2014年06月23日
ザンゲの花束
あれは、34年も前のことです。
昭和55年(1980) の今頃だったと記憶しています。
当時、僕は東京の音楽学校を卒業をして、就職もせず、ただ、その日暮らしの生活を送っていました。
月に数本のライブハウスや年に数本のコンサート、と路上パフォーマンスだけのために、東京を離れずに1人暮らしをしていました。
生活費は、バイトでまかなっていましたが、いつも金が足りません。
月末になると、友人のアパートへ転がり込んだり、金の無心をしに訪ね歩いていました。
もっと割りのいいバイトを!
と、求人広告で見つけた西武池袋線沿いにある書店で、配達のバイトを始めたのが、ちょうど34年前の今頃です。
1年先輩のNさんに指導を受けながら、都内の学校図書館や契約企業へ車で本の納品に回っていました。
忘れもしません。
見習い2日目のことです。
Nさんが運転するバンに同乗して、僕は助手席で一所懸命に道を覚えようと、道路地図とにらめっこをしていました。
車は青梅街道を中野方面から新宿副都心へ向かっていました。
「そろそろ、昼にしようや。この先に、安くてうまい喫茶店があるんだよ。覚えておくと、便利だから」
と、Nさんは街道から狭い上り坂の横道に入り、緑の生い茂る児童公園の脇に車を停めると、向かいの小さな喫茶店へと僕を連れていきました。
その時、何を注文したかは、もう忘れてしまいました。
何を食べたのか、どんな店内だったのか、その後に起きた出来事により、すべて僕の頭の中から記憶が消去されてしまったのです。
ドスン!
窓の外から、重く鈍い音がしました。
しばらくすると、若い男性が血相をかいて、店内に飛び込んで来ると、大声で叫びました。
「救急車を呼んでください。それと、人を乗せられる、なにか板のようなもの、ありませんか? 子供を轢いてしまいました」
騒然とする店内。
マスターが、発泡スチロールの板を抱えて、店から外へ出て行きました。
僕らは、店内から外を眺めているのが精一杯でした。
道の真ん中に、小さな男の子が倒れています。
やがて救急車が来て、男の子を乗せて、去っていきました。
店内の客も、1組、2組と帰っていきます。
「ビックリしたなぁ~。俺たちも気を付けなくっちゃな。さ、そろそろ午後の配達を始めようか!」
Nさんの後に付いて、喫茶店を出ました。
ちょうど、先ほどの若者が、警察官に事故の現場で事情聴取を受けていました。
僕らが、公園の前に停めておいた車に乗り込もうとしたときでした。
「あの白いバンですよ。あの車の陰から、突然、子供が飛び出してきたんだ。ブレーキは踏んだけど、間に合わなかったんですよ」
そう、こちらを指さしながら叫んだ若者の声が、耳に届きました。
白いバン
車の陰から
この、僕らが停車した車に違いありません。
この、車の陰から飛び出した子供が轢かれたのです。
もし、この、車がなかったら・・・
翌日の新聞に、その子供が搬送先の病院で死亡したことを知りました。
小学校に入学したばかりの、ピカピカの1年生でした。
僕とNさんは、新聞記事を読むと居ても立ってもいられず、昨日の事故現場へ向かいました。
途中、花屋に寄り、2人でお金を出し合って花束を買いました。
もう、どうすることもできないのですが、せめてもの懺悔(ざんげ) の気持ちだったのです。
あれから34年。
生きていれば、あの男の子も今は、立派な40歳の大人になっていたはずです。
毎年、この時季になると、なぜかフラッシュバックのように、あの日の記憶がよみがえってくるのです。
僕は、その日以来、あの、道を通っていません。
あの、児童公園と喫茶店は、今もあるのでしょうか?
Posted by 小暮 淳 at 21:24│Comments(0)
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