2021年11月21日
湯守の女房 (39) 最終回 「やるなら最初から本気でやりましょう」
湯端温泉 「湯端の湯」 高崎市
高崎市吉井町の牛伏山(うしぶせやま)のふもと。
湯端(ゆばた)温泉の歴史は古く、明治時代にはすでに自然に湧き出ている鉱泉があったという。
初代女将の桑子よねさんが高齢のため、平成18(2006)年から休業していたが、孫で3代目主人の済(とおる)さんと妻で現女将の真澄さんの2人が昨年6月、6年ぶりにリニューアルオープンした。
真澄さんは、高崎市で飲食店アルバイトをしていた時に、結婚式場に勤めていた済さんと出会い、21歳で結婚した。
3年間は東吾妻町の真澄さんの実家で暮らした。
済さんは町内の温泉旅館で修業をしながら、湯端温泉再開に向け、施設設計や資金繰りなどを真澄さんと話し合ってきた。
「知り合ったときから夫は、いつかは宿を開けたいと話していました。私も接客業は嫌いではありませんから、『やるなら最初から本気でやりましょう。もしダメだったら、その時は2人で勤めに出ればいい』 って、だいぶ背中を押しちゃいました」
と屈託のない笑顔を見せる。
改築した本館は玄関に 「湯端温泉」 の看板がかかる。
木造2階建てで、1階に内風呂やカフェスペース、ウッドデッキのテラスを設置した。
テラスからは夏、矢田川を飛び交うホタルを観賞できる。
旧館の宿泊棟、離れの浴室もリニューアルした。
「オープンしたら、すぐにかつての常連客や温泉ファンが全国から来てくださいました。ネットによる口コミで噂が広まったようです」
と済さんが言えば、真澄さんは
「近くにこれといった観光地がないので、仕事で利用する人がメインになるのかと思っていましたが、小さな子ども連れの若い夫婦が多いんですよ」
と意外な客層に驚いている。
女将も4歳と1歳の子育て中。
「お風呂は貸し切りだし、うちにも小さい子どもがいるので、気をつかわなくてすむのかもしれませんね」
塩辛い泉だったことから、地域で大切に守られてきた。
「誰かが温泉宿をやれよ」
と地元から声が上がり、料理人だった祖父の清さんが昭和46(1971)年に始めた。
済さんは小さい頃から祖父に可愛がられて育ったという。
「お前が高校を卒業するまでは頑張るから、後は頼む」
と話していたが、済さんが高校2年の時に80歳で他界した。
祖母のよねさんは、リニューアルオープンから4ヶ月後の昨年10月、90歳で天寿をまっとうした。
誰よりも孫夫婦が宿を継ぐ日を楽しみにしていた。
遠い空から清さんと一緒に、若い2人の奮闘ぶりを見守っていることだろう。
<2013年3月27日付>
このカテゴリーでは、2011年2月~2013年3月まで朝日新聞群馬版に連載された 『湯守の女房』(全39話) を不定期に掲載してまいりました。。
ご愛読いただき、ありがとうございました。
Posted by 小暮 淳 at 11:17│Comments(0)
│湯守の女房