2021年05月13日
湯守の女房 (6) 「杖を忘れて帰ったお客さんもいるんです」
このカテゴリーでは、ブログ開設11周年企画として、2011年2月~2013年3月まで朝日新聞群馬版に連載された 『湯守の女房』(全39話) を不定期に紹介します。
湯守とは源泉を守る温泉宿の主人のこと。その湯守を支える女将たちの素顔を紹介します。
(肩書等は掲載当時のまま。一部、加筆訂正をしています)
奥嬬恋温泉 「干川旅館 花いち」 (嬬恋村)
初めて干川(ほしかわ)旅館に泊まった晩に、3代目女将の干川陽子さんから不思議な話を聞いた。
それは酒と米を持って詣でると、かなりの確率で願い事をかなえてくれる鎮守様の話だった。
「地元では昔から有名な神社なんですよ」
と場所を教えてくれた。
女将に言われた通りに参拝すると、数カ月後に、願い事は見事にかなえられた。
女将は生まれも育ちも嬬恋村。
それも干俣(ほしまた)地区である。
高校卒業後は前橋市内で会社勤めをしていたが、自然に囲まれた故郷が恋しくなり、22歳の時に帰ってきた。
その頃、幼なじみであるご主人の英男さんと再会した。
「干川旅館に勤めようかと思っていましたが、そのまま嫁いでしまいました」
と恥ずかしそうに笑う。
女将の旧姓も 「干川」 だった。
「名字が変わらないので、今でも独身と思われてしまうことがありますが、この名字には面白いいわれがあるんですよ」
その昔、源頼朝がイノシシ狩りで、この地を訪れた際、村人たちがイワナやヤマメなどの川魚を献上したところ、大層喜ばれたとのこと。
「どう捕まえたのか?」
と尋ねられたため、水をせき止め、川を干して魚を取ったことを告げたところ、「干川」 という名前が与えられたという。
平成3(1991)年、女将が嫁いだ頃は、ビジネス客やスポーツ合宿する学生たちを受け入れる一般旅館だった。
掘削に成功し、温泉が湧いたのは1年後のこと。
泉質は、山間部では珍しい高濃度の塩化物温泉。
独特の黒い湯の花が舞うにごり湯は、「良く温まり、湯冷めをしない」 と評判を呼んだ。
「チェックインの時は疲れ切った顔をしていた人が、元気になって帰って行く姿を見ると、温泉宿にして良かったと思います。杖を忘れて帰ったお客さんもいるんですよ」
同15年、本館の隣に客室わずか4部屋の別邸 「花いち」 をオープンした。
「野に咲く一輪の花のようにありたい」
という女将の願いが込められている。
今日もロビーでは、名も知らぬ野花が、客人たちを出迎えている。
この地で生まれ育ち、この地を愛し続ける女将ならではの素朴なもてなしが、何よりの癒やしとなっている。
ひと風呂浴びたら、久しぶりに干俣の諏訪神社を訪ねてみようと思う。
願うことは一つ。
震災後、閑古鳥が鳴いている県内の温泉地に、一日も早く客がもどりますように。
<2011年5月18日付>
Posted by 小暮 淳 at 10:56│Comments(0)
│湯守の女房