2017年02月24日
伊香保温泉 「ホテル冨久住」
恋ひ恋ひて逢へる時だに愛しき
言尽くしてよ長くと思はば
バスターミナルやロープウェイへ向かう八幡坂の途中に、3階建ての古いホテルがあります。
隣は、大きな大きな老舗旅館の 「ホテル木暮」。
ともすれば、気づかずに通り過ぎてしまいそうな小さなホテルです。
“伊香保で唯一のビジネスホテル”
“素泊まり歓迎”
昭和のにおいがプンプン漂うレトロなたたずまい。
この地で30余年、家族だけで商ってきました。
フロントを抜け、1階から2階へ。
狭く急な階段は、どこか懐かしさを感じます。
「あれ?」
踊り場ごとに、新聞記事が貼られています。
どの新聞にも、微笑みかける美しい女性の顔写真が掲載されています。
「なんだろう?」
と記事を読み出すと、女性の名前は富澤智子さん。
「ああ、ここの娘さんが何か話題になったときの記事なんだ。女将さんかご主人が、自慢の娘の新聞記事を張り出しているんだな……」
でも違いました。
記事の内容は、出版した本の紹介でした。
それも新聞記事の日付けは、平成12年11月と同20年8月。
朝日新聞と読売新聞、群馬よみうりが、こぞって掲載しています。
「17年前と9年前の記事じゃないか……なんでだろう?」
記事を読み進むに連れて、真実が浮き彫りにされます。
著書のタイトル は『伊香保の万葉集』。
そして著者の智子さんは、平成3年に他界していました。
この本は没後9年経ってから、彼女が師事した国文学の大学教授らを中心に上梓されたものだったのです。
教授は本のあとがきで、彼女のことをこんなふうに述べています。
<本書はこの世を余りにも早く疾走し、駆け抜けて逝った冨沢智子君の遺著であります。群馬県の伊香保に生まれ、伊香保をこよなく愛し、伊香保に散って逝った薄命二十五歳の才色兼備の冨沢智子君。(中略) 智ちゃんは美人だった。頭がよかった。そして何よりも気持ちの素晴らしい女性だった。神は二物を人に与えずというが、三物も四物も与えた上、手元に置きたくなったのか、その御手の元に連れて逝ってしまった。神の気紛れ、ふとそう思った。>
「それまでは、ふつうのホテルだったんですよ。私が厨房に入って料理を作って、娘が手伝ってくれて……。娘を亡くしたショックが大きくてね。私もダウンしてしまったんです」
母で女将の富澤ツネヨさんは、在りし日の娘の姿を思い出しながら、時に笑いながら、本当に嬉しそうに話してくれました。
群馬県内には、約600軒の温泉宿があります。
その一軒一軒に歴史があり、物語があるのですね。
一軒たりとも、取材をおろそかにはできません。
そう肝に銘じた取材でした。
※冒頭の歌は、智子さんが中学生の時に、最初に好きになった万葉集の歌です。
Posted by 小暮 淳 at 12:49│Comments(0)
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