2021年10月07日
湯守の女房 (33) 「人生はなるようになる。流れに任せるのが信条なの」
湯ノ小屋温泉 「清流の宿 たむら」 みなかみ町
水上温泉から利根川の源流沿いを車でさかのぼること約30分。
湯ノ小屋温泉は、新潟、福島両県境に近い、群馬県最北端の温泉地である。
一帯の藤原湖周辺は、万葉集に 「葉留日野(はるひの)の里」 と詠まれた奥深い山里で、奥州藤原氏の落人伝説が残る。
「湯ノ小屋」 の名は、その昔、付近に罪人を山流しにした際、番人が小屋を建てて住んだので付いたとも言われている。
「私は南国育ちですから、最初は、あまりの雪深さに驚きました」
と女将の田村妙恵さんは、湯ノ小屋温泉の初印象を振り返る。
鹿児島県・奄美大島の生まれ。
中学まで島で過ごし、高校から鹿児島市に移り住んだ。
市内の農協に就職し、その農協に勤務していたみなかみ町出身の主人の今朝雄さんと出会った。
8年間の交際を経て、昭和59(1984)年に結婚。
主人の郷里に近い前橋市内の企業に別々に再就職して、新居を構えた。
6年後、湯ノ小屋温泉で民宿を営んでいた今朝雄さんの姪が結婚することになり、夫婦で民宿を継ぐことになった。
「私はずっと事務職でしたから、接客も料理も大の苦手でした。ですから、ずぶの素人が民宿を引き継いでしまったんですよ」
と笑う。
しかし、負けず嫌いで向上心旺盛な性格。
「引き継いだからには、途中で投げ出したくはない」 と、料理の勉強を始めた。
折しも時代は、ネット社会へと向かっていた。
すぐにパソコンを購入して、独学でホームページを立ち上げた。
当時はまだ、独自のホームページを持っている宿は珍しく、みなかみ地域の民宿やペンションの組合からも講習会の講師を頼まれるようになった。
「私が鹿児島出身ということをホームページで知った首都圏在住の鹿児島県人の方々も、訪ねてきてくれました」
宿の名物は、女将手作りの 「薩摩鶏のたたき」。
鹿児島の実家から特別のルートで取り寄せたさまざまな芋焼酎が飲めるのも魅力だ。
「私は根っからの楽天家。人生はなるようになる。流れに任せるのが信条なの」
そう言って、快活に笑ってみせた。
何よりも南国の太陽のようなカラッとした女将の明るさが、一番の名物である。
<2012年10月31日付>
2021年10月06日
「神社かみしばい」 10月口演
「郷土を舞台にした民話や創作劇を紙芝居にして、後世に残したい!」
そんな志からスタートした 『神社かみしばい』。
早いもので今月で、第10回を迎えます。
毎月1回、伊勢崎神社 (群馬県伊勢崎市) で開催している 『神社かみしばい』 では、地元の民話や伝説を題材にした創作紙芝居を上演しています。
第1作では、伊勢崎市に伝わる “浦島太郎伝説” を取り上げました。
題して、『いせさき宮子の浦島太郎』。
海のない群馬県なのに、なぜ浦島太郎なの?
その荒唐無稽な物語には、アッと驚く結末が待っています。
もしかしたら、群馬県が “浦島太郎発祥の地” かも?
そんな思いに駆り立てられる made in Gunma の昔話です。
●作/小暮 淳 (フリーライター)
●画/須賀りす (画家・イラストレーター)
●演/石原之壽 (寿ちんどん宣伝社 座長)
そしてそして!
満を持して先月から登場したのが、上州・群馬の新ヒーロー 「焼きまんじゅうろう」 です。
≪利根の流れに産湯をつかり、空っ風に育てられ、義理と人情のためならば、ガブッと焼きまんじゅうを頬ばって、悪を憎んで西東……。姓は “焼き” 名は “まんじゅうろう” と申しやす≫
そんな口上とともに颯爽と現れる、さすらいのヒーローです。
●作・画/野村たかあき (木彫家・絵本作家)
前橋市在住の絵本作家、野村たかあき先生が、我々の活動に賛同してくださり、創作の絵本紙芝居を書き下ろしてくださいました。
9月の初口演では、県内外から野村先生のファンが大勢来られて、大盛況となりました。
緊急事態宣言が解除されたため、今月からは雨天の場合でも屋内開催が可能になりました。
ぜひ、群馬の民話やご当地ヒーローの活躍をご覧ください。
スタッフ一同、ご来社を心よりお待ちしております。
※10日はスペシャル口演! 作家の著書やイラストの販売があります。
「神社かみしばい」 10月口演
『いせさき宮子の浦島太郎』
『焼きまんじゅうろう 旅すがた ~おきりとおこみの巻~』
●日時 2021年10月9日(土)、10日(日)
10時、11時、12時、13時 ※雨天の場合は屋内開催
●会場 伊勢崎神社 境内 (群馬県伊勢崎市本町21-1)
●入場 無料 (投げ銭制) ※ペイペイ可
●問合 壽ちんどん宣伝社 TEL.090-8109-0480
☆小暮は10日のみ在社いたします。
2021年10月05日
地獄へ行く覚悟
<ある日の事、小学校6年生になっていたその人は、先代さんに言ったそうです。
「お坊さんはいいなぁ。お金には困らまいし、死んだら天国 (子どもの認識における仏の国。豊かで幸せな場所、という意) に行けるんだから…」
すると先代さんは、小学生のその人に対し、
「そうではないんだよ。坊さんっていうのは、天国に行ってはいけないんだ。そうではなくって、お坊さんは、死んだら地獄へ行かなければいけないんだ」
と応えたとのこと。>
先週、テレビの取材で群馬県内のさる天台宗のお寺を訪ねました。
僕は現在、群馬テレビの 『ぐんま!トリビア図鑑』 という番組のスパーバイザー (監修人) をしていますが、同時に番組のレポーターもしています。
年に何本もありませんが、自分がレポーターをする番組については、ロケハンも行います。
「ロケハン」 とは、ロケーションハンティングの略。
ロケ=撮影(本番)、に入る前の下見です。
同時に、出演者などに取材も行います。
同行したのは、番組のディレクターと放送作家です。
3人で県内2ヶ所の寺を回り、撮影場所の確認や出演者との打ち合わせを済ませてきました。
冒頭の話は、その時行った寺の住職からいただいた 「法話集」 に載っていた一話です。
『地獄へ行く覚悟、ありますか?』 というショッキングなタイトルに目が留まり、真っ先に読み始めました。
<(エッ!?)
頭に疑問符を浮かべる小学生に対し、先代さんは続けて、次のように諭したそうです。
「死んだら自分だけ天国に言ったりせず、地獄へ行って、そこで苦しんでいる人たちの事を、(どうかお助けください、お救いください!) と、仏さまに一生懸命お願いするのが、お坊さんの役目なんだよ」 と…。>
この後、法話では、著者 (住職) の心の葛藤が記されています。
<死んでから地獄に行く覚悟かぁ…。
今までの俺にはなかったよなぁ。
お浄土に行くことしか考えてなかったしなぁ。
先代さんは今、どこでどうしていらっしゃるだろう?>
そして著者は、ある見解を導き出します。
それは、逆説です。
<「死後の地獄行き」 を念じながら生涯を尽くしたような人が、結果として、安らかな極楽往生を果たし、やがては仏と成り、地獄に手を差し伸べたりするものかもしれません。>
いやはや、僧侶とて、人の子なんですね。
仏門に入ったからといって、すぐに悟りが開けるものではないんですね。
最後に著者は、こう言葉をつづっています。
<よおし、俺も死んだら地獄へ行くぞ!>
なんとも明るい住職であります。
番組では、住職と僕が、“疫病退散” をテーマに一問一答いたします。
内容の詳細は、後日、発表いたします。
※放送は11月2日(火) よる9時~です。
2021年10月04日
長女M
♪ じれったい じれったい
何歳(いくつ)に見えても 私誰でも
じれったい じれったい
私は私よ 関係ないわ
特別じゃない どこにもいるわ
ワ・タ・シ 長女M ♪
<中森明菜 「少女A」 より>
「マジ、キモいんですけど!」
「キモいって、親子なんだからいいだろ」
「おねえって、おとうのこと好き過ぎだし」
同居している次女に困惑されてしまいました。
なんのことかと言えば、離れて暮らしている長女が、おせっかいにも僕のツイッターを開設した件についてです。
※(当ブログの2021年9月25日 「見るに見かねて」 参照)
長女から連絡があり、さっそく次女も閲覧したようであります。
「迷惑なんですけど!」
「なんで、おまえが?」
「だって私まで、おとうのことが大好きだと思われちゃうじゃない!」
「違うのか?」
「違うね」
「好きじゃないのか?」
「ふ・つ・う!」
なんでもツイッターの中で、僕の活動情報とは別に、時々、長女が娘から見た父としての僕のことや子どもの頃の思い出なんかもつぶやいているらしいのです。
それが、次女いわく、
「父娘ではなく、恋人目線でキモい」
らしいのです。
ということで、僕もなんとか検索して、長女が開設したというツイッターを見てみました。
<本人がガラケーのため家族 (長女M) がTwitterを開設しました>
とあり、僕がメールで送った活動情報が掲載されています。
次女の言うとおり、時々、長女のつぶやきがありますが、僕は好感が持てましたよ。
一方的につづるブログと違い、家族から見た目線で “僕” という人間が赤裸々に語られていて、面白いんじゃないですかね。
「ああ、子どもって、親のことをそんなふうに見ていたんだ」
なんて、うれしいような恥ずかしいような、それでいて胸が苦しいような……
長女Mさん、今後とも末永くよろしくお願いいたしますね。
2021年10月03日
類友記者 ~ふたたび~
「段取りが悪くて申し訳ありません」
先日、取材を受けた新聞記者から、また電話がありました。
読者のみなさんは、覚えていらっしいますか?
10日ほど前、温泉と日本酒が好きな若い記者から僕が取材を受けた話を?
※(当ブログの2021年9月22日 「類友記者」 参照)
実は、その時、ちょっとしたアクシデントがありました。
午前中の2時間、たっぷり取材時間を取ってあったのですが、あまりにも2人の嗜好が似ているもので、話が脱線して、盛りに盛り上がってしまったのです。
僕と記者の歳の差は、37歳!
なのに彼は、温泉が好きで (特に群馬の温泉)、日本酒が好きで (特に群馬の地酒) といいます。
ということで、ついつい “取材” から離れて話が盛り上がってしまい、あっという間に所要時間が過ぎてしまいました。
まっ、僕は、その日一日ヒマでしたから、あと何時間でも大丈夫だったのですが、売れっ子の若手記者は、次の取材アポが入ってました。
「申し訳ありません。まだ写真も撮ってないんですけど、時間になってしまいました。もう一度、会っていただけますか?」
と、脱兎のごとく、彼は姿を消したのでありました。
そして昨日、その “リベンジ取材” の日が来ました。
彼は開口一番、こんなことを言いました。
「あれから小暮さんの本を全部、読みました!」
「全部って?」
「はい、図書館にある温泉関係の本、全部、借りました」
「けっこう、あったでしょう?」
「はい、10冊」
彼の真面目さと熱意が伝わってきます。
今までに何人もの記者から取材を受けてきましたが、「全部読んだ」 という記者は初めてです。
「改めて本を全部読んだら、聞きたいことが、たくさんありまして……」
と、記者らしく、僕の取材方法から原稿を書き上げるまでの過程まで、根掘り葉掘り聞かれました。
でもね、うれしかったんです。
親子以上に年の離れた若い記者が、そこまで熱心に取材相手のことを調べて、納得いくまでトコトン質問する姿が……
逆に僕の方が彼の取材姿勢に恐縮、脱帽してしてしまいました。
絶対、いい記事になるって決まってますって!
今から掲載日が楽しみです。
☆記事は2021年10月10日(日) の読売新聞 (朝刊)、群馬版 「クローズアップ」 に掲載されます。
2021年10月01日
カラスなぜ鳴くの?
秋の日は釣瓶落とし……
夕方5時近くなると、あたりは急に暗くなり始めます。
最近は、外で遊ぶ子どもたちの姿を見かけなくなりましたが、僕が子どもの頃は、小さい子から大きな子まで、みんなが空き地や広場、神社やお寺の境内で、日が暮れるまで遊び続けたものです。
「カー、カー、カー」
どこかでカラスが鳴くと、その日の遊びは、そこで終了です。
「カラスが鳴くから、かーえろー!」
誰かが言うと、
「オレも」 「ワタシも」
と、一目散に家路を急いだものでした。
なんでなんでしょうか?
昭和の子どもたちは、誰もが親に 「カラスが鳴いたら帰って来るんだよ」 と言われていたんですね。
でも、なぜ、カラスが鳴いたら家に帰らなくてはならなかったのでしょうか?
大人たちは、こんなことも言ってました。
「朝からカラスの泣き声が、うるさいね。どこかで人が死んだかね」
実際、その翌日に近所で葬式があったこともあり、子どもたちにはリアルに “カラス” は、あの世からの使者だと信じられていました。
昔々、「死」 というものは “ケガレ” の最たるものとして忌み嫌われていました。
そのため、今のように死者を弔う気持ちもなく、死人が出ると遺棄されていたといいます。
当然、雑食であるカラスは、死体に群がったことでしょう。
また、埋葬が行われるようになっても、死者には枕飯や枕団子といった食べ物をお膳にのせて、墓場まで運びました。
それを狙うカラスが、いつも墓場にいても不思議はありません。
やはりカラスは、死を連想させる不吉な鳥ということになります。
そんな忌み嫌われたカラスが、夕方になると、一斉にねぐらに帰って来ます。
子どもたちが遊んでいた神社やお寺の境内には、大きな木があります。
当然、鳴きますから、時計を持たない子どもたちには、時刻を知る合図にもなるわけです。
これって、今思うと昔の人の知恵だったんですね。
大人たちは、言い伝えや伝説を利用して、子どもたちを怖がらせて、暗くなる前に家に帰ってくるように仕向けていたのだと思います。
そのカラスも今じゃ、ゴミをあさる町のやっかい者あつかいです。
カラスが鳴いたからって、家に帰る子どもは、令和の時代にはいないんでしょうね。