2022年07月23日
消えた東村を追え!
きっかけは、オヤジが残した一冊の本でした。
※(当ブログの2022年3月9日 「父の遺書 ~消えた東村~」 参照)
かつて群馬県には、5つの “東村” がありました。
群馬郡東村
利根郡東村
佐波郡東村
勢多郡東村
吾妻郡東村
しかし、昭和と平成の大合併により、すべて消滅しました。
なぜ、群馬県には同じ名前の村が5つも存在したのでしょうか?
調べてみると、全国でも同名町村が、こんなにもあった都道府県は珍しいことが分かりました。
なぜ、存在したのか?
一般にいわれているは、その郡の東端にあった村だからという説。
でも、これは信憑性に欠けます。
だって、西村も北村も南村もないからです。
なぜ、東村のみ存在したのでしょうか?
ということは、“東” は東西南北の方位ではなく、別の意味があるのではないか?
“別の意味” とは何だ?
現地へ行けば、その謎が解けるかもしれない。
だったら、5つの東村を片っ端から訪ねてやれ!
ということで、僕の謎学の旅が始まりました。
まずは最初に消えた東村へ。
昭和29(1954)年に、群馬郡東村は前橋市に編入されました。
場所は、現在の利根川の西。
古市町、新前橋町、小相木町、光が丘町、朝日ヶ丘町、江田町、上新田町、下新田町、川曲町、稲荷新田町、大利根町、箱田町、前箱田町、後家町の14町です。
どの町から歩けばいいのか?
こういった場合、まずは、現在の中心地からスタートします。
箱田町には、その名もズバリ 「東公民館」 があります。
しかも公民館には、前橋市立図書館の分館が併設されています。
取材の勘は、的中しました!
分館には、中央の図書館では蔵書されていない、地元の人が書いたローカルな本にめぐり合えるからです。
手にした本のタイトルは、『あずま・てくてく』。
編集と発行は、東公民館と東地区自治会であります。
重箱の隅をつつくには、これ以上のバイブルはありません。
さっそく、この本で仕入れた情報をもとに、旧東村の歴史を残す名所を歩くことにしました。
神社仏閣はもちろん、現在でも “東” の名を残す場所をめぐって来ました。
残る東村は、4つ。
はたして、5つの東村に僕が立てた仮説は、当てはまるのでしょうか?
次の東村を訪ねたいと思います。
謎学の旅は、つづく。
Posted by 小暮 淳 at 11:29│Comments(2)
│謎学の旅
この記事へのコメント
あずま:東、吾妻(群馬だけではないよ、福島、長崎にもあった地名だよ)、吾嬬。
上方(かみがた)から東にある(長崎は分からんけどね)という意味では?
「吾妻鏡」という歴史書もあるし、群馬だけで考えていてははだめで、上代(飛鳥時代~奈良時代)の上方、鎌倉時代の鎌倉にワープしましょう!
上方(かみがた)から東にある(長崎は分からんけどね)という意味では?
「吾妻鏡」という歴史書もあるし、群馬だけで考えていてははだめで、上代(飛鳥時代~奈良時代)の上方、鎌倉時代の鎌倉にワープしましょう!
Posted by ごんちゃん at 2022年07月24日 06:08
ごんちゃんさんへ
貴重な情報をありがとうございます。
さっそく鎌倉へワープいたします。
なんだか仮説に近づいたような気がします。
貴重な情報をありがとうございます。
さっそく鎌倉へワープいたします。
なんだか仮説に近づいたような気がします。
Posted by 小暮 淳 at 2022年07月24日 11:00