2022年12月10日
2つ目の東村
“東村ファン” のみなさん、こんにちは!
謎学ライターの小暮です。
僕は現在、かつて群馬県内に存在していた5つの 「東村」 について調べています。
東村は町村制施行による明治の大合併とともに誕生し、昭和と平成の大合併により次々と消滅しました。
※(当ブログの2022年3月9日 「父の遺書~消えた東村~」、2022年7月23日 「消えた東村を追え!」 参照)
①なぜ、群馬県内には、5つも東村が存在したのか?
②なぜ、東村はあるのに、西村と北村と南村はないのか?
この2つの謎を解き明かすべく、僕は5つの消えた東村を訪ねることにしました。
高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) の11月4日号で、「消えた東村をゆく①」 と題して、昭和29(1954)年に最初に姿を消した 「群馬郡東村」 を紹介しました。
群馬郡東村は現在の前橋市、利根川右岸エリアにあたります。
そこでは、旧東村役場跡を探し出し、隣接する滝川に架かる 「東大橋」 の旧親柱を見つけました。
現在の 「東大橋」 の読み仮名は 「あずまおおはし」 ですが、昭和12(1937)年竣工の旧親柱には 「あづまおほはし」 と刻まれていました。
“ず” と “づ” の違いは何なのか?
これが②の謎を解く、キーワードになりました。
ということで僕は昨日、2番目に姿を消した 「利根郡東村」 へ行って来ました。
利根郡東村は昭和31(1956)年に利根村となり、平成17(2005)年に沼田市に合併され、沼田市利根町となりました。
で、取材の成果は?
謎を解くカギは見つかったのか?
はい、大収穫がありました!
まず旧東村役場の跡地を探し出し、旧村内に点在する5つの神社をめぐりました。
なぜ神社なのか?
実は、この5つの神社は社名は違っても、祭神 (その神社に祀られている神) がすべて同じなのです。
どうして、こんなにも同一の神様が祀られているのか?
そして “東村” との関連は?
この神様、実は 「あづま」 という言葉と深いかかわりがある神様だったのです。
近々僕は、3つ目の東村へ向かいます。
謎学の旅はつづく……
Posted by 小暮 淳 at 12:02│Comments(0)
│謎学の旅