2022年11月05日
ぐんま湯けむり浪漫 (25) 宝川温泉
このカテゴリーでは、2017年5月~2020年4月まで 「グラフぐんま」 (企画/群馬県 編集・発行/上毛新聞社) に連載された 『温泉ライター小暮淳の ぐんま湯けむり浪漫』 (全27話) を不定期にて掲載しています。
※名称、肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。
宝川温泉 (みなかみ町)
霊験あらたかな伝説の湯
宝川温泉の開湯は古く、神話の時代にさかのぼる。
日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国征伐の折、武尊山(ほたかさん)に登り、奥利根の山々の美しさを愛でたという。
ところが、この山を登ったことにより、極度の疲労を覚え、病気を発してしまった。
お供の者たちは手当てをしようとしたが、深い山の中で手のほどこしようがなかった。
途方に暮れていると、はるか下界の谷間より一羽の白いタカが空高く舞い上がり、天空で輪を描いた。
不思議に思って谷間をのぞき込むと、湯煙が立ち昇っていた。
お供の者たちは 「これも神明のご加護か」 と喜び、日本武尊を霊泉まで案内した。
そして湯につかると、病はただちに全快して、また旅を続けることができたと伝わる。
そのため宝川温泉は、古くは 「白鷹(はくたか)の湯」 と呼ばれていた。
いまでも敷地の入り口には、温泉発見の始祖として日本武尊の像が祀られ、かたわらには霊泉へと導いた白いタカが寄り添っている。
江戸時代には、すでに湯小屋があり、皮膚病や子どもの疳(かん)の虫に効果があるとされ、馬や駕籠(かご)で湯治客がやって来たという。
宿の創業は大正12(1923)年。
宝川のほとりに旧館が建ち、温泉旅館としての営業が始まった。
その後、昭和になってから別館、本館、東館と増設され、現在の 「汪泉閣(おうせんかく)」 が構成されている。
広大な庭園には大黒堂や座禅堂、山荘、散歩コースなどが配され、一軒宿とはいえ日がな一日、飽きることがない。
秘湯に息づく日本の魅力
昭和30~40年代、宝川温泉が全国的に有名になったことがあった。
戦後間もない頃、親を亡くした2頭の子グマを、宿主が手塩にかけて育て上げた。
ある夏の盛りのこと。
子グマを露天風呂へ連れて行くと、最初は前足でピチャピチャとお湯をたたいて面白がっていたが、そのうちスーッと温泉に入って泳ぎ出したという。
それからクマと一緒に温泉に入ると、泊まり客が大喜びし、大騒ぎとなった。
やがて露天風呂に入る 「入浴熊」 のうわさは広まり、当時、テレビや新聞、雑誌等に取り上げられ、宝川温泉は千客万来の大盛況となった。
現在は条例により禁止されているため、クマの入浴を見ることはない。
ところが今、ふたたび宝川温泉が脚光を浴びている。
インバウンドと呼ばれる外国人観光客の増加である。
数年前、海外の旅行ガイドに、関東の観光名所として日光と並んで紹介されたのが、ブームのきっかけとなった。
旅行サイトの人気投票でも 「外国人が最も注目した日本の観光スポット」 として、常に上位にランキングされている。
なんといっても圧巻は、天下一を誇る巨大な露天風呂だ。
川と見まがう4つの露天風呂の総面積は、約470畳。
温泉評論家が選ぶ 「全国露天風呂番付」 で、“東の横綱” の地位に輝いたこともある。
すべての露天風呂を源泉かけ流しにできるのも、毎分約1,800リットルという恵まれた湯量があるからこそで、まさに名実ともに “天下一” といえるだろう。
群馬が全国に、いや世界に誇れる日本の秘湯である。
<2020年1月号>
Posted by 小暮 淳 at 11:57│Comments(0)
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