2016年07月27日
尻焼温泉 「ホテル光山荘」②
<それでも湯は熱いのだが、不思議とクールな浴感であることに気づいた。まるでミントの入浴剤に入っているような清涼感である。その感覚は、湯から上がっても変わらない。体が火照ることなく、汗も噴き出さない。なんとも涼しい湯である。>
(『群馬の小さな温泉』(上毛新聞社) より)
昨日は月に1度の野外講座日でした。
僕は8年前からNHK文化センターのカルチャー教室で、温泉講座の講師をしています。
平成28年度の7月講座は、尻焼温泉(群馬県中之条町) へ行ってきました。
川が露天風呂になっていることで有名な、群馬を代表する秘湯であります。
「先生、昔ここは新花敷温泉っていってましたよね」
バスを降りて、長笹沢川に架かる 「尻明(しりあき)橋」 を渡っている時に、年配の受講生が話しかけてきました。
「よく、ご存知ですね。尻焼(しりやき) の名を嫌った時代があったんですよ」
温泉の発見は古く、嘉永7年(1854) の古地図には、すでに記されています。
村人たちが利用していたらしいのですが、入浴よりも主に “ねどふみ” という作業に利用していたようです。
“ねどふみ” とは、この土地に生える菅(すげ) や萱(かや) などを川底から湧き出す温泉に浸して、足で踏んでやわらかくする作業のことです。
その菅や萱で編んだ草履(ぞうり) や筵(むしろ) は、丈夫で水に強くて通気性も良いため、農作業や家庭で大変重宝されたといいます。
ちなみに “ねどふみ” の 「ねど」 とは、温泉に草を寝かせる所の意味だそうです。
この地に温泉旅館が建ったのは、昭和元年(1926) のこと。
手前にある花敷(はなしき) 温泉で経営していた関晴館本館が、別館として新築開業したのが始まりでした。
※(現在、本館は廃業し、別館のみが営業しています)
花敷温泉が古くから開けていたのに比べ、なぜ尻焼温泉の開発は遅れたのでしょうか?
これには諸説ありますが、道が急峻だったことと、温泉のまわりにヘビがたくさん生息していて、人々を寄せ付けなかったからだといわれています。
また一時、「尻焼」 の文字を嫌って、温泉名を 「尻明」 や 「白砂(しらす)」、「新花敷」 などと名乗った時代がありました。
ちなみに「尻焼」 とは、川底に座ると、尻が焼けるように熱くなるからです。
現在、尻焼温泉には3軒の宿がありますが、今回は唯一、自家源泉を保有している「ホテル光山荘」 にお世話になりました。
冒頭の文章は、僕が6年前に著書の中で書いたものです。
“湯上がりに汗が出ない不思議な清涼感” そんなコピーまでタイトルに付けました。
「小暮さんの本を読んだ方が、湯の検証に来られますよ。みなさん、本当だ!って感動して帰られます」
とは、出迎えてくれたオーナーの小渕哲也さん。
はたして、今でもそうでしょうか?
受講生たちも興味津々です。
源泉の温度54℃と高温です。
それが加水なしでかけ流されているのですから、熱い!
ので、備え付けの “湯かき棒” で、かき回しながら湯をもんでやります。
すると、さっきまでは足しか入れなかった体が、スーッと湯の中に入っていきます。
それでも湯は熱いのですが……
あとは冒頭の文章のとおりです。
湯上がりが爽快な、まさに夏にピッタリの温泉であります。
「先生、本当だ!」 「汗が出ないよ」 「さわやかだね」
受講生たちの声が、浴室に響きます。
これぞ、生きた講座なのであります。
Posted by 小暮 淳 at 17:57│Comments(0)
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