2021年11月15日
湯守の女房 (38) 「お湯だけは胸をはって自慢ができます」
尻焼温泉 「関晴館」 中之条町
尻焼(しりやき)温泉のお湯は、新潟県境に近い旧六合村 (中之条町) を流れる長笹沢川の川床から湧いている。
川の一角を仕切り、プールのようにした野天の川風呂につかると、吹き上げる熱い湯で、お尻が焼けそうになるというのが名前の由来だという。
昔から痔(ぢ)の治療に効果があるとされてきたが、なるほど、そんな格好になる。
近くの花敷(はなしき)温泉が古くから開けていたのに比べ、尻焼温泉は道が険しく、周辺にたくさんのヘビが生息していて人を寄せつけなかったため、温泉宿ができるのが遅れたといわれている。
尻焼温泉に3軒ある旅館の中で最も古い 「関晴館(せきせいかん)」 の開館は、昭和元(1926)年。
花敷温泉に明治34(1901)年創業の 「関晴館本館」 があったので “別館” を名乗っていたが、本館が廃業したため別館の名をはずした。
「ここは昔も今も変わりません。山深くて、まわりには何もなく、寂しくてホームシックにかかったこともありました」
と3代目女将の関ますみさん。
群馬県長野原町生まれ。
6年前に他界した主人の守さんとは、昭和48(1973)年に見合い結婚。
それまでは前橋市内の特別支援学校で寮母をしていた。
「旅館の仕事は、毎日が同じことの繰り返し。お客さまを迎え、もてなし、見送る。まったく知らない世界だったので、仕事を覚えるのに無我夢中でした」
と振り返る。
折しも高度経済成長の波に乗った温泉ブームで、連日連夜、満員のにぎわいだったという。
草花を愛し、ドライフラワー作りで寂しさを紛らわしてきた。
ホオズキ、ツルウメモドキ、ベニバナ……。
ロビーには、地元で採れたさまざまな草花が飾られている。
その中に、「日本秘湯を守る会」 と書かれた大きな提灯が目を引く。
同会設立の昭和50(1975)年からの会員宿である。
高度成長期、バブル経済の温泉ブームが去った後、同館を支えているのは、真の温泉ファンという。
「秘湯好きの人たちは、景気不景気に関係なく来ていただけますからね」
内風呂と長笹沢川に臨む露天風呂からは、惜しみなくザーザーと滝のように湯があふれ流れている。
真冬のこの時季に加温をせずに、かけ流せるのは、源泉の温度が高く、湯量が豊富な証拠である。
「建物は古いし、サービスも行き届かない面もあります。でも、お湯だけは胸をはって自慢ができます」
女将の言うとおり、この湯と風光明媚な景色があれば、ほかに何もいらない。
そう思えてくる秘湯の宿である。
<2013年2月27日付>
※「関晴館」 は廃業しました。現在は経営者が変わり、旅館名も変わっています。
Posted by 小暮 淳 at 11:25│Comments(0)
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