2021年10月27日
湯守の女房 (36) 「群馬県人より群馬県人ぽいって言われるんです」
このカテゴリーでは、ブログ開設11周年企画として、2011年2月~2013年3月まで朝日新聞群馬版に連載された 『湯守の女房』(全39話) を不定期に掲載しています。
湯守(ゆもり)とは源泉を守る温泉宿の主人のこと。
その湯守を支える女将たちの素顔を紹介します。
※肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。
温川温泉 「白雲荘」 東吾妻町
高崎市から草津街道 (国道406号) を北上する。
東吾妻町に入り国定忠治の処刑場跡を過ぎ、忠治が捕まった大戸関所跡前の交差点を左折して須賀尾峠方面へ向かうと、左手に 「浅間隠(あさまかくし)温泉郷」 と書かれた標識が見える。
標識前の分岐を左に行くと、薬師温泉と鳩ノ湯温泉。
右に進むと温川(ぬるがわ)温泉。
浅間隠温泉郷とは、この3つの温泉地の総称である。
すべての温泉地が源泉一軒宿。
中でも最も小さい宿が、温川温泉の 「白雲荘」だ。
温川温泉は江戸時代中期に発見された。
当時、囲炉裏や炊事の煙に悩まされていた村の女性たちが、この湯で目を洗ったことから 「目の湯」 と呼ばれるようになった。
確かに源泉には、目薬の成分として知られるホウ酸カルシウムが多く含まれている。
「最近も源泉を持ち帰って目を洗ったら、目が良くなったとお礼の手紙が来ました」
と女将の葉木愛子さんは話す。
盛岡市生まれ。
30年前、盛岡の温泉宿で仲居をしていた時、群馬から来ていた客に誘われて、伊香保温泉で働くようになった。
その後は、薬師温泉に移り、当時の白雲荘の支配人から誘われ、平成10(1998)年に女将として白雲荘に入った。
「群馬の人は言葉がきつい感じなので、最初はやって行けるか心配でした。でも、みな腹の中は悪くない。慣れてくると面倒見がいい人が多いんですよね」
と笑う。
温川温泉の源泉は、明治22(1889)年に浅間隠山の大洪水で一度水没したが、昭和38(1963)年に掘削され、よみがえった。
「ここは昔ながらの湯治宿ですから、連泊される方が、ほとんどです。お客さまの健康を考え、料理もすべて地場産品を使い、手作りしています」
県内の温泉地は、どこも県外客で占められているのに対して、温川温泉を訪れる客は8割が県内からのリピーター。
それも、ほとんどが湯治目的の連泊者だ。
5人以上のグループなら、マイクロバスで県内どこでも送迎する。
露天風呂へは、宿から歩いて2~3分。
温川沿いの敷地に湯小屋が立っている。
湯小屋の隣には、簡単な食事ができる休憩所もある。
ここを預かっている唐沢貴子さんは、白雲荘のオーナーの長女。
白雲荘を建てたのは、祖父にあたる。
湯はぬるめで、肌にやさしく長湯ができる。
入浴中に、体に小さな泡の粒が付くのが特徴だ。
「今では群馬県人より群馬県人ぽいって言われるんですよ」
と底抜けに明るい女将の笑顔を、湯舟の中で思い出した。
<2013年1月30日付>
※「白雲荘」 は廃業しました。
Posted by 小暮 淳 at 11:17│Comments(2)
│湯守の女房
この記事へのコメント
小暮先生、ぜひ温川温泉「白雲荘」さんに行きたかったです。残念、悲しいです。群馬の一軒宿を守りたいですね。今日は相間川温泉に。泉質のせいでしょうか?お酒がうますぎ。先生、温泉の色がうす緑に変わるなんて事が有るでしょうか?ただの飲み過ぎ??(^^) 残念ながら来月の温泉サミットは…申し訳ありません。
Posted by 水上のなべちゃん at 2021年10月27日 19:48
水上のなべちゃんさんへ
相間川温泉の湯は、別名 「虹色の湯」 とも呼ばれています。
湯面の油分が陽の光を反射して、キラキラと七色に輝きます。
でも、なべちゃんが入ったのは夜だったのかな?
だとしたら、マグネシウムの含有のせいかも?
まれに緑色に変色することがあります。
入って残そう!群馬の温泉。
これからも活動、よろしくお願いします。
相間川温泉の湯は、別名 「虹色の湯」 とも呼ばれています。
湯面の油分が陽の光を反射して、キラキラと七色に輝きます。
でも、なべちゃんが入ったのは夜だったのかな?
だとしたら、マグネシウムの含有のせいかも?
まれに緑色に変色することがあります。
入って残そう!群馬の温泉。
これからも活動、よろしくお願いします。
Posted by 小暮 淳
at 2021年10月28日 10:58
