2022年01月17日
西上州の薬湯 (2) 「泡の出る湯は骨の髄まで温まる」
霧積温泉 「金湯館」 安中市
≪母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね? ええ、夏碓氷から霧積へ行くみちで、渓谷へ落としたあの麦わら帽子ですよ≫
昭和52(1977)年、西条八十の詩の一節を引用したベストセラー小説 『人間の証明』 が映画化され、舞台となった霧積(きりづみ)温泉が一躍ブームとなった。
学生時代に霧積温泉を訪ねた作家の森村誠一は、宿でもらった弁当の包み紙に印刷されていたこの詩に、感銘を受けたという。
映画は、歌手・ジョー山中が歌った主題歌とともに大ヒットした。
「国道から宿までの山道が、渋滞するほど混雑した」
と、3代目主人の佐藤敏行さんは、当時を述懐する。
金湯館の創業は明治17(1884)年。
すでに霧積温泉は湯治場として営業を始めており、同20年には旅館が4軒、別荘が50棟以上も立ち並び、かなりのにぎわいをみせていた。
信越線が開通するまでは、避暑地として軽井沢よりも栄えていたという。
伊藤博文や勝海舟、幸田露伴、与謝野晶子ら政治家や文人たちも多く訪れている。
本館には、明治憲法が草案されたというケヤキ造りの由緒ある部屋が残り、今でも指定して泊まる客が多い。
ところが明治43(1910)年、大洪水による山津波が一帯を襲った。
金湯館ただ一軒だけを残して、すべての建物が泥流に吞み込まれてしまった。
以後、昭和初期まではランプだけの生活が続き、その後も水車やディーゼルエンジンによる自家発電にて営業を続けてきた。
電気と電話が通じたのは昭和56(1981)年のことだった。
湯元として代々守り継いできた源泉は約40度とぬるく、湯に体を沈めると炭酸を含んでいるため泡の粒が付くのが特徴だ。
昔から 「泡の出る湯は骨の髄まで温まる」 と言われ、珍重されて来た薬湯である。
その言い伝えどおり、湯上りはいつまでたっても体がポカポカとほてって、なかなか汗が引かない。
なぜ交通が不便だった時代に、わざわざ人々は、こんな山奥までやって来たのか?
その理由は、この湯に浸かれば一目瞭然である。
切り傷ややけどに効果があるとされ、かの勝海舟も皮膚病の治療に通ったといわれている。
長野県境にある鼻曲山や熊野神社への登山口でもあり、汗を流しに秘湯に立ち寄るハイカーも多い。
<2017年1月6日付>
Posted by 小暮 淳 at 11:03│Comments(0)
│西上州の薬湯