2024年10月13日
噓も方便
「洗濯屋」 と聞くと、「ケンちゃん」 と即座に反応してしまうのは、どっぷり昭和の時代に思春期を過ごしたからでしょうか?
たぶん同世代の男性は、みなさん、お世話になったのではないかと思います。
でもね、よくよく回想すれば、「洗濯屋」 なんて呼んでなかったですよね。
僕が小学生の時は、すでに 「クリーニング屋」 でした。
町内に一軒だけあったクリーニング店。
大きな白い布製のバッグが荷台にくくり付けた自転車に乗って、毎日のようにお兄さんが家にやってきました。
「毎度、Fクリーニングですけど、奥さん、どう? 間に合ってる?」
そう一声かけて、行きます。
当時の家庭用洗濯機には、脱水機能はありませんでした。
洗い終わった洗濯物は、2本ののゴムのローラーの間にはさんで、ハンドルを回しながら圧縮する “しぼり装置” が付いていました。
今思うと、かなり荒っぽいやり方です。
生地は傷むし、よくボタンも取れていました。
だからクリーニング屋は、繁盛していたんですね。
スーパーもコンビニもなかった時代です。
我が家を訪れていた商人のなんと多かったことか!
酒屋も米屋も、みんな御用聞きと配達に来ました。
夕方になると現れたのは、豆腐売りと納豆売りでした。
豆腐売りは、吹くラッパの音が合図です。
「プープ、プープ」 という音が、子どもには 「とーふ、とーふ」 と聞こえたものです。
「ジュン、豆腐2丁、買ってきて」
とオフクロに言われ、丼を持って、通りへ飛び出して行ったものです。
もちろん、当時の豆腐は今のように一つずつがパッケージなどされていません。
豆腐売りのおっちゃんは、水の中に浮いている豆腐を、そのまま手づかみですくい上げて、丼の中に入れてくれました。
納豆売りは、かなり高齢のおじいちゃんでした。
「なっと、なっとー! なっと、なっとー!」
と、よく通る声が夕暮れの町中に響いていました。
納豆も今のように発泡スチロールの容器になんて入っていません。
ワラにくるまれたものと、経木という木を薄くスライスした皮で包まれた三角形のものとありました。
ワラに包まれたものは高級だったので、庶民はもっぱら三角形の納豆を買っていました。
子ども心に、強烈な印象で記憶に残っているのが、海産物を売りに来る行商でした。
やって来るのは、決まって腰の曲がったおばあさんです。
大きな、それはそれは大きな、自分の体より大きい袋を抱えて、突然、玄関に現れます。
「どっこいしょ」 と言って袋を下ろし、玄関の上り口に干物や海藻類を並べ始めます。
「ワカメ、買ってよ」 「味が全然違うから」 「ほら、一口味見してみて」
と矢継ぎ早に、まくし立てます。
玄関でオフクロが困っていると、奥からオヤジが出てきて言いました。
「おばさん、こめんね。俺の姉さんはさ、新潟の柏崎に嫁いだんだよ。だからさ、海のものは食いきれないくらい送られて来るんだよ」
ウソだ! ウソだ!
今、とうちゃんは、ウソをついた。
子どもには 「ウソつきは泥棒の始まりだ」 と言っておきながら、平気でウソをついている。
だって、新潟に伯母さんなて、いないもん!
「そうかい、そりゃ悪かったね。失礼するよ」
と、おばあさんが広げた海産物を仕舞い始めると、オヤジは言うのでした。
「おばさん、お茶を一杯飲んでいきなよ。歩き続けで、疲れただろう」
お茶を飲む間、オヤジはおばあさんの身の上話を聞いてあげていました。
「嘘も方便」 という言葉を知ったのは、もう少し大きくなってからのことでした。
Posted by 小暮 淳 at 12:04│Comments(0)
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