2020年04月11日
旅のめっけもん⑫
●旅のめっけもん 「花いんげん」
夕げの膳に、さりげなく盛られた赤紫色した大粒の煮豆。
一粒3㎝もある種皮は、光沢があり美しい。
おいらん豆、オニマメ、高原豆、ハナマメと地域によって呼び方は様々だが、ここ六合村(現・中之条町) では 「花いんげん」 と呼ばれている。
そう名付けたのは、六合村に住む一人の少年だった。
大正10(1921)年、5月のこと。
当時13歳だった大塚政美さんは、郵便配達をしていた叔父から1通のカタログをもらった。
北海道の農作物を紹介した冊子だった。
少年は北海道と六合村の気候が似ていることから、オニマメの種を取り寄せて畑にまいた。
しかし花は咲くけれど、なかなか実がならない。
「花いんげん」 の名は、そんな落胆した少年が付けた名前だった。
試行錯誤を繰り返したすえ、6年後の昭和2年頃から収穫も安定し、商品化にこぎつけた。
そして高原の清涼な空気と太陽をいっぱいに浴びて育った六合村の 「花いんげん」 は、六合村をはじめ草津温泉を代表する観光土産品となった。
今では県内各地の山村に栽培地域が広がっている。
口にふくむと上品な甘さが、ほんのりと広がった。
群馬の観光地では良く見かける土産品だが、色、艶、味そして大きさの見事さは、やはり元祖六合村産が絶品である。
<2006年3月 応徳温泉>
●旅のめっけもん 「湯湔薬師(ゆせんやくし)」
今から20年前のこと。
東京でボーリング会社を経営していた主人は、「絶対に出る」 という信念のもとに、資産を投じて源泉を掘り当てた。
そして平成元(1989)年7月、念願の温泉旅館を当地で開業した。
しばらく地元の人に経営を任せていたが、バブルの崩壊、乱脈経営が続き、この温泉を手放すかいなかの状況にまで追い込まれてしまった。
しかし、その昔、湧き出ていたここの湯は、当時の里人が 「たまご湯」 と呼び、親しんでいた霊験あらたかな湯だ。
2年半後、主人の会社で経理を手伝っていた女将は、一念発起して倉渕村(現・高崎市) に移り住んだ。
そんな主人の夢と、女将の頑張りを見守るように、先人が残した湯湔薬師像が源泉櫓(やぐら) の脇に立っている。
薬師如来は大医王仏とも呼ばれ、人間の苦悩を癒やし、ご利益を授けてくれる仏のこと。
建立の由来は、この湯の霊験著しいご利益に対して、旅人たちが感謝を込めて御湯の守護を祈念して安置したと言い伝えられている。
清流、長井川をはさんで、ちょうど露天風呂の対岸に立つ湯湔薬師。
湯を浴(あ)む私たちの健康までも祈願してくれているようだ。
<2006年4月 倉渕温泉>
Posted by 小暮 淳 at 12:14│Comments(0)
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