完済した時には、一緒になって喜んでくれました。
おい、闇バイトに手を染めた実行役の容疑者よ!
なぜ、真面目にコツコツと働いて、返済しようとしなかったんだよ!
たった22歳で、人生を棒に振ってしまって、いいのかよ!
真面目に生きていれば、どこかで誰かが見ていてくれて、人生 (みち) は必ず切り開かれるんだぜ!
バカモ――――――ン !!!!!
2024年10月20日
「群馬の温泉学」 公開講座
なんだか、とっても疲れやすくなりました。
加齢とともに、体力の減退を感じます。
顕著なのは、講演会です。
10年前は、日に午前と午後の2講演を平気で行っていましたけど、今はダメです。
午前か午後、どちらかにしてもらっています。
だって “しゃべる” って、けっこう体力を使うんですよ。
90分の場合はノンストップで、2時間の場合は途中に休憩を入れますが、それでも110分は話します。
おまけに温泉がテーマの場合は、最後に歌まで歌いますから、もうヘロヘロになってしまいます。
さらに午前開催の場合は、会場が遠いと、早起きをしなくてはなりません。
そもそもが夜型の人間ですからね。
当然、寝不足になります。
なので、主催者の都合もあるでしょうが、「できれば午後で」 とお願いしています。
講演終了後、主催者は必ず 「お疲れさまでした。お茶でもどうぞ!」 と言って、応接室や事務室に通されます。
そこでまた、雑談が始まるわけです。
お気持ちはありがたいんですけど、僕の頭の中は、もう、プシューっとビールのプルタブを開けているんです。
「お茶よりも、1分1秒でも早く、ビールを!」 ってね。
ということで、1日1講演、しかも午後開催がベストなんであります。
以前にも告知しましたが今週、高崎市で公開講座が開催されます。
しかも予約不要、定員も年齢制限もありません。
聴講希望の人は、直接、会場に来てください。
という、なんとも自由な温泉講座なのです。
はてさて、どんな講座になるのでしょうか?
講師の僕も今からワクワクしています。
たくさんの方のお越しをを、お待ちしております。
群馬の温泉学講座 「群馬は温泉パラダイス」
●日時 2024年10月24日(木) 13時15分~
●会場 京ケ島長寿センター 大広間
●講師 小暮 淳 (温泉ライター)
●対象 ※高崎市民 (年齢制限なし)
●定員 なし
●受講 無料
●申込 不要 (直接会場へお越しください)
●問合 高崎市京ケ島長寿センター TEL.027-352-0058
(高崎市矢島町229)
※高崎市外在住者も参加可能のようです。お問い合わせください。
2024年10月19日
エルタのいた庭
♪ あるこう あるこう わたしはげんき
僕の一番古い記憶は、幼稚園での読み聞かせです。
60年以上も昔のことなのに、本を読んでくれた先生の顔も、話の内容も、はっきりと覚えています。
『かえるのエルタ』 と 『いやいやえん』
とっても不思議な話でした。
『かえるのエルタは』 は、男の子が拾ったカエルのおもちゃが、雨に濡れると本物のカエルになり、カエルの城に連れていかれる話です。
『いやいやえん』 は、親の言うことをきかない男の子が、なんでもワガママが通る自由だけど、だらしない保育園に通わされてしまう話です。
どちらも奇想天外なストーリーで、ワクワクしながら何回も先生にせがんで、読んでもらった記憶があります。
その作者、児童文学者の中川李枝子さんが亡くなられました。
89歳でした。
小学生になってからは図書館で、中川さんの代表作となった 『ぐりとぐら』 や 『そらいろのたね』 なども読みました。
中でも 『ぐりとぐら』 シリーズは大好きで、繰り返し読みました。
長じて、東京の書店でアルバイトをした時に、改めて全シリーズを買い集めたくらいです。
だから今でも、僕の手元には 『ぐりとぐら』 の絵本があります。
新聞で訃報を知った時、まっさきに思い浮かんだのは、幼稚園の庭でした。
カエルを見つけて、「エルタだ!」 「エルタだ!」 と言いながら、追いかけまわした光景です。
「エルタ~、お城へ連れてってよ~」
みんなでカエルを追いかけた夏の庭。
遠い遠い思い出です。
ちなみに、アニメ映画 『となりのトトロ』 のオープニング曲 「さんぽ」 の作詞も中川李枝子さんです。
ご冥福をお祈り申し上げます。
2024年10月18日
だから恋なんてしない
15年、いや、それ以上前からだと思う。
最初に、のれんをくぐったのは、いつだったのか?
たぶん、絵本作家のN先生 (故人) に連れられて行ったのが最初だったと思う。
酒処 「H」。
たびたびブログにも登場する、我らのたまり場である。
昨日、1カ月ぶりに、のれんをくぐりました。
まだ午後4時だというのに、カウンター席には3人の客がいました。
すべて見知った顔ばかりです。
「あら、ジュンちゃん」
「久しぶりだね」
「忙しいんだって」
いつもなら週に1回は顔を出していたのですが、なんだかんだと仕事とヤボ用が重なり、1カ月のご無沙汰ぶりとなりました。
その後も、1人、2人と客がやって来て、狭い店内は、あっという間に満員御礼です。
ここは、常連客が自称する “前橋一、繁盛している店” なのであります。
「なんで1カ月も来なかったの?」
「そうだよ、ジュンちゃんらしくない」
「怪しいな」
「ほんと、ほんと、絶対に怪しい」
と、いつしか話題は、なぜ僕が1カ月も店に来なかったのか? に集中。
ママまでもが、
「もしかして、恋?」
なんて言い出すものだから、常連客らに火がついてしまい、
「恋だ、恋!」
「え~、ジュンちゃん、恋しちゃってるの?」
「相手は誰だれ? 私たちの知っている人?」
「だから――ッ! 忙しかっただけだって!」
と、ムキになって説明すればするほど、墓穴を掘っていきます。
「ますます、怪しいな」
「そうだよ、正直に話しなさい」
と、詰め寄られ、しまいには、
「店に入って来た時から雰囲気が、おかしかったんだよね」
と、ママ。
すると女性客の一人が、
「そうそう、いつもと違った。なんか、ちょっとカッコつけていたよね」
う、う、ウソだー!
ねつ造だ! でっち上げだ! 冤罪だ~!
さらに、ますます僕に対しての “いじめ” はエスカレートしていき、
「髪型が変わった」 とか 「顔がほっそりした」 とか 「腹が引っ込んだ」 とか、肉体的な虐待(?)にまで及んだのです。
「だ、か、ら、ただ仕事が忙しかっただけだってば―――!!!」
なんとも他愛のない話で、小一時間も盛り上がってしまいました。
でもね、もし僕が今、恋をしているとしたら、それはママにですよ。
ママとママの手料理と、この店。
それと、くだらない話を延々とできる気の置けない常連客たちです。
思い返せば、僕はいつも、いいことがあった日や頑張った日に、自分へのご褒美として 「H」 に来ていました。
よき酒、よき味、よき仲間たちに会いに……
大好きだよ、みんな!
だから、よそで恋なんてしていないんです。
2024年10月17日
無味無収
以前、「趣味がない」 ことを書いたところ、ブログを読んだ、さる著名な方からコメントをいただきました。
「私も同じです」 と。
(2024年9月10日 「無趣味は七難隠す」 参照)
いえいえ、滅相もありません。
僕とその方では、地位も名誉も財産も違い過ぎます。
同じは同じでも、たぶん、その方は、“仕事が趣味” になられたんだと思います。
一方の僕は、“趣味が仕事” になった人間です。
正確に表現するならば、趣味を仕事にせざるを得なかったのです。
30~40代の僕は、それはそれは思い出すのもおぞましいほどの貧乏でした。
子だくさんの銭失いで、仕事と育児とローンに追われる毎日。
働けど働けど、一向に暮しは豊かにはなりませんでした。
そんな中で唯一のレジャーが、登山でした。
金のかからない遊びを探した結果、握り飯だけ持って、自分の体力だけで一日楽しめるのですから好都合でした。
よって我が家の子どもたちは、3歳になると “山デビュー” をさせました。
目標は、「我が家から見える山は、すべて登る」。
赤城山や榛名山の全峰から遠く埼玉の山々まで制覇しました。
だから登山は、趣味ではありません。
金のない我が家の、苦肉のレジャーだったのです。
それが、のちに新聞の連載となり、著書として出版され、いつしか趣味が仕事になったように報じられたのです。
温泉もしかり、民話もしかり、地酒もしかりです。
趣味にすると、お金がかかります。
でも仕事にしてしまえば、お金になるのです。
「無 (趣) 味 無 収 (入)」 ゆえの生きる術だったのです。
無趣味なのは、収入が無いことの裏返しなんですね。
まあ、貧しかったからこの仕事に就けたのですから、今となっては無趣味に感謝しています。
やっぱり、無趣味バンザ~イ! \(^o^)/
2024年10月16日
4.8%のオタク
物心ついたときには、いつも身近なところに新聞がありました。
10代~20代に東京で一人暮らしをしていた時も、欠かさずに新聞を取っていました。
そして現在は、もう何十年と全国紙と地方紙の2紙を購読しています。
今週は 「新聞週間」 です。
みなさんは、新聞を読んでいますか?
新聞通信調査会によれば、現在の新聞購読率 (2023年調べ) は、58.1%です。
10年前 (2013年) が81.2%ですから、この10年で一気に新聞離れが進んだことになります。
同時期に普及したものはスマホですから、たぶんこれが新聞離れの一番の要因だと思われます。
さらに調査によれば、購読している58.1%のうち、1紙のみの購読は95.2%。
2紙以上となると、わずか4.8%です。
僕は、かなり少数派ということになります。
自他ともに認める 「新聞オタク」 であります。
気になるのは、新聞離れの理由です。
アンケートによれば、まず新聞を読む理由は?
●情報や話題が豊富
●自分のペースで読める
●仕事や生活に役立つ
●習慣だから
では、逆に新聞を読まない人の理由は?
●インターネットのニュースで十分
●テレビのニュースで十分
●購読料が高い
●習慣がない
ここで僕は、ハタと気づきました。
新聞を読む人と読まない人では、新聞に求めているものが違うということです。
読まない人は、新聞を “ニュース” を知る媒体だと思っているんですね。
だからテレビやインターネットで十分だと。
でも新聞を読んでいる人の視点は違います。
“役立つ” ところに重きを置いています。
そして、何よりも一番の違いは 「習慣」 の有無です。
僕が毎日、新聞を読むのは、子どもの頃からの習慣だからなんですね。
毎日、顔を洗ったり、歯を磨くのと同じことです。
朝起きたら、まずは郵便受けから新聞を取り、コーヒーを飲みながら新聞を開く……
これが毎日のルーティーンです。
以前、このブログでも令和になって、長文が読めない人が増えていることを書きました。
(2024年9月20日 「長文が読めない令和人」 参照)
世の中には、僕のような活字中毒者もいますが、反対に活字アレルギーの人もいます。
長い文章を見ただけで、拒絶する人たちです。
でも、これって、やっぱり習慣なんですよ。
早起きだったり、ジョギングだったり、習慣になってしまっている人にとっては、なんの苦もありません。
だから僕は、「もっと新聞を読め!」 なんて言いません。
みんな自分の生活スタイルで生きればいいんです。
さしずめ僕は、4.8%のオタク人生を満喫し続けたいと思います。
2024年10月15日
只今、連載記録更新中!
高崎市在住で上毛新聞を購読している皆さん、こんにちは!
「スタジオJ」 の小暮です。
えっ、何のことかって?
はい、「スタジオJ」 とは、僕の屋号であります。
唯一、屋号で執筆しているのが上毛新聞の生活情報紙 『TAKATAI (タカタイ)』 (高崎タイムス) なんです。
しかも、パズル!
僕は2000年2月から毎週、『熟語パズル』 を連載しています。
漢字のパズルで、二字熟語と四字熟語の問題を隔週交互に連載しています。
で、気が付いたら連載開始から今年で24年も経っていたんですね!
週刊ですから、その掲載数も半端じゃありません。
今週の掲載で、なななんと! 1,135回を数えます。
只今、最長連載記録を更新中であります。
ということで現在も、来月以降のパズルネタを探しながら、鋭意制作中であります。
ネタなら尽きることはありませんが、その言葉をパズルに仕上げるのに悪戦苦闘していいます。
でもね、パズルを解くのも頭の体操になりますが、パズルを考えて作るのもボケ防止になるんですよ。
目指せ! 連載2,000回!
今後とも 「スタジオJ」 の熟語パズルを、末永くよろしくお願いします。
※ 「タカタイ」 は毎週金曜日の発行です。
2024年10月14日
oh!マイゴッド
八百万というくらいですから、神様はいたるところに居ます。
「トイレの神様」 のように、特定の場所にいる神様。
「笑いの神様」 のように、個人に降臨する神様。
信じようと信じまいと、いつもどこかで神様は、一生懸命に真面目に生きている人たちを見守っています。
僕にも神様がいます。
それは 「取材の神様」。
今までに何度となく降臨して、奇跡を起こして窮地を救ってくださいました。
たとえば、伝説の舞台を探して、さる町の役場を訪ねた時のこと。
七不思議が伝わる寺院の場所を職員に尋ねたところ、
「あれ、住職なら今いましたよ。ほら、あの人ですよ」
とロビーにいた男性を指さしました。
その男性に取材の趣旨を話すと、
「だったら私の車の後をついて来てください。これから寺に帰りますから」
と案内してもらいました。
まさに 「取材の神様」 が降りてきた瞬間でした。
こんなこともありました。
さる神社の境内に、伝説に登場する動物の銅像があるというので訪ねた時のこと。
銅像はあるものの、由来等の説明版は見当たりません。
写真だけ撮って、帰ろうとしたときでした。
一人の老人が近寄ってきて、「何をしているのだ?」 と訊いてきました。
取材で訪れたことを説明すると、なんと老人は、「だったら、うちへ来い」 と言うのです。
話を聞けば、この老人は、この像の設立実行委員会の委員長だったのです。
この日は、偶然、神社の前を通ったといいます。
これまた 「取材の神様」 が降臨した瞬間でした。
先週、またまた神様が降臨しました。
伝説の “石” を探して、さる神社を訪ねました。
資料によれば、その “石” は、今も神社にあると記述されているのです。
ところが、境内を探しても、そのような石も案内板も見当たりません。
運よく、数人の氏子らしき人たちがいました。
たまたま併設されている公民館の清掃活動に来ていたようです。
「その石なら、〇〇さんちにあるよ」
一人の男性が教えてくれました。
「ここには、ないんですか?」
「〇〇さんちの庭に、埋もれているよ」
道を教えてもらい、〇〇さん宅を訪ねてみると、確かに庭の隅に、ひっそりと石が埋まっていました。
「この石が見たいなんて訪ねてきた人は、初めてですよ(笑)」
と住民も驚いていましたが、話を聞くと、謎は解けました。
昔は家の前に鳥居があり、ここから参道が始まっていたということ。
「たぶん先祖は、神社の敷地内に家を建てたんではないか」
と言います。
もし取材日が違ったら、もし取材時間がずれていたら、神社に氏子はおらず、無人だったはず。
やはり 「取材の神様」 のおぼし召しなのだと思います。
神様、これからも援護をお願いいたします。
2024年10月13日
噓も方便
「洗濯屋」 と聞くと、「ケンちゃん」 と即座に反応してしまうのは、どっぷり昭和の時代に思春期を過ごしたからでしょうか?
たぶん同世代の男性は、みなさん、お世話になったのではないかと思います。
でもね、よくよく回想すれば、「洗濯屋」 なんて呼んでなかったですよね。
僕が小学生の時は、すでに 「クリーニング屋」 でした。
町内に一軒だけあったクリーニング店。
大きな白い布製のバッグが荷台にくくり付けた自転車に乗って、毎日のようにお兄さんが家にやってきました。
「毎度、Fクリーニングですけど、奥さん、どう? 間に合ってる?」
そう一声かけて、行きます。
当時の家庭用洗濯機には、脱水機能はありませんでした。
洗い終わった洗濯物は、2本ののゴムのローラーの間にはさんで、ハンドルを回しながら圧縮する “しぼり装置” が付いていました。
今思うと、かなり荒っぽいやり方です。
生地は傷むし、よくボタンも取れていました。
だからクリーニング屋は、繁盛していたんですね。
スーパーもコンビニもなかった時代です。
我が家を訪れていた商人のなんと多かったことか!
酒屋も米屋も、みんな御用聞きと配達に来ました。
夕方になると現れたのは、豆腐売りと納豆売りでした。
豆腐売りは、吹くラッパの音が合図です。
「プープ、プープ」 という音が、子どもには 「とーふ、とーふ」 と聞こえたものです。
「ジュン、豆腐2丁、買ってきて」
とオフクロに言われ、丼を持って、通りへ飛び出して行ったものです。
もちろん、当時の豆腐は今のように一つずつがパッケージなどされていません。
豆腐売りのおっちゃんは、水の中に浮いている豆腐を、そのまま手づかみですくい上げて、丼の中に入れてくれました。
納豆売りは、かなり高齢のおじいちゃんでした。
「なっと、なっとー! なっと、なっとー!」
と、よく通る声が夕暮れの町中に響いていました。
納豆も今のように発泡スチロールの容器になんて入っていません。
ワラにくるまれたものと、経木という木を薄くスライスした皮で包まれた三角形のものとありました。
ワラに包まれたものは高級だったので、庶民はもっぱら三角形の納豆を買っていました。
子ども心に、強烈な印象で記憶に残っているのが、海産物を売りに来る行商でした。
やって来るのは、決まって腰の曲がったおばあさんです。
大きな、それはそれは大きな、自分の体より大きい袋を抱えて、突然、玄関に現れます。
「どっこいしょ」 と言って袋を下ろし、玄関の上り口に干物や海藻類を並べ始めます。
「ワカメ、買ってよ」 「味が全然違うから」 「ほら、一口味見してみて」
と矢継ぎ早に、まくし立てます。
玄関でオフクロが困っていると、奥からオヤジが出てきて言いました。
「おばさん、こめんね。俺の姉さんはさ、新潟の柏崎に嫁いだんだよ。だからさ、海のものは食いきれないくらい送られて来るんだよ」
ウソだ! ウソだ!
今、とうちゃんは、ウソをついた。
子どもには 「ウソつきは泥棒の始まりだ」 と言っておきながら、平気でウソをついている。
だって、新潟に伯母さんなて、いないもん!
「そうかい、そりゃ悪かったね。失礼するよ」
と、おばあさんが広げた海産物を仕舞い始めると、オヤジは言うのでした。
「おばさん、お茶を一杯飲んでいきなよ。歩き続けで、疲れただろう」
お茶を飲む間、オヤジはおばあさんの身の上話を聞いてあげていました。
「嘘も方便」 という言葉を知ったのは、もう少し大きくなってからのことでした。
2024年10月12日
身を投げた娘が沼に残した物
面白い! 面白過ぎる!
これだから “謎学の旅” は、やめられません。
僕は2018年8月、『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) という著書を出版しました。
おかげさまで3年後の2021年7月には、第2刷が増刷されました。
新しい帯には、こんなキャッチコピーが付きました。
≪ここから謎学の旅は始まった。≫
なぜ、謎学の旅なのか?
この本は、ただ単に民話や伝説を紹介しているのではありません。
必ず、その舞台を訪ね歩いています。
それは、舞台が分かれば、謎が解けるからです。
なぜ、伊勢崎に浦島太郎の墓があるのか?
なぜ、文福茶釜には蓋(ふた)がないのか?
なぜ、カッパは七年に一度、現れるのか?
なぜ、沼田は “天狗の町” になったのか?
なぜ、妖怪チャンコロリンは安中の宿場に現れたのか?
民話や伝説とは、ほとんどが創話です。
だから99%がウソ (ねつ造) です。
でも、なぜ、そのような荒唐無稽な話が誕生したのか?
それなりの理由があるはずです。
これが、1%のマコト (事実) です。
この1%を探すヒントは、舞台にあります。
これが 「謎学の旅」 なのです。
昨日、赤城山の小沼 (この) へ行ってきました。
戦国時代末期の永禄年間 (1558~1569) のこと。
赤城山南麓にある赤堀村 (現・伊勢崎市) に住む長者の娘が、16歳になった年の4月8日に突然、「赤城山に登りたい」 と言い出し、下男と下女をお供に、赤城山へと向かいました。
そして、小沼のほとりまで来ると、「水が飲みたい」 と言い、転げ落ちるようにして沼の端まで下りて行き、そのまま身を投げてしまいました。
日本全国に存在する、いわゆる 「入水伝説」 です。
著書の中でも、榛名湖に身を投げた 『木部姫伝説』 を紹介しています。
ストーリーは、似ています。
でも、今回訪ねた小沼には、とんでもない事実がありました。
入水前、娘が沼のほとりに置いて行った “あるモノ” が、今でも大切に保管されているというのです。
しかも、それは、下男下女が持ち帰ったものではありません。
そのモノがあるのは、遠く離れた県北東部の村にある山寺でした。
なぜ、誰が、何のために、持ち出したのか?
その真実が分かれば、娘が入水した理由も分かるのではないか?
近々、寺の住職に話を聞きに行ってきます。
謎学の旅は、つづく……
2024年10月10日
冷たい雨の日に
一昨日、10月8日は二十四節気の一つ 「寒露(かんろ)」 でした。
冷たい露が下りて、冷え込みが増す時季とのこと。
まさにその通りの日々が、始まりました。
昨日は前橋市内の会議所にて、温泉をテーマにした講演会があり、僕は講師として壇上に立ちました。
主催は、町の社会福祉協議会。
町内に回覧版が回ったこともあり、申込者は50名以上もあったとのことです。
ところが昨日は、朝からの雨。
しかも大降りです。
気温は17度。
会場へ向かう車の中で、せわしなく動くワイパーを見ながら、ため息をついてしまいました。
すべてのイベントは、天候に左右される……
「おはようございます。お待ちしておりました。今日はよろしくお願いいたします」
自治会長の出迎えを受け、会場内へ。
すでに受付が設けられていて、スタッフが2名、手際よく講演会の配付資料をセッティングしていました。
「よろしくお願いします。あいにくの雨ですけど」
今度は僕から声をかけました。
「ええ、欠席者が増えるかもしれませんね」
と一人が答えると、もう一人が、
「K町の人はまじめな人が多いから、雨でも来ると思いますよ」
午前10時、開演。
開けてみれば、なななんと! 来場者は60名を超えていました。
なんでも、予約なしに当日参加した人が何人もいたとのことです。
「えっ、この雨にもかかわず」
驚く僕に、会長は、
「はい」
「ありがたいことですね」
「先生の人気ですよ(笑)」
途中、10分間の休憩をはさんだものの、たっぷりと2時間にわたる講演を終えることができました。
「温泉に行きたくなった人?」
講演終了後、司会者が訊くと、
「ハーイ!」
と全員が手を挙げていました。
ジーンと胸に込み上げて来るものがあります。
ああ、温泉ライターをやっていて良かった。
講演活動を続けてきて良かった。
一人でも多くの人が温泉の魅力を知って、温泉に行ってくれたら、こんなに嬉しいことはありません。
「入って残そう、群馬の温泉」
これからも僕は、そう語り続けていきます。
次は、あなたの町へ行きます。
2024年10月08日
京ケ島に、おいでよ!
5年前までは講演やセミナー、講座の講師を年間約30回ほど行っていましたが、コロナ禍で激減。
半分以下になってしまいましたが、昨年あたりから、また依頼が増えてきました。
でも、やはりほとんどの場合が、エリアと年齢が限定です。
一般公開は、年間通じて数えるほどしかありません。
久しぶりに、自由参加、予約不要の公開講座が実施されることになりましたので、お知らせします。
たくさんの方のお越しを、お待ちしております。
群馬の温泉学講座 「群馬は温泉パラダイス」
●日時 2024年10月24日(木) 13時15分~
●会場 京ケ島長寿センター 大広間
●講師 小暮 淳 (温泉ライター)
●対象 ※高崎市民 (年齢制限なし)
●定員 なし
●受講 無料
●申込 不要 (直接会場へお越しください)
●問合 高崎市京ケ島長寿センター TEL.027-352-0058
(高崎市矢島町229)
※高崎市外在住者も参加可能のようです。お問い合わせください。
2024年10月07日
「あとがき」 を読んで
「『上毛カルテ』 はありますか?」
後片付けを終えて、両手に荷物を抱えて、駐車場へ向かっているときでした。
男性から声をかけられました。
昨日、玉村八幡宮 (佐波郡玉村町) で開催された街頭紙芝居と 「ガマの油売り」 の公演終了後のことです。
午前1回、午後2回公演あり、僕は会場にブースをいただき、著書の販売をしました。
その男性は一度、午前の回に来られ、『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』 を購入して帰られました。
その時、「ちいきしんぶん」 の記事で、今日、僕がこの会場に居ることを知り、高崎から来たことを告げられました。
「ちいきしんぶん」 は高崎市内で配布されているフリーペーパーです。
その男性が、午後の公演終了後に、また会場に現れたのです。
「ありますよ。でも、どうされたんですか?」
僕が驚いて問うと彼は、こう答えました。
「あれから家に帰って、すぐに本を読み出したんですけど、『あとがき』 を読んだら 『上毛カルテ』 のことが書かれていて、面白そうだなと思って、買いに来ました」
『上毛カルテ』 とは、平成9(1997)年に出版した僕の処女エッセイです。
すでに絶版になっているので、書店では購入できません。
一部、ネット上で中古品が売買されているようですが、それ以外は、著者の手売りによる在庫販売のみです。
まあ、自分で言うのもヘンですが、読者にとっては、かなりレア本だと思います。
それを 「まだ会場にいるかもしれない」 と思った男性は、また、わざわざ高崎から買い求めに来てくださったのですね。
ありがとうございます。
著者冥利に尽き、ただただ頭が下がります。
で、「あとがき」 に何を書いたのだろう? と、改めて、著書をチェックしてみました。
<思えば私にとっての “謎学の旅” は、ちょうど30年前、タウン誌の編集者になった時から始まっていました。人手が足りなかったこともあり、入社早々、巻頭の特集エッセーを書かせてもらえました。(中略) その後、このエッセーは1997年11月に 『上毛カルテ』 (上毛新聞社) と改題され、書籍として出版されました。>
この一文を読んで男性は、再度、僕に会いに来てくださったということです。
著者として、大変貴重な体験をさせていただきました。
Tさん、ありがとうございました。
2024年10月04日
なぜガラメキ温泉は消えたのか?
「お孫さんと旅行したんですってね」
「上牧温泉へ行かれたんですよね」
初対面の人たちから言われました。
なんで知ってるの?
ブログ読んでるのかな?
戸惑っていると、こう返ってきました。
「ラジオを聴きました」
「ラジオを聴いてます」
そうなんです!
僕は今年4月から毎月1回、エフエム群馬の生放送に出演しているのです。
放送日は、第2水曜日の夕方。
ニュース番組 『news ONE』 の中の 「Voice (ヴォイス)」 というコーナーです。
毎回、テーマを変えて、群馬県内の温泉話をしています。
お相手のアナウンサーは、温泉ソムリエの資格を持つ岡部哲彦さん。
ということもあり、かなりマニアックな話をしています。
先月は、太宰治が泊まった宿の話をしました。
さて、今月のテーマは?
「消えたガラメキ温泉」 について、お話しします。
消えた温泉とは、かつて旅館があった温泉地のこと。
県内には、いくつもありますが、そのほとんどは源泉が涸渇してしまったか、ダム建設に伴い湖底に水没して姿を消した温泉地です。
ところが、榛名山中にあったガラメキ温泉の3軒の宿は、終戦直後、こつ然と姿を消しました。
何があったのでしょうか?
消えた温泉史上、もっとも不可解で理不尽なガラメキ温泉の数奇な歴史を追います。
乞う、ご期待!
お聴き逃しなく!
■放送日 10月9日(水) 18:37 頃~
■放送局 FM GUNMA (86.3MHz)
■番組名 『news ONE』 月~水 18:00~18:55
■出演者 岡部哲彦 (アナウンサー)、小暮 淳 (温泉ライター)
2024年10月03日
あけび、あけび、何見て●●●
10月なのに、連日の真夏日。
さすがに朝夕は、だいぶしのぎやすくなってきたけれど、それでも日中は、たまらん!
だったら避暑に出かけよう!
ということで、遅ればせながら北軽井沢の別荘へ行ってきました。
別荘?
僕の?
いえいえ、僕が持っているわけないじゃありませんか!
友人の知人が所有する別荘であります。
ひょんなことから誘われて、別荘で 「語り明かそう!」 となったのです。
標高約1,000メートルの浅間高原。
うっそうと生い茂る自然林に埋もれるようにたたずむ一軒家。
千葉県在住の某氏の別荘です。
集まったのは某氏を含め5人の男女。
年齢は全員が60代です。
ただし、僕以外はすべて演劇関係者でした。
僕とは異次元の世界で活動する人たち。
では、なぜ僕なんかが呼ばれたのでしょうか?
とっても偶然な出来事がきっかけで、この日の晩餐に招待されました。
それは8月に県内で開催された、あるイベント会場でした。
そこに友人の知人、そう、この別荘の主が来ていました。
初老の男性を紹介され、数分の立ち話をしたのですが、そのとき、なぜかビビビッと何かを感じました。
僕がビビビッと感じたのと同様に、某氏もビビビッと感じたようで、その後、友人を介して、別荘への招待話が舞い込んだのであります。
某氏は、演出家であり、脚本家であり、役者でもあります。
お仲間たちは、彼の舞台を支える照明や音響のスタッフたち。
僕は彼らの話に、ただただ興味津々。
暖炉で赤々と燃える炎と、薪のはぜる音をBGMに、彼らの演劇に傾ける情熱話を、半分うらやましく、でも微笑ましく聞いていました。
そして、ビールから始まり、ワイン、焼酎、日本酒と持ち寄った酒が空になるころ、僕らは眠りにつきました。
一夜明けて。
某氏が長靴に高枝バサミを持って、出かけて行きました。
朝食後のデザートをごちそうしてくれるといいます。
10分もすると某氏は、ざるかごにいっぱいのアケビを抱えて帰ってきました。
どれも大きくて、紫色の表皮がツヤツヤとして、実にみずみずしい。
そして、パックリと割れています。
中を覗き込むと、これまた真っ白な果肉がシットリと濡れ、黒い種がピチピチと踊っていました。
「おおおお―――ッ!」
声が上がります。
さっそく、いただくことに。
「甘ッ」 「あま~い」
口々に感動の食レポが。
食べたことのある人は分るでしょうが、アケビの甘さって、独特ですよね。
他の果実にはない、まるで上質の和菓子のような甘味があります。
♪ あけび、あけび、何見て●●●
僕が歌い出すと、誰ともなしに後を続けます。
♪ 下の●●●● 見て●●●
山の中は、もう、すっかり秋です。