2021年05月17日
湯守の女房 (7) 「うちは代々、女が旅館を商ってきたんです」
鎌田温泉 「梅田屋旅館」 (片品村)
片品村の 「梅田屋」 と聞いて、村内で知らない人は、まずいない。
昔から著名な落語家や映画監督、俳優らが多く訪れた、街道きっての老舗旅館である。
明治44(1911)年の創業。
尾瀬や日光の行き帰りに投宿する料理旅館として、明治、大正、昭和、平成の旅人たちをもてなしてきた。
「うちは代々、女が旅館を商ってきたんです。小さい頃から祖母と母が働く姿を見て育ちましたから、いずれは自分も梅田屋を継ぐものと思っていました」
と4代目女将の星野由紀枝さん。
特に祖母の志かさん (故人) は、接客と経営に厳しい人だったという。
「“おかげさま” が本心から言えるようになりなさい」
が口ぐせだった。
誰に感謝しろというのではなく、「会ったことがない多くの人の “おかげ” があることを感じてほしい」 との願いが込められていた。
「祖母の言葉が、今でも梅田屋の歩むべき道を教えてくれています」
昭和62(1987)年11月、老舗の料理旅館に転機が訪れた。
「絶対に湯は出ない」 と言われていたこの地に、念願の温泉を掘り当てたのである。
「温泉とは、ありがたいものです。旅の途中に立ち寄る施設だった旅館が、温泉があることで旅の目的地になったのですから」
平成17(2005)年、「日本秘湯を守る会」(朝日旅行) の会員宿となった。
現在、全国で193軒が会員登録され、群馬県内では15軒が加盟している。
※(数字は掲載当時)
厳正な審査があり、入会が難しいといわれる会員宿の称号は、温泉宿にとってブランドであり、ステータスともなっている。
会員宿になれたことを一番喜んでいた夫の賢一さんは、村長の1期目の半ばだったその年の9月、突然59歳で他界。
いまは2人の息子さんが女将を助けている。
「秘湯の会に入り、『秘湯は人なり、旅は情けなり』 という言葉と出合いました。ああ、やっぱり! 祖母が言っていた通りだって」
街道沿いに旅籠(はたご)の面影を残す白壁と格子窓。
ガラガラと音をたてる玄関の引き戸。
館内の調度品の一つ一つに、歴史と風情を感じる。
湯舟につかると、絹の衣をまとったようなふんわりとした感触におおわれた。
無色透明の単純温泉だが、乳液のように肌に良くなじむ湯だ。
温泉は湯守の心を映す鏡である。
けれん味のない生真面目な湯に、旅人に情けをかける女将の “おかげさま” の心が生きている。
<2011年6月1日付>
Posted by 小暮 淳 at 12:00│Comments(0)
│湯守の女房