2020年03月10日
旅のめっけもん⑧
●旅のめっけもん 「江口きち資料室」
『瀬の色のめたたぬほとの青濁り ゆきしろのはや交りくるらし』
薄根川に架かる吊り橋の西のたもとに、「女啄木」 とも言われた薄幸の歌人、江口きちの歌碑が立っている。
橋からつづく遊歩道の先に、なんとも懐かしい木造の校舎が見える。
現在は 「川場村歴史民俗資料館」 だが、建物は明治43(1910)年に建築された川場尋常高等小学校で、国の登録文化財になっている。
江口きちも、この小学校を卒業した。
大正2(1913)年11月、川場村に生まれたきちは、幼い頃から勉学に励み、昭和3(1928)年の川場尋常高等小学校卒業時には、答辞を読むなど成績優秀だったという。
一時期、沼田郵便局に勤めるが、母の急逝により19歳で稼業の飲食業を継ぐことになる。
この頃から文学に傾倒し、文芸誌に短歌を投稿するようになり、生活の懊悩や妻子ある人との許されぬ愛などをリアルに表現した。
老いた父、病気の兄、4歳下の妹を抱えた苦しい生活の中で、歌を詠むことだけを生きがいとしていたきちは、昭和13年、自ら26歳の命を絶ってしまう。
辞世の歌 『大いなるこの寂(しづ)けさや天地(あめつち)の 時刻(とき)あやまたず夜は明けにけり』 を残して……。
きちが自分で縫ったという死への旅立ちに着た純白のドレスが、見る者の胸を強烈に締めつける。
<2005年7月 塩河原温泉>
●旅のめっけもん 「旧北軽井沢駅」
かつて、この地を高原列車が走っていた。
草津と軽井沢を結ぶ 「草軽電気鉄道」 である。
昭和37(1962)年の廃線まで半世紀にわたり、避暑や観光目当ての客に親しまれるだけでなく、硫黄や木炭などの貨物輸送にも使われていた。
線路は等高線に沿って敷かれたため、カーブが多く、脱線を頻繁にしたという。
また速度が遅いのも有名で、走行中に乗客が列車を降りて用を足して、また飛び乗ったというエピソードが残っているほどだ。
草津~軽井沢間 (55.5km) にあった17の停車駅の中で、北軽井沢駅だけが今でも唯一、駅舎が現存している。
昭和4(1929)年に建てられた寺社のような外観は、シンメトリーを成していて美しい。
廃線後、電鉄OBにより喫茶・スナックの店舗として活用されていたが、現在は建物のみが残っている。
その風格と保存状態の良さは、一見の価値がある。
昭和26年に封切られた日本初のオールカラー映画 『カルメン故郷に帰る』 の中で、主人公のカルメンは、この駅に降り立ち、この駅から帰っていった。
とりわけ、長いパンタグラフとL字型の車両から 「カブト虫」 の愛称で親しまれたデキ12型機関車に引かれた貨車の上からカルメンが手を振りつづけるラストシーンは、印象的である。
<2005年8月 北軽井沢温泉>
Posted by 小暮 淳 at 11:51│Comments(0)
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