2022年06月08日
ぐんま湯けむり浪漫 (10) 伊香保温泉
このカテゴリーでは、2017年5月~2020年4月まで 「グラフぐんま」 (企画/群馬県 編集・発行/上毛新聞社) に連載された 『温泉ライター小暮淳のぐんま湯けむり浪漫』(全27話) を不定期にて掲載しています。
※名称、肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。
伊香保温泉 (渋川市)
歴史と伝統が息づく石段街
開湯の起源は不明だが、二ツ岳 (榛名山の外輪山) の噴火によるものと考えられるため、西暦600年前後であろうといわれている。
「伊香保」 という名は、伊香保町という地名として残っているだけだが、万葉の時代には榛名山一帯を指していたようで、「万葉集」 巻14の東歌の中、上野国 (群馬県) の部には、「伊香保」 に関する歌が25首中9首も詠まれている。
歌の内容を読み解くと、「イカホ」 の意味は 「沼」 や 「背」、「風」 であり、現在の温泉地に限定している地名ではなく、広域を示していたことがわかる。
「イカホ」 の語源については諸説あるが、アイヌ語の 「イカ、ボップ (たぎる湯)」 から来ているとの説や、上州名物の 「いかづち (雷) 」 と燃える火 (ホ) との関連ではないかといわれている。
伊香保温泉の象徴、石段街が形成されたのは天正4(1576)年、戦国武将の武田氏が町並みを整備したことから発展したと伝わる。
当時、温泉街には大屋(おおや)と呼ばれる14軒の宿があり、年番で役を受け持っていた。
延享3(1746)年、徳川家重の時代に12軒の大屋に 「子」 から 「亥」 までの十二支の名が割り当てられ、明治維新まで年番で名主や伊香保口留番所 (関所) の役人を務めた。
その名残として、現在は石段の屋敷跡に十二支のプレートが埋め込まれている。
守り継がれる二つの源泉
伊香保温泉の源泉は、昔から小間口権 (引湯権) を持つ大屋たちにより守られてきた。
小間口とは、源泉 (温泉) が流れる本線 「大堰」 より各源泉所有者 (旅館) への引湯の際に用いられる湯口のことで、今でも石段街の温泉の取入口として利用されている。
この伝統ある源泉が、「黄金(こがね)の湯」 である。
泉質は、高血圧や動脈硬化の予防に効果が高いといわれる硫酸塩温泉。
鉄分が多いため空気に触れると酸化し、独特の茶褐色になる。
ちなみに、この湯の色を模して造られたのが名物の 「湯の花まんじゅう」 であり、伊香保温泉が温泉まんじゅうの発祥の地といわれている。
もう一つ、平成になってから湧出が確認された新しい源泉がある。
湯の色が無色透明だったため 「白銀(しろがね)の湯」 と名付けられた。
泉質は、メタけい酸含有泉。
保湿力に優れていることから “美肌の湯” とも呼ばれている。
伊香保温泉は昨年発表された 『温泉総選挙2017』 (うるおい日本プロジェクト主催) で 「チームで温泉活性化賞」 をはじめ、いくつもの賞を受賞した。
歴史と伝統を重んじながらも、新しいイベントなどにも積極的に取り組んでいる。
「インバウンドでは後発の温泉地です。外国人観光客は全体の1%に過ぎません。将来を見据えて、旅館経営者らと勉強会などを開いています」
と渋川伊香保温泉観光協会長の大森隆博さん。
今春、町内に台湾を総本山とする寺院の日本本山が開山した。
信者は500万人ともいわれ、温泉街へのインバウンド効果が期待されている。
ほぼ日本の真ん中に湧き、『上毛かるた』 の最初の札に詠まれている名湯、伊香保温泉。
金と銀の湯舟にのって、いま、千年浪漫の旅へ。
<2018年5月号>
Posted by 小暮 淳 at 12:26│Comments(0)
│湯けむり浪漫